nil 高野哲の花園 EASY ACTION2 (上)
高野哲がいろんな人を呼んで飲み屋でのんびり対談。でも、飲み 屋ならではの話題もあり!今回のゲストは DIAMOND☆YUKAl。
高野哲召集了各種各樣的人,在酒館悠閒地談話。但是,也有酒館特有的話題!這次的嘉賓是DIAMOND☆YUKAI。
—(飲み始めて30分)そろそろ、突っ込んだネ夕をふりたいんですが。おふたりともバンドを解散させてるじゃないですか…。
—(開始喝酒30分鐘)差不多了,想說點深入的話題。你們倆的樂隊不都解散了嗎?
YUKAI ZIGZOも解散しちゃつたんだよね?
YUKAI ZIGZO也解散了吧?
高野 ええ。だから、nilで言うなら真剣にやり始めて丸2年ぐらい。今、3人パンドのあるべき姿というのを作ってるとこなんですが、レ一ベルをやり始めてス夕ツフワ一クがわかってきたところもあって。そうすると、「うわ、ス夕タッフつて大変なんだ」って。よく(ZIGZOの時)勝手に「僕たちやめますう!」みたいなことが言えたもんだなと今は思えますね(笑)。
高野 是這樣的。如果用nil來説的話,我們開始認眞做音樂大約有兩年左右了。現在,我們正在創造一個三人樂隊應有的形象,但自從開始經營唱片公司,對工作人員的工作也有了新的認識。所以我現在想“哇,工作人員的工作眞的很辛苦啊”。以前(在ZIGZO時期)我們常常隨意説“我們要解散了!”這樣的話,現在回想起來眞是太任性了(笑)。
—レツド·ウォ一リア一ズは?
—Red Warriors呢?
YUKAI YUKAI時代が全然違 うからね。解散の時にはもう、やりたいことはさんざんやり尽くしてたし。やり残したとしたら、ミリオンセラ一を出してないとかさ(笑)。それ以外は全部やり尽くした。悔いはまったくなかった。再結成したりもしてるけど、あのメンパ一でやるといつも完全燃焼しちゃうんだよ。「もう二度とやりたくねえなあ」ってところまでやっちゃう。だから、終わる時はいつも『あしたのジョ一』じゃないけど、真っ白な灰になって終わってんだよ。解散っていうのはね、ビ一トルズも言ってるけど離婚と一緒(笑)。俺たちの関係がそういう仲だったからね。(ストリ一ト·)スライダ一ズにしてもそうだけど、パンドに対する考え方が重いんだよ。だからまた組むとかになると、「また結婚すんのかよ」みたいな気持ちになると思うよ(笑)。俺がソ口でやる時とか若い奴ら集めてや るじゃない? で、少しリレ一ションシツプがうまくいき始めたら、下の世代の若い奴はすぐ「バンドにしよう」っていうんだけどさ、俺も、たまに一緒にやってる(元スライダ一ズの)ジェ一ムスも「ぺつにバンドなんかやんなくてもいいんじゃない?」つてなっちゃうんだよ(笑)。パンドの重みを知っちゃつてるから。
YUKAI 時代完全不同了。解散的時候,我們把想做的事情都做盡了,如果説有遺憾的話,那就是沒出過百萬張銷量的專輯吧(笑)。除此之外,其他的事情全都做了。一點遺憾也沒有。雖然後來也重組過,但以那樣的陣容在一起時就總是全力以赴,做到"再也不想這樣做了"的地步。所以每次解散時都燃燒成了純白的灰燼,雖然不像動畫《明日之喬》那樣壯烈,但也差不多吧。解散這件事,披頭士也說過,就像離婚一樣(笑)。因為我們之間就是這種關繫。Street Sliders也是如此,我們對樂隊的看法都很重視。所以重組的時候就會有"又要重新結婚嗎"的感覺(笑)。當我自己單飛或者找年輕點的人一起玩的時候,一旦關繫搞好了,年輕的那群人就會馬上説“我們組個樂隊吧”。但我和以前Sliders裏的詹姆斯都會説“沒必要非得組樂隊吧?”(笑)因為我們太了解樂隊的分量了。
一どう?今の時代は違うって言われて。
—怎麼樣?現在的時代不同了這個說法。
高野 離婚と同じってとことか、好きだから尊敬もしてるけど、憎しみ合ったりジェラシ一を抱いたりっていうのはすごいわかる。nilは結成5年なんですけど、もうガキの頃からの付き合いなんですよ。たまたま美意識とか音楽の趣味が一緒で、みんな俺の歌と曲を好きでいてくれて。だから、ちょっと特殊な成り立ちではある。でも、ZIGZOってパンドを考えるなら、すごく近いなぁとは思う。ただ、思うんですけど、やっぱり時代性というのはすごいありますよね。最近、MODSの皆さんとお会いすることがあって周りの方たちから聞いたんですけど、MODSは25年ゃってて、最初はやっぱり歌謡曲の中でロックはどう勝負したらいいかってすごい闘ってきて、それで今があるって。で、「あ一、ゃっぱりロックをやるって聞いだったんだな」って。
高野 說解散樂隊就像離婚一樣的那件事,我非常能理解,雖然我們彼此喜歡對方也會互相尊重,但也會互相憎恨和嫉妒。我們nil雖然結成五年了,但其實我們從小就已經是朋友了。碰巧我們的審美意識和音樂興趣相同,大家都喜歡我寫的歌詞和曲子,所以我們成團的過程有些特殊。不過,如果把nil和ZIGZO相比的話,我覺得還是很相似的。但是我認為,時代的因素確實存在重大影響。最近我有機會見到MODS樂隊的大家,從他們周圍的人那裡聽說,MODS已經存在25年了,一開始他們在流行歌曲的領域裡極力爭取搖滾樂的地位,經過了激烈的較量,才有了今天的成就。所以我想“啊,原來做搖滾樂曲真的是一件了不起的事。”
高野哲がいろんな人を呼んで飲み屋でのんびり対談。でも、飲み 屋ならではの話題もあり!今回のゲストは DIAMOND☆YUKAl。
高野哲召集了各種各樣的人,在酒館悠閒地談話。但是,也有酒館特有的話題!這次的嘉賓是DIAMOND☆YUKAI。
—(飲み始めて30分)そろそろ、突っ込んだネ夕をふりたいんですが。おふたりともバンドを解散させてるじゃないですか…。
—(開始喝酒30分鐘)差不多了,想說點深入的話題。你們倆的樂隊不都解散了嗎?
YUKAI ZIGZOも解散しちゃつたんだよね?
YUKAI ZIGZO也解散了吧?
高野 ええ。だから、nilで言うなら真剣にやり始めて丸2年ぐらい。今、3人パンドのあるべき姿というのを作ってるとこなんですが、レ一ベルをやり始めてス夕ツフワ一クがわかってきたところもあって。そうすると、「うわ、ス夕タッフつて大変なんだ」って。よく(ZIGZOの時)勝手に「僕たちやめますう!」みたいなことが言えたもんだなと今は思えますね(笑)。
高野 是這樣的。如果用nil來説的話,我們開始認眞做音樂大約有兩年左右了。現在,我們正在創造一個三人樂隊應有的形象,但自從開始經營唱片公司,對工作人員的工作也有了新的認識。所以我現在想“哇,工作人員的工作眞的很辛苦啊”。以前(在ZIGZO時期)我們常常隨意説“我們要解散了!”這樣的話,現在回想起來眞是太任性了(笑)。
—レツド·ウォ一リア一ズは?
—Red Warriors呢?
YUKAI YUKAI時代が全然違 うからね。解散の時にはもう、やりたいことはさんざんやり尽くしてたし。やり残したとしたら、ミリオンセラ一を出してないとかさ(笑)。それ以外は全部やり尽くした。悔いはまったくなかった。再結成したりもしてるけど、あのメンパ一でやるといつも完全燃焼しちゃうんだよ。「もう二度とやりたくねえなあ」ってところまでやっちゃう。だから、終わる時はいつも『あしたのジョ一』じゃないけど、真っ白な灰になって終わってんだよ。解散っていうのはね、ビ一トルズも言ってるけど離婚と一緒(笑)。俺たちの関係がそういう仲だったからね。(ストリ一ト·)スライダ一ズにしてもそうだけど、パンドに対する考え方が重いんだよ。だからまた組むとかになると、「また結婚すんのかよ」みたいな気持ちになると思うよ(笑)。俺がソ口でやる時とか若い奴ら集めてや るじゃない? で、少しリレ一ションシツプがうまくいき始めたら、下の世代の若い奴はすぐ「バンドにしよう」っていうんだけどさ、俺も、たまに一緒にやってる(元スライダ一ズの)ジェ一ムスも「ぺつにバンドなんかやんなくてもいいんじゃない?」つてなっちゃうんだよ(笑)。パンドの重みを知っちゃつてるから。
YUKAI 時代完全不同了。解散的時候,我們把想做的事情都做盡了,如果説有遺憾的話,那就是沒出過百萬張銷量的專輯吧(笑)。除此之外,其他的事情全都做了。一點遺憾也沒有。雖然後來也重組過,但以那樣的陣容在一起時就總是全力以赴,做到"再也不想這樣做了"的地步。所以每次解散時都燃燒成了純白的灰燼,雖然不像動畫《明日之喬》那樣壯烈,但也差不多吧。解散這件事,披頭士也說過,就像離婚一樣(笑)。因為我們之間就是這種關繫。Street Sliders也是如此,我們對樂隊的看法都很重視。所以重組的時候就會有"又要重新結婚嗎"的感覺(笑)。當我自己單飛或者找年輕點的人一起玩的時候,一旦關繫搞好了,年輕的那群人就會馬上説“我們組個樂隊吧”。但我和以前Sliders裏的詹姆斯都會説“沒必要非得組樂隊吧?”(笑)因為我們太了解樂隊的分量了。
一どう?今の時代は違うって言われて。
—怎麼樣?現在的時代不同了這個說法。
高野 離婚と同じってとことか、好きだから尊敬もしてるけど、憎しみ合ったりジェラシ一を抱いたりっていうのはすごいわかる。nilは結成5年なんですけど、もうガキの頃からの付き合いなんですよ。たまたま美意識とか音楽の趣味が一緒で、みんな俺の歌と曲を好きでいてくれて。だから、ちょっと特殊な成り立ちではある。でも、ZIGZOってパンドを考えるなら、すごく近いなぁとは思う。ただ、思うんですけど、やっぱり時代性というのはすごいありますよね。最近、MODSの皆さんとお会いすることがあって周りの方たちから聞いたんですけど、MODSは25年ゃってて、最初はやっぱり歌謡曲の中でロックはどう勝負したらいいかってすごい闘ってきて、それで今があるって。で、「あ一、ゃっぱりロックをやるって聞いだったんだな」って。
高野 說解散樂隊就像離婚一樣的那件事,我非常能理解,雖然我們彼此喜歡對方也會互相尊重,但也會互相憎恨和嫉妒。我們nil雖然結成五年了,但其實我們從小就已經是朋友了。碰巧我們的審美意識和音樂興趣相同,大家都喜歡我寫的歌詞和曲子,所以我們成團的過程有些特殊。不過,如果把nil和ZIGZO相比的話,我覺得還是很相似的。但是我認為,時代的因素確實存在重大影響。最近我有機會見到MODS樂隊的大家,從他們周圍的人那裡聽說,MODS已經存在25年了,一開始他們在流行歌曲的領域裡極力爭取搖滾樂的地位,經過了激烈的較量,才有了今天的成就。所以我想“啊,原來做搖滾樂曲真的是一件了不起的事。”
#宫腰友里亚[超话]##宫腰友里亚# 全国握手会last東京!
2024.03.16
こんばんは!
宮腰友里亜(みやこしゆりあ)です
今日3月16日!!!!
待ちに待った、東京→敦賀(福井)まで
北陸新幹線が開業しました
やっと一本で帰れる嬉しいです〜
ありがたい事に福井新聞
「北陸新幹線開業記念特集 別刷り、福井新聞メディアにも動画と記事』を載せて頂きました!!
https://t.cn/A6TvjMx0
新幹線開業は、100年に一度のチャンスと聞きました!
私にとっても素晴らしいチャンスを頂けたと思います。
本当にありがとうございます
みんなも喜んでくれました〜!!
家族からも沢山写真と、見たよって
言ってくれました〜!!!
青空の下で☀️
これはお母さんが送ってくれた写真です
沢山福井県の魅力をみなさんに伝えれるようにこれからも頑張ります!!
気軽に福井県に遊びに来ての〜
そしてそして!!全国握手会in TOKYO
ありがとうございました✌✌
今日もめためた楽しかったです〜
初めましての方も!
いつも来てくださる方も!
本当にありがとうございました!!
会えてめっちゃ嬉しかったよ
名前叫ばれたのもめっちゃ嬉しかったなあ〜
タオルもスケブもうちわも全部全部
私にとっての最高の活力になっています!!!!
感謝伝われ〜〜
それでは今日の一曲は!!
『藤井 風』さんの
『満ちてゆく』です!!
明日は全国握手会in愛知!!
私愛知県大好きなんです〜
古着屋とか、美味しい食べ物も沢山あるので
よく家族旅行で行っていました
楽しみです!!!
また明日も会えるかな??
ドキドキしながら寝ます
またね
2024.03.16
こんばんは!
宮腰友里亜(みやこしゆりあ)です
今日3月16日!!!!
待ちに待った、東京→敦賀(福井)まで
北陸新幹線が開業しました
やっと一本で帰れる嬉しいです〜
ありがたい事に福井新聞
「北陸新幹線開業記念特集 別刷り、福井新聞メディアにも動画と記事』を載せて頂きました!!
https://t.cn/A6TvjMx0
新幹線開業は、100年に一度のチャンスと聞きました!
私にとっても素晴らしいチャンスを頂けたと思います。
本当にありがとうございます
みんなも喜んでくれました〜!!
家族からも沢山写真と、見たよって
言ってくれました〜!!!
青空の下で☀️
これはお母さんが送ってくれた写真です
沢山福井県の魅力をみなさんに伝えれるようにこれからも頑張ります!!
気軽に福井県に遊びに来ての〜
そしてそして!!全国握手会in TOKYO
ありがとうございました✌✌
今日もめためた楽しかったです〜
初めましての方も!
いつも来てくださる方も!
本当にありがとうございました!!
会えてめっちゃ嬉しかったよ
名前叫ばれたのもめっちゃ嬉しかったなあ〜
タオルもスケブもうちわも全部全部
私にとっての最高の活力になっています!!!!
感謝伝われ〜〜
それでは今日の一曲は!!
『藤井 風』さんの
『満ちてゆく』です!!
明日は全国握手会in愛知!!
私愛知県大好きなんです〜
古着屋とか、美味しい食べ物も沢山あるので
よく家族旅行で行っていました
楽しみです!!!
また明日も会えるかな??
ドキドキしながら寝ます
またね
《犬、猫、鼠》鲁迅(上)
去年あたりから私を嫌猫家と呼ぶ人がでてきたようだ。その原因は私が書いた「兎と猫」にあり:これは自らまいた種だから、何も言うことは無いし、気にもしていない。が、今年に入って少し心配になってきた。というのも、私は常々、筆を弄して、いろいろ書いてきたが、一部の人には、痒いところを掻くというのは少なく、痛いところを突いている方が多いようだ。万一それが、著名人や名教授、更には「青年を指導する先輩諸兄に、不謹慎かつ非礼な言動と見られたら、とても危険極まりない、ということになる。なぜか?こうした大家はいちゃもんをつけることにかけては、すさまじいものがあるからである。どれほどすさまじいか、といえば、私の文に一晩中カリカリした後で、新聞に寄稿して攻撃してくるからである。
「見てみろ!犬は猫を仇敵視しているではないか!魯迅氏は自ら猫嫌いと認めていながら、今度は“水に落ちた犬を叩け”」と言いだした。
この“ロジック”の奥妙さは、私の発言でもって、私を(嫌猫家の)犬だと証明しておいてから、私の文章の根拠を根こそぎ覆すからだ。私の2X2=4、3X3=9という九九は、すべて不正解となる。これが正しくないとなると、紳士諸兄の口から出る、2X2=7,3X3=1,000 が正解となる。
そこで私はヒマを見つけて、犬と猫が仇敵関係になった“動機”を調べてみた。これは何も最近の学者が“動機”によって作品を評価しようとする流行を、僭越にも真似しようとするのではない。まずは自分で濡れ衣を晴らそうと思ったからにすぎない。動物心理学者にとっては、何の造作も無いことだろうが、惜しいかな、私にはその方面の学問がない。
そのうち、デンハルト博士の「自然史の国民童話」の中に、その原因を見つけた。それに依ると、こういうわけだ。動物たちが重要なことを決めるため会議を開いた。鳥、魚、獣、すべて集まったが、象が来ていない。使いを出して呼びに行くことになり、その籤を引いたのが、犬だった。「象というのはどうやって探すの?見たことも無いし、わからないよ」と訊いた。皆「そりゃ簡単さ」「象の背中は丸いから」と口ぐちに言った。犬は出かけた。途中で猫に会った。猫はいきなり背を弓なりに丸めたので、犬は象だと思って、会場まで同道してきて、背を弓のように曲げた猫を「みなさん象です」と紹介した。その場の全員が嘲笑った。これ以降、犬と猫は敵同士になった、という。
ゲルマン人は森を出てから、あまり時間が経っていないが、学問文芸では相当なものがある。本の装丁や玩具の精巧さには舌をまく。しかしこの童話はどうも頂けない:怨みあうきっかけも面白みに欠けるし、猫が背を弓なりにするのは、何もわざと格好つけたのではない。咎は犬の眼力の無さにある。だが、原因と言えば、一つの原因かもしれない。しかし、私の猫嫌いは、これとはまったく別ものだ。
人と獣の間は、本来なにも厳しく分ける必要はないの。動物の世界も、古人が幻想したほどには自由で快適とはゆかないものだ。が、ぶつぶつ文句を言ったり、見え透いた嘘をつくなどしない点では、人間社会より優れている。彼らは感情に素直で、正は正、誤は誤として弁解しない。蛆虫は清潔とは言えないが、自分から清らかで気高いなどとは言わない:猛禽猛獣は、自分より弱い動物を餌食にするから凶暴と言わざるを得ぬが、彼らは従来から「公理」だの「正義」だのという旗を振ったりしたことはない。それにもかかわらず、犠牲者たちから、食われる直前まで、敬服され称賛されてきている。
人が直立できたのは、もちろん大進歩だし:話せるようになったのもそうだ:字を書き文を作れるのも大進歩。一方これは堕落でもある。それ以来、空談もするようになったからで、空談だけならいいが、心にもないこと、あるいは心にもとることを、知らず知らずに言いだした。ただ吼え叫ぶだけの動物に比べ、実に“厚かましい”し“忸怩たる”を免れない。もし一視同仁の造物主が高みから、人類のこうした小賢しさを、よけいなことと思い、まさしく動物園で、猿がとんぼ返りするのや、母象がお辞儀するのを見たら、破顔一笑はするものの、どうも薄気味悪く、一種の悲哀を感じ、こういう余計な小賢しさは無い方が良いと思うのと似ている。
しかし、人間になった以上、“徒党を組んで異端を倒す”しかなく、他人の話すのをまねて、俗に従って話し、弁別するほかは無い。
さて、これから私の猫嫌いの理由を書くが、自分としては十分な根拠があり、公明正大だと思っている。
1.性格は他の猛獣と異なり、スズメや鼠をつかまえても、一口に殺そうとはせず、思う存分もてあそび、放しては捕まえ、また放して捕まえる。もう飽きたと思う頃まで弄んでから食う。この点、他人の災禍を楽しむ人間が、弱い者をまずいじめるのと似ている。
2.猫は獅子や虎と同種ではないか?しかるにこんな媚態をするとは!が、これも天分かもしれない。もし猫の体が今より十倍も大きければどんな態度をとることやら。しかし、これらの口実は、今筆をとって、思いつくままに書いたものだが、当時の気持ちとしてはそういう理由があると思ったのである。
ズバリ言うなら、猫の交合時の鳴き声のせいだと言う方が強いだろう。そこに至るまでの手続きがうるさく、他者の心を煩わすことすさまじい。特に夜、読書中、就寝中など、こんな時は長い竹竿で、叩いてやる。犬は道で交合するが、閑人が棍棒で痛打する:かつてブリューゲルの銅版画アルゴリー デル ウオルストにこの種の絵があった。こうした挙動は、古今内外同じようだ。あの執拗なオーストリーの学者フロイトが提唱した精神分析以来、(章士釧氏は「心解」と題したが、簡単で古風な訳だが、実はとても理解しがたい)我々の著名人、名教授もすこぶるあいまいな形で、拾い出してきて応用してきた。これはつまるところ、性欲に帰納されそうだ。犬を叩くことについては、ここでは触れない。
猫を叩くについては、やかましい、というだけである。それ以外なんの悪意もない。
私の嫉妬心は、たいして大きくないという自信がある。今、“何か動けば、咎を受ける”状況にあるから、まずはあらかじめ声明しておかねばならない。例えば、人間は交合の前に、いろいろな手続きが要る。新式ではラブレター、少なくもひと束、多いのはひと箱も要る。
古くは“釣り書き”“結納”、頭を床につける儀礼、去年、海昌の蒋家が北京で婚礼した時、祝いの儀礼が三日も続き、果ては、赤表紙の“婚礼節文”“序論”を印刷し、大変な議論となった:“平常心からこれを論じるに、名付けて礼というからには、必ず何回も行わねばならない。それをもっぱら簡易にしようとするなら、何を以て礼となさんか?……しからば、世の中で、礼に志ある人は、以て興るべし!礼の下らない庶人の地位に退居してはならぬ!と。
だが、私はなにも怒る気にすらならなかった。それは私が出席する必要に迫られなかったからだ:それゆえ、私の猫を敵視するのも、理由は実に簡単ということが判る。要するに、私の耳の近くでうるさく鳴き叫ぶからである。他人の各種の儀礼については、部外者は何も気にしないでよい。私はなにも構わない。だが、読書している時、または寝ているときに、他人が来て、ラブレターを声に出して呼んでくれとか、一緒に儀式に出て呉れというなら、自衛のために、長い竹竿で防御しなければならない。
また、平素交際の無い人が、赤い招待状を寄こして“妹の嫁入りにご臨席を”とか
“息子の婚礼に”“何卒ご出席”“御一統さま全員で”とかの文言には“陰険な暗示”を含んでおり、お金を出さなければ、気持ち悪いことになり、楽しくないのだ。
しかし、こうしたことは最近のことに過ぎない。顧みるに、私の猫嫌いについては、ずっと昔からで、こんな理由を言い出す前、十歳ごろのことだ。今もはっきり覚えているが、原因は極めて簡単で、猫が鼠を食ったからだ。―――私が飼っていた可愛くて小さなハツカネズミを食ったのだ。
西洋では黒猫を好まぬようだが、確かなことは知らない:エドガー アランポーの小説の黒猫は、人を恐れさせるが、日本の猫は化けるのが上手く、伝説の猫婆は、人間を食うそうで、残酷さは確かに恐ろしい。中国の古代にも猫の妖怪がいたが、近来猫が妖怪になるのを聞かなくなった。どうやら古い手口は失われて、現実的になったようだ。ただ、私が幼いころ、猫には妖気があり、どうもなじめなかったようだ。それは、ある夏の夜に金木犀の下の小さな木の卓上で、横になって涼んでいた時、祖母が隣で芭蕉扇をあおぎながら、謎々や、昔話をしてくれたとき、突然、金木犀の木の上から、ザザーっと爪を引っ掻く音、暗闇にキラッと光る眼が、音とともに下りて来て、びっくりした。祖母の話も途切れ、それまでの話とは別の猫の話に変わった。
「猫は虎の先生だったって知っているかい?」と祖母。「子供は知らないだろうけど、猫は虎の先生なのよ。虎はもともと何もできなかったので、猫の弟子になったの。猫は殴り方や捉え方、食べ方を、丁度鼠を捕まえるときのように教えたの。みんな教わったら:虎はもう全部マスターした。誰も自分にかなう者は無い。ただ猫だけは自分より強い、もし猫を殺してしまえば、自分が最強になれる。虎はそう思うと、すぐさま猫を倒しに向かった。猫はとっくにそれを察知してぴょんと樹上に跳んだ。虎はなすすべも無く、木の下でうずくまるのみ。すべての技を教えた訳ではない。木の上に登ることは教えなかった。これは僥倖だと私は思った。幸いなことに、虎はとても性急なので、(木登りはマスターせずじまいだったからよかったが)さもなければ、金木犀から虎が下りてくることもあり得るのだ。
しかし、私はその話を聞いて怖くなって、部屋に戻って寝ようと思った。夜はだいぶ更けて:金木犀の葉は、さわさわ音を立て、微風が吹いて来て、茣蓙も少しは涼しくなって、寝がえりをしなくても眠れそうだった。
築数百年の古い屋敷の豆油の灯の、うすぼんやりとした光は、鼠が跳梁する世界で、飄々と走り回り、チュッチュッと鳴き、その態度は往々にして“著名人や名教授”たちより軒昂である。猫は飼われていて食べるに困らない。祖母たちは普段は、衣裳箱をかじるし、食べ物を盗み食いする鼠を憎んでいたが、私はたいしたことではないと思い、自分には無関係だし、そんな悪いことをするのは、大抵は大きな鼠で、私の好きな小さな鼠の悪口を言うのは良くないと思っていた。この小鼠は、地上を走りまわり、親指ほどの大きさで、私の地方では隠鼠(二十日鼠の類か)と呼び、梁の上で駆けまわる人に憎まれるのとは別種だった。
私の寝床の前に2枚の絵入りの襖があり、1枚は「猪八戒の婿入り」で全面に長い口と大きな耳が描かれ、良い眺めではなかったが、もう1枚は「鼠の嫁入り」でとても可愛かった。新郎新婦がお供や賓客、執事などみなアゴが尖り、足も細くてとても読書人みたいだが、みな赤いシャツと青いズボンである。こんな大規模な儀式を行えるのは私の好きな隠鼠に違いないと思った。
去年あたりから私を嫌猫家と呼ぶ人がでてきたようだ。その原因は私が書いた「兎と猫」にあり:これは自らまいた種だから、何も言うことは無いし、気にもしていない。が、今年に入って少し心配になってきた。というのも、私は常々、筆を弄して、いろいろ書いてきたが、一部の人には、痒いところを掻くというのは少なく、痛いところを突いている方が多いようだ。万一それが、著名人や名教授、更には「青年を指導する先輩諸兄に、不謹慎かつ非礼な言動と見られたら、とても危険極まりない、ということになる。なぜか?こうした大家はいちゃもんをつけることにかけては、すさまじいものがあるからである。どれほどすさまじいか、といえば、私の文に一晩中カリカリした後で、新聞に寄稿して攻撃してくるからである。
「見てみろ!犬は猫を仇敵視しているではないか!魯迅氏は自ら猫嫌いと認めていながら、今度は“水に落ちた犬を叩け”」と言いだした。
この“ロジック”の奥妙さは、私の発言でもって、私を(嫌猫家の)犬だと証明しておいてから、私の文章の根拠を根こそぎ覆すからだ。私の2X2=4、3X3=9という九九は、すべて不正解となる。これが正しくないとなると、紳士諸兄の口から出る、2X2=7,3X3=1,000 が正解となる。
そこで私はヒマを見つけて、犬と猫が仇敵関係になった“動機”を調べてみた。これは何も最近の学者が“動機”によって作品を評価しようとする流行を、僭越にも真似しようとするのではない。まずは自分で濡れ衣を晴らそうと思ったからにすぎない。動物心理学者にとっては、何の造作も無いことだろうが、惜しいかな、私にはその方面の学問がない。
そのうち、デンハルト博士の「自然史の国民童話」の中に、その原因を見つけた。それに依ると、こういうわけだ。動物たちが重要なことを決めるため会議を開いた。鳥、魚、獣、すべて集まったが、象が来ていない。使いを出して呼びに行くことになり、その籤を引いたのが、犬だった。「象というのはどうやって探すの?見たことも無いし、わからないよ」と訊いた。皆「そりゃ簡単さ」「象の背中は丸いから」と口ぐちに言った。犬は出かけた。途中で猫に会った。猫はいきなり背を弓なりに丸めたので、犬は象だと思って、会場まで同道してきて、背を弓のように曲げた猫を「みなさん象です」と紹介した。その場の全員が嘲笑った。これ以降、犬と猫は敵同士になった、という。
ゲルマン人は森を出てから、あまり時間が経っていないが、学問文芸では相当なものがある。本の装丁や玩具の精巧さには舌をまく。しかしこの童話はどうも頂けない:怨みあうきっかけも面白みに欠けるし、猫が背を弓なりにするのは、何もわざと格好つけたのではない。咎は犬の眼力の無さにある。だが、原因と言えば、一つの原因かもしれない。しかし、私の猫嫌いは、これとはまったく別ものだ。
人と獣の間は、本来なにも厳しく分ける必要はないの。動物の世界も、古人が幻想したほどには自由で快適とはゆかないものだ。が、ぶつぶつ文句を言ったり、見え透いた嘘をつくなどしない点では、人間社会より優れている。彼らは感情に素直で、正は正、誤は誤として弁解しない。蛆虫は清潔とは言えないが、自分から清らかで気高いなどとは言わない:猛禽猛獣は、自分より弱い動物を餌食にするから凶暴と言わざるを得ぬが、彼らは従来から「公理」だの「正義」だのという旗を振ったりしたことはない。それにもかかわらず、犠牲者たちから、食われる直前まで、敬服され称賛されてきている。
人が直立できたのは、もちろん大進歩だし:話せるようになったのもそうだ:字を書き文を作れるのも大進歩。一方これは堕落でもある。それ以来、空談もするようになったからで、空談だけならいいが、心にもないこと、あるいは心にもとることを、知らず知らずに言いだした。ただ吼え叫ぶだけの動物に比べ、実に“厚かましい”し“忸怩たる”を免れない。もし一視同仁の造物主が高みから、人類のこうした小賢しさを、よけいなことと思い、まさしく動物園で、猿がとんぼ返りするのや、母象がお辞儀するのを見たら、破顔一笑はするものの、どうも薄気味悪く、一種の悲哀を感じ、こういう余計な小賢しさは無い方が良いと思うのと似ている。
しかし、人間になった以上、“徒党を組んで異端を倒す”しかなく、他人の話すのをまねて、俗に従って話し、弁別するほかは無い。
さて、これから私の猫嫌いの理由を書くが、自分としては十分な根拠があり、公明正大だと思っている。
1.性格は他の猛獣と異なり、スズメや鼠をつかまえても、一口に殺そうとはせず、思う存分もてあそび、放しては捕まえ、また放して捕まえる。もう飽きたと思う頃まで弄んでから食う。この点、他人の災禍を楽しむ人間が、弱い者をまずいじめるのと似ている。
2.猫は獅子や虎と同種ではないか?しかるにこんな媚態をするとは!が、これも天分かもしれない。もし猫の体が今より十倍も大きければどんな態度をとることやら。しかし、これらの口実は、今筆をとって、思いつくままに書いたものだが、当時の気持ちとしてはそういう理由があると思ったのである。
ズバリ言うなら、猫の交合時の鳴き声のせいだと言う方が強いだろう。そこに至るまでの手続きがうるさく、他者の心を煩わすことすさまじい。特に夜、読書中、就寝中など、こんな時は長い竹竿で、叩いてやる。犬は道で交合するが、閑人が棍棒で痛打する:かつてブリューゲルの銅版画アルゴリー デル ウオルストにこの種の絵があった。こうした挙動は、古今内外同じようだ。あの執拗なオーストリーの学者フロイトが提唱した精神分析以来、(章士釧氏は「心解」と題したが、簡単で古風な訳だが、実はとても理解しがたい)我々の著名人、名教授もすこぶるあいまいな形で、拾い出してきて応用してきた。これはつまるところ、性欲に帰納されそうだ。犬を叩くことについては、ここでは触れない。
猫を叩くについては、やかましい、というだけである。それ以外なんの悪意もない。
私の嫉妬心は、たいして大きくないという自信がある。今、“何か動けば、咎を受ける”状況にあるから、まずはあらかじめ声明しておかねばならない。例えば、人間は交合の前に、いろいろな手続きが要る。新式ではラブレター、少なくもひと束、多いのはひと箱も要る。
古くは“釣り書き”“結納”、頭を床につける儀礼、去年、海昌の蒋家が北京で婚礼した時、祝いの儀礼が三日も続き、果ては、赤表紙の“婚礼節文”“序論”を印刷し、大変な議論となった:“平常心からこれを論じるに、名付けて礼というからには、必ず何回も行わねばならない。それをもっぱら簡易にしようとするなら、何を以て礼となさんか?……しからば、世の中で、礼に志ある人は、以て興るべし!礼の下らない庶人の地位に退居してはならぬ!と。
だが、私はなにも怒る気にすらならなかった。それは私が出席する必要に迫られなかったからだ:それゆえ、私の猫を敵視するのも、理由は実に簡単ということが判る。要するに、私の耳の近くでうるさく鳴き叫ぶからである。他人の各種の儀礼については、部外者は何も気にしないでよい。私はなにも構わない。だが、読書している時、または寝ているときに、他人が来て、ラブレターを声に出して呼んでくれとか、一緒に儀式に出て呉れというなら、自衛のために、長い竹竿で防御しなければならない。
また、平素交際の無い人が、赤い招待状を寄こして“妹の嫁入りにご臨席を”とか
“息子の婚礼に”“何卒ご出席”“御一統さま全員で”とかの文言には“陰険な暗示”を含んでおり、お金を出さなければ、気持ち悪いことになり、楽しくないのだ。
しかし、こうしたことは最近のことに過ぎない。顧みるに、私の猫嫌いについては、ずっと昔からで、こんな理由を言い出す前、十歳ごろのことだ。今もはっきり覚えているが、原因は極めて簡単で、猫が鼠を食ったからだ。―――私が飼っていた可愛くて小さなハツカネズミを食ったのだ。
西洋では黒猫を好まぬようだが、確かなことは知らない:エドガー アランポーの小説の黒猫は、人を恐れさせるが、日本の猫は化けるのが上手く、伝説の猫婆は、人間を食うそうで、残酷さは確かに恐ろしい。中国の古代にも猫の妖怪がいたが、近来猫が妖怪になるのを聞かなくなった。どうやら古い手口は失われて、現実的になったようだ。ただ、私が幼いころ、猫には妖気があり、どうもなじめなかったようだ。それは、ある夏の夜に金木犀の下の小さな木の卓上で、横になって涼んでいた時、祖母が隣で芭蕉扇をあおぎながら、謎々や、昔話をしてくれたとき、突然、金木犀の木の上から、ザザーっと爪を引っ掻く音、暗闇にキラッと光る眼が、音とともに下りて来て、びっくりした。祖母の話も途切れ、それまでの話とは別の猫の話に変わった。
「猫は虎の先生だったって知っているかい?」と祖母。「子供は知らないだろうけど、猫は虎の先生なのよ。虎はもともと何もできなかったので、猫の弟子になったの。猫は殴り方や捉え方、食べ方を、丁度鼠を捕まえるときのように教えたの。みんな教わったら:虎はもう全部マスターした。誰も自分にかなう者は無い。ただ猫だけは自分より強い、もし猫を殺してしまえば、自分が最強になれる。虎はそう思うと、すぐさま猫を倒しに向かった。猫はとっくにそれを察知してぴょんと樹上に跳んだ。虎はなすすべも無く、木の下でうずくまるのみ。すべての技を教えた訳ではない。木の上に登ることは教えなかった。これは僥倖だと私は思った。幸いなことに、虎はとても性急なので、(木登りはマスターせずじまいだったからよかったが)さもなければ、金木犀から虎が下りてくることもあり得るのだ。
しかし、私はその話を聞いて怖くなって、部屋に戻って寝ようと思った。夜はだいぶ更けて:金木犀の葉は、さわさわ音を立て、微風が吹いて来て、茣蓙も少しは涼しくなって、寝がえりをしなくても眠れそうだった。
築数百年の古い屋敷の豆油の灯の、うすぼんやりとした光は、鼠が跳梁する世界で、飄々と走り回り、チュッチュッと鳴き、その態度は往々にして“著名人や名教授”たちより軒昂である。猫は飼われていて食べるに困らない。祖母たちは普段は、衣裳箱をかじるし、食べ物を盗み食いする鼠を憎んでいたが、私はたいしたことではないと思い、自分には無関係だし、そんな悪いことをするのは、大抵は大きな鼠で、私の好きな小さな鼠の悪口を言うのは良くないと思っていた。この小鼠は、地上を走りまわり、親指ほどの大きさで、私の地方では隠鼠(二十日鼠の類か)と呼び、梁の上で駆けまわる人に憎まれるのとは別種だった。
私の寝床の前に2枚の絵入りの襖があり、1枚は「猪八戒の婿入り」で全面に長い口と大きな耳が描かれ、良い眺めではなかったが、もう1枚は「鼠の嫁入り」でとても可愛かった。新郎新婦がお供や賓客、執事などみなアゴが尖り、足も細くてとても読書人みたいだが、みな赤いシャツと青いズボンである。こんな大規模な儀式を行えるのは私の好きな隠鼠に違いないと思った。
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