【DIVOC-12】Interview 1/2
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
――具体的にお名前があがった松田さんと宮沢さんとの出会いは、藤原さんにとってどんな出来事だったのでしょうか。
藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
https://t.cn/A6M6b0Pd
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
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藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
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#总博主[超话]#【猪的体脂率可能比你还少】
根据研究发现,正常生长的家猪体脂率为 14% 左右,另一项研究中发现,数据的浮动是非常大的, 300 头猪里体脂率最低的猪是 9.3 %,但是最高的达到 24.3 %。浮动大说明影响的因素很多,所以不同品种的猪肉品质无法一致,导致猪肉不能被推荐在健身食谱里。成年人的体脂率正常范围分别是女性 20% ~25%,男性 15% ~18%。
#愿你遇到的人都是温暖的##把美好予你##情感#
根据研究发现,正常生长的家猪体脂率为 14% 左右,另一项研究中发现,数据的浮动是非常大的, 300 头猪里体脂率最低的猪是 9.3 %,但是最高的达到 24.3 %。浮动大说明影响的因素很多,所以不同品种的猪肉品质无法一致,导致猪肉不能被推荐在健身食谱里。成年人的体脂率正常范围分别是女性 20% ~25%,男性 15% ~18%。
#愿你遇到的人都是温暖的##把美好予你##情感#
《大悲咒》十种大悲心
(第九十五段)
【尔时大梵天王从座而起,整理衣服,合掌恭敬,白观世音菩萨言:善哉、大士!我从昔来经无量佛会,闻种种法,种种陀罗尼,未曾闻说如此无碍大悲心大悲陀罗尼神妙章句,唯愿大士为我,说此陀罗尼形貌状相,我等大众愿乐欲闻。观世音菩萨告梵王言:汝为方便利益一切众生故,作如是问,汝今善听吾为汝等略说少耳。
观世音菩萨言:大慈悲心、是平等心、是无为心、是无染着心、是空观心、是恭敬心、是卑下心、是无杂乱心、是无见取心、是无上菩提心。是当知如是等心,即是陀罗尼相貌,汝当依此而修行之。大梵王言:我等大众今始识此陀罗尼相貌,从今受持,不敢忘失。】
观世音菩萨诵完84句《大悲咒》后,大地出现了六变震动,天上雨下奇珍妙花,十方诸佛皆大欢喜,天魔外道则非常恐怖。一切来参见大悲法会的会员,都分别获得了大小不等的果证。有得声闻初果至四果的、有得初地至十地的,还有无量多的众生发菩提心的,此皆是《大悲咒》威力所致,无比殊胜!
这时大梵天王从自己的座位上起立,整理好衣服,非常恭敬地合掌,对观世音菩萨说:善哉、大士!(大士为大菩萨的别称),我从往昔,经过无量多的诸佛法会,听闻过各种各样的佛法及各种各样的陀罗尼神咒,但却从未听闻过观世音菩萨所宣说的无碍大悲心大悲陀罗尼神妙章句,惟愿观音大士为我们讲解此《大悲心陀罗尼》神妙章句的形象面貌,是一个什么样的相状?我及在场的所有参加法会的人们都非常愿意、非常乐意地想听闻到。
于是观世音菩萨对大梵天王说:你为了方便利益一切众生的缘故,提出这样的问题,非常好!那么你而今可善自听好,我将为你们略微少许地讲解一些关于《大悲咒》的真实相状,《大悲咒》的真实相状归纳起来就是十种心,即:
1、大慈悲心:什么是慈悲呢?慈悲是佛道之根本,慈爱众生并给与快乐,称为慈;同感其苦,怜悯众生,并拔除其苦,称为悲;佛陀之悲是以众生之苦为己苦,故称同体大悲。
《大般涅槃经》记载,慈悲有三种:一、生缘慈悲:又作有情缘慈、众生缘慈。就是观一切众生犹如赤子,而与乐拔苦,这是凡夫的慈悲,称为小悲。二、法缘慈悲:指开悟诸法,于诸法无我之真理所起之慈悲,这是声闻、缘觉、菩萨这三乘最初的慈悲,称为中悲。三、无缘慈悲:为远离差别之见解,无分别心而起的绝对平等之慈悲,此为观音菩萨所发之大愿,故特称为大慈大悲、大慈悲。以上三种慈悲,并称为三缘慈悲。
2、平等心:在欲界、色界、无色界这三界里,始终都有高低贵贱之分,永远都不可能有真正的平等,只有超越三界后,在法身无相中,才有真正的平等,修行到了这种境界,所有的世俗观念都升华为圣人观念,看一切众生平等、看一切世界平等、看一切法平等,没有什么善恶邪正,人我是非,贫富美丑等种种差别相,为人处世,永远都不偏不倚,绝对平等,如此名为平等心。
3、无为心:无为心从无为法中生,无为法与“有为法”相对,指不依因缘和合而成的不生不灭、无来无去、非彼非此的绝对,原本是涅槃的异名。为诸法之本体,与“法性”、“真如”等为同一含义。以法相唯识宗为代表。该宗以修持境界立论,分无为法为六种,即:
一、虚空无为;二、择灭无为;三、非择灭无为;四、不动无为;五、想受灭无为;六、真如无为。法相唯识宗于以上六种无为中突出真如无为,认为前五种无为都是“真如无为”的不同显现,因为只有真如无为才是佛教的究竟圆满处。具足这六种无为法,名无为心。
4、无染着心:对一切人、一切事、一切物,清清楚楚、明明白白,虽清楚明白,却能即相离相,不生执着,即是无染着心。
5、空观心:观十方世界是空、观十二类众生是空、观一切法是空、观一切相是空,于空处见缘起,于缘起处见实相,于此实相中彻悟自性本空,空生大觉,是名空观心。
6、恭敬心:尊敬比自己年龄大辈分高的比如父母长辈等名“恭”、尊敬比自己有知识有智慧的比如佛菩萨师长等名“敬”。恭敬心就是以下敬上的心,除此之外,还应该恭敬一切人,古德说:三人之行,必有我师。更何况我虽长处比人多,但都有不如人处,所以,能做到尊敬一切人,即是恭敬心。
7、卑下心:“卑”不是卑贱的“卑”,卑在这里是一种谦辞,就是谦虚的意思;“下”即上下的“下”,这个下也不是低人一等的下,而仍旧是谦虚的意思。卑下心的意思就是时时刻刻都要保持谦虚谨慎,绝不高高在上,这种心态,名为卑下心。
8、无杂乱心:心不专一名“杂”、东想西想名“乱”;杂乱使人昏沉、掉举、散乱,不能得定、不能得解脱。修四禅八定可治杂乱心,得四禅八定者,名无杂乱心。
9、无见取心:“见”生我见、“取”生占有;凡有我见者,对一切物质的及非物质的,都想占有,男人想占有女人、女人想占有男人,对金钱财物等都想占有。想来世再得人身的、想往生天堂的、想取小涅槃的、想取大涅槃的,有这些想法和行为的,名见取心。无见取心是没有这些想法,也没有这些作为,于无作无为中彻悟诸法实相,得大解脱,名无见取心。
10、无上菩提心:菩提就是无生无灭的妙觉心,此心依众生所悟程度分为声闻菩提、缘觉菩提、菩萨菩提、佛菩提这四种,此四种中,唯有佛菩提为最真实究竟,名无上菩提,发心修无上菩提法者,名无上菩提心。
观世音菩萨讲完以上所说十种大悲心后对大梵天王说:这里说的十种大悲心,就是《大悲咒》的陀罗尼形貌状相,你们应当依此十种大悲心而修行,这样就能得到《大悲咒》的真实妙用。
大梵天王说:听了观音大士的一席话,我等茅塞顿开,犹如拨云见日,非常欢喜,因为从今天开始,才真正认识了《大悲咒》的陀罗尼相貌,明白了此咒的真实意义,所以我们将从此受持,不敢有丝毫懈怠或亡失。
(第九十五段)
【尔时大梵天王从座而起,整理衣服,合掌恭敬,白观世音菩萨言:善哉、大士!我从昔来经无量佛会,闻种种法,种种陀罗尼,未曾闻说如此无碍大悲心大悲陀罗尼神妙章句,唯愿大士为我,说此陀罗尼形貌状相,我等大众愿乐欲闻。观世音菩萨告梵王言:汝为方便利益一切众生故,作如是问,汝今善听吾为汝等略说少耳。
观世音菩萨言:大慈悲心、是平等心、是无为心、是无染着心、是空观心、是恭敬心、是卑下心、是无杂乱心、是无见取心、是无上菩提心。是当知如是等心,即是陀罗尼相貌,汝当依此而修行之。大梵王言:我等大众今始识此陀罗尼相貌,从今受持,不敢忘失。】
观世音菩萨诵完84句《大悲咒》后,大地出现了六变震动,天上雨下奇珍妙花,十方诸佛皆大欢喜,天魔外道则非常恐怖。一切来参见大悲法会的会员,都分别获得了大小不等的果证。有得声闻初果至四果的、有得初地至十地的,还有无量多的众生发菩提心的,此皆是《大悲咒》威力所致,无比殊胜!
这时大梵天王从自己的座位上起立,整理好衣服,非常恭敬地合掌,对观世音菩萨说:善哉、大士!(大士为大菩萨的别称),我从往昔,经过无量多的诸佛法会,听闻过各种各样的佛法及各种各样的陀罗尼神咒,但却从未听闻过观世音菩萨所宣说的无碍大悲心大悲陀罗尼神妙章句,惟愿观音大士为我们讲解此《大悲心陀罗尼》神妙章句的形象面貌,是一个什么样的相状?我及在场的所有参加法会的人们都非常愿意、非常乐意地想听闻到。
于是观世音菩萨对大梵天王说:你为了方便利益一切众生的缘故,提出这样的问题,非常好!那么你而今可善自听好,我将为你们略微少许地讲解一些关于《大悲咒》的真实相状,《大悲咒》的真实相状归纳起来就是十种心,即:
1、大慈悲心:什么是慈悲呢?慈悲是佛道之根本,慈爱众生并给与快乐,称为慈;同感其苦,怜悯众生,并拔除其苦,称为悲;佛陀之悲是以众生之苦为己苦,故称同体大悲。
《大般涅槃经》记载,慈悲有三种:一、生缘慈悲:又作有情缘慈、众生缘慈。就是观一切众生犹如赤子,而与乐拔苦,这是凡夫的慈悲,称为小悲。二、法缘慈悲:指开悟诸法,于诸法无我之真理所起之慈悲,这是声闻、缘觉、菩萨这三乘最初的慈悲,称为中悲。三、无缘慈悲:为远离差别之见解,无分别心而起的绝对平等之慈悲,此为观音菩萨所发之大愿,故特称为大慈大悲、大慈悲。以上三种慈悲,并称为三缘慈悲。
2、平等心:在欲界、色界、无色界这三界里,始终都有高低贵贱之分,永远都不可能有真正的平等,只有超越三界后,在法身无相中,才有真正的平等,修行到了这种境界,所有的世俗观念都升华为圣人观念,看一切众生平等、看一切世界平等、看一切法平等,没有什么善恶邪正,人我是非,贫富美丑等种种差别相,为人处世,永远都不偏不倚,绝对平等,如此名为平等心。
3、无为心:无为心从无为法中生,无为法与“有为法”相对,指不依因缘和合而成的不生不灭、无来无去、非彼非此的绝对,原本是涅槃的异名。为诸法之本体,与“法性”、“真如”等为同一含义。以法相唯识宗为代表。该宗以修持境界立论,分无为法为六种,即:
一、虚空无为;二、择灭无为;三、非择灭无为;四、不动无为;五、想受灭无为;六、真如无为。法相唯识宗于以上六种无为中突出真如无为,认为前五种无为都是“真如无为”的不同显现,因为只有真如无为才是佛教的究竟圆满处。具足这六种无为法,名无为心。
4、无染着心:对一切人、一切事、一切物,清清楚楚、明明白白,虽清楚明白,却能即相离相,不生执着,即是无染着心。
5、空观心:观十方世界是空、观十二类众生是空、观一切法是空、观一切相是空,于空处见缘起,于缘起处见实相,于此实相中彻悟自性本空,空生大觉,是名空观心。
6、恭敬心:尊敬比自己年龄大辈分高的比如父母长辈等名“恭”、尊敬比自己有知识有智慧的比如佛菩萨师长等名“敬”。恭敬心就是以下敬上的心,除此之外,还应该恭敬一切人,古德说:三人之行,必有我师。更何况我虽长处比人多,但都有不如人处,所以,能做到尊敬一切人,即是恭敬心。
7、卑下心:“卑”不是卑贱的“卑”,卑在这里是一种谦辞,就是谦虚的意思;“下”即上下的“下”,这个下也不是低人一等的下,而仍旧是谦虚的意思。卑下心的意思就是时时刻刻都要保持谦虚谨慎,绝不高高在上,这种心态,名为卑下心。
8、无杂乱心:心不专一名“杂”、东想西想名“乱”;杂乱使人昏沉、掉举、散乱,不能得定、不能得解脱。修四禅八定可治杂乱心,得四禅八定者,名无杂乱心。
9、无见取心:“见”生我见、“取”生占有;凡有我见者,对一切物质的及非物质的,都想占有,男人想占有女人、女人想占有男人,对金钱财物等都想占有。想来世再得人身的、想往生天堂的、想取小涅槃的、想取大涅槃的,有这些想法和行为的,名见取心。无见取心是没有这些想法,也没有这些作为,于无作无为中彻悟诸法实相,得大解脱,名无见取心。
10、无上菩提心:菩提就是无生无灭的妙觉心,此心依众生所悟程度分为声闻菩提、缘觉菩提、菩萨菩提、佛菩提这四种,此四种中,唯有佛菩提为最真实究竟,名无上菩提,发心修无上菩提法者,名无上菩提心。
观世音菩萨讲完以上所说十种大悲心后对大梵天王说:这里说的十种大悲心,就是《大悲咒》的陀罗尼形貌状相,你们应当依此十种大悲心而修行,这样就能得到《大悲咒》的真实妙用。
大梵天王说:听了观音大士的一席话,我等茅塞顿开,犹如拨云见日,非常欢喜,因为从今天开始,才真正认识了《大悲咒》的陀罗尼相貌,明白了此咒的真实意义,所以我们将从此受持,不敢有丝毫懈怠或亡失。
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