【大天狗(赤城ウェン)】
善悪の両面を持つ妖怪もしくは神であり協力な神通力を持つ。優れた力を持った元人間の死後の姿。日本の大魔王と呼ばれる存在であり日本三大妖怪の一柱。
※火の鳥やふらり火の可能性あり
【龍神/乙姫(天宮こころ)】
鐘を好むとされる水の神。伝説上の生き物龍の姿をしている。水神の中でも特に強力な力を持ち、各所で祀られている。雨をもたらしたり竜宮から魚をもたらしたりと、人間の生活に深く関連している。
【雷獣(伊波ライ)】
雷とともに地上に降りて草木や人畜を害す存在。雷の化身であり、様々な動物の姿を取りながら激しく光る。
何故かトウモロコシが大好きだという伝承が残っている。
【提灯小僧(卯月コウ)】
子どもの姿で提灯を持って夜道に現れ、追い越しては振り返って止まり、追い越しては振り返って止まりという謎行動を繰り返す妖怪。特に危害もなく、周りを明るくしてくれる。嬉しい。
【九尾の妖狐(叶)】
泰平の世を表す神獣であると共に、美しい女性の姿に化けて世を惑わす傾国の存在。日本三大妖怪の一柱。
【(おそらく)がしゃどくろ(葛葉)】
埋葬されなかった死者たちの骸骨や怨念が集まった存在。ガシャガシャ音を出し生者を見つけると食らう。骸骨や霊にお供え物をすると、生前の姿で現れるらしい。
【うわばみ(弦月藤士郎)】
鹿を丸飲みできるほど巨大な蛇で小さなネズミの耳を持つ。土地によっては"なます"にして食べたり、肝は薬にもなった。大酒飲みを「うわばみ」と呼ぶのは巨大な獲物を丸飲みすることから転じて生まれたという説がある。
【烏天狗(剣持刀也)】
剣術に秀で、空を自在に駆ける。都まで降りてきて神通力を使い猛威を振るった伝説も、人間に剣術を教えた伝説も残っている謎多き存在。
【夜雀/送り雀(小清水 透)】
夜にチッチッチッと鳴きながら現れる存在。人の反感を買うように周りを飛ぶが、気を静めると消えるらしい。
別の妖怪が現れる前兆、もしくは近くに居る間は別の妖怪から守ってくれているとも。
【猫又(三枝明那)】
猫の妖怪。山の中にいて大型で襲ってくる存在と、飼われていた猫が年老いて化ける2通りがあると言われている。伝承も様々で、旅人や家畜を襲ったり、化けた後元の飼い主に恩返しをするものいる。
【からかさ小僧(笹木咲)】
捨てられた唐傘が妖怪へと変貌したとも、長年使われて付喪神と化したともいわれる存在。付喪神の中でも特にポピュラーな存在だが、具体的に何をする妖怪なのか伝承は残っていない。
あなたの愛用の傘ももしかしたら…
【狼男(シェリン・バーガンディ)】
半狼半人のもっとも有名な獣人。月に影響される性質で満月の夜に正体を現すことが多く、冷酷とも粗暴ともいわれている。以前は普通の人間だったが、狼の霊や呪いにより獣人になった例が多い。
【(おそらく落語から)死神(ジョー・力一)】
男はある死神に"足元の死神"の消し方を教わって名医となるが、次第に"枕元の死神"患者しかいなくなりヤブと言われ始める。患者を180°回転させ即死神を消して大金をもらったが、帰路で最初の死神が現れ医者を大量の蝋燭が灯った洞窟に連れていく。死神曰くこれは人の寿命で、180°回転行為のせいで患者と医者の寿命が入れ替わったという。
消えゆく蝋燭を前に死神は新しい蝋燭を差し出し、医者が自分で火を継げば寿命が延びると言うが、焦った医者は…
善悪の両面を持つ妖怪もしくは神であり協力な神通力を持つ。優れた力を持った元人間の死後の姿。日本の大魔王と呼ばれる存在であり日本三大妖怪の一柱。
※火の鳥やふらり火の可能性あり
【龍神/乙姫(天宮こころ)】
鐘を好むとされる水の神。伝説上の生き物龍の姿をしている。水神の中でも特に強力な力を持ち、各所で祀られている。雨をもたらしたり竜宮から魚をもたらしたりと、人間の生活に深く関連している。
【雷獣(伊波ライ)】
雷とともに地上に降りて草木や人畜を害す存在。雷の化身であり、様々な動物の姿を取りながら激しく光る。
何故かトウモロコシが大好きだという伝承が残っている。
【提灯小僧(卯月コウ)】
子どもの姿で提灯を持って夜道に現れ、追い越しては振り返って止まり、追い越しては振り返って止まりという謎行動を繰り返す妖怪。特に危害もなく、周りを明るくしてくれる。嬉しい。
【九尾の妖狐(叶)】
泰平の世を表す神獣であると共に、美しい女性の姿に化けて世を惑わす傾国の存在。日本三大妖怪の一柱。
【(おそらく)がしゃどくろ(葛葉)】
埋葬されなかった死者たちの骸骨や怨念が集まった存在。ガシャガシャ音を出し生者を見つけると食らう。骸骨や霊にお供え物をすると、生前の姿で現れるらしい。
【うわばみ(弦月藤士郎)】
鹿を丸飲みできるほど巨大な蛇で小さなネズミの耳を持つ。土地によっては"なます"にして食べたり、肝は薬にもなった。大酒飲みを「うわばみ」と呼ぶのは巨大な獲物を丸飲みすることから転じて生まれたという説がある。
【烏天狗(剣持刀也)】
剣術に秀で、空を自在に駆ける。都まで降りてきて神通力を使い猛威を振るった伝説も、人間に剣術を教えた伝説も残っている謎多き存在。
【夜雀/送り雀(小清水 透)】
夜にチッチッチッと鳴きながら現れる存在。人の反感を買うように周りを飛ぶが、気を静めると消えるらしい。
別の妖怪が現れる前兆、もしくは近くに居る間は別の妖怪から守ってくれているとも。
【猫又(三枝明那)】
猫の妖怪。山の中にいて大型で襲ってくる存在と、飼われていた猫が年老いて化ける2通りがあると言われている。伝承も様々で、旅人や家畜を襲ったり、化けた後元の飼い主に恩返しをするものいる。
【からかさ小僧(笹木咲)】
捨てられた唐傘が妖怪へと変貌したとも、長年使われて付喪神と化したともいわれる存在。付喪神の中でも特にポピュラーな存在だが、具体的に何をする妖怪なのか伝承は残っていない。
あなたの愛用の傘ももしかしたら…
【狼男(シェリン・バーガンディ)】
半狼半人のもっとも有名な獣人。月に影響される性質で満月の夜に正体を現すことが多く、冷酷とも粗暴ともいわれている。以前は普通の人間だったが、狼の霊や呪いにより獣人になった例が多い。
【(おそらく落語から)死神(ジョー・力一)】
男はある死神に"足元の死神"の消し方を教わって名医となるが、次第に"枕元の死神"患者しかいなくなりヤブと言われ始める。患者を180°回転させ即死神を消して大金をもらったが、帰路で最初の死神が現れ医者を大量の蝋燭が灯った洞窟に連れていく。死神曰くこれは人の寿命で、180°回転行為のせいで患者と医者の寿命が入れ替わったという。
消えゆく蝋燭を前に死神は新しい蝋燭を差し出し、医者が自分で火を継げば寿命が延びると言うが、焦った医者は…
おはようございます。今日の朝ごはんはコーヒーフレーバーパン、フレンチトースト、ミニソーセージパン、焼き芋、ゆで卵でした。コーヒーフレーバーパンはまさに絶品だったね。コーヒーの香りとバターの塩気がほどよくて、すごくおいしかったなぁ。嚙めば嚙むほど、コーヒーの風味が口いっぱいに広がりました。コーヒー好きにはたまらない。また、フレンチトーストの外はカリカリ、中はふわっとしておいしかったね。しかもボリュームもちょうどよくて、朝食にはぴったりです。そして、ミニソーセージパンはやや小ぶりだったけど、ジューシーなソーセージが入って食べごたえがありました。ご馳走様でした。
孤立、別れ、とどまる決意 能登半島地震1か月
石川県知事 2次避難の対応”十分でなかったおわび”
2024年2月1日 13時10分
能登半島地震の発生から1か月。
被災した人たちの多くが住まいの選択に思い悩んでいます。
“去るべきか” それとも “残るべきか”
家族への思い、土地への思い、将来への思い。
それは、簡単な決断ではありません。
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の海沿いの地区で、住民の多くに市外に避難する動きが進む中、家族と離ればなれになりながらも、役割をまっとうしようと地区に残る区長の男性がいます。
高校卒業が迫り離ればなれで避難する娘は「率直に言うと、さみしい」と打ち明け、生まれ育った場所にとどまる男性は、父親、区長それぞれの立場からこのまま残り続けるべきかどうかいま、思い悩んでいます。
珠洲市蛸島町の新町地区で区長を務める木挽芳紀さん(54)は、約90年前に海沿いに建てられた住宅で生まれ育ち、80代の両親と妻(52)、それに高校3年生の娘(18)のあわせて5人で暮らしていました。
今回の地震で住宅は1階部分が押しつぶされるように倒壊し、当時、娘と父は外出中で無事でしたが中にいた妻と82歳の母親が閉じ込められました。
妻は、自力で脱出できたものの、母親は身動きが取れず、最悪の結果が頭をよぎったといいます。
木挽さんは当時の状況について「正直、母親は死んでしまったと思いました。窓から確認のために声をかけたら声が聞こえたので『どこや壁たたけ』と言ったらドンドンと反応があったので救出しました」と証言しました。
近所でも倒壊した建物に複数の人が閉じ込められて、ひたすら5人ほどを助け出し終えて気づくと、はじめの揺れから7時間余りがたっていたということです。
被害の全容も分からぬまま数日たった1月初旬、両親と娘は安全を確保するために、約120キロ離れた白山市の親類のもとに避難し、木挽さんは区長として地域を見守る責任があるとして、妻とともに倒壊を免れた自宅裏の小屋で在宅避難を続けています。
木挽さんは、離ればなれになった娘の妃菜和さんがまもなく高校を卒業し、春からの進学も決まった大切な時期に慣れない土地での暮らしを強いられていることを心配しています。
木挽さんは「一緒にいたのに急にいなくなるのは、さびしいですよね、やっぱり。新型コロナウイルスの影響で4年間、何もできない状態で、やっとこれから活動できるというところにとどめ刺されたみたいで本当にかわいそうです」と娘への思いを語りました。
木挽さんによると、娘の妃菜和さんはLINEなどで連絡を取ると、心配をかけまいと無理をして元気にふるまっているように感じることがあるということです。
娘の妃菜和さんはいまの心境について「率直に言うと、お父さんお母さんと離れるのが一番さみしいです。ひとりになるときとかにとてもさみしいなと思います。珠洲には卒業までに1回だけでも戻りたいなと思っています」と話してくれました。
木挽さんは、東日本大震災が起きた次の年の2012年に地域の役に立つならばと防災士の資格を取っていたものの、この地震の被害を軽減できなかったのではないかとみずからを責めていて、仕事と区長の両立だけでなく、現在、避難所の運営スタッフにも参加しています。
しかし、家族と離れてまで下した苦渋の決断が本当にこのままでよいのか、分からなくなる事態に直面しています。
この地区を愛し、古くから伝わる祭りで大漁と豊作をともに願い合ってきた住民たちがひとり、またひとりと地区を去っていくのです。
木挽さんは「ほかの人のことも考えないといけないし、残らないとだめかなという思いで残りましたが、やっぱりさみしいです。『もう町には戻れない』と言う人も多くいるので、地震前の半分の人が残ればいいほうだと思います。せっかくこの町で育ったので復興できればしたいが、家族のことを考えると町を出るか、残るのか、気持ちは半々です」と話し、思い悩んでいます。
地震のあと一時、孤立状態となった石川県輪島市の山あいの地区で区長を務めていた男性は、ふるさとを離れ、市外に避難する決断をしました。
地震による大規模な土砂崩れなどで一時、孤立状態となった、輪島市の山あいにある町野町の若桑地区。
地区の区長を務めていた岡田幸吉さん(77)は、妻と47歳の長男とともに市の外に避難することを決め、1月29日、近くの中学校に必要な書類を出しました。
行き先はまだ決まっておらず、家族とともに自宅や避難所にある荷物を片付けて避難に備えています。
2018年から6年にわたり区長を務めてきた岡田さん。
1月21日には、役職を後任に引き継ぎました。
避難の決断をしたのは、今後も地震が続くおそれがある中、安心な場所で過ごしたいと考えたほか、断水の長期化による不自由な生活が続き、健康面の不安もあるためです。
落ち着いたら自宅近くの仮設住宅に住み、そのあとも若桑地区に住み続けたいと考えていますが、資金面などから先が見えないと言います。
岡田さんは「若桑地区のことがまだ心配でなんとも言えないさみしさがあり、まだいたいという気持ちになって、残ろうかなという葛藤というか気持ちの整理がつかないまま行ってしまう気がします。住み慣れた土地だし、傾いた家も見に行けるので戻ってきたいです」と話していました。
1日午前の記者会見で馳知事は、「亡くなられた方にお悔やみを申し上げる。思わぬ自然災害で突然、人生の幕を閉じることになり、家族は憤まんやるかたないと思う。悲しみを理解しながら前を向いて歩いていかなければならない」と述べました。
また、馳知事は県が進めた旅館やホテルを活用した2次避難について、「送り出し側と受け手側のマッチングや情報共有が混乱し十分でなかったことはおわび申し上げる」と陳謝しました。
そして、北陸新幹線が、3月県内で全線開業し、観光需要が高まることなどを踏まえ、「長期化を避けなければならない」と指摘し次の住まいの選択肢の提示を進める考えを示しました。
一方、馳知事は、新たに部局横断の「能登半島地震復旧・復興本部」を設置する考えを明らかにし、「能登は、石川県民の心のふるさとであり、日本の原風景そのものだ。必ず、能登を守り、ふるさとの輝きを取り戻す決意だ」と強調しました。
そして、今後の復旧・復興に向けて必ず能登に戻すことと、単なる復旧ではなく、「創造的復興」を目指すとする2つの理念を示しました。
石川県知事 2次避難の対応”十分でなかったおわび”
2024年2月1日 13時10分
能登半島地震の発生から1か月。
被災した人たちの多くが住まいの選択に思い悩んでいます。
“去るべきか” それとも “残るべきか”
家族への思い、土地への思い、将来への思い。
それは、簡単な決断ではありません。
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の海沿いの地区で、住民の多くに市外に避難する動きが進む中、家族と離ればなれになりながらも、役割をまっとうしようと地区に残る区長の男性がいます。
高校卒業が迫り離ればなれで避難する娘は「率直に言うと、さみしい」と打ち明け、生まれ育った場所にとどまる男性は、父親、区長それぞれの立場からこのまま残り続けるべきかどうかいま、思い悩んでいます。
珠洲市蛸島町の新町地区で区長を務める木挽芳紀さん(54)は、約90年前に海沿いに建てられた住宅で生まれ育ち、80代の両親と妻(52)、それに高校3年生の娘(18)のあわせて5人で暮らしていました。
今回の地震で住宅は1階部分が押しつぶされるように倒壊し、当時、娘と父は外出中で無事でしたが中にいた妻と82歳の母親が閉じ込められました。
妻は、自力で脱出できたものの、母親は身動きが取れず、最悪の結果が頭をよぎったといいます。
木挽さんは当時の状況について「正直、母親は死んでしまったと思いました。窓から確認のために声をかけたら声が聞こえたので『どこや壁たたけ』と言ったらドンドンと反応があったので救出しました」と証言しました。
近所でも倒壊した建物に複数の人が閉じ込められて、ひたすら5人ほどを助け出し終えて気づくと、はじめの揺れから7時間余りがたっていたということです。
被害の全容も分からぬまま数日たった1月初旬、両親と娘は安全を確保するために、約120キロ離れた白山市の親類のもとに避難し、木挽さんは区長として地域を見守る責任があるとして、妻とともに倒壊を免れた自宅裏の小屋で在宅避難を続けています。
木挽さんは、離ればなれになった娘の妃菜和さんがまもなく高校を卒業し、春からの進学も決まった大切な時期に慣れない土地での暮らしを強いられていることを心配しています。
木挽さんは「一緒にいたのに急にいなくなるのは、さびしいですよね、やっぱり。新型コロナウイルスの影響で4年間、何もできない状態で、やっとこれから活動できるというところにとどめ刺されたみたいで本当にかわいそうです」と娘への思いを語りました。
木挽さんによると、娘の妃菜和さんはLINEなどで連絡を取ると、心配をかけまいと無理をして元気にふるまっているように感じることがあるということです。
娘の妃菜和さんはいまの心境について「率直に言うと、お父さんお母さんと離れるのが一番さみしいです。ひとりになるときとかにとてもさみしいなと思います。珠洲には卒業までに1回だけでも戻りたいなと思っています」と話してくれました。
木挽さんは、東日本大震災が起きた次の年の2012年に地域の役に立つならばと防災士の資格を取っていたものの、この地震の被害を軽減できなかったのではないかとみずからを責めていて、仕事と区長の両立だけでなく、現在、避難所の運営スタッフにも参加しています。
しかし、家族と離れてまで下した苦渋の決断が本当にこのままでよいのか、分からなくなる事態に直面しています。
この地区を愛し、古くから伝わる祭りで大漁と豊作をともに願い合ってきた住民たちがひとり、またひとりと地区を去っていくのです。
木挽さんは「ほかの人のことも考えないといけないし、残らないとだめかなという思いで残りましたが、やっぱりさみしいです。『もう町には戻れない』と言う人も多くいるので、地震前の半分の人が残ればいいほうだと思います。せっかくこの町で育ったので復興できればしたいが、家族のことを考えると町を出るか、残るのか、気持ちは半々です」と話し、思い悩んでいます。
地震のあと一時、孤立状態となった石川県輪島市の山あいの地区で区長を務めていた男性は、ふるさとを離れ、市外に避難する決断をしました。
地震による大規模な土砂崩れなどで一時、孤立状態となった、輪島市の山あいにある町野町の若桑地区。
地区の区長を務めていた岡田幸吉さん(77)は、妻と47歳の長男とともに市の外に避難することを決め、1月29日、近くの中学校に必要な書類を出しました。
行き先はまだ決まっておらず、家族とともに自宅や避難所にある荷物を片付けて避難に備えています。
2018年から6年にわたり区長を務めてきた岡田さん。
1月21日には、役職を後任に引き継ぎました。
避難の決断をしたのは、今後も地震が続くおそれがある中、安心な場所で過ごしたいと考えたほか、断水の長期化による不自由な生活が続き、健康面の不安もあるためです。
落ち着いたら自宅近くの仮設住宅に住み、そのあとも若桑地区に住み続けたいと考えていますが、資金面などから先が見えないと言います。
岡田さんは「若桑地区のことがまだ心配でなんとも言えないさみしさがあり、まだいたいという気持ちになって、残ろうかなという葛藤というか気持ちの整理がつかないまま行ってしまう気がします。住み慣れた土地だし、傾いた家も見に行けるので戻ってきたいです」と話していました。
1日午前の記者会見で馳知事は、「亡くなられた方にお悔やみを申し上げる。思わぬ自然災害で突然、人生の幕を閉じることになり、家族は憤まんやるかたないと思う。悲しみを理解しながら前を向いて歩いていかなければならない」と述べました。
また、馳知事は県が進めた旅館やホテルを活用した2次避難について、「送り出し側と受け手側のマッチングや情報共有が混乱し十分でなかったことはおわび申し上げる」と陳謝しました。
そして、北陸新幹線が、3月県内で全線開業し、観光需要が高まることなどを踏まえ、「長期化を避けなければならない」と指摘し次の住まいの選択肢の提示を進める考えを示しました。
一方、馳知事は、新たに部局横断の「能登半島地震復旧・復興本部」を設置する考えを明らかにし、「能登は、石川県民の心のふるさとであり、日本の原風景そのものだ。必ず、能登を守り、ふるさとの輝きを取り戻す決意だ」と強調しました。
そして、今後の復旧・復興に向けて必ず能登に戻すことと、単なる復旧ではなく、「創造的復興」を目指すとする2つの理念を示しました。
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