#漫画推荐#
《海贼王》是日本漫画家尾田荣一郎作画的少年漫画作品,于1997年7月22日在集英社《周刊少年Jump》开始连载。到目前为止已经连载1041集。本作被吉尼斯世界纪录官方认证为“世界上发行量最高的单一作者创作的系列漫画”。
漫画的剧情主要讲述时值“大海贼时代”,为了寻找传说中海贼王罗杰所留下的大秘宝“ONE PIECE”,无数海贼扬起旗帜,互相争斗。有一个梦想成为海贼王的少年叫路飞,他因误食“恶魔果实”而成为了橡皮人,在获得超人能力的同时付出了一辈子无法游泳的代价。十年后,路飞为实现与因救他而断臂的香克斯的约定而出海,他在旅途中不断寻找志同道合的伙伴,开始了以成为海贼王为目标的冒险旅程。
《海贼王》是日本漫画家尾田荣一郎作画的少年漫画作品,于1997年7月22日在集英社《周刊少年Jump》开始连载。到目前为止已经连载1041集。本作被吉尼斯世界纪录官方认证为“世界上发行量最高的单一作者创作的系列漫画”。
漫画的剧情主要讲述时值“大海贼时代”,为了寻找传说中海贼王罗杰所留下的大秘宝“ONE PIECE”,无数海贼扬起旗帜,互相争斗。有一个梦想成为海贼王的少年叫路飞,他因误食“恶魔果实”而成为了橡皮人,在获得超人能力的同时付出了一辈子无法游泳的代价。十年后,路飞为实现与因救他而断臂的香克斯的约定而出海,他在旅途中不断寻找志同道合的伙伴,开始了以成为海贼王为目标的冒险旅程。
#微博新知博主# 《酷说老子》第二章(1)子贡做了好事,为什么被孔子痛骂?——春秋时期,鲁国有一条法令:“凡是将本国流落在外的奴隶花钱赎出来的人,回国后政府一律报销赎金。”所以当时有许多鲁国人都纷纷在外替奴隶赎身,当时孔子有一名学生叫子贡,出差的时候顺路赎了几个奴隶。但子贡道德高尚,视钱如粪,回国后懒得去报销。于是一夜爆红,成为了全民偶像。只有孔子一个人破口大骂:“自今以往,鲁国人恐怕没有人在赎奴隶了!”
《第二章》:
㊣天下皆知美之为美,斯恶已。
(天下人都知道美之所以为美,于是就有了丑。)
㊣皆知善之为善,斯不善已。
(都知道善之所以为善,于是就有了恶。)
㊣故有无相生,难易相成,
(所以有和无互相转化,难和易互相形成。)
㊣长短相较,高下相倾。
(长和短互相显现,高和下互相充实。)
㊣音声相和,前后相随。
(音与声互相谐和,前和后互相接随。)
㊣恒也!
(这是永恒的。)
㊣是以圣人处无为之事,行不言之教。
(因此圣人用无为的观点对待世事,用不言的方式施行教化。)
㊣万物作而弗始,生而不有,为而不恃,功成而弗居。
(他听任万物兴起而不干涉,生养而不据为己有,施予而不自恃其能,成了也不自居其功。)
㊣夫唯弗居,是以不去。
(他不自居其功,其功却永恒不灭。)
以上就是通行的原文,以及翻译。
【第一句、第二句】
㊣原文:天下皆知美之为美,斯恶已。
㊣皆知善之为善,斯不善已。
1、
从古到今,学术界众口一词,信誓旦旦地说老子这两句话讲的是:
“美”与“丑”,“善”与“恶”。
其实这种看法疑点重重,早就应该被立案调查。可惜,晋代最早为老子这两句原文翻案的王弼,一直孤掌难鸣,无人响应。我的声援,可能会得罪百分之九十九的人。然而,似乎有一位哲人说过:
有些百分之九十九的人抓捕不到的真相,总是乐意向那百分之一的人自首。
2、
其实,按照老子的原意:
“美”,是喜欢的意思。
“恶”,是厌恶的意思。
“善”,是赞成的意思。
“不善”,是反对的意思。
所以,老子要表达的是:
“喜好”与“厌恶”,“赞成”与“反对”。而不是“美”与“丑”,“善”与“恶”。
3、
先说“美”与“恶”:
比如我们看到美女,美之。“美”即是喜欢的意思。
比如我们看到恶人,恶之。“恶”即是厌恶的意思。
证据呢?有三个。
【第一个证据】:
《道德经》第二十章曰:
“唯之与阿,相去几何?美之与恶,相去若何?”
既然“唯与阿”(听话与呵斥),都是动词,那么美与恶也必定都是动词。所以“美”就表示喜欢,“恶”就表示厌恶。
4、
【第二个证据】:
王弼在《老子注》中说:
“美者,人心之所进乐也,恶者,人心之所恶疾也。美恶,犹喜怒也。”
古代“解读老子第一人”的王弼明确表示:
美恶就是喜怒,也就是喜欢与厌恶。
5、
【第三个证据】:
河南人应该都知道,在河南问一个人高不高兴就会说:
你心情美不美呀?
这里的“美”,既是“欢喜”的意思。而老子李耳的故乡,正在河南周口市。
那么,以上三个证据足以证明:
“美”,即是喜欢;“恶”,就是厌恶。
6、
再说“善”与“不善”,为什么是赞成与反对的意思呢?也有两个证据。
【第一个证据】:
王弼《老子注》曰:
善不善,犹是非也。
所以王弼明确表示:
善,即是,即赞成;不善,即非,即反对。
7、
【第二个证据】:
《韩非子•八奸》里有一句话:
“群臣百姓之所善,则君善之;非群臣百姓之所善,则君不善之。”
这两句与老子原话的语法和格式几乎一致,但韩非子的语意很明显:
善,即是赞成;不善,即是反对。
意思是:
群臣和老百姓所喜欢的,则君主也要喜欢;不是群臣和老百姓所喜欢的,则君主也要不喜欢。
8、
当然,王弼的理解虽然是正确的。但是他的解释太含蓄,语意朦胧,仿佛一名待字闺中的腼腆少女。“千呼万唤始出来”,最终还要“犹抱琵琶半遮面”使人如同雾里看花,隙中窥月,无法看到庐山的真面。
那么,老子的这两句话究竟该如何翻译呢?综合以上所有的观点,原文:
天下皆知美之为美,斯恶已;皆知善之为善,斯不善已。
合理的解释应该是:
天下人都知道自己所喜欢的,是美,这是令人厌恶的;都知道自己所赞成的,是善,这是需要反对的。
老子这一句话是想说明:
世人所喜欢所赞成的许多东西,表面上是美的善的。但这种所谓的“美和善”,如果从本质上体悟,也可能是令人厌恶和反对的。
这是为什么呢?听一个故事就明白了:
春秋时期,鲁国有一条法令:“凡是将本国流落在外的奴隶花钱赎出来的人,回国后政府一律报销赎金。”
所以当时有许多鲁国人都纷纷在外替奴隶赎身,当时孔子有一名学生叫子贡,出差的时候顺路赎了几个奴隶。但子贡道德高尚,视钱如粪,回国后懒得去报销。于是一夜爆红,成为了全民偶像。
只有孔子一个人破口大骂:
“自今以往,鲁国人恐怕没有人在赎奴隶了!”②
9、
为什么?因为子贡的行为太难效仿了,对于普罗大众来说:
喜欢归喜欢,赞成归赞成。但是让我花自己的钱,去挽救别人的人生——对不起,做不到!
于是他们只能对子贡高山仰止:
既然泰山这么高,那我就不上去了。还是瞻仰一下,止步吧!
后来,赎奴隶找政府报销的人开始被众人嘲笑。再后来,就没有人再去替奴隶赎身了。完美的印证了孔子的预言。也就是说:
世人所喜欢和赞成的子贡之义举,表面上看是美的、善的。其实,贻害无穷,是令人厌恶和需要反对的。
因此老子才会感叹:
天下皆知美之为美,斯恶已;皆知善之为善,斯不善已。
【参考资料】:
2、《吕氏春秋·先识览·察微篇》
作者:紫侠狼,90后文字狂生,夜色如墨,月光如我。
你好!欢迎来到新统国学的世界,这里是当代人的国学院!我是紫侠狼,一个立志复兴传统文化的90后,研究《道德经》十四年,累计读书2.5万小时,目前正在全网连载《酷说老子》,每天更新,预计全书120万字。在接下来的两年里,我会竭尽全力,不做任何保留,秉持“用科学开释国学,以新统承继传统”的理念,在通识教育的基础上,帮你打通各个学科之间的理论壁垒,用我十几年来搭建的知识体系为你架构一条通往《道德经》的天梯!
《第二章》:
㊣天下皆知美之为美,斯恶已。
(天下人都知道美之所以为美,于是就有了丑。)
㊣皆知善之为善,斯不善已。
(都知道善之所以为善,于是就有了恶。)
㊣故有无相生,难易相成,
(所以有和无互相转化,难和易互相形成。)
㊣长短相较,高下相倾。
(长和短互相显现,高和下互相充实。)
㊣音声相和,前后相随。
(音与声互相谐和,前和后互相接随。)
㊣恒也!
(这是永恒的。)
㊣是以圣人处无为之事,行不言之教。
(因此圣人用无为的观点对待世事,用不言的方式施行教化。)
㊣万物作而弗始,生而不有,为而不恃,功成而弗居。
(他听任万物兴起而不干涉,生养而不据为己有,施予而不自恃其能,成了也不自居其功。)
㊣夫唯弗居,是以不去。
(他不自居其功,其功却永恒不灭。)
以上就是通行的原文,以及翻译。
【第一句、第二句】
㊣原文:天下皆知美之为美,斯恶已。
㊣皆知善之为善,斯不善已。
1、
从古到今,学术界众口一词,信誓旦旦地说老子这两句话讲的是:
“美”与“丑”,“善”与“恶”。
其实这种看法疑点重重,早就应该被立案调查。可惜,晋代最早为老子这两句原文翻案的王弼,一直孤掌难鸣,无人响应。我的声援,可能会得罪百分之九十九的人。然而,似乎有一位哲人说过:
有些百分之九十九的人抓捕不到的真相,总是乐意向那百分之一的人自首。
2、
其实,按照老子的原意:
“美”,是喜欢的意思。
“恶”,是厌恶的意思。
“善”,是赞成的意思。
“不善”,是反对的意思。
所以,老子要表达的是:
“喜好”与“厌恶”,“赞成”与“反对”。而不是“美”与“丑”,“善”与“恶”。
3、
先说“美”与“恶”:
比如我们看到美女,美之。“美”即是喜欢的意思。
比如我们看到恶人,恶之。“恶”即是厌恶的意思。
证据呢?有三个。
【第一个证据】:
《道德经》第二十章曰:
“唯之与阿,相去几何?美之与恶,相去若何?”
既然“唯与阿”(听话与呵斥),都是动词,那么美与恶也必定都是动词。所以“美”就表示喜欢,“恶”就表示厌恶。
4、
【第二个证据】:
王弼在《老子注》中说:
“美者,人心之所进乐也,恶者,人心之所恶疾也。美恶,犹喜怒也。”
古代“解读老子第一人”的王弼明确表示:
美恶就是喜怒,也就是喜欢与厌恶。
5、
【第三个证据】:
河南人应该都知道,在河南问一个人高不高兴就会说:
你心情美不美呀?
这里的“美”,既是“欢喜”的意思。而老子李耳的故乡,正在河南周口市。
那么,以上三个证据足以证明:
“美”,即是喜欢;“恶”,就是厌恶。
6、
再说“善”与“不善”,为什么是赞成与反对的意思呢?也有两个证据。
【第一个证据】:
王弼《老子注》曰:
善不善,犹是非也。
所以王弼明确表示:
善,即是,即赞成;不善,即非,即反对。
7、
【第二个证据】:
《韩非子•八奸》里有一句话:
“群臣百姓之所善,则君善之;非群臣百姓之所善,则君不善之。”
这两句与老子原话的语法和格式几乎一致,但韩非子的语意很明显:
善,即是赞成;不善,即是反对。
意思是:
群臣和老百姓所喜欢的,则君主也要喜欢;不是群臣和老百姓所喜欢的,则君主也要不喜欢。
8、
当然,王弼的理解虽然是正确的。但是他的解释太含蓄,语意朦胧,仿佛一名待字闺中的腼腆少女。“千呼万唤始出来”,最终还要“犹抱琵琶半遮面”使人如同雾里看花,隙中窥月,无法看到庐山的真面。
那么,老子的这两句话究竟该如何翻译呢?综合以上所有的观点,原文:
天下皆知美之为美,斯恶已;皆知善之为善,斯不善已。
合理的解释应该是:
天下人都知道自己所喜欢的,是美,这是令人厌恶的;都知道自己所赞成的,是善,这是需要反对的。
老子这一句话是想说明:
世人所喜欢所赞成的许多东西,表面上是美的善的。但这种所谓的“美和善”,如果从本质上体悟,也可能是令人厌恶和反对的。
这是为什么呢?听一个故事就明白了:
春秋时期,鲁国有一条法令:“凡是将本国流落在外的奴隶花钱赎出来的人,回国后政府一律报销赎金。”
所以当时有许多鲁国人都纷纷在外替奴隶赎身,当时孔子有一名学生叫子贡,出差的时候顺路赎了几个奴隶。但子贡道德高尚,视钱如粪,回国后懒得去报销。于是一夜爆红,成为了全民偶像。
只有孔子一个人破口大骂:
“自今以往,鲁国人恐怕没有人在赎奴隶了!”②
9、
为什么?因为子贡的行为太难效仿了,对于普罗大众来说:
喜欢归喜欢,赞成归赞成。但是让我花自己的钱,去挽救别人的人生——对不起,做不到!
于是他们只能对子贡高山仰止:
既然泰山这么高,那我就不上去了。还是瞻仰一下,止步吧!
后来,赎奴隶找政府报销的人开始被众人嘲笑。再后来,就没有人再去替奴隶赎身了。完美的印证了孔子的预言。也就是说:
世人所喜欢和赞成的子贡之义举,表面上看是美的、善的。其实,贻害无穷,是令人厌恶和需要反对的。
因此老子才会感叹:
天下皆知美之为美,斯恶已;皆知善之为善,斯不善已。
【参考资料】:
2、《吕氏春秋·先识览·察微篇》
作者:紫侠狼,90后文字狂生,夜色如墨,月光如我。
你好!欢迎来到新统国学的世界,这里是当代人的国学院!我是紫侠狼,一个立志复兴传统文化的90后,研究《道德经》十四年,累计读书2.5万小时,目前正在全网连载《酷说老子》,每天更新,预计全书120万字。在接下来的两年里,我会竭尽全力,不做任何保留,秉持“用科学开释国学,以新统承继传统”的理念,在通识教育的基础上,帮你打通各个学科之间的理论壁垒,用我十几年来搭建的知识体系为你架构一条通往《道德经》的天梯!
#往復書簡#
「シッター小竹」、5歳女児2人との濃密な「4時間」
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡26
特別子供好きでも何でもないのだが、就学前の子供たちに妙に懐かれることが少なくない小竹。作詞家ではなく、シッターとしての濃密な数時間をリポートする。
***
拝啓 片寄涼太様
この連載で、「子供たち」やら「ベビーシッター」やらと折にふれ書いている私。ここ数年、少子化問題も何のその、私の周りではやたらと子供が生まれ育っていて、どういうわけかその子供たち(特に就学前の)が妙に私に懐いてくる。特別子供好きでも何でもないのに。
人間ではなくゆるキャラみたいに思われている節があるかも。
2020年の終わりのとある夜、我が家で2人の女児(共に5歳)を預かることになった。そう、巷で噂の「シッター小竹」である。
午後5時ちょっと前、2人が我が家に到着。なんだかとてもしおらしくそれぞれの両親に「行ってらっしゃい」と言っている。
だが2つの顔に悲しさや淋しさは皆無。何故なら物心ついたときからしょっちゅう我が家に遊びに来ていて、「おだちゃんちに遊びに行きたい」が口癖の2人だから。
親を見送って我が家のドアが閉まったその瞬間、2人は「モモコ」と「ラミー」という名前になる(ホントは2人とも全然違う名前)。
彼女たちが3歳くらいの頃からだろうか、「なりきりごっこ」なるものが流行り始め、それぞれが自分に別の名前(ごっこネーム)をつけ、親がいなくなると、私に対して常に普段より少し大人ぶったキャラを演じ始めるのだ(親の前では絶対にやらない)。
2人がモモコとラミーになると私は強制的に「おだちゃん」から「ボンボン」という名前に変身する。これもなりきりごっこのルールの一環。ここでモモコとラミーとボンボンは同年代(推定ハタチくらい)になる。
我が家のリビングで彼女たちが人形遊びを始めたので、私はバタバタと夕飯を作る(15歳からひとり暮らしをしている私は料理が得意だ)。
モモコとラミーが好きな牛ひき肉と卵のそぼろごはん、山芋とチーズのふわふわ焼き、モロヘイヤとえのきのお浸し、たらこ白滝などを、大皿小皿に盛り付けて出す。
おしゃべりに夢中で2人ともボロボロこぼすので、それをいちいちすぐに拭き取る私(神経質なもんで)。
夕飯が終わり、山のような調理器具や食器をゆすいで食洗機へ入れ、諸々の後片付けを私がしている間、2人にはサンタさんへの手紙を書かせる。
モモコもラミーも何色ものペンを使ってイラスト付きで「さんたさんへ でぃずにーのふるうと(フルート)がほしいです」と書き、それを我が家のクリスマスツリーの下に置いた。あとで、Amazonで注文しなくては。
手紙を書き終えると、我が家の空き部屋に移動。この部屋、いつの間にか我が家に子供が来たときの遊び部屋になり、徐々に増えたおもちゃ(特にママゴト系の)がたくさん置いてある。
もはや完全に子供部屋(ひとり暮らしなのに)。この部屋に入ったとたん、なりきりごっこはより本格的になる。
3人でルームシェアをしている設定で、全員が敬語を使うのがルール。彼女たちの中では「敬語=大人っぽい」から。
先ほどのキッチンでの私を真似るかのように調理を始める2人(もちろんママゴト)。次々に私の目の前に運ばれてくる料理。それをさも美味しそうに食べなくてはならない私。本気で食べる真似をしないとめちゃくちゃ怒られるので。
ママゴトに飽きると、今度はダンスの発表会。それぞれが曲を選んでワンコーラス分踊る。私は「モモコ最高!」だの「ラミー可愛い!」だの、熱狂的なファンとして声援を送る役割。
この様子をスマホで撮影でもしようもんなら、「ボンボン、写真禁止!!」と烈火のごとく怒られる。たとえ5歳であっても、何かを真剣にやっている様子を面白おかしく撮影されるのは心外なのである。
やがて、デザートの時間(ママゴトではなく本物のデザート)。
今日は前もって2人のためにケーキを買ってある。これも最近の彼女たちのブームなのだが、デザートのときはスイーツとドリンクのメニューを紙に書いて(全部平仮名で)、私が店員、モモコとラミーが客の「即席カフェごっこ」になる。
「いらっしゃいませ」から始まり、ラミーが「シュークリームをおひとつとミントティーをおひとつ」と気取って言えば、モモコが「チーズケーキをおひとつとミントティーおひとつお願いします」と、これまた妙な「おひとつ」の使い方で注文してくる。
私が「今日誕生日の方?」と聞くと2人とも即座に「はい!」(もちろんホントは違う)。
それぞれが選んだケーキに小さなキャンドルを1本ずつさして、「Happy birthday to you~♪」と歌いながらケーキ(5歳児なので半分にカットした)を出す。
ナイフとフォークを使って上品ぶって食べるのも2人のワクワクポイント。いきなり無言になり、普段はあまり食べさせてもらえないケーキに夢中になる2人。
しかしケーキを食べ終えると、どちらからともなくアイスミントティーをストローでぶくぶくやりながらキャッキャと笑い合い、私に「コラー!!」と本気で叱られる。
カフェタイムが終わり、おもちゃを片付けさせていたら、どちらが何を片付けるかが原因で2人が喧嘩になった。
するとモモコが「じゃあ、にらめっこで決めよう」と言い、急に2人が向き合って、変顔をしながら「あかりをつけましょぼんぼりに~♪」とひなまつりの歌を歌い始める。
なんだこれ? 流行りなのか? 傍で見ていた私が爆笑しているのにもかかわらず2人とも一切笑わず真剣にらめっこ。
夜も更け、2人に歯磨きをさせ、再び子供部屋でなりきりごっこをやっていたら、9時前に両家の親たちが迎えに来た。
ほんの数秒前までは「今日、おだちゃんちに泊まりたい」と私に懇願していた2人。けれどそれぞれのパパとママを見たとたん、モモコとラミーは姿を消し、普段の2人に瞬時にして戻り、帰って行った。
シッター小竹、今夜も任務遂行。……疲れた。作詞2曲分くらいのエネルギーを消耗した。
涼太、こんな私の姿、想像できないよね? だが、私にはこの時間がいとおしいのである。一言では言い表せないしみじみとした多幸感。昔、子供って大嫌いだったのになあ。
ああ、往復書簡始まって以来の長い文章になってしまった。
さて、デビュー10年を目前にしている君たちに声をかけるなら、「まだまだ頑張れ!」です。
私にしたら、デビュー前から溺愛しているGENERATIONSメンバー全員に感慨深い思い出がたくさんある。いまだにグッとくるエピソードだって書ききれないくらいある。
ただ、私にとって今の君たちは、「少年が10年経って若者になった」という感じ。依然として発展途上にあるし、可能性という名の伸びしろだらけ。
しかも、これから君たちに訪れる「男の30代」って心身共にエネルギーが充満してめちゃくちゃ仕事が楽しくなるんだよ。羨ましい!!
ますますのご活躍を心から期待しております。
小竹正人
p1 毎年初詣は親友・妻夫木聡氏と。絶対に欠かせない正月の行事になっている。出逢った20年前は2人とも案外暇で、温泉巡りとゲームばっかりしていた。お互いに劇的に状況が変わって、それでも関係性はあの頃のままなのが嬉しい
p2 シッターの日の夕飯。身体にいい物を食べさせようと思うと全体的に色合いが濁ってしまい、あまり美味しそうに見えませんが(笑)、子供達には好評で「おだちゃんのゴハンが食べたい!」と頻繁にリクエストされます
原文链接https://t.cn/A65ZleMU
「シッター小竹」、5歳女児2人との濃密な「4時間」
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡26
特別子供好きでも何でもないのだが、就学前の子供たちに妙に懐かれることが少なくない小竹。作詞家ではなく、シッターとしての濃密な数時間をリポートする。
***
拝啓 片寄涼太様
この連載で、「子供たち」やら「ベビーシッター」やらと折にふれ書いている私。ここ数年、少子化問題も何のその、私の周りではやたらと子供が生まれ育っていて、どういうわけかその子供たち(特に就学前の)が妙に私に懐いてくる。特別子供好きでも何でもないのに。
人間ではなくゆるキャラみたいに思われている節があるかも。
2020年の終わりのとある夜、我が家で2人の女児(共に5歳)を預かることになった。そう、巷で噂の「シッター小竹」である。
午後5時ちょっと前、2人が我が家に到着。なんだかとてもしおらしくそれぞれの両親に「行ってらっしゃい」と言っている。
だが2つの顔に悲しさや淋しさは皆無。何故なら物心ついたときからしょっちゅう我が家に遊びに来ていて、「おだちゃんちに遊びに行きたい」が口癖の2人だから。
親を見送って我が家のドアが閉まったその瞬間、2人は「モモコ」と「ラミー」という名前になる(ホントは2人とも全然違う名前)。
彼女たちが3歳くらいの頃からだろうか、「なりきりごっこ」なるものが流行り始め、それぞれが自分に別の名前(ごっこネーム)をつけ、親がいなくなると、私に対して常に普段より少し大人ぶったキャラを演じ始めるのだ(親の前では絶対にやらない)。
2人がモモコとラミーになると私は強制的に「おだちゃん」から「ボンボン」という名前に変身する。これもなりきりごっこのルールの一環。ここでモモコとラミーとボンボンは同年代(推定ハタチくらい)になる。
我が家のリビングで彼女たちが人形遊びを始めたので、私はバタバタと夕飯を作る(15歳からひとり暮らしをしている私は料理が得意だ)。
モモコとラミーが好きな牛ひき肉と卵のそぼろごはん、山芋とチーズのふわふわ焼き、モロヘイヤとえのきのお浸し、たらこ白滝などを、大皿小皿に盛り付けて出す。
おしゃべりに夢中で2人ともボロボロこぼすので、それをいちいちすぐに拭き取る私(神経質なもんで)。
夕飯が終わり、山のような調理器具や食器をゆすいで食洗機へ入れ、諸々の後片付けを私がしている間、2人にはサンタさんへの手紙を書かせる。
モモコもラミーも何色ものペンを使ってイラスト付きで「さんたさんへ でぃずにーのふるうと(フルート)がほしいです」と書き、それを我が家のクリスマスツリーの下に置いた。あとで、Amazonで注文しなくては。
手紙を書き終えると、我が家の空き部屋に移動。この部屋、いつの間にか我が家に子供が来たときの遊び部屋になり、徐々に増えたおもちゃ(特にママゴト系の)がたくさん置いてある。
もはや完全に子供部屋(ひとり暮らしなのに)。この部屋に入ったとたん、なりきりごっこはより本格的になる。
3人でルームシェアをしている設定で、全員が敬語を使うのがルール。彼女たちの中では「敬語=大人っぽい」から。
先ほどのキッチンでの私を真似るかのように調理を始める2人(もちろんママゴト)。次々に私の目の前に運ばれてくる料理。それをさも美味しそうに食べなくてはならない私。本気で食べる真似をしないとめちゃくちゃ怒られるので。
ママゴトに飽きると、今度はダンスの発表会。それぞれが曲を選んでワンコーラス分踊る。私は「モモコ最高!」だの「ラミー可愛い!」だの、熱狂的なファンとして声援を送る役割。
この様子をスマホで撮影でもしようもんなら、「ボンボン、写真禁止!!」と烈火のごとく怒られる。たとえ5歳であっても、何かを真剣にやっている様子を面白おかしく撮影されるのは心外なのである。
やがて、デザートの時間(ママゴトではなく本物のデザート)。
今日は前もって2人のためにケーキを買ってある。これも最近の彼女たちのブームなのだが、デザートのときはスイーツとドリンクのメニューを紙に書いて(全部平仮名で)、私が店員、モモコとラミーが客の「即席カフェごっこ」になる。
「いらっしゃいませ」から始まり、ラミーが「シュークリームをおひとつとミントティーをおひとつ」と気取って言えば、モモコが「チーズケーキをおひとつとミントティーおひとつお願いします」と、これまた妙な「おひとつ」の使い方で注文してくる。
私が「今日誕生日の方?」と聞くと2人とも即座に「はい!」(もちろんホントは違う)。
それぞれが選んだケーキに小さなキャンドルを1本ずつさして、「Happy birthday to you~♪」と歌いながらケーキ(5歳児なので半分にカットした)を出す。
ナイフとフォークを使って上品ぶって食べるのも2人のワクワクポイント。いきなり無言になり、普段はあまり食べさせてもらえないケーキに夢中になる2人。
しかしケーキを食べ終えると、どちらからともなくアイスミントティーをストローでぶくぶくやりながらキャッキャと笑い合い、私に「コラー!!」と本気で叱られる。
カフェタイムが終わり、おもちゃを片付けさせていたら、どちらが何を片付けるかが原因で2人が喧嘩になった。
するとモモコが「じゃあ、にらめっこで決めよう」と言い、急に2人が向き合って、変顔をしながら「あかりをつけましょぼんぼりに~♪」とひなまつりの歌を歌い始める。
なんだこれ? 流行りなのか? 傍で見ていた私が爆笑しているのにもかかわらず2人とも一切笑わず真剣にらめっこ。
夜も更け、2人に歯磨きをさせ、再び子供部屋でなりきりごっこをやっていたら、9時前に両家の親たちが迎えに来た。
ほんの数秒前までは「今日、おだちゃんちに泊まりたい」と私に懇願していた2人。けれどそれぞれのパパとママを見たとたん、モモコとラミーは姿を消し、普段の2人に瞬時にして戻り、帰って行った。
シッター小竹、今夜も任務遂行。……疲れた。作詞2曲分くらいのエネルギーを消耗した。
涼太、こんな私の姿、想像できないよね? だが、私にはこの時間がいとおしいのである。一言では言い表せないしみじみとした多幸感。昔、子供って大嫌いだったのになあ。
ああ、往復書簡始まって以来の長い文章になってしまった。
さて、デビュー10年を目前にしている君たちに声をかけるなら、「まだまだ頑張れ!」です。
私にしたら、デビュー前から溺愛しているGENERATIONSメンバー全員に感慨深い思い出がたくさんある。いまだにグッとくるエピソードだって書ききれないくらいある。
ただ、私にとって今の君たちは、「少年が10年経って若者になった」という感じ。依然として発展途上にあるし、可能性という名の伸びしろだらけ。
しかも、これから君たちに訪れる「男の30代」って心身共にエネルギーが充満してめちゃくちゃ仕事が楽しくなるんだよ。羨ましい!!
ますますのご活躍を心から期待しております。
小竹正人
p1 毎年初詣は親友・妻夫木聡氏と。絶対に欠かせない正月の行事になっている。出逢った20年前は2人とも案外暇で、温泉巡りとゲームばっかりしていた。お互いに劇的に状況が変わって、それでも関係性はあの頃のままなのが嬉しい
p2 シッターの日の夕飯。身体にいい物を食べさせようと思うと全体的に色合いが濁ってしまい、あまり美味しそうに見えませんが(笑)、子供達には好評で「おだちゃんのゴハンが食べたい!」と頻繁にリクエストされます
原文链接https://t.cn/A65ZleMU
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