ブラジュロンヌ子爵
概要
物語の冒頭は、清教徒革命によりイギリスを追われたチャールズ2世がルイ14世に救援を求めてフランスにやって来るところから。しかし、いまだ宰相のジュール・マザランが実権を握っており、ルイ14世にその権限はなくチャールズ2世を追い返してしまう。それを見ていたダルタニャンはルイ14世に愛想を尽かし、50歳近くの老齢ながら一旗上げてやれとチャールズ2世の復位に尽力しようと退役し、イギリスへ渡る事を決心する。時を同じくして元・三銃士のアトスもチャールズ2世の復位に協力しようとしていた。

ダルタニャンらの活躍でイギリスの王政復古が成功すると、イギリス・フランスの友好のため、イギリスのアンリエット姫と、ルイ14世の弟、オルレアン公フィリップの結婚が行われた。ところが、あろうことかルイ14世とアンリエットの間に不倫関係ができてしまう。とりあえず、ルイ14世はアンリエットの侍女ルイズに恋をしているから、アンリエットのもとに通っているのだと偽装をする事になるが、ルイ14世は本気でルイズに恋をしてしまう。このためもとルイズの恋人だったラウルとルイ14世、ルイズの三角関係ができてしまう。

同じ頃、もと三銃士の一人、アラミスが仕える財務長官ニコラ・フーケは国王を凌ぐ財力を持っていたため粛清の対象となってしまっていた。しかし、アラミスはバスチーユで鉄仮面をかぶる奇妙な囚人に遭遇したことで、フーケを助けるため、そして何よりも自らの抱く壮大な野望のため、逆転の一手に出ることを決意する。

本作は『ダルタニャン物語』の中でも最も「死」を描いている。いよいよ老齢に差し掛かった三銃士や、古参のキャラクター、また年若くして非業の死を遂げる若者…。そして、ダルタニャンの死をもって物語は完結する。登場人物
フランス
ラウル
本作の主人公で、アトスの実子。二十代半ばの青年で、優れた騎士。タイトルの『ブラジュロンヌ子爵』は彼の持つ爵位から来ている。作中ではルイズとの恋に苦悩する。形式的には主人公であるが、ダルタニャンら古参のキャラクターの前では影が薄い。
ダルタニャン
第一部『三銃士』、第二部『二十年後』の主人公で、本作でも実質的な主人公。50歳近くなりながらも元気溌剌。物語の序盤でイギリスに渡り莫大な財産を作り、長年の貧困生活に終止符を打った。その後、親政を決意し腹心となるべき人物を必要としたルイ14世に半ば強引に呼び戻され、銃士隊長に就任。ついにはフランス元帥の位まで上り詰めた。
アトス(ラ・フェール伯爵)
かつて三銃士のリーダー的な存在。既に60歳近くの高齢であるため、物語の開始時点では退役し、隠居生活を送っていた。熱烈にイギリスを嫌っていた若い頃と打って変わって、親英的になっており、チャールズ2世の王政復古に多大な活躍をし、イギリス王宮では絶大な信頼を得ている。対してフランスでの扱いは、息子ラウルがルイ14世と恋敵の関係にある事から、あまり良いものとはいえない。
ポルトス
かつての三銃士で、作中で随一の剛の者。すでに老齢に達しているのであるが、自慢の膂力は衰える事を知らず、獅子奮迅の活躍を繰り広げる。陽気な性格は変わらず、三銃士のムードメーカー的な存在でもある。裏切りや陰謀などと言った暗いテーマを含む作品を明るくしている。
アラミス(デルブレー)
かつて三銃士の一人であるが、今は聖職者となり、本名デルブレーと名乗っている。かつては二枚目で、剣術の達人であったが、老齢のため結石・痛風などに苦しみ、もっぱら頭脳労働を担当する。財務長官のフーケと何やら陰謀を企んでおり、ダルタニャンと対立する事もしばしば。鉄仮面事件について重要な鍵となる。
ルイ14世
ブルボン朝の全盛期を統治したフランス王。第2部『二十年後』では幼く、母アンヌと宰相マザランの傀儡だったが、マザランの死と共に徐々に権力を掌握し、作中では太陽が昇るごとく絶頂を迎える。
ニコラ・フーケ
フランスの財務長官。マザラン亡き後、国王に匹敵する財力を持つ。そのため、ルイ14世からは警戒されており、粛清の対象となってしまう。作中ではアラミスと行動する事が多く、何やら陰謀を企んでいる。
コルベール
フーケの次の財務長官。ルイ14世の側近として活躍する。かつてはダルタニャンとは不和であったが、後に和解。ダルタニャンがフランス元帥の地位に登るのに際し、人事に関して働きかけもしてくれた。
鉄仮面
本名はフィリップ。バスティーユ牢獄に収監されており、風変わりな鉄仮面を被せられている。実はルイ14世の双子の弟。
ギーシュ伯爵
王弟フィリップの寵臣で、ラウルの親友。アンリエットに惚れこんでおり、道ならぬ恋に苦しむ。
ルイズ
ラウルの恋人だった女性。元々美人ではなく、幼い頃の負傷が原因で足を引きずっている。ルイ14世とアンリエットの不倫の隠れ蓑とするため、とりあえずアンリエットの侍女であるルイズに惚れているためにアンリエットのところに通うのだ、という噂を流されることになる。ところが、ルイ14世が本気でルイズにほれ込んでしまう事で、ラウルとの関係が悪化する。
イギリス
チャールズ2世
イギリス国王。血縁的にはルイ14世の母方の従兄弟にあたる。初登場時は流浪の生活を送っていたが、アトス、ダルタニャンの活躍によって王政復古に成功。そのため、アトスには非常に感謝している。
バリー
チャールズ1世の頃から仕えるスチュアート王家の忠臣。二十年後の段階でアトスと親交を得る。彼がアトスの屋敷を訪れた事で、スチュアート朝の王政復古につながった。
アンリエット
チャールズ2世の妹。チャールス2世の復位の後、ルイ14世の弟、オルレアン公フィリップ(鉄仮面とは同名だが別人)と結婚する。たいそうな美女であり、彼女をめぐってギーシュ伯爵、ルイ14世、バッキンガム公爵が恋の鞘宛を繰り広げる。なお、彼女の母親も同名でアンリエットなので注意が必要。
バッキンガム公爵
三銃士に登場した初代バッキンガム公爵(ジョージ・ド・ヴィリエ)の息子。アンリエットに恋焦がれており、それがきっかけで相当の無茶を行う。
モンク将軍
クロムウェル亡き後、実質的なイギリスの支配者。アトスの真摯な説得により、チャールズ2世の支持に転向した。が、直後に何も知らないダルタニャンによって誘拐され、樽に詰めたまま護送される目に遭ってしまう。

内容简介
本书以阿多斯的儿子布拉热洛纳子爵的恋爱故事为线索,描绘了路易十四时代的一系列真真假假的历史故事:财政总监尼古拉斯·富凯的失宠;路易十四和侍从女伴露易丝·德·拉·瓦里埃尔的爱情;达达尼昂和阿多斯帮助查理二世国王重登王位;阿拉密斯和波尔多斯想用路易十四的孪生兄弟“铁面人”代替国王却功败垂成;以及达达尼昂等四个生死与共的火枪手的最后结局等。
继1844年的《三个火枪手》与1845年的《二十年后》,大仲马再接再厉,于1850年完成了“达达尼昂三部曲”的收官之作——《布拉热洛纳子爵》,为这部英雄史诗画上了完美的句号。

アレクサンドル・デュマ・ペール

連載小説
さて、フランスではエミール・ド・ジラルダンのLa Presse『プレス』とアルノー・デュタクのLe Siècle『世紀』が1836年に発行されて、新聞という新しいメディア時代の到来が告げられていた。新聞は定期購読者を資金源とし、購読者をつなぎとめる有力な武器として、今で言うテレビの連続ドラマの原型として連載小説(La suite au prochain numéro 「次号に続く」)という手法を生み出した。バルザックを始め、ウージェーヌ・シュー、フレデリック・スーリエなどと並んでアレクサンドル・デュマも作家として新聞小説でも花形になった。

1836年に小説と新聞の結合を象徴した連続小説はどのように生まれたか?バルザック、サンド、ヴィニー、デュマ、シュー、およびカーの小説や短編は、『パリ評論』と『両世界評論』という主要な隔月刊の文学雑誌にすでに登場していた。1836年の新しさは、主に政治を扱う日刊紙に連載小説を持ち込んだことであった。それまで主に演劇、音楽、芸術批評の専用だった新聞の「最下欄」に侵入したからだ。1830年、7月王政の出現で、検閲と出版物の印紙税が廃止されたため新聞が作られた。パリの日刊紙は当時、80フランという高額の予約購読料で独占的に販売されていた。1836年、エミール・ド・ジラルダンが『ラ・プレス』をアルマン・デュタック(彼の以前の共同経営者)が『世紀』を立ち上げた。『世紀』は、予約購読料を40フランに設定し、連載小説で読者を魅了した。彼らは大衆紙を発明したのだ。1836年から1845年の間、主要な日刊紙はそれを真似て発行部数を2倍にする。新聞が発行号ごとにバラ売りされるのはその後である。1846年、『世紀』は32,885人の加入者、『ラ・プレス』は22,170人、『ル・コンスティチュショナル』は24,771人に達した。これらの予約は家族、世帯、読書クラブ、および貸本業者によって行われているため、ミシュレ―によると、新聞全体で1,500,000人の読者が読んでいたという。さらに、連載小説は地方及び外国の新聞に再掲載される。これらの連載は、その後、本として印刷される。 連載小説の読者は誰か?特に中流階級と一般大衆である。読み書きのできない人にはその号が読み上げられるのだ。
デュマは劇作家の後、最初に歴史研究、ニュース、旅行の印象を書く。1831年から1836年まで、彼は『両世界評論』に『フランスの歴史:歴史的情景』(1831~1832年)を、『ラ・プレス』で『歴史的風景』と『イタリア旅行の印象』を出版する。
デュマは1838年の初めに一時的にジラルダンと揉めて、2か月後に連載小説を求めた『世紀』に移った。アメリカ人作家ジェイムズ・クーパーの"The Pilot: A Tale of the Sea"『水先案内人』を下敷きにした最初の本格的連載小説Le Capitaine Paul『ポール船長』であった。5月30日から6月23日までの19回連続で発行され、新聞に3週間で5,000人の購読者の増加をもたらした。これは、アメリカ独立戦争で反乱軍の側に参加したスコットランド人のポール・ジョーンズ少将(1747-1792)の生涯からの想像上のエピソードである。さて、この年からオーギュスト・マケとの実り多いコラボレーションの時代が始まる。2人は1838年に会い、様々な作品を産み落としていく。1843年にデュマがサン・ジェルマン・アン・レーに移ったとき、配達夫を使ってマケと頻繁に連絡をとり、次々にアイディアを求めた。1844年コメディ・フランセーズが受け入れた戯曲『摂政の娘』が検閲によって差し止められたとき、デュマはマケとともに、クールティル・ドゥ・サンドラスの『ダルタニャン氏の覚え書き』から、有名な『三銃士』を生むアイデアを引き出す。連載は、『世紀』に1844年3月14日から始まる。ユーゴーは「心を掴むドラマ、熱い情熱、真の対話、輝く文体」と賞賛する。彼の成功は、ウージェーヌ・シューの成功に匹敵する。突然、すべての新聞がアレクサンドルを求め、彼はすべての契約を受け入れる。『ジュルナル・デ・デバ』のために『モンテ・クリスト伯』を書き始め(連載は1846年1月15日まで続く)、1844年、アレクサンドルは『パリ評論』のために、世界的な小説である『フェルナンド』(デュモン、1844、3巻)を書いた。La Reine Margot『王妃マルゴ』は、『ラ・プレス』に連載されたバルザックのPaysans『農民』が購読の更新時に読者を飽きさせたため、1844年12月25日から代わりに連載された。1845年、『世紀』に『三銃士』の続編『二十年後』が登場。La Démocratie pacifique『ラ・デモクラシー・パシフィック』新聞に『赤い館の騎士』が連続される。これらの連載小説のほぼすべてが成功を収めた。それらを印刷する日刊紙には、新しい購読者が増える。デュマは1日12~14時間働いていた。

フランス文学史には、1845年から1855年までのデュマに匹敵できるような多作な作家は、いまだかつていなかった。8巻、10巻に及ぶ小説がひっきりなしに新聞社や出版社に押しよせる。フランスのすべての歴史がそこを通って行く。『三銃士』の続篇には、『二十年後』と昔を懐しむ『ブラジュロンヌ子爵』がつづくことになる。もうひとつの三部作(『女王マルゴ』、『モンソローの奥方』、『四十五人隊』)は、ヴァロワ王朝の人々を舞台に登場させる。『女王マルゴ』はカトリーヌ・ド・メディシスとアンリ・ド・ナヴァールの闘争の物語である。『モンソローの奥方』はアンリ三世の時代をきわめて面白く語っている。『四十五人隊』はディアーヌ・ド・モンソローがダンジュに対して、彼女の恋人ビュッシー・ダンボワーズの死の限みを晴らす話である。 これと同時に、デュマはもう一つの連作(『女王の首飾り』、『騎士メーゾン・ルージュ』、『ジョゼフ・バルサモ』、『アンジュ・ピトゥー』、『シャルニー伯爵夫人』)で、フランス君主政体の衰退と没落を描いていた。ここで、われわれはデュマの〈歴史的帝国主義〉について語ってもいいと思う。デュマは初期のうちから、彼の小説の領域にフランスの歴史全体を併合する計画を抱いていた。「わたしの最初の望みは」と彼自身がいっている。「限りないものだ。わたしの最初の熱望は、いつも不可能なことに向けられている。どうしてこれを達成させたらいいのか?誰もしないように仕事をして、生活からあらゆる無駄を省き、睡眠を斥けて......」こうして読者を驚かすような、5、600冊の作品が生れたのだ。[20]

1846年5月31日、デュマは医師の回顧録の最初の部分である『ジョゼフ・バルサモ』を『ラ・プレス』で出版し始めたが、1846年9月6日にその連載を放棄した。加入者は激怒し、ジラルダンとヴェロンは彼を訴えた。1847年2月19日、デュマは損害賠償で6,000フランの判決を受け、8巻をジラルダンに、6巻をヴェロンに提供した。また、デュマは「歴史劇場」の特権を獲得し『女王マルゴ』を初演(1847年2月20日)として採用した。大衆は、彼のヒーローを生身の人間の演技で観るのを待ち焦がれ、大挙して押し寄せた。歴史劇場は金鉱の可能性があった。しかし、デュマは1847年7月25日に完成披露する「モンテ・クリスト」という城をポール・マルリーに建てた。自ら招いた経済的必要により、彼は大車輪で書くことを余儀なくされた。

1848年、アレクサンドルは、『ラ・プレス』で『ジョゼフ・バルサモ』の続きを書き、『王妃の首飾り』の出版を開始した。デュマは、王室の評判を落とすために首飾りの事件を扇動したのはバルサモだと想像している。この連載は大成功をおさめる。 1848年革命はデュマの生活を台無しにする。革命は彼から収入を奪い(数ヶ月間劇場が開けなくなったため)、彼はパリを後にした。彼は、立法選挙に出馬するが落選する。その後、ルイ・ナポレオン・ボナパルトの対抗馬ルイ・ウジェーヌ・カヴァニャックを支援した。

1850年はデュマにとって不吉な年になった。歴史劇場は閉鎖を余儀なくされ、1850年12月20日に破産を宣言され控訴する。一方、政府は連載小説に含まれる進歩的なメッセージを恐れて、印紙条例の法律を復活させた。新聞は連載小説の出版を週3日に減らすことを余儀なくされる。1851年、デュマにとってこの年は悲しい終わりを迎える。ルイ・ナポレオンの12月2日のクーデターを認めないからだ。また、12月11日、前年度の破産判決が確認され、判決を通告されたデュマは、身柄拘束を避けるためパスポートを10日に査証させてブリュッセルに居を構えた。デュマは時々秘密裏にパリに戻る。ブリュッセルに到着するとすぐに、デュマはちゃっかりベルギーの出版社で彼の回顧録を発行する。
一方、1852年6月12日に開かれたデュマの債務の主張手続きは、1853年4月18日に債務訴訟により結審し、強制和議への道が開かれた。デュマはパリに戻ることができた。デュマは自分の文学日刊誌「銃士」を設立し、1853年11月21日から印刷を始めた。そこに『回想』の継続を不定期に出版した。その後、週刊新聞『モンテ・クリスト』(1857年4月27日-1860年5月10日)を設立した。しかし、どちらの新聞も思ったように販売部数を伸ばせず、掲載した小説も以前のような精彩を欠くようになる。失意のデュマは旅に出てインスピレーションを得ようと計画した。1858年の夏、彼はロシア、そしてコーカサスへの長い旅行記を引き受けた。ロシア帝国での絵のような冒険と、バクーから黒海へのコーカサスの渡航中の物語を書いた。帰ると出版社のミシェル・レヴィのために署名した契約のおかげで(1859年12月)大金を受け取ると、たちまち彼はギリシャから聖地エルサレムまでの地中海旅行のためにスクーナー船を購入した。

1860年5月9日にマルセイユを出発した彼はシチリア島に渡り、契約金の残りを友人のガリバルディの軍隊の武器を購入するために気前よく差し出した。また、その独立戦争のためにガリバルディよりもガリバルディアン派の新聞「L’Independente」を発刊する。その使命は、イタリアからブルボンの雑草を根絶することである。しかし、当のガリバルディはシチリア王国をイタリア王国と統合する国民投票後引退してしまう。残されたデュマは戦いを続け、反ブルボンの小説『ラ・サン・フェリーチェ』を書いた。

晩年
最後の最後までデュマはデュマであった。グルメな彼は、小説がかけなくなると死後出版となる『料理大辞典』を書いていた。
スペインでの長い滞在の後、彼は息子の別荘であるディエップの近くのピュイに移る。1870年9月、脳卒中により半麻痺状態になった後、1870年12月5日に亡くなった。

小デュマよりジョルジュ・サンドヘ

ピュイにて、1870年12月6日

父は昨日、12月5日の月曜、夜10時に苦しみもなく亡くなりました。この死を第一番に知らせるべきなのは、あなただとつねづね思っておりましたが、それも今はかなわぬようです。父は他の誰よりもあなたを愛し、あなたを賛美しておりました......

後になって戦争が終ってから、彼女は同情の気持ちを伝えることができた。

#柚
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る

──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。

青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。

──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。

青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。

──例えば、SF映画の脚本だとしても?

青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。

──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。

青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。

──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?

青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。

──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。

青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。

──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。

青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。

──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。

青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。

──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。

青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。

──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。

青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。

──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。

青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。

──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。

青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。

──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?

青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。

──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。

青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。

──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?

青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。


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