国富論
正式名は『諸国民の富の性質と原因に関する研究』(英: An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。
全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排した自由放任主義を推進した文献と受け止められることもあるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
背景
アダム・スミスは1751年からグラスゴー大学教授として、当初論理学、次いで道徳哲学を講じていた。グラスゴー大学の講義中に、ピン製造を使った分業論をはじめ、『国富論』に含まれることになる理論のかなりの部分が見られる。
スミスが1759年に刊行した『道徳感情論』は大きな反響を呼んだ。それがきっかけとなって、チャールズ・タウンゼンドの依頼に応じて大学教授を辞し、バクルー公の大陸へのグランドツアーに、家庭教師として同行することになった。この旅行の中では、親友デイヴィッド・ヒュームの仲介もあり、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴー、ヴォルテールらとも親交を持った。この旅行でスミスは、『国富論』執筆のための刺激と、執筆に専念できるだけの十分な年金とを得た。帰国後のスミスは、ベンジャミン・フランクリンとも出会う機会があり、アメリカ植民地に関するスミスの認識には、フランクリンからの影響が見られる。
スミスは『道徳感情論』の中で、さらに法と統治に関する一般理論の刊行を予告していたが、その全体像が実現することはなかった。死を迎えた1790年の『道徳感情論』第6版では、1776年に刊行した『国富論』がその構想の一部であったことを、序論に付け加えた。
内容
『国富論』の「序論および本論の構想」においては、富を生活の必需品と便益品すべてと位置づけ、年々の労働によって生み出されるものとした。この定義は、貴金属などを富と見なした重商主義の定義などを批判あるいは否定したものとされる。
『国富論』は全5篇において理論、歴史、政策を包括的に扱っているとされ、例えば第1、2篇が理論、第3篇が経済史、第4篇が経済思想史・経済学史あるいは経済政策論、第5篇が財政学などと分類される。その叙述は十分に整理されているとは言い難いが、後の古典派経済学の要素のほとんど、あるいは後の経済学に登場する着想のほとんどが含まれているとさえ言われる。
『国富論』はジョン・ロック、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴーをはじめとする数多くの先達の思想を踏まえたものであり、そのすべてが独創的というわけではないが、鋭い洞察と広い視野に裏付けられた網羅性という点で抜きんでている。
構成
以下の全5篇から成る。
序論(introduction)および本書の構想(plan)。
第1篇 - 労働(labor)の生産力(productive powers)における改善(improvement)の原因(causes)と、その生産物(produce)が国民(people)のさまざまな階級(ranks)のあいだに自然(naturally)に分配(distribute)される秩序(order)について。- 全11章。
第1章 - 分業(division of labor)について。
第2章 - 分業(division of labor)をひきおこす原理(principle)について。
第3章 - 分業(division of labor)は市場(market)の大きさ(extent)によって制限(limit)される。
第4章 - 貨幣(money)の起源(origin)と使用(use)について。
第5章 - 商品(commodities)の真の価格(real price)と名目上の価格(nominal price)について、すなわちその労働価格(price in labor)と貨幣価格(price in money)について。
第6章 - 商品(commodities)の価格(price)の構成部分(component parts)について。
第7章 - 商品(commodities)の自然価格(natural price)と市場価格(market price)について。
第8章 - 労働(labor)の賃金(wages)について。
第9章 - 資本(stock)の利潤(profits)について。
第10章 - 労働(labor)と資本(stock)の種々な用途(employments)における賃金(wages)と利潤(profits)について。
第11章 - 土地(land)の地代(rent)について。
第2篇 - 資本(stock)の性質(nature)・蓄積(accumulation)・用途(employment)について。- 全5章。
序論
第1章 - 資本(stock)の分類(division)について。
第2章 - 社会(society)の総資材(general stock)の一特定部門(particular branch)とみなされる貨幣(money)について、すなわち国民資本(national capital)の維持費について。
第3章 - 資本(stock)の蓄積(accumulation)について、すなわち生産的労働(productive labor)と非生産的労働(unproductive labor)について。
第4章 - 利子(interest)を取って貸し付けられる資本(stock)について。
第5章 - 資本(capitals)のさまざまな用途(employments)について。
第3篇 - 国(nation)ごとに富裕(opulence)への進路(progress)が異なることについて。- 全4章。
第1章 - 富裕(opulence)になる自然(natural)な進路(progress)について。
第2章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後のヨーロッパ(Europe)の旧状(ancient state)における農業(agriculture)の阻害(discouragement)について。
第3章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後における都市(cities and towns)の発生(rise)と発達(progress)について。
第4章 - 都市(towns)の商業(commerce)がいかにして農村(country)の改良(improvement)に貢献(contribute)したか。
第4篇 - 経済学(political economy)の諸体系(systems)について。- 全9章。
序論
第1章 - 商業主義(commercial)または重商主義(mercantile system)の原理(principle)について。
第2章 - 国内(home)でも生産(produce)できる財貨(goods)の外国(foreign countries)からの輸入(importation)に対する制限(restraints)について。
第3章 - 貿易差額(balance)が自国に不利(disadvantageous)と思われる諸国からのほとんどあらゆる種類の財貨(goods)の輸入(importation)に対する特別の制限(extraordinary restraints)について。
第4章 - 戻税(drawbacks)について。
第5章 - 奨励金(bounties)について。
第6章 - 通商条約(treaties of commerce)について。
第7章 - 植民地(colonies)について。
第8章 - 重商主義(mercantile system)の結論(conclusion)。
第9章 - 重農主義(agricultural systems)について、すなわち土地(land)の生産物(produce)がすべての国(country)の収入(revenue)と富(wealth)の唯一または主な源泉(source)だと説く経済学(political economy)上の主義について。
第5篇 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の収入(revenue)について。- 全3章。
第1章 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の経費(expences)について。
第2章 - 社会(society)の一般収入(general revenue)あるいは公共収入(public revenue)の財源(sources)について。
第3章 - 公債(public debts)について。
第1篇
第1篇は、分業による労働生産性の上昇と、その配分の問題が論じられる。
スミスの分業論は、ピン製造の題材から始まる。この例は、スミスが故郷カーコーディで幼い時に見た経験が生かされていると言われる。従来、その着想は『百科全書』のピンの項目から得たと言われており、直接的体験をそこに加える見解は1970年代以降に現れたものだったが、21世紀に入ってから、『百科全書』以外のフランス語文献の利用を指摘する研究も現れている。
『国富論』の出現は産業革命初期に当たっており、アダム・スミスは機械制大量生産の本格化を見ていなかったという時代的制約がある。ゆえに、もう少し時代がずれていたら、ピン製造を踏まえた立論は違ったものになっていたのではないかとも言われている。しかし、スミスの重要な貢献は、新時代の予言よりも、それまでの考えの古さを打破したことや、人間社会における関係性を、労働を介して把握した点などに求められる。
分業のシステムを理論的に定式化する際に用いられたのが、交換性向や説得性向といった人間の本性に含まれる特質である。すなわち、分業しても生活が成り立つためには、交換する市場が先んじて成立している必要があり、交換性向はそれを裏支えする人間の性向といえる。そして、その交換性向よりも本源的に存在するのが説得性向であり、他人と言葉を交わし同感を得ようとする本性が、他者を説得して交換を成立させることに結び付くと考えたのである。そして、その交換性向は、他者への慈愛ではなく、自己の生存を確立するために自分自身の利益に持つ関心、すなわち自愛心に由来するとした。
スミスは工場内分業の進展を、社会内の分業、すなわち職業の分化にも拡大する。彼の立論においては工場内分業と社会内分業の違いが明確に区別されていない憾みはあるものの、ともあれ分業の進展が生産力の上昇、ひいては商業社会の発展につながることが説かれる。
スミスが想定する商業社会は、地主、資本家、労働者による階級社会が想定されており、商業社会においては賃金、地代、利潤の自然な水準に規定された「自然価格」が存在し、公正さを含む参加者の同感に市場が支えられていれば、需要と供給によって決定される市場価格は、長期的には自然価格に一致するように動くとされる。この議論の基盤をなしたのは、まだ十分に練られた形ではなかったが、労働価値説であった。スミスは投下労働価値説と支配労働価値説とを用いたが、この問題を十分に突き詰めたとは言い難い。
第2篇
第2篇で論じられるのは資本蓄積の問題である。分業が発展するためには、それに先立って剰余生産物が蓄積されている必要がある。というのは、分業を始めるには、それを支える機械や設備を整える必要があるし、分業による生産物が実際に交換されるまでの生活も支えなければならないからである。
スミスはこの問題を扱うのに際し、労働を生産的労働と不生産的労働に分けた。前者は農業や工業を指すのに対し、後者はサービス業を指す。これらを分ける基準はスミスが富と定義した生活の必需品・便益品を生産するかどうかであって、不生産的労働が持つ社会での有用性を否定するものではない。
スミスは生産的労働から資本が蓄積されると捉えた。スミスは生産的労働の生産物のうち、生産に用いられた分の資本が回収され、残った部分が剰余となる。剰余は税及び消費(不生産的労働の雇用を含む)に充てられ、残りの部分が貯蓄となり、この貯蓄がすなわち資本の蓄積に回される。
言い換えると、剰余の中から税と消費に回る分を抑えれば抑えるほど、資本の蓄積量は増大することになる。そしてスミスは、人には支出性向と倹約性向があり、長期的には後者の方が上回ると見なした。しかし、倹約性向はあくまでも自身の財産にしか及ばず、公共財産の管理にはこうした性向が働かないと考え、資本蓄積を妨げる要素としては個人の浪費よりも政府の浪費の方が深刻であるとした。こうした考えは、浪費を肯定的に捉えた重商主義とは、対立的なものである。
正式名は『諸国民の富の性質と原因に関する研究』(英: An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。
全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排した自由放任主義を推進した文献と受け止められることもあるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
背景
アダム・スミスは1751年からグラスゴー大学教授として、当初論理学、次いで道徳哲学を講じていた。グラスゴー大学の講義中に、ピン製造を使った分業論をはじめ、『国富論』に含まれることになる理論のかなりの部分が見られる。
スミスが1759年に刊行した『道徳感情論』は大きな反響を呼んだ。それがきっかけとなって、チャールズ・タウンゼンドの依頼に応じて大学教授を辞し、バクルー公の大陸へのグランドツアーに、家庭教師として同行することになった。この旅行の中では、親友デイヴィッド・ヒュームの仲介もあり、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴー、ヴォルテールらとも親交を持った。この旅行でスミスは、『国富論』執筆のための刺激と、執筆に専念できるだけの十分な年金とを得た。帰国後のスミスは、ベンジャミン・フランクリンとも出会う機会があり、アメリカ植民地に関するスミスの認識には、フランクリンからの影響が見られる。
スミスは『道徳感情論』の中で、さらに法と統治に関する一般理論の刊行を予告していたが、その全体像が実現することはなかった。死を迎えた1790年の『道徳感情論』第6版では、1776年に刊行した『国富論』がその構想の一部であったことを、序論に付け加えた。
内容
『国富論』の「序論および本論の構想」においては、富を生活の必需品と便益品すべてと位置づけ、年々の労働によって生み出されるものとした。この定義は、貴金属などを富と見なした重商主義の定義などを批判あるいは否定したものとされる。
『国富論』は全5篇において理論、歴史、政策を包括的に扱っているとされ、例えば第1、2篇が理論、第3篇が経済史、第4篇が経済思想史・経済学史あるいは経済政策論、第5篇が財政学などと分類される。その叙述は十分に整理されているとは言い難いが、後の古典派経済学の要素のほとんど、あるいは後の経済学に登場する着想のほとんどが含まれているとさえ言われる。
『国富論』はジョン・ロック、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴーをはじめとする数多くの先達の思想を踏まえたものであり、そのすべてが独創的というわけではないが、鋭い洞察と広い視野に裏付けられた網羅性という点で抜きんでている。
構成
以下の全5篇から成る。
序論(introduction)および本書の構想(plan)。
第1篇 - 労働(labor)の生産力(productive powers)における改善(improvement)の原因(causes)と、その生産物(produce)が国民(people)のさまざまな階級(ranks)のあいだに自然(naturally)に分配(distribute)される秩序(order)について。- 全11章。
第1章 - 分業(division of labor)について。
第2章 - 分業(division of labor)をひきおこす原理(principle)について。
第3章 - 分業(division of labor)は市場(market)の大きさ(extent)によって制限(limit)される。
第4章 - 貨幣(money)の起源(origin)と使用(use)について。
第5章 - 商品(commodities)の真の価格(real price)と名目上の価格(nominal price)について、すなわちその労働価格(price in labor)と貨幣価格(price in money)について。
第6章 - 商品(commodities)の価格(price)の構成部分(component parts)について。
第7章 - 商品(commodities)の自然価格(natural price)と市場価格(market price)について。
第8章 - 労働(labor)の賃金(wages)について。
第9章 - 資本(stock)の利潤(profits)について。
第10章 - 労働(labor)と資本(stock)の種々な用途(employments)における賃金(wages)と利潤(profits)について。
第11章 - 土地(land)の地代(rent)について。
第2篇 - 資本(stock)の性質(nature)・蓄積(accumulation)・用途(employment)について。- 全5章。
序論
第1章 - 資本(stock)の分類(division)について。
第2章 - 社会(society)の総資材(general stock)の一特定部門(particular branch)とみなされる貨幣(money)について、すなわち国民資本(national capital)の維持費について。
第3章 - 資本(stock)の蓄積(accumulation)について、すなわち生産的労働(productive labor)と非生産的労働(unproductive labor)について。
第4章 - 利子(interest)を取って貸し付けられる資本(stock)について。
第5章 - 資本(capitals)のさまざまな用途(employments)について。
第3篇 - 国(nation)ごとに富裕(opulence)への進路(progress)が異なることについて。- 全4章。
第1章 - 富裕(opulence)になる自然(natural)な進路(progress)について。
第2章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後のヨーロッパ(Europe)の旧状(ancient state)における農業(agriculture)の阻害(discouragement)について。
第3章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後における都市(cities and towns)の発生(rise)と発達(progress)について。
第4章 - 都市(towns)の商業(commerce)がいかにして農村(country)の改良(improvement)に貢献(contribute)したか。
第4篇 - 経済学(political economy)の諸体系(systems)について。- 全9章。
序論
第1章 - 商業主義(commercial)または重商主義(mercantile system)の原理(principle)について。
第2章 - 国内(home)でも生産(produce)できる財貨(goods)の外国(foreign countries)からの輸入(importation)に対する制限(restraints)について。
第3章 - 貿易差額(balance)が自国に不利(disadvantageous)と思われる諸国からのほとんどあらゆる種類の財貨(goods)の輸入(importation)に対する特別の制限(extraordinary restraints)について。
第4章 - 戻税(drawbacks)について。
第5章 - 奨励金(bounties)について。
第6章 - 通商条約(treaties of commerce)について。
第7章 - 植民地(colonies)について。
第8章 - 重商主義(mercantile system)の結論(conclusion)。
第9章 - 重農主義(agricultural systems)について、すなわち土地(land)の生産物(produce)がすべての国(country)の収入(revenue)と富(wealth)の唯一または主な源泉(source)だと説く経済学(political economy)上の主義について。
第5篇 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の収入(revenue)について。- 全3章。
第1章 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の経費(expences)について。
第2章 - 社会(society)の一般収入(general revenue)あるいは公共収入(public revenue)の財源(sources)について。
第3章 - 公債(public debts)について。
第1篇
第1篇は、分業による労働生産性の上昇と、その配分の問題が論じられる。
スミスの分業論は、ピン製造の題材から始まる。この例は、スミスが故郷カーコーディで幼い時に見た経験が生かされていると言われる。従来、その着想は『百科全書』のピンの項目から得たと言われており、直接的体験をそこに加える見解は1970年代以降に現れたものだったが、21世紀に入ってから、『百科全書』以外のフランス語文献の利用を指摘する研究も現れている。
『国富論』の出現は産業革命初期に当たっており、アダム・スミスは機械制大量生産の本格化を見ていなかったという時代的制約がある。ゆえに、もう少し時代がずれていたら、ピン製造を踏まえた立論は違ったものになっていたのではないかとも言われている。しかし、スミスの重要な貢献は、新時代の予言よりも、それまでの考えの古さを打破したことや、人間社会における関係性を、労働を介して把握した点などに求められる。
分業のシステムを理論的に定式化する際に用いられたのが、交換性向や説得性向といった人間の本性に含まれる特質である。すなわち、分業しても生活が成り立つためには、交換する市場が先んじて成立している必要があり、交換性向はそれを裏支えする人間の性向といえる。そして、その交換性向よりも本源的に存在するのが説得性向であり、他人と言葉を交わし同感を得ようとする本性が、他者を説得して交換を成立させることに結び付くと考えたのである。そして、その交換性向は、他者への慈愛ではなく、自己の生存を確立するために自分自身の利益に持つ関心、すなわち自愛心に由来するとした。
スミスは工場内分業の進展を、社会内の分業、すなわち職業の分化にも拡大する。彼の立論においては工場内分業と社会内分業の違いが明確に区別されていない憾みはあるものの、ともあれ分業の進展が生産力の上昇、ひいては商業社会の発展につながることが説かれる。
スミスが想定する商業社会は、地主、資本家、労働者による階級社会が想定されており、商業社会においては賃金、地代、利潤の自然な水準に規定された「自然価格」が存在し、公正さを含む参加者の同感に市場が支えられていれば、需要と供給によって決定される市場価格は、長期的には自然価格に一致するように動くとされる。この議論の基盤をなしたのは、まだ十分に練られた形ではなかったが、労働価値説であった。スミスは投下労働価値説と支配労働価値説とを用いたが、この問題を十分に突き詰めたとは言い難い。
第2篇
第2篇で論じられるのは資本蓄積の問題である。分業が発展するためには、それに先立って剰余生産物が蓄積されている必要がある。というのは、分業を始めるには、それを支える機械や設備を整える必要があるし、分業による生産物が実際に交換されるまでの生活も支えなければならないからである。
スミスはこの問題を扱うのに際し、労働を生産的労働と不生産的労働に分けた。前者は農業や工業を指すのに対し、後者はサービス業を指す。これらを分ける基準はスミスが富と定義した生活の必需品・便益品を生産するかどうかであって、不生産的労働が持つ社会での有用性を否定するものではない。
スミスは生産的労働から資本が蓄積されると捉えた。スミスは生産的労働の生産物のうち、生産に用いられた分の資本が回収され、残った部分が剰余となる。剰余は税及び消費(不生産的労働の雇用を含む)に充てられ、残りの部分が貯蓄となり、この貯蓄がすなわち資本の蓄積に回される。
言い換えると、剰余の中から税と消費に回る分を抑えれば抑えるほど、資本の蓄積量は増大することになる。そしてスミスは、人には支出性向と倹約性向があり、長期的には後者の方が上回ると見なした。しかし、倹約性向はあくまでも自身の財産にしか及ばず、公共財産の管理にはこうした性向が働かないと考え、資本蓄積を妨げる要素としては個人の浪費よりも政府の浪費の方が深刻であるとした。こうした考えは、浪費を肯定的に捉えた重商主義とは、対立的なものである。
记一下5.3
0. 5.4要考试去不成我随便了[微笑]
1. 透的歌单和去年第一次在育音堂听的一样的神
2. 看到第一部眠目り汰在后边看[开学季]眠り隊入ります
3. UUU很喜欢的,大家一起开圈真好啊 3月在东京看的时候和日本ota一起蹦迪,特别好玩
「僕ら名前も知らない同士なのに、こんな風に踊る仲間のように」
只有这首歌才能体验到的氛围
4. 闪光这首歌最后的「閃光よ」太帅了,第一次站上铁马 心里只有感恩[作揖]
5. Mash !! 感觉说是八爷的歌也没有违和感
6. ジエメイ第一部最后一首竟然是恩乐[跪了]太棒了
7. 其实之前看了重型场感觉 开圈还可以跑更快点
8. 终于给我把上次入特和特典券用掉了
9. 在天上收到了ワナ的レス[悲伤]她还问我受伤了没有,我说ライブは薬です
「いいこと言ったね!」
10. 新曲revolution真的好啊,旋律很好最后的breakdown惊到我了,什么时候有音源
11. ロさん是真的アニヲタ,入籍しましょう[全力以赴]
12. Haruka还记得我在Milky Way说一定会来[悲伤]实现约定真好啊,祝她生日快乐
13. 听到最后的君としたい話的一瞬间真的想哭
14. 「この胸にある思いを
いっそ丸ごと全部取り出して
君の心に渡せればいいな」
15. 喜欢战斗和感动并存的magmaz
16. 第二部究极和magmaz都截队列了不在boxx遭报应了
17. 最后一次看究极了,虽然很久以来都只看没切 但她们的live总是让人很享受,很期待,不管是翻唱还是原创表演都很棒
18. 第一次正经看迪欧就是在ultimafes 卒業おめでとう 君が選んだ自由な世界へ、stay gold
19. 没有听到第二天IRIS有点遗憾,不过能在中国体验到她们席卷全场的音高与声压,已经非常满足了,
20.去年5·2第一次在育音堂听到fake的时候估计怎么也想不到会在这里听到magmaz唱吧
21. 正因为有这么优秀的偶像,大家才会想着不辜负她们的演出,不管在大海哪边的哦他,听到ララリバース都会忍不住一起合唱。舞台上下应该是这样相互成就的
0. 5.4要考试去不成我随便了[微笑]
1. 透的歌单和去年第一次在育音堂听的一样的神
2. 看到第一部眠目り汰在后边看[开学季]眠り隊入ります
3. UUU很喜欢的,大家一起开圈真好啊 3月在东京看的时候和日本ota一起蹦迪,特别好玩
「僕ら名前も知らない同士なのに、こんな風に踊る仲間のように」
只有这首歌才能体验到的氛围
4. 闪光这首歌最后的「閃光よ」太帅了,第一次站上铁马 心里只有感恩[作揖]
5. Mash !! 感觉说是八爷的歌也没有违和感
6. ジエメイ第一部最后一首竟然是恩乐[跪了]太棒了
7. 其实之前看了重型场感觉 开圈还可以跑更快点
8. 终于给我把上次入特和特典券用掉了
9. 在天上收到了ワナ的レス[悲伤]她还问我受伤了没有,我说ライブは薬です
「いいこと言ったね!」
10. 新曲revolution真的好啊,旋律很好最后的breakdown惊到我了,什么时候有音源
11. ロさん是真的アニヲタ,入籍しましょう[全力以赴]
12. Haruka还记得我在Milky Way说一定会来[悲伤]实现约定真好啊,祝她生日快乐
13. 听到最后的君としたい話的一瞬间真的想哭
14. 「この胸にある思いを
いっそ丸ごと全部取り出して
君の心に渡せればいいな」
15. 喜欢战斗和感动并存的magmaz
16. 第二部究极和magmaz都截队列了不在boxx遭报应了
17. 最后一次看究极了,虽然很久以来都只看没切 但她们的live总是让人很享受,很期待,不管是翻唱还是原创表演都很棒
18. 第一次正经看迪欧就是在ultimafes 卒業おめでとう 君が選んだ自由な世界へ、stay gold
19. 没有听到第二天IRIS有点遗憾,不过能在中国体验到她们席卷全场的音高与声压,已经非常满足了,
20.去年5·2第一次在育音堂听到fake的时候估计怎么也想不到会在这里听到magmaz唱吧
21. 正因为有这么优秀的偶像,大家才会想着不辜负她们的演出,不管在大海哪边的哦他,听到ララリバース都会忍不住一起合唱。舞台上下应该是这样相互成就的
下天の華 明智光秀线
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⭐恋愛エンド>罪の華エンド>忍びエンド
恋愛エンド:这条线给我的感觉和三国恋战记的孟德线很像,关键字都是「信任」。两个人慢慢从不信到交心到把背后托付给对方,真的是非常吃这种剧情…光秀发热的那个夜晚,是ほたる和他真心第一次相互触碰,同时也了解到那个隐藏在冷静又完美外表下的、会撒娇闹别扭的真实的光秀;那天起的光秀虽也会像往常一样给「桔梗姫」送礼,但从此也多了份送给「ほたる」自身的。←这里无言脸红升好感我真的笑死,光秀你这个人啊www
非常心动的一点:虽说光秀嘴上说着ほたる是饲养在自己身边的一只小鸟,但两人被火困本能寺时他却说「行きなさい、ほたる。自由に飛び立つんだ。」泪……
另外俗话说得好,想骗过敌人首先得骗自己人!因为历史上的明智光秀叛变导致我先入为主以为剧情也会这么走,所以光秀命ほたる去暗杀信长的时候我一点也不意外,不如说原来你小子压根不想叛变只是诈真凶啊更让我意外(。
忍びエンド:和恋愛エンド的区别只在于第四章有没有找光秀了解真相知道他的全部计划,没有并按原计划进行暗杀的话那就是忍びエンド,果然还是因为没有完全信任对方吧就。虽然最后ほたる完成任务要离开时,光秀说如果你没有工作了我可以饲养你、到时再回到我的身边吧,但我还是感觉不会再见了两个人最终只是相交线罢了…
罪の華エンド:不知道该怎么说但是非常带感的封印了自己的内心,完完全全变成了只为光秀所用的鸟儿了呢ほたる……。后面那段台词说这游戏12+谁信啊(x
⭐体感一周目流程不是很长,三个结局大概8h左右就能打完,但是写真好啊这辈子跟随荣了我。二周目走一下家康线感觉他好像迪○尼公主(?
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⭐恋愛エンド>罪の華エンド>忍びエンド
恋愛エンド:这条线给我的感觉和三国恋战记的孟德线很像,关键字都是「信任」。两个人慢慢从不信到交心到把背后托付给对方,真的是非常吃这种剧情…光秀发热的那个夜晚,是ほたる和他真心第一次相互触碰,同时也了解到那个隐藏在冷静又完美外表下的、会撒娇闹别扭的真实的光秀;那天起的光秀虽也会像往常一样给「桔梗姫」送礼,但从此也多了份送给「ほたる」自身的。←这里无言脸红升好感我真的笑死,光秀你这个人啊www
非常心动的一点:虽说光秀嘴上说着ほたる是饲养在自己身边的一只小鸟,但两人被火困本能寺时他却说「行きなさい、ほたる。自由に飛び立つんだ。」泪……
另外俗话说得好,想骗过敌人首先得骗自己人!因为历史上的明智光秀叛变导致我先入为主以为剧情也会这么走,所以光秀命ほたる去暗杀信长的时候我一点也不意外,不如说原来你小子压根不想叛变只是诈真凶啊更让我意外(。
忍びエンド:和恋愛エンド的区别只在于第四章有没有找光秀了解真相知道他的全部计划,没有并按原计划进行暗杀的话那就是忍びエンド,果然还是因为没有完全信任对方吧就。虽然最后ほたる完成任务要离开时,光秀说如果你没有工作了我可以饲养你、到时再回到我的身边吧,但我还是感觉不会再见了两个人最终只是相交线罢了…
罪の華エンド:不知道该怎么说但是非常带感的封印了自己的内心,完完全全变成了只为光秀所用的鸟儿了呢ほたる……。后面那段台词说这游戏12+谁信啊(x
⭐体感一周目流程不是很长,三个结局大概8h左右就能打完,但是写真好啊这辈子跟随荣了我。二周目走一下家康线感觉他好像迪○尼公主(?
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