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上辈生文的
「 六念 」 念佛,
与第十八愿的
「 称名 」 念佛,
有何不同?
修净业三福者,
迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生
佛灭后六道凡夫,
「 心想羸弱,
未得天眼,
不能远观 」,
又凡夫纵欲观严净佛土,
因心多浊乱,
神识飞扬,
不能息虑凝心,
观就难成,
故释尊指方立相,
别指西方,
使我等娑婆众生能够住想西方,
并仗佛慈力,
往生净土!
凡夫虽然不能修定善观行
( 修心 ),
但释尊
《 观经 》
却告韦提希夫人及未来世凡夫,
欲求生净土者,
也可修散善三福 --
世福、
戒福、
行福等善法
( 修身 )
为正因,
将所修的净业功德,
迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生。
善导大师释云 :
「 第一福 :
即是世俗善根。
曾来未闻佛法,
但自行孝养、仁、义、礼、智、信,
故名世俗善也。
第二福者 :
此名戒善。
就此戒中,
即有人、天、声闻、菩萨等戒。
其中或有具受不具受,
或有具持不具持,
但能迴向,
尽得往生。
续云 :
「 第三福者 :
名为行善。
此是发大乘心凡夫,
自能行行,
兼劝有缘,
捨恶持心,
迴生净土。」
可知这些凭自力修持福善之机,
或闻与不闻佛法,
或具持不具持,
但至紧要至心迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生净土。
为甚么修业三福的人要迴愿,
才可往生?
此因净业三福是三世诸佛凭自力修福而成佛的正因,
而不是凭他力念佛而往生的正因,
由于因果不相应,
欲修三福求生净土者,
必须普皆迴向,
愿生彼国,
方可得生!
善导大师称之为净土法门的
「 要门 」。
为甚么修三福迴愿往生的人少,
往生大业未能成就呢?
很多欲修三福求生净土者理解净土法门的
「 迴向发愿心 」,
以为与一般大乘菩萨教的
「 迴向 」 差不多,
以致得生净土者少之又少。
迴向发愿心是
《 观经 》
所指的
「 三心 」 --
至诚心、
深心、
迴向发愿心之一。
善导大师释言 :
「 迴向发愿心者 :
过去及以今生,
身口意业,
所修世出世善根;
及随喜他一切凡圣,
身口意业,
所修世出世善根;
以此自他所修善根,
悉皆真实深信心中,
迴向愿生彼国,
故名迴向发愿心也。」
由此可见,
自力修持福善之机的往生正因,
不在于其人的佛法善根,
或修持功行。
事实上,
纵使能具持五戒十善等,
凭此戒福及世福等,
只能做人生天,
尚在三界,
六道轮过,
怎能凭人天福善,
得生净佛国土呢?
欲修三福求生净土者的往生正因,
实是在于
「 一心迴愿 」,
即捨己归佛,
捨自力修持而凭佛力摄取,
所谓
「 迴所修业,
向所去处 」!
迴捨自力修持的诸行功德,
心向佛力施予的名号功德,
亦即
「 万行不凭凭念佛 」,
所谓
「 一心迴愿 」 者,
一心专念弥陀佛名,
一心愿生弥陀净土。
或问 :
《 观经 》
上辈生文教
「 六念法 」 的
「 念佛 」,
虽是自力修持的净业三福等诸行之一,
但也有佛力施予的名号功德,
理应亦可往生。
就往生而言,
上辈生文的
「 六念法 」 的
念佛与第十八愿的念佛,
有何不同?
修行六念中,
前三念是 「 念他 」,
后三念是 「 念自 」
《 观经 》
上辈生文言 :
復有三种众生,
当得往生。
何等为三?
一者,
慈心不杀,
具诸戒行。
二者,
读诵大乘方等经典。
三者,
修行六念。
迴向发愿,
愿生彼国。
欲修此
「 六念法 」,
念佛求往生者必须迴向发愿;
第十八 「 念佛往生 」
愿指定的 「 称名念佛 」,
是不用迴向的。
善导大师释言 :
明「 修行六念 」者 :
所谓念佛、法、僧,
念戒、捨、天等。
此亦通合上第三福大乘之意义也。
言「 念佛 」者,
即专念阿弥陀佛口业功德、
身业功德、
意业功德;
一切诸佛亦如是。
又一心专念诸佛所证之
「 法 」;
并诸眷属菩萨
「 僧 」。
又言 :
六念中之前三念是他,
后三念是自。
善导大师续释 :
前三念是念他,
念佛、法、僧,
其中念佛,
是专念阿弥陀佛的三业功德,
同时亦念一切诸佛的三业功德。
后三念是念自,
即自我反省。
反省甚么呢?
善导大师续释 :
又念诸佛之
「 戒 」;
及念过去诸佛、
现在菩萨等,
难作能作,
难捨能捨,
内捨外捨,
内外捨。
此等菩萨,
但欲念法,
不惜身财。
行者等既念知此事,
即须常作仰学前贤后圣
「 捨 」 身命意也。
又念 「 天 」 者,
即是最后身十地之菩萨。
他人早已觉,
尽捨身命,
行道进位,
但自己还未醒,
恼障多,
福慧微
修净业三福的上辈生者,
应深切反思 :
佛已三业清净,
自己仍在持戒;
佛菩萨已捨法无量,
包括身、命、意等,
自己仍在学捨;
佛菩萨已住第一义天,
即最后身十地之菩萨所住的天,
亦即第一义谛、
妙境界相、
无为涅槃的极乐报土,
自己仍在求生三界诸天或净天。
对比之下,
修六念者应意识到 :
今时的佛菩萨是自己过去世的同修,
大家曾同发愿断恶,
捨命行菩萨道,
他们已因圆果熟入圣道,
所谓
「 此等难行之行已过,
三祇之劫已超,
万德之行已成,
灌顶之位已证 」,
而我呢?
善导大师续言 :
然我等凡夫,
乃至今日,
虚然流浪,
烦恼恶障,
转转增多,
福慧微微;
若对重昏之临明镜也。
忽思忖此事,
不胜心惊悲嘆者哉!
读到这句话真是不寒而慄,
当头棒喝!
原来以前的同修们早已尽捨身命,
行道进位,
证果取觉,
如今还来秽土,
度脱自己;
但自己还在梦中,
愈修愈糟,
福慧微微,
出离三界,
遥遥无期,
不禁自惭形秽,
稀嘘不已,
羞愧难容。
自力修持福善者,
因堪受善法不同,
所修持的三福善业时节,
有延、
促之异,
故此其往生的品位有九品之别。
至于乘第十八愿往生者,
同一念佛,
乘佛愿力,
仗佛功德,
皆是弥陀正觉净华化生,
超越品辈等分别想而得生。
「 六念 」 念佛,
与第十八愿的
「 称名 」 念佛,
有何不同?
修净业三福者,
迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生
佛灭后六道凡夫,
「 心想羸弱,
未得天眼,
不能远观 」,
又凡夫纵欲观严净佛土,
因心多浊乱,
神识飞扬,
不能息虑凝心,
观就难成,
故释尊指方立相,
别指西方,
使我等娑婆众生能够住想西方,
并仗佛慈力,
往生净土!
凡夫虽然不能修定善观行
( 修心 ),
但释尊
《 观经 》
却告韦提希夫人及未来世凡夫,
欲求生净土者,
也可修散善三福 --
世福、
戒福、
行福等善法
( 修身 )
为正因,
将所修的净业功德,
迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生。
善导大师释云 :
「 第一福 :
即是世俗善根。
曾来未闻佛法,
但自行孝养、仁、义、礼、智、信,
故名世俗善也。
第二福者 :
此名戒善。
就此戒中,
即有人、天、声闻、菩萨等戒。
其中或有具受不具受,
或有具持不具持,
但能迴向,
尽得往生。
续云 :
「 第三福者 :
名为行善。
此是发大乘心凡夫,
自能行行,
兼劝有缘,
捨恶持心,
迴生净土。」
可知这些凭自力修持福善之机,
或闻与不闻佛法,
或具持不具持,
但至紧要至心迴向发愿,
愿生彼国,
亦可得生净土。
为甚么修业三福的人要迴愿,
才可往生?
此因净业三福是三世诸佛凭自力修福而成佛的正因,
而不是凭他力念佛而往生的正因,
由于因果不相应,
欲修三福求生净土者,
必须普皆迴向,
愿生彼国,
方可得生!
善导大师称之为净土法门的
「 要门 」。
为甚么修三福迴愿往生的人少,
往生大业未能成就呢?
很多欲修三福求生净土者理解净土法门的
「 迴向发愿心 」,
以为与一般大乘菩萨教的
「 迴向 」 差不多,
以致得生净土者少之又少。
迴向发愿心是
《 观经 》
所指的
「 三心 」 --
至诚心、
深心、
迴向发愿心之一。
善导大师释言 :
「 迴向发愿心者 :
过去及以今生,
身口意业,
所修世出世善根;
及随喜他一切凡圣,
身口意业,
所修世出世善根;
以此自他所修善根,
悉皆真实深信心中,
迴向愿生彼国,
故名迴向发愿心也。」
由此可见,
自力修持福善之机的往生正因,
不在于其人的佛法善根,
或修持功行。
事实上,
纵使能具持五戒十善等,
凭此戒福及世福等,
只能做人生天,
尚在三界,
六道轮过,
怎能凭人天福善,
得生净佛国土呢?
欲修三福求生净土者的往生正因,
实是在于
「 一心迴愿 」,
即捨己归佛,
捨自力修持而凭佛力摄取,
所谓
「 迴所修业,
向所去处 」!
迴捨自力修持的诸行功德,
心向佛力施予的名号功德,
亦即
「 万行不凭凭念佛 」,
所谓
「 一心迴愿 」 者,
一心专念弥陀佛名,
一心愿生弥陀净土。
或问 :
《 观经 》
上辈生文教
「 六念法 」 的
「 念佛 」,
虽是自力修持的净业三福等诸行之一,
但也有佛力施予的名号功德,
理应亦可往生。
就往生而言,
上辈生文的
「 六念法 」 的
念佛与第十八愿的念佛,
有何不同?
修行六念中,
前三念是 「 念他 」,
后三念是 「 念自 」
《 观经 》
上辈生文言 :
復有三种众生,
当得往生。
何等为三?
一者,
慈心不杀,
具诸戒行。
二者,
读诵大乘方等经典。
三者,
修行六念。
迴向发愿,
愿生彼国。
欲修此
「 六念法 」,
念佛求往生者必须迴向发愿;
第十八 「 念佛往生 」
愿指定的 「 称名念佛 」,
是不用迴向的。
善导大师释言 :
明「 修行六念 」者 :
所谓念佛、法、僧,
念戒、捨、天等。
此亦通合上第三福大乘之意义也。
言「 念佛 」者,
即专念阿弥陀佛口业功德、
身业功德、
意业功德;
一切诸佛亦如是。
又一心专念诸佛所证之
「 法 」;
并诸眷属菩萨
「 僧 」。
又言 :
六念中之前三念是他,
后三念是自。
善导大师续释 :
前三念是念他,
念佛、法、僧,
其中念佛,
是专念阿弥陀佛的三业功德,
同时亦念一切诸佛的三业功德。
后三念是念自,
即自我反省。
反省甚么呢?
善导大师续释 :
又念诸佛之
「 戒 」;
及念过去诸佛、
现在菩萨等,
难作能作,
难捨能捨,
内捨外捨,
内外捨。
此等菩萨,
但欲念法,
不惜身财。
行者等既念知此事,
即须常作仰学前贤后圣
「 捨 」 身命意也。
又念 「 天 」 者,
即是最后身十地之菩萨。
他人早已觉,
尽捨身命,
行道进位,
但自己还未醒,
恼障多,
福慧微
修净业三福的上辈生者,
应深切反思 :
佛已三业清净,
自己仍在持戒;
佛菩萨已捨法无量,
包括身、命、意等,
自己仍在学捨;
佛菩萨已住第一义天,
即最后身十地之菩萨所住的天,
亦即第一义谛、
妙境界相、
无为涅槃的极乐报土,
自己仍在求生三界诸天或净天。
对比之下,
修六念者应意识到 :
今时的佛菩萨是自己过去世的同修,
大家曾同发愿断恶,
捨命行菩萨道,
他们已因圆果熟入圣道,
所谓
「 此等难行之行已过,
三祇之劫已超,
万德之行已成,
灌顶之位已证 」,
而我呢?
善导大师续言 :
然我等凡夫,
乃至今日,
虚然流浪,
烦恼恶障,
转转增多,
福慧微微;
若对重昏之临明镜也。
忽思忖此事,
不胜心惊悲嘆者哉!
读到这句话真是不寒而慄,
当头棒喝!
原来以前的同修们早已尽捨身命,
行道进位,
证果取觉,
如今还来秽土,
度脱自己;
但自己还在梦中,
愈修愈糟,
福慧微微,
出离三界,
遥遥无期,
不禁自惭形秽,
稀嘘不已,
羞愧难容。
自力修持福善者,
因堪受善法不同,
所修持的三福善业时节,
有延、
促之异,
故此其往生的品位有九品之别。
至于乘第十八愿往生者,
同一念佛,
乘佛愿力,
仗佛功德,
皆是弥陀正觉净华化生,
超越品辈等分别想而得生。
【原文】Vogue Japan #安室奈美惠[超话]#
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
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