#羊村的扛把子# #散文#
秋__丰子恺
我的年岁上冠用了“三十”二字,至今已两年了。不解达观的我,从这两个字上受到了不少的暗示与影响。虽然明明觉得自己的体格与精力比二十九岁时全然没有什么差异,但“三十”这一个观念笼在头上,犹之张了一顶阳伞,使我的全身蒙了一个暗淡色的阴影,又仿佛在日历上撕过了立秋的一页以后,虽然太阳的炎威依然没有减却,寒暑表上的热度依然没有降低,然而只当得余威与残暑,或霜降末落的先驱,大地的节候已从今移交于秋了。
实际,我两年来的心情与秋因最容易调和而融合。这情形与从前不同。在往年,我只慕春天。我最欢喜杨柳与燕子。尤其欢喜初染鹅黄的嫩柳。我曾经称自己的寓居为“小杨柳屋”,曾经画了许多杨柳燕子的画,又曾经摘取秀长的柳叶,在厚纸上裱成各种风调的眉,想象这等眉的所有者的颜貌,而在其下面添描出眼鼻与口。那时候我每逢早春时节,正月二月之交,看见杨柳枝的线条上挂了细珠,带了隐隐的青色而“遥看近却无”的时候,我心中便充满了一种狂喜,这狂喜又立刻变成焦虑,似乎常常在说:“春来了!不要放过!赶快设法招待它,享乐它,永远留住它。”我读了“良辰美景奈何天”等句,曾经真心地感动。以为古人都太惜一春的虚度。前车可鉴!到我手里决不放它空过了。最是逢到了古人惋惜最深的寒食清明,我心中的焦灼便更甚。那一天我总想有一种足以充分酬偿这佳节的举行。我准拟作诗、作画,或痛饮、漫游。虽然大多不被实行;或实行而全无效果,反而中了酒、闹了事,换得了不快的回忆;但我总不灰心,总觉得春的可恋。我心中似乎只有知道春,别的三季在我都当做春的预备,或待春的休息时间,全然不曾注意到它们的存在与意义。而对于秋,尤无感觉:因为夏连续在春的后面,我可当做春的过剩;冬先行春的前面,我可当做春的准备;独有与春全无关联的秋,在我心中一向没有它的位置。
自从我的年龄告了立秋以后,两年来的心境完全转了一个方向,也变成秋天了。然而情形与前不同:并不是在秋日感到像昔日的狂喜与焦灼。我只觉得一到秋天,自己的心境便十分调和。非但没有那种狂喜与焦灼,常常被秋风秋雨秋色秋光所吸引而融化在秋中,暂时失却了自己的所在。而对于春,又并非像昔日对于秋的无感觉。我现在对于春非常厌恶。每当万象回春的时候,看到群花的斗艳、蜂蝶的扰攘,以及草木昆虫等到处争先恐后地滋生繁殖的状态,我觉得天地间的凡庸、贪婪、无耻与愚痴,无过于此了!尤其是在青春的时候,看到柳条上挂了隐隐的绿珠,桃枝上着了点点的红斑,最使我觉得可笑又可怜。我想唤醒一个花蕊来对它说:“啊!你也来反复这老调了!我眼看见你的无数的祖先,个个同你一样地出世,个个努力发展、争荣竞秀;不久没有一个不憔悴而化泥尘。你何苦也来反复这老调呢?如今你已长了这孽根,将来看你弄娇弄艳、装笑装颦,招致了蹂躏、摧残、攀折之苦,而步你的祖先们的后尘!”
实际上,迎送了三十几次的春来春去的人,对于花事早已看得厌倦,感觉已经麻木,热情已经冷却,决不会再像初见世面的年轻少女般地为花的幻姿所诱惑而赞之、叹之、怜之、惜之了。况且天地万物,没有一件逃得出荣枯、盛衰、生灭、有无之理。过去的历史昭然地证明着这一点,无需我们再说。古来无数的诗人千篇一律地为伤春惜花费词,这种效颦也觉得可厌。假如要我对于世间的生荣死灭费一点词,我觉得生荣不足道,而宁愿欢喜赞叹一切的死灭。对于死者的贪婪、愚昧与怯弱,后者的态度何等谦逊、悟达而伟大!我对于春与秋的舍取,也是为了这一点。
夏目漱石三十岁的时候,曾经这样说:“人生二十而知有生的利益;二十五而知有明之处必有暗;至于三十的今日,更知明多之处暗亦多,欢浓之时愁亦重。”我现在对于这话也深抱同感;有时又觉得三十的特征不止这一端,其更特殊的是对于死的体感。青年们恋爱不遂的时候惯说生生死死,然而这不过是知有“死”的一回事而已,不是体感。犹之在饮冰挥扇的夏日,不能体感到围炉拥衾的冬夜的滋味。就是我们阅历了三十几度寒暑的人,在前几天的炎阳之下也无论如何感不到浴日的滋味。围炉、拥衾、浴日等事,在夏天的人的心中只是一种空虚的知识,不过晓得将来须有这些事而已,但是不能体感它们的滋味。须得入了秋天,炎阳逞尽了威势而渐渐退却,汗水浸胖了的肌肤渐渐收缩,身穿单衣似乎要打寒噤,而手触法郎绒觉得快适的时候,于是围炉、拥衾、浴日等知识方能渐渐融入体验界中而化为体感。我的年龄告了立秋以后,心境中所起的最特殊的状态便是这对于“死”的体感。以前我的思虑真疏浅!以为春可以常在人间,人可以永在青年,竟完全没有想到死。又以为人生的意义只在于生,我的一生最有意义,似乎我是不会死的。直到现在,仗了秋的慈光的鉴照,死的灵气钟育,才知道生的甘苦悲欢,是天地间反复过亿万次的老调,又何足珍惜?我但求此生的平安的度送与脱出而已。犹之罹了疯狂的人,病中的颠倒迷离何足计较?但求其去病而已。
我正要搁笔,忽然西窗外黑云弥漫,天际闪出一道电光,发出隐隐的雷声,骤然洒下一阵夹着冰雹的秋雨。啊!原来立秋过得不多天,秋心稚嫩而未曾老练,不免还有这种不调和的现象,可怕哉!
一九二九年
【赏析】
春与秋其代序,皆是自然的规律。恰如作者一开始喜春不知秋,到最后喜秋而厌春,亦是一种转变。随着时间的推移,很多事情都在改变,人的心境、心情更是如此。任凭时光荏苒,唯独我们的心是值得思考的,只有坦然的心境,才能领略春华秋实的别样情味。
【作者简介】
丰子恺(1898—1975),原名丰润,浙江桐乡人,中国现代漫画家和散文家。在美术方面曾出版过《护生画集》、《子恺漫画》,在散文方面曾先后出版了《缘缘堂随笔》、《子恺小品集》、《丰子恺创作选》等。
秋__丰子恺
我的年岁上冠用了“三十”二字,至今已两年了。不解达观的我,从这两个字上受到了不少的暗示与影响。虽然明明觉得自己的体格与精力比二十九岁时全然没有什么差异,但“三十”这一个观念笼在头上,犹之张了一顶阳伞,使我的全身蒙了一个暗淡色的阴影,又仿佛在日历上撕过了立秋的一页以后,虽然太阳的炎威依然没有减却,寒暑表上的热度依然没有降低,然而只当得余威与残暑,或霜降末落的先驱,大地的节候已从今移交于秋了。
实际,我两年来的心情与秋因最容易调和而融合。这情形与从前不同。在往年,我只慕春天。我最欢喜杨柳与燕子。尤其欢喜初染鹅黄的嫩柳。我曾经称自己的寓居为“小杨柳屋”,曾经画了许多杨柳燕子的画,又曾经摘取秀长的柳叶,在厚纸上裱成各种风调的眉,想象这等眉的所有者的颜貌,而在其下面添描出眼鼻与口。那时候我每逢早春时节,正月二月之交,看见杨柳枝的线条上挂了细珠,带了隐隐的青色而“遥看近却无”的时候,我心中便充满了一种狂喜,这狂喜又立刻变成焦虑,似乎常常在说:“春来了!不要放过!赶快设法招待它,享乐它,永远留住它。”我读了“良辰美景奈何天”等句,曾经真心地感动。以为古人都太惜一春的虚度。前车可鉴!到我手里决不放它空过了。最是逢到了古人惋惜最深的寒食清明,我心中的焦灼便更甚。那一天我总想有一种足以充分酬偿这佳节的举行。我准拟作诗、作画,或痛饮、漫游。虽然大多不被实行;或实行而全无效果,反而中了酒、闹了事,换得了不快的回忆;但我总不灰心,总觉得春的可恋。我心中似乎只有知道春,别的三季在我都当做春的预备,或待春的休息时间,全然不曾注意到它们的存在与意义。而对于秋,尤无感觉:因为夏连续在春的后面,我可当做春的过剩;冬先行春的前面,我可当做春的准备;独有与春全无关联的秋,在我心中一向没有它的位置。
自从我的年龄告了立秋以后,两年来的心境完全转了一个方向,也变成秋天了。然而情形与前不同:并不是在秋日感到像昔日的狂喜与焦灼。我只觉得一到秋天,自己的心境便十分调和。非但没有那种狂喜与焦灼,常常被秋风秋雨秋色秋光所吸引而融化在秋中,暂时失却了自己的所在。而对于春,又并非像昔日对于秋的无感觉。我现在对于春非常厌恶。每当万象回春的时候,看到群花的斗艳、蜂蝶的扰攘,以及草木昆虫等到处争先恐后地滋生繁殖的状态,我觉得天地间的凡庸、贪婪、无耻与愚痴,无过于此了!尤其是在青春的时候,看到柳条上挂了隐隐的绿珠,桃枝上着了点点的红斑,最使我觉得可笑又可怜。我想唤醒一个花蕊来对它说:“啊!你也来反复这老调了!我眼看见你的无数的祖先,个个同你一样地出世,个个努力发展、争荣竞秀;不久没有一个不憔悴而化泥尘。你何苦也来反复这老调呢?如今你已长了这孽根,将来看你弄娇弄艳、装笑装颦,招致了蹂躏、摧残、攀折之苦,而步你的祖先们的后尘!”
实际上,迎送了三十几次的春来春去的人,对于花事早已看得厌倦,感觉已经麻木,热情已经冷却,决不会再像初见世面的年轻少女般地为花的幻姿所诱惑而赞之、叹之、怜之、惜之了。况且天地万物,没有一件逃得出荣枯、盛衰、生灭、有无之理。过去的历史昭然地证明着这一点,无需我们再说。古来无数的诗人千篇一律地为伤春惜花费词,这种效颦也觉得可厌。假如要我对于世间的生荣死灭费一点词,我觉得生荣不足道,而宁愿欢喜赞叹一切的死灭。对于死者的贪婪、愚昧与怯弱,后者的态度何等谦逊、悟达而伟大!我对于春与秋的舍取,也是为了这一点。
夏目漱石三十岁的时候,曾经这样说:“人生二十而知有生的利益;二十五而知有明之处必有暗;至于三十的今日,更知明多之处暗亦多,欢浓之时愁亦重。”我现在对于这话也深抱同感;有时又觉得三十的特征不止这一端,其更特殊的是对于死的体感。青年们恋爱不遂的时候惯说生生死死,然而这不过是知有“死”的一回事而已,不是体感。犹之在饮冰挥扇的夏日,不能体感到围炉拥衾的冬夜的滋味。就是我们阅历了三十几度寒暑的人,在前几天的炎阳之下也无论如何感不到浴日的滋味。围炉、拥衾、浴日等事,在夏天的人的心中只是一种空虚的知识,不过晓得将来须有这些事而已,但是不能体感它们的滋味。须得入了秋天,炎阳逞尽了威势而渐渐退却,汗水浸胖了的肌肤渐渐收缩,身穿单衣似乎要打寒噤,而手触法郎绒觉得快适的时候,于是围炉、拥衾、浴日等知识方能渐渐融入体验界中而化为体感。我的年龄告了立秋以后,心境中所起的最特殊的状态便是这对于“死”的体感。以前我的思虑真疏浅!以为春可以常在人间,人可以永在青年,竟完全没有想到死。又以为人生的意义只在于生,我的一生最有意义,似乎我是不会死的。直到现在,仗了秋的慈光的鉴照,死的灵气钟育,才知道生的甘苦悲欢,是天地间反复过亿万次的老调,又何足珍惜?我但求此生的平安的度送与脱出而已。犹之罹了疯狂的人,病中的颠倒迷离何足计较?但求其去病而已。
我正要搁笔,忽然西窗外黑云弥漫,天际闪出一道电光,发出隐隐的雷声,骤然洒下一阵夹着冰雹的秋雨。啊!原来立秋过得不多天,秋心稚嫩而未曾老练,不免还有这种不调和的现象,可怕哉!
一九二九年
【赏析】
春与秋其代序,皆是自然的规律。恰如作者一开始喜春不知秋,到最后喜秋而厌春,亦是一种转变。随着时间的推移,很多事情都在改变,人的心境、心情更是如此。任凭时光荏苒,唯独我们的心是值得思考的,只有坦然的心境,才能领略春华秋实的别样情味。
【作者简介】
丰子恺(1898—1975),原名丰润,浙江桐乡人,中国现代漫画家和散文家。在美术方面曾出版过《护生画集》、《子恺漫画》,在散文方面曾先后出版了《缘缘堂随笔》、《子恺小品集》、《丰子恺创作选》等。
家人们家人们,我带着安利赶来了[开学季]
《影帝的公主》真的可以一看!!!
先说设定!闷骚口嫌体正直影帝x初入娱乐圈小白花!男主闷骚到我爆笑,女主元气可爱不脑残,人间清醒踹渣男[拳头]男主车祸记忆错乱,以为自己是戏中的太傅,开始守护“公主”...
虽然设定听起来有点古早但是剧情土甜不尴尬,我看的超级开心!!!(唯一败笔的地方在于徐正溪的原声那么好听,结果找了两个和男女主都不贴贴的配音[泪])
前四集主要讲戏中戏《一代首辅》,太傅x公主,古装高虐大be,剧情人设都好带感!!!
太傅教导公主,却发现自己是公主暗生情愫,请旨驻守边关,突遭变故皇帝遇刺,赶回救下公主太子,却被新登基的太子发现他和公主的情愫,皇帝为了不让手握兵权的重臣与公主结亲,将她们二人各自婚配。多年后,驸马谋反,公主求太傅帮她的两个孩子求情未果,最后一杯毒酒了却残生。
雪中吻戏那段真的哭的我欲罢不能[泪][泪][泪](就是之前b站超级火的那个路透)
前四集我一直在emoha状态,但是一进戏中戏我吱哇嗑拉哇哇大哭,一到戏外这个闷骚穆廷州就能把我笑死!!!
然后到第六集穆廷州记忆错乱之后我真的昨晚大半夜被笑到窒息...徐正溪你真的不要面子的吗哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈我只能说大家看就对了!!!
非常期待接下来太傅勇闯现代世界的剧情我真的会爆笑!!!
不用忍过前几集的好剧!!!(除了一开始穆廷州有点bking哈哈哈哈哈)徐正溪好帅周洁琼好美剧情好有意思家人们真的可以入股不亏!!!
《影帝的公主》真的可以一看!!!
先说设定!闷骚口嫌体正直影帝x初入娱乐圈小白花!男主闷骚到我爆笑,女主元气可爱不脑残,人间清醒踹渣男[拳头]男主车祸记忆错乱,以为自己是戏中的太傅,开始守护“公主”...
虽然设定听起来有点古早但是剧情土甜不尴尬,我看的超级开心!!!(唯一败笔的地方在于徐正溪的原声那么好听,结果找了两个和男女主都不贴贴的配音[泪])
前四集主要讲戏中戏《一代首辅》,太傅x公主,古装高虐大be,剧情人设都好带感!!!
太傅教导公主,却发现自己是公主暗生情愫,请旨驻守边关,突遭变故皇帝遇刺,赶回救下公主太子,却被新登基的太子发现他和公主的情愫,皇帝为了不让手握兵权的重臣与公主结亲,将她们二人各自婚配。多年后,驸马谋反,公主求太傅帮她的两个孩子求情未果,最后一杯毒酒了却残生。
雪中吻戏那段真的哭的我欲罢不能[泪][泪][泪](就是之前b站超级火的那个路透)
前四集我一直在emoha状态,但是一进戏中戏我吱哇嗑拉哇哇大哭,一到戏外这个闷骚穆廷州就能把我笑死!!!
然后到第六集穆廷州记忆错乱之后我真的昨晚大半夜被笑到窒息...徐正溪你真的不要面子的吗哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈哈我只能说大家看就对了!!!
非常期待接下来太傅勇闯现代世界的剧情我真的会爆笑!!!
不用忍过前几集的好剧!!!(除了一开始穆廷州有点bking哈哈哈哈哈)徐正溪好帅周洁琼好美剧情好有意思家人们真的可以入股不亏!!!
【中村屋酒店の兄弟】
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
nakamuraya1.jpg
―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
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―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
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