川村壱馬さん(THE RAMPAGE)にお悩み相談! 「人間関係で僕が大事にしているのは「好き」かどうか」
*节选自nonno 2023年9月号 川村壱馬論。
**Q&A
Q:ダンスサークルに所属していて、大会を控えているのですが、全員が同じ気持ちで目標に向かえていない状況で、困っています。
from ノンノ読者
A:空手という個人競技を11年間続けた一方で、中学で入った野球部は、うまくいかずに半年でやめてしまった。僕自身、過去にはそんな経験もあるので状況は分かる気がします。人数が増えれば、それだけいろんな個性が集まり、目標に対する温度差やモチベーションの差が生まれてしまう……。でも、意識が高い人が低い人に合わせる必要はないと思うんです。だからこそ、まずは「なぜ高められないのか」を話し合う。一対一で思いを告げて、相手を傷つけてしまいそうならば、間に立ってうまく気持ちを伝えてくれる人を頼ってもいい。それも、チームだからこそできること。ちゃんと話せば、何か事情を抱えているのか、単純に怠けているのか、相手の真実がきっと見えてくる。その時、慈しみの気持ちがわくかどうか。そういった感情が生まれれば、相手が変わるのを粘り強く待つけれど、何も感じない場合は……もう、期待するのをやめるかな。
Q:先輩や後輩といい関係を築くための、コミュニケーションの秘訣はありますか?
from ノンノ読者
A:人間関係で僕が大事にしているのも、「好き」かどうかです。先輩だからという理由だけで全員にいい顔をするのは、逆に失礼じゃないかって。好きな先輩や尊敬できる人の背中を追いかければいい、と僕は思うんです。そんな方が目の前にいれば、聞きたいことや話したいことが自然と生まれると思うし。同じように、後輩が誰の後ろを歩くか決めるのも自由。自分から「ついてこい」と言うのは違うと思う。好きだからついていく、好きになってくれるなら受け入れる。すごくシンプルなことのような気がします。
Q:大学1年生です。これから出会いがあると思うのですが、男性を見る目に自信がありません。川村さんが考える「恋人にするなら、こういう人が信用できる」という条件を教えてほしいです。
A:「信用できない男」は平気でうそをつくやつ。大切な人への愛情表現をはき違えていて、ぞんざいに扱ったり、冷たくしたり、振り回したり、相手がいやがるようなことをする男もダメだと思う。「信用できる男」はまっすぐに愛情を届けられる人。ちなみに、僕は120%を届けます。会うたびに、彼女をホメるのは当たり前。「好き」とか「可愛い」とか、あふれ出てくるのが自然なことで。気持ちを表現しない人には「なんで言わんの?」と感じてしまう。
*节选自nonno 2023年9月号 川村壱馬論。
**Q&A
Q:ダンスサークルに所属していて、大会を控えているのですが、全員が同じ気持ちで目標に向かえていない状況で、困っています。
from ノンノ読者
A:空手という個人競技を11年間続けた一方で、中学で入った野球部は、うまくいかずに半年でやめてしまった。僕自身、過去にはそんな経験もあるので状況は分かる気がします。人数が増えれば、それだけいろんな個性が集まり、目標に対する温度差やモチベーションの差が生まれてしまう……。でも、意識が高い人が低い人に合わせる必要はないと思うんです。だからこそ、まずは「なぜ高められないのか」を話し合う。一対一で思いを告げて、相手を傷つけてしまいそうならば、間に立ってうまく気持ちを伝えてくれる人を頼ってもいい。それも、チームだからこそできること。ちゃんと話せば、何か事情を抱えているのか、単純に怠けているのか、相手の真実がきっと見えてくる。その時、慈しみの気持ちがわくかどうか。そういった感情が生まれれば、相手が変わるのを粘り強く待つけれど、何も感じない場合は……もう、期待するのをやめるかな。
Q:先輩や後輩といい関係を築くための、コミュニケーションの秘訣はありますか?
from ノンノ読者
A:人間関係で僕が大事にしているのも、「好き」かどうかです。先輩だからという理由だけで全員にいい顔をするのは、逆に失礼じゃないかって。好きな先輩や尊敬できる人の背中を追いかければいい、と僕は思うんです。そんな方が目の前にいれば、聞きたいことや話したいことが自然と生まれると思うし。同じように、後輩が誰の後ろを歩くか決めるのも自由。自分から「ついてこい」と言うのは違うと思う。好きだからついていく、好きになってくれるなら受け入れる。すごくシンプルなことのような気がします。
Q:大学1年生です。これから出会いがあると思うのですが、男性を見る目に自信がありません。川村さんが考える「恋人にするなら、こういう人が信用できる」という条件を教えてほしいです。
A:「信用できない男」は平気でうそをつくやつ。大切な人への愛情表現をはき違えていて、ぞんざいに扱ったり、冷たくしたり、振り回したり、相手がいやがるようなことをする男もダメだと思う。「信用できる男」はまっすぐに愛情を届けられる人。ちなみに、僕は120%を届けます。会うたびに、彼女をホメるのは当たり前。「好き」とか「可愛い」とか、あふれ出てくるのが自然なことで。気持ちを表現しない人には「なんで言わんの?」と感じてしまう。
#健康要有文化素養 & 哲學頭腦#
人生100年時代の私の生き方
オンコジンとO(オウ)リング
下田 智久(しもだ ともひさ)
公益財団法人日本健康・栄養食品協会 理事長
今、DNAを知らない人は居ないだろう。医学生だった50年以上前は、染色体の遺伝情報が、4種類の塩基から成るDNAに蓄えられて居る事、DNAは二重らせん構造である事をアメリカのワトソンらが発見したばかりの頃だった。その後の遺伝子工学の進歩は目覚ましい。70年代には、遺伝子を自由に切断、別の部位に接合し、新しい機能を附与する「遺伝子組み換え技術」が確立された。大腸菌にヒト遺伝子を組み込むバイオテクノロジーは、成長ホルモンやインシュリンの製造方法を一変させた。
当時成長ホルモンはヒトの脳下垂体をすり潰して製造していたが、献体に頼っていた為、小人症に悩む患者に十分量のホルモンが確保できず、完治できないケースが多かった。人の脳下垂体から成長ホルモンを製造する遺伝子を取り出し、大腸菌の遺伝子に組み込む。組み込まれた大腸菌は大量のヒト成長ホルモンを生成するようになり、小人症に悩む患者は激減した。糖尿病治療に不可欠のインシュリンは、豚の膵臓から抽出して製造していた。長く使うと異種動物に対するアレルギーが生じて、使用出来なくなる問題があった。ヒトの膵臓から取り出した遺伝子を大腸菌に組み込んでインシュリンを製造、この問題も解決した。遺伝子組み換え技術は、製薬技術に革命をもたらしたと言えよう。
ヒト遺伝子の全塩基配列を解読したのは、2004年で約23,000と分かった。4種の塩基が構成する遺伝子は、顔貌、身長、目の色などの身体的形質は勿論、性格、知能、運動能力等を子孫に伝えている。同時に、ハンチントン病などの遺伝病、がん、癲癇(てんかん)、認知症等の原因遺伝子も見つかり、発病メカニズムの解明にも役立っている。がんは、放射線や魚の焼け焦げなどが原因ではないかと言われていたが、がん遺伝子(オンコジン)の発見は世界を驚かせた。がん遺伝子は今まで沢山見つかっているが、がんが遺伝子だけの作用で発生するわけではない。タバコやウィルス、化学物質、放射線などの環境因子と密接に絡み合って発病する。
「胃がんですね」内視鏡検査が終了し、ファイバーを引き抜きながらの医者の一言。麻酔薬の影響もあったがショックで何も言えない。とうとう来たか。父は60歳、母は65歳で胃がんの手術を受けた。また田舎の開業医だった祖父は、40歳代に胃がんで死亡しているし、母方の祖母も若くして胃がんで死んでいる。ナポレオン顔負けの胃がん家系である。ここから私の胃がんとの戦いが始まるのだが、その間面白い体験をした。それがOリングである。
Oリングは、ニューヨーク心臓研究所の所長であった大村先生が創始した診断法で、アメリカで特許を取得されている。検査法は簡単で、二人の検査者が器具を使うことなく検査し、診断を下すもの。一人の検査者が親指と人差し指でアルファベットのOを作る。リングを作った反対の手指で被験者(患者)の診断する部位を押さえる。別の検査者にこのリングを引っ張ってもらう。お試しいただければ判るが、このリングはいくら頑張っても開くものではないほど強い。ところが、がんなどの異常部位を押さえると簡単に開くというもの。理論の詳細は理解できないが、生体自らをセンサーとして、指の筋力の変化によって検知する検査法だという。
この検査法でがんが発見されたという報告は多くある。国会議員に信奉者がいて、労働者の健康診断にOリングが使えないかと紹介された。手技が簡単、レントゲンのような大型の機械も要らず、費用も殆どかからず、がん等の検査が出来ると言うのだ。信頼できる検査法か半信半疑だったので、Oリングの専門家のお話を伺うことにした。いろいろ説明を伺った後、「論より証拠、実際にやってみましょう、だれか被験者を」と言われ、私を含め5人が志願した。
その結果私だけが異常ありとなり、詳細なOリング検査を受けた。マジックペンで体幹を細かく分割し、前記の手法で何回も検査された。異常部位に病理スライドを使えば、病理診断も可能との事だった。
最終診断は、「右上肺野の扁平上皮癌」。5人の中で私だけが、肺がんと診断されたのだから大ショックである。「胃のほうは大丈夫ですか」と聞いてみた。実は、人間ドックで要精検となり、数日後国立がんセンターで胃カメラを受ける事になっていた。答えは、「胃は心配ない。肺の精検を急ぐべし」であった。結論を言うと、肺がんは無く、胃がんが有り、手術を受け10年経った。
では、Oリングは信頼出来ないのか。5人の被験者のうち、残りの4人にはこの10年の間、何らかのがんに罹患した話は聞かない。5人のうち私だけが何らかの異常な生理状態であったことは間違いないだろう。部位を間違えたとはいえ、異常な生理状態を知らせてくれたOリング検査法をどう評価すべきか。EBM(Evidence Based Medicine)が強く求められている昨今、科学的なデータ処理がなされておらず、残念ながら健康診断に採用することは難しい。
著者
著者:下田智久先生
下田 智久(しもだ ともひさ)
1944年 埼玉県生まれ、1969年 熊本大学医学部卒、1969年 厚生労働省入省、1975年 埼玉県本庄保健所長、1977年 厚生省公衆衛生局栄養課長補佐、1988年 茨城県衛生部長、1990年 労働省労働衛生課長、1992年 厚生省老人保健課長、1994年 厚生省保険局医療課長、1996年 厚生省官房厚生科学課長、1998年 労働省安全衛生部長、2001年 厚生労働省科学技術総括審議官、同年 厚生労働省健康局長、2002年 社会福祉医療事業団 理事、2004年 予防接種リサーチセンター 理事長・(財)ヒューマンサイエンス振興財団 理事長、2010年 (公財)日本健康・栄養食品協会 理事長 現在に至る。
人生100年時代の私の生き方
オンコジンとO(オウ)リング
下田 智久(しもだ ともひさ)
公益財団法人日本健康・栄養食品協会 理事長
今、DNAを知らない人は居ないだろう。医学生だった50年以上前は、染色体の遺伝情報が、4種類の塩基から成るDNAに蓄えられて居る事、DNAは二重らせん構造である事をアメリカのワトソンらが発見したばかりの頃だった。その後の遺伝子工学の進歩は目覚ましい。70年代には、遺伝子を自由に切断、別の部位に接合し、新しい機能を附与する「遺伝子組み換え技術」が確立された。大腸菌にヒト遺伝子を組み込むバイオテクノロジーは、成長ホルモンやインシュリンの製造方法を一変させた。
当時成長ホルモンはヒトの脳下垂体をすり潰して製造していたが、献体に頼っていた為、小人症に悩む患者に十分量のホルモンが確保できず、完治できないケースが多かった。人の脳下垂体から成長ホルモンを製造する遺伝子を取り出し、大腸菌の遺伝子に組み込む。組み込まれた大腸菌は大量のヒト成長ホルモンを生成するようになり、小人症に悩む患者は激減した。糖尿病治療に不可欠のインシュリンは、豚の膵臓から抽出して製造していた。長く使うと異種動物に対するアレルギーが生じて、使用出来なくなる問題があった。ヒトの膵臓から取り出した遺伝子を大腸菌に組み込んでインシュリンを製造、この問題も解決した。遺伝子組み換え技術は、製薬技術に革命をもたらしたと言えよう。
ヒト遺伝子の全塩基配列を解読したのは、2004年で約23,000と分かった。4種の塩基が構成する遺伝子は、顔貌、身長、目の色などの身体的形質は勿論、性格、知能、運動能力等を子孫に伝えている。同時に、ハンチントン病などの遺伝病、がん、癲癇(てんかん)、認知症等の原因遺伝子も見つかり、発病メカニズムの解明にも役立っている。がんは、放射線や魚の焼け焦げなどが原因ではないかと言われていたが、がん遺伝子(オンコジン)の発見は世界を驚かせた。がん遺伝子は今まで沢山見つかっているが、がんが遺伝子だけの作用で発生するわけではない。タバコやウィルス、化学物質、放射線などの環境因子と密接に絡み合って発病する。
「胃がんですね」内視鏡検査が終了し、ファイバーを引き抜きながらの医者の一言。麻酔薬の影響もあったがショックで何も言えない。とうとう来たか。父は60歳、母は65歳で胃がんの手術を受けた。また田舎の開業医だった祖父は、40歳代に胃がんで死亡しているし、母方の祖母も若くして胃がんで死んでいる。ナポレオン顔負けの胃がん家系である。ここから私の胃がんとの戦いが始まるのだが、その間面白い体験をした。それがOリングである。
Oリングは、ニューヨーク心臓研究所の所長であった大村先生が創始した診断法で、アメリカで特許を取得されている。検査法は簡単で、二人の検査者が器具を使うことなく検査し、診断を下すもの。一人の検査者が親指と人差し指でアルファベットのOを作る。リングを作った反対の手指で被験者(患者)の診断する部位を押さえる。別の検査者にこのリングを引っ張ってもらう。お試しいただければ判るが、このリングはいくら頑張っても開くものではないほど強い。ところが、がんなどの異常部位を押さえると簡単に開くというもの。理論の詳細は理解できないが、生体自らをセンサーとして、指の筋力の変化によって検知する検査法だという。
この検査法でがんが発見されたという報告は多くある。国会議員に信奉者がいて、労働者の健康診断にOリングが使えないかと紹介された。手技が簡単、レントゲンのような大型の機械も要らず、費用も殆どかからず、がん等の検査が出来ると言うのだ。信頼できる検査法か半信半疑だったので、Oリングの専門家のお話を伺うことにした。いろいろ説明を伺った後、「論より証拠、実際にやってみましょう、だれか被験者を」と言われ、私を含め5人が志願した。
その結果私だけが異常ありとなり、詳細なOリング検査を受けた。マジックペンで体幹を細かく分割し、前記の手法で何回も検査された。異常部位に病理スライドを使えば、病理診断も可能との事だった。
最終診断は、「右上肺野の扁平上皮癌」。5人の中で私だけが、肺がんと診断されたのだから大ショックである。「胃のほうは大丈夫ですか」と聞いてみた。実は、人間ドックで要精検となり、数日後国立がんセンターで胃カメラを受ける事になっていた。答えは、「胃は心配ない。肺の精検を急ぐべし」であった。結論を言うと、肺がんは無く、胃がんが有り、手術を受け10年経った。
では、Oリングは信頼出来ないのか。5人の被験者のうち、残りの4人にはこの10年の間、何らかのがんに罹患した話は聞かない。5人のうち私だけが何らかの異常な生理状態であったことは間違いないだろう。部位を間違えたとはいえ、異常な生理状態を知らせてくれたOリング検査法をどう評価すべきか。EBM(Evidence Based Medicine)が強く求められている昨今、科学的なデータ処理がなされておらず、残念ながら健康診断に採用することは難しい。
著者
著者:下田智久先生
下田 智久(しもだ ともひさ)
1944年 埼玉県生まれ、1969年 熊本大学医学部卒、1969年 厚生労働省入省、1975年 埼玉県本庄保健所長、1977年 厚生省公衆衛生局栄養課長補佐、1988年 茨城県衛生部長、1990年 労働省労働衛生課長、1992年 厚生省老人保健課長、1994年 厚生省保険局医療課長、1996年 厚生省官房厚生科学課長、1998年 労働省安全衛生部長、2001年 厚生労働省科学技術総括審議官、同年 厚生労働省健康局長、2002年 社会福祉医療事業団 理事、2004年 予防接種リサーチセンター 理事長・(財)ヒューマンサイエンス振興財団 理事長、2010年 (公財)日本健康・栄養食品協会 理事長 現在に至る。
『白蛇伝』のあらすじ
この物語の主人公は「白素貞」(または「白娘子」)と言います。白素貞は一匹の白蛇でした。青蛇とともに山奥で修業を積み、やがて千年が過ぎると人間の姿になることができました。
山の中の生活は寂しく、二匹の蛇はそれぞれ「白素貞」「小青」という名前の美女とその侍女に変身を遂げ、にぎやかな西湖のほとりにやってきて人間世界の自由で幸せな暮らしを求めます。
桃は紅く柳は緑の清明節の頃、杭州の城内に許仙という薬屋の番頭がいて墓参りに出かけました。帰り道大雨に遭い、歩くのも大変で断橋で船を雇い、これで帰ろうとしました。
白娘子は若い許仙に一目ぼれし、橋のたもとで許仙に船に同乗させてもらえないか頼みます。許仙は気持ちよくそれに応じ白娘子と小青を船に乗せました。涌金門で岸に上がる時、雨がまだ降っているので、許仙は傘を彼女たちに貸し、自分はずぶぬれになって家に戻りました。
翌日、許仙は前日約束したように、傘を受け取りに白娘子のところに行きますと、彼女から盛大にもてなしを受けました。こうして二人はその日の夜結婚式をあげます。ところがこの結婚のための費用が足りなかったので、小青が法術を使って銭塘県の役所から銀を盗んでしまいます。翌日これが発覚し、許仙は逮捕、鎮江に流されてしまいます。白娘子と小青は必死で許仙を探しようやく見つけ出します。許仙と白娘子はこの地で薬屋を開き、貧しい人に薬を分け与えたり病気を診てやったりして、町の人に喜ばれます。二人の暮らしは幸せそのものでした。
鎮江の金山寺の住職・法海は大変な神通力の持ち主です。彼は白娘子の来歴を知り、この江南の仏地でどうして妖怪を生かしておけようかと思い、托鉢を口実に二人の家を訪れその仲を裂こうとします。
許仙は自分の愛する妻が白蛇の化身だとは信じられず、といって法海にあれこれせっつかれるのも耐え難く、ついに端午節の日に白娘子にむりやり酒を飲ませてしまいます。するととばりの中で妻は白蛇の姿に変わっていました。許仙はそれを見て卒倒し今にも息が絶えんばかりになってしまいます。目をさました白娘子は万難をかえりみず、蓬莱島という仙島に仙草を採りに行き、これを飲ませて許仙を救います。
許仙は病が癒えた後も法海からあれこれと言われ、金山寺にお参りに行くことになります。法海はやってきた許仙を出家させ軟禁してしまいます。白娘子は夫を取り戻しに寺に行くのですが、どう頼んでも夫を返してくれないばかりか法海からひどい侮辱を受けます。
白娘子と小青はどうしようもなく、海老の兵・カニの将に頼み込み、長江を逆流させて金山寺を水に沈めてしまいます。法海も天兵天将を呼んでこれを鎮圧します。苦しい戦いをひとしきりやった後、身ごもっていた白娘子はとうとう法海に負け、小青とともに杭州に逃げ帰ります。
許仙は二人が戦っている間に杭州に逃げ戻っており、白娘子たちと西湖の断橋で再会します。白娘子は許仙が法海の言葉を軽々しく信じたことを責め、小青は許仙の裏切りを怨み刃を振るおうとします。許仙は自分が間違っていたと詫び、三人は和解し怨みを法海に向けます。白娘子は出産に備えて夫の姉一家のところに身を寄せます。これが有名な『断橋相会』の場面です。
白娘子はやがて男の子を無事産み落とすのですが、この子の満一か月の祝いの時法海が再びやってきて白娘子を雷峰塔に閉じ込めてしまい、この塔が倒れないかぎり彼女がお日様を目にすることはないと言い渡します。しかしこの時うまく逃げ出していた小青が法術を使って雷峰塔を倒し白娘子を救い出します。
打ち負かされた法海は逃げ場を失いカニの腹に隠れます。今カニを食べようと背の殻を剥くと中に「和尚の姿」のようなものが見えますが、これが法海です。
その後白娘子と許仙、そしてその子供たちはともに楽しく暮らし、二度と再び分かれ分かれになることはありませんでした。
この物語の主人公は「白素貞」(または「白娘子」)と言います。白素貞は一匹の白蛇でした。青蛇とともに山奥で修業を積み、やがて千年が過ぎると人間の姿になることができました。
山の中の生活は寂しく、二匹の蛇はそれぞれ「白素貞」「小青」という名前の美女とその侍女に変身を遂げ、にぎやかな西湖のほとりにやってきて人間世界の自由で幸せな暮らしを求めます。
桃は紅く柳は緑の清明節の頃、杭州の城内に許仙という薬屋の番頭がいて墓参りに出かけました。帰り道大雨に遭い、歩くのも大変で断橋で船を雇い、これで帰ろうとしました。
白娘子は若い許仙に一目ぼれし、橋のたもとで許仙に船に同乗させてもらえないか頼みます。許仙は気持ちよくそれに応じ白娘子と小青を船に乗せました。涌金門で岸に上がる時、雨がまだ降っているので、許仙は傘を彼女たちに貸し、自分はずぶぬれになって家に戻りました。
翌日、許仙は前日約束したように、傘を受け取りに白娘子のところに行きますと、彼女から盛大にもてなしを受けました。こうして二人はその日の夜結婚式をあげます。ところがこの結婚のための費用が足りなかったので、小青が法術を使って銭塘県の役所から銀を盗んでしまいます。翌日これが発覚し、許仙は逮捕、鎮江に流されてしまいます。白娘子と小青は必死で許仙を探しようやく見つけ出します。許仙と白娘子はこの地で薬屋を開き、貧しい人に薬を分け与えたり病気を診てやったりして、町の人に喜ばれます。二人の暮らしは幸せそのものでした。
鎮江の金山寺の住職・法海は大変な神通力の持ち主です。彼は白娘子の来歴を知り、この江南の仏地でどうして妖怪を生かしておけようかと思い、托鉢を口実に二人の家を訪れその仲を裂こうとします。
許仙は自分の愛する妻が白蛇の化身だとは信じられず、といって法海にあれこれせっつかれるのも耐え難く、ついに端午節の日に白娘子にむりやり酒を飲ませてしまいます。するととばりの中で妻は白蛇の姿に変わっていました。許仙はそれを見て卒倒し今にも息が絶えんばかりになってしまいます。目をさました白娘子は万難をかえりみず、蓬莱島という仙島に仙草を採りに行き、これを飲ませて許仙を救います。
許仙は病が癒えた後も法海からあれこれと言われ、金山寺にお参りに行くことになります。法海はやってきた許仙を出家させ軟禁してしまいます。白娘子は夫を取り戻しに寺に行くのですが、どう頼んでも夫を返してくれないばかりか法海からひどい侮辱を受けます。
白娘子と小青はどうしようもなく、海老の兵・カニの将に頼み込み、長江を逆流させて金山寺を水に沈めてしまいます。法海も天兵天将を呼んでこれを鎮圧します。苦しい戦いをひとしきりやった後、身ごもっていた白娘子はとうとう法海に負け、小青とともに杭州に逃げ帰ります。
許仙は二人が戦っている間に杭州に逃げ戻っており、白娘子たちと西湖の断橋で再会します。白娘子は許仙が法海の言葉を軽々しく信じたことを責め、小青は許仙の裏切りを怨み刃を振るおうとします。許仙は自分が間違っていたと詫び、三人は和解し怨みを法海に向けます。白娘子は出産に備えて夫の姉一家のところに身を寄せます。これが有名な『断橋相会』の場面です。
白娘子はやがて男の子を無事産み落とすのですが、この子の満一か月の祝いの時法海が再びやってきて白娘子を雷峰塔に閉じ込めてしまい、この塔が倒れないかぎり彼女がお日様を目にすることはないと言い渡します。しかしこの時うまく逃げ出していた小青が法術を使って雷峰塔を倒し白娘子を救い出します。
打ち負かされた法海は逃げ場を失いカニの腹に隠れます。今カニを食べようと背の殻を剥くと中に「和尚の姿」のようなものが見えますが、これが法海です。
その後白娘子と許仙、そしてその子供たちはともに楽しく暮らし、二度と再び分かれ分かれになることはありませんでした。
✋热门推荐