ぜんぶ君のせいだ。の"異常こそ正常だ。"【第9回】
こんばんは、ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」Skream!コラムやって参りました。今宵(?)はぜんぶ君のせいだ。メイユイメイが担当します。歌い踊っていますが、きっとscreamerとしての方がメイのイメージは強いかもしれません。自分で言うのもあれですけど147cmのちっさい身体で男性にも負ける気がしないscreamしてます天使色です。
まずはメイのこと、話します。小さい時から女の子が"かわいい"と思う物には興味がありませんでした。周りの子がアイドルグループを聴いていた頃、メイはヘヴィメタルバンドを、周りの子が月9と言われているドラマにハマっている頃は深夜アニメを。キラキラしたかわいいお洋服より、真っ黒なお洋服を好んで着ていました。好きなものは十字架、天使や悪魔、神話、アニメ、ゲーム、シルバーアクセサリー。そしてハードな音楽。メイはまさに中学2年生の時、"中二病"にかかりました。指に十字架や六芒星を油性ペンで書き、『神に認められたものだけが現れる魔の刻印』と自分で称し、消えてはまた書き直すというのを繰り返してました。一度、柄にもなく真夏の外界に飛び出した時、目が真っ赤になり、身体にはドラゴンのような赤い模様がでたことがありました。メイはそれを"とてもかっこいい、私は吸血鬼かもしれない"と思い込みました。ただの強い紫外線アレルギーでした......そこから、陽の光を浴びるのを極端に避け、アニメにゲーム、音楽から脱却できない引きこもり生活がはじまります。
このままいくと大好きなアニメやゲームの話で終わってしまいそうなので割愛。メイは両親の影響で小さい頃からヘヴィメタルやロックを聴いて育ち、歌うこと、ギターを触ることがとても好きでした。学生の頃はバンドを組み、ギターボーカルをしたり。話が前後しますがたくさんの愛に恵まれ育ったはずなのですが、昔から極端に寂しがり屋です。そして何をしてもどんな時も気持ちが満たされたことがありませんでした。"幸せ"そう感じたことも覚えている限りありません。何故なのかわかりませんが人の顔色を窺う癖があります。人の顔色を見ては自分の意思を殺し、発言、行動していました。なので一人になった瞬間「私のことは誰もわからない、知らない」途端に寂しさが襲ってきます。当たり前です。だって自分で自分のこと殺してます。伝わらないのなんて当たり前なんです。その空いた寂しさを、埋めてくれていたものの一つが音楽です。メイが寂しい時音楽を必要とするように、メイも誰かに必要とされる人になりたかった。
2018年2月3日にゆくえしれずつれづれに加入しました。メイがはじめて全力を注ぎ生きたグループです。はじめてのステージ、はじめてのシャウト、はじめての全国ツアー。ステージ上から見えるたくさんの拳、歓声。ここで、今まで生きてきて感じたことのない、自分の中の感情が満たされる感覚を、"幸せ"と思う感覚を、LIVEで感じてしまいました。これがメイがステージから降りられなくなった理由です。ゆくえしれずつれづれは2021年1月2日をもって解散しました。寂しい時、気合い入れたい時、今でもよく聴きます。いつ聴いてもかっこよくて、こっちが必要とするとちゃんとそこにいるんです。まだ生きているんです。また音楽が手放せなくなりました。
そんなメイは今、自分の人生を懸けて"ぜんぶ君のせいだ。"で歌い踊り、叫び、生きてます。私たちが全力でLIVEをして、患いさんが応えてくれる。患いさんが応えてくれたことに、私たちはまた一つ大きなステージに立ちそれに応える。愛しているメンバーがいて、ぜんぶ君のせいだ。のLIVEを求め生きている患いさんがいる。生きてきた境遇の違う大勢の人たちがぜんぶ君のせいだ。のLIVEで、一つになる。その時間は日々生きていて抱えている嫌なことも全て忘れて、一緒に拳を掲げ、一緒に笑い泣く。その感覚が忘れられなくて、その光景が見たくて、それだからメイは音楽が好きで、ステージに立ち続けるんです。メイはこの先もぜんぶ君のせいだ。で全身全霊のLIVEを患いさんに捧げます。
あれだけたくさん愛していたゆくえしれずつれづれが解散したにも関わらず、それでもステージに残りたいと強く冀い、今ぜんぶ君のせいだ。で生きている私は、タイトルにもどりますが、異常でしょうか。? 正常でしょうか。? 「異常こそ正常だ。」
こんばんは、ぜんぶ君のせいだ。「異常こそ正常だ。」Skream!コラムやって参りました。今宵(?)はぜんぶ君のせいだ。メイユイメイが担当します。歌い踊っていますが、きっとscreamerとしての方がメイのイメージは強いかもしれません。自分で言うのもあれですけど147cmのちっさい身体で男性にも負ける気がしないscreamしてます天使色です。
まずはメイのこと、話します。小さい時から女の子が"かわいい"と思う物には興味がありませんでした。周りの子がアイドルグループを聴いていた頃、メイはヘヴィメタルバンドを、周りの子が月9と言われているドラマにハマっている頃は深夜アニメを。キラキラしたかわいいお洋服より、真っ黒なお洋服を好んで着ていました。好きなものは十字架、天使や悪魔、神話、アニメ、ゲーム、シルバーアクセサリー。そしてハードな音楽。メイはまさに中学2年生の時、"中二病"にかかりました。指に十字架や六芒星を油性ペンで書き、『神に認められたものだけが現れる魔の刻印』と自分で称し、消えてはまた書き直すというのを繰り返してました。一度、柄にもなく真夏の外界に飛び出した時、目が真っ赤になり、身体にはドラゴンのような赤い模様がでたことがありました。メイはそれを"とてもかっこいい、私は吸血鬼かもしれない"と思い込みました。ただの強い紫外線アレルギーでした......そこから、陽の光を浴びるのを極端に避け、アニメにゲーム、音楽から脱却できない引きこもり生活がはじまります。
このままいくと大好きなアニメやゲームの話で終わってしまいそうなので割愛。メイは両親の影響で小さい頃からヘヴィメタルやロックを聴いて育ち、歌うこと、ギターを触ることがとても好きでした。学生の頃はバンドを組み、ギターボーカルをしたり。話が前後しますがたくさんの愛に恵まれ育ったはずなのですが、昔から極端に寂しがり屋です。そして何をしてもどんな時も気持ちが満たされたことがありませんでした。"幸せ"そう感じたことも覚えている限りありません。何故なのかわかりませんが人の顔色を窺う癖があります。人の顔色を見ては自分の意思を殺し、発言、行動していました。なので一人になった瞬間「私のことは誰もわからない、知らない」途端に寂しさが襲ってきます。当たり前です。だって自分で自分のこと殺してます。伝わらないのなんて当たり前なんです。その空いた寂しさを、埋めてくれていたものの一つが音楽です。メイが寂しい時音楽を必要とするように、メイも誰かに必要とされる人になりたかった。
2018年2月3日にゆくえしれずつれづれに加入しました。メイがはじめて全力を注ぎ生きたグループです。はじめてのステージ、はじめてのシャウト、はじめての全国ツアー。ステージ上から見えるたくさんの拳、歓声。ここで、今まで生きてきて感じたことのない、自分の中の感情が満たされる感覚を、"幸せ"と思う感覚を、LIVEで感じてしまいました。これがメイがステージから降りられなくなった理由です。ゆくえしれずつれづれは2021年1月2日をもって解散しました。寂しい時、気合い入れたい時、今でもよく聴きます。いつ聴いてもかっこよくて、こっちが必要とするとちゃんとそこにいるんです。まだ生きているんです。また音楽が手放せなくなりました。
そんなメイは今、自分の人生を懸けて"ぜんぶ君のせいだ。"で歌い踊り、叫び、生きてます。私たちが全力でLIVEをして、患いさんが応えてくれる。患いさんが応えてくれたことに、私たちはまた一つ大きなステージに立ちそれに応える。愛しているメンバーがいて、ぜんぶ君のせいだ。のLIVEを求め生きている患いさんがいる。生きてきた境遇の違う大勢の人たちがぜんぶ君のせいだ。のLIVEで、一つになる。その時間は日々生きていて抱えている嫌なことも全て忘れて、一緒に拳を掲げ、一緒に笑い泣く。その感覚が忘れられなくて、その光景が見たくて、それだからメイは音楽が好きで、ステージに立ち続けるんです。メイはこの先もぜんぶ君のせいだ。で全身全霊のLIVEを患いさんに捧げます。
あれだけたくさん愛していたゆくえしれずつれづれが解散したにも関わらず、それでもステージに残りたいと強く冀い、今ぜんぶ君のせいだ。で生きている私は、タイトルにもどりますが、異常でしょうか。? 正常でしょうか。? 「異常こそ正常だ。」
キリ番踏んだら私のターン
2021.05.10 更新 ツイート
あなたの「明日も頑張ろうスイッチ」が、コロナ禍でも残り続けますように
長井短
エッセイ
ゆとり世代
ミレニアル世代
平成生まれ
キリ踏ん
頭がうまく動かない日々が1ヶ月くらい続いている。
何か考えようとしても、1つのことを考えられる時間は1分くらいしか続かなくて、気づけば別のことを考えてしまう。Aを考えてたのにBを、Bを考えてたのにCを、ってな具合にGくらいまで思考が転々とすると、ようやくAに戻ってくる。その繰り返し。不便この上ない。
こういうのって今までも時々あって、それは大抵の場合演劇の本番前だった。そうです。私は今本番前なのです!!
本来なら5月4日が初日だったはずの舞台だけど、緊急事態宣言によって現在初日は5月12日に伸びています……。文句を言っても仕方ないので前向きに日々を過ごしてるけど、そうは言っても、5月4日が初日のつもりで毎日を過ごしていたから、今どうやって過ごせばいいのかわからない。
ディズニーランドに行きたすぎてそろそろ限界ということ…現場からは以上です。
今まで色々な文章を書いてきたけど、演劇のことを書いたことはほとんどなくて、なんとなく自分の中で演劇のことを書くのはしっくりこないから避けていました。でも、今回ばかりは演劇のことしか考えられなそうなので、演劇の話をします。私にとっての演劇の話です。
ゲロ吐きそうでも舞台に立っちゃうのはなんでだろう
演劇を始めてから、もうすぐ10年が経つ。19歳の頃から毎年、多いときは年7、8本。少なくても年2本は舞台に立ってきた。通算でどのくらいの数になるのかはわからないけど、小さな劇場も大きな劇場も立たせてもらえてわかったのは、演劇ってマジで面倒くさいってこと。
演劇出身なんですって言うと時々言われる言葉の中に「演劇いいよね! やっぱり! 演劇が好きって俳優さん多いもんね!」ってのがある。超同意なんだけど、正直私の演劇への思いはそんな愛だけのものではなくて、憎もあるの。
だってさ? マジで緊張すんだもんあれ。何度舞台に立っても、舞台袖で出番を待っていると、歯茎がむずむずして全歯ポロっといっちゃうんじゃねーかって気持ちになる。台詞を言っている最中に舌を噛み切る夢を見た回数は数え切れないし、私の知らない間に台本が大幅に変更されて舞台上で立ちすくむ悪夢に週2でうなされる。超ストレス。
無事に今日が終わっても、また明日も同じ緊張が襲ってくると思うとキレそうになる。大きい声を出すからかどんどんお腹と背中が筋肉痛になっていって、声帯回復のために食べたくもないステーキを食べる時、ステーキを食べられるような残高状況じゃないことを思い出し冷や汗をかく。
文句ばかりだ。それなのに、どうしても私は劇場に戻っていってしまう。行ったら疲れるってわかってるのに、気付くと埃っぽい舞台袖でプチゲロを我慢しているのだ。
なんでだろう。どうしてあんな奴のところに、私は抱かれに行ってしまうんですか……?
撮影現場で「唇のスクラブ」ってやつに初めて出会った。ざらざらしたお手拭きで唇を拭く感覚なんだけど、物凄く気持ちいいし唇がツルツルになる。欲しい。
悪口ばっかり言ってますけど、これら全てを一瞬で帳消しにするキュンポイントが演劇にはある。その一瞬は本番直前の舞台袖、M0っていう「この曲がかかったらマジで開演です」っていう合図の曲が流れた時。大抵の場合、M0の音量が上がるのと同時に、劇場は暗くなっていく。真っ暗闇の中に爆音でM0が響いたら、私たちは舞台上にスタンバイするんだけど、その、歩み出す前の1秒にも満たない時間が、私は演劇の中で一番好きだ。
舞台裏にいる俳優、演出部さん、舞台監督さん、楽屋にいる俳優、客席奥にいる音響さん照明さん。劇場内にいる色んな年齢の色んな役割の人たちが一斉に「やるか~」って静かに息を吸うこの瞬間、私は他のどんな時間よりも一人ではないって感じるの。誰かと一緒に働くことは大変だけど楽しくて素晴らしいことなんだって気持ちでいっぱいになる。あ~演劇やりたいなぁ。早く劇場に行きたいなぁ。
やりたいからやる、っていう姿勢がシンプルで好きだった。なんでやってるんだろうって考えても考えても結局、「だってやりたいから」にしか行きつかない。でも、やりたいからやるなんてことが叶いにくい世の中になった今、何か今までとは違う大義名分みたいなものがほしくなった。なくてもいいものみたいに扱われることに、抵抗したいのかもしれない。
あなたの「明日も頑張ろうスイッチ」はなんですか?
演劇は別に、見たってお腹も膨れないし、病気だって治せない。演劇にできることなんて多くない。けど、でも、いい大人が汗をかきながら舞台上を駆けずり回っている様を見ると、私は勇気が湧く。どんな人間も、大きい声を出すと唾が飛ぶし、走り回れば汗をかくっていう当たり前のことを思い出せるから。自分ではない人間も、自分と同じように生きているってことがわかると「明日も頑張るか」って、私は思える。「明日も頑張ろう」と思えなくなっちゃうと、生きていくのはしんどい。だから、世の中には出来るだけ多くの、色んな種類の「明日も頑張ろうスイッチ」みたいなものがあった方が良いなと思うの。自分の出演する演劇も、そのスイッチになりますようにと祈りながら楽屋から舞台へ、上手から下手へ、私は移動しているのかもしれない。「やりたいからやる」とは別の、私が演劇をやる理由は、たぶんこの祈りだ。
きっと、祈っているのは私だけではない。わざわざチケットを買って、劇場まで足を運んでくれるお客さんのその行動にだって、同じように祈りがこもっている。またこの劇団を見れますように、もっと大きなライブハウスに進出できますように、あなたが引退しませんように。立場が違う私たちは、祈りあうことで支え合っているのだ。それができるって、なんて豊かなことだろう。
切羽詰まってる世の中だから、摂取すればすぐに効くロキソニンみたいなものが幸せを作る唯一の方法みたいになっている気がしていて、それもそれで良いんだけど。効いてるかわからない漢方を飲み続けることにも幸せはあるのだ。忘れないでほしいのだ。
不細工で要領の悪い不便な演劇も、存在できる世界がいいなと思います。私は演劇が好きです。
希望你的“明天也要努力的开关”,即使是日冕之祸也能继续留下。
长井短
井随笔|井宽松世代#千禧年世代#平成出生#终结
大脑无法正常运转的日子持续了一个月左右
看。
即使想思考什么,思考一件事的时间也只能持续1分钟左右,等回过神来,就会想别的事情。想着A却想到了B,想着B却想到了C,不知不觉地思考到了G,终于回到了A。如此反复。不便至极。
到现在为止,这种情况也时有发生,而且大多是在戏剧正式演出之前。是的。我现在是正式演出前!!
本来5月4日应该是第一天的舞台,但是根据紧急事态宣言现在第一天延长到了5月12日…。因为抱怨也没有办法,所以每天都在积极地度过。话虽这么说,但因为把5月4日当作第一天来过,所以不知道现在该怎么过。
去了太多迪士尼乐园,差不多到了极限了…以上是现场的情况。(见图)
至今为止写了很多文章,但几乎没写过戏剧,总觉得自己一直在回避写戏剧。但是,这次好像只想到戏剧,所以我要讲戏剧。对我来说,戏剧的故事。
即使快要呕吐也要站在舞台上是为什么呢?
从开始演话剧到现在已经快10年了。从19岁开始每年,多的时候一年7、8部。每年至少有2部在舞台上演出。总计有多少人我不知道,不过无论小剧场还是大剧场,我都知道演戏真的很麻烦。
说到我是戏剧出身,经常有人说:“演戏真好啊!果然!喜欢演戏的演员很多啊!”有这样的。虽然我非常同意,但说实话,我对戏剧的想法并不仅仅是爱,也有恨。
因为,真的很紧张啊。无论站在舞台上多少次,只要站在舞台的袖子上等待出场,就会觉得牙龈发痒,全牙都要脱落了。在说台词的过程中,做过无数次咬断舌头的梦,在我不知道的情况下,剧本被大幅度修改,在舞台上站着的噩梦每周有2次。即使今天平安无事地结束了,一想到明天也会有同样的紧张袭来,就会忍不住生气。不知道是不是因为大声说话,肚子和背部的肌肉越来越痛,为了恢复声带而吃不想吃的牛排的时候,想起自己的结余状况不是能吃牛排的程度,不禁冒冷汗。
尽是抱怨。尽管如此,我还是回到了剧场。明明知道去了会很累,回过神来却发现自己正用布满灰尘的舞台袖子忍受着小呕吐。
为什么呢?为什么我要去那种家伙那里被他抱着呢?
在拍摄现场第一次见到了“嘴唇磨砂膏”。虽然是用粗糙的手擦嘴唇的感觉,但是非常舒服。(见图)
虽然我总是说一些不好的话,但在一瞬间,所有这些戏剧中有这样的扣人心弦的地方。
那一瞬间是正式演出前的舞台袖子,播放MO这首“如果这首曲子播放的话真的要开演了”的信号的曲子的时候。一般情况下,MO的音量上升的同时,剧场也会变暗。在一片漆黑中,如果MO响起轰鸣声,我们就会在舞台上待命,而那迈开脚步前不到一秒的时间,是我最喜欢的戏剧。
在后台的演员、导演、舞台导演,在后台的演员,在观众席深处的音响、照明。在剧场里各种年龄各种角色的人们一齐说“要做吗~”安静地吸气的这一瞬间,我感觉比其他任何时间都不是一个人。和别人一起工作虽然很辛苦,但是很开心,感觉很棒。啊~想演话剧啊。真想早点去剧场啊。
因为想做所以做,这种态度很简单,我很喜欢。为什么要这么做呢,想了又想,结果只能是“因为想做”。但是,因为想做而去做的事情很难实现的现在,我想要一个与以往不同的名分。也许是想抵抗被当成可有可无的东西。
你的“明天也要努力的开关”是什么?
话剧就另当别论了,看了肚子也胀不起来,病也治不好。戏剧能做的事情并不多。但是,当我看到优秀的大人一边流汗一边在舞台上奔跑的样子,我就会鼓起勇气。不管是什么样的人,只要大声说话就会唾沫横飞,到处跑就会出汗,这是理所当然的事情。明白了不是自己的人也和自己一样活着,我就会想“明天也要努力吗”。不想“明天也要努力”的话,活下去就会很辛苦。所以,我觉得世界上最好有尽可能多的、各种各样的“明天也要努力的开关”那样的东西。也许我一边祈祷着自己出演的戏剧也能成为那个开关,一边从后台移动到舞台,从擅长移动到笨拙。与“因为想做所以做”不同,我做话剧的理由大概是这个祈祷。
祈祷的人一定不止我一个。特意买票来到剧场的观众们的行动,也同样包含着祈祷。希望还能看到这个剧团,希望能进军更大的live house,希望你不要引退。立场不同的我们,通过祈祷来相互支持。
能做到这一点,真是太幸福了。
在这个急迫的世界里,我觉得只要摄取就能立刻见效的罗青素就成了制造幸福的唯一方法,这也很好。持续服用不知道是否有效的汉方药,也是一种幸福。希望不要忘记丑陋的、不得要领的、不方便的戏剧也能存在的世界真好。
我喜欢戏剧。
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あなたの「明日も頑張ろうスイッチ」が、コロナ禍でも残り続けますように
長井短
エッセイ
ゆとり世代
ミレニアル世代
平成生まれ
キリ踏ん
頭がうまく動かない日々が1ヶ月くらい続いている。
何か考えようとしても、1つのことを考えられる時間は1分くらいしか続かなくて、気づけば別のことを考えてしまう。Aを考えてたのにBを、Bを考えてたのにCを、ってな具合にGくらいまで思考が転々とすると、ようやくAに戻ってくる。その繰り返し。不便この上ない。
こういうのって今までも時々あって、それは大抵の場合演劇の本番前だった。そうです。私は今本番前なのです!!
本来なら5月4日が初日だったはずの舞台だけど、緊急事態宣言によって現在初日は5月12日に伸びています……。文句を言っても仕方ないので前向きに日々を過ごしてるけど、そうは言っても、5月4日が初日のつもりで毎日を過ごしていたから、今どうやって過ごせばいいのかわからない。
ディズニーランドに行きたすぎてそろそろ限界ということ…現場からは以上です。
今まで色々な文章を書いてきたけど、演劇のことを書いたことはほとんどなくて、なんとなく自分の中で演劇のことを書くのはしっくりこないから避けていました。でも、今回ばかりは演劇のことしか考えられなそうなので、演劇の話をします。私にとっての演劇の話です。
ゲロ吐きそうでも舞台に立っちゃうのはなんでだろう
演劇を始めてから、もうすぐ10年が経つ。19歳の頃から毎年、多いときは年7、8本。少なくても年2本は舞台に立ってきた。通算でどのくらいの数になるのかはわからないけど、小さな劇場も大きな劇場も立たせてもらえてわかったのは、演劇ってマジで面倒くさいってこと。
演劇出身なんですって言うと時々言われる言葉の中に「演劇いいよね! やっぱり! 演劇が好きって俳優さん多いもんね!」ってのがある。超同意なんだけど、正直私の演劇への思いはそんな愛だけのものではなくて、憎もあるの。
だってさ? マジで緊張すんだもんあれ。何度舞台に立っても、舞台袖で出番を待っていると、歯茎がむずむずして全歯ポロっといっちゃうんじゃねーかって気持ちになる。台詞を言っている最中に舌を噛み切る夢を見た回数は数え切れないし、私の知らない間に台本が大幅に変更されて舞台上で立ちすくむ悪夢に週2でうなされる。超ストレス。
無事に今日が終わっても、また明日も同じ緊張が襲ってくると思うとキレそうになる。大きい声を出すからかどんどんお腹と背中が筋肉痛になっていって、声帯回復のために食べたくもないステーキを食べる時、ステーキを食べられるような残高状況じゃないことを思い出し冷や汗をかく。
文句ばかりだ。それなのに、どうしても私は劇場に戻っていってしまう。行ったら疲れるってわかってるのに、気付くと埃っぽい舞台袖でプチゲロを我慢しているのだ。
なんでだろう。どうしてあんな奴のところに、私は抱かれに行ってしまうんですか……?
撮影現場で「唇のスクラブ」ってやつに初めて出会った。ざらざらしたお手拭きで唇を拭く感覚なんだけど、物凄く気持ちいいし唇がツルツルになる。欲しい。
悪口ばっかり言ってますけど、これら全てを一瞬で帳消しにするキュンポイントが演劇にはある。その一瞬は本番直前の舞台袖、M0っていう「この曲がかかったらマジで開演です」っていう合図の曲が流れた時。大抵の場合、M0の音量が上がるのと同時に、劇場は暗くなっていく。真っ暗闇の中に爆音でM0が響いたら、私たちは舞台上にスタンバイするんだけど、その、歩み出す前の1秒にも満たない時間が、私は演劇の中で一番好きだ。
舞台裏にいる俳優、演出部さん、舞台監督さん、楽屋にいる俳優、客席奥にいる音響さん照明さん。劇場内にいる色んな年齢の色んな役割の人たちが一斉に「やるか~」って静かに息を吸うこの瞬間、私は他のどんな時間よりも一人ではないって感じるの。誰かと一緒に働くことは大変だけど楽しくて素晴らしいことなんだって気持ちでいっぱいになる。あ~演劇やりたいなぁ。早く劇場に行きたいなぁ。
やりたいからやる、っていう姿勢がシンプルで好きだった。なんでやってるんだろうって考えても考えても結局、「だってやりたいから」にしか行きつかない。でも、やりたいからやるなんてことが叶いにくい世の中になった今、何か今までとは違う大義名分みたいなものがほしくなった。なくてもいいものみたいに扱われることに、抵抗したいのかもしれない。
あなたの「明日も頑張ろうスイッチ」はなんですか?
演劇は別に、見たってお腹も膨れないし、病気だって治せない。演劇にできることなんて多くない。けど、でも、いい大人が汗をかきながら舞台上を駆けずり回っている様を見ると、私は勇気が湧く。どんな人間も、大きい声を出すと唾が飛ぶし、走り回れば汗をかくっていう当たり前のことを思い出せるから。自分ではない人間も、自分と同じように生きているってことがわかると「明日も頑張るか」って、私は思える。「明日も頑張ろう」と思えなくなっちゃうと、生きていくのはしんどい。だから、世の中には出来るだけ多くの、色んな種類の「明日も頑張ろうスイッチ」みたいなものがあった方が良いなと思うの。自分の出演する演劇も、そのスイッチになりますようにと祈りながら楽屋から舞台へ、上手から下手へ、私は移動しているのかもしれない。「やりたいからやる」とは別の、私が演劇をやる理由は、たぶんこの祈りだ。
きっと、祈っているのは私だけではない。わざわざチケットを買って、劇場まで足を運んでくれるお客さんのその行動にだって、同じように祈りがこもっている。またこの劇団を見れますように、もっと大きなライブハウスに進出できますように、あなたが引退しませんように。立場が違う私たちは、祈りあうことで支え合っているのだ。それができるって、なんて豊かなことだろう。
切羽詰まってる世の中だから、摂取すればすぐに効くロキソニンみたいなものが幸せを作る唯一の方法みたいになっている気がしていて、それもそれで良いんだけど。効いてるかわからない漢方を飲み続けることにも幸せはあるのだ。忘れないでほしいのだ。
不細工で要領の悪い不便な演劇も、存在できる世界がいいなと思います。私は演劇が好きです。
希望你的“明天也要努力的开关”,即使是日冕之祸也能继续留下。
长井短
井随笔|井宽松世代#千禧年世代#平成出生#终结
大脑无法正常运转的日子持续了一个月左右
看。
即使想思考什么,思考一件事的时间也只能持续1分钟左右,等回过神来,就会想别的事情。想着A却想到了B,想着B却想到了C,不知不觉地思考到了G,终于回到了A。如此反复。不便至极。
到现在为止,这种情况也时有发生,而且大多是在戏剧正式演出之前。是的。我现在是正式演出前!!
本来5月4日应该是第一天的舞台,但是根据紧急事态宣言现在第一天延长到了5月12日…。因为抱怨也没有办法,所以每天都在积极地度过。话虽这么说,但因为把5月4日当作第一天来过,所以不知道现在该怎么过。
去了太多迪士尼乐园,差不多到了极限了…以上是现场的情况。(见图)
至今为止写了很多文章,但几乎没写过戏剧,总觉得自己一直在回避写戏剧。但是,这次好像只想到戏剧,所以我要讲戏剧。对我来说,戏剧的故事。
即使快要呕吐也要站在舞台上是为什么呢?
从开始演话剧到现在已经快10年了。从19岁开始每年,多的时候一年7、8部。每年至少有2部在舞台上演出。总计有多少人我不知道,不过无论小剧场还是大剧场,我都知道演戏真的很麻烦。
说到我是戏剧出身,经常有人说:“演戏真好啊!果然!喜欢演戏的演员很多啊!”有这样的。虽然我非常同意,但说实话,我对戏剧的想法并不仅仅是爱,也有恨。
因为,真的很紧张啊。无论站在舞台上多少次,只要站在舞台的袖子上等待出场,就会觉得牙龈发痒,全牙都要脱落了。在说台词的过程中,做过无数次咬断舌头的梦,在我不知道的情况下,剧本被大幅度修改,在舞台上站着的噩梦每周有2次。即使今天平安无事地结束了,一想到明天也会有同样的紧张袭来,就会忍不住生气。不知道是不是因为大声说话,肚子和背部的肌肉越来越痛,为了恢复声带而吃不想吃的牛排的时候,想起自己的结余状况不是能吃牛排的程度,不禁冒冷汗。
尽是抱怨。尽管如此,我还是回到了剧场。明明知道去了会很累,回过神来却发现自己正用布满灰尘的舞台袖子忍受着小呕吐。
为什么呢?为什么我要去那种家伙那里被他抱着呢?
在拍摄现场第一次见到了“嘴唇磨砂膏”。虽然是用粗糙的手擦嘴唇的感觉,但是非常舒服。(见图)
虽然我总是说一些不好的话,但在一瞬间,所有这些戏剧中有这样的扣人心弦的地方。
那一瞬间是正式演出前的舞台袖子,播放MO这首“如果这首曲子播放的话真的要开演了”的信号的曲子的时候。一般情况下,MO的音量上升的同时,剧场也会变暗。在一片漆黑中,如果MO响起轰鸣声,我们就会在舞台上待命,而那迈开脚步前不到一秒的时间,是我最喜欢的戏剧。
在后台的演员、导演、舞台导演,在后台的演员,在观众席深处的音响、照明。在剧场里各种年龄各种角色的人们一齐说“要做吗~”安静地吸气的这一瞬间,我感觉比其他任何时间都不是一个人。和别人一起工作虽然很辛苦,但是很开心,感觉很棒。啊~想演话剧啊。真想早点去剧场啊。
因为想做所以做,这种态度很简单,我很喜欢。为什么要这么做呢,想了又想,结果只能是“因为想做”。但是,因为想做而去做的事情很难实现的现在,我想要一个与以往不同的名分。也许是想抵抗被当成可有可无的东西。
你的“明天也要努力的开关”是什么?
话剧就另当别论了,看了肚子也胀不起来,病也治不好。戏剧能做的事情并不多。但是,当我看到优秀的大人一边流汗一边在舞台上奔跑的样子,我就会鼓起勇气。不管是什么样的人,只要大声说话就会唾沫横飞,到处跑就会出汗,这是理所当然的事情。明白了不是自己的人也和自己一样活着,我就会想“明天也要努力吗”。不想“明天也要努力”的话,活下去就会很辛苦。所以,我觉得世界上最好有尽可能多的、各种各样的“明天也要努力的开关”那样的东西。也许我一边祈祷着自己出演的戏剧也能成为那个开关,一边从后台移动到舞台,从擅长移动到笨拙。与“因为想做所以做”不同,我做话剧的理由大概是这个祈祷。
祈祷的人一定不止我一个。特意买票来到剧场的观众们的行动,也同样包含着祈祷。希望还能看到这个剧团,希望能进军更大的live house,希望你不要引退。立场不同的我们,通过祈祷来相互支持。
能做到这一点,真是太幸福了。
在这个急迫的世界里,我觉得只要摄取就能立刻见效的罗青素就成了制造幸福的唯一方法,这也很好。持续服用不知道是否有效的汉方药,也是一种幸福。希望不要忘记丑陋的、不得要领的、不方便的戏剧也能存在的世界真好。
我喜欢戏剧。
一个随心所欲的4月读书总结[干杯]
4月也是读得很充实的一个月!当然篇幅都不厚,还是全凭喜好来,计划早就随风而去了。
(然后看着记录想了下13号那天我到底是在做什么会一整天都没开kindle,想起来那天我工作到夜里凌晨2点[拜拜])
但很欣慰是这个月读到的书基本都在刷新我“这个月的最爱一定就是它了!”的观感(看我这个月这么多五星就能看出来[笑cry]),这种近似持续收获新鲜爱情的感觉实在是太快乐了(
但如果一定要评出一个最爱,还是当属白先勇的《台北人》吧。
我很少看短篇,因为太慢热,往往觉得还没进状态故事就已经结束了。但《台北人》却是既可以各自独立成篇、却又能全体串联贯通的故事。往简单了能看到各阶层各角落的众生相,往复杂了能品出历史洪流里的数个重要节点,小中见大,每一篇的主角都被这洪流裹挟着不得不前进,灵魂与身体却又是分裂的,就像那个时代新旧交接的分裂感。这种分裂感扑面而来,让人品味到一种无奈的哀叹。
PS:附录欧阳子写的《白先勇的小说世界》精彩至极,读来淋漓尽致的痛快程度甚至不亚于看本文。相比之下紧接其后的余秋雨的解说实在是太乏味了……
其他几本很喜欢/很推荐的:
《一间只属于自己的房间》是女性主义的奠基作,弗吉尼亚·伍尔夫在1928年在剑桥大学发表的演讲,篇幅很短很好读。这个20世纪女性主义的先锋的英国女作家在她的演讲里说,“一个女人如果要写小说,那么她必须拥有两样东西,一样是金钱,另一样是一间自己的房间。”房间是要属于自己的、能随时上锁的,最好再能一年挣500英镑。500英镑代表思考的力量,门上的锁代表独立思考的力量。伍尔夫在这本书里不断强调对于女性而言物质、精神与思想独立的重要性,而这三者之间又是逐层互相推进的关系:“物质基础决定心智的自由,心智的自由决定诗歌的诞生”。只有物质、精神与思想独立,女性才不会在历史的声音里被遗忘、被消灭和被代表。
以及除开具有开创性质的女性主义思想,整本书的语言读起来也很有一种谆谆善诱的亲切感,有力量却并不说教。
『みみずくは黄昏に飛び立つ』是村上春树和川上未映子围绕文学创作的对谈集,也涉及到二人对人生哲学方面的思考,形式是川上问村上答,但相互的思想交锋也不少,内容充实信息量大,虽然很多我已经记不清了……有中译本,感兴趣的朋友可以找来看一下(据说台版翻译比较好)
『向こうの果て』虽然是完全冲着某人去看的,但内容却很让我惊喜,简而言之情节精彩、伏笔众多、反转意外,虽然有些反转和巧合也不免有“为悲剧而悲剧”之嫌,但整体上作者笔力简洁明快,所以读起来也感觉一气呵成非常痛快,有时候甚至觉得像在看剧本——昨晚的舞台after talk里也提到企划本身是先有了舞台脚本、后再以此为基础创作出来的小说,果然ww
其他几本四五星的也都很喜欢,但是脑子不够了暂时就这样吧w争取这几天趁假期能写个详细点的读后感,虽然我每次也都只是说说而已…
(也争取以后每看一本书都能整理个稍微!详细点的读后感,以免真的像过眼云烟看过就忘了最后什么都没吃进去[拜拜]
4月也是读得很充实的一个月!当然篇幅都不厚,还是全凭喜好来,计划早就随风而去了。
(然后看着记录想了下13号那天我到底是在做什么会一整天都没开kindle,想起来那天我工作到夜里凌晨2点[拜拜])
但很欣慰是这个月读到的书基本都在刷新我“这个月的最爱一定就是它了!”的观感(看我这个月这么多五星就能看出来[笑cry]),这种近似持续收获新鲜爱情的感觉实在是太快乐了(
但如果一定要评出一个最爱,还是当属白先勇的《台北人》吧。
我很少看短篇,因为太慢热,往往觉得还没进状态故事就已经结束了。但《台北人》却是既可以各自独立成篇、却又能全体串联贯通的故事。往简单了能看到各阶层各角落的众生相,往复杂了能品出历史洪流里的数个重要节点,小中见大,每一篇的主角都被这洪流裹挟着不得不前进,灵魂与身体却又是分裂的,就像那个时代新旧交接的分裂感。这种分裂感扑面而来,让人品味到一种无奈的哀叹。
PS:附录欧阳子写的《白先勇的小说世界》精彩至极,读来淋漓尽致的痛快程度甚至不亚于看本文。相比之下紧接其后的余秋雨的解说实在是太乏味了……
其他几本很喜欢/很推荐的:
《一间只属于自己的房间》是女性主义的奠基作,弗吉尼亚·伍尔夫在1928年在剑桥大学发表的演讲,篇幅很短很好读。这个20世纪女性主义的先锋的英国女作家在她的演讲里说,“一个女人如果要写小说,那么她必须拥有两样东西,一样是金钱,另一样是一间自己的房间。”房间是要属于自己的、能随时上锁的,最好再能一年挣500英镑。500英镑代表思考的力量,门上的锁代表独立思考的力量。伍尔夫在这本书里不断强调对于女性而言物质、精神与思想独立的重要性,而这三者之间又是逐层互相推进的关系:“物质基础决定心智的自由,心智的自由决定诗歌的诞生”。只有物质、精神与思想独立,女性才不会在历史的声音里被遗忘、被消灭和被代表。
以及除开具有开创性质的女性主义思想,整本书的语言读起来也很有一种谆谆善诱的亲切感,有力量却并不说教。
『みみずくは黄昏に飛び立つ』是村上春树和川上未映子围绕文学创作的对谈集,也涉及到二人对人生哲学方面的思考,形式是川上问村上答,但相互的思想交锋也不少,内容充实信息量大,虽然很多我已经记不清了……有中译本,感兴趣的朋友可以找来看一下(据说台版翻译比较好)
『向こうの果て』虽然是完全冲着某人去看的,但内容却很让我惊喜,简而言之情节精彩、伏笔众多、反转意外,虽然有些反转和巧合也不免有“为悲剧而悲剧”之嫌,但整体上作者笔力简洁明快,所以读起来也感觉一气呵成非常痛快,有时候甚至觉得像在看剧本——昨晚的舞台after talk里也提到企划本身是先有了舞台脚本、后再以此为基础创作出来的小说,果然ww
其他几本四五星的也都很喜欢,但是脑子不够了暂时就这样吧w争取这几天趁假期能写个详细点的读后感,虽然我每次也都只是说说而已…
(也争取以后每看一本书都能整理个稍微!详细点的读后感,以免真的像过眼云烟看过就忘了最后什么都没吃进去[拜拜]
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