#桐谷美玲[超话]#
everyありがとうございました
ジャカードの小花を散りつかせながらセミシアーなリネンブラウスにオーガンジーのドレープスカートを合わせて
もりすけさんに、ファッション用語って難しくて覚えるの大変!と言われたので、あえてそれっぽく盛り込んでみたけど…見てくれるかな笑
キリモリっ!ロケのときのも。こちらもリネンでした☺️
今日の気温は低かったけど、服はすっかり夏仕様だねぇー☀️
everyありがとうございました
ジャカードの小花を散りつかせながらセミシアーなリネンブラウスにオーガンジーのドレープスカートを合わせて
もりすけさんに、ファッション用語って難しくて覚えるの大変!と言われたので、あえてそれっぽく盛り込んでみたけど…見てくれるかな笑
キリモリっ!ロケのときのも。こちらもリネンでした☺️
今日の気温は低かったけど、服はすっかり夏仕様だねぇー☀️
20240507&20240508 FULL THROTTLE 福冈场
还是蛮特别的两场,day2 换衣服了,目前网上新闻图包括控碟收录的都是day1的花衬衫,那件单看图案确实更好看,因为day2的只是普通的黑白花纹,不过day2那件材质很薄会透光,所以第一首刚开场整个灯打在他身上时就能很明显的看到身体的轮廓透光的地方是白的,但他身体挡着的那部分就是黑色阴影,好涩好喜欢
不确定是巡演过半换服装还是单纯这场换,需要等大阪场再观察观察
day1和day2都讲到了本部,也都是带着Mandy的部分讲的,day1说多亏了大家EXILE真的站上了很多很大的舞台,开过arena开过蛋还开过体育场,克服了很多也经历了很多,Mandy也辞职了(メンディーもやめちゃたし)
台下:wwwww
旺:Mandy是打电话说要辞职的,这种不一般要当面讲吗[哼]台下被他逗得大笑,阿旺马上补了一句:不过这样非常Mandy。
还说到在健身房遇到Mandy,说他在健身房看到Mandy就叫他辞メンティー,还开他玩笑说你不是辞职了吗怎么还用健身房。Mandy:TAKAHIROさん、僕まだやめってないです
开玩笑归开玩笑,阿旺还是挺支持Mandy的这个决定的,说走出这一步很不容易,辞メンディーも始メンディー,自己会支持他的决定
阿旺还是很贴心的,day 2开完Mandy玩笑还补了句:开玩笑的,メンディー大好き
连着两天这部分都提到了新本部,搞得我泪汪汪[苦涩],印象里感觉不论爱梦性官方还是阿旺之之前说到那段时期都只是说不能和粉丝见面很もどかしい等等,但阿旺这次就明确说了,EXILE陷入了ピンチ(危机)的时候,大家一起开了RED PHOENIX,还和Mandy合作了アガパンサス,这种关系一直都不会改变,包括和KEIJI也是,现在也有经常和KEIJI联络,day2的时候还补充了一点,说FULL THROTTLE开演前一天饭哥还发了消息给他,叫他巡演加油(ツアー頑張ってください),说现在饭哥和他还回家经常互送东西。台下粉丝:いいな! 旺:很不错吧[酷][酷]这把年纪了还有可以互送东西的人[酷][酷]
day2还回答了一个大家很关心的问题,就是《アガパンサス》这首歌rap部分是Mandy唱的,他退社了以后还能不能唱这首歌。阿旺说《アガパンサス》他和木岛桑最开始写的时候其实没有rap部分,他们之前就写了这首歌,那个时候刚好是必须要做出EXILE新风格的时期(新しいEXILEを出さなきゃいけない時期),他就想能不能用到门把的特长,之后就加了段Mandy的rap进去,说到以后怎么唱
旺:这好办,把他的部分咔掉就好了[酷][酷]之前和Mandy的契约现在已经结束了,这是我的东西(僕のモンだから)[酷][酷]大丈夫よ[酷][酷][酷]
自己有版权就是了不起ho[开学季][开学季][开学季]
当然阿旺也有讲到现在的本部,day1说其实有收到很多大家的消息,问他本部什么时候能有活动,阿旺回答由于ats桑的身体身体状况,EXILE的活动时期还是未知,但会尽量回应大家的,他会把本部的歌曲唱下去。day1这里具体的顺序不太记得请了,这里就提到了说他有的时候他会觉得如果他不坚持下来,EXILE可能就要散了,每次这样一想,就能忍耐过来(耐えられた),说希望大家不要担心,僕は大丈夫、大家只要跟着我就好(僕についていい),还说他会和同伴们一起把EXILE的歌唱下去(←这次巡演第一次讲的一个词,说会和「仲間たち」一起继续为大家呈现本部的歌(可能只是随口一说
day2的时候这部分也差不多,说由于ats身体状况,EXILE的活动还是未知数,说不能回应大家的期待,他觉得很焦急,大概就是这里?说让大家等待真的非常抱歉,是很郑重地对观众说「申し訳ございません」,接着退后一步90度鞠躬
啊他鞠躬那瞬间真是脑子都要炸了,tqjh你不要道歉你明明什么都没有做错
本来!本来这里是真的很心疼,但是,可能因为我角度刚好看得到他侧脸,他说申し訳ございません后台下马上有粉丝喊大丈夫!,可能是听到了这个,这人鞠完躬转身,真的就是刚刚转身,都还没完全背对观众的时候,嘴角就已经勾起来了,你这狗人,笑得也太快了吧
怎么讲,虽然也讲了比如自己不坚持下去可能EXILE会往不好的方向发展(day2的),还有说自己不扛下来本部可能就会散了,一想到这个就什么都能忍耐(day1)等等,诸如此类听了比较扎心的话,但两天的MC听下来其实是会很安心的,tqjh他的源动力完全是自己,虽然可能本部现在无法活动,虽然可能会有人员变动,但他想要将本部的歌唱下去他就会唱下去,可能无法百分百回应大家的期待,但他会尽量,尽自己所能,用自己的方式,让大家听到本部的歌,所以大家不用担心, 只要追随着他就好←大概是这种感觉,我是觉得听了能完全放心,靠山山倒靠人人跑靠自己最好(? 虽然他应该早就是这个心理状态了,但明确说出来又是另一种感觉,不知道之后的场次还讲不讲这个MC,我还是蛮想多听几次的
除了这些当然两天也有讲很多笑话
day2一直在说「我们EXILE是国民组合[酷]」,说本部真的有很多名曲,「毕竟是国民组合[酷]」,讲到开过体育场也是「EXILE可是国民组合[酷]」,说现在想想很不可思议,有8万人期待着EXILE的演唱会。我印象里,不知道有没有记错,day2最后七月说她是中国来的之后,阿旺感谢完又讲了段MC之后说很感谢有饭这样海を越えて来看他之后,也说了句なんせ国民グループ
住在福冈的那段MC day1是在安可讲的我没听到,day2的时候拎到前面来了,说他之前就在福冈巨蛋附近的居酒屋打工(那家居酒屋好像还在),就住在福冈巨蛋附近,一个叫sunhouse啥的地方,「但阳光超级差[怒]」,他还心血来潮找了一下,发现那里已经拆了,还是有点寂しい的,当时住在5.5畳(9平米),4w块的公寓里
说公寓小到不知道床该怎么放,当时三四郎也在福冈租房住,他去看了觉得三四郎用来当床板的板子(スノコ)挺不错的,就也去买了,结果他没生活常识,不知道スノコ有很多种,买了柜子里用来垫衣服的那种スノコ,特别脆一睡上去噼里啪啦全断了
day2 you are rock star的时候还唱错了,唱着唱着突然「あっ歌詞間違った!」,你没说又没人会发现[挖鼻]
福冈场的地域限定是福山雅治的桜坂,说福冈真的有很多Artist,前川清さんとか、福山雅治さんとか、说自己今后也会好好努力,追逐这些大前辈的背影,还给自己套近乎,「虽然是我单方面的想法,但我真的被这些前辈们疼爱着诶」
day2还讲到跟福山雅治吃饭,
「我跟福山雅治桑吃过dinner[酷]」
台下:哇哦!
「我还跟福山雅治桑吃过lunch[酷]跟福山雅治桑吃lunch真的是Japanese Dream」
为什么突然说英文!
说吃饭的时候他一直偷瞄福山桑,每瞄一眼就觉得,哦好帅
day1的时候还讲了个很冷的梗,第一段MC的时候讲的,说他昨天看了井上选手(ボクシング)的比赛,一直在说哎呀这个比赛真的精彩啊井上选手真的厉害啊,结果问了一下昨天有人看吗可能一半以上的人没举手[开学季](我其实也是看了jsle的动态才知道这个人,不然谁没事LIVE前一天看搏击[怒]
他这个最后其实是想落到一个谐音梗,说井上选手的对手ネリ的名字很像他妈妈小时候喊他睡觉寝り寝り,好冷啊同学
暂时是以上
还是蛮特别的两场,day2 换衣服了,目前网上新闻图包括控碟收录的都是day1的花衬衫,那件单看图案确实更好看,因为day2的只是普通的黑白花纹,不过day2那件材质很薄会透光,所以第一首刚开场整个灯打在他身上时就能很明显的看到身体的轮廓透光的地方是白的,但他身体挡着的那部分就是黑色阴影,好涩好喜欢
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台下:wwwww
旺:Mandy是打电话说要辞职的,这种不一般要当面讲吗[哼]台下被他逗得大笑,阿旺马上补了一句:不过这样非常Mandy。
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阿旺还是很贴心的,day 2开完Mandy玩笑还补了句:开玩笑的,メンディー大好き
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day2还回答了一个大家很关心的问题,就是《アガパンサス》这首歌rap部分是Mandy唱的,他退社了以后还能不能唱这首歌。阿旺说《アガパンサス》他和木岛桑最开始写的时候其实没有rap部分,他们之前就写了这首歌,那个时候刚好是必须要做出EXILE新风格的时期(新しいEXILEを出さなきゃいけない時期),他就想能不能用到门把的特长,之后就加了段Mandy的rap进去,说到以后怎么唱
旺:这好办,把他的部分咔掉就好了[酷][酷]之前和Mandy的契约现在已经结束了,这是我的东西(僕のモンだから)[酷][酷]大丈夫よ[酷][酷][酷]
自己有版权就是了不起ho[开学季][开学季][开学季]
当然阿旺也有讲到现在的本部,day1说其实有收到很多大家的消息,问他本部什么时候能有活动,阿旺回答由于ats桑的身体身体状况,EXILE的活动时期还是未知,但会尽量回应大家的,他会把本部的歌曲唱下去。day1这里具体的顺序不太记得请了,这里就提到了说他有的时候他会觉得如果他不坚持下来,EXILE可能就要散了,每次这样一想,就能忍耐过来(耐えられた),说希望大家不要担心,僕は大丈夫、大家只要跟着我就好(僕についていい),还说他会和同伴们一起把EXILE的歌唱下去(←这次巡演第一次讲的一个词,说会和「仲間たち」一起继续为大家呈现本部的歌(可能只是随口一说
day2的时候这部分也差不多,说由于ats身体状况,EXILE的活动还是未知数,说不能回应大家的期待,他觉得很焦急,大概就是这里?说让大家等待真的非常抱歉,是很郑重地对观众说「申し訳ございません」,接着退后一步90度鞠躬
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本来!本来这里是真的很心疼,但是,可能因为我角度刚好看得到他侧脸,他说申し訳ございません后台下马上有粉丝喊大丈夫!,可能是听到了这个,这人鞠完躬转身,真的就是刚刚转身,都还没完全背对观众的时候,嘴角就已经勾起来了,你这狗人,笑得也太快了吧
怎么讲,虽然也讲了比如自己不坚持下去可能EXILE会往不好的方向发展(day2的),还有说自己不扛下来本部可能就会散了,一想到这个就什么都能忍耐(day1)等等,诸如此类听了比较扎心的话,但两天的MC听下来其实是会很安心的,tqjh他的源动力完全是自己,虽然可能本部现在无法活动,虽然可能会有人员变动,但他想要将本部的歌唱下去他就会唱下去,可能无法百分百回应大家的期待,但他会尽量,尽自己所能,用自己的方式,让大家听到本部的歌,所以大家不用担心, 只要追随着他就好←大概是这种感觉,我是觉得听了能完全放心,靠山山倒靠人人跑靠自己最好(? 虽然他应该早就是这个心理状态了,但明确说出来又是另一种感觉,不知道之后的场次还讲不讲这个MC,我还是蛮想多听几次的
除了这些当然两天也有讲很多笑话
day2一直在说「我们EXILE是国民组合[酷]」,说本部真的有很多名曲,「毕竟是国民组合[酷]」,讲到开过体育场也是「EXILE可是国民组合[酷]」,说现在想想很不可思议,有8万人期待着EXILE的演唱会。我印象里,不知道有没有记错,day2最后七月说她是中国来的之后,阿旺感谢完又讲了段MC之后说很感谢有饭这样海を越えて来看他之后,也说了句なんせ国民グループ
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day2 you are rock star的时候还唱错了,唱着唱着突然「あっ歌詞間違った!」,你没说又没人会发现[挖鼻]
福冈场的地域限定是福山雅治的桜坂,说福冈真的有很多Artist,前川清さんとか、福山雅治さんとか、说自己今后也会好好努力,追逐这些大前辈的背影,还给自己套近乎,「虽然是我单方面的想法,但我真的被这些前辈们疼爱着诶」
day2还讲到跟福山雅治吃饭,
「我跟福山雅治桑吃过dinner[酷]」
台下:哇哦!
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为什么突然说英文!
说吃饭的时候他一直偷瞄福山桑,每瞄一眼就觉得,哦好帅
day1的时候还讲了个很冷的梗,第一段MC的时候讲的,说他昨天看了井上选手(ボクシング)的比赛,一直在说哎呀这个比赛真的精彩啊井上选手真的厉害啊,结果问了一下昨天有人看吗可能一半以上的人没举手[开学季](我其实也是看了jsle的动态才知道这个人,不然谁没事LIVE前一天看搏击[怒]
他这个最后其实是想落到一个谐音梗,说井上选手的对手ネリ的名字很像他妈妈小时候喊他睡觉寝り寝り,好冷啊同学
暂时是以上
#柚
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る
──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。
青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。
──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。
青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。
──例えば、SF映画の脚本だとしても?
青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。
──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。
青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。
──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?
青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。
──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。
青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。
──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。
青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。
──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。
青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。
──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。
青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。
──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。
青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。
──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。
青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。
──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。
青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。
──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?
青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。
──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。
青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。
──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?
青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る
──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。
青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。
──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。
青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。
──例えば、SF映画の脚本だとしても?
青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。
──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。
青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。
──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?
青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。
──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。
青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。
──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。
青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。
──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。
青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。
──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。
青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。
──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。
青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。
──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。
青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。
──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。
青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。
──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?
青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。
──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。
青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。
──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?
青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。
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