#冰菓# 初看不识其中味,看懂已非剧中人。
感觉冥冥之中就是要在这个时候重新捡起,真正看懂,然后悄悄地改变什么。
我现在才发现,原来这么多年我的状态就叫“节能主义”。在另一个次元有人将它一语道破并一直贯彻着,直到有人出现将他拉入玫瑰色的人生。
わたし、いつバラ色の人生に入れるのかな。
感觉冥冥之中就是要在这个时候重新捡起,真正看懂,然后悄悄地改变什么。
我现在才发现,原来这么多年我的状态就叫“节能主义”。在另一个次元有人将它一语道破并一直贯彻着,直到有人出现将他拉入玫瑰色的人生。
わたし、いつバラ色の人生に入れるのかな。
ぜんぶ君のせいだ。の"異常こそ正常だ。"【第9回】
こんばんは、ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」Skream!コラムやって参りました。今宵(?)はぜんぶ君のせいだ。メイユイメイが担当します。歌い踊っていますが、きっとscreamerとしての方がメイのイメージは強いかもしれません。自分で言うのもあれですけど147cmのちっさい身体で男性にも負ける気がしないscreamしてます天使色です。
まずはメイのこと、話します。小さい時から女の子が"かわいい"と思う物には興味がありませんでした。周りの子がアイドルグループを聴いていた頃、メイはヘヴィメタルバンドを、周りの子が月9と言われているドラマにハマっている頃は深夜アニメを。キラキラしたかわいいお洋服より、真っ黒なお洋服を好んで着ていました。好きなものは十字架、天使や悪魔、神話、アニメ、ゲーム、シルバーアクセサリー。そしてハードな音楽。メイはまさに中学2年生の時、"中二病"にかかりました。指に十字架や六芒星を油性ペンで書き、『神に認められたものだけが現れる魔の刻印』と自分で称し、消えてはまた書き直すというのを繰り返してました。一度、柄にもなく真夏の外界に飛び出した時、目が真っ赤になり、身体にはドラゴンのような赤い模様がでたことがありました。メイはそれを"とてもかっこいい、私は吸血鬼かもしれない"と思い込みました。ただの強い紫外線アレルギーでした......そこから、陽の光を浴びるのを極端に避け、アニメにゲーム、音楽から脱却できない引きこもり生活がはじまります。
このままいくと大好きなアニメやゲームの話で終わってしまいそうなので割愛。メイは両親の影響で小さい頃からヘヴィメタルやロックを聴いて育ち、歌うこと、ギターを触ることがとても好きでした。学生の頃はバンドを組み、ギターボーカルをしたり。話が前後しますがたくさんの愛に恵まれ育ったはずなのですが、昔から極端に寂しがり屋です。そして何をしてもどんな時も気持ちが満たされたことがありませんでした。"幸せ"そう感じたことも覚えている限りありません。何故なのかわかりませんが人の顔色を窺う癖があります。人の顔色を見ては自分の意思を殺し、発言、行動していました。なので一人になった瞬間「私のことは誰もわからない、知らない」途端に寂しさが襲ってきます。当たり前です。だって自分で自分のこと殺してます。伝わらないのなんて当たり前なんです。その空いた寂しさを、埋めてくれていたものの一つが音楽です。メイが寂しい時音楽を必要とするように、メイも誰かに必要とされる人になりたかった。
2018年2月3日にゆくえしれずつれづれに加入しました。メイがはじめて全力を注ぎ生きたグループです。はじめてのステージ、はじめてのシャウト、はじめての全国ツアー。ステージ上から見えるたくさんの拳、歓声。ここで、今まで生きてきて感じたことのない、自分の中の感情が満たされる感覚を、"幸せ"と思う感覚を、LIVEで感じてしまいました。これがメイがステージから降りられなくなった理由です。ゆくえしれずつれづれは2021年1月2日をもって解散しました。寂しい時、気合い入れたい時、今でもよく聴きます。いつ聴いてもかっこよくて、こっちが必要とするとちゃんとそこにいるんです。まだ生きているんです。また音楽が手放せなくなりました。
そんなメイは今、自分の人生を懸けて"ぜんぶ君のせいだ。"で歌い踊り、叫び、生きてます。私たちが全力でLIVEをして、患いさんが応えてくれる。患いさんが応えてくれたことに、私たちはまた一つ大きなステージに立ちそれに応える。愛しているメンバーがいて、ぜんぶ君のせいだ。のLIVEを求め生きている患いさんがいる。生きてきた境遇の違う大勢の人たちがぜんぶ君のせいだ。のLIVEで、一つになる。その時間は日々生きていて抱えている嫌なことも全て忘れて、一緒に拳を掲げ、一緒に笑い泣く。その感覚が忘れられなくて、その光景が見たくて、それだからメイは音楽が好きで、ステージに立ち続けるんです。メイはこの先もぜんぶ君のせいだ。で全身全霊のLIVEを患いさんに捧げます。
あれだけたくさん愛していたゆくえしれずつれづれが解散したにも関わらず、それでもステージに残りたいと強く冀い、今ぜんぶ君のせいだ。で生きている私は、タイトルにもどりますが、異常でしょうか。? 正常でしょうか。? 「異常こそ正常だ。」
こんばんは、ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」Skream!コラムやって参りました。今宵(?)はぜんぶ君のせいだ。メイユイメイが担当します。歌い踊っていますが、きっとscreamerとしての方がメイのイメージは強いかもしれません。自分で言うのもあれですけど147cmのちっさい身体で男性にも負ける気がしないscreamしてます天使色です。
まずはメイのこと、話します。小さい時から女の子が"かわいい"と思う物には興味がありませんでした。周りの子がアイドルグループを聴いていた頃、メイはヘヴィメタルバンドを、周りの子が月9と言われているドラマにハマっている頃は深夜アニメを。キラキラしたかわいいお洋服より、真っ黒なお洋服を好んで着ていました。好きなものは十字架、天使や悪魔、神話、アニメ、ゲーム、シルバーアクセサリー。そしてハードな音楽。メイはまさに中学2年生の時、"中二病"にかかりました。指に十字架や六芒星を油性ペンで書き、『神に認められたものだけが現れる魔の刻印』と自分で称し、消えてはまた書き直すというのを繰り返してました。一度、柄にもなく真夏の外界に飛び出した時、目が真っ赤になり、身体にはドラゴンのような赤い模様がでたことがありました。メイはそれを"とてもかっこいい、私は吸血鬼かもしれない"と思い込みました。ただの強い紫外線アレルギーでした......そこから、陽の光を浴びるのを極端に避け、アニメにゲーム、音楽から脱却できない引きこもり生活がはじまります。
このままいくと大好きなアニメやゲームの話で終わってしまいそうなので割愛。メイは両親の影響で小さい頃からヘヴィメタルやロックを聴いて育ち、歌うこと、ギターを触ることがとても好きでした。学生の頃はバンドを組み、ギターボーカルをしたり。話が前後しますがたくさんの愛に恵まれ育ったはずなのですが、昔から極端に寂しがり屋です。そして何をしてもどんな時も気持ちが満たされたことがありませんでした。"幸せ"そう感じたことも覚えている限りありません。何故なのかわかりませんが人の顔色を窺う癖があります。人の顔色を見ては自分の意思を殺し、発言、行動していました。なので一人になった瞬間「私のことは誰もわからない、知らない」途端に寂しさが襲ってきます。当たり前です。だって自分で自分のこと殺してます。伝わらないのなんて当たり前なんです。その空いた寂しさを、埋めてくれていたものの一つが音楽です。メイが寂しい時音楽を必要とするように、メイも誰かに必要とされる人になりたかった。
2018年2月3日にゆくえしれずつれづれに加入しました。メイがはじめて全力を注ぎ生きたグループです。はじめてのステージ、はじめてのシャウト、はじめての全国ツアー。ステージ上から見えるたくさんの拳、歓声。ここで、今まで生きてきて感じたことのない、自分の中の感情が満たされる感覚を、"幸せ"と思う感覚を、LIVEで感じてしまいました。これがメイがステージから降りられなくなった理由です。ゆくえしれずつれづれは2021年1月2日をもって解散しました。寂しい時、気合い入れたい時、今でもよく聴きます。いつ聴いてもかっこよくて、こっちが必要とするとちゃんとそこにいるんです。まだ生きているんです。また音楽が手放せなくなりました。
そんなメイは今、自分の人生を懸けて"ぜんぶ君のせいだ。"で歌い踊り、叫び、生きてます。私たちが全力でLIVEをして、患いさんが応えてくれる。患いさんが応えてくれたことに、私たちはまた一つ大きなステージに立ちそれに応える。愛しているメンバーがいて、ぜんぶ君のせいだ。のLIVEを求め生きている患いさんがいる。生きてきた境遇の違う大勢の人たちがぜんぶ君のせいだ。のLIVEで、一つになる。その時間は日々生きていて抱えている嫌なことも全て忘れて、一緒に拳を掲げ、一緒に笑い泣く。その感覚が忘れられなくて、その光景が見たくて、それだからメイは音楽が好きで、ステージに立ち続けるんです。メイはこの先もぜんぶ君のせいだ。で全身全霊のLIVEを患いさんに捧げます。
あれだけたくさん愛していたゆくえしれずつれづれが解散したにも関わらず、それでもステージに残りたいと強く冀い、今ぜんぶ君のせいだ。で生きている私は、タイトルにもどりますが、異常でしょうか。? 正常でしょうか。? 「異常こそ正常だ。」
【WEB】#中川大志#がダークヒーローに、クリスマスをともに過ごした飯塚健と「#FUNNY BUNNY#」語る
クリスマスに2人で牛タンを食べたんです(飯塚)
──中川さんのカメオ出演を含めると、お二方がタッグを組むのは今作で6回目になります。俳優・監督として信頼し合っている証拠だと思うのですが、どのようにして今の関係が築かれたのでしょうか?
中川大志 最初はドラマの「REPLAY & DESTROY」(2015年放送)ですよね? ゲストで出演させてもらって。
飯塚健 それが出会いですね。オーディションに大志が来たときは16歳くらいだったんですけど、そのときはたぶんすげえ怖い人だと思われてました。
中川 (笑)。オーディションで初めて監督と会って、山田孝之さんといった先輩たちがいる現場に参加させていただくことになりました。短い時間だったんですが、監督と話しながらの撮影が楽しかったのは今でもよく覚えてます。
──その後、中川さんは「全員、片想い」「虹色デイズ」など飯塚監督の映画に出演します。監督は中川さんのどんなところに魅力を?
飯塚 合う部分と合わない部分がちょうどいいんです。まったく合わなくても合いすぎても発展していかないと思うので。大志は昔から「こうしたいです」という意見を伝えてくれるし、僕としても言いなりになってくれる人は求めてなくて自分の発想を持っている人が好きだから、俳優と監督として健全に仕事ができると言いますか。そのキャッチボールをずっと続けていたら自然と今の関係性になっていました。
中川 僕は監督の頭の中に興味があるんです。もちろん役や作品をこういうものにしたいという思いを持って撮影に臨みますが、自分の脳みそでは到底思い付かないことが起きるので、それがすごく楽しくて。思いもよらないところに連れて行ってもらえる感覚を毎作品楽しみにしています。
飯塚 あと、「ステップ」を撮る前に「そろそろ飯行こう」と話したことがあったんですが、大志が提案してきた日程がクリスマスだったんですよ。なんでクリスマスなんだ?と思いつつ、結局25日に2人で牛タンを食べたんです(笑)。映像化は決まってませんでしたが、そのときに「FUNNY BUNNY」の話もしました。
中川 それより前に監督から小説はいただいていて。いつか形にしたいですね、という話はちょこちょこしていました。
ユーモアでバランスを取っていて、バランスが崩れたら立てなくなる(中川)
──先ほど監督から中川さんは自分の意見を伝えてくれるという話がありましたが、今作ではどんな考えを持って撮影に臨んだんですか?
中川 数年前に小説を読み、剣持聡というキャラクターに出会ってから長い時間が経過していたので、自分の中に剣持像ができあがっていました。自分が演じるかどうかは関係なく、映像化したら剣持はこういう人であってほしいという思いが強くあって。
──それはどんな人物像でしょう?
中川 ダークヒーローという言葉がすごくハマると思っています。ユーモアがあって、何事にも動じず、いつも物事を楽しんでいる男なんですが、なぜそういう人間になったのかを考えると、過去に経験した出来事によって生まれた闇があるからだと感じました。ユーモアによってバランスを取っていて、そのバランスが崩れてしまったらたぶん立てなくなってしまうんです。小説では描かれていない家庭環境にも想像を巡らせて役を作っていきました。ヒーローの面で言うと、何事にも命を懸けて向き合えるのはかっこいいと思いましたし、男としても憧れました。
──飯塚監督から中川さんに「そこはちょっと違う」と言うことはなかったですか?
飯塚 剣持に関しては、ほとんど預けてます。自分が過去に書いたものに縛られるのが嫌だったので、決めすぎたくないという思いもありました。細かい説明はしないまま撮影に入ったんですが、原作や脚本を相当読み込んでいましたね。それは(岡山)天音も。
中川 自分で作っていったものを本読みやリハーサルのときに試したんですが、監督から「剣持ってそういう人なんだね。OK」と言われたことがあって。長い時間を掛けて自分の中にできた剣持像を監督が受け止めてくれた瞬間でした。
自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じた(中川)
──映画の終盤には、あるキャラクターの「人生にはいくつもの衝撃が訪れる」というセリフがあります。ゆうたろうさん演じる田所や田中俊介さん演じる藤井といった故人が出てくることからも、身近な人の死が1つのテーマになっていると感じました。
飯塚 死生観で言うと、僕は早くに親を亡くしているんです。余命がわかっている状態で亡くなることもあれば、交通事故などでこの世を去ってしまうこともあって、どちらも悲しいし、人は突然いなくなってしまうものだと思います。そのときにどういう向き合い方をすれば、いずれは前を向いて生きていけるようになるのかは考えていました。人が生きていく中で、もっともしんどいことが誰かの死と向き合うことだと思うんです。
──なるほど。中川さんも死というテーマは頭にありましたか?
中川 自分の身近な人が死んだとき、憶測でものを言っている人たちがいて、ショックを受けたり嫌な思いをしたことがありました。生きている人は好き勝手に言えるんだなと。それがすごく悔しくて、自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じました。
「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状(飯塚)
──新型コロナウイルスの感染拡大によって、より一層配信で映画を楽しむ機会は増えましたが、劇場公開と同日に配信される作品は多くはありません。映画を配信で観ることについて、お二方はどうお考えですか?
飯塚 基本、映画は映画館で観るべきものです。ただ映画は劇場公開しないといけないもの、というわけじゃない時代が来たと思います。数年前はポン・ジュノ監督の「Okja/オクジャ」のように、「配信前提に作られた映画は映画なのか?」といった謎の議論がありましたが。
中川 去年は音楽のライブも配信が多かったじゃないですか。でもアーティストが実際に自分の前にいて、会場で体感することからは間違いなくパワーをもらえると思うんです。それは映画も同じだと思っていて。若い方たちは特に映画を配信で観ることが多いかもしれませんが、劇場に行って“入り込む感覚”は味わってほしいです。一方で、1人でも多くの方に観てもらうことが役者としては一番うれしいので、配信という選択肢が増えるのはうれしいですね。
飯塚 映画を配信で観ることが当たり前の方たちがいるなら、作り手としてそれは無視できない。それに行きたくても映画館に行けない人はいるだろうし、「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状がある。映画館で観てもらうために作ってはいますが、選択肢はいくつかあってもいいじゃないかと、柔軟でありたい。あと、昔はホームシアターってお金を持っている人じゃないと手が出せなかったと思うんですが、今はサウンドバー1つでそれなりのサラウンド感を出せて、テレビもずいぶん大きくなった。家が劣悪な環境だとは言えなくなってきている。配信でも楽しんでもらいつつ、映画館で一緒に観た人とあれこれ話したり、好きな人を映画デートに誘ったりする文化もなくなってほしくないです。
https://t.cn/A6cODg5r
クリスマスに2人で牛タンを食べたんです(飯塚)
──中川さんのカメオ出演を含めると、お二方がタッグを組むのは今作で6回目になります。俳優・監督として信頼し合っている証拠だと思うのですが、どのようにして今の関係が築かれたのでしょうか?
中川大志 最初はドラマの「REPLAY & DESTROY」(2015年放送)ですよね? ゲストで出演させてもらって。
飯塚健 それが出会いですね。オーディションに大志が来たときは16歳くらいだったんですけど、そのときはたぶんすげえ怖い人だと思われてました。
中川 (笑)。オーディションで初めて監督と会って、山田孝之さんといった先輩たちがいる現場に参加させていただくことになりました。短い時間だったんですが、監督と話しながらの撮影が楽しかったのは今でもよく覚えてます。
──その後、中川さんは「全員、片想い」「虹色デイズ」など飯塚監督の映画に出演します。監督は中川さんのどんなところに魅力を?
飯塚 合う部分と合わない部分がちょうどいいんです。まったく合わなくても合いすぎても発展していかないと思うので。大志は昔から「こうしたいです」という意見を伝えてくれるし、僕としても言いなりになってくれる人は求めてなくて自分の発想を持っている人が好きだから、俳優と監督として健全に仕事ができると言いますか。そのキャッチボールをずっと続けていたら自然と今の関係性になっていました。
中川 僕は監督の頭の中に興味があるんです。もちろん役や作品をこういうものにしたいという思いを持って撮影に臨みますが、自分の脳みそでは到底思い付かないことが起きるので、それがすごく楽しくて。思いもよらないところに連れて行ってもらえる感覚を毎作品楽しみにしています。
飯塚 あと、「ステップ」を撮る前に「そろそろ飯行こう」と話したことがあったんですが、大志が提案してきた日程がクリスマスだったんですよ。なんでクリスマスなんだ?と思いつつ、結局25日に2人で牛タンを食べたんです(笑)。映像化は決まってませんでしたが、そのときに「FUNNY BUNNY」の話もしました。
中川 それより前に監督から小説はいただいていて。いつか形にしたいですね、という話はちょこちょこしていました。
ユーモアでバランスを取っていて、バランスが崩れたら立てなくなる(中川)
──先ほど監督から中川さんは自分の意見を伝えてくれるという話がありましたが、今作ではどんな考えを持って撮影に臨んだんですか?
中川 数年前に小説を読み、剣持聡というキャラクターに出会ってから長い時間が経過していたので、自分の中に剣持像ができあがっていました。自分が演じるかどうかは関係なく、映像化したら剣持はこういう人であってほしいという思いが強くあって。
──それはどんな人物像でしょう?
中川 ダークヒーローという言葉がすごくハマると思っています。ユーモアがあって、何事にも動じず、いつも物事を楽しんでいる男なんですが、なぜそういう人間になったのかを考えると、過去に経験した出来事によって生まれた闇があるからだと感じました。ユーモアによってバランスを取っていて、そのバランスが崩れてしまったらたぶん立てなくなってしまうんです。小説では描かれていない家庭環境にも想像を巡らせて役を作っていきました。ヒーローの面で言うと、何事にも命を懸けて向き合えるのはかっこいいと思いましたし、男としても憧れました。
──飯塚監督から中川さんに「そこはちょっと違う」と言うことはなかったですか?
飯塚 剣持に関しては、ほとんど預けてます。自分が過去に書いたものに縛られるのが嫌だったので、決めすぎたくないという思いもありました。細かい説明はしないまま撮影に入ったんですが、原作や脚本を相当読み込んでいましたね。それは(岡山)天音も。
中川 自分で作っていったものを本読みやリハーサルのときに試したんですが、監督から「剣持ってそういう人なんだね。OK」と言われたことがあって。長い時間を掛けて自分の中にできた剣持像を監督が受け止めてくれた瞬間でした。
自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じた(中川)
──映画の終盤には、あるキャラクターの「人生にはいくつもの衝撃が訪れる」というセリフがあります。ゆうたろうさん演じる田所や田中俊介さん演じる藤井といった故人が出てくることからも、身近な人の死が1つのテーマになっていると感じました。
飯塚 死生観で言うと、僕は早くに親を亡くしているんです。余命がわかっている状態で亡くなることもあれば、交通事故などでこの世を去ってしまうこともあって、どちらも悲しいし、人は突然いなくなってしまうものだと思います。そのときにどういう向き合い方をすれば、いずれは前を向いて生きていけるようになるのかは考えていました。人が生きていく中で、もっともしんどいことが誰かの死と向き合うことだと思うんです。
──なるほど。中川さんも死というテーマは頭にありましたか?
中川 自分の身近な人が死んだとき、憶測でものを言っている人たちがいて、ショックを受けたり嫌な思いをしたことがありました。生きている人は好き勝手に言えるんだなと。それがすごく悔しくて、自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じました。
「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状(飯塚)
──新型コロナウイルスの感染拡大によって、より一層配信で映画を楽しむ機会は増えましたが、劇場公開と同日に配信される作品は多くはありません。映画を配信で観ることについて、お二方はどうお考えですか?
飯塚 基本、映画は映画館で観るべきものです。ただ映画は劇場公開しないといけないもの、というわけじゃない時代が来たと思います。数年前はポン・ジュノ監督の「Okja/オクジャ」のように、「配信前提に作られた映画は映画なのか?」といった謎の議論がありましたが。
中川 去年は音楽のライブも配信が多かったじゃないですか。でもアーティストが実際に自分の前にいて、会場で体感することからは間違いなくパワーをもらえると思うんです。それは映画も同じだと思っていて。若い方たちは特に映画を配信で観ることが多いかもしれませんが、劇場に行って“入り込む感覚”は味わってほしいです。一方で、1人でも多くの方に観てもらうことが役者としては一番うれしいので、配信という選択肢が増えるのはうれしいですね。
飯塚 映画を配信で観ることが当たり前の方たちがいるなら、作り手としてそれは無視できない。それに行きたくても映画館に行けない人はいるだろうし、「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状がある。映画館で観てもらうために作ってはいますが、選択肢はいくつかあってもいいじゃないかと、柔軟でありたい。あと、昔はホームシアターってお金を持っている人じゃないと手が出せなかったと思うんですが、今はサウンドバー1つでそれなりのサラウンド感を出せて、テレビもずいぶん大きくなった。家が劣悪な環境だとは言えなくなってきている。配信でも楽しんでもらいつつ、映画館で一緒に観た人とあれこれ話したり、好きな人を映画デートに誘ったりする文化もなくなってほしくないです。
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