『青梅、酒を煮て、英雄を論ず』です。
〈由来について〉
建安元年(196年)、劉備が曹操の元に居候(客分)していたときのことです。
曹操が、劉備を梅園の宴に招き、梅の実を肴にして、論じたのには理由がありました。
それは劉備の本心を聞き出すこと、そして劉備という人物がどの程度の見識を持っているものなのかを推し量るためです。
つまり、この時点で曹操は、劉備という人物を認めていた、または警戒していたことになります。
曹操は劉備にこんな質問を投げかけます。
「この乱世で英雄と呼べる人物は誰だと思うか?」
すると劉備は、袁紹、袁術などの名をあげます。
もちろん本心は隠してです。
曹操は劉備が上げた人物たちをいちいち論破していきます。
そして最後にこう切り出します。
「この世に英雄は君と余だけだ」
それを聞いた劉備は、曹操に隠していた内心を見透かされたかと思い驚愕してしまいます。
このとき「三国志演義」では、持っていた箸を落としてしまい、偶然鳴り響いた雷に驚いたふりをして誤魔化す話となっています。
つまり、劉備は、本当は目の前にいる曹操を倒して漢王朝の再興を願っていたのですが、自分を小さく見せて英雄の志を隠すために、雷に驚く小心者を装ったのです。
その様子を見た曹操は劉備を「雷怯子」(雷におびえる臆病者)と評し、持っていた警戒心を緩める、というエピソードです。
このエピソードで重要なことは、「曹操がまだ勢力を持たない劉備を一早く最大のライバルに成り得ると見抜いていた」ことと、「劉備が曹操に本心を隠したこと」です。
なぜ、その二つが重要なのかというと、以下で解説します。
〈解説〉
天下統一の大志を抱き、中原に勢力を拡大しつつあった曹操は自身が時代の英雄であることを自覚していました。
しかし、乱世を戦い抜き、天下を取るためには必要なことがあります。
それは「誰が敵なのかを見抜く」ことです。
そして、一早く最大のライバルを倒すこと。
最大のライバルに成りうる者をできるだけ早期に倒してしまうこと。
これはビジネス戦争においても同じです。
または、最大のライバルとなる前に味方に付けてしまうこと。(自勢力への吸収合併)
そのためには、「誰が最大のライバル」なのか見抜くことが重要なのです。
〈意味の補足〉
この「青梅、酒を煮て、英雄を論ず」は、陳寿の正史『三国志』ではなく、三国志に注釈を加えた裴松之(はいしょうし)の『華陽国志』に出てくる資料が元になっています。
『華陽国志』では、『三国志演義』とは違う記述となっています。
『華陽国志』では、劉備が雷に怯えて箸と匙を落としたという単純な内容だけでなく、儒教に関する言葉を言ってします。
それは、
「聖人は、迅雷風烈は必ず変ずと言いましたが良言であります。一震の威がこれほどの物であろうとは」
ここで言う「変ず」とは、態度を改めるという意味になります。
儒教の祖孔子が残した言葉に、「斉衰の者を見ては、狎(な)れたりと雖(いえど)も必ず変ず」があります。
孔子は、公私のケジメがしっかりした人物であり、それが親しい友人であっても冠婚葬祭の行事のときには、慣れあいをせず、ピシッと敬意を払いました。
同じ理由で、孔子は雷鳴や暴風雨のような自然災害も、何らかの天の意志であると考え、わざわざ正装に着替えて姿勢を正し敬意を払ったのです。
劉備は、雷鳴にビックリして思わず箸と匙を落とした照れ隠しで「孔子が敬意を払うだけのことはあり、さすがは雷の威力はすごいですね」とおどけてみせたのです。
つまり、孔子の故事を引き合いに出し、自らを矮小化して、自分は英雄のような大それたことができる人間ではないと偽ったのです。
〈「青梅」について〉
諺の中に出てくる「煮梅」というのは日本人にはあまり馴染みがないだろう。
日本人にとって「梅」とは、第一に「梅干し」であり、次に「梅酒」あたりを思う浮かべるものだろう。
だが、中国人(当時)にとって「梅」は貴重な栄養食品でもあり、病気の予防薬品となる大切なものだった。
青梅にはさまざまな天然の良質な有機酸と鉱物質が含まれ、血液の浄化や整腸作用、血中脂肪の減少作用、疲労回復効果、美容効果などがあり、身体の免疫強化など独特な栄養保健機能がある。
だが、新鮮な梅(青梅)はあまりにも酸っぱいので加工しなくては食べられない。
そこで煮て「煮梅」にするのだ。
小说原文
玄德也防曹操谋害,就下处后园种菜,亲自浇灌,以为韬晦之计。关、张二人曰:“兄不留心天下大事,而学小人之事,何也?”玄德曰:“此非二弟所知也。”二人乃不复言。一日,关、张不在,玄德正在后园浇菜,许褚、张辽引数十人入园中曰:“丞相有命,请使君便行。”玄德惊问曰:“有甚紧事?”许褚曰:“不知。只教我来相请。”玄德只得随二人入府见操。
操笑曰:“在家做得好大事!”唬得玄德面如土色。操执玄德手,直至后园,曰:“玄德学圃不易!”玄德方才放心,答曰:“无事消遣耳。”操曰:“适见枝头梅子青青,忽感去年征张绣时,道上缺水,将士皆渴;吾心生一计,以鞭虚指曰:‘前面有梅林。’军士闻之,口皆生唾,由是不渴。今见此梅,不可不赏。又值煮酒正熟,故邀使君小亭一会。”玄德心神方定。
随至小亭,已设樽俎:盘置青梅,一樽煮酒。二人对坐,开怀畅饮。酒至半酣,忽阴云漠漠,骤雨将至。从人遥指天外龙挂,操与玄德凭栏观之。
操曰:“使君知龙之变化否?”玄德曰:“未知其详。”操曰:“龙能大能小,能升能隐;大则兴云吐雾,小则隐介藏形;升则飞腾于宇宙之间,隐则潜伏于波涛之内。方今春深,龙乘时变化,犹人得志而纵横四海。龙之为物,可比世之英雄。玄德久历四方,必知当世英雄。请试指言之。”玄德曰:“备肉眼安识英雄?”操曰:“休得过谦。”玄德曰:“备叨恩庇,得仕于朝。天下英雄,实有未知。”操曰:“既不识其面,亦闻其名。”
玄德曰:“淮南袁术,兵粮足备,可为英雄?”操笑曰:“冢中枯骨,吾早晚必擒之!”
玄德曰:“河北袁绍,四世三公,门多故吏;今虎踞冀州之地,部下能事者极多,可为英雄?“操笑曰:“袁绍色厉胆薄,好谋无断;干大事而惜身,见小利而忘命:非英雄也。“
玄德曰:“有一人名称八俊,威镇九州:刘景升可为英雄?”操曰:“刘表虚名无实,非英雄也。”
玄德曰:“有一人血气方刚,江东领袖——孙伯符乃英雄也?”操曰:“孙策藉父之名,非英雄也。”
玄德曰:“益州刘季玉,可为英雄乎?”操曰:“刘璋虽系宗室,乃守户之犬耳,何足为英雄!”
玄德曰:“如张绣、张鲁、韩遂等辈皆何如?”操鼓掌大笑曰:“此等碌碌小人,何足挂齿!”
玄德曰:“舍此之外,备实不知。”操曰:“夫英雄者,胸怀大志,腹有良谋,有包藏宇宙之机,吞吐天地之志者也。”玄德曰:“谁能当之?”操以手指玄德,后自指,曰:“今天下英雄,惟使君与操耳!”玄德闻言,吃了一惊,手中所执匙箸,不觉落于地下。时正值天雨将至,雷声大作。玄德乃从容俯首拾箸曰:“一震之威,乃至于此。”操笑曰:“丈夫亦畏雷乎?”玄德曰:“圣人迅雷风烈必变,安得不畏?”将闻言失箸缘故,轻轻掩饰过了。操遂不疑玄德。
后人有诗赞曰:
“勉从虎穴暂趋身,说破英雄惊杀人。巧借闻雷来掩饰,随机应变信如神。”
知天雨方住,见两个人撞入后园,手提宝剑,突至亭前,左右拦挡不住。操视之,乃关、张二人也。原来二人从城外射箭方回,听得玄德被许褚、张辽请将去了,慌忙来相府打听;闻说在后园,只恐有失,故冲突而入。却见玄德与操对坐饮酒。二人按剑而立。操问二人何来。云长曰:“听知丞相和兄饮酒,特来舞剑,以助一笑。”操笑曰:“此非鸿门会,安用项庄、项伯乎?”玄德亦笑。操命:“取酒与二樊哙压惊。”关、张拜谢。须臾席散,玄德辞操而归。
云长曰:“险些惊杀我两个!”玄德以落箸事说与关、张。关、张问是何意。玄德曰:“吾之学圃,正欲使操知我无大志;不意操竟指我为英雄,我故失惊落箸。又恐操生疑,故借惧雷以掩饰之耳。”关、张曰:“兄真高见!”
(引自清毛宗岗版《三国演义》,与明嘉靖本略有出入)
〈由来について〉
建安元年(196年)、劉備が曹操の元に居候(客分)していたときのことです。
曹操が、劉備を梅園の宴に招き、梅の実を肴にして、論じたのには理由がありました。
それは劉備の本心を聞き出すこと、そして劉備という人物がどの程度の見識を持っているものなのかを推し量るためです。
つまり、この時点で曹操は、劉備という人物を認めていた、または警戒していたことになります。
曹操は劉備にこんな質問を投げかけます。
「この乱世で英雄と呼べる人物は誰だと思うか?」
すると劉備は、袁紹、袁術などの名をあげます。
もちろん本心は隠してです。
曹操は劉備が上げた人物たちをいちいち論破していきます。
そして最後にこう切り出します。
「この世に英雄は君と余だけだ」
それを聞いた劉備は、曹操に隠していた内心を見透かされたかと思い驚愕してしまいます。
このとき「三国志演義」では、持っていた箸を落としてしまい、偶然鳴り響いた雷に驚いたふりをして誤魔化す話となっています。
つまり、劉備は、本当は目の前にいる曹操を倒して漢王朝の再興を願っていたのですが、自分を小さく見せて英雄の志を隠すために、雷に驚く小心者を装ったのです。
その様子を見た曹操は劉備を「雷怯子」(雷におびえる臆病者)と評し、持っていた警戒心を緩める、というエピソードです。
このエピソードで重要なことは、「曹操がまだ勢力を持たない劉備を一早く最大のライバルに成り得ると見抜いていた」ことと、「劉備が曹操に本心を隠したこと」です。
なぜ、その二つが重要なのかというと、以下で解説します。
〈解説〉
天下統一の大志を抱き、中原に勢力を拡大しつつあった曹操は自身が時代の英雄であることを自覚していました。
しかし、乱世を戦い抜き、天下を取るためには必要なことがあります。
それは「誰が敵なのかを見抜く」ことです。
そして、一早く最大のライバルを倒すこと。
最大のライバルに成りうる者をできるだけ早期に倒してしまうこと。
これはビジネス戦争においても同じです。
または、最大のライバルとなる前に味方に付けてしまうこと。(自勢力への吸収合併)
そのためには、「誰が最大のライバル」なのか見抜くことが重要なのです。
〈意味の補足〉
この「青梅、酒を煮て、英雄を論ず」は、陳寿の正史『三国志』ではなく、三国志に注釈を加えた裴松之(はいしょうし)の『華陽国志』に出てくる資料が元になっています。
『華陽国志』では、『三国志演義』とは違う記述となっています。
『華陽国志』では、劉備が雷に怯えて箸と匙を落としたという単純な内容だけでなく、儒教に関する言葉を言ってします。
それは、
「聖人は、迅雷風烈は必ず変ずと言いましたが良言であります。一震の威がこれほどの物であろうとは」
ここで言う「変ず」とは、態度を改めるという意味になります。
儒教の祖孔子が残した言葉に、「斉衰の者を見ては、狎(な)れたりと雖(いえど)も必ず変ず」があります。
孔子は、公私のケジメがしっかりした人物であり、それが親しい友人であっても冠婚葬祭の行事のときには、慣れあいをせず、ピシッと敬意を払いました。
同じ理由で、孔子は雷鳴や暴風雨のような自然災害も、何らかの天の意志であると考え、わざわざ正装に着替えて姿勢を正し敬意を払ったのです。
劉備は、雷鳴にビックリして思わず箸と匙を落とした照れ隠しで「孔子が敬意を払うだけのことはあり、さすがは雷の威力はすごいですね」とおどけてみせたのです。
つまり、孔子の故事を引き合いに出し、自らを矮小化して、自分は英雄のような大それたことができる人間ではないと偽ったのです。
〈「青梅」について〉
諺の中に出てくる「煮梅」というのは日本人にはあまり馴染みがないだろう。
日本人にとって「梅」とは、第一に「梅干し」であり、次に「梅酒」あたりを思う浮かべるものだろう。
だが、中国人(当時)にとって「梅」は貴重な栄養食品でもあり、病気の予防薬品となる大切なものだった。
青梅にはさまざまな天然の良質な有機酸と鉱物質が含まれ、血液の浄化や整腸作用、血中脂肪の減少作用、疲労回復効果、美容効果などがあり、身体の免疫強化など独特な栄養保健機能がある。
だが、新鮮な梅(青梅)はあまりにも酸っぱいので加工しなくては食べられない。
そこで煮て「煮梅」にするのだ。
小说原文
玄德也防曹操谋害,就下处后园种菜,亲自浇灌,以为韬晦之计。关、张二人曰:“兄不留心天下大事,而学小人之事,何也?”玄德曰:“此非二弟所知也。”二人乃不复言。一日,关、张不在,玄德正在后园浇菜,许褚、张辽引数十人入园中曰:“丞相有命,请使君便行。”玄德惊问曰:“有甚紧事?”许褚曰:“不知。只教我来相请。”玄德只得随二人入府见操。
操笑曰:“在家做得好大事!”唬得玄德面如土色。操执玄德手,直至后园,曰:“玄德学圃不易!”玄德方才放心,答曰:“无事消遣耳。”操曰:“适见枝头梅子青青,忽感去年征张绣时,道上缺水,将士皆渴;吾心生一计,以鞭虚指曰:‘前面有梅林。’军士闻之,口皆生唾,由是不渴。今见此梅,不可不赏。又值煮酒正熟,故邀使君小亭一会。”玄德心神方定。
随至小亭,已设樽俎:盘置青梅,一樽煮酒。二人对坐,开怀畅饮。酒至半酣,忽阴云漠漠,骤雨将至。从人遥指天外龙挂,操与玄德凭栏观之。
操曰:“使君知龙之变化否?”玄德曰:“未知其详。”操曰:“龙能大能小,能升能隐;大则兴云吐雾,小则隐介藏形;升则飞腾于宇宙之间,隐则潜伏于波涛之内。方今春深,龙乘时变化,犹人得志而纵横四海。龙之为物,可比世之英雄。玄德久历四方,必知当世英雄。请试指言之。”玄德曰:“备肉眼安识英雄?”操曰:“休得过谦。”玄德曰:“备叨恩庇,得仕于朝。天下英雄,实有未知。”操曰:“既不识其面,亦闻其名。”
玄德曰:“淮南袁术,兵粮足备,可为英雄?”操笑曰:“冢中枯骨,吾早晚必擒之!”
玄德曰:“河北袁绍,四世三公,门多故吏;今虎踞冀州之地,部下能事者极多,可为英雄?“操笑曰:“袁绍色厉胆薄,好谋无断;干大事而惜身,见小利而忘命:非英雄也。“
玄德曰:“有一人名称八俊,威镇九州:刘景升可为英雄?”操曰:“刘表虚名无实,非英雄也。”
玄德曰:“有一人血气方刚,江东领袖——孙伯符乃英雄也?”操曰:“孙策藉父之名,非英雄也。”
玄德曰:“益州刘季玉,可为英雄乎?”操曰:“刘璋虽系宗室,乃守户之犬耳,何足为英雄!”
玄德曰:“如张绣、张鲁、韩遂等辈皆何如?”操鼓掌大笑曰:“此等碌碌小人,何足挂齿!”
玄德曰:“舍此之外,备实不知。”操曰:“夫英雄者,胸怀大志,腹有良谋,有包藏宇宙之机,吞吐天地之志者也。”玄德曰:“谁能当之?”操以手指玄德,后自指,曰:“今天下英雄,惟使君与操耳!”玄德闻言,吃了一惊,手中所执匙箸,不觉落于地下。时正值天雨将至,雷声大作。玄德乃从容俯首拾箸曰:“一震之威,乃至于此。”操笑曰:“丈夫亦畏雷乎?”玄德曰:“圣人迅雷风烈必变,安得不畏?”将闻言失箸缘故,轻轻掩饰过了。操遂不疑玄德。
后人有诗赞曰:
“勉从虎穴暂趋身,说破英雄惊杀人。巧借闻雷来掩饰,随机应变信如神。”
知天雨方住,见两个人撞入后园,手提宝剑,突至亭前,左右拦挡不住。操视之,乃关、张二人也。原来二人从城外射箭方回,听得玄德被许褚、张辽请将去了,慌忙来相府打听;闻说在后园,只恐有失,故冲突而入。却见玄德与操对坐饮酒。二人按剑而立。操问二人何来。云长曰:“听知丞相和兄饮酒,特来舞剑,以助一笑。”操笑曰:“此非鸿门会,安用项庄、项伯乎?”玄德亦笑。操命:“取酒与二樊哙压惊。”关、张拜谢。须臾席散,玄德辞操而归。
云长曰:“险些惊杀我两个!”玄德以落箸事说与关、张。关、张问是何意。玄德曰:“吾之学圃,正欲使操知我无大志;不意操竟指我为英雄,我故失惊落箸。又恐操生疑,故借惧雷以掩饰之耳。”关、张曰:“兄真高见!”
(引自清毛宗岗版《三国演义》,与明嘉靖本略有出入)
『売炭翁』は、白居易の書いた「風諭詩」(苦しむ民衆を救済し、時の政治を批判する1種の社会派作品としての詩)の代表作で、わかりやすさをモットーにしていた白居易らしい詩です。
ここでは『売炭翁』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である白居易の紹介をしていきます。
『売炭翁』の原文
売炭翁 苦宮市也
売炭翁
伐薪燒炭南山中
満面塵灰煙火色
両鬢蒼蒼十指黒
売炭得銭何所営
身上衣裳口中食
可憐身上衣正単
心憂炭賎願天寒
夜来城外一尺雪
曉駕炭車輾氷轍
牛困人飢日已高
市南門外泥中歇
翩翩両騎来是誰
黄衣使者白衫児
手把文書口称敕
迴車叱牛牽向北
一車炭重千余斤
宮使駆将惜不得
半匹紅綃一丈綾
繋向牛頭充炭直
『売炭翁』の書き下し文
売炭翁 宮市(きゅうし)に苦しむなり
売炭翁(ばいたんおう)
薪(たきぎ)を伐(き)り 炭を燒く南山の中(うち)
満面の塵灰(じんかい) 煙火(えんか)の色
両鬢(びん)蒼蒼 十指(じっし)黒し
炭を売り銭を得て 何の営む所ぞ
身上の衣裳 口中の食(し)
憐む可(べ)し 身上衣正に単(ひとえ)なり
心に炭の賎(やす)きを憂え 天の寒からんことを願う
夜来(やらい)城外 一尺の雪
曉(あかつき)に炭車に駕(が)して 氷轍(ひょうてつ)を輾(きし)らしむ
牛困(つか)れ 人飢えて 日已に高し
市(いち)の南門外にて 泥中に歇(やす)む
翩翩(へんぺん)たる両騎 来たるは是(これ)誰(た)ぞ
黄衣の使者 白衫(はくさん)の児(じ)
手に文書を把(と)りて 口に敕(ちょく)と称し
車を迴(めぐ)らし牛を叱(しつ)して 牽(ひ)きて北に向かわしむ
一車(いっしゃ)の炭の重さ 千余斤
宮使(きゅうし)駆(か)り将(さ)れば 惜しみ得ず
半匹(びき)の紅綃(こうしょう) 一丈の綾
牛頭に繋(か)けて 炭の直(あたい)に充(あ)つ
『売炭翁』の現代語訳
炭売り老人 宮市(きゅうし)に苦しむ
炭売りの老人は
寿南山の山中で木を伐採し炭を焼いている。
顔には炭の煤(すす)がこびりつき
両の鬢(びん)の白髪も煤で灰色に、十本の指も黒ずんでいる。
炭を売り金を得て、それを何に使うのか。
衣服や食べ物を買うためだ。
気の毒に薄手の夏物のシャツしか着ていないのに
炭の値が安いのを憂えて、もっと寒くなるように願っている。
昨夜から長安の郊外では雪が1尺も降り積もっている。
明け方には炭を積んだ荷車に牛をつなぎ、凍ったわだちをたどって道を急ぐ。
牛は疲れ老人が腹を空かせた頃には太陽はもう頭の上。
市場の南門の外のぬかるみに腰を下ろしてひと休みしていると
向こうから颯爽と2頭の馬を疾駆させて来る人が。いったい何者だろう。
黄色い服の朝廷物資調達係と白い服の助手だ。
文書を手に「天子様のご命令だ」と言って
車の向きを変え、牛を急き立てて北に向かわせる。
荷車に乗せた炭の重さは千斤以上。
朝廷の使いとあれば、持っていかれても文句は言えない。
半匹分の赤い絹と1丈分の綾絹を
牛の頭に引っかけて「炭の代金だ」と言って去る。
『売炭翁』の解説
題…「売炭翁」は「炭を焼いてそれを売り、生計を立てている老人」。
サブタイトルは「宮市に苦しむ」。「宮市」は朝廷に必要物資を調達するための組織。この制度はこの詩が書かれた数年前にすでに廃止されていました。そこでこの詩は、つい数年前までこんなひどいことが行われていた、という視点で書かれています。
第1句…ここで「売炭翁」は主語になっています。
第2句…「南山」は唐王朝の都・長安の南にある「寿南山」。
第3句…「煙火色」は「炭を焼いて出た煤(すす)の色」。
第4句…「両鬢蒼蒼」は「両耳近くの髪の毛は灰色になっている」。
第5句…「営」は「生活する」。
第7句…「単」は「裏地のついていない服」。
第8句…「心憂」は「心中憂える」。「炭賎」は「炭の値段が安い」。
第9句…「夜来」は「昨晩から」。「城外」は「町はずれ」。
第10句…「駕炭車」は「炭を乗せた車に牛をつなぐ」。「輾」は「車輪を転がす」。「氷轍」は「凍った轍(わだち…車輪の跡)」。
第11句…「牛困」は「牛が疲れる」。
第13句…「翩翩」は「身のこなしが軽快であるさま」。「両騎」は「2頭の馬に乗った人たち」。
第14句…「黄衣使者」は「黄色い服を着た宮市(きゅうし…宮中で必要な物資を調達する組織)の係官」。「白衫児」は「白い服を着た若い助手」。
第15句…「手把文書」は「手に文書を持つ」。「口称敕」は「口では皇帝じきじきの命令だと言う」。
第16句…「迴車」は「車の向きを変える」。
第17句…「千余斤」は「約600キロ」。
第18句…「宮使」は「朝廷の使い」。「駆将」は「持っていく」。「惜不得」は「惜しむことはできない」。
第19句…「半匹紅綃」は「6メートルくらいの赤い絹」。「一丈綾」は「3メートルくらいの綾絹」。これらは貨幣の代わりで、価値としては米が4升(約6キロ)買えました。もっとも6キロの米では、家族を合わせて4~5人なら1か月もたないでしょう。
第20句…「繋向牛頭」は「牛の頭に引っかける」。「充炭直」は「炭の代金とする」。
タイトルは「炭売り老人」。サブタイトルが「宮市に苦しむ」。
宮市という組織は「朝廷物資調達係」ですが、しばしば略奪同然のふるまいをしていたそうです。炭焼き老人が朝から晩まで顔を真っ黒にして働いた成果を夜明け前に車に積んで、寿南山という郊外の山から都心にある市場まで数十キロを歩き通し、空腹を抱えてひと休みしていたところを宮市にただ同然の値段で奪われてしまっています。当時は絹も貨幣として使われていました。
数日分の労働の成果ならともかく、600キロの炭というのは焼くのにどれほど時間がかかっているのか…雪の降る季節に単衣のシャツしか持たないような老人が、働きづめにして得たその成果を「天子様のご命令だ」の一言でわずかな代金で奪われてしまう…老人の落胆や絶望が目に浮かぶようです。
華やかな唐の都のリアルな現実ですが、役人である白居易がこんな詩を書いて追放の憂き目に遭わなかったのでしょうか。白居易は宮廷詩人であったわけですが、古代中国における宮廷詩人の役割の一つは国家の支配者である天子に世の現実を知ってもらうことでした。こうした詩を「風諭(ふうゆ)詩」といいます。古代中国では時の政治に批判的な言論の必要性が意識されていたともいえ、その先進性には驚かされます。
もっとも白居易は30代にこうした風諭詩を書きすぎて、それが40代半ばの左遷に結びついたともいわれています。
白居易の風諭詩は『新楽府五十首』や『秦中吟十首』などにまとめられていて、この詩は『新楽府五十首』に収録されています。
『売炭翁』の形式・技法
七言古詩。
「古詩」とは絶句や律詩などの近体詩(きんたいし…唐代以降確立した形式や規則にのっとった詩体)と異なり、1句が5言ないしは7言であること以外ルールに縛られることなく、句数は自由、平仄(ひょうそく)や押韻(おういん)も求められていない詩のことです。
『売炭翁』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『売炭翁』が詠まれたのは中唐の頃です。
『売炭翁』の作者「白居易」について
白居易
白居易。
白居易(はくきょい…772~846)
白居易は字(あざな)が楽天、白楽天ともいいます。中唐を代表する詩人で役人、政治家でもありました。
河南省の役人に家に生まれ、20代の終わりに科挙を受験して進士に合格、キャリア組官僚として出世し、40代で左遷されたことはあったものの、最後まで無事勤めあげました。李白、杜甫の不如意きわまる人生とは異なり、実人生に恵まれた詩人でした。
白居易は青年役人時代…特に30代後半に社会の底辺に暖かいまなざしを向け、時の政治を厳しく批判した作品…風諭詩…をたくさん書いていて、『売炭翁』もそうした時期に書かれました。
この詩のほか白居易の有名な作品には、玄宗皇帝と楊貴妃のラブストーリーを詠った『長恨歌』や、琵琶の音色をみごとに詩句に移した『琵琶行』などがあります。
ここでは『売炭翁』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である白居易の紹介をしていきます。
『売炭翁』の原文
売炭翁 苦宮市也
売炭翁
伐薪燒炭南山中
満面塵灰煙火色
両鬢蒼蒼十指黒
売炭得銭何所営
身上衣裳口中食
可憐身上衣正単
心憂炭賎願天寒
夜来城外一尺雪
曉駕炭車輾氷轍
牛困人飢日已高
市南門外泥中歇
翩翩両騎来是誰
黄衣使者白衫児
手把文書口称敕
迴車叱牛牽向北
一車炭重千余斤
宮使駆将惜不得
半匹紅綃一丈綾
繋向牛頭充炭直
『売炭翁』の書き下し文
売炭翁 宮市(きゅうし)に苦しむなり
売炭翁(ばいたんおう)
薪(たきぎ)を伐(き)り 炭を燒く南山の中(うち)
満面の塵灰(じんかい) 煙火(えんか)の色
両鬢(びん)蒼蒼 十指(じっし)黒し
炭を売り銭を得て 何の営む所ぞ
身上の衣裳 口中の食(し)
憐む可(べ)し 身上衣正に単(ひとえ)なり
心に炭の賎(やす)きを憂え 天の寒からんことを願う
夜来(やらい)城外 一尺の雪
曉(あかつき)に炭車に駕(が)して 氷轍(ひょうてつ)を輾(きし)らしむ
牛困(つか)れ 人飢えて 日已に高し
市(いち)の南門外にて 泥中に歇(やす)む
翩翩(へんぺん)たる両騎 来たるは是(これ)誰(た)ぞ
黄衣の使者 白衫(はくさん)の児(じ)
手に文書を把(と)りて 口に敕(ちょく)と称し
車を迴(めぐ)らし牛を叱(しつ)して 牽(ひ)きて北に向かわしむ
一車(いっしゃ)の炭の重さ 千余斤
宮使(きゅうし)駆(か)り将(さ)れば 惜しみ得ず
半匹(びき)の紅綃(こうしょう) 一丈の綾
牛頭に繋(か)けて 炭の直(あたい)に充(あ)つ
『売炭翁』の現代語訳
炭売り老人 宮市(きゅうし)に苦しむ
炭売りの老人は
寿南山の山中で木を伐採し炭を焼いている。
顔には炭の煤(すす)がこびりつき
両の鬢(びん)の白髪も煤で灰色に、十本の指も黒ずんでいる。
炭を売り金を得て、それを何に使うのか。
衣服や食べ物を買うためだ。
気の毒に薄手の夏物のシャツしか着ていないのに
炭の値が安いのを憂えて、もっと寒くなるように願っている。
昨夜から長安の郊外では雪が1尺も降り積もっている。
明け方には炭を積んだ荷車に牛をつなぎ、凍ったわだちをたどって道を急ぐ。
牛は疲れ老人が腹を空かせた頃には太陽はもう頭の上。
市場の南門の外のぬかるみに腰を下ろしてひと休みしていると
向こうから颯爽と2頭の馬を疾駆させて来る人が。いったい何者だろう。
黄色い服の朝廷物資調達係と白い服の助手だ。
文書を手に「天子様のご命令だ」と言って
車の向きを変え、牛を急き立てて北に向かわせる。
荷車に乗せた炭の重さは千斤以上。
朝廷の使いとあれば、持っていかれても文句は言えない。
半匹分の赤い絹と1丈分の綾絹を
牛の頭に引っかけて「炭の代金だ」と言って去る。
『売炭翁』の解説
題…「売炭翁」は「炭を焼いてそれを売り、生計を立てている老人」。
サブタイトルは「宮市に苦しむ」。「宮市」は朝廷に必要物資を調達するための組織。この制度はこの詩が書かれた数年前にすでに廃止されていました。そこでこの詩は、つい数年前までこんなひどいことが行われていた、という視点で書かれています。
第1句…ここで「売炭翁」は主語になっています。
第2句…「南山」は唐王朝の都・長安の南にある「寿南山」。
第3句…「煙火色」は「炭を焼いて出た煤(すす)の色」。
第4句…「両鬢蒼蒼」は「両耳近くの髪の毛は灰色になっている」。
第5句…「営」は「生活する」。
第7句…「単」は「裏地のついていない服」。
第8句…「心憂」は「心中憂える」。「炭賎」は「炭の値段が安い」。
第9句…「夜来」は「昨晩から」。「城外」は「町はずれ」。
第10句…「駕炭車」は「炭を乗せた車に牛をつなぐ」。「輾」は「車輪を転がす」。「氷轍」は「凍った轍(わだち…車輪の跡)」。
第11句…「牛困」は「牛が疲れる」。
第13句…「翩翩」は「身のこなしが軽快であるさま」。「両騎」は「2頭の馬に乗った人たち」。
第14句…「黄衣使者」は「黄色い服を着た宮市(きゅうし…宮中で必要な物資を調達する組織)の係官」。「白衫児」は「白い服を着た若い助手」。
第15句…「手把文書」は「手に文書を持つ」。「口称敕」は「口では皇帝じきじきの命令だと言う」。
第16句…「迴車」は「車の向きを変える」。
第17句…「千余斤」は「約600キロ」。
第18句…「宮使」は「朝廷の使い」。「駆将」は「持っていく」。「惜不得」は「惜しむことはできない」。
第19句…「半匹紅綃」は「6メートルくらいの赤い絹」。「一丈綾」は「3メートルくらいの綾絹」。これらは貨幣の代わりで、価値としては米が4升(約6キロ)買えました。もっとも6キロの米では、家族を合わせて4~5人なら1か月もたないでしょう。
第20句…「繋向牛頭」は「牛の頭に引っかける」。「充炭直」は「炭の代金とする」。
タイトルは「炭売り老人」。サブタイトルが「宮市に苦しむ」。
宮市という組織は「朝廷物資調達係」ですが、しばしば略奪同然のふるまいをしていたそうです。炭焼き老人が朝から晩まで顔を真っ黒にして働いた成果を夜明け前に車に積んで、寿南山という郊外の山から都心にある市場まで数十キロを歩き通し、空腹を抱えてひと休みしていたところを宮市にただ同然の値段で奪われてしまっています。当時は絹も貨幣として使われていました。
数日分の労働の成果ならともかく、600キロの炭というのは焼くのにどれほど時間がかかっているのか…雪の降る季節に単衣のシャツしか持たないような老人が、働きづめにして得たその成果を「天子様のご命令だ」の一言でわずかな代金で奪われてしまう…老人の落胆や絶望が目に浮かぶようです。
華やかな唐の都のリアルな現実ですが、役人である白居易がこんな詩を書いて追放の憂き目に遭わなかったのでしょうか。白居易は宮廷詩人であったわけですが、古代中国における宮廷詩人の役割の一つは国家の支配者である天子に世の現実を知ってもらうことでした。こうした詩を「風諭(ふうゆ)詩」といいます。古代中国では時の政治に批判的な言論の必要性が意識されていたともいえ、その先進性には驚かされます。
もっとも白居易は30代にこうした風諭詩を書きすぎて、それが40代半ばの左遷に結びついたともいわれています。
白居易の風諭詩は『新楽府五十首』や『秦中吟十首』などにまとめられていて、この詩は『新楽府五十首』に収録されています。
『売炭翁』の形式・技法
七言古詩。
「古詩」とは絶句や律詩などの近体詩(きんたいし…唐代以降確立した形式や規則にのっとった詩体)と異なり、1句が5言ないしは7言であること以外ルールに縛られることなく、句数は自由、平仄(ひょうそく)や押韻(おういん)も求められていない詩のことです。
『売炭翁』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『売炭翁』が詠まれたのは中唐の頃です。
『売炭翁』の作者「白居易」について
白居易
白居易。
白居易(はくきょい…772~846)
白居易は字(あざな)が楽天、白楽天ともいいます。中唐を代表する詩人で役人、政治家でもありました。
河南省の役人に家に生まれ、20代の終わりに科挙を受験して進士に合格、キャリア組官僚として出世し、40代で左遷されたことはあったものの、最後まで無事勤めあげました。李白、杜甫の不如意きわまる人生とは異なり、実人生に恵まれた詩人でした。
白居易は青年役人時代…特に30代後半に社会の底辺に暖かいまなざしを向け、時の政治を厳しく批判した作品…風諭詩…をたくさん書いていて、『売炭翁』もそうした時期に書かれました。
この詩のほか白居易の有名な作品には、玄宗皇帝と楊貴妃のラブストーリーを詠った『長恨歌』や、琵琶の音色をみごとに詩句に移した『琵琶行』などがあります。
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[20210812] IG更新
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今日も1日お疲れ様でしたっ^ ^
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Good Night...
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