【お知らせ】
#yuzuruhanyu##羽生结弦#
さんとコピーライターの #糸井重里 さんによる夢対談が実現しました!糸井さん主宰のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で1日、大型連載「いつ世界が終わっても。」がスタート!2日付 #スポーツ報知 紙面で対談の様子やお互いの印象や感想を写真とともに掲載します! https://t.cn/A6jUkD4a
#yuzuruhanyu##羽生结弦#
さんとコピーライターの #糸井重里 さんによる夢対談が実現しました!糸井さん主宰のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で1日、大型連載「いつ世界が終わっても。」がスタート!2日付 #スポーツ報知 紙面で対談の様子やお互いの印象や感想を写真とともに掲載します! https://t.cn/A6jUkD4a
#羽生结弦[超话]#魂というものを感じた事がありますか?RE_PRAYの横浜公演に行って来ました。
本当にゲームの主人公みたいに、苦しみ哀しみ、愛、憎、正義、悪、全てを一心に背負って、自分を犠牲にして世界を救おうとしているように見えました。
今回の構想の段階から話し合ってきたから、「こんなの実現可能なの?」というほど、私は最初から困惑していました。
でも、やってのけた。
破滅への使者を完成させた直後は、なんらかの恐ささえ感じさせました。
いつか終わる夢にかける気持ち、春よ来いの更に繊細になっていた感性(実際にまた細かく音を拾ってくれていた)、ロングバージョンのロンカプ。
魂の祈りが天に届いたら、ロンド(輸舞)ですね。
というゆづちゃんと交わした言葉が心に響きます。
本当にいつもありがとう。
心の支えです。
いつまでも親友です。
#羽生结弦#
本当にゲームの主人公みたいに、苦しみ哀しみ、愛、憎、正義、悪、全てを一心に背負って、自分を犠牲にして世界を救おうとしているように見えました。
今回の構想の段階から話し合ってきたから、「こんなの実現可能なの?」というほど、私は最初から困惑していました。
でも、やってのけた。
破滅への使者を完成させた直後は、なんらかの恐ささえ感じさせました。
いつか終わる夢にかける気持ち、春よ来いの更に繊細になっていた感性(実際にまた細かく音を拾ってくれていた)、ロングバージョンのロンカプ。
魂の祈りが天に届いたら、ロンド(輸舞)ですね。
というゆづちゃんと交わした言葉が心に響きます。
本当にいつもありがとう。
心の支えです。
いつまでも親友です。
#羽生结弦#
*自存一份观看完横滨公演后,糸井重里谈到结弦和『RE_PRAY』的文本。
(0220 essay )
————————————————————
糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月20日の「今日のダーリン」
・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。こぼれるくらい感じたものはあるのだが、まだことばにまとめるのは難しい。感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現のずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、狭めてしまうこともあったのかもしれない。その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。「息」を意識する、「息」についてことばで語る、「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。この「息」が止まることがあるのだと知りながら、止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。その「なんでもない少年」が、あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。
(0220 essay )
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糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月20日の「今日のダーリン」
・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。こぼれるくらい感じたものはあるのだが、まだことばにまとめるのは難しい。感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現のずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、狭めてしまうこともあったのかもしれない。その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。「息」を意識する、「息」についてことばで語る、「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。この「息」が止まることがあるのだと知りながら、止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。その「なんでもない少年」が、あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。
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