#三联美食# 常熟是江南一方福地,古来唤作“虞城”,得名于境内一座“十里青山半入城”的虞山。
说起虞山,是绕不过兴福寺的,南朝出了一位“爱江山更爱佛祖”的“和尚皇帝”。上既有天子以身事佛,下亦不乏刺史舍宅为寺。
于是,兴福寺成了“南朝四百八十寺”之一的江南名刹。很多年前,我从虞山北麓一路下行,石径幽长,寺前涧泉淙淙,林后幽鸟鸣啭,古柏森森,一抹黄墙掩映在烟岚环翠间;落红有声,禅院安静得很。
一股萦绕着泥土的山林气息与与古刹中浮漾着的梵音浑然一体,融入悠远静穆的空气中,传递着禅的灵性。一如唐朝诗人常建《题破山寺后禅院》诗中所述“曲径通幽处,禅房花木深。山光悦鸟性,潭影空人心。万籁此都寂,但余钟磬音”的模样。
游罢兴福寺,不吃上一碗本土蕈油面是引以为憾的。在虞山脚下、兴福寺隔壁,有一块被古树环绕的盆地,这是一个市井烟火气十足的露天茶馆,稀疏凌乱地摆着几十张四方桌和竹椅,两三人一桌摆龙门阵,一支烟、一杯茶,从茶米油盐聊到风花雪月,不经意间时光就从指缝中溜走了。
有人说“成都是一座泡在茶水中的城市”,若你来到常熟,便会被如火如荼的喝茶场面惊倒。常熟人喝茶,不似广东人那般注重茶点精致,叉烧包、虾饺……济济一堂,亦不及福建人喝功夫茶那般讲究茶道艺术,他们不讲究地点,不拘泥于场合,甚至连喝什么茶叶也无所谓,山林间、园林里、庭前屋后、街头巷尾……
一只热水瓶、一个玻璃杯、几钱茶叶,两三老友围坐,处处皆是茶馆。一杯茶,并不是常熟人的全部,一碗面,在常熟人心目中同样占有重要位置。常熟人的一天,是被一碗面叫醒的。
我找到了老字号面馆“望岳楼”,打量起价目牌,浇头花样倒是不少:大排、爆鱼、焖肉、素浇……与苏式汤面相差无几,价格在几块到十几块钱不等,唯独蕈油面,30元一碗,这个鹤立鸡群的价位,吸引了我的眼球,怀揣着十二分新鲜和好奇,咬咬牙点了一碗蕈油面。
蕈油面的“浇头”很简单,即采自虞山上的松树蕈,美食家李渔在《闲情偶寄》里夸赞此物:“求至鲜至美之物于笋之外,其惟蕈乎!”用蕈作“浇头”的面,鲜到眉毛也掉下来,因此,当地有“尝过松树蕈,三日不思荤”的说法。
说起“蕈”这种菌类,《吴菌谱》中记载“出于树者为蕈,生于地者为菌”,可见,只有从树底下长出来的菌物方有资格唤作“蕈”。虞山又称“乌目山”,因吴王直系先祖虞仲卒葬于此,遂更名“虞山”,帝王陵地,松柏成荫,密林的滋养造就了得天独厚的菌类生存环境,虞山上野生菌蕈诸如鸡枞菌、鸡脯蕈……林林总总约有几十种,其中,更为高级罕见的松树蕈,对环境要求几近苛刻,除了只生长在适宜温度、湿度的松柏混交针叶林地,还“嫌老爱嫩”专挑树龄短的“鲜肉”松底下扎根。每逢黄梅、初秋两季,山上的松树蕈才开始生长,一个个形似蘑菇,色呈淡棕,等过了季,顿消逝的无影无踪。
山里人凌晨两三点钟就要上山采蕈,趁露珠未干,把蕈采下来,当地人管采蕈叫“捉蕈”,或蕈与人参相似,长脚会跑,故有“捉”字一说,采摘之难,可见一斑,松树蕈稀少难觅,到底长在哪里,无迹可寻,须一处处仔细翻寻,而每个采蕈山人心里自有一张“藏宝图”。
野蕈这物什,或有毒性,在《如懿传》里,卫嬿婉为了让自己的儿子顺利登上大宝,便偷偷嘱咐心腹在皇后的儿子十二阿哥永璂的每日膳食中加上一道野蕈的配菜,吃了会上瘾、产生幻象,吃久毒素在五脏六腑累积蔓延至一定程度,便会不治身亡。
野蕈有毒无毒,全凭捉蕈人多年练就的一双慧眼,把刚采摘的新鲜松树蕈带回家,与鸡枞菌、鸡脯蕈……混合在一起制成蕈油,其味特别鲜香。
捉蕈难,制蕈油亦不易,刚采下的野蕈里有小虫子,须撕去表面一层膜衣,清洗干净,在盐水中浸泡三、四个钟头,用纯正的上等农家菜籽油熬制成“蕈油”。
先支起大铁锅,倒入菜油,煸炒出香,将姜块拍松后投入锅内,烧到锅内冒青烟时,放入八角、茴香等佐料,然后将蕈投入油锅爆炒,移旺火加酱油、盐、糖等调味烧煮到位,冷却后即成食用蕈油。用虞山特产松树蕈熬制的蕈油,才是常熟人认可的家乡味。
蕈油面端上桌,是苏式风格的红汤细面,一抹面条齐齐整整铺在碗里,宛若古代女子的发髻,汤内散布的棕色蕈块便是松树蕈了。
面要趁热吃,轻轻夹起面条,放至嘴边,吸溜一口越过舌尖,蕈油特有的鲜香在面条的热力作用下充溢喉舌,面条脱胎换骨般回味甘长,难怪小小一勺蕈油,把兴福寺素面推上江南“素面之王”的头把交椅。
再看野蕈,细细长长,口感紧实有嚼头,有点似嫩肉,又类野菌,咀嚼中还带着松树本身特有的丝丝芬芳。这素食、素味,倒也颇合本地人与世无争的性情。
在江南,一道美食背后大抵都有一个美丽的故事。近水楼台先得蕈,最早的时候,兴福寺僧人入山采摘食材,觅得此物,爆炒熬汤,做成素面浇头,供与僧人或招待香客食用。
清朝末年,曾先后担任同、光两朝帝师翁同龢在告老还乡后,经常去兴福寺与法灯大师谈经论禅,住持常以蕈油面款待,翁同龢吃过盛赞不已。
到了民国,在大都市呆闷了的宋庆龄、宋美龄两姐妹,去常熟乡下采风,游罢兴福寺,在寺外林中野炊,侍卫从庙里端出几道素食和蕈油面,吃刁了嘴的宋氏姐妹用过后,居然赞不绝口,“想不到一个小地方也有这么好吃的菜和面”。有了“第一夫人”打广告,兴福寺蕈油面自此名扬天下。
很多年后,我又记挂起了兴福寺一碗面,买了张常熟客运车票,下站台等公交之际,一对上了年纪的夫妇向我打探千年古刹兴福寺怎么走,闲聊之中,得知也是慕名远道而来一尝其鲜的,遂结伴而行。老地方依旧竹林落叶、鸟语花香,只是露天桌椅见缝插针,且座无虚席。
望岳楼修葺得焕然一新,蕈油面也成了非物质文化遗产。择了一棵百年老树下的座头,照旧点了一碗纯松树蕈油面,周遭都是端着面碗或埋头吃面的人,在一片“呲溜溜”吮面声响中,不分贵贱,无论贫富。
兴福寺恐怕自己连做梦也没有想到,一千多年前,一首唐诗,让它荣登“网红”之榜;一千多年后的今天,一碗素面,再度让它红遍江南。
《这碗面,何以成为红遍江南的“素面之王”》作者 / 申功晶
说起虞山,是绕不过兴福寺的,南朝出了一位“爱江山更爱佛祖”的“和尚皇帝”。上既有天子以身事佛,下亦不乏刺史舍宅为寺。
于是,兴福寺成了“南朝四百八十寺”之一的江南名刹。很多年前,我从虞山北麓一路下行,石径幽长,寺前涧泉淙淙,林后幽鸟鸣啭,古柏森森,一抹黄墙掩映在烟岚环翠间;落红有声,禅院安静得很。
一股萦绕着泥土的山林气息与与古刹中浮漾着的梵音浑然一体,融入悠远静穆的空气中,传递着禅的灵性。一如唐朝诗人常建《题破山寺后禅院》诗中所述“曲径通幽处,禅房花木深。山光悦鸟性,潭影空人心。万籁此都寂,但余钟磬音”的模样。
游罢兴福寺,不吃上一碗本土蕈油面是引以为憾的。在虞山脚下、兴福寺隔壁,有一块被古树环绕的盆地,这是一个市井烟火气十足的露天茶馆,稀疏凌乱地摆着几十张四方桌和竹椅,两三人一桌摆龙门阵,一支烟、一杯茶,从茶米油盐聊到风花雪月,不经意间时光就从指缝中溜走了。
有人说“成都是一座泡在茶水中的城市”,若你来到常熟,便会被如火如荼的喝茶场面惊倒。常熟人喝茶,不似广东人那般注重茶点精致,叉烧包、虾饺……济济一堂,亦不及福建人喝功夫茶那般讲究茶道艺术,他们不讲究地点,不拘泥于场合,甚至连喝什么茶叶也无所谓,山林间、园林里、庭前屋后、街头巷尾……
一只热水瓶、一个玻璃杯、几钱茶叶,两三老友围坐,处处皆是茶馆。一杯茶,并不是常熟人的全部,一碗面,在常熟人心目中同样占有重要位置。常熟人的一天,是被一碗面叫醒的。
我找到了老字号面馆“望岳楼”,打量起价目牌,浇头花样倒是不少:大排、爆鱼、焖肉、素浇……与苏式汤面相差无几,价格在几块到十几块钱不等,唯独蕈油面,30元一碗,这个鹤立鸡群的价位,吸引了我的眼球,怀揣着十二分新鲜和好奇,咬咬牙点了一碗蕈油面。
蕈油面的“浇头”很简单,即采自虞山上的松树蕈,美食家李渔在《闲情偶寄》里夸赞此物:“求至鲜至美之物于笋之外,其惟蕈乎!”用蕈作“浇头”的面,鲜到眉毛也掉下来,因此,当地有“尝过松树蕈,三日不思荤”的说法。
说起“蕈”这种菌类,《吴菌谱》中记载“出于树者为蕈,生于地者为菌”,可见,只有从树底下长出来的菌物方有资格唤作“蕈”。虞山又称“乌目山”,因吴王直系先祖虞仲卒葬于此,遂更名“虞山”,帝王陵地,松柏成荫,密林的滋养造就了得天独厚的菌类生存环境,虞山上野生菌蕈诸如鸡枞菌、鸡脯蕈……林林总总约有几十种,其中,更为高级罕见的松树蕈,对环境要求几近苛刻,除了只生长在适宜温度、湿度的松柏混交针叶林地,还“嫌老爱嫩”专挑树龄短的“鲜肉”松底下扎根。每逢黄梅、初秋两季,山上的松树蕈才开始生长,一个个形似蘑菇,色呈淡棕,等过了季,顿消逝的无影无踪。
山里人凌晨两三点钟就要上山采蕈,趁露珠未干,把蕈采下来,当地人管采蕈叫“捉蕈”,或蕈与人参相似,长脚会跑,故有“捉”字一说,采摘之难,可见一斑,松树蕈稀少难觅,到底长在哪里,无迹可寻,须一处处仔细翻寻,而每个采蕈山人心里自有一张“藏宝图”。
野蕈这物什,或有毒性,在《如懿传》里,卫嬿婉为了让自己的儿子顺利登上大宝,便偷偷嘱咐心腹在皇后的儿子十二阿哥永璂的每日膳食中加上一道野蕈的配菜,吃了会上瘾、产生幻象,吃久毒素在五脏六腑累积蔓延至一定程度,便会不治身亡。
野蕈有毒无毒,全凭捉蕈人多年练就的一双慧眼,把刚采摘的新鲜松树蕈带回家,与鸡枞菌、鸡脯蕈……混合在一起制成蕈油,其味特别鲜香。
捉蕈难,制蕈油亦不易,刚采下的野蕈里有小虫子,须撕去表面一层膜衣,清洗干净,在盐水中浸泡三、四个钟头,用纯正的上等农家菜籽油熬制成“蕈油”。
先支起大铁锅,倒入菜油,煸炒出香,将姜块拍松后投入锅内,烧到锅内冒青烟时,放入八角、茴香等佐料,然后将蕈投入油锅爆炒,移旺火加酱油、盐、糖等调味烧煮到位,冷却后即成食用蕈油。用虞山特产松树蕈熬制的蕈油,才是常熟人认可的家乡味。
蕈油面端上桌,是苏式风格的红汤细面,一抹面条齐齐整整铺在碗里,宛若古代女子的发髻,汤内散布的棕色蕈块便是松树蕈了。
面要趁热吃,轻轻夹起面条,放至嘴边,吸溜一口越过舌尖,蕈油特有的鲜香在面条的热力作用下充溢喉舌,面条脱胎换骨般回味甘长,难怪小小一勺蕈油,把兴福寺素面推上江南“素面之王”的头把交椅。
再看野蕈,细细长长,口感紧实有嚼头,有点似嫩肉,又类野菌,咀嚼中还带着松树本身特有的丝丝芬芳。这素食、素味,倒也颇合本地人与世无争的性情。
在江南,一道美食背后大抵都有一个美丽的故事。近水楼台先得蕈,最早的时候,兴福寺僧人入山采摘食材,觅得此物,爆炒熬汤,做成素面浇头,供与僧人或招待香客食用。
清朝末年,曾先后担任同、光两朝帝师翁同龢在告老还乡后,经常去兴福寺与法灯大师谈经论禅,住持常以蕈油面款待,翁同龢吃过盛赞不已。
到了民国,在大都市呆闷了的宋庆龄、宋美龄两姐妹,去常熟乡下采风,游罢兴福寺,在寺外林中野炊,侍卫从庙里端出几道素食和蕈油面,吃刁了嘴的宋氏姐妹用过后,居然赞不绝口,“想不到一个小地方也有这么好吃的菜和面”。有了“第一夫人”打广告,兴福寺蕈油面自此名扬天下。
很多年后,我又记挂起了兴福寺一碗面,买了张常熟客运车票,下站台等公交之际,一对上了年纪的夫妇向我打探千年古刹兴福寺怎么走,闲聊之中,得知也是慕名远道而来一尝其鲜的,遂结伴而行。老地方依旧竹林落叶、鸟语花香,只是露天桌椅见缝插针,且座无虚席。
望岳楼修葺得焕然一新,蕈油面也成了非物质文化遗产。择了一棵百年老树下的座头,照旧点了一碗纯松树蕈油面,周遭都是端着面碗或埋头吃面的人,在一片“呲溜溜”吮面声响中,不分贵贱,无论贫富。
兴福寺恐怕自己连做梦也没有想到,一千多年前,一首唐诗,让它荣登“网红”之榜;一千多年后的今天,一碗素面,再度让它红遍江南。
《这碗面,何以成为红遍江南的“素面之王”》作者 / 申功晶
【易学/杂谈】曲江又言,济南有贵公子,妾与妻相继殁。一日,独坐荷亭,似睡非睡,恍惚若见其亡姬。素所怜爱,即亦不畏,问:何以能返?
曰:鬼有地界,土神禁不许阑入。今日明日,值娘子诵经期,连放焰口,得来领法食也。
问:娘子来否?
曰:娘子狱事未竟,安得自来。
问:施食无盖于亡者,作焰口何益?
曰:天心仁爱,佛法慈悲,赈人者佛天喜,赈鬼者佛天亦喜,是为亡者资冥福,非为其自来食也。
问:泉下况味何似?
曰:堕女身者妾夙业,充下陈者君夙缘。业缘俱满,静待转轮,亦无大苦乐,但乏一小婢供驱使,君能为焚一偶人乎?
懵腾而醒,姑信其有,为作偶人焚之。次夕见梦,则一小婢相随矣。
夫束刍缚竹,剪纸裂缯,假合成质,何亦通灵?盖精气抟结,万物成形,形不虚立,秉气含精,虽久而腐朽,犹砽蠕以化,芝菌以蒸,故人之精气未散者为鬼,布帛之精气,鬼之衣服亦如生。
其于物也,既有其质,精气斯凝。以质为范,象肖以成。火化其渣滓,不化其菁英。故体为灰烬,而神聚幽冥,如人殂谢,魄降而魂升。
夏作明器,殷周相承,圣人所以知鬼神之情也。
若夫金洗春条,未砿佳城,殡宫寥寂,彳亍夜行,投畀炎火,微闻咿嘤。是则衰气所召,妖以人兴,抑或他物之所凭矣。——《阅微草堂笔记》
曰:鬼有地界,土神禁不许阑入。今日明日,值娘子诵经期,连放焰口,得来领法食也。
问:娘子来否?
曰:娘子狱事未竟,安得自来。
问:施食无盖于亡者,作焰口何益?
曰:天心仁爱,佛法慈悲,赈人者佛天喜,赈鬼者佛天亦喜,是为亡者资冥福,非为其自来食也。
问:泉下况味何似?
曰:堕女身者妾夙业,充下陈者君夙缘。业缘俱满,静待转轮,亦无大苦乐,但乏一小婢供驱使,君能为焚一偶人乎?
懵腾而醒,姑信其有,为作偶人焚之。次夕见梦,则一小婢相随矣。
夫束刍缚竹,剪纸裂缯,假合成质,何亦通灵?盖精气抟结,万物成形,形不虚立,秉气含精,虽久而腐朽,犹砽蠕以化,芝菌以蒸,故人之精气未散者为鬼,布帛之精气,鬼之衣服亦如生。
其于物也,既有其质,精气斯凝。以质为范,象肖以成。火化其渣滓,不化其菁英。故体为灰烬,而神聚幽冥,如人殂谢,魄降而魂升。
夏作明器,殷周相承,圣人所以知鬼神之情也。
若夫金洗春条,未砿佳城,殡宫寥寂,彳亍夜行,投畀炎火,微闻咿嘤。是则衰气所召,妖以人兴,抑或他物之所凭矣。——《阅微草堂笔记》
KinKi Kids、CDデビュー25周年。ニューシングル「高純度romance」で松本隆が描いた2人の姿
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
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