#每日科幻书讯# 西蒙•斯塔伦海格最新图像小说《末世迷宫》确认出版,果麦出品,此前已引进出版前三部《电幻国度》《洪水来客》《环形物语》。
内容简介:
在遥远的未来,黑球降临,释放出毒素,自然环境恶化,地表变得不适合人类居住。人们建起了地下堡垒,优先让年轻、有专业技能和健康的人在地面之下生活。三个相依为命的基地研究员在一次定期勘探地面气候状况的时候,发生了未知的事故,一个死亡,一个失踪;只有一个幸存者活了下来,并讲述了这个故事。但是,她的话是全部的真相吗?
内容简介:
在遥远的未来,黑球降临,释放出毒素,自然环境恶化,地表变得不适合人类居住。人们建起了地下堡垒,优先让年轻、有专业技能和健康的人在地面之下生活。三个相依为命的基地研究员在一次定期勘探地面气候状况的时候,发生了未知的事故,一个死亡,一个失踪;只有一个幸存者活了下来,并讲述了这个故事。但是,她的话是全部的真相吗?
空蝉之父官居卫门督,对空蝉的教养颇为看重,一直有意让她入宫为妃。空蝉嫁人之前,也一向有自矜的名声。奈何父母早亡,家道不济,只能嫁于年长的地方官伊予介作为续弦,而伊予介与前妻有一子一女。而紫式部或有一兄,身为地方官之女,曾作为公卿的外室,为其生下一女。那位公卿意外离世后,她又为公卿的唐弟教养女儿,以期该女可以随侍君侧。后来公卿的唐弟也对紫式部有意,展开追求。这其中,颇有巧合之处,似乎作者将自己代入到了空蝉这一角色之中。当然,这些想法并没有经过正经地考据,寻求旁证。不过这样一想,文章就更加有意思了。
还是回到《源氏物语》的原文中来,翻译就是要将各个版本放在一起比较着看,才能显出其中的趣味来。
古文原文是:
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す。(源氏物語「帚木」)
将《源氏物语》的古文改写成现代文的日本文人也有许多位,与谢野晶子、谷崎润一郎、円地文子、田边圣子等等。此处选取与谢野晶子的版本和原文给出的版本进行比较:
谢野晶子版本:きわめて弱い人が強さをしいてつけているのは弱竹《なよたけ》のようで、さすがに折ることはできなかった。
真からあさましいことだと思うふうに泣く様子などが可憐《かれん》であった。気の毒ではあるがこのままで別れたらのちのちまでも後悔が自分を苦しめるであろうと源氏は思ったのであった。もうどんなに勝手な考え方をしても救われない過失をしてしまった。
原文给出的现代文:空蝉は、人柄が柔和であるのに、無理に強い態度を加えて光源氏に対応しているので、細くしなやかな竹のように思え、さすがに手折ることはできそうもない。
空蝉は心底辛くて、無理無体ななさりようを本当にひどいと思って泣いている様子など、とても風情がある。気の毒ではあるけれど、会わなかったら残念であったろうと光源氏はお思いになる
而中文译本也有很多,这里只选取丰子恺和林文月的版本,当然还要厚着脸皮添上自译版。
丰子恺版本:原来空蝉这个人的性情,温柔中含有刚强,好似一枝细竹,看似欲折,却终于不断。此刻她心情愤激,痛恨源氏公子的非礼行为,只管吞声饮泣,样子煞是可怜。源氏公子虽然觉得对这女子不起,但是空空放过机会,又很可惜。
林文月版本:她原本是娇柔不堪的人儿,却故作坚强态,这就像那弱竹在风中摇摆,似折不折,教人看着焦急,又教人敬佩和爱怜。看着她那无限幽怨,吞声哭泣的样子,虽然于心不忍,但是如果就此分别,又恐日后必将遗憾追悔。
自译版:空蝉虽为人柔和,但面对光源氏的无理相迫,却表现得犹如弱竹一般。其杆虽细,却也不能信手摧折。光源氏的非礼强逼,让空蝉心中气苦,认为光源氏实在是恣意妄为。可她这般梨花带雨,偏又别具风情。光源氏未必出于本意,心中也有不忍,又觉若无此会,着实可惜。
这里值得一提的是林译虽然出版早,但成书是晚于丰译的,由于一些原因并没有参考丰译。在下奉丰老为偶像,不过自译时,也没有看过两位老师的译本,不然肯定会在脑子里留下不可磨灭的印象。译文之间的这种隔绝,使得各个译文自称体系,这也正是翻译的魅力之一。
当然,还有《源氏物语》的漫画关于这一段的描述。(附图1)
附图2选自大河和纪的《源氏物语》,正是光源氏倾(非)诉(礼)衷(强)肠(逼)的场景。
关于这一段的与谢野晶子版本:
「ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆|前生《ぜんしょう》の縁が導くのだと思ってください」
译文原文版本:
「ずっと前からあなたを慕い続けてこういう機会を狙っていたんだ。あなたとこうして出会うのは、前世からの縁だと思える」
丰译:
其实我私心倾慕,已历多年;常想和你罄吐衷曲,苦无机会。今宵幸得邂逅,因缘非浅。万望曲谅愚诚,幸赐青睐!(是我的错觉吗,这里仿佛显出了某种老练来)
林译:
我想要把这郁积心头已久的思慕向您来倾诉。今晚有这个机会,也算是冥冥中有些缘分的吧。
自译:
私心倾慕,已历多时。终觅此良机,始与卿一会,莫不是前世宿缘。
这里肯定是不知何时何地瞄过丰译了,译的时候第一句话自然而然出现在脑子里。
还是回到《源氏物语》的原文中来,翻译就是要将各个版本放在一起比较着看,才能显出其中的趣味来。
古文原文是:
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す。(源氏物語「帚木」)
将《源氏物语》的古文改写成现代文的日本文人也有许多位,与谢野晶子、谷崎润一郎、円地文子、田边圣子等等。此处选取与谢野晶子的版本和原文给出的版本进行比较:
谢野晶子版本:きわめて弱い人が強さをしいてつけているのは弱竹《なよたけ》のようで、さすがに折ることはできなかった。
真からあさましいことだと思うふうに泣く様子などが可憐《かれん》であった。気の毒ではあるがこのままで別れたらのちのちまでも後悔が自分を苦しめるであろうと源氏は思ったのであった。もうどんなに勝手な考え方をしても救われない過失をしてしまった。
原文给出的现代文:空蝉は、人柄が柔和であるのに、無理に強い態度を加えて光源氏に対応しているので、細くしなやかな竹のように思え、さすがに手折ることはできそうもない。
空蝉は心底辛くて、無理無体ななさりようを本当にひどいと思って泣いている様子など、とても風情がある。気の毒ではあるけれど、会わなかったら残念であったろうと光源氏はお思いになる
而中文译本也有很多,这里只选取丰子恺和林文月的版本,当然还要厚着脸皮添上自译版。
丰子恺版本:原来空蝉这个人的性情,温柔中含有刚强,好似一枝细竹,看似欲折,却终于不断。此刻她心情愤激,痛恨源氏公子的非礼行为,只管吞声饮泣,样子煞是可怜。源氏公子虽然觉得对这女子不起,但是空空放过机会,又很可惜。
林文月版本:她原本是娇柔不堪的人儿,却故作坚强态,这就像那弱竹在风中摇摆,似折不折,教人看着焦急,又教人敬佩和爱怜。看着她那无限幽怨,吞声哭泣的样子,虽然于心不忍,但是如果就此分别,又恐日后必将遗憾追悔。
自译版:空蝉虽为人柔和,但面对光源氏的无理相迫,却表现得犹如弱竹一般。其杆虽细,却也不能信手摧折。光源氏的非礼强逼,让空蝉心中气苦,认为光源氏实在是恣意妄为。可她这般梨花带雨,偏又别具风情。光源氏未必出于本意,心中也有不忍,又觉若无此会,着实可惜。
这里值得一提的是林译虽然出版早,但成书是晚于丰译的,由于一些原因并没有参考丰译。在下奉丰老为偶像,不过自译时,也没有看过两位老师的译本,不然肯定会在脑子里留下不可磨灭的印象。译文之间的这种隔绝,使得各个译文自称体系,这也正是翻译的魅力之一。
当然,还有《源氏物语》的漫画关于这一段的描述。(附图1)
附图2选自大河和纪的《源氏物语》,正是光源氏倾(非)诉(礼)衷(强)肠(逼)的场景。
关于这一段的与谢野晶子版本:
「ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆|前生《ぜんしょう》の縁が導くのだと思ってください」
译文原文版本:
「ずっと前からあなたを慕い続けてこういう機会を狙っていたんだ。あなたとこうして出会うのは、前世からの縁だと思える」
丰译:
其实我私心倾慕,已历多年;常想和你罄吐衷曲,苦无机会。今宵幸得邂逅,因缘非浅。万望曲谅愚诚,幸赐青睐!(是我的错觉吗,这里仿佛显出了某种老练来)
林译:
我想要把这郁积心头已久的思慕向您来倾诉。今晚有这个机会,也算是冥冥中有些缘分的吧。
自译:
私心倾慕,已历多时。终觅此良机,始与卿一会,莫不是前世宿缘。
这里肯定是不知何时何地瞄过丰译了,译的时候第一句话自然而然出现在脑子里。
论及古典风雅,自然要提到《源氏物语》。本篇译文的原文出自山口仲美老师的《中国蝉鸣,须得一听》,该书讲述了老师在北京讲学期间的逸闻趣事。虽然目前全书的翻译已经完成,不过还没有进行校勘,总有些不足之处。
山口老师是紫绶褒章获得者,目前国内出版的作品有《大家的日语史》以及《男人和女人的故事》,研究方向有《源氏物语》、《今昔物语集》以及拟声拟态词等等。希望今后可以有机会翻译她的其他作品。
風雅な古典に触れるなら、「源氏物語」を避けることができないだろう。原文は山口仲美先生が短期授業で北京に滞在する間に起きたエピソードの短編集―「中国の蝉は何と鳴く」から摘録いたします。全書の翻訳は全うしたが、まだ校閲していないので、何となく物足りない感じがしている。
先生は紫綬褒章の受章者で、おもに「源氏物語」、「今昔物語集」、および擬声・擬態語の研究をなさっていらっしゃいます。これまで、中国で上梓された作品は「大家的日语史」と「男人和女人的故事」しかない、ほかの作品を翻訳させていただければ幸いです。
情交はあったのか?
源氏物語は、日本の誇るべき古典。話の展開のうまさ、人生をとらえる視点の深さ、文化全体をあぶりだす視野の広さ、それらを巧みに言葉に乗せていく卓趨した表現力、そういったものを絶えず読者に感じさせつつ、一千年を生き抜いてきた。
私は、源氏物語について外国で何回か講演する機会に恵まれていた。「北京日本学研究センター」の古典研究会でも、源氏物語についての講演を行うことになった。日本語で行うから、まずは日本語の分かる中国人でなければならない。その上、日本人も敬遠する古典語が分からなければならない。そんな中国人が、北京に大勢いるとは思えない。主催者は、センター内の小さな部屋を用意した。
ところが、当日、四十五人の中国人研究者とその卵の大学院生が集まり、小さな部屋から人が溢れ出ていた。急拠、少し大きな部屋に変更して、「源氏物語の表現方法」というタイトルで話をした。
[源氏物語は、ご存知のようにラプストーリー。だから、たくさんの恋愛が描かれている。でも、不思議なんですね。情交そのものの場面が全くといっていいほどないんです。一体、とうやって恋愛場面を描くんでしょうか?]
私は、そう言ってから、光源氏が人妻の空蝉をくどいている場面の絵を見せる。江戸時代に流布した『絵本源氏物語』の絵だ。格子と几帳の間で、立派な衣装を着た光源氏が、真剣なまなざしで空蝉をくどいている。「ずっと前からあなたを慕い続けてこういう機会を狙っていたんだ。あなたとこうして出会うのは、前世からの縁だと思える」と。
「光源氏は、類まれなる美男。地位も身分も経済力も、群を抜いている。そんな男性にくどかれて、空蝉は舞い上がったでしょうか?空蝉は、賢い女性。しがない地方官の妻に納まっている自分は、しょせん一夜の慰みものであることを見抜いています。だから、空蝉は、光源氏に対して拒絶的な態度をとっています。さて、原文は、次のように続きます。これから私が読んでみますから、光源氏と人妻は情を交わしたのか、それともこれからなのかを判定してくださいね。」
人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地してさすがに折るべくもあらず。
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す。(源氏物語「帚木」)
「ちょっと現代語訳をしてみます。『空蝉は、人柄が柔和であるのに、無理に強い態度を加えて光源氏に対応しているので、細くしなやかな竹のように思え、さすがに手折ることはできそうもない。
空蝉は心底辛くて、無理無体ななさりようを本当にひどいと思って泣いている様子など、とても風情がある。気の毒ではあるけれど、会わなかったら残念であったろうと光源氏はお思いになる』。
さて、二人の間に情交はあったのでしょうか?」
中国人たちは、あちこちで「ない、ない」の声をあげている。
可曾春风一度?
《源氏物语》是日本引以为傲的古典小说。故事铺陈手法得宜,观察人生透彻入微,刻画文化视野广阔,以精巧的遣词用句造就了其卓越的表现力。一千年来,读者们不断发掘出文章的妙处,令其魅力延续至今。
我也深受其惠,有过好几次机会,赴国外讲授《源氏物语》。在“北京日本学研究中心”的古典研究会里,马上也要举办《源氏物语》的讲座。讲座全程日语,所以参加的中国人必须通晓日语,并且要对日本古典有一定了解。现在连日本人都对日本的古典敬而远之,我想当然地认为这样的人在北京应该为数不多。因此,主办者只是准备了一间中心内的小教室。
出乎意料的是,当天,光研究者就来了四十五人,再加上将来会成为研究者的相关研究生,小教室里顿时人满为患。我们马上换了一件大教室,开始了题为“源氏物语表现方法”的讲座。
“提到《源氏物语》,大家都知道是一部言情小说。因此,里面有很多恋爱场景的描写。而不可思议的是,亲密旖旎的场景却基本上没有出现过。那么,恋爱的场景是如何来描绘的呢?”
说着,我向大家展示一幅插画,画的是光源氏向人妻空蝉发起言语攻势场景。这幅画选自江户时代就流传于世的《绘本源氏物语》。格门幔帐间,衣冠楚楚的光源氏目光真挚,倾诉衷肠:“私心倾慕,已历多时。终觅此良机,始与卿一会,莫不是前世宿缘。”
“光源氏乃是一名绝世美男子。无论其身份地位,还是经济能力,都是超然的。有这样一名男子倾诉衷肠,空蝉会觉得飘飘然吗?空蝉是位聪明的女性,丈夫虽然是个地位低微的地方官,不过她却能安于现状,并且看穿了自己与光源氏之间,那不过是一夕之欢。因此,她对光源氏一直都是敬而远之的。那么,我接着往下阅读原文。我读完以后,请大家来判断一下,光源氏和人妻空蝉是否有过亲密接触,还是接下来会有。”
*此处原文摘录了《帚木》古文原版中的这段话。
“解释成现代日语。‘空蝉虽为人柔和,但面对光源氏的无理相迫,却表现得犹如弱竹一般。其杆虽细,却也不能信手摧折。光源氏的非礼强逼,让空蝉心中气苦,认为光源氏实在是恣意妄为。可她这般梨花带雨,偏又别具风情。光源氏未必出于本意,心中也有不忍,又觉若无此会,着实可惜。’那么,两人可曾春风一度呢。”
听讲的中国人当中,纷纷传出“没有,没有”的声音。
《绘本源氏物语》的《帚木》(左图)描绘的场景为光源氏,头中将等“雨夜品香”。右图来自《源氏香の図》(右上角的字是:源氏香の図,帚木),场景更贴近格门幔帐的描述。
山口老师是紫绶褒章获得者,目前国内出版的作品有《大家的日语史》以及《男人和女人的故事》,研究方向有《源氏物语》、《今昔物语集》以及拟声拟态词等等。希望今后可以有机会翻译她的其他作品。
風雅な古典に触れるなら、「源氏物語」を避けることができないだろう。原文は山口仲美先生が短期授業で北京に滞在する間に起きたエピソードの短編集―「中国の蝉は何と鳴く」から摘録いたします。全書の翻訳は全うしたが、まだ校閲していないので、何となく物足りない感じがしている。
先生は紫綬褒章の受章者で、おもに「源氏物語」、「今昔物語集」、および擬声・擬態語の研究をなさっていらっしゃいます。これまで、中国で上梓された作品は「大家的日语史」と「男人和女人的故事」しかない、ほかの作品を翻訳させていただければ幸いです。
情交はあったのか?
源氏物語は、日本の誇るべき古典。話の展開のうまさ、人生をとらえる視点の深さ、文化全体をあぶりだす視野の広さ、それらを巧みに言葉に乗せていく卓趨した表現力、そういったものを絶えず読者に感じさせつつ、一千年を生き抜いてきた。
私は、源氏物語について外国で何回か講演する機会に恵まれていた。「北京日本学研究センター」の古典研究会でも、源氏物語についての講演を行うことになった。日本語で行うから、まずは日本語の分かる中国人でなければならない。その上、日本人も敬遠する古典語が分からなければならない。そんな中国人が、北京に大勢いるとは思えない。主催者は、センター内の小さな部屋を用意した。
ところが、当日、四十五人の中国人研究者とその卵の大学院生が集まり、小さな部屋から人が溢れ出ていた。急拠、少し大きな部屋に変更して、「源氏物語の表現方法」というタイトルで話をした。
[源氏物語は、ご存知のようにラプストーリー。だから、たくさんの恋愛が描かれている。でも、不思議なんですね。情交そのものの場面が全くといっていいほどないんです。一体、とうやって恋愛場面を描くんでしょうか?]
私は、そう言ってから、光源氏が人妻の空蝉をくどいている場面の絵を見せる。江戸時代に流布した『絵本源氏物語』の絵だ。格子と几帳の間で、立派な衣装を着た光源氏が、真剣なまなざしで空蝉をくどいている。「ずっと前からあなたを慕い続けてこういう機会を狙っていたんだ。あなたとこうして出会うのは、前世からの縁だと思える」と。
「光源氏は、類まれなる美男。地位も身分も経済力も、群を抜いている。そんな男性にくどかれて、空蝉は舞い上がったでしょうか?空蝉は、賢い女性。しがない地方官の妻に納まっている自分は、しょせん一夜の慰みものであることを見抜いています。だから、空蝉は、光源氏に対して拒絶的な態度をとっています。さて、原文は、次のように続きます。これから私が読んでみますから、光源氏と人妻は情を交わしたのか、それともこれからなのかを判定してくださいね。」
人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地してさすがに折るべくもあらず。
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す。(源氏物語「帚木」)
「ちょっと現代語訳をしてみます。『空蝉は、人柄が柔和であるのに、無理に強い態度を加えて光源氏に対応しているので、細くしなやかな竹のように思え、さすがに手折ることはできそうもない。
空蝉は心底辛くて、無理無体ななさりようを本当にひどいと思って泣いている様子など、とても風情がある。気の毒ではあるけれど、会わなかったら残念であったろうと光源氏はお思いになる』。
さて、二人の間に情交はあったのでしょうか?」
中国人たちは、あちこちで「ない、ない」の声をあげている。
可曾春风一度?
《源氏物语》是日本引以为傲的古典小说。故事铺陈手法得宜,观察人生透彻入微,刻画文化视野广阔,以精巧的遣词用句造就了其卓越的表现力。一千年来,读者们不断发掘出文章的妙处,令其魅力延续至今。
我也深受其惠,有过好几次机会,赴国外讲授《源氏物语》。在“北京日本学研究中心”的古典研究会里,马上也要举办《源氏物语》的讲座。讲座全程日语,所以参加的中国人必须通晓日语,并且要对日本古典有一定了解。现在连日本人都对日本的古典敬而远之,我想当然地认为这样的人在北京应该为数不多。因此,主办者只是准备了一间中心内的小教室。
出乎意料的是,当天,光研究者就来了四十五人,再加上将来会成为研究者的相关研究生,小教室里顿时人满为患。我们马上换了一件大教室,开始了题为“源氏物语表现方法”的讲座。
“提到《源氏物语》,大家都知道是一部言情小说。因此,里面有很多恋爱场景的描写。而不可思议的是,亲密旖旎的场景却基本上没有出现过。那么,恋爱的场景是如何来描绘的呢?”
说着,我向大家展示一幅插画,画的是光源氏向人妻空蝉发起言语攻势场景。这幅画选自江户时代就流传于世的《绘本源氏物语》。格门幔帐间,衣冠楚楚的光源氏目光真挚,倾诉衷肠:“私心倾慕,已历多时。终觅此良机,始与卿一会,莫不是前世宿缘。”
“光源氏乃是一名绝世美男子。无论其身份地位,还是经济能力,都是超然的。有这样一名男子倾诉衷肠,空蝉会觉得飘飘然吗?空蝉是位聪明的女性,丈夫虽然是个地位低微的地方官,不过她却能安于现状,并且看穿了自己与光源氏之间,那不过是一夕之欢。因此,她对光源氏一直都是敬而远之的。那么,我接着往下阅读原文。我读完以后,请大家来判断一下,光源氏和人妻空蝉是否有过亲密接触,还是接下来会有。”
*此处原文摘录了《帚木》古文原版中的这段话。
“解释成现代日语。‘空蝉虽为人柔和,但面对光源氏的无理相迫,却表现得犹如弱竹一般。其杆虽细,却也不能信手摧折。光源氏的非礼强逼,让空蝉心中气苦,认为光源氏实在是恣意妄为。可她这般梨花带雨,偏又别具风情。光源氏未必出于本意,心中也有不忍,又觉若无此会,着实可惜。’那么,两人可曾春风一度呢。”
听讲的中国人当中,纷纷传出“没有,没有”的声音。
《绘本源氏物语》的《帚木》(左图)描绘的场景为光源氏,头中将等“雨夜品香”。右图来自《源氏香の図》(右上角的字是:源氏香の図,帚木),场景更贴近格门幔帐的描述。
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