特別対談 大竹しのぶさん × #生田絵梨花# さん
大人ならではの心の”ほどき方”とは?
巡り来た春。新しいことに挑戦、していますか?
まだ見ぬ人に出会い、新鮮な世界に飛び込む喜びは、いくつになっても感じていたいもの。
世代や歩んできた道は違っても、今、ともにいることを喜べる。
まもなく開幕する華やかなミュージカルで共演するおふたりに、大人ならではの心の”ほどき方”、伺いました。
大竹しのぶさん(以下、大竹) ミュージカル『GYPSY』は、以前に別のキャストで上演されたものを観たことがありました。当時はまさか自分がやることになるとは思っていなかったけど、すごくいい曲がたくさんあって、何年か前から「やれたらいいな」と思い始めていて……それが今回、とうとう実現したんです。
生田絵梨花さん(以下、生田) ダンスやショーのシーンもあって、自分としてはすごく冒険なんですが、今日、初めて歌を合わせてみて、すごく嬉しくなりました。「わぁ、しのぶさんと歌ってる!」って。
—自分がぜんぜんできないことに打ちのめされた代わりに、少しずつできていく喜びも味わえた
大竹 フフフ。以前、ドラマでは共演したけど、舞台は初めてだものね。いくちゃん(=生田さん)が出演したミュージカル、観せてもらいましたが、素敵でしたよ。舞台にスッと立っている姿が美しいなぁと思った。アイドルとして活動しながら、ずっと舞台を続けてきたんでしょう? 私は本格的にミュージカルを始めたのは16年前で、最初の頃はぜんぜん歌えなくて、毎日毎日、居残り稽古の連続で。
生田 へえーっ。
大竹 それまでお芝居では、難しい役だなぁというのはあっても「できない」と悩んだことがなかったんです(それも傲慢ですね)。でも、自分がぜんぜんできないことに打ちのめされた代わりに、少しずつできていく喜びも味わえたというか……。それに、稽古場に音楽があるってなんて素敵なんだろう!って感動しましたね。数式のように組み上がった音符を追ってひとつの歌を一緒に歌うだけで、初めて会う人たちともすぐに話せるようになれるなんて、すごいことだなって。
生田 わかります。私は、最初はグループで活動していたこともあって、その環境の中だけに意識が向きがちで、外に対して心が開きにくいところがあったんです。でも、ミュージカルの現場で先輩方に助けていただきながら、大勢の人と一緒に時間をかけてものづくりをしていくなかで、ようやく人が好きだな、もっと人のことを知りたいなと思うようになれて……。心を豊かにさせてもらっているなと思います。
大竹 普通のお芝居の現場だと、先輩後輩だとか、主役とそれ以外だとかの間になんとなくある距離を、時間をかけて縮めていくんだけど、音楽がない現場でもそうでなくちゃいけないなとつくづく感じましたね。
生田 でも、ドラマで共演した時、慣れずにNGを連発する私に「読み合わせしようか ?」と声をかけてくださって、すごく救われたんですよ。私だけでなく現場の皆がそう感じていて、やっぱり居方がすごいなぁと。そういうところも私は今回、学ばせていただかなきゃと思っていて。
大竹 なんだろう……とにかく、好きになること? 皆を好きになる、愛するというか。若いとか、年をとっているとか、誰が主役だとかは関係なく「この人と話したいな」と思ったら、まず自分から動いて話しかければいいんじゃないのかな。それで面白いと思えば、たぶんずっと友だちでいられるし。面白くなければ、まあ……だけど。
生田 アハハ! ハッキリ言いますね。
大竹 だって、面白くないのに一緒にいても仕方がないじゃない?(笑) それよりは「この人の力になりたいな」「この人から学びたいな」という人と繋がっていけたら。年代とか、立場とか関係なく。
生田 本当に、その通りですね。
—正直に人と向き合えば、何かが生まれる。私たち、すごくいい仕事をしているよね
大竹 なにより、正直でいることが絶対に大切なんだと思う。特に、こうしてものを作る人間なら、正直に人と向かい合えてこそ、そこからなにかを生み出せるわけで……。だから私たち、すごくいい仕事をしているんだと思いますよ。人と人との関わりを作っていくことについては。
生田 そうですね。私も今からどんどん行くぞ!って思いました。とりあえず今回は、しのぶさんの胸をお借りして……。
大竹 こちらこそ。歌、しっかり教えてくださいね。お芝居は、たぶん教えてあげられると思うから(笑)。
大人ならではの心の”ほどき方”とは?
巡り来た春。新しいことに挑戦、していますか?
まだ見ぬ人に出会い、新鮮な世界に飛び込む喜びは、いくつになっても感じていたいもの。
世代や歩んできた道は違っても、今、ともにいることを喜べる。
まもなく開幕する華やかなミュージカルで共演するおふたりに、大人ならではの心の”ほどき方”、伺いました。
大竹しのぶさん(以下、大竹) ミュージカル『GYPSY』は、以前に別のキャストで上演されたものを観たことがありました。当時はまさか自分がやることになるとは思っていなかったけど、すごくいい曲がたくさんあって、何年か前から「やれたらいいな」と思い始めていて……それが今回、とうとう実現したんです。
生田絵梨花さん(以下、生田) ダンスやショーのシーンもあって、自分としてはすごく冒険なんですが、今日、初めて歌を合わせてみて、すごく嬉しくなりました。「わぁ、しのぶさんと歌ってる!」って。
—自分がぜんぜんできないことに打ちのめされた代わりに、少しずつできていく喜びも味わえた
大竹 フフフ。以前、ドラマでは共演したけど、舞台は初めてだものね。いくちゃん(=生田さん)が出演したミュージカル、観せてもらいましたが、素敵でしたよ。舞台にスッと立っている姿が美しいなぁと思った。アイドルとして活動しながら、ずっと舞台を続けてきたんでしょう? 私は本格的にミュージカルを始めたのは16年前で、最初の頃はぜんぜん歌えなくて、毎日毎日、居残り稽古の連続で。
生田 へえーっ。
大竹 それまでお芝居では、難しい役だなぁというのはあっても「できない」と悩んだことがなかったんです(それも傲慢ですね)。でも、自分がぜんぜんできないことに打ちのめされた代わりに、少しずつできていく喜びも味わえたというか……。それに、稽古場に音楽があるってなんて素敵なんだろう!って感動しましたね。数式のように組み上がった音符を追ってひとつの歌を一緒に歌うだけで、初めて会う人たちともすぐに話せるようになれるなんて、すごいことだなって。
生田 わかります。私は、最初はグループで活動していたこともあって、その環境の中だけに意識が向きがちで、外に対して心が開きにくいところがあったんです。でも、ミュージカルの現場で先輩方に助けていただきながら、大勢の人と一緒に時間をかけてものづくりをしていくなかで、ようやく人が好きだな、もっと人のことを知りたいなと思うようになれて……。心を豊かにさせてもらっているなと思います。
大竹 普通のお芝居の現場だと、先輩後輩だとか、主役とそれ以外だとかの間になんとなくある距離を、時間をかけて縮めていくんだけど、音楽がない現場でもそうでなくちゃいけないなとつくづく感じましたね。
生田 でも、ドラマで共演した時、慣れずにNGを連発する私に「読み合わせしようか ?」と声をかけてくださって、すごく救われたんですよ。私だけでなく現場の皆がそう感じていて、やっぱり居方がすごいなぁと。そういうところも私は今回、学ばせていただかなきゃと思っていて。
大竹 なんだろう……とにかく、好きになること? 皆を好きになる、愛するというか。若いとか、年をとっているとか、誰が主役だとかは関係なく「この人と話したいな」と思ったら、まず自分から動いて話しかければいいんじゃないのかな。それで面白いと思えば、たぶんずっと友だちでいられるし。面白くなければ、まあ……だけど。
生田 アハハ! ハッキリ言いますね。
大竹 だって、面白くないのに一緒にいても仕方がないじゃない?(笑) それよりは「この人の力になりたいな」「この人から学びたいな」という人と繋がっていけたら。年代とか、立場とか関係なく。
生田 本当に、その通りですね。
—正直に人と向き合えば、何かが生まれる。私たち、すごくいい仕事をしているよね
大竹 なにより、正直でいることが絶対に大切なんだと思う。特に、こうしてものを作る人間なら、正直に人と向かい合えてこそ、そこからなにかを生み出せるわけで……。だから私たち、すごくいい仕事をしているんだと思いますよ。人と人との関わりを作っていくことについては。
生田 そうですね。私も今からどんどん行くぞ!って思いました。とりあえず今回は、しのぶさんの胸をお借りして……。
大竹 こちらこそ。歌、しっかり教えてくださいね。お芝居は、たぶん教えてあげられると思うから(笑)。
老いをみるまなざし第66回 繭#健康身体 健康地球 健康生活#
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
「繭一つ取り残された梁のうえ」
私が小学生の時に作った俳句である。
小学生の高学年の時だったような気がする。
学校の先生に褒められたわけではないが今でも覚えている。
家の中で飼われていた蚕は夏の間に天井の梁に登り糸を吐いて繭をつくった。
冬の夜に、その繭を私がみつけたのだ。
今では養蚕(ようさん)を営む農家はなくなってしまったが、昭和20-30年代の信州の主産業は養蚕であった。
その当時の長野県には信州大学に繊維学部があり日本を代表する製糸会社であった片倉製糸工業があった。
養蚕業は当時の農家にとって貴重な現金収入であったので、人々は蚕のことを「お蚕様」と呼んだ。
初夏から秋にかけて我が家の主人公は蚕であった。
どの部屋にも蚕のための棚がつくられて人間は蚕の間に布団を敷いて寝たものだ。
古い農家に大きな家が多いのは当時の養蚕の名残りである。
母は畑から桑の葉をとってきてお蚕様に与えた。
母の苦労を見ていた私は「蚕を畑で飼えばいいのに」と子供心に思ったものだ。
しかしこの原稿を書くにあたりYahoo!で"蚕"を調べてみると、蚕は絹を生産するために人間によって家畜化された昆虫であり、野生動物としては存在しないのだということが分かった。
野生回帰能力を失ってしまった唯一の家畜化動物であり、人間による管理なしでは生きることができないそうだ。
なにしろ5000年も前から人間に飼われてきた昆虫である。
完全に人間の所有物になってしまったのだ。
蚕を畑の桑の葉にとまらせても、餌の桑の葉を探さないまま餓死してしまうそうだ。
私は大人びた子供であった。子供心にそんな自分が嫌いであった。
大人に「気に入られよう」と媚びた行動をとり、それが大人の嫌悪感を誘発して更に嫌われるという悪循環に陥っていた。
私はその循環を自覚しており抜け出すために早く大人になりたかった。
天井に発見した繭から飛び立つ蝶のように青空に向かって飛び出したかった。
私が俳句を作ったのは冬の夜であった。
しんしんと雪の降る夜に、私は天井に繭を見つけたのだった。
冬の夜の雪は遥か彼方の夜の底から降ってきた。
朝になると、世界は繭のように真っ白に変わっていた。
田んぼも天竜川の土手も白い雪に覆われた白銀の世界であった。
世界が変わる予感に満ちていて、私はわけもなく嬉しかった。
お蚕様は梁の上の繭の中で蛹(サナギ)となり脱皮してほどなくして空中に飛び立っていったものと思っていた。
しかし今(2023年2月)Yahoo!で調べてみると、蛹から脱皮した成虫は蛾(ガ)となるのだが、翅(ハネ)はあるが羽ばたくことはできないことがわかった。体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化していることが原因だそうだ。
私が見つけた梁の上のお蚕様は家から抜け出すことができずに天井から落下して死んでいたのであった。
図:老いをみるまなざし_第66回_繭_天井の梁に蚕が糸を吐いて作った繭を見上げる著者を表す図。
(イラスト:茶畑和也)
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
「繭一つ取り残された梁のうえ」
私が小学生の時に作った俳句である。
小学生の高学年の時だったような気がする。
学校の先生に褒められたわけではないが今でも覚えている。
家の中で飼われていた蚕は夏の間に天井の梁に登り糸を吐いて繭をつくった。
冬の夜に、その繭を私がみつけたのだ。
今では養蚕(ようさん)を営む農家はなくなってしまったが、昭和20-30年代の信州の主産業は養蚕であった。
その当時の長野県には信州大学に繊維学部があり日本を代表する製糸会社であった片倉製糸工業があった。
養蚕業は当時の農家にとって貴重な現金収入であったので、人々は蚕のことを「お蚕様」と呼んだ。
初夏から秋にかけて我が家の主人公は蚕であった。
どの部屋にも蚕のための棚がつくられて人間は蚕の間に布団を敷いて寝たものだ。
古い農家に大きな家が多いのは当時の養蚕の名残りである。
母は畑から桑の葉をとってきてお蚕様に与えた。
母の苦労を見ていた私は「蚕を畑で飼えばいいのに」と子供心に思ったものだ。
しかしこの原稿を書くにあたりYahoo!で"蚕"を調べてみると、蚕は絹を生産するために人間によって家畜化された昆虫であり、野生動物としては存在しないのだということが分かった。
野生回帰能力を失ってしまった唯一の家畜化動物であり、人間による管理なしでは生きることができないそうだ。
なにしろ5000年も前から人間に飼われてきた昆虫である。
完全に人間の所有物になってしまったのだ。
蚕を畑の桑の葉にとまらせても、餌の桑の葉を探さないまま餓死してしまうそうだ。
私は大人びた子供であった。子供心にそんな自分が嫌いであった。
大人に「気に入られよう」と媚びた行動をとり、それが大人の嫌悪感を誘発して更に嫌われるという悪循環に陥っていた。
私はその循環を自覚しており抜け出すために早く大人になりたかった。
天井に発見した繭から飛び立つ蝶のように青空に向かって飛び出したかった。
私が俳句を作ったのは冬の夜であった。
しんしんと雪の降る夜に、私は天井に繭を見つけたのだった。
冬の夜の雪は遥か彼方の夜の底から降ってきた。
朝になると、世界は繭のように真っ白に変わっていた。
田んぼも天竜川の土手も白い雪に覆われた白銀の世界であった。
世界が変わる予感に満ちていて、私はわけもなく嬉しかった。
お蚕様は梁の上の繭の中で蛹(サナギ)となり脱皮してほどなくして空中に飛び立っていったものと思っていた。
しかし今(2023年2月)Yahoo!で調べてみると、蛹から脱皮した成虫は蛾(ガ)となるのだが、翅(ハネ)はあるが羽ばたくことはできないことがわかった。体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化していることが原因だそうだ。
私が見つけた梁の上のお蚕様は家から抜け出すことができずに天井から落下して死んでいたのであった。
図:老いをみるまなざし_第66回_繭_天井の梁に蚕が糸を吐いて作った繭を見上げる著者を表す図。
(イラスト:茶畑和也)
一个要记录的事
之前训练到了瓶颈,具体表现为每天不管怎么练都觉得身体很“肥重”,我难免有些沮丧。之后因为改毕业论文及一些其他的事被迫停下,整整9天没有进行哪怕散步类的锻炼。
昨晚恢复训练,莫名觉得身体非常轻盈,状态特别高,自己能察觉到身体机能有了质的飞跃,负重训练后45min的有氧也不再需要毅力,而是成了简单发个呆就结束了的小菜一碟。非常奇妙。
这种奇妙积极反馈给我的精神状态:我开始对自己避而不谈的事情有了乐观的信心和规划,觉得只要我想这世界上不可能有挫折会击败我。同时也对我接下来要完成的一篇论文有了很好的灵感。
这种高涨状态促使我今早6点自然醒来完成作业,又在10点赶来上私教课。非常充裕的时间和富足的内心。
另外,一月一测的体脂反映,我竟在肌肉含量增加的情况下减了5%的体脂和11斤的体重。用教练的话来说,是非常有天赋而健康的减脂趋势。
加油。
之前训练到了瓶颈,具体表现为每天不管怎么练都觉得身体很“肥重”,我难免有些沮丧。之后因为改毕业论文及一些其他的事被迫停下,整整9天没有进行哪怕散步类的锻炼。
昨晚恢复训练,莫名觉得身体非常轻盈,状态特别高,自己能察觉到身体机能有了质的飞跃,负重训练后45min的有氧也不再需要毅力,而是成了简单发个呆就结束了的小菜一碟。非常奇妙。
这种奇妙积极反馈给我的精神状态:我开始对自己避而不谈的事情有了乐观的信心和规划,觉得只要我想这世界上不可能有挫折会击败我。同时也对我接下来要完成的一篇论文有了很好的灵感。
这种高涨状态促使我今早6点自然醒来完成作业,又在10点赶来上私教课。非常充裕的时间和富足的内心。
另外,一月一测的体脂反映,我竟在肌肉含量增加的情况下减了5%的体脂和11斤的体重。用教练的话来说,是非常有天赋而健康的减脂趋势。
加油。
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