【web MAGAZINE】QUI

#中村屋酒店の兄弟

藤原季節×白磯大知 – 伝えたい、届けたい

映画本編とラジオドラマという2本立てでの全国劇場公開が決定した『中村屋酒店の兄弟』。その新しい映画体験を通して、大切な人や場所との“距離感”について改めて考えさせてくれる佳作だ。主演の藤原季節、監督の白磯大知へのインタビュー。

この映画を必要としてくれる人がいることが嬉しい(藤原)

— 映画『中村屋酒店の兄弟』拝見させていただいて、いま映画館で上映することにすごく意味のある作品だと思いました。お二人としては初上映から3年たって全国で公開されることに対して、どのような思いがありますか? 白磯監督にとっては初監督作品でもありますが。

白磯大知(以下、白磯):ありがたい気持ちはもちろんあるんですけど、それ以上に驚いているというか。中村屋酒店さんのご夫婦をはじめいろんな方の協力があって撮れた作品なので、その感謝を全国公開っていうかたちで返せるのはすごく嬉しく思っています。

— 藤原さんは?

藤原季節(以下、藤原):中村屋酒屋はもう閉店してるんですけど、でもそこに確かにあったものとか、消えていってしまうものとか、大知君は目に見えない何かを撮りたかったんじゃないかと思っていて。それが撮影から3年を経ていま全国に届くっていうのは、この映画に可能性を感じて届けたいと思ってくれた人や、消えていくものに対して思うところがある人がいるってことなんですよね。この映画を必要としてくれる人がいるんだっていうことが嬉しいです。

— すごいことですよね。『中村屋酒店の兄弟』は、映画本編とその前日譚となるラジオドラマ、そしてドキュメンタリーという3本の作品に展開されています。今回はドキュメンタリーの上映はないそうですが、ドキュメンタリーは中村屋酒店が閉店することを映画の撮影中に知ってから撮ることを決めたそうですね。

白磯:そうです。中村屋酒店の閉店は季節君が教えてくれたんですけど、最初に奥さんから「映像で残せたら嬉しい」って言われたのはそういう意味だったのかと気づいて。閉店するまでの3ヵ月間で何回かお邪魔して撮らせていただきました。

— ラジオドラマの制作はどういった経緯で?

白磯:「田辺・弁慶映画祭」でTBSラジオ賞を受賞した時に、「この作品はラジオドラマにしたら面白いんじゃないか」というご提案をいただきました。せっかくだから映画をそのままラジオドラマにするのではなく、映画をより楽しめるような作品を作れたらいいなと。映画本編より過去の話にして、ラジオドラマを聴きながら想像した情景が本編を観ている時に回想として浮かんだらすごく面白いんじゃないかなと思って。
— 実際にすごくユニークな体験でした。ラジオドラマを聴いているときは画があまり浮かばなかったんですけど、映画を観ていると鮮明な思い出に感じられてくるのが不思議な感覚で。僕は自宅で視聴したのですが、映画館だと感じ方がだいぶ違いそうですね。

藤原:テアトル新宿で経験した時は感動的でした。暗闇の中でみんなが耳を澄まして声だけを聴くって初体験でしたから。

— ですよね。その体験だけでも映画館に行く価値があるなと思いました。

書かれていないことが山ほど書かれた本だと気づいた(藤原)

— 中村屋酒店は実在した酒屋なんですよね。脚本の制作段階から、中村屋酒店を舞台として想定されてたんですか?

白磯:そうではなく、タイトルももともと違うお店の名前だったんです。でも本当にいろんな酒屋さんにお願いに行ってもなかなかロケ地が決まらずで。もうどうしようって状態のある日、赤羽の酒屋さんからの帰り道…そこも断られてしまったんですが、携帯で調べたら近隣にもう1件酒屋さんがあって、そこの写真が理想的だったんです。定休日となっていたんですけど行ってみたらたまたま開いていて、ご主人とお話させていただいたんですが、やっぱり唐突なお願いだったので「いやいや…」と。そしたら奥さんも出てきて、「残せるんだったらなんでも協力します」と言ってくださって。「残せる」に込められた意味は、その時はまだ知らなかったですけど。

— 中村屋酒店に決まった時にはもう本はできあがっていたんですね。

白磯:ほぼできていました。でも中村屋酒店の雰囲気や染みついた匂いみたいなものが、役者や作品に十二分に影響したとは思います。

— 藤原さんとはもともとお知り合いだったんですか?

白磯:ほぼ知り合いじゃないといっていい。

藤原:面識はあるぐらいでした。

— なぜ藤原さんにオファーを?

白磯:キャスティングで入っていただいた方が共通の知人で提案していただきました。「いや、そもそもいける?」と思いながらも脚本を送って、まず季節くんに読んでもらえたことが僕は嬉しかったんですが、やっぱり「ちょっと何が面白いかわからない」という答えで。じゃあまた別の方を探さないと、と思っていたら「直接監督と会って話をしたい」と電話をいただいたんです。新宿だっけ?

藤原:いや、渋谷。

白磯:渋谷のカフェで会ってコーヒーを飲みながら、「もう1回読んでいい?」って目の前で本を読み始めて。

藤原:カフェの喫煙所でタバコを吸ってる時に、大知君がぽろっと「兄弟の距離感を描きたいんですよね」って言ったんですよ。それがピンって琴線を弾いて。もう1回だけ読ませてくださいって、その場で心が変わりました。

— 藤原さんの中に、兄弟の距離感に対する興味・関心がもともとあったんですか?

藤原:というよりは、脚本をしっかり読めてなかったかもしれないと思ったんですよね。3年前の自分の未熟さによるものなんですけど、書かれてあることをそのまま読むことしかできないとか、読もうとする努力をしていなかったというのがあって。新しい監督だし、年齢も僕より3つぐらい若いし、ちょっと大知君のことをなめてる気持ちもあった。だから兄弟の距離感を描きたいって言われた時に、ひょっとしたら一行のセリフに込められた裏の感情がたくさん眠ってるんじゃないかと読んでみたら、案の定書かれていないことが山ほど書かれた本だなっていうことに気づいて。それで、もうその場で「はぁ、すごいな」と。

— 白磯監督が兄弟の距離感を描きたいという思いに至ったのはなぜでしょう?
白磯:距離感が近くなればなるほど本当に伝えたいことってなかなか言えない。逆に隠したい気持ちは、本当に言ったかのように伝わっちゃう。兄弟とか両親とか、お互いの信頼関係があるから起こるちぐはぐさなんですよね。両親とかなんも言ってないのに急に「元気?」みたいな電話がかかってきたりするじゃないですか。そういうことが面白いし不思議だなと。自分は兄弟がいるし、男兄弟の話を書いてみようと思って脚本にしました。

自分自身を深掘りすることがコミュニケーションに繋がる(白磯)

— 男兄弟って距離感の難しさが顕著に表れると思うんですけど、男兄弟に限らず人と人の距離感ってこういう感じあるよなって映画を観ていてすごく共感できました。お二人が普段、人との関係性で意識していることや大事にしていることはありますか?
藤原:むしろ、それしか大事にしてないですね。

— 距離感を?

藤原:そう。自分が思ってることをそのまま相手に伝えると、コミュニケーションが成立しないので。相手にもらおうとするばかりじゃなくて、自分はこの人に何を与えられるんだろうって考える時間が積み重なると自然と距離感も考えるようになって、自分の思っていることをどう伝えればこの人に届くだろうっていうことを考えるようになる。それはもう日々、毎日、毎秒考えています。

— 疲れることはないですか? ずっと考え続けていたら。

藤原:でもそうじゃないと。果てしない問題です、それが。

— 白磯さんも人との距離感で気を使うところはありますか?
白磯:僕は自分の気持ちをストレートに言うことが苦手なんです。「好き」って思った時にパッと感情のまま言葉にして、自分の100%を全部ぶつけても相手には2%とか3%しか伝わらないこともあるなと思って。そこでどういう伝え方をしたら相手が聞いてくれるか、理解してもらえるのか。それにはまず自分がどう見られているか…別に体面を気にするっていうわけではなく、自分自身をどれぐらい深掘りできるかということが、結局他人とのコミュニケーションに繋がっていくのかなと。毎分毎秒考えているわけじゃないですけど、自分はどういう人間なんだろうと考えるのは大事だなと思っています。

— 面白いですね。人がどう見ているかじゃなくて自分が自分をどう見るかっていうことを深く考えるっていうのが。

白磯:まさにそうですね。

— では最後に、これから映画をご覧になる方へのメッセージをお願いします。
藤原:ラジオドラマは音で聴いて想像で楽しむもので、映画は視覚でも感じるもの。いろんな面から中村屋酒店っていう場所のことを45分間考え続ける時間っていうのは、言葉にするのは難しいけど意味があるし、価値があるものなんじゃないかなと僕は信じたいですね。

白磯:僕はこの映画を見終わった後に、自分の家族に連絡してみようかなとか、久々に思い出すようなきっかけになればいいなっていうのはすごく感じていて。それは家族なのか、兄弟なのか、友人なのか。その人と酒飲みたいなって思えるのが一番いいいなと。あとはやっぱり普通の酒屋さん、町の小さい酒屋さんにふらっとそこにお酒を買いに行ってもらえたら嬉しいかな。

藤原:買うものはコンビニと同じでも。

白磯:ちょっと覗いてみようかなっていうきっかけになればいいかなとは思います。

藤原:さっき大知君が100%伝えたいと思ったことが2%しか届かないみたいな話をしてたけど、この映画を観て0%よりは2%でも伝わってくれるといいよね。

白磯:それはそうだね。

全真道又称全真派,与正一道并为道教两大派别。金代王重阳(见王重阳条)创立,主张儒、佛、道三教合一,即以“三教圆融、识心见性、独全其真”为宗旨,奉《道德经》、《清静经》、《孝经》、《心经》、《全真立教十五论》等为主要经典。
道教自南北朝寇谦之、陆修静改革、整顿后,历隋唐五代宋的漫长岁月,尤其到北宋末年,已呈现颓势。以符箓派为主流的道教,支派争流,一些道流徇末遗本,流弊时现。在这种历史条件下,王重阳创立了全真道教。王重阳以新的宗旨、修持方法对道教进行了大量的改革,进一步把老庄清静无为的思想贯彻到教义中。
据载金正隆四年(1159),王重阳弃家外游,在甘河镇遇异人,授以修炼真诀,于是悟道出家。在南时村筑墓,住在墓穴中两年多,自称为“活死人墓”。金大定七年(1167),离开陕西,前往山东传道度人。先后收马丹阳、谭处端、刘处玄、丘处机、王处一、郝大通、孙不二为徒,在文登、宁海、福山、登州(今蓬莱)、莱州(今掖县)建立三教七宝会、金莲会、三光会、玉华会等。因王重阳在山东宁海自题其庵名为“全真堂”,故入道者都称为全真道士。
全真道初传时期,遵行“以无为为主”的教旨,即注重个人修炼,而不注重发展教徒、营造宫观,组织规模和力量也比较小。自刘处玄于金大定二十六年(1186)、丘处机于金泰和四年(1204)相继掌教以后,始逐渐重视创立宫观和收徒活动。经过二三十年的发展,全真道组织已具有相当的规模,它在鲁、豫、秦、冀等地,具备了相当深厚的组织基础。
金元之交,直至南宋覆灭的数十年间,是中国大地铁骑纵横、血火纷飞,生民涂炭的苦难年代,但也是全真道的鼎盛时期。鼎盛局面的积极推动者为丘处机,转变的契机则是成吉思汗的召见。丘处机不辞年届73岁的高龄,甘冒风沙大雪之苦,经历两年多的万里跋涉,终于在1222年到达西域大雪山(今阿富汗境内都库什山)成吉思汗的军营。成吉思汗对其到来慰勉有加,三次召见并作长谈。丘处机对成吉思汗所问为治之方及长生久视之道,皆作了仔细的回答,深得后者的礼敬,尊称其为“丘神仙”。当丘处机于1223年请准东归时,成吉思汗令其“掌管天下的出家人”,并敕免全真门下道士的差役赋税。
1224年丘处机返抵燕京,礼请住持大天长观(亦名太极宫,后改名长春宫),从此这里成为全真道活动的中心,“由是玄风大振,四方翕然,道俗景仰,学徒云集”。丘处机乃不失时机地着手全真道的大发展工作。全真弟子们大建宫观、广收门徒的活动,就以空前的规模开展起来了。大约经过三十余年的经营,全真道的宫观、弟子遍布于河北、河南、山东、山西、陕西、甘肃等广大地区。《清虚宫重显子返真碑铭》称:“东尽海,南薄汉淮,西北历广漠,虽十庐之聚,必有香火一席之奉。”1228年安葬丘处机时,“四方来会之道俗逾万人,至有司卫之以甲兵”。尹志平于1236年去陕西营建祖庭时,“时陕右甫定,遗民犹有保栅未下者,闻师至,相先归附,师为抚慰,皆按堵如故”。
尽管尹志平利用宗教的号召力,为元统治者效劳,但因其影响过大,引起了元统治者的猜忌。因此在元宪宗时期的佛、道“化胡经”之争中,元统治者持明显的袒佛立场,使全真道在(宪宗八年和至元十八年)佛道大辩论中两次败北,予全真道以沉重的打击。全真道发展的鼎盛局面,亦随之宣告结束。
这之后,全真道处境十分困难,教徒的发展受到限制,斋醮被禁止举行。直至成宗即位后的元贞元年(1295)禁令解除,全真道方从从艰难处境中解脱出来。
全真道的发展尽管有低谷,但并没有停滞。元朝实现南北统一后,为原在北方的全真道提供了南传的条件。武当山首先成为全真道的重要据点。继武当山之后,全真道继续南传至苏、浙、闽、赣等地区。全真道的南传,使原来互相隔绝、但却同源于钟吕金丹派的南、北二宗增加了接触的机会,逐渐产生了合为一宗的要求,特别是组织松散、势力弱小的南宗更有回归全真道的愿望。在陈致虚的积极推动下,元代中后期二宗合并,共尊东华帝君、钟离权、吕洞宾、刘海蟾、王重阳为五祖,传北七真(即全真七子:马钰、谭处端、刘处玄、丘处机、王处一、郝大通、孙不二)、南七真(张伯端、刘永年、石泰、薛道光、陈楠、白玉蟾、彭耜)。南北宗合并后仍称全真道。全真道除合并南宗以外,元代中后期又合并了真大道、楼观道和部分净明道,成为唯一的一个丹鼎大派,与符箓大派正一道平行发展。
自元成宗即位解除了对全真道的禁令后,全真道每任掌教皆授被封为真人、演教大宗师、知集贤院道教事。
入明以后,明太祖对正一派表现出强烈的支持意向,道录司各级道官也大都以他们充任,全真道士被召见和受委任者极少。全真道遂分裂为诸多小派各自活动。
清朝初年,全真道龙门派宗师王常月应运而出,以振兴道教,恢复祖风自任,传戒弘教,使明代沉寂已久的全真龙门派出现了中兴景象。


封髓丹:其效如神!(2)

封髓丹

黄柏一两,砂仁七钱,甘草三钱炙。

用药意解

按封髓丹一方,乃纳气归肾之法,亦上、中、下并补之方也。夫黄柏味苦入心,禀天冬寒水之气而入肾,色黄而入脾,脾也者,调和水火之枢也,独此一味,三才之义已具。况西砂辛温,能纳五脏之气而归肾,甘草调和上下,又能伏火,真火伏藏,则人身之根蒂永固,故曰封髓。其中更有至妙者,黄柏之苦,合甘草之甘,苦甘能化阴。西砂之辛,合甘草之甘,辛甘能化阳。阴阳合化,交会中宫,则水火既济,而三才之道,其在斯矣。此一方不可轻视,余常亲身阅历,能治一切虚火上冲,牙疼,咳嗽,喘促,面肿,喉痹,耳肿,目赤,鼻塞,遗尿,滑精诸症,屡获奇效,实有出人意外,令人不解者。余仔细揣摹,而始知其制方之意,重在调和水火也,至平至常,至神至妙,余经试之,愿诸公亦试之。

2、谈病后忽鼻流清涕不止,忿嚏不休,服一切外感解散药不应而反甚者,何故?

外感之清涕忿嚏,则必现发烧、头疼、身痛、畏寒、鼻塞之情形。真气不足之清涕忿嚏,绝无丝毫外感之情状。况又服解散药不愈,更为明甚。法宜大补先天之阳,先天之阳足,则心肺之阳自足。心肺之阳足,则上焦之津液,必不致外越也。人身虽云三焦,其实一焦而已。方宜大剂四逆汤,或封髓丹亦可,方解见上。即姜桂汤亦可。

3、谈病人两耳心忽痒极欲死者
此肾中之阳暴浮也。夫两耳开窍于肾,肾中之火暴发于上,故痒极欲死。或又曰,肝胆脉亦入耳,肝胆有火,亦可发痒,先生独重肾气,而不言肝胆之火,未免固执。曰:子言肝胆有火,必不专在耳心,别处亦可看出,必不忽痒极欲死。今来者骤然,故直断之曰肾中之阳暴发也,法宜收纳真气为要。方用封髓丹,解见上。

4、谈五更后常梦遗精,或一月三、五次,甚则七、八次者,何故?
病在下半夜者,主阳盛阴衰,阴虚不能配阳,阳气既旺,而又有邪念之心火助之,神昏无主,而不能镇静,故作,法宜扶阴以抑阳,如封髓丹倍黄柏、参枣汤加黄连,补血汤、将军蛋、洋参蛋之类也。

5、谈补坎益离丹方义
奈世人沉溺莫挽,深为可慨,兹特再即此方(补坎益离丹)之理推之,与仲景之白通汤同法也;桂枝龙骨牡蛎汤同法也;大、小建中汤同法也;即与后贤之参附汤、封髓丹、阳八味皆同法也。

6、谈肾病腰痛
阴虚而致者,由肾阳素旺也。旺甚即为客邪,火盛血伤,元阴日竭,则真阳无依,腰痛立作,其人必小便赤而咽干,多暴躁,阳物易挺,喜清凉。法宜养阴,阴长阳消,肾气自摄,腰痛自己。如滋肾丸、地黄汤、封髓丹倍黄柏加全皮之类。

7、谈遗精
欲使封固,如三才封髓丹、桂枝龙骨牡蛎汤、白通汤,皆可服也。此三方者,皆是交济阴阳之功,但非一二剂可见大功,总要信心得专,多服十余剂,无不灵应。

8、谈汗证
因阴虚者,则为盗汗。尤其人血液久亏,不能收藏元气,元气无依而外越,血液亦与俱出,多在夜分。夜分乃元气下藏之时,而无阴以恋之,故汗出也。非汗自出,实气浮之征也。法宜养血,如当归六黄汤、封髓丹倍黄柏加地骨皮之类。

以上八条可总结出封髓丹的作用为:
收纳阳光、调和水火、收纳真气、交通阴阳、补先天之阳、扶阴以抑阳、养阴养血、治一切虚火上冲。

咦,奇不奇怪?这一个方子,为什么又说他补阳,又说他扶阴抑阳?这岂不矛盾吗?其实奥秘在于,此方的根本在于调和水火,交通阴阳。而辅以加减法调整阴阳药的比例,就可以左右逢源,无往而不宜了。

以上的加减法归纳如下:

封髓丹倍黄柏,扶阴抑阳;

封髓丹倍黄柏加全皮养阴;

封髓丹倍黄柏加地骨皮养血。

可以看到,如果封髓丹用原方,扶阳的成分是比较大的,如果想偏于阴,很简单,倍黄柏就做到了。

还有一个小启示,知非氏在治疗偏头痛时,用封髓丹加安桂、吴茱萸效果很好。

三、单独使用潜阳丹的条文

1、谈头面忽浮肿,色青白,身重欲寐,一闭目觉身飘扬无依者,何故?

此少阴之真气发于上也。原由君火之弱,不能镇纳群阴,以致阴气上腾,蔽塞太空,而为浮肿。所以面现青黑,阴气太盛,逼出元阳,故闭目觉飘扬无依。此际一点真阳,为群阴阻塞,不能归根,若欲归根,必须荡尽群阴,乾刚复振。况身重欲寐,少阴之真面目尽露,法宜潜阳,方用潜阳丹。

潜阳丹

西砂一两姜汁炒附子八钱龟板二钱甘草五钱

用药意解

按潜阳丹一方,乃纳气归肾之法也。夫西砂辛温,能宣中宫一切阴邪,又能纳气归肾。附子辛热,能补坎中真阳,真阳为君火之种,补真火即是壮君火也。

况龟板一物,坚硬,得水之精气而生,有通阴助阳之力,世人以利水滋阴目之,悖其功也。佐以甘草补中,有伏火互根之妙,故曰潜阳。

2、谈病人两耳前后忽肿起,皮色微红,中含青色,微微疼,身大热,两颧鲜红,口不渴,舌上青白胎,两尺浮大而空者,何故?
今浮大而空,则知阴气太盛,一线之阳光,附阴气而上腾,有欲竭之势也。此际当以回阳祛阴,收纳真气为要。若不细心斟究,直以清凉解散投之,旦夕即亡。方宜白通汤主之,或潜阳丹亦可,解见上。

3、谈病人口忽极臭,舌微黄而润滑,不思水饮,身重欲寐者,何故?
子不观药中之硫黄乎!硫黄秉火之精气所生,气味极臭,药品中秉火气所生者亦多,而何不臭?可知极臭者,火之精气也。此等症乃绝症也,十有九死,法宜收纳真阳,苟能使口臭不作,方有生机。方用潜阳丹治之,解见上。

4、谈平人忽喉痛甚,上身大热,下身冰冷,人事昏沉者,何故。
此阴盛而真气上脱,已离乎根,危之甚者也。夫喉痛一症,其在各经邪火所作,必不上热下寒,即来亦不骤。今来则急如奔马,热上寒下,明明一线之阳光,为阴气所逼,已离乎根也。或又曰:既言平人,何得即谓之阳欲脱乎?曰:子不知人身所恃以立命者,其惟此阳气乎?阳气无伤,百病自然不作;阳气若伤,群阴即起。阴气过盛,即能逼出元阳,元阳上奔,即随人身之脏腑经络虚处便发。如经络之虚通于目者,元气即发于目;经络之虚通于耳者,元气即发于耳;经络之虚通于巅者,元气即发于巅,此元阳发泄之机。学者苟能识得一元旨归,六合妙义,则凡一切阳虚之症,皆在掌握也。兹虽云平人,其损伤原无人知晓,或因房劳过度,而损肾阳;或因用心太过,而损心阳;或因饮食失节,而损脾阳。然亦有积久而后发者,元气之厚也;有一损而即发者,元气之薄也。余常见有平人,日犹相见,而夜即亡者,毋乃元气之薄,而元阳之脱乎?医亦尚不知,而况不知医者乎?

此一段已将阳虚合盘托出,学者务宜留心体之可也。方宜潜阳丹主之,解见上。

5、问曰:胸腹痛甚,面赤如硃,不思茶水,务要重物压定稍安,不则欲死者,何故?

此病非纳气归根,回阳降逆不可,方用加味附子理中汤,或潜阳丹,解见上。

6、谈病人腰痛,身重,转侧艰难,如有物击,天阴雨则更甚者,何故。
元气亏者,可与潜阳丹。

7、谈五更后常梦遗精,或一月三、五次,甚则七、八次者,何故?
病于上半夜者,主阴盛阳衰,阳虚不能统摄精窍,而又兼邪念之心火动之,故作,法宜扶阳为主,如潜阳丹、白通汤、桂枝龙骨牡蛎汤之类也。

8、认病捷要总诀(此条中提及三次)
有胀而皮色如血者,阴乘于上而作也(宜补阳以消阴,如阳旦汤、潜阳丹)。
喘而不发热、身疼,舌青、二便自利者,元气上腾也(宜潜阳丹)。
头痛头痛如裂,身无他苦,舌青、不渴,或身大热,或脉劲者,此皆元阳外越,暴脱之候,切忌发散,法宜收纳(宜四逆汤,或潜阳丹)。

9、谈肺病咳嗽
审是肝肾阳衰,水邪泛上者,温其肾而咳嗽自己,如真武汤、滋肾丸、潜阳丹加吴萸之类也。

10、谈齿牙肿痛
因真阳虚而阴气上攻者,其人齿牙虽痛,面色必青白无神,舌多青滑黑润、黄润、白黄而润,津液满口,不思荼水,口中上下肉色,多滞青色而不红活,或白惨黄而无红色。以上等情,不仅此症,一切阳虚病多见此情。法宜扶阳抑阴,如白通汤、姜桂饮、阳八味、潜阳丹之类。

11、谈带证
所谓下元无火者何?或素禀不足,而劳心太甚,则损心阳。或伤于食,而消导太过,则损胃脾之阳。或房事过度,而败精下流,则损肾阳。如此之人,定见头眩心惕,饮食减少,四肢无力,脉必两寸旺,而两尺弱甚,浮于上而不潜于下,其下之物,必清淡而冷,不臭不粘。法宜大补元阳,收纳肾气,如潜阳丹加故纸、益智,回阳饮加茯苓、安桂,或桂苓术甘汤加附片、砂仁之类。

以上十一条可以总结出潜阳丹的作用为:
回阳祛阴,收纳真气,大补元阳

封髓丹矛盾的情况在这个方子里没有体现,这是因为立方时偏于用阳药的关系,而且钦安在提到此方大补元阳时还可能以加入故纸,益智仁,这样温阳的格局更为明显了。

四、两方比较结论
在以上的条文阅读中,基本理解了两方的异同,而得出大致的结论是两方基本类似,但封髓偏阴,潜阳偏阳。但只要适当的加减,药物的阴阳偏性可以很方便的变换,这就是两方交通阴阳的神奇之处了。而要验证以上的推断,我认为钥匙在于加减法及以下的这个条文:

谈汗证
上中下三部阳衰,皆能出汗,统以阳名之。其人定多嗜卧,少气懒言为准。法宜扶阳,阳旺始能镇纳群阴,阴气始得下降,阳气始得潜藏,乃不外亡。法宜回阳、收纳、温固为要,如封髓丹,潜阳丹,黄芪建中汤,回阳饮之类。
因阴虚者,则为盗汗。尤其人血液久亏,不能收藏元气,元气无依而外越,血液亦与俱出,多在夜分。夜分乃元气下藏之时,而无阴以恋之,故汗出也。非汗自出,实气浮之征也。法宜养血,如当归六黄汤、封髓丹倍黄柏加地骨皮之类。

从上面的条文中可以理解到,两丹都可以回阳收纳温固,但若要滋阴养血,钦安先生就会用封髓倍黄柏的办法来调整药物的阴阳属性。这就验证了上文的推断。

五、两方加减法总结
对于加减法的总结,有助于更好的理解钦安先生的思想,对两方有更深层次的认识。

阳虚,用三才封髓丹加安桂治
扶阳祛阴,用封髓丹倍砂仁加安桂、吴萸;或潜阳丹加吴萸。
收纳温固,用封髓丹倍砂、草。
大补元阳用潜阳丹加故纸,益智仁。
封髓丹倍黄柏,扶阴抑阳;
 lltwt 这一个方子,为什么又说他补阳,又说他扶阴抑阳?这岂不矛盾吗?其实奥秘在于,此方的根本在于黄柏制火护阴,砂仁制水扶阳,调和水火,交通阴阳,然后阴阳自然平衡。而辅以加减法调整阴阳药的比例,就可以左右逢源,无往而不宜了。

这里没有六味地黄丸与左归丸的滋腻,只有砂仁和甘草的中和。

西砂辛温,能宣中宫一切阴邪,又能纳气归肾
可以说封髓丹是六味地黄丸与左归丸之类的补充,学医之人非精通不可。

慢慢理解了。

提示:文中处方,请在专业中医指导下使用。


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