『SHOCK』開幕の堂本光一 対コロナ仕様舞台の苦労明かす
新型コロナウイルスの影響で公演中止を余儀なくされてから7か月。舞台の幕を開けるために試行錯誤する中で、まったく新たな『SHOCK』が誕生した。堂本光一の主演舞台『Endless SHOCK -Eternal-』が、9月15日から10月12日まで、梅田芸術劇場メインホールで上演される。「何かあったらすぐに幕を閉めることの方が、いまは大事」と、光一はキッパリ言い切る。再びステージに立つまでの葛藤を率直に語る。
* * *
まだまだ油断ならない世の中なので、舞台に行きたくても行けない人もたくさんいると思います。幕を開けても、悲しませてしまうこともある。手探りのところがたくさんある中で、コウイチが亡くなって3年後のスピンオフ作品を作りました。
音楽はそのままなんですけど、ストーリーの中での時間軸を整理するのが大変でしたね。稽古場で大変だったのは、お芝居だとソーシャルディスタンスとはいっても成り立たない部分が出てくること。ぼくの一存では決められないので、これはやってもいいの……? と制作に確認しながら、変更箇所を考えて稽古をしていました。
フライングは客席の上空を飛ばなければできると聞いたので。みなさんが『SHOCK』の中で楽しみにしている、見たいと思えるシーンだと思いますので、できてよかったと思います。リボンが出てきてリボンだけ飛ぶとか、傘だけ飛ぶっていうのもおもしろかったかもしれないですけどね(笑い)。
階段落ちはやりませんし、殺陣のシーンは1対1はいつも通りですけど、大人数が至近距離で動き回るのはリスキーなので回避しています。舞台上で演出として手を取り合うシーンでもガイドラインがあって、舞台袖に入った瞬間に手の消毒をします。
衣装も毎回消毒が必要で、正直、舞台をやる上では非常に面倒くさいガイドラインがあるけど、それを守らなければわれわれもステージに立つ資格がないし、幕を開けるわけにはいかないんです。普段は道具もすごいんですけど、今回はセットの大道具も階段と木箱くらい。東京から荷物を運ぶトラック台数を減らし、舞台の仕込みの人数も減らすということから予防対策をやっているんです。
でも、何よりも大変だったのは衣装替え。いつもは舞台袖で“公開着替え”をしていたんですけど、今回は個別の部屋で着替えなくてはならないので、“光一邸”が舞台袖にある(笑い)。着替え部屋に戻ることを踏まえて、舞台への出ハケを考えるのが大変でした。
感染予防対策は、やってみて気づくこともあるんですよ。エレベーターに乗らないと楽屋に行けないんですけど、4人までしか乗れないんです。休憩で戻るときに、待っている場所が密になってて! ダメだって分散させてたら、楽屋に戻るのも時間がかかってしまって。30分の休憩中にやっと楽屋に戻ったと思ったら、「稽古開始5分前」と言われて、うそでしょって(笑い)。
何より苦しんでいるのが食事。大阪公演の期間中、外食に行ってはいけないルールがあるんです。毎日、夜はお弁当で、ありがたいんですけど……。若いキャストも多いので圧倒的に量が足りないんです! メシは楽しみの1つですからね。食事問題を抱えています。
「Show Must Go On」は、いろいろな意味合いにとれる言葉。いまはそのまま日本語で訳してしまうと、違う意味合いにとらえられてしまうのでは……という気がします。本当に小さいことでも、何かあったらすぐに幕を閉めることの方が、いまは大事で、そうしないと幕を開けることができなくなってしまう。
この状況の中では、何があってもショーを続けることよりも大事なことがあるんじゃないかと感じているのが、正直な気持ちですね。客席数も半分の中でやらせていただきますが、その中で、われわれがいまできる最大限をステージ上で表現したい。ジャニーさんには“YOU最悪だよ”って言われそうですけどね(笑い)。
※女性セブン2020年10月8日号
新型コロナウイルスの影響で公演中止を余儀なくされてから7か月。舞台の幕を開けるために試行錯誤する中で、まったく新たな『SHOCK』が誕生した。堂本光一の主演舞台『Endless SHOCK -Eternal-』が、9月15日から10月12日まで、梅田芸術劇場メインホールで上演される。「何かあったらすぐに幕を閉めることの方が、いまは大事」と、光一はキッパリ言い切る。再びステージに立つまでの葛藤を率直に語る。
* * *
まだまだ油断ならない世の中なので、舞台に行きたくても行けない人もたくさんいると思います。幕を開けても、悲しませてしまうこともある。手探りのところがたくさんある中で、コウイチが亡くなって3年後のスピンオフ作品を作りました。
音楽はそのままなんですけど、ストーリーの中での時間軸を整理するのが大変でしたね。稽古場で大変だったのは、お芝居だとソーシャルディスタンスとはいっても成り立たない部分が出てくること。ぼくの一存では決められないので、これはやってもいいの……? と制作に確認しながら、変更箇所を考えて稽古をしていました。
フライングは客席の上空を飛ばなければできると聞いたので。みなさんが『SHOCK』の中で楽しみにしている、見たいと思えるシーンだと思いますので、できてよかったと思います。リボンが出てきてリボンだけ飛ぶとか、傘だけ飛ぶっていうのもおもしろかったかもしれないですけどね(笑い)。
階段落ちはやりませんし、殺陣のシーンは1対1はいつも通りですけど、大人数が至近距離で動き回るのはリスキーなので回避しています。舞台上で演出として手を取り合うシーンでもガイドラインがあって、舞台袖に入った瞬間に手の消毒をします。
衣装も毎回消毒が必要で、正直、舞台をやる上では非常に面倒くさいガイドラインがあるけど、それを守らなければわれわれもステージに立つ資格がないし、幕を開けるわけにはいかないんです。普段は道具もすごいんですけど、今回はセットの大道具も階段と木箱くらい。東京から荷物を運ぶトラック台数を減らし、舞台の仕込みの人数も減らすということから予防対策をやっているんです。
でも、何よりも大変だったのは衣装替え。いつもは舞台袖で“公開着替え”をしていたんですけど、今回は個別の部屋で着替えなくてはならないので、“光一邸”が舞台袖にある(笑い)。着替え部屋に戻ることを踏まえて、舞台への出ハケを考えるのが大変でした。
感染予防対策は、やってみて気づくこともあるんですよ。エレベーターに乗らないと楽屋に行けないんですけど、4人までしか乗れないんです。休憩で戻るときに、待っている場所が密になってて! ダメだって分散させてたら、楽屋に戻るのも時間がかかってしまって。30分の休憩中にやっと楽屋に戻ったと思ったら、「稽古開始5分前」と言われて、うそでしょって(笑い)。
何より苦しんでいるのが食事。大阪公演の期間中、外食に行ってはいけないルールがあるんです。毎日、夜はお弁当で、ありがたいんですけど……。若いキャストも多いので圧倒的に量が足りないんです! メシは楽しみの1つですからね。食事問題を抱えています。
「Show Must Go On」は、いろいろな意味合いにとれる言葉。いまはそのまま日本語で訳してしまうと、違う意味合いにとらえられてしまうのでは……という気がします。本当に小さいことでも、何かあったらすぐに幕を閉めることの方が、いまは大事で、そうしないと幕を開けることができなくなってしまう。
この状況の中では、何があってもショーを続けることよりも大事なことがあるんじゃないかと感じているのが、正直な気持ちですね。客席数も半分の中でやらせていただきますが、その中で、われわれがいまできる最大限をステージ上で表現したい。ジャニーさんには“YOU最悪だよ”って言われそうですけどね(笑い)。
※女性セブン2020年10月8日号
#往復書簡#
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡8
夜中の2時、愛猫を追って暗い地下室に向かう階段で
片寄から「大人とは?」について尋ねられていた小竹は、王道の質問に満を持して応えようとしていたが、好事魔多し。アクシデントに巻き込まれた。季節を先取りするカイダン……。
拝啓 片寄涼太様
まずは、ちょっとしたカイダン話を。
君も来訪したことがあるので知っていると思うが、我が家には暗い地下室がある。
数日前のことであった。夜中の2時に目が覚めトイレに行こうとした私は、一階から地下に行くドア(何日も開けていない)がほんの少し開いているのに気づいた。「空子(ソラコ、愛猫)が地下に行ってしまったのでは」と、心配になり、恐る恐る地下室へ行くドアを開き、真っ暗な地下への階段へ踏み出そうとしたその時私は……、
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
あろうことか階段の一番上から一番下まで(全12段)を転げ落ちてしまったのである。とっさに「落ちるもんか!」と、体をくるっと回転させるなどという余計な悪あがきをしたせいで、正面からではなく背中からド、ド、ドーッと。ゴン!バキッ!ドスッ!! と自分の体のあちこちをぶつけながら。途中で「これ、死ぬかもな」と走馬灯を見始めそうになった時、落下が終わり、小さく「ウッ」と声を漏らし私の体は静止した。
ほんの数秒間の出来事だったにも関わらず、体のあちこちに激痛を覚え、頭からはダラダラと血が流れていた。しばし錯乱状態に陥り、体を起こしてみると、何とか歩ける。途方に暮れながらも、とりあえず私はトイレに行った。
鏡を見たら顔面血だらけでホラーだったので、トイレットペーパーで顔を拭き、ばっさりと切れている側頭部にトイペを押し当て、ついでにしっかり用を足し(漏らさなくて本当に良かった)、めちゃくちゃ動揺していたので、気持ちを落ち着かせるために電子タバコで一服してから(傍らに空子がちょこんと座っていた)よろよろと事故現場に戻り、ところどころに付着している血痕をアルコール除菌ティッシュで拭いた(はい、私はちょっと潔癖症なんです)。
そして、右腕が全く動かないし、頭からの流血も止まらないので、「かったるいなあ」と思いつつ自分で救急車を呼び、病院へと運ばれた。
検査の結果、右肩を骨折、左足の指にヒビ、左側頭部の打撲、他にも体のあちこちを捻挫・打撲。病院を出たときには夜はすっかり明けて、ひるむくらい眩しい青空が広がっていた。
タクシーがなかなか(数十分)来なかったため、救急外来の入口付近にぼーっと立ちすくんでいたら、大きなガラスに映った自分の姿が見えた。頭には血が滲んだ包帯、腕には三角巾、遠目でもわかるくらいくっきりと手足に青痣や内出血。絵に描いたような満身創痍。今までの人生でこんな大怪我をしたことがなかったので、要らない自己顕示欲と露悪趣味から、私はスマホで自分の体のあちこちを撮影しました。
根がふざけているせいでしょうか、体の心配をするよりも、見たことのない悲惨な自分の姿を面白がってしまったのである。だって、ハロウィンでよく見かけるゾンビみたいな姿だったんですもの。これ、もし死んでいたら、「まあ、顔だけはなんの損傷もなくて……」と葬儀に参列してくれた人たちが目頭を熱くするよ、ホント。
「夢は叶う」とは断言できないけれど
と、自分の転落事故のことを書いていたら、君からの質問に答えるのを失念するところだった。そもそも救急病院の当直医に、「念のため一日入院しますか?」と言われ、「いいえ」と言い(だって面倒くさいから)、「出血が止まらないといけないので頭の傷をホッチキスで止めますか?」には、「嫌です」と答え(だって怖いから)、「2、3日は入浴を控えてくださいね」と念を押されたのに、帰宅してすぐにシャワーを浴びた私(だって潔癖症だから)に「大人」の定義を偉そうに語る資格があるのだろうか?
しかし、年齢的には立派な大人である私から涼太に言えることがあるとすれば、大人とは、「確固たる覚悟を持って何かを背負ったり守ったりできる人」だと思う。脅すわけではないが、まだ二十代の君はこれからますます見たくないものを見て知りたくないことを知り、その先で「覚悟」が決まる。
迷って我慢して妥協して無理をして、手放したくないものをたくさん手放しながら、背負うべき大切なものを手に入れていく。若かりし頃の葛藤やジレンマは、大人になったときに絶対に君の糧となっている。私の経験上、「あきらめなければ夢は叶う」とは断言できないけれど、頑張っていれば絶対に成果は出る。そして夢にも思わなかったような素晴らしいことが予期せぬタイミングで起こったりもする。過ぎていく日常の中で自分のアンテナを張り巡らせて、常に自分と周りを見て、正しい距離感で人と接していれば、「大人になるって悪くない」ときっと心から実感するようになる。ちなみに私は、なんの覚悟も持たずに、何も背負っていない大人が大嫌いだ。
……って、階段から落ちたスットコドッコイエピソードの後に言っても説得力に欠けるが、この文章を書きながら「居場所を見つけられずに砂を噛むような思いばかりしていた二十代の自分には絶対に戻りたくない」「大人になってよかった」と、思いのほか今の自分の幸せを君に再確認させてもらえた。満身創痍だけどな。サンキュー。
敬具
p1 8年前に書いた私の初めての小説「空に住む」が映画になりました。原作とは内容が異なるところがかなりありますが、とても素敵な映画です。是非!!
p2 ここ数年、外食はそんなに好きではなくなっているのですが、友人の経営するレストランを久しぶりに訪れたときのこのデザートに、「外食ってありがたいんだ」と、妙にしみじみしました
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡8
夜中の2時、愛猫を追って暗い地下室に向かう階段で
片寄から「大人とは?」について尋ねられていた小竹は、王道の質問に満を持して応えようとしていたが、好事魔多し。アクシデントに巻き込まれた。季節を先取りするカイダン……。
拝啓 片寄涼太様
まずは、ちょっとしたカイダン話を。
君も来訪したことがあるので知っていると思うが、我が家には暗い地下室がある。
数日前のことであった。夜中の2時に目が覚めトイレに行こうとした私は、一階から地下に行くドア(何日も開けていない)がほんの少し開いているのに気づいた。「空子(ソラコ、愛猫)が地下に行ってしまったのでは」と、心配になり、恐る恐る地下室へ行くドアを開き、真っ暗な地下への階段へ踏み出そうとしたその時私は……、
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
あろうことか階段の一番上から一番下まで(全12段)を転げ落ちてしまったのである。とっさに「落ちるもんか!」と、体をくるっと回転させるなどという余計な悪あがきをしたせいで、正面からではなく背中からド、ド、ドーッと。ゴン!バキッ!ドスッ!! と自分の体のあちこちをぶつけながら。途中で「これ、死ぬかもな」と走馬灯を見始めそうになった時、落下が終わり、小さく「ウッ」と声を漏らし私の体は静止した。
ほんの数秒間の出来事だったにも関わらず、体のあちこちに激痛を覚え、頭からはダラダラと血が流れていた。しばし錯乱状態に陥り、体を起こしてみると、何とか歩ける。途方に暮れながらも、とりあえず私はトイレに行った。
鏡を見たら顔面血だらけでホラーだったので、トイレットペーパーで顔を拭き、ばっさりと切れている側頭部にトイペを押し当て、ついでにしっかり用を足し(漏らさなくて本当に良かった)、めちゃくちゃ動揺していたので、気持ちを落ち着かせるために電子タバコで一服してから(傍らに空子がちょこんと座っていた)よろよろと事故現場に戻り、ところどころに付着している血痕をアルコール除菌ティッシュで拭いた(はい、私はちょっと潔癖症なんです)。
そして、右腕が全く動かないし、頭からの流血も止まらないので、「かったるいなあ」と思いつつ自分で救急車を呼び、病院へと運ばれた。
検査の結果、右肩を骨折、左足の指にヒビ、左側頭部の打撲、他にも体のあちこちを捻挫・打撲。病院を出たときには夜はすっかり明けて、ひるむくらい眩しい青空が広がっていた。
タクシーがなかなか(数十分)来なかったため、救急外来の入口付近にぼーっと立ちすくんでいたら、大きなガラスに映った自分の姿が見えた。頭には血が滲んだ包帯、腕には三角巾、遠目でもわかるくらいくっきりと手足に青痣や内出血。絵に描いたような満身創痍。今までの人生でこんな大怪我をしたことがなかったので、要らない自己顕示欲と露悪趣味から、私はスマホで自分の体のあちこちを撮影しました。
根がふざけているせいでしょうか、体の心配をするよりも、見たことのない悲惨な自分の姿を面白がってしまったのである。だって、ハロウィンでよく見かけるゾンビみたいな姿だったんですもの。これ、もし死んでいたら、「まあ、顔だけはなんの損傷もなくて……」と葬儀に参列してくれた人たちが目頭を熱くするよ、ホント。
「夢は叶う」とは断言できないけれど
と、自分の転落事故のことを書いていたら、君からの質問に答えるのを失念するところだった。そもそも救急病院の当直医に、「念のため一日入院しますか?」と言われ、「いいえ」と言い(だって面倒くさいから)、「出血が止まらないといけないので頭の傷をホッチキスで止めますか?」には、「嫌です」と答え(だって怖いから)、「2、3日は入浴を控えてくださいね」と念を押されたのに、帰宅してすぐにシャワーを浴びた私(だって潔癖症だから)に「大人」の定義を偉そうに語る資格があるのだろうか?
しかし、年齢的には立派な大人である私から涼太に言えることがあるとすれば、大人とは、「確固たる覚悟を持って何かを背負ったり守ったりできる人」だと思う。脅すわけではないが、まだ二十代の君はこれからますます見たくないものを見て知りたくないことを知り、その先で「覚悟」が決まる。
迷って我慢して妥協して無理をして、手放したくないものをたくさん手放しながら、背負うべき大切なものを手に入れていく。若かりし頃の葛藤やジレンマは、大人になったときに絶対に君の糧となっている。私の経験上、「あきらめなければ夢は叶う」とは断言できないけれど、頑張っていれば絶対に成果は出る。そして夢にも思わなかったような素晴らしいことが予期せぬタイミングで起こったりもする。過ぎていく日常の中で自分のアンテナを張り巡らせて、常に自分と周りを見て、正しい距離感で人と接していれば、「大人になるって悪くない」ときっと心から実感するようになる。ちなみに私は、なんの覚悟も持たずに、何も背負っていない大人が大嫌いだ。
……って、階段から落ちたスットコドッコイエピソードの後に言っても説得力に欠けるが、この文章を書きながら「居場所を見つけられずに砂を噛むような思いばかりしていた二十代の自分には絶対に戻りたくない」「大人になってよかった」と、思いのほか今の自分の幸せを君に再確認させてもらえた。満身創痍だけどな。サンキュー。
敬具
p1 8年前に書いた私の初めての小説「空に住む」が映画になりました。原作とは内容が異なるところがかなりありますが、とても素敵な映画です。是非!!
p2 ここ数年、外食はそんなに好きではなくなっているのですが、友人の経営するレストランを久しぶりに訪れたときのこのデザートに、「外食ってありがたいんだ」と、妙にしみじみしました
京アニ放火事件 青葉真司容疑者を逮捕 放火や殺人などの疑い
2020年5月27日 8時07分
去年7月、京都市にある「京都アニメーション」のスタジオが放火され、36人が死亡、33人が重軽傷を負った事件で、警察は治療が続けられていた青葉真司容疑者(42)を事件から10か月余りがたった27日、放火や殺人などの疑いで逮捕しました。入院していた京都市内の病院から警察署に移送し、本格的な取り調べを始めることにしています。
去年7月18日、京都市伏見区にある京都アニメーションの第1スタジオが放火された事件では、社員36人が死亡、33人が重軽傷を負いました。
この事件で、警察はスタジオに押し入ってガソリンをまいて火をつけ多数の死傷者を出したとして、みずからも重いやけどを負って治療を受けていたさいたま市見沼区の無職、青葉真司容疑者(42)を27日午前7時すぎに入院していた京都市の病院で逮捕しました。調べに対し「間違いありません」と容疑を認めているということです。
事件から10か月余りがたっての逮捕について、警察は複数の医師の意見などをもとに青葉容疑者が取り調べができるまで回復したと判断したことや、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除されたことも考慮したとしています。
青葉容疑者の身柄は午前8時すぎ、捜査本部が置かれている伏見警察署に移送され、警察はこのあと会見を開いて、逮捕に至った経緯などを説明する方針です。
逮捕前の任意の事情聴取に対し青葉容疑者は「自分の小説を盗用されたから火をつけた」などと供述していて、警察は今後、動機の解明を含め、本格的な取り調べを行う方針です。
【青葉真司容疑者は】
警察や関係者によりますと、青葉容疑者は現在のさいたま市で生まれました。幼い頃に両親が離婚し、父親と兄と妹の4人で暮らしていました。
市内の定時制高校を卒業したあとは平成10年までの3年間、埼玉県の文書課で非常勤職員として働きました。翌年、21歳の時に父親は病死しています。
その後、兄弟とも連絡をとらなくなり、埼玉県春日部市のアパートで1人で暮らしていたとみられています。
平成21年には、母親の自宅近くの茨城県常総市に移り住みましたが、34歳の時にコンビニに包丁を持って押し入り、現金を奪ったとして逮捕されました。
当時住んでいた集合住宅の管理人によりますと、青葉容疑者の部屋はゴミが散乱していて、壁やパソコンの画面が、ハンマーで壊されていたということです。
管理人の男性は「夜中に目覚まし時計が鳴ったり、窓ガラスがベランダに散乱していたりと、苦情があった。片づけた状態というより蹴り飛ばした状態だった。逮捕されたあとの面会では終始、下を向きながら返事をして、ほとんど会話はなかった」と話していました。この事件の裁判では実刑判決を受けていました。
平成28年に出所し、38歳になった青葉容疑者は、さいたま市の更生保護施設に滞在したあと、現住所のさいたま市見沼区のアパートで、1人で生活していたとみられています。
施設の関係者は「青葉容疑者はおとなしい様子で周囲とトラブルはなく、あいさつやお礼、日常会話はできていた。読書が好きで、近くの図書館で本を読んだり借りたりしていた」と話していました。
【病院での様子は】
病院関係者への取材で入院中の青葉容疑者の状況がわかってきました。
青葉容疑者は事件の際に自らも重いやけどを負い、これまで10か月余りにわたって、大阪と京都の病院で治療を受けてきました。全身の大部分をやけどしていて、当初、予断を許さない容体でしたが、皮膚の移植手術などを繰り返し受けて、会話ができる状態にまでは回復したということです。
ただ、両足のやけどは重く、現在もほとんどベッドに寝たきりの状態で、介助なしでは、食事もできず車いすに座ることもできないということです。
顔を除いて、全身のほとんどにガーゼや包帯が巻かれている状態で、軟こうを塗るなどして、治療を続けているということです。
青葉容疑者は病院のスタッフに対して、当初は趣味の電車の話をしたり、「頑張ります。治します」などと治療に意欲を見せていましたが、最近は「かゆい、痛い」などとたびたび不満を訴え、リハビリにも積極的には取り組もうとしなかったということです。
また、入院中は慢性的に38度ほどの発熱が続き40度近くの高熱が出ることもあったということですが、今月に入ってからは、比較的、体調が安定していたということです。
【事件の経緯とこれまでの捜査】
容疑者は事件3日前の7月15日、さいたま市の自宅から新幹線で京都駅に来たあと、宇治市にある京都アニメーションの本社や京都市伏見区にある現場の第1スタジオの周辺を行き来する姿が目撃されていました。警察は事前に下見をしていたとみています。
そして事件前日の7月17日、現場から5キロほど離れたホームセンターで、ガソリンを入れる携行缶やライター、大型のハンマーなどを購入し、台車に載せて移動していました。
この夜、第1スタジオの近くで野宿し、当日の18日は近くのガソリンスタンドでガソリンを購入。その30分後にスタジオに火をつけたとみられています。
事件後、青葉容疑者は現場近くで身柄を取り押さえられていましたが、警察によりますと、その際、「小説を盗用されたからやった」などと叫んでいたということです。
また入院中に行われた任意の事情聴取に対しても同様の趣旨の話をしたうえで、第1スタジオを狙った理由については、「いちばん多くの人が働いていて多くの負傷者を出せそうだと思った」と事前の計画性をうかがわせる話をしていたということです。
現場で複数の包丁が見つかったことについては、「犯行を邪魔する人がいたら、襲うつもりだった」、「埼玉の自宅を出る時から事件を起こすつもりだった」などと話し、病院の関係者に対しては「どうせ死刑になる」とも話していたということです。
警察はこれまでに青葉容疑者のさいたま市の自宅アパートを捜索していますが、この際、京都アニメーションの関連商品のほか、小説を書くためとみられる大量の原稿用紙を押収しています。
また、京都アニメーションがアニメの原作となる小説を公募した際、青葉容疑者が少なくとも2点の小説を応募していたことが明らかになっていますが、会社側は「形式が整っていなかったため、1次審査を通らなかった。内容に自社の作品との類似性はない」と説明しています。
【事件で36人が犠牲に】
事件が起きたのは去年7月18日の午前10時半すぎでした。
京都市伏見区にある「京都アニメーション」第1スタジオの正面玄関から男が押し入り、直後にガソリンをまいて火をつけました。
警察と消防によりますと、3階建ての建物は吹き抜けになっていて、巻き上がった黒煙はらせん階段をつたうなどして、あっという間に全体に広がったとみられています。
当時、中には、1階に12人2階に31人3階に27人の合わせて70人の社員が仕事にあたっていましたが、このうち36人が煙にまかれるなどして死亡しました。
一方、半数近くの社員がベランダや窓から飛び降りるなどして避難しましたが、多くが重いやけどやけがをして事件から10か月余りたったいまも、1人が入院を続けています。けががなかったのは1人だけでした。
36人が犠牲となった今回の事件。殺人事件としての死者数は平成以降で最も多くなりました。
【事件後の京都アニメーションは】
京都府宇治市に本社がある京都アニメーションは昭和56年に創業し、「けいおん!」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など数々の作品を地方から発信してきました。
風景の緻密な描写や繊細な表現が特徴で、日本だけでなく海外のファンも多く、事件後に設けられた献花台には連日、大勢の人たちが訪れました。
また、33億円を超える寄付金も寄せられ、京都府の配分委員会を通じて、遺族や被害者に順次、届けられることになっています。
京都アニメーションは去年9月から業務を再開し、このうち事件後に初めて本格的に制作された映画、「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、新型コロナウイルスの影響で公開が延期になっていますが、近く上映が始まる予定です。
また中断していた若手アニメーターの養成塾も再開され、新たな塾生を迎え入れるなど、人材の育成も進められています。
一方、全焼した第1スタジオの建物は先月までに解体されました。跡地をどうするかはまだ決まっていません。
2020年5月27日 8時07分
去年7月、京都市にある「京都アニメーション」のスタジオが放火され、36人が死亡、33人が重軽傷を負った事件で、警察は治療が続けられていた青葉真司容疑者(42)を事件から10か月余りがたった27日、放火や殺人などの疑いで逮捕しました。入院していた京都市内の病院から警察署に移送し、本格的な取り調べを始めることにしています。
去年7月18日、京都市伏見区にある京都アニメーションの第1スタジオが放火された事件では、社員36人が死亡、33人が重軽傷を負いました。
この事件で、警察はスタジオに押し入ってガソリンをまいて火をつけ多数の死傷者を出したとして、みずからも重いやけどを負って治療を受けていたさいたま市見沼区の無職、青葉真司容疑者(42)を27日午前7時すぎに入院していた京都市の病院で逮捕しました。調べに対し「間違いありません」と容疑を認めているということです。
事件から10か月余りがたっての逮捕について、警察は複数の医師の意見などをもとに青葉容疑者が取り調べができるまで回復したと判断したことや、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除されたことも考慮したとしています。
青葉容疑者の身柄は午前8時すぎ、捜査本部が置かれている伏見警察署に移送され、警察はこのあと会見を開いて、逮捕に至った経緯などを説明する方針です。
逮捕前の任意の事情聴取に対し青葉容疑者は「自分の小説を盗用されたから火をつけた」などと供述していて、警察は今後、動機の解明を含め、本格的な取り調べを行う方針です。
【青葉真司容疑者は】
警察や関係者によりますと、青葉容疑者は現在のさいたま市で生まれました。幼い頃に両親が離婚し、父親と兄と妹の4人で暮らしていました。
市内の定時制高校を卒業したあとは平成10年までの3年間、埼玉県の文書課で非常勤職員として働きました。翌年、21歳の時に父親は病死しています。
その後、兄弟とも連絡をとらなくなり、埼玉県春日部市のアパートで1人で暮らしていたとみられています。
平成21年には、母親の自宅近くの茨城県常総市に移り住みましたが、34歳の時にコンビニに包丁を持って押し入り、現金を奪ったとして逮捕されました。
当時住んでいた集合住宅の管理人によりますと、青葉容疑者の部屋はゴミが散乱していて、壁やパソコンの画面が、ハンマーで壊されていたということです。
管理人の男性は「夜中に目覚まし時計が鳴ったり、窓ガラスがベランダに散乱していたりと、苦情があった。片づけた状態というより蹴り飛ばした状態だった。逮捕されたあとの面会では終始、下を向きながら返事をして、ほとんど会話はなかった」と話していました。この事件の裁判では実刑判決を受けていました。
平成28年に出所し、38歳になった青葉容疑者は、さいたま市の更生保護施設に滞在したあと、現住所のさいたま市見沼区のアパートで、1人で生活していたとみられています。
施設の関係者は「青葉容疑者はおとなしい様子で周囲とトラブルはなく、あいさつやお礼、日常会話はできていた。読書が好きで、近くの図書館で本を読んだり借りたりしていた」と話していました。
【病院での様子は】
病院関係者への取材で入院中の青葉容疑者の状況がわかってきました。
青葉容疑者は事件の際に自らも重いやけどを負い、これまで10か月余りにわたって、大阪と京都の病院で治療を受けてきました。全身の大部分をやけどしていて、当初、予断を許さない容体でしたが、皮膚の移植手術などを繰り返し受けて、会話ができる状態にまでは回復したということです。
ただ、両足のやけどは重く、現在もほとんどベッドに寝たきりの状態で、介助なしでは、食事もできず車いすに座ることもできないということです。
顔を除いて、全身のほとんどにガーゼや包帯が巻かれている状態で、軟こうを塗るなどして、治療を続けているということです。
青葉容疑者は病院のスタッフに対して、当初は趣味の電車の話をしたり、「頑張ります。治します」などと治療に意欲を見せていましたが、最近は「かゆい、痛い」などとたびたび不満を訴え、リハビリにも積極的には取り組もうとしなかったということです。
また、入院中は慢性的に38度ほどの発熱が続き40度近くの高熱が出ることもあったということですが、今月に入ってからは、比較的、体調が安定していたということです。
【事件の経緯とこれまでの捜査】
容疑者は事件3日前の7月15日、さいたま市の自宅から新幹線で京都駅に来たあと、宇治市にある京都アニメーションの本社や京都市伏見区にある現場の第1スタジオの周辺を行き来する姿が目撃されていました。警察は事前に下見をしていたとみています。
そして事件前日の7月17日、現場から5キロほど離れたホームセンターで、ガソリンを入れる携行缶やライター、大型のハンマーなどを購入し、台車に載せて移動していました。
この夜、第1スタジオの近くで野宿し、当日の18日は近くのガソリンスタンドでガソリンを購入。その30分後にスタジオに火をつけたとみられています。
事件後、青葉容疑者は現場近くで身柄を取り押さえられていましたが、警察によりますと、その際、「小説を盗用されたからやった」などと叫んでいたということです。
また入院中に行われた任意の事情聴取に対しても同様の趣旨の話をしたうえで、第1スタジオを狙った理由については、「いちばん多くの人が働いていて多くの負傷者を出せそうだと思った」と事前の計画性をうかがわせる話をしていたということです。
現場で複数の包丁が見つかったことについては、「犯行を邪魔する人がいたら、襲うつもりだった」、「埼玉の自宅を出る時から事件を起こすつもりだった」などと話し、病院の関係者に対しては「どうせ死刑になる」とも話していたということです。
警察はこれまでに青葉容疑者のさいたま市の自宅アパートを捜索していますが、この際、京都アニメーションの関連商品のほか、小説を書くためとみられる大量の原稿用紙を押収しています。
また、京都アニメーションがアニメの原作となる小説を公募した際、青葉容疑者が少なくとも2点の小説を応募していたことが明らかになっていますが、会社側は「形式が整っていなかったため、1次審査を通らなかった。内容に自社の作品との類似性はない」と説明しています。
【事件で36人が犠牲に】
事件が起きたのは去年7月18日の午前10時半すぎでした。
京都市伏見区にある「京都アニメーション」第1スタジオの正面玄関から男が押し入り、直後にガソリンをまいて火をつけました。
警察と消防によりますと、3階建ての建物は吹き抜けになっていて、巻き上がった黒煙はらせん階段をつたうなどして、あっという間に全体に広がったとみられています。
当時、中には、1階に12人2階に31人3階に27人の合わせて70人の社員が仕事にあたっていましたが、このうち36人が煙にまかれるなどして死亡しました。
一方、半数近くの社員がベランダや窓から飛び降りるなどして避難しましたが、多くが重いやけどやけがをして事件から10か月余りたったいまも、1人が入院を続けています。けががなかったのは1人だけでした。
36人が犠牲となった今回の事件。殺人事件としての死者数は平成以降で最も多くなりました。
【事件後の京都アニメーションは】
京都府宇治市に本社がある京都アニメーションは昭和56年に創業し、「けいおん!」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など数々の作品を地方から発信してきました。
風景の緻密な描写や繊細な表現が特徴で、日本だけでなく海外のファンも多く、事件後に設けられた献花台には連日、大勢の人たちが訪れました。
また、33億円を超える寄付金も寄せられ、京都府の配分委員会を通じて、遺族や被害者に順次、届けられることになっています。
京都アニメーションは去年9月から業務を再開し、このうち事件後に初めて本格的に制作された映画、「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、新型コロナウイルスの影響で公開が延期になっていますが、近く上映が始まる予定です。
また中断していた若手アニメーターの養成塾も再開され、新たな塾生を迎え入れるなど、人材の育成も進められています。
一方、全焼した第1スタジオの建物は先月までに解体されました。跡地をどうするかはまだ決まっていません。
✋热门推荐