【山田・荘司 侍ジャパン大学日本代表選出!】
3日間の選考合宿を終え、弊部から山田健太(4年内野手・大阪桐蔭)と荘司康誠(4年投手・新潟明訓)が大学日本代表に選出されました!
2人は7月8日(金)〜15日(金)までオランダで開催される第30回ハーレムベースボールウィークに参加いたします。
3日間の選考合宿を終え、弊部から山田健太(4年内野手・大阪桐蔭)と荘司康誠(4年投手・新潟明訓)が大学日本代表に選出されました!
2人は7月8日(金)〜15日(金)までオランダで開催される第30回ハーレムベースボールウィークに参加いたします。
大阪桐蔭の「主将力」 礎を築いた歴代屈指の主将がコーチで復帰
3月18日開幕の第94回選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭に「歴代屈指の主将」がコーチに就任した。2014年夏の甲子園で優勝し、「主将力」が注目された中村誠さん(25)だ。社会人野球の選手を昨年限りで引退。母校の西谷浩一監督(52)から声をかけられ、指導者として戻った。中村さんは「母校で指導できると思っていなかったので、すごくありがたい。選手と一緒に成長していきたい」と第二の野球人生をスタートさせた。
17年センバツで優勝し、慶大でも主将を務めた福井章吾、18年の甲子園で春夏連覇を達成し、今年は早大の主将を務める中川卓也など近年、大阪桐蔭のキャプテンのリーダーシップが注目されている。西谷監督が「中村誠の頃から言われるようになった」と認めるように、「主将力」の礎を築いたのが中村さんだ。
福岡県出身。大阪桐蔭に入学した12年にチームは藤浪晋太郎(阪神)や森友哉(西武)を擁して春夏連覇を達成し、翌年も春夏の甲子園に出場した。その秋に主将に就任した中村さんは「普通にやれば、センバツに出られる」と楽観していたが、甘かった。秋季大阪大会4回戦でライバルの履正社に1―13で五回コールド負け。「主将を辞めて福岡に帰ろう」と思うほど打ちのめされた。
どん底からはい上がれたのは、西谷監督の一言があったからだ。「お前の思ったことがチームの意見になる。強い心を持ってどんどん指示を出せ」。周囲に気を使う性格だった中村さんは腹をくくった。ランニングや声出し、掃除や荷物運びなどすべて先陣を切って動いた。一方で、仲間にも厳しく接した。同学年には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)のように後にプロに進んだ選手もいたが、「先輩と比べて、スター選手がいなかったので、チーム力で勝つしかなかった」。束になって戦う集団になり、14年の春季大阪大会から、中村さんが優勝を決める一打を放った夏の甲子園決勝まで公式戦24連勝を果たした。
進学した日体大では指導者になることを見据えて、保健体育の教員免許を取得。指導者になる上で大きな財産になったのは、社会人野球の日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)に在籍した3年間だ。
元々は外野手だが、1年目は内野手に挑戦。オフには捕手への転向を打診された。捕手経験は「中学の最初まで」だったため、西谷監督に相談した。捕手出身の恩師は「無理やろ」と一度は電話を切ったが、一晩考えて中村に連絡した。「将来、指導者になった時、内野の話も捕手の話もできる。こんなにいい経験はできない」と勧めた。
捕手に挑戦した中村はレギュラーの座をつかめず、勝負の3年目と位置づけた昨年も結果を残せなかったため、現役を引退した。だが、悔いはない。「捕手としてサインプレーで内野を動かし、配球で守備位置を変えるなど野球観が広がった」と感謝する。
3月からコーチ兼寮監として母校で指導する。まず始めたのは約40人いる部員の顔と名前を一致させることだ。「『1週間で覚えるから、寮で名札をつけてほしい』と頼んだ。そう言えば、僕も絶対に覚えないといけない」と笑う。自身を追い込んで必死に取り組む姿は高校時代と変わらない。高校野球をけん引する大阪桐蔭で歴代でも指折りの主将が今度は指導者としてどう選手に向き合うのか。
中村さんは言う。「人とのつながりがあって今、僕はここにいる。技術を教えるのはもちろんだが、社会に出たらメンバー、メンバー外は関係ない。社会に通じる人間を育てるために僕も一緒に常に学びたい」。指導者としての信念だ。
3月18日開幕の第94回選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭に「歴代屈指の主将」がコーチに就任した。2014年夏の甲子園で優勝し、「主将力」が注目された中村誠さん(25)だ。社会人野球の選手を昨年限りで引退。母校の西谷浩一監督(52)から声をかけられ、指導者として戻った。中村さんは「母校で指導できると思っていなかったので、すごくありがたい。選手と一緒に成長していきたい」と第二の野球人生をスタートさせた。
17年センバツで優勝し、慶大でも主将を務めた福井章吾、18年の甲子園で春夏連覇を達成し、今年は早大の主将を務める中川卓也など近年、大阪桐蔭のキャプテンのリーダーシップが注目されている。西谷監督が「中村誠の頃から言われるようになった」と認めるように、「主将力」の礎を築いたのが中村さんだ。
福岡県出身。大阪桐蔭に入学した12年にチームは藤浪晋太郎(阪神)や森友哉(西武)を擁して春夏連覇を達成し、翌年も春夏の甲子園に出場した。その秋に主将に就任した中村さんは「普通にやれば、センバツに出られる」と楽観していたが、甘かった。秋季大阪大会4回戦でライバルの履正社に1―13で五回コールド負け。「主将を辞めて福岡に帰ろう」と思うほど打ちのめされた。
どん底からはい上がれたのは、西谷監督の一言があったからだ。「お前の思ったことがチームの意見になる。強い心を持ってどんどん指示を出せ」。周囲に気を使う性格だった中村さんは腹をくくった。ランニングや声出し、掃除や荷物運びなどすべて先陣を切って動いた。一方で、仲間にも厳しく接した。同学年には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)のように後にプロに進んだ選手もいたが、「先輩と比べて、スター選手がいなかったので、チーム力で勝つしかなかった」。束になって戦う集団になり、14年の春季大阪大会から、中村さんが優勝を決める一打を放った夏の甲子園決勝まで公式戦24連勝を果たした。
進学した日体大では指導者になることを見据えて、保健体育の教員免許を取得。指導者になる上で大きな財産になったのは、社会人野球の日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)に在籍した3年間だ。
元々は外野手だが、1年目は内野手に挑戦。オフには捕手への転向を打診された。捕手経験は「中学の最初まで」だったため、西谷監督に相談した。捕手出身の恩師は「無理やろ」と一度は電話を切ったが、一晩考えて中村に連絡した。「将来、指導者になった時、内野の話も捕手の話もできる。こんなにいい経験はできない」と勧めた。
捕手に挑戦した中村はレギュラーの座をつかめず、勝負の3年目と位置づけた昨年も結果を残せなかったため、現役を引退した。だが、悔いはない。「捕手としてサインプレーで内野を動かし、配球で守備位置を変えるなど野球観が広がった」と感謝する。
3月からコーチ兼寮監として母校で指導する。まず始めたのは約40人いる部員の顔と名前を一致させることだ。「『1週間で覚えるから、寮で名札をつけてほしい』と頼んだ。そう言えば、僕も絶対に覚えないといけない」と笑う。自身を追い込んで必死に取り組む姿は高校時代と変わらない。高校野球をけん引する大阪桐蔭で歴代でも指折りの主将が今度は指導者としてどう選手に向き合うのか。
中村さんは言う。「人とのつながりがあって今、僕はここにいる。技術を教えるのはもちろんだが、社会に出たらメンバー、メンバー外は関係ない。社会に通じる人間を育てるために僕も一緒に常に学びたい」。指導者としての信念だ。
【敦賀気比 名門と激突 「先を見ずに一戦一戦」 選抜高校野球 対戦相手決まる】
2022年3月5日 05時00分 (3月5日 11時18分更新)
甲子園球場で行われる選抜高校野球大会の組み合わせが四日、決まった。敦賀気比は広陵(広島)、丹生は広島商(同)と対戦することとなり、両チームとも士気が高まっている。
大会屈指の好カードになった。敦賀気比の初戦の相手は広島の名門・広陵。各地区大会優勝校が集う昨年十一月の明治神宮大会準優勝校だ。投打ともに戦力が充実しており、今大会では優勝候補の一角に挙がる。東哲平監督は「毎年強いチームをつくっている印象」と気を引き締める。
エースの上加世田頼希(うえかせだらいき)主将が警戒するのが、広陵の打撃力。神宮大会は強豪相手に打ち勝って決勝に進出しただけに「特に三、四、五番はスイングが鋭い」と分析する。チーム打率は3割4分1厘で長打も多いが、「抑えれば自分にとっても絶対力になる。一球たりとも気を抜かずに投げたい」と対戦を待ち切れない。
チームは北信越大会を制したものの、神宮大会では二回戦で大阪桐蔭(大阪)に完敗。力の差を埋めるべく、オフの期間はスイングスピードや球速の向上など、徹底的に個人のレベルアップを図った。
二〇一五年大会以来となる二度目の頂点への期待もかかるが、「先を見ずに一戦一戦、自分たちの持っている力をすべて出し切りたい」と上加世田主将。東監督はチームの成長に手応えを感じつつ「ためてきた力を発揮できるようにしっかり調整していきたい」と初戦をにらんだ。 (林侑太郎)
< 対戦校プロフィル >
広陵 1896(明治29)年に広島市で設立された私立校。野球部は春の甲子園で3度優勝しており、有原航平投手(レンジャーズ)、小林誠司捕手(巨人)など多くのプロ野球選手を輩出している。昨秋の明治神宮大会は2回戦で明秀日立(茨城)を5−3、準決勝で花巻東(岩手)を10−9で破った。決勝は大阪桐蔭(大阪)に7−11で敗れたものの、打力の高さを示した。
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広陵との対戦が決まり、意気込みを語る敦賀気比の上加世田主将=4日、敦賀市の敦賀気比高で
2022年3月5日 05時00分 (3月5日 11時18分更新)
甲子園球場で行われる選抜高校野球大会の組み合わせが四日、決まった。敦賀気比は広陵(広島)、丹生は広島商(同)と対戦することとなり、両チームとも士気が高まっている。
大会屈指の好カードになった。敦賀気比の初戦の相手は広島の名門・広陵。各地区大会優勝校が集う昨年十一月の明治神宮大会準優勝校だ。投打ともに戦力が充実しており、今大会では優勝候補の一角に挙がる。東哲平監督は「毎年強いチームをつくっている印象」と気を引き締める。
エースの上加世田頼希(うえかせだらいき)主将が警戒するのが、広陵の打撃力。神宮大会は強豪相手に打ち勝って決勝に進出しただけに「特に三、四、五番はスイングが鋭い」と分析する。チーム打率は3割4分1厘で長打も多いが、「抑えれば自分にとっても絶対力になる。一球たりとも気を抜かずに投げたい」と対戦を待ち切れない。
チームは北信越大会を制したものの、神宮大会では二回戦で大阪桐蔭(大阪)に完敗。力の差を埋めるべく、オフの期間はスイングスピードや球速の向上など、徹底的に個人のレベルアップを図った。
二〇一五年大会以来となる二度目の頂点への期待もかかるが、「先を見ずに一戦一戦、自分たちの持っている力をすべて出し切りたい」と上加世田主将。東監督はチームの成長に手応えを感じつつ「ためてきた力を発揮できるようにしっかり調整していきたい」と初戦をにらんだ。 (林侑太郎)
< 対戦校プロフィル >
広陵 1896(明治29)年に広島市で設立された私立校。野球部は春の甲子園で3度優勝しており、有原航平投手(レンジャーズ)、小林誠司捕手(巨人)など多くのプロ野球選手を輩出している。昨秋の明治神宮大会は2回戦で明秀日立(茨城)を5−3、準決勝で花巻東(岩手)を10−9で破った。決勝は大阪桐蔭(大阪)に7−11で敗れたものの、打力の高さを示した。
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