妈妈的味道
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
【房·车博览会:相伴十三载 踏歌共未来】
又是一年相约时。9月8日,第五届中国(宁夏)国际车展暨第十四届中国西部(银川)房·车博览会在银川吾悦广场正式启幕。时光荏苒,中国西部(银川)房·车博览会已经陪我们走过了十三载。对很多人来说,一年一度的房·车博览会已成为记忆中的难忘时刻。
实际上,从2009年首届中国西部(银川)房·车生活文化节举办,到第五届房·车节经自治区人民政府批准,中国西部(银川)房·车生活文化节更名为中国西部(银川)房·车博览会,再到2021年第十三届中国西部(银川)房·车博览会的如期举行,每年的房·车博览会都如同刻画宁夏经济社会发展的年轮,深藏在时光的皱褶里,始终坚守如初,记录着宁夏经济社会发展的印迹,讲述着百姓生活的变迁故事。
走过十三载,中国西部(银川)房·车博览会给我们的生活带来了什么?我们犹记得,2009年,当首届中国西部房·车生活文化节开幕时,曾一票难求。从那时起,房·车博览会通过房与车为媒介,向更多人展现出崭新的生活模式,形成新的展会品牌——
2009年,以“展示魅力 引导消费 弘扬文化 繁荣经济”为主题的房·车节首次开办,即创下宁夏展会多个纪录,当年,共有35家汽车商携42大类品牌汽车、45家房地产开发商携70个精品楼盘参展。组委会成功引进天津市保税区国际汽车城30辆进口品牌汽车来宁参展,其中价值1200万元的迈巴赫轿车首次亮相银川。2010年,中国西部(银川)房·车节晋升西北第一车展,创纪录实现166家企业参展。2011年,随着第三届中国西部(银川)房·车模特大赛暨首届网络模特大赛、第三届中国西部(银川)房·车节美术、书法、摄影大赛和首届宁夏大中专院校流行音乐节的举办,文化风吹进房·车博览会。以“房·车让生活更美好”为主题的房·车节带给人们更加美好的生活感受。
此后,每一届的房·车博览会,都不断丰富人们的视觉盛宴——
2018年,中国西部(银川)房·车博览会努力从消费型展会向引导型展会转变,从混合型展会向专业型展会转变,在综合服务、文化内涵、整体宣传、安全保障等方面得到提升。总展示活动面积比2017年增加了9000平方米,为历年车展之最。14个汽车品牌的新能源车集中登场,100余辆房车和300余名全国车友应邀参展。除银川主会场之外,博览会还在石嘴山、吴忠、固原、中卫四市设立房·车博览会分会场。
2019年,博览会聚集了区内外的70家汽车厂商、经销商及54个汽车品牌携414辆整车和8辆房车集中展示;展会期间成功举办了宁夏首届国际新能源汽车高峰论坛、“我和我的祖国”千人快闪、汽车摇滚音乐节、名家书画无底价拍卖等活动,为博览会增添了丰富的文化内涵。
2020年,房·车博览会遭遇世纪疫情考验。在自治区应对新冠病毒感染肺炎疫情工作指挥部、自治区商务厅、自治区住房和城乡建设厅的支持下,博览会紧紧围绕统筹疫情防控和经济社会发展,聚焦“六稳”“六保”,突出“促销费”和“惠民生”两大主题,充分发挥会展经济的集聚效应和带动功能,激发消费活力,努力探索疫情防控常态化下的办展新路。博览会除了汽车的集中展示和交易外,还设置了宁夏非遗购物节,与宁夏最闪亮的“紫色名片”葡萄酒同场亮相。
2021年,以“智行、智居、智生活”为主题的房·车博览会将自治区促进消费升级的决策部署和会展经济深度融合,作为“2021宁夏消费促消月主题活动”的重头戏,率先登场绽放,这是疫情防控常态化后加快重启消费市场、促进“内循环”、落实自治区政府相关政策的重要举措。博览会为我区2021年消费市场按下“加速键”,注入“强心剂”,为区域经济复苏与市场提振起到积极推动作用。博览会聚集了区内外40家汽车厂商、经销商及60个汽车品牌,我区五市住建部门和12家房企现场进行政策解读和品牌展示,总展出面积超过2.5万平方米。据不完全统计,本届博览会共有6万名来自我区和周边省区的观众踊跃观展,日均观展人数达8500余人次;现场销售汽车1338辆,汽车销售实现交易额22594.24万元,比上届增加1.2亿元,同比增长113%。房展区累计意向购房832套。
房·车展是一个时代的窗口,从窗口看到社会的云卷云舒,包括百姓生活、消费能力、经济发展、社会进步。房·车展更是一个舞台,展示魅力,引导消费,弘扬文化,繁荣经济。据了解,今年的房·车博览会将携手40余家汽车品牌的200余款畅销车型;10家房地产品牌带来的楼盘项目20余个,用最具匠心的设计向人们展示企业最先进的建筑理念。48家车商携品牌车参展,宁夏汽车大世界、宁夏润之星、宁夏风神汽车、宁夏金岛汽车、宁夏京胜汽车等纷纷为消费者准备了新款车型及特惠车促销活动。宁夏房地产市场企业“大咖”悉数亮相,万科地产、民生地产、吉泰地产、新光耀集团、西夏苑地产、金宇地产、白云地产、众一地产、正丰地产、绿悦乐民置业等实力雄厚的房地产公司纷纷参展。除此之外,中秋帐篷音乐节、中秋国风盛典、非遗文化集市、中秋美食直播节等好玩有趣的节日活动同时在展会亮相,将带给您购车、置业、吃喝玩乐最大的优惠福利。
房·车博览会与你相约,与我们携手向未来。(宁夏日报记者 杨娟)
又是一年相约时。9月8日,第五届中国(宁夏)国际车展暨第十四届中国西部(银川)房·车博览会在银川吾悦广场正式启幕。时光荏苒,中国西部(银川)房·车博览会已经陪我们走过了十三载。对很多人来说,一年一度的房·车博览会已成为记忆中的难忘时刻。
实际上,从2009年首届中国西部(银川)房·车生活文化节举办,到第五届房·车节经自治区人民政府批准,中国西部(银川)房·车生活文化节更名为中国西部(银川)房·车博览会,再到2021年第十三届中国西部(银川)房·车博览会的如期举行,每年的房·车博览会都如同刻画宁夏经济社会发展的年轮,深藏在时光的皱褶里,始终坚守如初,记录着宁夏经济社会发展的印迹,讲述着百姓生活的变迁故事。
走过十三载,中国西部(银川)房·车博览会给我们的生活带来了什么?我们犹记得,2009年,当首届中国西部房·车生活文化节开幕时,曾一票难求。从那时起,房·车博览会通过房与车为媒介,向更多人展现出崭新的生活模式,形成新的展会品牌——
2009年,以“展示魅力 引导消费 弘扬文化 繁荣经济”为主题的房·车节首次开办,即创下宁夏展会多个纪录,当年,共有35家汽车商携42大类品牌汽车、45家房地产开发商携70个精品楼盘参展。组委会成功引进天津市保税区国际汽车城30辆进口品牌汽车来宁参展,其中价值1200万元的迈巴赫轿车首次亮相银川。2010年,中国西部(银川)房·车节晋升西北第一车展,创纪录实现166家企业参展。2011年,随着第三届中国西部(银川)房·车模特大赛暨首届网络模特大赛、第三届中国西部(银川)房·车节美术、书法、摄影大赛和首届宁夏大中专院校流行音乐节的举办,文化风吹进房·车博览会。以“房·车让生活更美好”为主题的房·车节带给人们更加美好的生活感受。
此后,每一届的房·车博览会,都不断丰富人们的视觉盛宴——
2018年,中国西部(银川)房·车博览会努力从消费型展会向引导型展会转变,从混合型展会向专业型展会转变,在综合服务、文化内涵、整体宣传、安全保障等方面得到提升。总展示活动面积比2017年增加了9000平方米,为历年车展之最。14个汽车品牌的新能源车集中登场,100余辆房车和300余名全国车友应邀参展。除银川主会场之外,博览会还在石嘴山、吴忠、固原、中卫四市设立房·车博览会分会场。
2019年,博览会聚集了区内外的70家汽车厂商、经销商及54个汽车品牌携414辆整车和8辆房车集中展示;展会期间成功举办了宁夏首届国际新能源汽车高峰论坛、“我和我的祖国”千人快闪、汽车摇滚音乐节、名家书画无底价拍卖等活动,为博览会增添了丰富的文化内涵。
2020年,房·车博览会遭遇世纪疫情考验。在自治区应对新冠病毒感染肺炎疫情工作指挥部、自治区商务厅、自治区住房和城乡建设厅的支持下,博览会紧紧围绕统筹疫情防控和经济社会发展,聚焦“六稳”“六保”,突出“促销费”和“惠民生”两大主题,充分发挥会展经济的集聚效应和带动功能,激发消费活力,努力探索疫情防控常态化下的办展新路。博览会除了汽车的集中展示和交易外,还设置了宁夏非遗购物节,与宁夏最闪亮的“紫色名片”葡萄酒同场亮相。
2021年,以“智行、智居、智生活”为主题的房·车博览会将自治区促进消费升级的决策部署和会展经济深度融合,作为“2021宁夏消费促消月主题活动”的重头戏,率先登场绽放,这是疫情防控常态化后加快重启消费市场、促进“内循环”、落实自治区政府相关政策的重要举措。博览会为我区2021年消费市场按下“加速键”,注入“强心剂”,为区域经济复苏与市场提振起到积极推动作用。博览会聚集了区内外40家汽车厂商、经销商及60个汽车品牌,我区五市住建部门和12家房企现场进行政策解读和品牌展示,总展出面积超过2.5万平方米。据不完全统计,本届博览会共有6万名来自我区和周边省区的观众踊跃观展,日均观展人数达8500余人次;现场销售汽车1338辆,汽车销售实现交易额22594.24万元,比上届增加1.2亿元,同比增长113%。房展区累计意向购房832套。
房·车展是一个时代的窗口,从窗口看到社会的云卷云舒,包括百姓生活、消费能力、经济发展、社会进步。房·车展更是一个舞台,展示魅力,引导消费,弘扬文化,繁荣经济。据了解,今年的房·车博览会将携手40余家汽车品牌的200余款畅销车型;10家房地产品牌带来的楼盘项目20余个,用最具匠心的设计向人们展示企业最先进的建筑理念。48家车商携品牌车参展,宁夏汽车大世界、宁夏润之星、宁夏风神汽车、宁夏金岛汽车、宁夏京胜汽车等纷纷为消费者准备了新款车型及特惠车促销活动。宁夏房地产市场企业“大咖”悉数亮相,万科地产、民生地产、吉泰地产、新光耀集团、西夏苑地产、金宇地产、白云地产、众一地产、正丰地产、绿悦乐民置业等实力雄厚的房地产公司纷纷参展。除此之外,中秋帐篷音乐节、中秋国风盛典、非遗文化集市、中秋美食直播节等好玩有趣的节日活动同时在展会亮相,将带给您购车、置业、吃喝玩乐最大的优惠福利。
房·车博览会与你相约,与我们携手向未来。(宁夏日报记者 杨娟)
道长,我想入道!先读完这篇道教派别基础知识!#民俗文化#
道教主要分两派,正一派和全真派。
正一派道士一般居家修行,可娶妻成家立业、茹荤、饮酒;正一派道士主要以符籙斋醮、祈福禳灾、降邪驱鬼、超度追荐为主要宗教活动。“正一”寓意“正以治邪,一以统万”、“真一不二”。
全真派道士要求出家住观修行,不娶妻,不茹荤,不饮酒,以“三教圆通”、“识心见性”、“独全其真”为宗旨,故名“全真”;其修炼主旨是清静无为,去情去欲,修心炼性,养气炼丹,含耻忍辱为内修“真功”,以传道济世度人为外修“真行”,功行两全,证圣成真,谓之“全真”。
皈依道教一般指皈依全真派或正一派,皈依后称道教居士、信士,可住观也可居家修行,可娶妻成家立业、茹荤、饮酒。
想当道士,无论全真和正一,皈依是第一步。皈依以后是道教的居士,也就是信徒,但绝对不是道士!有很多人问皈依啥意思,看下面一段话你就知道了:
皈依就是皈从、依靠。
第一皈身,皈依太上无极大道。永脱轮回,故曰道宝。
第二皈神,皈依三十六部尊经。得闻正法,故曰经宝。
第三皈命,皈依玄中大法师。不落邪见,故曰师宝。
接着,正一和全真从皈依以后,区别也就逐渐显现出来了。我们先说正一。
正一在皈依之后,想要更近一步成为道士,就要传度。祖师设教传度,必有传度之秘。龙虎山嗣汉天师府传度牒文上明确写道:“凡属修士,应就祖师名下传度,用以弘道宣化,济世利人,皈依行持。”可见传度之重要。传度更是自古以来就作为正一派弟子正式入道修行的标志。传度之后,方赐三山滴血法名,经文,法器。
传度说完了,我们再来说授箓。
道教授受法箓,自太上以降、祖天师创教以来,即成道教之传统。授箓之后,才可被称为法师,才真正在上界有了一席之地,才可以兵将护卫,登坛行法。未经授箓的传度弟子,只能借师父之名行法,前提是师父要授箓过。
道教授箓是特有的宗法传承体系。一是箓为道士应持之典和行法的凭证,授过箓之后,才有神职道位,才能召唤箓上神兵将吏护法显灵;二是道士羽化后,即可凭箓位功德登仙,颁以仙职,免除冥府地狱之苦。
其意义:
一是法天地、敬祖宗;
二是明师承、皈三宝;
三是受戒律,发誓愿;
四是颁法职、宣教化。
授箓法坛又有箓坛三大师和护坛六大师,分别是箓坛三大师:传度大师、监度大师、保举大师。护坛六大师:护法大师、护经大师、护箓大师、护戒大师、护坛大师、护道大师。
现在天师府所传法箓大概有如下几个品级:
1、初授《太上三五都功经箓》,为正六品、七品衔。
2、升授《正一盟威经箓》,为正四品、五品衔。
3、加授《上清五雷经箓》,为正三品衔。
4、加升《上清三洞五雷经箓》,为正二品衔。
5、晋升《上清大洞经箓》,为正一品衔。
并且规定升授和加授者,须凭道功德行依阶升加,按传统规定,每三年可晋升一级,若无功德不得升迁,但功德超群者,或对社会有特殊贡献者,可破格升授。妄欲升迁,反遭天谴。
下面摘录的这一段文章,能够充分说明授箓的重要性:
《三洞修道仪》说:”授正一籙後,方可以為人章醮“。因为只有得受法箓,才能名登天曹,才有道位神职。有了道位神职的道士其斋醮中的章词,才能奏达天庭,才能得到神灵护佑,反之斋醮章词无效。所以凡主持斋醮的道士,必先求授法箓以正道位。
《正一文科戒品》对箓的作用解释说:“总统天地一切神鬼,诛伏邪魔,斩灭妖精,征灵召气,制御山川,涤荡气秽,章奏传驿,达通神仙,莫先乎正一。”因为受箓之后,箓牒中拨付受箓者有护身将帅,协助受箓者在主持斋醮时,斩妖除邪,拔度生灵,救济因厄。未经受箓受职,就无权遣神役鬼。
正一说完了,我们说全真。
想成为一个真正的全真道士,冠巾是一定要经历的。全真道士初入道观,称为“道童”。道童先须在庙内出力苦行,培养功行,又称“行行”(读xínghéng)。冠巾拜师之后,方可成为正式道士。
“冠巾”是全真道出家道人正式成为道人的仪式。这种仪式只在子孙庙举行。很多子孙庙都遵循着一条规矩:新出家者在庙行三年苦行,没有过失,才给“冠巾”正式有自己的度师。没有“冠巾”没有正式度师。行行期对庙中老道士们皆以“师父”称之。
冠巾又称“小受戒”。行冠巾礼,高功为冠巾师。度师即恩师,是亲师父。梳发挽智者称拢发师。引导行礼者称:引进师或引礼师。
接着,全真派修道之阶次是以传受戒律为标志的,道教全真派认为受得戒律才是合格的出家道士,学道不持戒,无缘登仙界。
道教授受戒律,源远流长。自太上降授科仪,即成道教之传统。魏晋以后,道教戒律十分丰富,如《三皈戒》、《五戒》、《十戒》、《老君八十一戒》等,要求奉道者必须持戒、守戒。
金元全真派成立,邱祖遂根据道教已有的戒律,订立了道教全真传戒仪范。清顺治年间(1644—1662年),王常月祖师又创立全真丛林,在北京白云观开坛传戒。他承袭全真派戒法科仪,讲说《初真戒》、《中极戒》、《天仙大戒》,合称“三坛大戒”。
传戒由十方丛林的方丈负责,称为“传戒律师”,又谓传戒本师,因十方丛林的方丈专门负责开坛演戒,解说戒律,传授戒法,故有此称。《道藏辑要·初真戒律序》云:“律者,正也,所以正不正也。
即如乐有律以节气候之不齐,出师有律以禁止武之不整也。”《初真戒·三师原说》称:“传戒本师乃太上继宗演教,接化大德之师。不受天仙戒者,不得传戒。”故律师的选择非常严格,必须是受过三坛大戒,戒行精严,德高望重的方丈荣任此职。律师之下,还设有证盟师、监戒师、保举师、纠仪师、提科师、登箓师、引请师、纠察师、道值师等,协助律师传戒。 https://t.cn/Rcdt451
道教主要分两派,正一派和全真派。
正一派道士一般居家修行,可娶妻成家立业、茹荤、饮酒;正一派道士主要以符籙斋醮、祈福禳灾、降邪驱鬼、超度追荐为主要宗教活动。“正一”寓意“正以治邪,一以统万”、“真一不二”。
全真派道士要求出家住观修行,不娶妻,不茹荤,不饮酒,以“三教圆通”、“识心见性”、“独全其真”为宗旨,故名“全真”;其修炼主旨是清静无为,去情去欲,修心炼性,养气炼丹,含耻忍辱为内修“真功”,以传道济世度人为外修“真行”,功行两全,证圣成真,谓之“全真”。
皈依道教一般指皈依全真派或正一派,皈依后称道教居士、信士,可住观也可居家修行,可娶妻成家立业、茹荤、饮酒。
想当道士,无论全真和正一,皈依是第一步。皈依以后是道教的居士,也就是信徒,但绝对不是道士!有很多人问皈依啥意思,看下面一段话你就知道了:
皈依就是皈从、依靠。
第一皈身,皈依太上无极大道。永脱轮回,故曰道宝。
第二皈神,皈依三十六部尊经。得闻正法,故曰经宝。
第三皈命,皈依玄中大法师。不落邪见,故曰师宝。
接着,正一和全真从皈依以后,区别也就逐渐显现出来了。我们先说正一。
正一在皈依之后,想要更近一步成为道士,就要传度。祖师设教传度,必有传度之秘。龙虎山嗣汉天师府传度牒文上明确写道:“凡属修士,应就祖师名下传度,用以弘道宣化,济世利人,皈依行持。”可见传度之重要。传度更是自古以来就作为正一派弟子正式入道修行的标志。传度之后,方赐三山滴血法名,经文,法器。
传度说完了,我们再来说授箓。
道教授受法箓,自太上以降、祖天师创教以来,即成道教之传统。授箓之后,才可被称为法师,才真正在上界有了一席之地,才可以兵将护卫,登坛行法。未经授箓的传度弟子,只能借师父之名行法,前提是师父要授箓过。
道教授箓是特有的宗法传承体系。一是箓为道士应持之典和行法的凭证,授过箓之后,才有神职道位,才能召唤箓上神兵将吏护法显灵;二是道士羽化后,即可凭箓位功德登仙,颁以仙职,免除冥府地狱之苦。
其意义:
一是法天地、敬祖宗;
二是明师承、皈三宝;
三是受戒律,发誓愿;
四是颁法职、宣教化。
授箓法坛又有箓坛三大师和护坛六大师,分别是箓坛三大师:传度大师、监度大师、保举大师。护坛六大师:护法大师、护经大师、护箓大师、护戒大师、护坛大师、护道大师。
现在天师府所传法箓大概有如下几个品级:
1、初授《太上三五都功经箓》,为正六品、七品衔。
2、升授《正一盟威经箓》,为正四品、五品衔。
3、加授《上清五雷经箓》,为正三品衔。
4、加升《上清三洞五雷经箓》,为正二品衔。
5、晋升《上清大洞经箓》,为正一品衔。
并且规定升授和加授者,须凭道功德行依阶升加,按传统规定,每三年可晋升一级,若无功德不得升迁,但功德超群者,或对社会有特殊贡献者,可破格升授。妄欲升迁,反遭天谴。
下面摘录的这一段文章,能够充分说明授箓的重要性:
《三洞修道仪》说:”授正一籙後,方可以為人章醮“。因为只有得受法箓,才能名登天曹,才有道位神职。有了道位神职的道士其斋醮中的章词,才能奏达天庭,才能得到神灵护佑,反之斋醮章词无效。所以凡主持斋醮的道士,必先求授法箓以正道位。
《正一文科戒品》对箓的作用解释说:“总统天地一切神鬼,诛伏邪魔,斩灭妖精,征灵召气,制御山川,涤荡气秽,章奏传驿,达通神仙,莫先乎正一。”因为受箓之后,箓牒中拨付受箓者有护身将帅,协助受箓者在主持斋醮时,斩妖除邪,拔度生灵,救济因厄。未经受箓受职,就无权遣神役鬼。
正一说完了,我们说全真。
想成为一个真正的全真道士,冠巾是一定要经历的。全真道士初入道观,称为“道童”。道童先须在庙内出力苦行,培养功行,又称“行行”(读xínghéng)。冠巾拜师之后,方可成为正式道士。
“冠巾”是全真道出家道人正式成为道人的仪式。这种仪式只在子孙庙举行。很多子孙庙都遵循着一条规矩:新出家者在庙行三年苦行,没有过失,才给“冠巾”正式有自己的度师。没有“冠巾”没有正式度师。行行期对庙中老道士们皆以“师父”称之。
冠巾又称“小受戒”。行冠巾礼,高功为冠巾师。度师即恩师,是亲师父。梳发挽智者称拢发师。引导行礼者称:引进师或引礼师。
接着,全真派修道之阶次是以传受戒律为标志的,道教全真派认为受得戒律才是合格的出家道士,学道不持戒,无缘登仙界。
道教授受戒律,源远流长。自太上降授科仪,即成道教之传统。魏晋以后,道教戒律十分丰富,如《三皈戒》、《五戒》、《十戒》、《老君八十一戒》等,要求奉道者必须持戒、守戒。
金元全真派成立,邱祖遂根据道教已有的戒律,订立了道教全真传戒仪范。清顺治年间(1644—1662年),王常月祖师又创立全真丛林,在北京白云观开坛传戒。他承袭全真派戒法科仪,讲说《初真戒》、《中极戒》、《天仙大戒》,合称“三坛大戒”。
传戒由十方丛林的方丈负责,称为“传戒律师”,又谓传戒本师,因十方丛林的方丈专门负责开坛演戒,解说戒律,传授戒法,故有此称。《道藏辑要·初真戒律序》云:“律者,正也,所以正不正也。
即如乐有律以节气候之不齐,出师有律以禁止武之不整也。”《初真戒·三师原说》称:“传戒本师乃太上继宗演教,接化大德之师。不受天仙戒者,不得传戒。”故律师的选择非常严格,必须是受过三坛大戒,戒行精严,德高望重的方丈荣任此职。律师之下,还设有证盟师、监戒师、保举师、纠仪师、提科师、登箓师、引请师、纠察师、道值师等,协助律师传戒。 https://t.cn/Rcdt451
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