#体育资讯# 【省体育局组织党员干部参观“江淮廉风—安徽廉政文化展”】
7月8日下午,省体育局组织党员、干部到安徽博物院老馆参观“江淮廉风—安徽廉政文化展”。局党组书记、局长李军,局党组成员、副局长戴忠林,局机关全体党员、干部和各直属单位领导班子成员共计120余人参加参观活动。
在解说员的引导下,参观人员认真观看了廉政文化展览。此次文化展深度挖掘安徽省内丰富的廉政文化资源,以安徽博物院馆藏为依托,综合展示安徽优秀廉政文化。展览共设有“清风峻节 思教为先”“清明廉洁 改善吏治”“廉以载道 资鉴春秋”三个单元,分别从廉洁思想理论、官吏廉政举措和经典廉洁故事三个块面,讲述“安徽人”自己的廉政故事。展厅另设置有“戒贪壁”“徽州府衙”“六尺巷”等场景复原,“皮影小剧场”、包拯文化互动等区域,以丰富展陈效果,提升观众的观展体验。
观看结束后,大家一致认为,“江淮廉风—安徽廉政文化展”挖掘了安徽地域优秀传统廉政文化及其背后的故事,发挥了其当代价值,纷纷表示,将以史为鉴,不忘初心,牢记使命,进一步树立起廉洁做人、廉洁做事的理念,传承江淮廉风,积极参与到新时代廉政建设中来。
李军指出,组织开展这次参观活动意义重大,既是一次接受中华优秀传统文化的熏陶,也是一次深刻的廉政教育。我们要深刻认识中华优秀传统文化的内在价值和功能,不断传承发扬,做到古为今用,鉴往知来;要从安徽源远流长的廉政文化中汲取营养,涵养廉政思想,加强党性修养;要把观展的感悟收获转化为推进体育事业健康发展的自觉行动,坚守廉洁操守,筑牢廉政防线,始终做到廉洁自律。局系统各级党组织要结合参观“江淮廉风—安徽廉政文化展”活动,加强对党员、干部的廉政教育。
7月8日下午,省体育局组织党员、干部到安徽博物院老馆参观“江淮廉风—安徽廉政文化展”。局党组书记、局长李军,局党组成员、副局长戴忠林,局机关全体党员、干部和各直属单位领导班子成员共计120余人参加参观活动。
在解说员的引导下,参观人员认真观看了廉政文化展览。此次文化展深度挖掘安徽省内丰富的廉政文化资源,以安徽博物院馆藏为依托,综合展示安徽优秀廉政文化。展览共设有“清风峻节 思教为先”“清明廉洁 改善吏治”“廉以载道 资鉴春秋”三个单元,分别从廉洁思想理论、官吏廉政举措和经典廉洁故事三个块面,讲述“安徽人”自己的廉政故事。展厅另设置有“戒贪壁”“徽州府衙”“六尺巷”等场景复原,“皮影小剧场”、包拯文化互动等区域,以丰富展陈效果,提升观众的观展体验。
观看结束后,大家一致认为,“江淮廉风—安徽廉政文化展”挖掘了安徽地域优秀传统廉政文化及其背后的故事,发挥了其当代价值,纷纷表示,将以史为鉴,不忘初心,牢记使命,进一步树立起廉洁做人、廉洁做事的理念,传承江淮廉风,积极参与到新时代廉政建设中来。
李军指出,组织开展这次参观活动意义重大,既是一次接受中华优秀传统文化的熏陶,也是一次深刻的廉政教育。我们要深刻认识中华优秀传统文化的内在价值和功能,不断传承发扬,做到古为今用,鉴往知来;要从安徽源远流长的廉政文化中汲取营养,涵养廉政思想,加强党性修养;要把观展的感悟收获转化为推进体育事业健康发展的自觉行动,坚守廉洁操守,筑牢廉政防线,始终做到廉洁自律。局系统各级党组织要结合参观“江淮廉风—安徽廉政文化展”活动,加强对党员、干部的廉政教育。
2020.06.13 VIVI 官网更新 文 #山下智久[超话]#
2020年7月号 https://t.cn/A6L4pgpn
試練の裏側には“幸せのヒント”が隠れている!山Pのピンチをチャンスに変える方法【山下智久のP’s STYLE】
“山P的なもの”を発信していくViVi連載“P’s STYLE”。今回の連載はそれぞれの場所からのリモート取材。STAY HOMEな今だからできるレアな撮影だけど、山Pの中でも人に会いたい欲は高まっているようで。自分と向き合って気づいたこと、教えてもらいました。
インタビュー:PATIENCE
新しく始めたこと、増えた時間。山Pの“STAY HOME”生活
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出てから約1ヵ月。ViVi読者のみんなと同じく、僕もSTAY HOME生活を送っています。家の中で過ごし続ける毎日は、今まで普通だと思っていたことが当たり前ではない、実はとても有り難いことだったんだという気付きの連続。なかでも個人的に一番痛感したのが“人に会えない辛さ”かな。
仕事柄、僕は海外に行くことが多いんだけど、実は、海外滞在中に日本に連絡することは滅多になくて。あっても月に一度ほど、本当に大切な友人や家族に電話をかけるくらい。だからこそ、基本的に“孤独”には強い人間だと思っていたんだけど……。友達がいない前提で行く海外の寂しさと、今感じている寂しさはやっぱり少し違うよね。すぐ近くにいるからこそ、会いたい気持ちが高まるし、諦めもつかないっていうか。
僕はもともと計画を立てて友達と会うタイプではなくて。パッと思いついたときに「会おうよ」って連絡をするタイプだから。会いたいときに会えない、行動できない、その辛さもヒシヒシと感じていたりしてね。
STAY HOMEをスタートさせてから始めたことがいくつかある。そのひとつが“一日一善”ならぬ“1日1クリエイティブ”。歌詞を書く、映像の編集をする、次にやりたい仕事を書き出す……1日1個、なんでもいいから生み出してみようって。最近やったのはインスタグラムの動画編集。友達に教えてもらいながら、二人で作ったりもします。PCを使ってリモートでやり取りしながらね。
料理も新しく始めたこと。今までは滅多にしなかったんだけど、こんなときだからこそやってみようかなって。とりあえず「切るのが速いとカッコイイかな」って、無駄にキャベツを千切りしてみたりして(笑)。
新たに増えたのはトレーニング時間。背筋用の器具やエアロバイクなどトレーニングアイテムがどんどん増えて部屋がジム化してる。毎朝、それらを使って自分を追い込むトレーニングを30分。そこで思いっきりエネルギーを使うと「あれしたい」「これしたい」っていう煩悩が吹き飛んでいく気がするね。
動画や映画を観る時間もすごく増えた。一時期は、寝る前に都市伝説の動画を探して観るのがブームで。なかでも大好きなのが宇宙系のネタ。「母親の次に好きになったのは宇宙」と言っても過言ではないほど、子供の頃から大好きで。そこに関してはもう、ほぼ観尽くしたんじゃないかな。
こないだ、アメリカの国防総省がUFOの動画を公開したけど、あれも別に驚かなかった。だって、飛んでてもおかしくないよね(笑)。宇宙はいい。未知のフィールドにはロマンがある。
自分自身と向き合う日々が改めて教えてくれた“大切なこと”
何もない日の起床時間はたいてい9時。そこから1時間くらいはのんびりストレッチをして、体が動き始めたらトレーニング開始。スッキリしたあとは昼食を食べながら「今日はどんなクリエイティブをするか」を考える。で、自分にひとつ課題を与えて向き合っていると、気づけば夜になっちゃうんだよね。
基本的にダラダラ過ごすのが好きじゃないから。夜も映画を観たり、英単語を覚えたり、寝る直前まで何かしらやっている。それが僕のSTAY HOMEな一日。
これだけ長い時間を自由に使える機会はなかなかないと思うから。どうせなら有意義に使いたい。今はできないことも沢山あるけど、今だからこそできることもきっと沢山ある。
僕にとって家で過ごす時間は、改めて自分自身と向き合う大切な時間にもなっていて。日々、自分の心の声に耳を傾けながらいろんなことを考えています。例えば、自分の仕事についてとかね。
エンターテインメントは“要”でも“急”でもないもので、「なくていい」と言われてしまえばそれまで。でも何もしないのもまた違うなって。「今、自分にできること」についてもすごく考えた。そこで始めたもののひとつがインスタライブだったりもして。
普段、みんなが送ってくれる手紙ももちろん読んでいるけど、タイムラグなくダイレクトに受け取るメッセージはまた違った角度で心にジンと響くものがある。それが今の僕にとって大きな励みになっていたりして。応援してくれる人達に何か届けたい思いで始めたことなのに、逆に僕がもらってばかり。本当、有り難いことだよね。
こうやって話していると強く感じる。僕が沢山の人に支えられて立っていること、僕にとってその人たちがどれだけ大切なのかってことを。それはSTAY HOMEな毎日が僕に改めて気づかせてくれたこと。
以前のような日常が戻ってきたら、会いたい人が沢山いる。実は今日のこのインタビューも離れた場所からやっているんですよ。PC画面の向こうに連載スタッフのみんながいて、画面越しにお互いの顔を見ながら話しているわけ。
気づけば、ViViの連載も今年で7年目。僕にとってこの連載は“仕事”というよりも“仲間”に会いにいくような感覚。毎月、当たり前のように会えていたスタッフさん達にも今は会えない。さっきも「来月は会えたらいいね」なんて話を画面越しにしたばかりだしね。
友達にも家族にも会いたいし、応援してくれるみんなにも会いたい。ずっと室内で過ごしているからこそ「眺めるだけでいいから海にいきたい」なんて願望もあるけど、それよりもまず、何よりもやりたいのはやっぱりコンサートだよね。
日々、「会いたい」気持ちは募るばかり。でも、それが募れば募るほど会えたときの喜びは絶対に大きくなるはず。その瞬間を楽しみにしているからこそ、今の僕は頑張れているわけです。
思い通りにいかないときに唱える「no pain no gain」という言葉
人生には「思い通りにならない」「上手くいかない」そう感じる瞬間が必ずあると思う。そんな壁にぶち当たるたび、僕が心の中で唱えるのが「no pain no gain(労力なくして得るものなし)」という言葉。
トレーニングを重ねて強靭になる筋肉と同じ、肉体的にも精神的にも負荷がかかったときに人は強くなれる。試練は強くなるためのチャンス。また、試練は人を強くするだけでなく、今まで見逃していた幸せにも気づかせてくれる。
僕は「人は皆、幸せになるために生まれてきた」と信じています。ただ、その幸せは痛みや失敗を何度も繰り返し、乗り越えた先にあるんだと思う。
辛いこともあれば、喜びもある、それが人生。どちらかだけが長く続くことはない。だからこそ、大変な時期をどう次のチャンスに生かすか、僕はそこに意識をむけて壁を乗り越えてきました。
一人では乗り越えられない壁も、二人や、三人と力になってくれる人がいれば乗り越えることができる。周りにいる人を頼るのも、時には大切なこと。それによって絆が強くなることだってある。
試練の裏側にはいつだって“幸せのヒント”が隠れていて、それを探しつつ耐えているうちに、気づけば「そんなこともあったね」と笑える自分に成長していたりしてね。
僕はこのSTAYHOME期間もそんなふうに成長するための時間だと考えています。これからも大変な時期が続くかもしれないけど、いつかみんなに会えたときには「成長したね」と言ってもらえるようにね。
感度の高いViVi読者の中には、オシャレやメイクや恋愛すら楽しめないこの時期を「辛い」と感じている人もいるかもしれない。そんな人にアドバイスをするならば……家で過ごす時間を美に費やし“綺麗になるための時間”に変えてしまうのはどうかな。
また、試練を乗り越えた人ってひとまわり大きくなるし魅力的になるじゃないですか。ある意味、今は素敵な女性になるチャンス。俯かずに上を向いて、高く、高く、飛んで行こう!
PROFILE
山下智久
1985年生まれ、千葉県出身。Huluの世界規模配信大型ドラマ「THE HEAD」の公開を6/12に控えている。
Text: Miwa Ishii
2020年7月号 https://t.cn/A6L4pgpn
試練の裏側には“幸せのヒント”が隠れている!山Pのピンチをチャンスに変える方法【山下智久のP’s STYLE】
“山P的なもの”を発信していくViVi連載“P’s STYLE”。今回の連載はそれぞれの場所からのリモート取材。STAY HOMEな今だからできるレアな撮影だけど、山Pの中でも人に会いたい欲は高まっているようで。自分と向き合って気づいたこと、教えてもらいました。
インタビュー:PATIENCE
新しく始めたこと、増えた時間。山Pの“STAY HOME”生活
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出てから約1ヵ月。ViVi読者のみんなと同じく、僕もSTAY HOME生活を送っています。家の中で過ごし続ける毎日は、今まで普通だと思っていたことが当たり前ではない、実はとても有り難いことだったんだという気付きの連続。なかでも個人的に一番痛感したのが“人に会えない辛さ”かな。
仕事柄、僕は海外に行くことが多いんだけど、実は、海外滞在中に日本に連絡することは滅多になくて。あっても月に一度ほど、本当に大切な友人や家族に電話をかけるくらい。だからこそ、基本的に“孤独”には強い人間だと思っていたんだけど……。友達がいない前提で行く海外の寂しさと、今感じている寂しさはやっぱり少し違うよね。すぐ近くにいるからこそ、会いたい気持ちが高まるし、諦めもつかないっていうか。
僕はもともと計画を立てて友達と会うタイプではなくて。パッと思いついたときに「会おうよ」って連絡をするタイプだから。会いたいときに会えない、行動できない、その辛さもヒシヒシと感じていたりしてね。
STAY HOMEをスタートさせてから始めたことがいくつかある。そのひとつが“一日一善”ならぬ“1日1クリエイティブ”。歌詞を書く、映像の編集をする、次にやりたい仕事を書き出す……1日1個、なんでもいいから生み出してみようって。最近やったのはインスタグラムの動画編集。友達に教えてもらいながら、二人で作ったりもします。PCを使ってリモートでやり取りしながらね。
料理も新しく始めたこと。今までは滅多にしなかったんだけど、こんなときだからこそやってみようかなって。とりあえず「切るのが速いとカッコイイかな」って、無駄にキャベツを千切りしてみたりして(笑)。
新たに増えたのはトレーニング時間。背筋用の器具やエアロバイクなどトレーニングアイテムがどんどん増えて部屋がジム化してる。毎朝、それらを使って自分を追い込むトレーニングを30分。そこで思いっきりエネルギーを使うと「あれしたい」「これしたい」っていう煩悩が吹き飛んでいく気がするね。
動画や映画を観る時間もすごく増えた。一時期は、寝る前に都市伝説の動画を探して観るのがブームで。なかでも大好きなのが宇宙系のネタ。「母親の次に好きになったのは宇宙」と言っても過言ではないほど、子供の頃から大好きで。そこに関してはもう、ほぼ観尽くしたんじゃないかな。
こないだ、アメリカの国防総省がUFOの動画を公開したけど、あれも別に驚かなかった。だって、飛んでてもおかしくないよね(笑)。宇宙はいい。未知のフィールドにはロマンがある。
自分自身と向き合う日々が改めて教えてくれた“大切なこと”
何もない日の起床時間はたいてい9時。そこから1時間くらいはのんびりストレッチをして、体が動き始めたらトレーニング開始。スッキリしたあとは昼食を食べながら「今日はどんなクリエイティブをするか」を考える。で、自分にひとつ課題を与えて向き合っていると、気づけば夜になっちゃうんだよね。
基本的にダラダラ過ごすのが好きじゃないから。夜も映画を観たり、英単語を覚えたり、寝る直前まで何かしらやっている。それが僕のSTAY HOMEな一日。
これだけ長い時間を自由に使える機会はなかなかないと思うから。どうせなら有意義に使いたい。今はできないことも沢山あるけど、今だからこそできることもきっと沢山ある。
僕にとって家で過ごす時間は、改めて自分自身と向き合う大切な時間にもなっていて。日々、自分の心の声に耳を傾けながらいろんなことを考えています。例えば、自分の仕事についてとかね。
エンターテインメントは“要”でも“急”でもないもので、「なくていい」と言われてしまえばそれまで。でも何もしないのもまた違うなって。「今、自分にできること」についてもすごく考えた。そこで始めたもののひとつがインスタライブだったりもして。
普段、みんなが送ってくれる手紙ももちろん読んでいるけど、タイムラグなくダイレクトに受け取るメッセージはまた違った角度で心にジンと響くものがある。それが今の僕にとって大きな励みになっていたりして。応援してくれる人達に何か届けたい思いで始めたことなのに、逆に僕がもらってばかり。本当、有り難いことだよね。
こうやって話していると強く感じる。僕が沢山の人に支えられて立っていること、僕にとってその人たちがどれだけ大切なのかってことを。それはSTAY HOMEな毎日が僕に改めて気づかせてくれたこと。
以前のような日常が戻ってきたら、会いたい人が沢山いる。実は今日のこのインタビューも離れた場所からやっているんですよ。PC画面の向こうに連載スタッフのみんながいて、画面越しにお互いの顔を見ながら話しているわけ。
気づけば、ViViの連載も今年で7年目。僕にとってこの連載は“仕事”というよりも“仲間”に会いにいくような感覚。毎月、当たり前のように会えていたスタッフさん達にも今は会えない。さっきも「来月は会えたらいいね」なんて話を画面越しにしたばかりだしね。
友達にも家族にも会いたいし、応援してくれるみんなにも会いたい。ずっと室内で過ごしているからこそ「眺めるだけでいいから海にいきたい」なんて願望もあるけど、それよりもまず、何よりもやりたいのはやっぱりコンサートだよね。
日々、「会いたい」気持ちは募るばかり。でも、それが募れば募るほど会えたときの喜びは絶対に大きくなるはず。その瞬間を楽しみにしているからこそ、今の僕は頑張れているわけです。
思い通りにいかないときに唱える「no pain no gain」という言葉
人生には「思い通りにならない」「上手くいかない」そう感じる瞬間が必ずあると思う。そんな壁にぶち当たるたび、僕が心の中で唱えるのが「no pain no gain(労力なくして得るものなし)」という言葉。
トレーニングを重ねて強靭になる筋肉と同じ、肉体的にも精神的にも負荷がかかったときに人は強くなれる。試練は強くなるためのチャンス。また、試練は人を強くするだけでなく、今まで見逃していた幸せにも気づかせてくれる。
僕は「人は皆、幸せになるために生まれてきた」と信じています。ただ、その幸せは痛みや失敗を何度も繰り返し、乗り越えた先にあるんだと思う。
辛いこともあれば、喜びもある、それが人生。どちらかだけが長く続くことはない。だからこそ、大変な時期をどう次のチャンスに生かすか、僕はそこに意識をむけて壁を乗り越えてきました。
一人では乗り越えられない壁も、二人や、三人と力になってくれる人がいれば乗り越えることができる。周りにいる人を頼るのも、時には大切なこと。それによって絆が強くなることだってある。
試練の裏側にはいつだって“幸せのヒント”が隠れていて、それを探しつつ耐えているうちに、気づけば「そんなこともあったね」と笑える自分に成長していたりしてね。
僕はこのSTAYHOME期間もそんなふうに成長するための時間だと考えています。これからも大変な時期が続くかもしれないけど、いつかみんなに会えたときには「成長したね」と言ってもらえるようにね。
感度の高いViVi読者の中には、オシャレやメイクや恋愛すら楽しめないこの時期を「辛い」と感じている人もいるかもしれない。そんな人にアドバイスをするならば……家で過ごす時間を美に費やし“綺麗になるための時間”に変えてしまうのはどうかな。
また、試練を乗り越えた人ってひとまわり大きくなるし魅力的になるじゃないですか。ある意味、今は素敵な女性になるチャンス。俯かずに上を向いて、高く、高く、飛んで行こう!
PROFILE
山下智久
1985年生まれ、千葉県出身。Huluの世界規模配信大型ドラマ「THE HEAD」の公開を6/12に控えている。
Text: Miwa Ishii
看道教忏悔与心理治疗的差别!
#道#
在宗教学中往往非常强调每个教徒个人的宗教体验,只有历经过某种具有神秘性质的宗教体验,才能加强人们的信仰基础。
这份宗教体验在不同的教派和人们身上均有不同的表现形式,但纵观世界范围内的多种宗教,唯有忏悔这一行为是所有宗教信仰都必须要进行的仪式。
忏悔是道教重要的修行
提起忏悔,很多人的第一印象都会想起基督教徒向神父忏悔的景象。《福音书》中说:“你们赦免谁的罪,谁的罪就赦免了,你们留下谁的罪,谁的罪就留下。”在其教理教义中认为,教会和神父具有赦免人们身上罪过的职能,只要人们诚心忏悔,就能得到赦免。
所以基督教的教堂中都会设立告解室,来求赦的教徒在告解室的一端,神父在另一端,彼此都看不到对方,在保证了个人隐私的前提下,使得教徒敢于大胆说出自己的罪过。
这是世界宗教中最典型的忏悔行为,人们在进行自我忏悔、自我反思的同时,也会因为放下了过往过错的负担而开始心的生活。
相比具有成熟忏悔观和忏悔行为的西方宗教,东方宗教给人们的印象似乎更倾向于某种神秘主义和仪式化,却少有让信徒直接进行自我忏悔的内容。如果产生如此观点,则是对东方的教义并不熟悉。其实忏悔一直都是道教修行中最为重要的内容。在法会坛场的最后送化阶段,有一段名为“大赞”的唱词,曰“焚香礼拜谢神恩,求忏悔罪灭福生”。
道长们为信士举行阴阳法会,首要的一点要求是对神明的真心信奉。道家强调的信仰,不仅仅是对祖师玄妙神力的信奉,更是在教导人们应该谨记祖师的谆谆教诲,并以此为戒来规范自我的修行。修真的过程,正是在一点点去除掉日常生活中诱惑和欲望,唯有不断地反思自我,才能够为日日精进打下前提。
所以“求忏悔”,本身代表的便是对修行和信仰的渴求。《后汉书·刘焉传》注引《典略》说:“(张)角为太平道,(张)修为五斗米道。太平道师持九节仗为符祝,教病人叩头思过。”道教所倡导的宗教忏悔行为其实是可以追溯到天师道的设立初期,并且当时的忏悔还具有治病的功效。
早期天师道在行化时有一个非常重要的地方,称为“靖室”。此靖室,亦称静室,这个神秘的房间和基督教会中的告解室有类似的功能。陆修静在《道门科略》说:“奉道之家,靖室是致诚之所。其外别绝,不连他屋。其中清虚,不杂余物。开闭门户,不妄触突。洒扫精肃,常若神居。唯置香炉香灯章案书刀四物而已。”
前来祈求的信士会被专人引导进入靖室,天师道中的祭酒会为信士讲解《老子五千文》,又命人为其施以符水法咒,信士本人则需要把自我罪过誊写在纸上,取三份,“其一上之天,著山上,其一埋之地,其一沈(沉)之水”,以此为禀报天地水三官的文疏,祈求神明能够帮助信士本人消除身中灾障。在这一整套通过向神明忏悔而祈求消灾灭障的仪式过程中,起到关键作用的便是奉于天地水三官的“三官手书”。
天官赐福、地官赦罪、水官解厄,道教对三官大帝的信仰可以溯源到远古时期,而人们在虔诚礼拜神明的过程中进行自我忏悔往往也是产生信仰力量的源泉。而书写并上奏“三官手书”,便是要求信士对自我的行径进行悔过,并上报给神明,通过真心忏悔而得到神明的赦免。
“忏悔”可得清净法身来感召神明
其实“忏悔”是早已经印在中华文化骨子里的内容。不论是儒释道哪一家的思想中,都不缺乏对自我反省的要求。儒家强调“三省吾身”,佛家借清规戒律来涤荡身心,这都是忏悔的不同表现形式。在道家中,忏悔的内容主要集中在两个方面,一是适于普通大众阅读的劝善书,二是法师在坛场上使用的各种章表文辞。
劝善书是道教首创的概念。不论是在最早的劝善经典《赤松子中诫经》还是被大众熟知的《太上感应篇》中,均提出了“功过格”的概念,即人们可以根据每天善行、恶行的多寡自行记录在册。经文中提到,每日有司过之神会根据人们的功过来做福寿上的计算,“凡人有过,大则夺纪,小则夺算。其过大小,有数百事,欲求长生者,先须避之。”有了这等畏惧后,人们才会因此去反思自己行为的对错,这便是适用于每一个普通大众的忏悔形式。忏悔的意义不在于去计算自己做了多少错事,而在于能够从每一日的计量中明白错的根源是什么,从而为之后的行为提供规范、敲响警钟。《感应篇》中又言“一日有三善,三年天必降之福……一日有三恶,三年天必降之祸,胡不勉而行之”,道教的忏悔不是单纯地希求神明能够赦免罪过,而是更加鼓励人们以善行的力量来改变因曾经的错误而造成的恶果,从而积功累行,证圣成真。
而在道教的法坛上,高功称职文(法师在向天庭中的神仙表明身份以及秉奏祈愿的一段说辞)中有一句话叫“三业六根之过咎,道前咸灭”。三业指身、口、心三重业障,六根为眼根、耳根、鼻根、舌根、心根、意根。人们之所以需要忏悔,是因为我们受到自己七情六欲的牵引,很容易犯了身业、口业与心业。《清静经》曰“常能遣其欲,而心自静,澄其心,而神自清。自然六欲不生,三毒消灭”,唯有做到身心真一,消除因遍染六尘而造成的身心口上的妄为,才能以清静之体而感格神明。所以道教倡导的忏悔不仅仅是一种悔过,其更像是一种涤荡身心的洁净过程,唯有一念纯真才能够使神明施加于自己的护佑、法师施加于自己的符水法咒发挥出更大的效用。
基于对自我行为的悔过,人们才会心生善念,进而以清静法身来感召神明,从而得到诸神拥护的福邸。一些医学理论家单纯地认为,忏悔只是一种通过简单心理疗法来改变实际行动,这其实是对道教宗教仪式的极大误解。道教早期在书写“三官手书”的同时还要加上专人的法咒施用后,才能够起到治病功效,这是建立在自我忏悔而得清静之体和向善之心基础上的功效。自我清静为本,符咒法术为用,二者不可缺一,唯有内外兼治,才是最根本的度人之法。
#道#
在宗教学中往往非常强调每个教徒个人的宗教体验,只有历经过某种具有神秘性质的宗教体验,才能加强人们的信仰基础。
这份宗教体验在不同的教派和人们身上均有不同的表现形式,但纵观世界范围内的多种宗教,唯有忏悔这一行为是所有宗教信仰都必须要进行的仪式。
忏悔是道教重要的修行
提起忏悔,很多人的第一印象都会想起基督教徒向神父忏悔的景象。《福音书》中说:“你们赦免谁的罪,谁的罪就赦免了,你们留下谁的罪,谁的罪就留下。”在其教理教义中认为,教会和神父具有赦免人们身上罪过的职能,只要人们诚心忏悔,就能得到赦免。
所以基督教的教堂中都会设立告解室,来求赦的教徒在告解室的一端,神父在另一端,彼此都看不到对方,在保证了个人隐私的前提下,使得教徒敢于大胆说出自己的罪过。
这是世界宗教中最典型的忏悔行为,人们在进行自我忏悔、自我反思的同时,也会因为放下了过往过错的负担而开始心的生活。
相比具有成熟忏悔观和忏悔行为的西方宗教,东方宗教给人们的印象似乎更倾向于某种神秘主义和仪式化,却少有让信徒直接进行自我忏悔的内容。如果产生如此观点,则是对东方的教义并不熟悉。其实忏悔一直都是道教修行中最为重要的内容。在法会坛场的最后送化阶段,有一段名为“大赞”的唱词,曰“焚香礼拜谢神恩,求忏悔罪灭福生”。
道长们为信士举行阴阳法会,首要的一点要求是对神明的真心信奉。道家强调的信仰,不仅仅是对祖师玄妙神力的信奉,更是在教导人们应该谨记祖师的谆谆教诲,并以此为戒来规范自我的修行。修真的过程,正是在一点点去除掉日常生活中诱惑和欲望,唯有不断地反思自我,才能够为日日精进打下前提。
所以“求忏悔”,本身代表的便是对修行和信仰的渴求。《后汉书·刘焉传》注引《典略》说:“(张)角为太平道,(张)修为五斗米道。太平道师持九节仗为符祝,教病人叩头思过。”道教所倡导的宗教忏悔行为其实是可以追溯到天师道的设立初期,并且当时的忏悔还具有治病的功效。
早期天师道在行化时有一个非常重要的地方,称为“靖室”。此靖室,亦称静室,这个神秘的房间和基督教会中的告解室有类似的功能。陆修静在《道门科略》说:“奉道之家,靖室是致诚之所。其外别绝,不连他屋。其中清虚,不杂余物。开闭门户,不妄触突。洒扫精肃,常若神居。唯置香炉香灯章案书刀四物而已。”
前来祈求的信士会被专人引导进入靖室,天师道中的祭酒会为信士讲解《老子五千文》,又命人为其施以符水法咒,信士本人则需要把自我罪过誊写在纸上,取三份,“其一上之天,著山上,其一埋之地,其一沈(沉)之水”,以此为禀报天地水三官的文疏,祈求神明能够帮助信士本人消除身中灾障。在这一整套通过向神明忏悔而祈求消灾灭障的仪式过程中,起到关键作用的便是奉于天地水三官的“三官手书”。
天官赐福、地官赦罪、水官解厄,道教对三官大帝的信仰可以溯源到远古时期,而人们在虔诚礼拜神明的过程中进行自我忏悔往往也是产生信仰力量的源泉。而书写并上奏“三官手书”,便是要求信士对自我的行径进行悔过,并上报给神明,通过真心忏悔而得到神明的赦免。
“忏悔”可得清净法身来感召神明
其实“忏悔”是早已经印在中华文化骨子里的内容。不论是儒释道哪一家的思想中,都不缺乏对自我反省的要求。儒家强调“三省吾身”,佛家借清规戒律来涤荡身心,这都是忏悔的不同表现形式。在道家中,忏悔的内容主要集中在两个方面,一是适于普通大众阅读的劝善书,二是法师在坛场上使用的各种章表文辞。
劝善书是道教首创的概念。不论是在最早的劝善经典《赤松子中诫经》还是被大众熟知的《太上感应篇》中,均提出了“功过格”的概念,即人们可以根据每天善行、恶行的多寡自行记录在册。经文中提到,每日有司过之神会根据人们的功过来做福寿上的计算,“凡人有过,大则夺纪,小则夺算。其过大小,有数百事,欲求长生者,先须避之。”有了这等畏惧后,人们才会因此去反思自己行为的对错,这便是适用于每一个普通大众的忏悔形式。忏悔的意义不在于去计算自己做了多少错事,而在于能够从每一日的计量中明白错的根源是什么,从而为之后的行为提供规范、敲响警钟。《感应篇》中又言“一日有三善,三年天必降之福……一日有三恶,三年天必降之祸,胡不勉而行之”,道教的忏悔不是单纯地希求神明能够赦免罪过,而是更加鼓励人们以善行的力量来改变因曾经的错误而造成的恶果,从而积功累行,证圣成真。
而在道教的法坛上,高功称职文(法师在向天庭中的神仙表明身份以及秉奏祈愿的一段说辞)中有一句话叫“三业六根之过咎,道前咸灭”。三业指身、口、心三重业障,六根为眼根、耳根、鼻根、舌根、心根、意根。人们之所以需要忏悔,是因为我们受到自己七情六欲的牵引,很容易犯了身业、口业与心业。《清静经》曰“常能遣其欲,而心自静,澄其心,而神自清。自然六欲不生,三毒消灭”,唯有做到身心真一,消除因遍染六尘而造成的身心口上的妄为,才能以清静之体而感格神明。所以道教倡导的忏悔不仅仅是一种悔过,其更像是一种涤荡身心的洁净过程,唯有一念纯真才能够使神明施加于自己的护佑、法师施加于自己的符水法咒发挥出更大的效用。
基于对自我行为的悔过,人们才会心生善念,进而以清静法身来感召神明,从而得到诸神拥护的福邸。一些医学理论家单纯地认为,忏悔只是一种通过简单心理疗法来改变实际行动,这其实是对道教宗教仪式的极大误解。道教早期在书写“三官手书”的同时还要加上专人的法咒施用后,才能够起到治病功效,这是建立在自我忏悔而得清静之体和向善之心基础上的功效。自我清静为本,符咒法术为用,二者不可缺一,唯有内外兼治,才是最根本的度人之法。
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