cjlw生日存档
【2017】
琉唯とは“唯一の王”という意味であり、フランスでは王の名そのもの。
名前に相応しい存在感と素質を兼ね備えたteam柊のリーダー・辰己琉唯のお誕生日ですね。
月の光の強さと星の光の眩さを心の底からリスペクトする彼は、スタミュ界の美しくも爽やかなライバルです。
一方でナイト申渡との絡みにはもはや執念めいたものを感じる今日この頃。ひょっとしたら彼らは一緒に輪廻転生を何万回繰り返していて、色々な人生を経た結果、お隣同士で同い年の幼馴染という親密且つ角の立たない究極の形に辿り着き、今が一番楽しい時期なのでは?と思うことすらあります(笑)
月皇でなくてもやれやれ……と諦めてしまいがち。今際の際「また来世でね、栄吾!」「お待ちしてますよ、辰己」やるまで好きなだけ仲良くせい。
兎にも角にもおめでとう。 体には気を付けて!
【2018】
滑り込みになりましたがスタミュ界の眩しいトップ・オブ・スター・オブ・スター辰己琉唯の誕生日です。「きみは太陽」とか言って様になる男を私は2人位しか知りませんが、間違いなく彼はその内の一人でしょう。幼き頃虚弱だった辰己が今は駆けっこで星谷や空閑にも負けず元気でいることが嬉しいです。
去年はどんなことを書いたっけと思って遡ろうと思ったのですが無理でした……何となく星谷と月皇と申渡に触れたような? なので今年は別の人に触れようかと思ったのですが誰が良いだろうか、ね、栄吾。
第1期では柊門下だった辰己が第2期では鳳の影だったことが少し新鮮でした。思えば第1期が始まる前に出た一問一答にて、別々の舞台を通して間接的に関わりがあった2人が時を経て同じ舞台に立つ、とはドラマチックです。こうなると誰が言い出したか初代姫との会話もいつか書いてみたいものですね。
付き合いが長くなるほどに、彼の優しさと厳しさを知る――というような気がします。まさに“魅力的な人”。どんな役者さんになってゆくのか、どんな大人になってゆくのか、何だかとても楽しみな人です。おめでとう、まだ寒いので体には気を付けて!
【2019】
関わった人々を次々と狂わせてゆくジ・エレガンスの片割れ、辰己琉唯の誕生日。どうか月皇、負けないでおくれ。やれやれ。
スタミュ界には作中で迷い成長してゆく姿が顕著な人物がいる一方で、ブレない芯をしっかり持っている姿が印象的な人物がいます。天花寺や空閑、そして辰己は明らかな後者です。
(図)太く深く地に植わっており、周りにいる一座もろとも支えられるような芯を持つ天花寺。飾り気のないシンプルな棒だなあと思って触ると火傷するほど熱そうな芯を持つ空閑。そんな中、辰己の中にあるものは、細く透き通っていて、角度によっては見えないようで、光が射すと確実にそこに在るのだと目視できるほどの存在感を放ち、鋭利に先が尖っていて、触るとひやりと冷たそうで、しかし手を伸ばすと消えていて、何処かと探すと背後にスッと立っている、そういうものであるような感じがします。
そういう意味ではブレないとは少し違うのかもしれませんね。彼の中には自分の法律があり、それは非常に柔軟で、いつもそばにいる信頼できる人、新しく出会った素晴らしい人、他人の変化、それらによって影響を受け、いつも目まぐるしく変わっているのかもしれません。
ただ一つ決してブレないのは『自分に嘘をつかない』こと。変化と共に進化を続ける、色のない、美しい、辰己の心に聳える芯。触れたいような、触れると見失いそうで怖いような。星谷同様ここまで並走してきたスタミュカンパニーの仲間ですが、取り扱いは栄吾に学ばねばなりません(笑)。おめでとう。
【2020】
賢いサル、優しくて懐っこいイヌ、強いだけでなくネコ科らしいわんぱくさも持ち合わせるトラ、可愛くてちょっと怖がりなウサギ。そんな干支の中で少しばかり異質、アジアではどことなく神聖な存在でありながら、西洋では悪の権化のようでもある、神秘的で勇ましいドラゴン。辰己琉唯の誕生日でした。
第3期まで書いてみての辰己の印象は、何となく取り違えられたteam鳳っ子のようだなあという感じ。演者としての辰己の本質は、柊より鳳に似ているのかもしれません。鳳と辰己の『沈黙のディアローグ』を聴いた時、一度、もしも辰己がteam鳳に入っていたらどうだったろうか…と想像したことがあります。
辰己は持ち前の柔軟性と実は旺盛な好奇心とチャレンジ精神を鳳に容赦なく刺激され、もしかすると今以上に自由に溌剌と、固定概念をぶち壊す勢いで、とんでもないミュージカルスーパースターへの階段を大股跳びのショートカットで駆け上がり、鳳は――演者を目指すのをやめていたかもなあと思いました。
自分が思い描いていた理想、演者としてのスタイルを、活き活きと体現して結果を残していった辰己を見届けて、綾薙教育も捨てたもんじゃないなと先生にでもなりそうだなと感じます。それはそれで良い人生な気もしますが、今の鳳を知る身としては、ほんの少し寂しい気がしますね。
何より柊は――辰己(率いる今のteam柊)と出会っていなければ、今より少し頑なな柊だったと思います。用意された人生を寄り道なしでまっすぐ進んで行く、演者である前に柊家の跡取りである柊。自分の為の我儘など、決して言わない柊。指導者として心満たされた鳳との距離も、縮まらないままだったかも。
そして辰己も柊と出会っていなければ今の辰己にはなりえなかったろうと、3期まで書いてみて改めて思います。彼の本質はチャレンジャー。もしteam柊でなかったら(ましてや鳳門下であったなら(笑))、ひたすらに上を目指し未知の世界を求めるのに夢中で、周りを見ることなど惜しんでいた気がします。
辰己はスター・オブ・スターというトップを取り、柊という、決して奢らず決して他者を蔑ろにしない優れた王の背を見て、帝王学を学んだのです。何者にも打ち砕かれない強固な剣を常に厳しく己に向けて、他者へは柔らかな笑顔を向ける。自分が主役であるより、より良いカンパニーの一員である事を望む。
彼が持って生まれたもの、そして柊から教えられたこと、それらを武器に、時には声をあげて敵に立ち向かい、時には冷静に自分と異なる考え方に耳を傾け、ライバルと「戦いたい」とぶつかっていった、第3期の辰己。
星谷と鳳が運命の出会いを果たし、互いの人生が強烈に輝く唯一の『今』になったように、彼らほどドラマチックな出会いの場面ではなかったものの(笑)辰己と柊もまた、運命的に出会い、出会ったからこその特別な未来が拓けたのだと思うと……辰己は立派な『スタミュ』の主人公でした。
物腰柔らかく誰に対しても誠意とリスペクトを忘ない一方で、友人達にとんでもキャッチフレーズを付けたり、星谷の前で鳳パイセンを切り裂きジャック呼ばわりするなど、無邪気に毒のシャボン玉を吹いて歩いたりもする彼。存外出来上がりきっていない、まだまだ成長中の男の子。好きです。おめでとう。
【2017】
琉唯とは“唯一の王”という意味であり、フランスでは王の名そのもの。
名前に相応しい存在感と素質を兼ね備えたteam柊のリーダー・辰己琉唯のお誕生日ですね。
月の光の強さと星の光の眩さを心の底からリスペクトする彼は、スタミュ界の美しくも爽やかなライバルです。
一方でナイト申渡との絡みにはもはや執念めいたものを感じる今日この頃。ひょっとしたら彼らは一緒に輪廻転生を何万回繰り返していて、色々な人生を経た結果、お隣同士で同い年の幼馴染という親密且つ角の立たない究極の形に辿り着き、今が一番楽しい時期なのでは?と思うことすらあります(笑)
月皇でなくてもやれやれ……と諦めてしまいがち。今際の際「また来世でね、栄吾!」「お待ちしてますよ、辰己」やるまで好きなだけ仲良くせい。
兎にも角にもおめでとう。 体には気を付けて!
【2018】
滑り込みになりましたがスタミュ界の眩しいトップ・オブ・スター・オブ・スター辰己琉唯の誕生日です。「きみは太陽」とか言って様になる男を私は2人位しか知りませんが、間違いなく彼はその内の一人でしょう。幼き頃虚弱だった辰己が今は駆けっこで星谷や空閑にも負けず元気でいることが嬉しいです。
去年はどんなことを書いたっけと思って遡ろうと思ったのですが無理でした……何となく星谷と月皇と申渡に触れたような? なので今年は別の人に触れようかと思ったのですが誰が良いだろうか、ね、栄吾。
第1期では柊門下だった辰己が第2期では鳳の影だったことが少し新鮮でした。思えば第1期が始まる前に出た一問一答にて、別々の舞台を通して間接的に関わりがあった2人が時を経て同じ舞台に立つ、とはドラマチックです。こうなると誰が言い出したか初代姫との会話もいつか書いてみたいものですね。
付き合いが長くなるほどに、彼の優しさと厳しさを知る――というような気がします。まさに“魅力的な人”。どんな役者さんになってゆくのか、どんな大人になってゆくのか、何だかとても楽しみな人です。おめでとう、まだ寒いので体には気を付けて!
【2019】
関わった人々を次々と狂わせてゆくジ・エレガンスの片割れ、辰己琉唯の誕生日。どうか月皇、負けないでおくれ。やれやれ。
スタミュ界には作中で迷い成長してゆく姿が顕著な人物がいる一方で、ブレない芯をしっかり持っている姿が印象的な人物がいます。天花寺や空閑、そして辰己は明らかな後者です。
(図)太く深く地に植わっており、周りにいる一座もろとも支えられるような芯を持つ天花寺。飾り気のないシンプルな棒だなあと思って触ると火傷するほど熱そうな芯を持つ空閑。そんな中、辰己の中にあるものは、細く透き通っていて、角度によっては見えないようで、光が射すと確実にそこに在るのだと目視できるほどの存在感を放ち、鋭利に先が尖っていて、触るとひやりと冷たそうで、しかし手を伸ばすと消えていて、何処かと探すと背後にスッと立っている、そういうものであるような感じがします。
そういう意味ではブレないとは少し違うのかもしれませんね。彼の中には自分の法律があり、それは非常に柔軟で、いつもそばにいる信頼できる人、新しく出会った素晴らしい人、他人の変化、それらによって影響を受け、いつも目まぐるしく変わっているのかもしれません。
ただ一つ決してブレないのは『自分に嘘をつかない』こと。変化と共に進化を続ける、色のない、美しい、辰己の心に聳える芯。触れたいような、触れると見失いそうで怖いような。星谷同様ここまで並走してきたスタミュカンパニーの仲間ですが、取り扱いは栄吾に学ばねばなりません(笑)。おめでとう。
【2020】
賢いサル、優しくて懐っこいイヌ、強いだけでなくネコ科らしいわんぱくさも持ち合わせるトラ、可愛くてちょっと怖がりなウサギ。そんな干支の中で少しばかり異質、アジアではどことなく神聖な存在でありながら、西洋では悪の権化のようでもある、神秘的で勇ましいドラゴン。辰己琉唯の誕生日でした。
第3期まで書いてみての辰己の印象は、何となく取り違えられたteam鳳っ子のようだなあという感じ。演者としての辰己の本質は、柊より鳳に似ているのかもしれません。鳳と辰己の『沈黙のディアローグ』を聴いた時、一度、もしも辰己がteam鳳に入っていたらどうだったろうか…と想像したことがあります。
辰己は持ち前の柔軟性と実は旺盛な好奇心とチャレンジ精神を鳳に容赦なく刺激され、もしかすると今以上に自由に溌剌と、固定概念をぶち壊す勢いで、とんでもないミュージカルスーパースターへの階段を大股跳びのショートカットで駆け上がり、鳳は――演者を目指すのをやめていたかもなあと思いました。
自分が思い描いていた理想、演者としてのスタイルを、活き活きと体現して結果を残していった辰己を見届けて、綾薙教育も捨てたもんじゃないなと先生にでもなりそうだなと感じます。それはそれで良い人生な気もしますが、今の鳳を知る身としては、ほんの少し寂しい気がしますね。
何より柊は――辰己(率いる今のteam柊)と出会っていなければ、今より少し頑なな柊だったと思います。用意された人生を寄り道なしでまっすぐ進んで行く、演者である前に柊家の跡取りである柊。自分の為の我儘など、決して言わない柊。指導者として心満たされた鳳との距離も、縮まらないままだったかも。
そして辰己も柊と出会っていなければ今の辰己にはなりえなかったろうと、3期まで書いてみて改めて思います。彼の本質はチャレンジャー。もしteam柊でなかったら(ましてや鳳門下であったなら(笑))、ひたすらに上を目指し未知の世界を求めるのに夢中で、周りを見ることなど惜しんでいた気がします。
辰己はスター・オブ・スターというトップを取り、柊という、決して奢らず決して他者を蔑ろにしない優れた王の背を見て、帝王学を学んだのです。何者にも打ち砕かれない強固な剣を常に厳しく己に向けて、他者へは柔らかな笑顔を向ける。自分が主役であるより、より良いカンパニーの一員である事を望む。
彼が持って生まれたもの、そして柊から教えられたこと、それらを武器に、時には声をあげて敵に立ち向かい、時には冷静に自分と異なる考え方に耳を傾け、ライバルと「戦いたい」とぶつかっていった、第3期の辰己。
星谷と鳳が運命の出会いを果たし、互いの人生が強烈に輝く唯一の『今』になったように、彼らほどドラマチックな出会いの場面ではなかったものの(笑)辰己と柊もまた、運命的に出会い、出会ったからこその特別な未来が拓けたのだと思うと……辰己は立派な『スタミュ』の主人公でした。
物腰柔らかく誰に対しても誠意とリスペクトを忘ない一方で、友人達にとんでもキャッチフレーズを付けたり、星谷の前で鳳パイセンを切り裂きジャック呼ばわりするなど、無邪気に毒のシャボン玉を吹いて歩いたりもする彼。存外出来上がりきっていない、まだまだ成長中の男の子。好きです。おめでとう。
【シネマトゥデイ】追悼特集:藤原啓治さんが語った「野原ひろし」https://t.cn/A625OqM9
「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役、「交響詩篇エウレカセブン」ホランド・ノヴァク役、映画『アベンジャーズ』シリーズのアイアンマン=トニー・スターク役の吹替などで知られる声優の藤原啓治さんが4月12日に死去したことが所属事務所より発表された。
筆者は何度か藤原さんに「クレヨンしんちゃん」について話をうかがう機会をいただいたことがある。ここでは、他の媒体に掲載されたインタビューも含め、藤原さんがどのように「理想の父親」とも言われるようになった野原ひろしを作り上げていったかを紐解いてみたい。(大山くまお)
27歳で射止めた野原ひろし役と試行錯誤
1992年にスタートしたアニメ「クレヨンしんちゃん」。藤原さんがオーディションに合格して野原ひろし役を得たのは、声優としてのキャリアを歩みはじめて2年目だった27歳の頃。もちろん、父親を演じるのは初めて。35歳という設定のひろし役を受けたのは年齢層が高い人ばかりで、自分と同世代の声優はオーディション会場で一人も見かけなかったとか。
このときのオーディションは今では珍しい「掛け合い」で行われた。藤原さんは2組のしんのすけ候補の声優と掛け合いを行ったが、2組目でその後しんのすけを演じた矢島晶子さんとペアを組んでいる。
見事にひろし役を射止めた藤原さんだが、「お父さん役を演じるからといって、お父さんを意識したところで、自分に何ができるんだろう?」と感じていたという。当初はセリフも少なく、「ただいま」と言うだけの回も少なくなかった。
そんな中、放送が始まった2年目ぐらいの頃に壁にぶつかってしまう。ひろしを演じていて違和感を覚えるようになったのだ。作画や演出がどんどん変化しているのに、自分の演技がスタート当初から変わっていないことが原因だった。そのことに気づいた藤原さんは、半年ほどかけて試行錯誤しながら演技を変化させていく。
このときに藤原さんが気づいたのは「変化してもいい」ということだった。父親だから、夫だから、ひろしだからといって、何かにとらわれる必要はない。このことについて次のように語っている。
「『ひろしはこういう人です』と決めつけないようにしようと思っていますね。『ひろしはこんなことしないだろ』『こんなことしゃべらないよ』とは思わないように。演じる側の変なこだわりで、こぢんまりしちゃうのはマズいかな、と」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))
だからこそ、ロボットになろうが(『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』)、ニワトリに変身しようが(『映画クレヨンしんちゃん オタケべ!カスカベ野生王国』)、女装しようが(『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』ほか多数)、ひろしはひろしのままでいられたのだろう。
「このままではひろししかできなくなってしまう」
「クレヨンしんちゃん」は放送開始から半年もすると視聴率がうなぎ上りになり、1993年7月には歴代最高視聴率28.2%を記録。国民的人気作品として不動の地位を得たが、同時に藤原さんはある悩みを抱えることになる。
それは「カッコよさそうな役のオーディションの話がまったく来なくなった」ことだった。ひろしの役のイメージが強すぎて、所属事務所が候補に藤原さんの名前を挙げるだけで先方から断られることがある一方、一気に父親役が4つも5つも来ることがあった。30歳を過ぎたばかりの藤原さんにとっては死活問題だったはずだ。
「このままではひろししかできなくなってしまう」と焦ったが、「しんちゃん」という作品の幅の広さと、「変化してもいい」ことに気づいていたことが功を奏した。藤原さんはひろしを演じることで、演技の幅を自在に広げていき、どんどん新しい役を得るようになったのだ。
藤原さんは実績を積み重ね、実力派声優としての地位を不動のものにしていく。2009年のインタビューでは「いろいろな顔をもつひろしというキャラクターを通して、自分もものすごく成長したと思います」「ひろしを通していろいろな実験をすることもできたし、あれこれ試行錯誤した結果、27歳ではできなかったことを今やることができています」と振り返っていた(「声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント」主婦の友社)。
『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のひろし
ひろし役を大きく膨らませていった原恵一監督との出会いも大きい。ひろしについて「男のいちばんだらしない部分を持ったキャラクターで、それを描くのがすごく面白かった」という原監督だが、なによりも藤原さんの声の役割が大きかったとも語っている。
「最初は出番が『ただいま』と『いってきます』くらいしかなかったのに、スタッフが藤原さんの上手さを知るにつれてひろしのウェイトが重くなっていったのは間違いないと思います」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))。余談だが、原監督は藤原さんとよく飲みに行っていたようで、お酒を飲みながらのトークイベントでは何度も「啓治、好き」と告白(?)していた。
原監督は劇場映画作品でもひろしをフィーチャーしていく。初監督映画の『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』では、ひろしが女刑事の東松山よねと二人で旅する旅情あふれるシーンや兄になったばかりのしんのすけに語りかけるシーンが印象的に描かれた。
藤原さんと原監督のコラボレーションの最たるものが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』だ。「懐かしさ」で世界を支配しようとする組織イエスタデイ・ワンスモアの陰謀で洗脳されてしまったひろしが記憶を取り戻すシーンは、大きな感動を呼んだ。
しんのすけに嗅がされた自分の靴の匂い(ひろしの足は武器になるほど臭い)によって、ひろしは35年にわたる自分の人生を回想する。大きな父の背中を見ていた子どもの頃、淡い初恋と失恋、上京と就職、みさえとの出会い、長男しんのすけの誕生、マイホームへの引っ越し、どんなに仕事で疲れ切った日でも温かく出迎えてくれる家族たち。いつしか幼い頃の自分のように、しんのすけが自分の大きな背中を見つめるようになっていた。すべてを思い出して、ひろしはむせび泣く。そして組織のリーダー、ケンに向かって「オレの人生はつまらなくなんかない!」と言い切るのだ。
藤原さんもひろしを演じていて最も印象的だったシーンとして『オトナ帝国の逆襲』の回想シーンを挙げている。「収録時は亡くなった父親の姿が常に頭の片隅にありました。誠に勝手ながら、この作品を尊敬する私の父親に捧げています(笑)」(V-STRAGE「しんちゃん通信」スペシャルインタビュー「野原ひろし役藤原啓治」)。ちなみに、最後の「(笑)」は藤原さんが付け足したもの。きっと照れくさかったのだろう。
「普通に家族を守るのって、たいしたことだよ」
ひろしについて「すごくカッコいい男だと思います。あんなバタバタした日常を受け入れて、カラリと生きることができるなんて、現代においてかなり強い人間だと思います」(DVD「クレヨンしんちゃん きっとベスト 凝縮!野原ひろし」ライナーノート)と語っていた藤原さん。器が大きくて、イヤミなところがなく、後ろ向きにならない。そして人間臭い男だという。
藤原さんは「憧れとしては、(野原)ひろしに、なりたいんですよね」とはっきり言う。「『家族を守ること』も『人類を守ること』も“ヒーロー”の根底は一緒な気がします。サラリーマンでああ見えて、ひろしも身近な1人のヒーローなのだなと」(ORICON NEWS、2018年4月22日)。ちなみに自身にとってのヒーローを問われた藤原さんは「両親」と答えている。
筆者が藤原さんに世の中のお父さんたちへのメッセージを求めたところ、次のような答えが帰ってきた。
「『普通に家族を守るのって、たいしたことだよ』ってことですね」
「僕にとっては当たり前じゃないことが、世界中で当たり前のこととして行われている。それってすごいことだと思います」
藤原さんが演じることによって、野原ひろしは世界で一番身近なヒーローになった。当たり前じゃないことを、さも当たり前のように、必死になって毎日のようにこなし、家族を守るために奮闘する父親、母親の姿を映し出しているから、「クレヨンしんちゃん」という作品は今も変わらず人気があるのかもしれない。
藤原さん、本当にありがとうございました。
「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役、「交響詩篇エウレカセブン」ホランド・ノヴァク役、映画『アベンジャーズ』シリーズのアイアンマン=トニー・スターク役の吹替などで知られる声優の藤原啓治さんが4月12日に死去したことが所属事務所より発表された。
筆者は何度か藤原さんに「クレヨンしんちゃん」について話をうかがう機会をいただいたことがある。ここでは、他の媒体に掲載されたインタビューも含め、藤原さんがどのように「理想の父親」とも言われるようになった野原ひろしを作り上げていったかを紐解いてみたい。(大山くまお)
27歳で射止めた野原ひろし役と試行錯誤
1992年にスタートしたアニメ「クレヨンしんちゃん」。藤原さんがオーディションに合格して野原ひろし役を得たのは、声優としてのキャリアを歩みはじめて2年目だった27歳の頃。もちろん、父親を演じるのは初めて。35歳という設定のひろし役を受けたのは年齢層が高い人ばかりで、自分と同世代の声優はオーディション会場で一人も見かけなかったとか。
このときのオーディションは今では珍しい「掛け合い」で行われた。藤原さんは2組のしんのすけ候補の声優と掛け合いを行ったが、2組目でその後しんのすけを演じた矢島晶子さんとペアを組んでいる。
見事にひろし役を射止めた藤原さんだが、「お父さん役を演じるからといって、お父さんを意識したところで、自分に何ができるんだろう?」と感じていたという。当初はセリフも少なく、「ただいま」と言うだけの回も少なくなかった。
そんな中、放送が始まった2年目ぐらいの頃に壁にぶつかってしまう。ひろしを演じていて違和感を覚えるようになったのだ。作画や演出がどんどん変化しているのに、自分の演技がスタート当初から変わっていないことが原因だった。そのことに気づいた藤原さんは、半年ほどかけて試行錯誤しながら演技を変化させていく。
このときに藤原さんが気づいたのは「変化してもいい」ということだった。父親だから、夫だから、ひろしだからといって、何かにとらわれる必要はない。このことについて次のように語っている。
「『ひろしはこういう人です』と決めつけないようにしようと思っていますね。『ひろしはこんなことしないだろ』『こんなことしゃべらないよ』とは思わないように。演じる側の変なこだわりで、こぢんまりしちゃうのはマズいかな、と」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))
だからこそ、ロボットになろうが(『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』)、ニワトリに変身しようが(『映画クレヨンしんちゃん オタケべ!カスカベ野生王国』)、女装しようが(『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』ほか多数)、ひろしはひろしのままでいられたのだろう。
「このままではひろししかできなくなってしまう」
「クレヨンしんちゃん」は放送開始から半年もすると視聴率がうなぎ上りになり、1993年7月には歴代最高視聴率28.2%を記録。国民的人気作品として不動の地位を得たが、同時に藤原さんはある悩みを抱えることになる。
それは「カッコよさそうな役のオーディションの話がまったく来なくなった」ことだった。ひろしの役のイメージが強すぎて、所属事務所が候補に藤原さんの名前を挙げるだけで先方から断られることがある一方、一気に父親役が4つも5つも来ることがあった。30歳を過ぎたばかりの藤原さんにとっては死活問題だったはずだ。
「このままではひろししかできなくなってしまう」と焦ったが、「しんちゃん」という作品の幅の広さと、「変化してもいい」ことに気づいていたことが功を奏した。藤原さんはひろしを演じることで、演技の幅を自在に広げていき、どんどん新しい役を得るようになったのだ。
藤原さんは実績を積み重ね、実力派声優としての地位を不動のものにしていく。2009年のインタビューでは「いろいろな顔をもつひろしというキャラクターを通して、自分もものすごく成長したと思います」「ひろしを通していろいろな実験をすることもできたし、あれこれ試行錯誤した結果、27歳ではできなかったことを今やることができています」と振り返っていた(「声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント」主婦の友社)。
『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のひろし
ひろし役を大きく膨らませていった原恵一監督との出会いも大きい。ひろしについて「男のいちばんだらしない部分を持ったキャラクターで、それを描くのがすごく面白かった」という原監督だが、なによりも藤原さんの声の役割が大きかったとも語っている。
「最初は出番が『ただいま』と『いってきます』くらいしかなかったのに、スタッフが藤原さんの上手さを知るにつれてひろしのウェイトが重くなっていったのは間違いないと思います」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))。余談だが、原監督は藤原さんとよく飲みに行っていたようで、お酒を飲みながらのトークイベントでは何度も「啓治、好き」と告白(?)していた。
原監督は劇場映画作品でもひろしをフィーチャーしていく。初監督映画の『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』では、ひろしが女刑事の東松山よねと二人で旅する旅情あふれるシーンや兄になったばかりのしんのすけに語りかけるシーンが印象的に描かれた。
藤原さんと原監督のコラボレーションの最たるものが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』だ。「懐かしさ」で世界を支配しようとする組織イエスタデイ・ワンスモアの陰謀で洗脳されてしまったひろしが記憶を取り戻すシーンは、大きな感動を呼んだ。
しんのすけに嗅がされた自分の靴の匂い(ひろしの足は武器になるほど臭い)によって、ひろしは35年にわたる自分の人生を回想する。大きな父の背中を見ていた子どもの頃、淡い初恋と失恋、上京と就職、みさえとの出会い、長男しんのすけの誕生、マイホームへの引っ越し、どんなに仕事で疲れ切った日でも温かく出迎えてくれる家族たち。いつしか幼い頃の自分のように、しんのすけが自分の大きな背中を見つめるようになっていた。すべてを思い出して、ひろしはむせび泣く。そして組織のリーダー、ケンに向かって「オレの人生はつまらなくなんかない!」と言い切るのだ。
藤原さんもひろしを演じていて最も印象的だったシーンとして『オトナ帝国の逆襲』の回想シーンを挙げている。「収録時は亡くなった父親の姿が常に頭の片隅にありました。誠に勝手ながら、この作品を尊敬する私の父親に捧げています(笑)」(V-STRAGE「しんちゃん通信」スペシャルインタビュー「野原ひろし役藤原啓治」)。ちなみに、最後の「(笑)」は藤原さんが付け足したもの。きっと照れくさかったのだろう。
「普通に家族を守るのって、たいしたことだよ」
ひろしについて「すごくカッコいい男だと思います。あんなバタバタした日常を受け入れて、カラリと生きることができるなんて、現代においてかなり強い人間だと思います」(DVD「クレヨンしんちゃん きっとベスト 凝縮!野原ひろし」ライナーノート)と語っていた藤原さん。器が大きくて、イヤミなところがなく、後ろ向きにならない。そして人間臭い男だという。
藤原さんは「憧れとしては、(野原)ひろしに、なりたいんですよね」とはっきり言う。「『家族を守ること』も『人類を守ること』も“ヒーロー”の根底は一緒な気がします。サラリーマンでああ見えて、ひろしも身近な1人のヒーローなのだなと」(ORICON NEWS、2018年4月22日)。ちなみに自身にとってのヒーローを問われた藤原さんは「両親」と答えている。
筆者が藤原さんに世の中のお父さんたちへのメッセージを求めたところ、次のような答えが帰ってきた。
「『普通に家族を守るのって、たいしたことだよ』ってことですね」
「僕にとっては当たり前じゃないことが、世界中で当たり前のこととして行われている。それってすごいことだと思います」
藤原さんが演じることによって、野原ひろしは世界で一番身近なヒーローになった。当たり前じゃないことを、さも当たり前のように、必死になって毎日のようにこなし、家族を守るために奮闘する父親、母親の姿を映し出しているから、「クレヨンしんちゃん」という作品は今も変わらず人気があるのかもしれない。
藤原さん、本当にありがとうございました。
未来世代の為に関係修復を(上)「知日派」韓国人の声 その4
9/28(土) 11:07配信
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注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://t.cn/Ain1fdmKでお読みください。

安倍首相、文大統領、ペンス副大統領 出典:VOA
【まとめ】
・ソウルオリンピックをきっかけに韓国の食文化は大きく変化。
・米の最大の関心は北朝鮮の核開発と米中貿易問題だけ。
・文大統領のGSOMIA破棄は米仲裁を期待していた。

韓国冷麺 出典:Flickr; Tatsuo Yamashita
日本を訪れる韓国人旅行者が激減している、という話を、最近はよく聞きます。
実際問題として、観光地の人たちは頭を抱えているとか。
私もかつてはその一人だったのですが、在日の親類縁者を訪ねがてら日本見物に来る人たちや、年配の人たちの団体旅行などは、たしかに減っているようです。
けれども、韓国では以前から個人旅行が占める比率が高く、特にここ数年は、ユニークな旅を自分で企画する若い人が増えてきています。たとえば、お城や神社仏閣を巡るのではなく、おいしいラーメン屋さんを探し求める旅、とかです。
昔から韓国人は、自分たちの伝統的な食べ物に執着する傾向が強くて、チヂミがあればピッツァもお好み焼きも要らない、冷麺とか韓国風の麺料理があるから、パスタもラーメンも食べる必要などない、といった気風がありました。

ボルトン元補佐官 出典:Flickr; Gage Skidmore
私自身、日本に来てはじめてハンバーグなどの洋食(ヤンシクと発音します)を食べるようになりました。マグロの刺身も、初めて食べた時は、なんだか気持ち悪かったですね。今では寿司や刺身が大好物で、海の近くに取材に行くのが楽しみで仕方ないほどですが。
1988年にソウルでオリンピックが開催されましたが、これをきっかけに、韓国の食文化も大いに国際化が進んだのです。
ですから、1990年代以降に生まれた、若い世代の韓国人は、生まれたときから諸国の食べ物が身近にありましたから、味覚もボーダーレスなのかも知れません。
一方で、韓国を訪れる日本人観光客の数は、問題の徴用工判決が出た昨年10月以降も、それほど減っていないと聞いています。
日本は日本で、とりわけ若い女性は、俳優とか歌手といった、いわゆる韓流スターが大好きですし、韓国コスメ(化粧品)の人気もなかなかのものですからね。物心ついた時からそうしたものが身近にあれば、焼き肉とキムチくらいしか知らなかった世代とは、当然ものの見方・考え方が違ってきているでしょう。
ネット上に韓国を敵視する言動があふれようが、耳を貸さないのかも知れません。もしもそうなら、私が韓国人だから言うわけではありませんが、よい傾向だと思います。
こうした、世代間の感覚の違いが、韓日両国の将来を考える上で、ひとつの鍵になるのではないでしょうか。
もうひとつは、アメリカの動向ですね。
早ければ年内にも、アメリカと北朝鮮のトップ会談が再び開かれる可能性が高いと、韓国のジャーナリストたちは見ています。
タカ派として知られたボルトン補佐官がクビになりましたが、北朝鮮サイドはこれを聞いて大喜びしましたからね。彼に対しては、これまで「戦争好きな危険人物」「時代遅れの帝国主義者」などなど悪口雑言を並べていましたが、その大嫌いなボルトンのクビを切ったのは、トランプ大統領が自分たちに譲歩する意志の表れだ、と。まあ、なんでも自分たちに都合よく解釈する人たちですからね。
アメリカはアメリカで、北朝鮮の核開発、特に本国まで届くような弾道ミサイルとか、それを発射できる潜水艦の開発といった行為に歯止めをかけられれば、その他の問題は、周辺諸国が自分たちでなんとかしなさい、といった考えなのでしょう。
アジア諸国の問題、というくくりでは、トランプ政権が本気で取り組んでいるのは、中国との貿易戦争だけ。そう言って過言ではないと思いますよ。
そのような状況で、今後も問題がこじれて行きそうなのは、韓国がGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)を破棄したことですね。
これは、ムン政権の最大の失策として歴史に残ると思います。
安倍首相が、わが国の三権分立をないがしろにしたことは遺憾に思いますが、韓国政府の対応もいささか大人げなかった、と私は幾度も言いました。
ムン政権にしてみれば、日本が半導体輸出の手続きを厳格化した、世に言う「ホワイト国からの除外」という挙に出たので、反省をうながすためだ、ということのようですが、これはひどい。
北朝鮮の脅威に対して、日本とはもはや、協力して立ち向かう関係ではない、と言い放ったに等しいですからね。
大人げない、というあたりを通り越して、昭和の日本映画でよく聞いた台詞そのままではないですか。
「それを言っちゃあ、おしまいだよ」
というやつです。
前にもお話しした通り、ムン大統領が左翼思想の持ち主だというのは、韓国の保守派のマスコミによって作り上げられたイメージだという要素が強いですから、本当に中国や北朝鮮にすり寄って行く可能性は低いですが、外交カードとしてそれをちらつかせる、ということは考えられますね。
そうやって突っ張っていれば、適当なところでアメリカが仲裁に乗り出してくれるのではないか、と。
これも、所詮は推測だと言われればそうですけど、非常に現実味があるところが嫌ですね。もし、この推測が当たっていたら、これほど情けない話はない。韓日両国ともに、アメリカの属国ではありません。そのことを本当に理解しているのか、ついついこちらまで大人げなく怒鳴り散らしたくなるほどです。
実は私は、今次の問題が表面化した直後、徴用工判決で名指しされたり、韓国への半導体輸出が売り上げの主たるものだという会社に、軒並み電話取材を試みました。
「現時点ではお答えできることは、なにもございません」
という返事もよく聞かされましたが、
「今後どうしたらよいのか、本当に困っています」
と率直に応えてくれた会社も複数ありましたよ。
未来世代の両国民のために、政治家たちはひとまず面子の張り合いをやめるべきです。
具体的には、韓国はGSOMIAの破棄を撤回し、日本は韓国を再びホワイト国に認定する。これでひとまず痛み分けだということにして、落としどころを探ればよいでしょう。
ヤクザの喧嘩ではないのですから、アメリカという大親分の仲裁を期待しながら、事務所のガラス窓を割り合うようなみっともない真似は、もうやめましょう。
(取材・構成・文責/林信吾)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
9/28(土) 11:07配信
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安倍首相、文大統領、ペンス副大統領 出典:VOA
【まとめ】
・ソウルオリンピックをきっかけに韓国の食文化は大きく変化。
・米の最大の関心は北朝鮮の核開発と米中貿易問題だけ。
・文大統領のGSOMIA破棄は米仲裁を期待していた。

韓国冷麺 出典:Flickr; Tatsuo Yamashita
日本を訪れる韓国人旅行者が激減している、という話を、最近はよく聞きます。
実際問題として、観光地の人たちは頭を抱えているとか。
私もかつてはその一人だったのですが、在日の親類縁者を訪ねがてら日本見物に来る人たちや、年配の人たちの団体旅行などは、たしかに減っているようです。
けれども、韓国では以前から個人旅行が占める比率が高く、特にここ数年は、ユニークな旅を自分で企画する若い人が増えてきています。たとえば、お城や神社仏閣を巡るのではなく、おいしいラーメン屋さんを探し求める旅、とかです。
昔から韓国人は、自分たちの伝統的な食べ物に執着する傾向が強くて、チヂミがあればピッツァもお好み焼きも要らない、冷麺とか韓国風の麺料理があるから、パスタもラーメンも食べる必要などない、といった気風がありました。

ボルトン元補佐官 出典:Flickr; Gage Skidmore
私自身、日本に来てはじめてハンバーグなどの洋食(ヤンシクと発音します)を食べるようになりました。マグロの刺身も、初めて食べた時は、なんだか気持ち悪かったですね。今では寿司や刺身が大好物で、海の近くに取材に行くのが楽しみで仕方ないほどですが。
1988年にソウルでオリンピックが開催されましたが、これをきっかけに、韓国の食文化も大いに国際化が進んだのです。
ですから、1990年代以降に生まれた、若い世代の韓国人は、生まれたときから諸国の食べ物が身近にありましたから、味覚もボーダーレスなのかも知れません。
一方で、韓国を訪れる日本人観光客の数は、問題の徴用工判決が出た昨年10月以降も、それほど減っていないと聞いています。
日本は日本で、とりわけ若い女性は、俳優とか歌手といった、いわゆる韓流スターが大好きですし、韓国コスメ(化粧品)の人気もなかなかのものですからね。物心ついた時からそうしたものが身近にあれば、焼き肉とキムチくらいしか知らなかった世代とは、当然ものの見方・考え方が違ってきているでしょう。
ネット上に韓国を敵視する言動があふれようが、耳を貸さないのかも知れません。もしもそうなら、私が韓国人だから言うわけではありませんが、よい傾向だと思います。
こうした、世代間の感覚の違いが、韓日両国の将来を考える上で、ひとつの鍵になるのではないでしょうか。
もうひとつは、アメリカの動向ですね。
早ければ年内にも、アメリカと北朝鮮のトップ会談が再び開かれる可能性が高いと、韓国のジャーナリストたちは見ています。
タカ派として知られたボルトン補佐官がクビになりましたが、北朝鮮サイドはこれを聞いて大喜びしましたからね。彼に対しては、これまで「戦争好きな危険人物」「時代遅れの帝国主義者」などなど悪口雑言を並べていましたが、その大嫌いなボルトンのクビを切ったのは、トランプ大統領が自分たちに譲歩する意志の表れだ、と。まあ、なんでも自分たちに都合よく解釈する人たちですからね。
アメリカはアメリカで、北朝鮮の核開発、特に本国まで届くような弾道ミサイルとか、それを発射できる潜水艦の開発といった行為に歯止めをかけられれば、その他の問題は、周辺諸国が自分たちでなんとかしなさい、といった考えなのでしょう。
アジア諸国の問題、というくくりでは、トランプ政権が本気で取り組んでいるのは、中国との貿易戦争だけ。そう言って過言ではないと思いますよ。
そのような状況で、今後も問題がこじれて行きそうなのは、韓国がGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)を破棄したことですね。
これは、ムン政権の最大の失策として歴史に残ると思います。
安倍首相が、わが国の三権分立をないがしろにしたことは遺憾に思いますが、韓国政府の対応もいささか大人げなかった、と私は幾度も言いました。
ムン政権にしてみれば、日本が半導体輸出の手続きを厳格化した、世に言う「ホワイト国からの除外」という挙に出たので、反省をうながすためだ、ということのようですが、これはひどい。
北朝鮮の脅威に対して、日本とはもはや、協力して立ち向かう関係ではない、と言い放ったに等しいですからね。
大人げない、というあたりを通り越して、昭和の日本映画でよく聞いた台詞そのままではないですか。
「それを言っちゃあ、おしまいだよ」
というやつです。
前にもお話しした通り、ムン大統領が左翼思想の持ち主だというのは、韓国の保守派のマスコミによって作り上げられたイメージだという要素が強いですから、本当に中国や北朝鮮にすり寄って行く可能性は低いですが、外交カードとしてそれをちらつかせる、ということは考えられますね。
そうやって突っ張っていれば、適当なところでアメリカが仲裁に乗り出してくれるのではないか、と。
これも、所詮は推測だと言われればそうですけど、非常に現実味があるところが嫌ですね。もし、この推測が当たっていたら、これほど情けない話はない。韓日両国ともに、アメリカの属国ではありません。そのことを本当に理解しているのか、ついついこちらまで大人げなく怒鳴り散らしたくなるほどです。
実は私は、今次の問題が表面化した直後、徴用工判決で名指しされたり、韓国への半導体輸出が売り上げの主たるものだという会社に、軒並み電話取材を試みました。
「現時点ではお答えできることは、なにもございません」
という返事もよく聞かされましたが、
「今後どうしたらよいのか、本当に困っています」
と率直に応えてくれた会社も複数ありましたよ。
未来世代の両国民のために、政治家たちはひとまず面子の張り合いをやめるべきです。
具体的には、韓国はGSOMIAの破棄を撤回し、日本は韓国を再びホワイト国に認定する。これでひとまず痛み分けだということにして、落としどころを探ればよいでしょう。
ヤクザの喧嘩ではないのですから、アメリカという大親分の仲裁を期待しながら、事務所のガラス窓を割り合うようなみっともない真似は、もうやめましょう。
(取材・構成・文責/林信吾)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
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