海外で日本語を教える日本人教師
前に「香港大学」から来た日本人の日本語の先生が広州のある大学で「中国の日本語教育の現状」というタイトルで講座を開いたことを覚えている。中国の日本語教育の問題点などを指摘し、特に日本語の先生の学歴とその質についての「高見」を述べていた。しかし、日本語教育に携わる者の一人として、はっきり言ってあの先生の発言は善意に基づくアドバイスではなく、どうも偏見と傲慢に満ちた「アラ探し」といった感じを受けずにはいられなかった。
さて、あの日本人の先生の偏見に対する反論ではないが、中国で日本語を教えている「外教」(日本人先生)は果たしてどうなのだろうか?これは俺にとっては決して他人事ではない、それこそ日本語を学ぶ我が国の中国人学生の日本語能力に関わる重大事であり、このまま「傍観」するわけにはいかない問題であるといってもいい。では、その実態を簡単に見てみよう。
まず、その資質だが、中国で日本語を教えている日本人の先生の殆ど日本で定年後の元中学・高校の「国語」の先生、または引退した元「日本語学校」の先生である。もちろん、その中には若い先生もいるのだが、残念ながらとても日本の大学で教鞭を取れるような優秀な人材ではない。つまり本国ではとても仕事が見つかりそうでもない者が、ただ「食いぶち」を求めて中国大陸に流れてきただけ、と言ったら失礼だろうか?
中国の大学で「外教」として日本語を教えているのはほとんどこのレベルの先生であると言っても決して間違いないだろう。
次にその待遇だが、これも昔と今とでは「雲泥の差」があると言ってもいい。俺が帰国したばかりの時(2000年頃)、「外教」は各大学でチヤホヤされ、その給料は中国の教授よりも高いくらいだった。言うまでもなく物価の安い中国ではかなりリッちな生活ができたはずだし、「鼻が高かった」のも無理はないだろう。だが、時代は変わり、今はだいたい中国の「講師」レベルの給料であり、とても贅沢な生活などできっこない。それでも中国で「日本語の先生」を目指す候補者はごまんといるのが現状である。
そして、もっとも肝腎なのはその仕事ぶりであるが、もちろん中国が好きで、或いは中国文化に興味を持って中国で日本語を教えている方もおられるのだが、その中には中国文化に全く興味など持たず、ただ日本で仕事にあぶれて「たまたま」こちらに来てしまったというような感じの者もいるのである。そこで、中国の学生との間でしばしばトラブルを起こしたりする。例えば、授業中に学生に向かって「中国の学生はマナーが悪く、エチケットを知らない」などといった無神経なことを言ったり、中国側の先生に「中国の学生は個性が強い、日本の学生は先生が言ったら絶対に反発せずにそのまま受け入れるんだけど、中国の学生はそうではない。あくまでも自分の意見を主張する」などといった不満を口にしたりする。つまり、同じ目線で対等な立場で中国の学生と交流しようとする意識が乏しい。これでは、中国の学生の反感を買い、嫌われてしまうのも無理はないだろう。そして、学生とのトラブルが原因でストレスが溜まり、終にはノイローゼ気味になって本国に帰ってしまった先生も決して一人や二人ではない。俺も実際そういうケースを二三件目撃してきた。
ところで、なぜ中国の学生が必ず日本の学生と同じでなければならないのか、俺はそれが不思議でならない。俺も日本で十数年生活してきたが、「郷に入ったら郷に從え」ではないが、まず何といってもその国の文化を尊重し、その国の文化が好きにならなければならないと思う。綺麗事を言っているのではない。絶対自分の価値観、または自分の国の文化を判断の基準にしてはいけない。これこそグローバル化世界の共通のルールであり、海外での生活を楽しく過ごせるコツであると言えよう。
広州にて
前に「香港大学」から来た日本人の日本語の先生が広州のある大学で「中国の日本語教育の現状」というタイトルで講座を開いたことを覚えている。中国の日本語教育の問題点などを指摘し、特に日本語の先生の学歴とその質についての「高見」を述べていた。しかし、日本語教育に携わる者の一人として、はっきり言ってあの先生の発言は善意に基づくアドバイスではなく、どうも偏見と傲慢に満ちた「アラ探し」といった感じを受けずにはいられなかった。
さて、あの日本人の先生の偏見に対する反論ではないが、中国で日本語を教えている「外教」(日本人先生)は果たしてどうなのだろうか?これは俺にとっては決して他人事ではない、それこそ日本語を学ぶ我が国の中国人学生の日本語能力に関わる重大事であり、このまま「傍観」するわけにはいかない問題であるといってもいい。では、その実態を簡単に見てみよう。
まず、その資質だが、中国で日本語を教えている日本人の先生の殆ど日本で定年後の元中学・高校の「国語」の先生、または引退した元「日本語学校」の先生である。もちろん、その中には若い先生もいるのだが、残念ながらとても日本の大学で教鞭を取れるような優秀な人材ではない。つまり本国ではとても仕事が見つかりそうでもない者が、ただ「食いぶち」を求めて中国大陸に流れてきただけ、と言ったら失礼だろうか?
中国の大学で「外教」として日本語を教えているのはほとんどこのレベルの先生であると言っても決して間違いないだろう。
次にその待遇だが、これも昔と今とでは「雲泥の差」があると言ってもいい。俺が帰国したばかりの時(2000年頃)、「外教」は各大学でチヤホヤされ、その給料は中国の教授よりも高いくらいだった。言うまでもなく物価の安い中国ではかなりリッちな生活ができたはずだし、「鼻が高かった」のも無理はないだろう。だが、時代は変わり、今はだいたい中国の「講師」レベルの給料であり、とても贅沢な生活などできっこない。それでも中国で「日本語の先生」を目指す候補者はごまんといるのが現状である。
そして、もっとも肝腎なのはその仕事ぶりであるが、もちろん中国が好きで、或いは中国文化に興味を持って中国で日本語を教えている方もおられるのだが、その中には中国文化に全く興味など持たず、ただ日本で仕事にあぶれて「たまたま」こちらに来てしまったというような感じの者もいるのである。そこで、中国の学生との間でしばしばトラブルを起こしたりする。例えば、授業中に学生に向かって「中国の学生はマナーが悪く、エチケットを知らない」などといった無神経なことを言ったり、中国側の先生に「中国の学生は個性が強い、日本の学生は先生が言ったら絶対に反発せずにそのまま受け入れるんだけど、中国の学生はそうではない。あくまでも自分の意見を主張する」などといった不満を口にしたりする。つまり、同じ目線で対等な立場で中国の学生と交流しようとする意識が乏しい。これでは、中国の学生の反感を買い、嫌われてしまうのも無理はないだろう。そして、学生とのトラブルが原因でストレスが溜まり、終にはノイローゼ気味になって本国に帰ってしまった先生も決して一人や二人ではない。俺も実際そういうケースを二三件目撃してきた。
ところで、なぜ中国の学生が必ず日本の学生と同じでなければならないのか、俺はそれが不思議でならない。俺も日本で十数年生活してきたが、「郷に入ったら郷に從え」ではないが、まず何といってもその国の文化を尊重し、その国の文化が好きにならなければならないと思う。綺麗事を言っているのではない。絶対自分の価値観、または自分の国の文化を判断の基準にしてはいけない。これこそグローバル化世界の共通のルールであり、海外での生活を楽しく過ごせるコツであると言えよう。
広州にて
結成20周年! 野島健児&菅沼久義のユニット“COCO”、2ndアルバムリリース記念ロングインタビュー第1弾をお届け!
今年で結成20周年を迎える野島健児さん&菅沼久義さんのふたりユニット「COCO」。前作のアルバムリリースから11年の時を経て、待望のセカンドアルバム『あぶく』が10月9日に発売に。
結成秘話から最新のアルバムにかける想いまで、たっぷり語っていただいたビーズログ11月号のグラビア&ロングインタビューに引き続き、誌面には入りきらなかったおふたりの熱い想いを2回にわたってお届けします。
さらに、2018年10月6日・7日には、吉祥寺・スターパインズカフェにてCOCO LIVE「あぶく」(2days4ステージ)の開催も決定!
チケットの一般販売は9月22日10時~となっています。あわせてチェックしてください。
――アルバムに収録されるソロ曲はすでにレコーディングされているとのことですが(取材時は8月中旬)、収録はいかがでしたか?
野島 今回は今までのレコーディングとは違う録りかたをしていて。だいたいAメロを歌ってみて、上手く録れたら2番のAメロを歌うというようにパートごとで歌うことが多かったんです。でも今回は、曲の頭から最後まで歌いきるという、生っぽくライブ感のある収録の方法をとっています。集中力や体力も必要になってきますが、ひとつの作品としてのまとまりが初めから掴みやすいです。
菅沼 バラバラに録るのが悪いというわけではなくて。
野島 今回は“生っぽさ”、“ライブ感”を重視してこういった収録のしかたなんですよね。あのライブでお客さんを前にして歌っている時のような。歌の中の世界観とともに、それを聴いてくださっているファンの方々ひとりひとりの顔が思い浮かんできました。そんなことを感じながら歌えたので、それはまさに今回のレコーディングのやりかたあってのことだと思います。今回は歌の“荒”にも捉えられる部分もひとつの世界観として、ひとつの作品となって出来上がっています。そういったものも“味”として完成されていくんだと感じてもらえると嬉しいです。
――デュエットの曲はどういう形で収録をされたんでしょうか?
菅沼 デュエットの曲も同じく、最初から最後まで収録するやりかたでレコーディングしています。最初にのじさんが土台作りとして、まず世界観を作って収録をして。
野島 すがぽんのパートもね(笑)。
菅沼 僕のパートだからといって手を抜いているわけではなく、ちゃんと歌っているんです。僕もその気持を踏襲するために、制作過程も聴いておこうと思ってなるべく早くスタジオに入っていました。サウンドプロデューサーのQoonieさんが「次はこういう世界観で歌ってみてください」とおっしゃったら、次にのじさんが歌ったときには世界観がコロッと変わるんですよ。のじさんは直接は聞いていないかもしれないですけど、「今度はこういう感じでと言ったら、これだけ世界観を変えられるのは凄いですよね」というお話をQoonieさんがされていたんです。
野島 超嬉しい話を聞きましたね、いま(笑)。
菅沼 実際、僕もそう思いながら聴いていますからね。そうやってのじさんが作った世界観の上に、僕がまた世界観を乗せていくという作りかたでした。
野島 僕の土台作りという作業も大変だとは思うんですけど、出来上がっている中にすがぽん自身の良さだったり、世界観だったりを乗せていくのも大変だと思うんですよ。僕が早いもの勝ちで歌った部分に寄り添っていくというか。
菅沼 のじさん独自の節回しが最大限に生かされているので、中には譜面通りの歌いかたではない部分もあるんですよ。それで僕がいちばん苦労したのが『みんな探してる』という曲の「もうちょっとだけ」というフレーズです。
野島 ハモっているところだね。「もうちょっとだけ」の“だけ”の部分を、本来のメロディーラインよりもニュアンスでわざと下げたんですよ。
菅沼 それがいいテイクだから生かされているんですけど。言いかたが悪いですけど、それのせいで(笑)、ハモリが難しくなってしまったんですよ! なので、僕は何度も録り直して。でも、何度も歌い直したので、自信があります。ぜひとも皆さん、のじさんがメインを歌っていて、僕がハモっている1回目の「もうちょっとだけ」の部分に注目してください!
野島 2回目の「もうちょっとだけ」は僕がハモリも先に録ってしまったので、1回目のその1箇所しかないんですよ(笑)。
菅沼 最後の「明日のその向こう」というフレーズも少し本来の譜面とは違っているんですよ。
野島 メロディーは変えていないんですけど、リズムを少しゆっくりにしているんです。そもそもこの曲はノリが難しい曲なんですけど、中でも最後をいい空気感にしたくて。
菅沼 これがまた難しかった……。のじさんが収録を終えて帰るときに「すがぽんには宿題を出してあるから」と言っていたんですよ。ドキっとしましたね(笑)。でもきちんと合わさって決まったときは気持ち良かったです!
野島 絶対合わせてくれると確信があってやった部分もあるんですよ。
――確信を持っていたと。
野島 多分、ミュージシャン1本でやっている方だと、そこを合わせてくるって難しいこともあると思うんですよ。でも、僕たちは声優なので。ある意味、仕事の多くは“合わせる”ことでもあると思うんですよ。
菅沼 そういう部分で、“耳のプロフェッショナル”と言われることもありますからね。
野島 よく大人数の収録で、掛け声も言わずにセリフを合わせることがあるんですよ。
菅沼 だいたい真ん中の人が指揮をとるんですけど、「俺がやるよ」とも言わずに。
野島 “息を合わせる”という言葉の通り、その人の息を吸う音を聞いて合わせるんですよ。
菅沼 それは我々の技術ですよね。
野島 そういうことを20年もやっている人だし、僕といっしょに歌をやっていますからね。
菅沼 ただ合わせるだけではなく、そこに表現も乗せて。これは20年の仲だからこそできたことだと思います。そういう部分が『みんな探してる』だけではなく、ふたりで歌っている曲にはふんだんにあります。
――聴き込むといろんな発見がありそうですね。
菅沼 最初は世界観を楽しんでいただいて。何回も聴くにあたっては、そういった細かい部分も聴いて頂けると。
野島 ふたりの寄り添い具合を(笑)。
菅沼 個々に異なる大変さがありますからね。のじさんは0から1を作り出す大変さ、僕はその生み出された1をより大きく広げていくという。
――アルバム発売に合わせて特典やグッズの発売などもあるんですよね。
野島 現在(取材時:8月中旬)は、鋭意制作中ですね。あとは『うっかりCD』もあるという。僕らはアルバムよりも遥かな枚数『うっかりCD』というCDを出しているんですけども。
菅沼 ワンコインで楽しめるものなんですけど。ヒドイ内容ですよね(笑)。いちばんヒドイなと思ったのが、のじさんの家で収録をしているときに宅配便が来ちゃって。「ピンポーン」って。
野島 それはカットしたっけ(笑)?
菅沼 カットしたと思いますよ! そのぐらい緩いCDになっているんですけども。『コウントダウセン』という岸尾だいすけさんが来てくださったときは、そこに岸尾さんも交えてもっとヒドイ内容になっていて(笑)。下ネタもありつつ。
野島 年齢制限が必要になるやつですね。
菅沼 でも、ビーズログ読者の中にはもっと年齢の若い方もいらっしゃるとのことですからね。
野島 なので、なるべく若い方のことも考慮した内容にね。
菅沼 できるかなー? 気をつけたいと思います(笑)!
(第2弾につづく)
今年で結成20周年を迎える野島健児さん&菅沼久義さんのふたりユニット「COCO」。前作のアルバムリリースから11年の時を経て、待望のセカンドアルバム『あぶく』が10月9日に発売に。
結成秘話から最新のアルバムにかける想いまで、たっぷり語っていただいたビーズログ11月号のグラビア&ロングインタビューに引き続き、誌面には入りきらなかったおふたりの熱い想いを2回にわたってお届けします。
さらに、2018年10月6日・7日には、吉祥寺・スターパインズカフェにてCOCO LIVE「あぶく」(2days4ステージ)の開催も決定!
チケットの一般販売は9月22日10時~となっています。あわせてチェックしてください。
――アルバムに収録されるソロ曲はすでにレコーディングされているとのことですが(取材時は8月中旬)、収録はいかがでしたか?
野島 今回は今までのレコーディングとは違う録りかたをしていて。だいたいAメロを歌ってみて、上手く録れたら2番のAメロを歌うというようにパートごとで歌うことが多かったんです。でも今回は、曲の頭から最後まで歌いきるという、生っぽくライブ感のある収録の方法をとっています。集中力や体力も必要になってきますが、ひとつの作品としてのまとまりが初めから掴みやすいです。
菅沼 バラバラに録るのが悪いというわけではなくて。
野島 今回は“生っぽさ”、“ライブ感”を重視してこういった収録のしかたなんですよね。あのライブでお客さんを前にして歌っている時のような。歌の中の世界観とともに、それを聴いてくださっているファンの方々ひとりひとりの顔が思い浮かんできました。そんなことを感じながら歌えたので、それはまさに今回のレコーディングのやりかたあってのことだと思います。今回は歌の“荒”にも捉えられる部分もひとつの世界観として、ひとつの作品となって出来上がっています。そういったものも“味”として完成されていくんだと感じてもらえると嬉しいです。
――デュエットの曲はどういう形で収録をされたんでしょうか?
菅沼 デュエットの曲も同じく、最初から最後まで収録するやりかたでレコーディングしています。最初にのじさんが土台作りとして、まず世界観を作って収録をして。
野島 すがぽんのパートもね(笑)。
菅沼 僕のパートだからといって手を抜いているわけではなく、ちゃんと歌っているんです。僕もその気持を踏襲するために、制作過程も聴いておこうと思ってなるべく早くスタジオに入っていました。サウンドプロデューサーのQoonieさんが「次はこういう世界観で歌ってみてください」とおっしゃったら、次にのじさんが歌ったときには世界観がコロッと変わるんですよ。のじさんは直接は聞いていないかもしれないですけど、「今度はこういう感じでと言ったら、これだけ世界観を変えられるのは凄いですよね」というお話をQoonieさんがされていたんです。
野島 超嬉しい話を聞きましたね、いま(笑)。
菅沼 実際、僕もそう思いながら聴いていますからね。そうやってのじさんが作った世界観の上に、僕がまた世界観を乗せていくという作りかたでした。
野島 僕の土台作りという作業も大変だとは思うんですけど、出来上がっている中にすがぽん自身の良さだったり、世界観だったりを乗せていくのも大変だと思うんですよ。僕が早いもの勝ちで歌った部分に寄り添っていくというか。
菅沼 のじさん独自の節回しが最大限に生かされているので、中には譜面通りの歌いかたではない部分もあるんですよ。それで僕がいちばん苦労したのが『みんな探してる』という曲の「もうちょっとだけ」というフレーズです。
野島 ハモっているところだね。「もうちょっとだけ」の“だけ”の部分を、本来のメロディーラインよりもニュアンスでわざと下げたんですよ。
菅沼 それがいいテイクだから生かされているんですけど。言いかたが悪いですけど、それのせいで(笑)、ハモリが難しくなってしまったんですよ! なので、僕は何度も録り直して。でも、何度も歌い直したので、自信があります。ぜひとも皆さん、のじさんがメインを歌っていて、僕がハモっている1回目の「もうちょっとだけ」の部分に注目してください!
野島 2回目の「もうちょっとだけ」は僕がハモリも先に録ってしまったので、1回目のその1箇所しかないんですよ(笑)。
菅沼 最後の「明日のその向こう」というフレーズも少し本来の譜面とは違っているんですよ。
野島 メロディーは変えていないんですけど、リズムを少しゆっくりにしているんです。そもそもこの曲はノリが難しい曲なんですけど、中でも最後をいい空気感にしたくて。
菅沼 これがまた難しかった……。のじさんが収録を終えて帰るときに「すがぽんには宿題を出してあるから」と言っていたんですよ。ドキっとしましたね(笑)。でもきちんと合わさって決まったときは気持ち良かったです!
野島 絶対合わせてくれると確信があってやった部分もあるんですよ。
――確信を持っていたと。
野島 多分、ミュージシャン1本でやっている方だと、そこを合わせてくるって難しいこともあると思うんですよ。でも、僕たちは声優なので。ある意味、仕事の多くは“合わせる”ことでもあると思うんですよ。
菅沼 そういう部分で、“耳のプロフェッショナル”と言われることもありますからね。
野島 よく大人数の収録で、掛け声も言わずにセリフを合わせることがあるんですよ。
菅沼 だいたい真ん中の人が指揮をとるんですけど、「俺がやるよ」とも言わずに。
野島 “息を合わせる”という言葉の通り、その人の息を吸う音を聞いて合わせるんですよ。
菅沼 それは我々の技術ですよね。
野島 そういうことを20年もやっている人だし、僕といっしょに歌をやっていますからね。
菅沼 ただ合わせるだけではなく、そこに表現も乗せて。これは20年の仲だからこそできたことだと思います。そういう部分が『みんな探してる』だけではなく、ふたりで歌っている曲にはふんだんにあります。
――聴き込むといろんな発見がありそうですね。
菅沼 最初は世界観を楽しんでいただいて。何回も聴くにあたっては、そういった細かい部分も聴いて頂けると。
野島 ふたりの寄り添い具合を(笑)。
菅沼 個々に異なる大変さがありますからね。のじさんは0から1を作り出す大変さ、僕はその生み出された1をより大きく広げていくという。
――アルバム発売に合わせて特典やグッズの発売などもあるんですよね。
野島 現在(取材時:8月中旬)は、鋭意制作中ですね。あとは『うっかりCD』もあるという。僕らはアルバムよりも遥かな枚数『うっかりCD』というCDを出しているんですけども。
菅沼 ワンコインで楽しめるものなんですけど。ヒドイ内容ですよね(笑)。いちばんヒドイなと思ったのが、のじさんの家で収録をしているときに宅配便が来ちゃって。「ピンポーン」って。
野島 それはカットしたっけ(笑)?
菅沼 カットしたと思いますよ! そのぐらい緩いCDになっているんですけども。『コウントダウセン』という岸尾だいすけさんが来てくださったときは、そこに岸尾さんも交えてもっとヒドイ内容になっていて(笑)。下ネタもありつつ。
野島 年齢制限が必要になるやつですね。
菅沼 でも、ビーズログ読者の中にはもっと年齢の若い方もいらっしゃるとのことですからね。
野島 なので、なるべく若い方のことも考慮した内容にね。
菅沼 できるかなー? 気をつけたいと思います(笑)!
(第2弾につづく)
最終回のセリフや最終回に繋がる文章につきまして、今回は感情的な役ところじゃなくて、すごい難しい説明しながら自分の気持ちを忍ばせてるだから、わりと、いつもよりも台本をちゃんともっと読んていかないと、伝え方が難しいなっと思った。
それで見てた時に、ジークを最後まで見てて頂くと、彼なりの、ちゃんと正義や、信念はあるんだ。別に愉快犯じゃないし、何かに達観して、見捨てるものは見捨てる、そういうことでもなくて、皆を一つ上のステージに引き上げるのが自分はこれを正しいと思ってるだけだから。間違ってるわけじゃないし、それは自分のため、まぁ自分の知識欲のが当然強い人物なんですけど、それはありつつ、人類のことを考えてるっと思いましたけどね。
だから最後のレオンとの戦いの中で、いろんな自分たちの思想をぶつけ合う中で、段々と当然主人公の方が押してくるんですけど。その時でも、音響監督さんと話しながら、最初とあるシーンで、「もっと打ちのめされてください」って言われて、「え?なんで打ちのめされるんですか?」っていう話をして。僕が思ってるジーク像だと、ここはレオンに打ちのめされるんじゃなくて、レオンの考えが自分の中になかった事として受けとめて、「なるほど、そういう考えがあるんだ」っという、引き込まれるもの、興味がある人だから、引き込まれるんだと思うんですけどっと言った。そっちになた。
最初はもうちょっと「単純に悪人としてヤられる」みたいな演出があったんですけど、そういう感じには収まらなかった、演じてきた中で。
それで見てた時に、ジークを最後まで見てて頂くと、彼なりの、ちゃんと正義や、信念はあるんだ。別に愉快犯じゃないし、何かに達観して、見捨てるものは見捨てる、そういうことでもなくて、皆を一つ上のステージに引き上げるのが自分はこれを正しいと思ってるだけだから。間違ってるわけじゃないし、それは自分のため、まぁ自分の知識欲のが当然強い人物なんですけど、それはありつつ、人類のことを考えてるっと思いましたけどね。
だから最後のレオンとの戦いの中で、いろんな自分たちの思想をぶつけ合う中で、段々と当然主人公の方が押してくるんですけど。その時でも、音響監督さんと話しながら、最初とあるシーンで、「もっと打ちのめされてください」って言われて、「え?なんで打ちのめされるんですか?」っていう話をして。僕が思ってるジーク像だと、ここはレオンに打ちのめされるんじゃなくて、レオンの考えが自分の中になかった事として受けとめて、「なるほど、そういう考えがあるんだ」っという、引き込まれるもの、興味がある人だから、引き込まれるんだと思うんですけどっと言った。そっちになた。
最初はもうちょっと「単純に悪人としてヤられる」みたいな演出があったんですけど、そういう感じには収まらなかった、演じてきた中で。
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