【blog】2022.09.03
ドードーの落下日誌(前編)
稽古中の日誌です。
観に行くか迷っている人や、劇のことをもっと知りたい人の助けになればと、日誌を書いてみました。
劇の内容に触れている箇所などあります。
「ドードーが落下する」を観に行く予定の方で、まだ読みたくない、読まずに観たいという方がいたらまだ読まないでくださいね。
稽古初日
本読み。
反省しかない。
加藤さんの言葉で「理解し合えない二人が友達でいれるのか」という言葉が印象に残る。
それから、信也(僕)が夏目(平原テツ)をどう受け取っていくかが大事と言われる。おそらくこの劇で最も大切なのがそれで、僕はそれが丁寧にできていなかった。
稽古終、取材。この劇について聞かれ、まだぼんやりしている中で答える。加藤さんがこの劇を立ち上げるということがどういうことか、信也がその瞬間や過去のことをどう見つめていたか、そういうことが全部つながっている。信也の心にはあの頃のことが刻まれている。忘れられない。忘れたくない。そんな劇を立ち上げたい。
稽古二日目
座組のみんながリラックスしていて本読みも昨日よりは良い感じ。加藤さんの、脚本や役柄の説明が入りながら全員で認識のすり合わせをして、ひたすら本読みをする。帰りの電車、加藤さんと二人きり。俺喋りっぱなし。浮かれてるなあ。
鶏肉を焼く。映画ムーンライトシャドウを見ながら眠る。
稽古三日目
加藤さんが「ドードーが落下する」について話してくれる時間がめっちゃ楽しいと気づく。何より本人が一番楽しそう。でも思えば劇団た組の公演の時、加藤さんはいつも楽しそうだ。緊張感もあるけど。三日目だけどとても疲労している。どうしてだろう。この脚本の持つ魔力、ポテンシャルを読めば読むほど感じる。ラストシーンについて少しだけヒントをもらう。この感覚懐かしい。加藤さんがくれるわずかなヒントを手繰り寄せて、深淵に辿り着きたい。
生姜焼きを作る。
稽古四日目
稽古場の待合室でする雑談が幸せ。初めて劇団た組に出演した時の稽古場に比べると目に見えて美しく贅沢な稽古場。でもあの頃の稽古場も少し恋しい。今日から立ち稽古が始まる。疲労はするけど楽しい。ドードーが落下するが立ち上がる。落下しながら立ち上がる。夏目さんの台詞を聞きながら思うことがある。この戯曲を読んだ人たちは、それぞれの夏目さんを語る。「引きずられる」「負の感情」そんな色々な言葉も聞いた。僕は劇中にも登場するようなその言葉を聞きながら信也の気持ちを想像する。周囲の人が夏目さんを語った時、彼は何を思っていたんだろう。理解し合えない人たちは友人でいられるのか。僕はこの劇で答えを追ってみたい。
頭の中でずっと台詞が聞こえて深夜まで眠れない。
稽古5日目
昼、あんかけ焼きそばを作る。
稽古場に向かう。Wikipediaでドードーを検索する。
のろますぎて絶滅した動物と出てくる。
人類によって絶滅した動物。
ポルトガル語でのろま。
アメリカ英語でdodoは滅びてしまった存在の代名詞。
警戒心が薄く人間が近づいても逃げないため素手で捕まえられたそう。
空を飛べない。
ドードーが落下する。
それは、捕まえられるのかな。
帰り道、訳もわからず寂しい。みんなとご飯に行きたい。信也についてアドバイスをくれた求一郎の言葉。
「信也、難しいよね。
寄り添い切るわけでもなく、
突き放し切るでもなく、
笑い物にし切るわけでもなく」
この劇の稽古に入ってから、一人の時間が耐え難く寂しい。
稽古6日目
書き忘れる。カルボナーラを作る。
稽古7日目
けっこうガッツリ稽古をして疲れる。加藤さんの脚本は台詞のニュアンスが曖昧なところへ向かうほど面白い。何度も体験している演出なのに劇団た組に参加する頃にはいつもそれを忘れている。つい一つの感情で台詞を表現しがちになってしまう。その度にこの場所に引き戻してもらってる。破壊と再生。
帰りの車内、古田新太さんのインタビューを読む。喫煙や飲酒によるコミュニケーションが減ったと。それが良い悪いの話ではなく、良い悪いの中間地点の話、つまり余白が大事だと。その余白を良くないからと切り捨てるのはどうかと。なるほど。
そう考えるとこの稽古場には、稽古場の外に休憩スペースのソファやらがあって、そこで皆が雑談できるのがありがたい。これは余白か。でもやっぱりまだ発言しづらい人もいるんだろうな。僕はそういうことを忘れがち。共演者の声を聞きたい。稽古終わりのご飯があればいいのに。きっとこの芝居は座組のコミュニケーションが深まるほど、良くなる、気がする。かぼちゃの煮物つくる。
稽古8日目
けっこう夏目さんの台詞が俺に侵食してくるなあ。
「ちょっと死にます」と電話をかけたくなる夏目の気持ちを想像してしまう。世界とのズレね。埋まらない孤独ね。どうして自分はこんなに孤独なんだろう?という純粋な疑問が襲ってくる夜ね。信也を演じながらずっと夏目さんの台詞聞いてるからなあ。
そっかあ。そう考えると、こんなとき夏目が電話をかけられるのは信也なのか。
肉豆腐つくる。夜、台詞にうなされて眠れない。明け方、クエンティンタランティーノに太極拳を教える夢を見る。
稽古9日目
帰りの電車。加藤さんと秋元と求一郎と。この電車の時間もいいよなあ。昨日、一昨日と一人で帰ってみて、やっぱり一緒に帰りたいなと。
今日は「ドードーが落下する」のあらすじを。
たくさんの人に見て欲しいな。
9月21日が初日なんだけど、その日はちょうど9年前に僕がオフィス作のオーディションを受けた日。松田美由紀さんと出会った日。僕にとっては忘れられない日なんだけど、その日に10年目の初日を迎えられることが嬉しい。
かぼちゃ煮物の残りでクリームパスタつくる。
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」
イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。
稽古10日目。書き忘れる。
湖で泳ぐ夢を見る。湖の底に落ちているビーサンを潜って取ろうとするけど取れない。
稽古11日目。書き忘れる。
体力の限界まで稽古をして、翌日は稽古やすみ。
稽古12日目。
台本を開くのが辛い。劇団た組の稽古をしていると確かにこの時間を通過する。膨大な台詞の反復と稽古場での台詞忘れを繰り返し続けていると、やがて夢に出てきてうなされるようになる。電車の中で台本を握りしめるけれどページを開くことが出来ない。
いよいよラストシーンの稽古が始まった。テツさんに圧倒されて台詞が出てこなくなる。悔しいし情けない。今まで演じた役の中で最も複雑な演技を求められている気がする。難しい。明日は頑張ろうという言葉すら出てこない。稽古場で諦めにも近い感情になったのは初めてのこと。稽古はいつもより早く17時半に終わる。
横浜駅まで歩いて帰ろうとしたら何人かがついてきてくれる。駅まで喋りながら帰る。楽しかった。みんなドードーがとにかく面白いと言っていて、それぞれの物語を語り合う。求一郎が通りがかった公園でいきなり鉄棒をし始める。誰も触れない。誰も観ていないところでポケットからスマホが落ちて画面が割れたらしい。
夜眠れないだろうなと思っていたらやっぱり全然眠れない。映画をかけてみたら最後まで観てしまう。毎日みんなと一緒にいるのに孤独を感じる。物語の持つ力せいか、演劇の持つ力のせいか。これまでもこんなに苦しかった?思い出せない。ただ、加藤拓也が書く物語の魔力、のようなものは確実に増していると思う。
稽古13日目。
細かい演出とシーンの反復が始まる。何度も何度も繰り返して細かい台詞のニュアンスや空白を詰めていく。20時近くまでみっちり稽古。加藤さんには珍しく長い時間稽古をしている。楽しくて時間が過ぎるのが早い。最後はみんながハイになって笑いが止まらなくなって、終了。
帰りの電車で加藤さんと話す。ラストに向かっていくヒントをもらう。少しずつ。
今週末に予定している通し稽古で何が見えるか。
夜はプリズムの放送。余韻を引きずりながら布団に入る。明日も稽古頑張ろう。
稽古14日目
後半の通し稽古。演じていてたまらなくなる。どうしようもない。楽しくて苦しい。
そのあと休憩を入れて返し稽古をするも疲れで全く台詞が出てこなくなる。
自分の体力のなさにショック。
今は夜中の3時。頭がハイになって眠れない日々が続く。演劇ってこんなに大変だったか?明日やれるのか自分。笑うしかない。
稽古15日目
今日から9月が始まった。
少し朦朧とした頭のまま、全力で返し稽古。
後半のシーンを繰り返し詰めていく。まだまだやることは沢山あるなあ。それでも少しずつ物語や関係性の輪郭が見えてきた気がする。輪郭が見えたらあとは中身を詰めていくだけ。
共演者とのコミュニケーションが深まってきた気がする。山脇辰哉がインスタで劇のことを書いていて嬉しくなる。みんなそれぞれドードーに対する思いがあるんだな。そう考えると、演じる底力が沸いてくる。
明日は初の全編、通し稽古。スタッフさんが来てくれるらしい。がんばろう。
稽古16日目
映画も見ない。本も読まない。ご飯も作らない。
芝居のことだけ考えて、だんだん無欲になっていく自分がいる。稽古終わり、加藤さんに連れられて足ツボマッサージに行く。足ツボを押されながら、そういえば新しい靴が欲しいなあとか、明日は日用品を買わなきゃとか、色んなことを思い出していく。
今日の通し稽古は大失敗だった。言われたことできてないし、早口だし、力んでるし。でも、まあ、失敗しておいて良かった。とにかく身も心もリラックスしてフラットな状態で挑む大切さを知ることが出来た。おやすみ。
https://t.cn/A6SA0w14
https://t.cn/A6S0b0dr
ドードーの落下日誌(前編)
稽古中の日誌です。
観に行くか迷っている人や、劇のことをもっと知りたい人の助けになればと、日誌を書いてみました。
劇の内容に触れている箇所などあります。
「ドードーが落下する」を観に行く予定の方で、まだ読みたくない、読まずに観たいという方がいたらまだ読まないでくださいね。
稽古初日
本読み。
反省しかない。
加藤さんの言葉で「理解し合えない二人が友達でいれるのか」という言葉が印象に残る。
それから、信也(僕)が夏目(平原テツ)をどう受け取っていくかが大事と言われる。おそらくこの劇で最も大切なのがそれで、僕はそれが丁寧にできていなかった。
稽古終、取材。この劇について聞かれ、まだぼんやりしている中で答える。加藤さんがこの劇を立ち上げるということがどういうことか、信也がその瞬間や過去のことをどう見つめていたか、そういうことが全部つながっている。信也の心にはあの頃のことが刻まれている。忘れられない。忘れたくない。そんな劇を立ち上げたい。
稽古二日目
座組のみんながリラックスしていて本読みも昨日よりは良い感じ。加藤さんの、脚本や役柄の説明が入りながら全員で認識のすり合わせをして、ひたすら本読みをする。帰りの電車、加藤さんと二人きり。俺喋りっぱなし。浮かれてるなあ。
鶏肉を焼く。映画ムーンライトシャドウを見ながら眠る。
稽古三日目
加藤さんが「ドードーが落下する」について話してくれる時間がめっちゃ楽しいと気づく。何より本人が一番楽しそう。でも思えば劇団た組の公演の時、加藤さんはいつも楽しそうだ。緊張感もあるけど。三日目だけどとても疲労している。どうしてだろう。この脚本の持つ魔力、ポテンシャルを読めば読むほど感じる。ラストシーンについて少しだけヒントをもらう。この感覚懐かしい。加藤さんがくれるわずかなヒントを手繰り寄せて、深淵に辿り着きたい。
生姜焼きを作る。
稽古四日目
稽古場の待合室でする雑談が幸せ。初めて劇団た組に出演した時の稽古場に比べると目に見えて美しく贅沢な稽古場。でもあの頃の稽古場も少し恋しい。今日から立ち稽古が始まる。疲労はするけど楽しい。ドードーが落下するが立ち上がる。落下しながら立ち上がる。夏目さんの台詞を聞きながら思うことがある。この戯曲を読んだ人たちは、それぞれの夏目さんを語る。「引きずられる」「負の感情」そんな色々な言葉も聞いた。僕は劇中にも登場するようなその言葉を聞きながら信也の気持ちを想像する。周囲の人が夏目さんを語った時、彼は何を思っていたんだろう。理解し合えない人たちは友人でいられるのか。僕はこの劇で答えを追ってみたい。
頭の中でずっと台詞が聞こえて深夜まで眠れない。
稽古5日目
昼、あんかけ焼きそばを作る。
稽古場に向かう。Wikipediaでドードーを検索する。
のろますぎて絶滅した動物と出てくる。
人類によって絶滅した動物。
ポルトガル語でのろま。
アメリカ英語でdodoは滅びてしまった存在の代名詞。
警戒心が薄く人間が近づいても逃げないため素手で捕まえられたそう。
空を飛べない。
ドードーが落下する。
それは、捕まえられるのかな。
帰り道、訳もわからず寂しい。みんなとご飯に行きたい。信也についてアドバイスをくれた求一郎の言葉。
「信也、難しいよね。
寄り添い切るわけでもなく、
突き放し切るでもなく、
笑い物にし切るわけでもなく」
この劇の稽古に入ってから、一人の時間が耐え難く寂しい。
稽古6日目
書き忘れる。カルボナーラを作る。
稽古7日目
けっこうガッツリ稽古をして疲れる。加藤さんの脚本は台詞のニュアンスが曖昧なところへ向かうほど面白い。何度も体験している演出なのに劇団た組に参加する頃にはいつもそれを忘れている。つい一つの感情で台詞を表現しがちになってしまう。その度にこの場所に引き戻してもらってる。破壊と再生。
帰りの車内、古田新太さんのインタビューを読む。喫煙や飲酒によるコミュニケーションが減ったと。それが良い悪いの話ではなく、良い悪いの中間地点の話、つまり余白が大事だと。その余白を良くないからと切り捨てるのはどうかと。なるほど。
そう考えるとこの稽古場には、稽古場の外に休憩スペースのソファやらがあって、そこで皆が雑談できるのがありがたい。これは余白か。でもやっぱりまだ発言しづらい人もいるんだろうな。僕はそういうことを忘れがち。共演者の声を聞きたい。稽古終わりのご飯があればいいのに。きっとこの芝居は座組のコミュニケーションが深まるほど、良くなる、気がする。かぼちゃの煮物つくる。
稽古8日目
けっこう夏目さんの台詞が俺に侵食してくるなあ。
「ちょっと死にます」と電話をかけたくなる夏目の気持ちを想像してしまう。世界とのズレね。埋まらない孤独ね。どうして自分はこんなに孤独なんだろう?という純粋な疑問が襲ってくる夜ね。信也を演じながらずっと夏目さんの台詞聞いてるからなあ。
そっかあ。そう考えると、こんなとき夏目が電話をかけられるのは信也なのか。
肉豆腐つくる。夜、台詞にうなされて眠れない。明け方、クエンティンタランティーノに太極拳を教える夢を見る。
稽古9日目
帰りの電車。加藤さんと秋元と求一郎と。この電車の時間もいいよなあ。昨日、一昨日と一人で帰ってみて、やっぱり一緒に帰りたいなと。
今日は「ドードーが落下する」のあらすじを。
たくさんの人に見て欲しいな。
9月21日が初日なんだけど、その日はちょうど9年前に僕がオフィス作のオーディションを受けた日。松田美由紀さんと出会った日。僕にとっては忘れられない日なんだけど、その日に10年目の初日を迎えられることが嬉しい。
かぼちゃ煮物の残りでクリームパスタつくる。
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」
イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。
稽古10日目。書き忘れる。
湖で泳ぐ夢を見る。湖の底に落ちているビーサンを潜って取ろうとするけど取れない。
稽古11日目。書き忘れる。
体力の限界まで稽古をして、翌日は稽古やすみ。
稽古12日目。
台本を開くのが辛い。劇団た組の稽古をしていると確かにこの時間を通過する。膨大な台詞の反復と稽古場での台詞忘れを繰り返し続けていると、やがて夢に出てきてうなされるようになる。電車の中で台本を握りしめるけれどページを開くことが出来ない。
いよいよラストシーンの稽古が始まった。テツさんに圧倒されて台詞が出てこなくなる。悔しいし情けない。今まで演じた役の中で最も複雑な演技を求められている気がする。難しい。明日は頑張ろうという言葉すら出てこない。稽古場で諦めにも近い感情になったのは初めてのこと。稽古はいつもより早く17時半に終わる。
横浜駅まで歩いて帰ろうとしたら何人かがついてきてくれる。駅まで喋りながら帰る。楽しかった。みんなドードーがとにかく面白いと言っていて、それぞれの物語を語り合う。求一郎が通りがかった公園でいきなり鉄棒をし始める。誰も触れない。誰も観ていないところでポケットからスマホが落ちて画面が割れたらしい。
夜眠れないだろうなと思っていたらやっぱり全然眠れない。映画をかけてみたら最後まで観てしまう。毎日みんなと一緒にいるのに孤独を感じる。物語の持つ力せいか、演劇の持つ力のせいか。これまでもこんなに苦しかった?思い出せない。ただ、加藤拓也が書く物語の魔力、のようなものは確実に増していると思う。
稽古13日目。
細かい演出とシーンの反復が始まる。何度も何度も繰り返して細かい台詞のニュアンスや空白を詰めていく。20時近くまでみっちり稽古。加藤さんには珍しく長い時間稽古をしている。楽しくて時間が過ぎるのが早い。最後はみんながハイになって笑いが止まらなくなって、終了。
帰りの電車で加藤さんと話す。ラストに向かっていくヒントをもらう。少しずつ。
今週末に予定している通し稽古で何が見えるか。
夜はプリズムの放送。余韻を引きずりながら布団に入る。明日も稽古頑張ろう。
稽古14日目
後半の通し稽古。演じていてたまらなくなる。どうしようもない。楽しくて苦しい。
そのあと休憩を入れて返し稽古をするも疲れで全く台詞が出てこなくなる。
自分の体力のなさにショック。
今は夜中の3時。頭がハイになって眠れない日々が続く。演劇ってこんなに大変だったか?明日やれるのか自分。笑うしかない。
稽古15日目
今日から9月が始まった。
少し朦朧とした頭のまま、全力で返し稽古。
後半のシーンを繰り返し詰めていく。まだまだやることは沢山あるなあ。それでも少しずつ物語や関係性の輪郭が見えてきた気がする。輪郭が見えたらあとは中身を詰めていくだけ。
共演者とのコミュニケーションが深まってきた気がする。山脇辰哉がインスタで劇のことを書いていて嬉しくなる。みんなそれぞれドードーに対する思いがあるんだな。そう考えると、演じる底力が沸いてくる。
明日は初の全編、通し稽古。スタッフさんが来てくれるらしい。がんばろう。
稽古16日目
映画も見ない。本も読まない。ご飯も作らない。
芝居のことだけ考えて、だんだん無欲になっていく自分がいる。稽古終わり、加藤さんに連れられて足ツボマッサージに行く。足ツボを押されながら、そういえば新しい靴が欲しいなあとか、明日は日用品を買わなきゃとか、色んなことを思い出していく。
今日の通し稽古は大失敗だった。言われたことできてないし、早口だし、力んでるし。でも、まあ、失敗しておいて良かった。とにかく身も心もリラックスしてフラットな状態で挑む大切さを知ることが出来た。おやすみ。
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高考601分女生家中遇害,起底51岁凶手身份:亲戚能坏到什么程度
今天这篇文章,为一个18岁女孩而写。
也为我们每个人而写。
01
她叫小月,前几天刚刚查到自己的高考成绩:601分。
在河南125万考生中,她能取得这样的成绩,在她的家乡洛阳市八陡山村,已经属于“祖坟冒烟”的程度。
一家几代是农民,父母常年在外打工,只为供养他和哥哥读书。
大山里的孩子,熬过了无数苦难与黑夜,经过千万次泥泞的山路,她挺过了愚昧、饥寒、孤独和贫穷,终于要迎来新的人生。
可命运,却在此时和她开了一个玩笑。
7月1日,她独自在家填志愿。
她填下了自己的第一志愿,河南省名列前茅的大学:郑州大学。
就在这时一个恶魔突然闯入,将她骗走。
等到她再次出现在母亲面前时,身上盖着白布,头上有窟窿,已经成为了一具冰冷的尸体。
“18岁”,“高考601分”,这两个哪个不是美好的未来。
如今伴随着小月的死亡,所有的希望支离破碎。
她到底做错了什么?为何要遭受这般苦难?
更令人意外的是,这一切居然还是熟人所为!
02
几天前,小月的哥哥写下了一封声嘶力竭的求助信:
当日母亲出门办事,吾妹一人在家填报志愿。恶霸将吾妹骗走后,拖入废气窑洞残忍杀害。
母亲归来时发现异样,四处寻找。
待找到时,吾妹已经尸骨寒凉,死不瞑目。
每一个字都在泣血。
也为我们揭开了小月遇害的细节。
凶手是她同村家族的亲戚,名叫冯某民。
冯某民51岁,如果按辈分小月应该喊他伯伯。不能说很亲密,但绝对是无冤无仇。
村民对冯某民的印象是没结婚、穷困潦倒、身患残疾,上有高龄母亲。
案发当天,小月的母亲要去照顾生病的外公,便留她一人在家。
下午,冯某民来到小月家中,以“帮忙打扫卫生”为由,将她骗到无人的废弃窑洞中杀害,并抛尸于此。
善良的小月没想到,知人知面不知心,自己的善良却换来了凶手的毫无人性。
都说远亲不如近邻,小月一家与冯某民不仅是亲戚,更是相距不到一百米的邻居。案发前,小月一家曾多次帮助冯某民,他为什么还要恩将仇报呢?
两个字:
嫉妒!
据小月一个亲戚说:他之所以杀害小月,是看小月太争气了,看着她家越来越好,自己家却依然穷困潦倒,心理失衡产生了嫉妒心理。
这几天,微博上出现多个热搜,都在呼喊着同样的诉求:
请判凶手死刑!
03
而我,作为一个出身农村的人,真的对“嫉妒”这两个字深有体会。
不曾在农村待过的人,根本不会懂得那种“我不好,也见不得他人好”的无耻心态。
那些你自以为平时关系很好,总是对你笑嘻嘻的亲戚,可能是时时刻刻盯着你家,恨不得扒了你家房顶的豺狼。
那些过年时在同一张桌子上谈笑风生的叔伯婶姨,也可能是那个在你家遭遇困难之后,毫不犹豫围上来敲骨吸髓的秃鹫。
表面亲戚,背地里仇人,这样的人真的有。
想起《坏亲戚能坏到什么程度》中的故事:
朋友家在中部的农村,8岁那年的一天深夜,他听见自家茅屋的屋顶上有窸窸窣窣的声音。
那个声音很诡异,不像风,也不像动物。
像是有什么东西在刨屋顶。
父亲醒了,拿着锄头悄悄带着他打开门,两个人走到门口,踮起脚往上看。
这一看,傻眼了。
一个瘦弱的影子在屋后山坡上,拿着工具刨他们家的茅草屋顶。
这个人不是别人,正是他们家表叔。
父亲大喊:“老根,你这是做西?”
表叔一愣,转头便跑了。
后来父亲也从长辈口里得知,表叔之所以刨他们家屋顶,是觉得他们家风水太好了,几个孩子都很争气,他们嫉妒。
两年后,母亲去世了。
一家人虽然很难过,但日子还要继续。
母亲被葬在村里的山坡上,面对着水库,周围环境很好。
后来父亲没有续弦,一个人将他们兄弟姐妹6个拉扯长大。
大哥考上了大学,二哥也在准备高考了,自己成绩也很优异。就这样,他们家因为几个优秀的孩子,成为了村里人的眼中钉肉中刺。
那一年夏天,二哥正在高考。一个远房表亲找上门来,这个表亲是林管站站长,平时从来不拿正眼看他们家,这次来却笑眯眯的。
表亲说:“你们赶紧把春芳(母亲)的坟迁走,镇上说违规了。”
在他们当地,夏天迁坟是大忌,更何况随随便便一句违规就要迁走母亲的坟,一家人都不愿意。
谁知表亲眼神立马变得凶狠起来:“你们要是不动,那我们可就直接铲掉了。”
后来,坟被迁走了。而那个表亲,却在原地盖上了房子。
04
路遥在《平凡的世界》里说:
“亲戚关系常常是最庸俗的,互相设法沾光,沾不上光就翻白眼,甚至你生活中最大的困难,也常常是亲戚们造成的。”
无数事实证明,这一观点是对的,那些没有真心的亲戚,永远算不上亲人。
《增广贤文》有云:
“无钱休入众,遭难莫寻亲。”
现实社会就是这样,当你发达时,身边的人络绎不绝;当你落魄时,身边的人全部远离。
亲戚也是一样,你得意时他们来沾光就算了,还会嫉妒你;你失意时他们不愿意相帮就算了,还可能落井下石。
所以,不要高估了自己和任何亲戚的关系,也别低估了人性的凉薄。
上周末,和好友聚餐时,他聊起了自己的近况。
两年前,父母离婚,母亲生病,他也刚刚大学毕业。他一边忙着创业,一边照顾母亲,那些之前看起来对自己十分关心的亲戚都销声匿迹了。
两年后,他创业成功,买了车买了房,母亲的病也好了。这时亲戚们都出现了,想着法子“捞”点好处就算了,甚至想毁了他自己亲手辛苦打拼来的一切。
这也告诉我们一个道理,对于有些亲戚,真的不要过于期待,希望越大失望越大。
他们愿意帮你,就当成惊喜,真诚地去感恩回报;如果没有,那也是意料之中,不要太失望。
人心对人心,你亲我就亲。
今天这篇文章,为一个18岁女孩而写。
也为我们每个人而写。
01
她叫小月,前几天刚刚查到自己的高考成绩:601分。
在河南125万考生中,她能取得这样的成绩,在她的家乡洛阳市八陡山村,已经属于“祖坟冒烟”的程度。
一家几代是农民,父母常年在外打工,只为供养他和哥哥读书。
大山里的孩子,熬过了无数苦难与黑夜,经过千万次泥泞的山路,她挺过了愚昧、饥寒、孤独和贫穷,终于要迎来新的人生。
可命运,却在此时和她开了一个玩笑。
7月1日,她独自在家填志愿。
她填下了自己的第一志愿,河南省名列前茅的大学:郑州大学。
就在这时一个恶魔突然闯入,将她骗走。
等到她再次出现在母亲面前时,身上盖着白布,头上有窟窿,已经成为了一具冰冷的尸体。
“18岁”,“高考601分”,这两个哪个不是美好的未来。
如今伴随着小月的死亡,所有的希望支离破碎。
她到底做错了什么?为何要遭受这般苦难?
更令人意外的是,这一切居然还是熟人所为!
02
几天前,小月的哥哥写下了一封声嘶力竭的求助信:
当日母亲出门办事,吾妹一人在家填报志愿。恶霸将吾妹骗走后,拖入废气窑洞残忍杀害。
母亲归来时发现异样,四处寻找。
待找到时,吾妹已经尸骨寒凉,死不瞑目。
每一个字都在泣血。
也为我们揭开了小月遇害的细节。
凶手是她同村家族的亲戚,名叫冯某民。
冯某民51岁,如果按辈分小月应该喊他伯伯。不能说很亲密,但绝对是无冤无仇。
村民对冯某民的印象是没结婚、穷困潦倒、身患残疾,上有高龄母亲。
案发当天,小月的母亲要去照顾生病的外公,便留她一人在家。
下午,冯某民来到小月家中,以“帮忙打扫卫生”为由,将她骗到无人的废弃窑洞中杀害,并抛尸于此。
善良的小月没想到,知人知面不知心,自己的善良却换来了凶手的毫无人性。
都说远亲不如近邻,小月一家与冯某民不仅是亲戚,更是相距不到一百米的邻居。案发前,小月一家曾多次帮助冯某民,他为什么还要恩将仇报呢?
两个字:
嫉妒!
据小月一个亲戚说:他之所以杀害小月,是看小月太争气了,看着她家越来越好,自己家却依然穷困潦倒,心理失衡产生了嫉妒心理。
这几天,微博上出现多个热搜,都在呼喊着同样的诉求:
请判凶手死刑!
03
而我,作为一个出身农村的人,真的对“嫉妒”这两个字深有体会。
不曾在农村待过的人,根本不会懂得那种“我不好,也见不得他人好”的无耻心态。
那些你自以为平时关系很好,总是对你笑嘻嘻的亲戚,可能是时时刻刻盯着你家,恨不得扒了你家房顶的豺狼。
那些过年时在同一张桌子上谈笑风生的叔伯婶姨,也可能是那个在你家遭遇困难之后,毫不犹豫围上来敲骨吸髓的秃鹫。
表面亲戚,背地里仇人,这样的人真的有。
想起《坏亲戚能坏到什么程度》中的故事:
朋友家在中部的农村,8岁那年的一天深夜,他听见自家茅屋的屋顶上有窸窸窣窣的声音。
那个声音很诡异,不像风,也不像动物。
像是有什么东西在刨屋顶。
父亲醒了,拿着锄头悄悄带着他打开门,两个人走到门口,踮起脚往上看。
这一看,傻眼了。
一个瘦弱的影子在屋后山坡上,拿着工具刨他们家的茅草屋顶。
这个人不是别人,正是他们家表叔。
父亲大喊:“老根,你这是做西?”
表叔一愣,转头便跑了。
后来父亲也从长辈口里得知,表叔之所以刨他们家屋顶,是觉得他们家风水太好了,几个孩子都很争气,他们嫉妒。
两年后,母亲去世了。
一家人虽然很难过,但日子还要继续。
母亲被葬在村里的山坡上,面对着水库,周围环境很好。
后来父亲没有续弦,一个人将他们兄弟姐妹6个拉扯长大。
大哥考上了大学,二哥也在准备高考了,自己成绩也很优异。就这样,他们家因为几个优秀的孩子,成为了村里人的眼中钉肉中刺。
那一年夏天,二哥正在高考。一个远房表亲找上门来,这个表亲是林管站站长,平时从来不拿正眼看他们家,这次来却笑眯眯的。
表亲说:“你们赶紧把春芳(母亲)的坟迁走,镇上说违规了。”
在他们当地,夏天迁坟是大忌,更何况随随便便一句违规就要迁走母亲的坟,一家人都不愿意。
谁知表亲眼神立马变得凶狠起来:“你们要是不动,那我们可就直接铲掉了。”
后来,坟被迁走了。而那个表亲,却在原地盖上了房子。
04
路遥在《平凡的世界》里说:
“亲戚关系常常是最庸俗的,互相设法沾光,沾不上光就翻白眼,甚至你生活中最大的困难,也常常是亲戚们造成的。”
无数事实证明,这一观点是对的,那些没有真心的亲戚,永远算不上亲人。
《增广贤文》有云:
“无钱休入众,遭难莫寻亲。”
现实社会就是这样,当你发达时,身边的人络绎不绝;当你落魄时,身边的人全部远离。
亲戚也是一样,你得意时他们来沾光就算了,还会嫉妒你;你失意时他们不愿意相帮就算了,还可能落井下石。
所以,不要高估了自己和任何亲戚的关系,也别低估了人性的凉薄。
上周末,和好友聚餐时,他聊起了自己的近况。
两年前,父母离婚,母亲生病,他也刚刚大学毕业。他一边忙着创业,一边照顾母亲,那些之前看起来对自己十分关心的亲戚都销声匿迹了。
两年后,他创业成功,买了车买了房,母亲的病也好了。这时亲戚们都出现了,想着法子“捞”点好处就算了,甚至想毁了他自己亲手辛苦打拼来的一切。
这也告诉我们一个道理,对于有些亲戚,真的不要过于期待,希望越大失望越大。
他们愿意帮你,就当成惊喜,真诚地去感恩回报;如果没有,那也是意料之中,不要太失望。
人心对人心,你亲我就亲。
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想来想去不如忘掉,忘记那些烦心的事,别让低落心情蔓延,听听音乐沉醉其中幻变着不觉醒。。。
有时总有种难以言说的室息,这样的桎梏常让自己焦虑不安,说不出哪里出毛病?是因为衰老的症状日趋严重,还是心底那份无法释怀的愁,幸许是那故作潇洒的纠结,哎无处安放的魂只能在深夜飘零着。。。
有时会不断的压抑,压抑得快山洪爆发的决堤,却依旧压抑至极!这也许就是性格使然,那最原始的沉默最终还是战胜了渴望改变的心!
我想人这一生终归是孤独寂寞终老,即便是这样我也想尝试笔下生花灵魂出窍的不一样。。。
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有时会不断的压抑,压抑得快山洪爆发的决堤,却依旧压抑至极!这也许就是性格使然,那最原始的沉默最终还是战胜了渴望改变的心!
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