2021年の初雪が急に訪れ、急に去っていった。朝起きて、カーテンを開け、空中で舞われている白い結晶体を見て、気持ちが良くなった。久しぶりに目の保養になると思ったら、もう地面で雨水に変身してしまった。
京都市内では偶に雪が降るが、積もる事が滅多にないみたいだ。昨年、大晦日の日に久しぶりの本格的な積雪で、興奮した。朝食抜きで急いで車に乗り、嵐山へ向かった。雪化粧した嵐山を一度見てみたかった。幸いな事に今回はいい結末だ。
渡月橋に着いたら、既に一眼カメラを持つ何人かが集まっていた。天気予報より雪に高い関心を持つのが彼らの事だ。道端に臨時駐車した私は、携帯で何枚かの写真を取り、直ぐにも近くの天龍寺へ行った。
ジョギングで毎日天龍寺を通っていたが、中に入ったのは今回で3回目だ。どうせ近くに住んでいるから、いつでも入れるとの思いだった。今までこの様な思いで美しい風景とすれ違う事を繰り返してきたが、教訓から学ばないのが愚かな私だ。寒い冬の早過ぎる朝の原因か、係員以外の人は殆どいなかった。車から降り、本堂の屋根に雪化粧されるのを目にした瞬間に、感動した。これだけで、1000円の駐車料と800円の入園料はリーズナブルな値段だと思った。大人になると、意外と涙脆くなってきた。雪化粧の時間が短かかった。20分も経たないうちに、溶けてしまった。太陽の光は有り難く寒い体を温めてくれたが、雪の世界も白日夢のようになってしまった。一生懸命、この景色を目にしようとしたが、残念だった。変わりのない日常生活に戻った。
まだ2週間前の事だが、今は携帯で撮った写真と薄くなっている記憶から当時の事を寂しく振り返ることしか出来ない。次嵐山の雪化粧は、いつ見れるだろう?その時の自分はどうなっているだろう。その日、家に帰った私は感無量で落ち着く事は出来なかった。記念として、SNSに写真をアップし、「嵐山の雪化粧、一期一会」と書いた。
京都に住むのは今年で3年目に入る。過去2年間は観光客の気分で京都にある殆どの観光地を訪れてきた。その乗りで、自分が「京都通」になったと思う時もある。
都市化進んでいる今は、京都は違和感のある都市だと思う人もいるだろう。「寺や神社などの遺跡が多いが、都市インフラが古すぎ」との初印象が多いだろう。地元の人もプライドの高い人ばかりだと言われているらしく、話題の都市に間違いない。確かに至る所に昭和感の建物だらけで、京都タワー、京セラー、日本電産本社ビル以外に高い建物がなかったようだ。歴史の風貌をそのまま保つのが理解出来るが、便利さはいまいちだと当時は感じた。その思いで、何回も隣の大阪に引越ししようとした。一番近いのは、20年の3月だった。不動産会社と契約を結ぶ直前に断念した。コロナの影響だ。
2年目の昨年は、世界中はコロナで苦しんでいた。政府の呼びかけもあり、1年間は殆ど外出する事なく、自宅で過ごした。免疫力を向上するため、近所でジョギングを始めた。渡月橋から松尾橋までの間は毎日歩いていた。お陰で、嵐山の四季を自分の目で確かめた。桂川沿いは決して賑やかなところではないようだ。渡月橋の辺り以外は昼間にも人影の少ない場所だ。嵐山商店街も夜7時以降になると、一気に静かに転じる。川沿いでジョギングすると、対面からハイビームを使う車が通る時ぐらい、「ここも現代文明の社会だね」と感じるのだ。
先日、「来年度から転勤する事になるかも」と上司から連絡を受けた。「そっか、そろそろ京都から離れる事になるんだ」と複雑な気持ちとなった。その日、これまで京都での生活を頭の中から思い出し、イライラしていた。「私、勘違いしたかも」、と突然気づいたようだ。京都は自分の全貌を全ての人にアピールしようとしていなかった。京都はここに訪れている全員の心に独自の痕跡を残しているのだ。それと、この痕跡は一生消えない。
「春には桜、秋には紅葉。夏には月、冬には雪」、これは誰でも感じられる京都の風物詩だ。目に入ったものは絵となり、足につくところは歴史そのものだ。人間は何かを失って初めてその大切さを感じるようになるのだ。これを考えると、益々不安となった。残り1年はあるが、何ができるだろうか。
数年後、私はきっと何処かで京都での生活を興味津々に誰かに喋っているだろう。余裕あれば、観光客として、また旅行に来るだろう。夢の中でも京都の事を見るだろう。しかし、その時、もう「私の京都」ではない。「住めば都」と言う言い方があるが、私は確実に都に住んでいるのだ。
この文書を書く時にも、再び「京都に惚れちゃったかも」と気づいた。
https://t.cn/RJ7cjuL
京都市内では偶に雪が降るが、積もる事が滅多にないみたいだ。昨年、大晦日の日に久しぶりの本格的な積雪で、興奮した。朝食抜きで急いで車に乗り、嵐山へ向かった。雪化粧した嵐山を一度見てみたかった。幸いな事に今回はいい結末だ。
渡月橋に着いたら、既に一眼カメラを持つ何人かが集まっていた。天気予報より雪に高い関心を持つのが彼らの事だ。道端に臨時駐車した私は、携帯で何枚かの写真を取り、直ぐにも近くの天龍寺へ行った。
ジョギングで毎日天龍寺を通っていたが、中に入ったのは今回で3回目だ。どうせ近くに住んでいるから、いつでも入れるとの思いだった。今までこの様な思いで美しい風景とすれ違う事を繰り返してきたが、教訓から学ばないのが愚かな私だ。寒い冬の早過ぎる朝の原因か、係員以外の人は殆どいなかった。車から降り、本堂の屋根に雪化粧されるのを目にした瞬間に、感動した。これだけで、1000円の駐車料と800円の入園料はリーズナブルな値段だと思った。大人になると、意外と涙脆くなってきた。雪化粧の時間が短かかった。20分も経たないうちに、溶けてしまった。太陽の光は有り難く寒い体を温めてくれたが、雪の世界も白日夢のようになってしまった。一生懸命、この景色を目にしようとしたが、残念だった。変わりのない日常生活に戻った。
まだ2週間前の事だが、今は携帯で撮った写真と薄くなっている記憶から当時の事を寂しく振り返ることしか出来ない。次嵐山の雪化粧は、いつ見れるだろう?その時の自分はどうなっているだろう。その日、家に帰った私は感無量で落ち着く事は出来なかった。記念として、SNSに写真をアップし、「嵐山の雪化粧、一期一会」と書いた。
京都に住むのは今年で3年目に入る。過去2年間は観光客の気分で京都にある殆どの観光地を訪れてきた。その乗りで、自分が「京都通」になったと思う時もある。
都市化進んでいる今は、京都は違和感のある都市だと思う人もいるだろう。「寺や神社などの遺跡が多いが、都市インフラが古すぎ」との初印象が多いだろう。地元の人もプライドの高い人ばかりだと言われているらしく、話題の都市に間違いない。確かに至る所に昭和感の建物だらけで、京都タワー、京セラー、日本電産本社ビル以外に高い建物がなかったようだ。歴史の風貌をそのまま保つのが理解出来るが、便利さはいまいちだと当時は感じた。その思いで、何回も隣の大阪に引越ししようとした。一番近いのは、20年の3月だった。不動産会社と契約を結ぶ直前に断念した。コロナの影響だ。
2年目の昨年は、世界中はコロナで苦しんでいた。政府の呼びかけもあり、1年間は殆ど外出する事なく、自宅で過ごした。免疫力を向上するため、近所でジョギングを始めた。渡月橋から松尾橋までの間は毎日歩いていた。お陰で、嵐山の四季を自分の目で確かめた。桂川沿いは決して賑やかなところではないようだ。渡月橋の辺り以外は昼間にも人影の少ない場所だ。嵐山商店街も夜7時以降になると、一気に静かに転じる。川沿いでジョギングすると、対面からハイビームを使う車が通る時ぐらい、「ここも現代文明の社会だね」と感じるのだ。
先日、「来年度から転勤する事になるかも」と上司から連絡を受けた。「そっか、そろそろ京都から離れる事になるんだ」と複雑な気持ちとなった。その日、これまで京都での生活を頭の中から思い出し、イライラしていた。「私、勘違いしたかも」、と突然気づいたようだ。京都は自分の全貌を全ての人にアピールしようとしていなかった。京都はここに訪れている全員の心に独自の痕跡を残しているのだ。それと、この痕跡は一生消えない。
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この文書を書く時にも、再び「京都に惚れちゃったかも」と気づいた。
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「TVガイド」 2021年 1/8・1/15合併版(自购)
■特集1
[知ってるワイフ]主演
大倉忠義
主演ドラマ放送直前!関ジャニ∞メンバーを喜ばせる方法は?
■特集2
[知ってるワイフ]で先輩・後輩共演
大倉忠義&末澤誠也
初対面の思い出から、お互いに聞いてみたいことまで!
■特集14
[関ジャム~]公式連載☆∞BEATSHOW
関ジャニ∞
恒例!2020年のトップ10企画。エイトも興味津々!
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GRANRODEO・KISHOW「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」に衝撃を受ける「俺の音楽の原体験はこれかも」
https://t.cn/A6G0FsGI
放送翌日となる11月11日(水)は「ベースの日」。数字の1が4つならぶ様子を4本のベースの弦に見立てて、2014年に制定されたそうです。そんなベースの日にちなんで、恒例の選曲企画「ハートに火がつく、プレイリスト!」のテーマは「重低音」。ベースにフォーカスを当てた楽曲をセレクトしました。
【KISHOWが選ぶ“重低音”を感じる1曲】
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
みんなが知っているベースが印象的なメジャーな曲というと、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『Give It Away』も浮かんだ」というKISHOWですが、さらに子ども時代を思い出す1曲がありました。
KISHOW:選びました。いろいろあったなかで、もっともキャッチーで俺ら世代の曲を。幼少期ですけど。
e-ZUKA:うん。
KISHOW:親戚のおばちゃん家に行くカーステレオから「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が聴こえてきてびっくりしたんです。だから、俺の音楽の本当の原体験はこれかも。よく(取材で)聴かれるじゃないですか、“音楽のファーストインパクトは何でしたか?”って。(今までは)シブがき隊とかボン・ジョヴィとかって答えてきたけど、ほんとはこの曲かもしれないんですよね。
e-ZUKA:僕なんてバリバリのリアルタイムですからね。
KISHOW:そうですよね、8歳か9歳か。リーゼントだったんですか? 8歳のe-ZUKA少年は(笑)。
e-ZUKA:いやいや(笑)。“この曲、いつ次の展開に入るのかな?”と思って聴いていましたね。和田静男さんのギターソロがまたうまいんですよ。
KISHOW:このベースラインも忘れられないですよね。それこそ(GRANRODEOのサポートベーシストの)瀧田イサムさんが横須賀出身ですね。
e-ZUKA:そうなんですよね~。
KISHOW:横須賀のイメージというと、“革ジャン”“サングラス”“リーゼント”みたいなね。“不良の音楽=ロック”なイメージ。僕は幼少期で物心がつくかつかないかくらいのときにこの曲を聴いて“あー、カッコいいな!”と思ったものでございます。
【e-ZUKAが選ぶ“重低音”を感じる1曲】
「Teen Town」(ウェザー・リポート)
e-ZUKAが最初にベースを意識したのは、小学生時代にテレビでライブを観て憧れたバンド、KISS(キッス)のジーン・シモンズですが、好きなベースのフレーズといえばリズム&ブルース系やファンク系になるそう。ダニー・ハサウェイのバンドに在籍し、ライブアルバム『ライヴ』で数々の名演を披露したウィリー・ウィークスなど、モータウン系のベーシストも好きなのだとか。でもやはり、ベースといえばこの人!
e-ZUKA:やっぱりね、ジャコ・パストリアスが好きなんです。あの人はフレットレスベースで有名じゃないですか。フレットがないから(ベースの代わりにギターで、真似をしながら弾くと……)こう、音が揺れる。ハーモニクスして……(音が)延びたりするんですけども(※ジャコ・パストリアスは、ハーモニクス・グリッサンド奏法も有名)。
僕が好きなのは、ジャコがいたウェザー・リポートの「Teen Town」という曲ですね。前に瀧田さんと一緒にセッションバンドをやったんですけど、そこでも“俺が好きだから”ということで、カバーをしたんですよ。とにかくカッコいいんです! この曲は聴くもんじゃないね、演奏するもんだね(笑)。
KISHOW:あ、そう(笑)。
e-ZUKA:(曲中で)ベースが弾いていたリフというかメロディーというか。これを、ギターとベースでユニゾンするのがとっても楽しいんですよ。もう亡くなっちゃいましたけど、ハイラム・ブロックというギタリストがいて。ジャコも亡くなってるんですが、(ハイラムとジャコの「Teen Town」のセッションは2人とも)バッキバキに弾くので、すごく合うんですよね。そして、ジャコが弾いているのがフレットレスベースだから、ちょっと独特な音がする。
KISHOW:うんうん。
e-ZUKA:“どぅるどぅる♪”“ぼぉぉ~ん♪”みたいな。ビブラートも独特で。
KISHOW:なるほど。フレットがないんですよね。
e-ZUKA:そうなんです。瀧田さんもね、これみよがしにフレットレスベースをよく使うんですよ。
KISHOW:これみよがしに(笑)。
e-ZUKA:GRANRODEOでいうと、フレットレスベースを最初に使ったのは「ネジレタユガミ」。
KISHOW:あったね~。
e-ZUKA:たまに(GRANRODEOのレコーディングで瀧田さんが)「この曲はフレットレスベースで弾きたいな」なんて言うこともあります。
番組ではこのほか、GRANRODEOの楽器レコーディング前にデモ音源を作る際、作曲・編曲のe-ZUKAはベースラインを決め込まず、あえてコード進行とベースのルート音だけを指定しておき、細かいフレージングは瀧田さんにお任せする、という話もありました。30年以上の付き合いになるというe-ZUKAと瀧田さんの信頼関係が、GRANRODEOのサウンド作りにいかされているようです。
https://t.cn/A6G0FsGI
放送翌日となる11月11日(水)は「ベースの日」。数字の1が4つならぶ様子を4本のベースの弦に見立てて、2014年に制定されたそうです。そんなベースの日にちなんで、恒例の選曲企画「ハートに火がつく、プレイリスト!」のテーマは「重低音」。ベースにフォーカスを当てた楽曲をセレクトしました。
【KISHOWが選ぶ“重低音”を感じる1曲】
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
みんなが知っているベースが印象的なメジャーな曲というと、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『Give It Away』も浮かんだ」というKISHOWですが、さらに子ども時代を思い出す1曲がありました。
KISHOW:選びました。いろいろあったなかで、もっともキャッチーで俺ら世代の曲を。幼少期ですけど。
e-ZUKA:うん。
KISHOW:親戚のおばちゃん家に行くカーステレオから「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が聴こえてきてびっくりしたんです。だから、俺の音楽の本当の原体験はこれかも。よく(取材で)聴かれるじゃないですか、“音楽のファーストインパクトは何でしたか?”って。(今までは)シブがき隊とかボン・ジョヴィとかって答えてきたけど、ほんとはこの曲かもしれないんですよね。
e-ZUKA:僕なんてバリバリのリアルタイムですからね。
KISHOW:そうですよね、8歳か9歳か。リーゼントだったんですか? 8歳のe-ZUKA少年は(笑)。
e-ZUKA:いやいや(笑)。“この曲、いつ次の展開に入るのかな?”と思って聴いていましたね。和田静男さんのギターソロがまたうまいんですよ。
KISHOW:このベースラインも忘れられないですよね。それこそ(GRANRODEOのサポートベーシストの)瀧田イサムさんが横須賀出身ですね。
e-ZUKA:そうなんですよね~。
KISHOW:横須賀のイメージというと、“革ジャン”“サングラス”“リーゼント”みたいなね。“不良の音楽=ロック”なイメージ。僕は幼少期で物心がつくかつかないかくらいのときにこの曲を聴いて“あー、カッコいいな!”と思ったものでございます。
【e-ZUKAが選ぶ“重低音”を感じる1曲】
「Teen Town」(ウェザー・リポート)
e-ZUKAが最初にベースを意識したのは、小学生時代にテレビでライブを観て憧れたバンド、KISS(キッス)のジーン・シモンズですが、好きなベースのフレーズといえばリズム&ブルース系やファンク系になるそう。ダニー・ハサウェイのバンドに在籍し、ライブアルバム『ライヴ』で数々の名演を披露したウィリー・ウィークスなど、モータウン系のベーシストも好きなのだとか。でもやはり、ベースといえばこの人!
e-ZUKA:やっぱりね、ジャコ・パストリアスが好きなんです。あの人はフレットレスベースで有名じゃないですか。フレットがないから(ベースの代わりにギターで、真似をしながら弾くと……)こう、音が揺れる。ハーモニクスして……(音が)延びたりするんですけども(※ジャコ・パストリアスは、ハーモニクス・グリッサンド奏法も有名)。
僕が好きなのは、ジャコがいたウェザー・リポートの「Teen Town」という曲ですね。前に瀧田さんと一緒にセッションバンドをやったんですけど、そこでも“俺が好きだから”ということで、カバーをしたんですよ。とにかくカッコいいんです! この曲は聴くもんじゃないね、演奏するもんだね(笑)。
KISHOW:あ、そう(笑)。
e-ZUKA:(曲中で)ベースが弾いていたリフというかメロディーというか。これを、ギターとベースでユニゾンするのがとっても楽しいんですよ。もう亡くなっちゃいましたけど、ハイラム・ブロックというギタリストがいて。ジャコも亡くなってるんですが、(ハイラムとジャコの「Teen Town」のセッションは2人とも)バッキバキに弾くので、すごく合うんですよね。そして、ジャコが弾いているのがフレットレスベースだから、ちょっと独特な音がする。
KISHOW:うんうん。
e-ZUKA:“どぅるどぅる♪”“ぼぉぉ~ん♪”みたいな。ビブラートも独特で。
KISHOW:なるほど。フレットがないんですよね。
e-ZUKA:そうなんです。瀧田さんもね、これみよがしにフレットレスベースをよく使うんですよ。
KISHOW:これみよがしに(笑)。
e-ZUKA:GRANRODEOでいうと、フレットレスベースを最初に使ったのは「ネジレタユガミ」。
KISHOW:あったね~。
e-ZUKA:たまに(GRANRODEOのレコーディングで瀧田さんが)「この曲はフレットレスベースで弾きたいな」なんて言うこともあります。
番組ではこのほか、GRANRODEOの楽器レコーディング前にデモ音源を作る際、作曲・編曲のe-ZUKAはベースラインを決め込まず、あえてコード進行とベースのルート音だけを指定しておき、細かいフレージングは瀧田さんにお任せする、という話もありました。30年以上の付き合いになるというe-ZUKAと瀧田さんの信頼関係が、GRANRODEOのサウンド作りにいかされているようです。
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