#山下智久[超话]#BVLGARI “OCTO” 诞生十周年纪念 采访品牌大使山下智久
俳優・アーティストとして、新たな地平へと歩み続ける山下智久さん。進化を止めない美しき表現者の腕元を飾るのは、今年で誕生10周年のアニバーサリーイヤーを迎えるブルガリ「オクト」。研ぎ澄まされた互いの感性に導かれるまま、両者の個性が輝き出します。
INTERVIEW
オクトは洗練かつスマート。 スーツにも自然に馴染みます
こうして幾度となくカメラと対峙してきたのだろう。写し出された表情は美しく、蠱惑(こわく)的ですらある。だがそれでも写真家は、さらにその奥に秘めた人間の顔に迫る。「では次は自由演技で」。その言葉に触発され、表現者、山下智久が現れた。
「計算するというよりもむしろ無になる瞬間であり、スチール撮影は演技するときとは違う刺激がありますね」と山下さんは語る。その傍らにブルガリがある。
山下さんがブルガリに出会ったのは18歳の頃。大人への憧れと好奇心からアクセサリーを身に付けた。以来20年近く愛用し、昨年ブランドのアンバサダーにも就任した。
「若かった頃は少し背伸びしてみたかったし、いまは余裕と共に別の良さが滲み出てくるように感じます。ブルガリはそれぞれの世代によって良い味を出せるんですね。自分自身もそうでありたいし、身に付けることでそのヒントをもらっているような気がします」
その象徴が腕元を飾るオクトだ。
「洗練されていてスマートで、それこそどんな場面にも合います。撮影でスーツを着るときにも自然に馴染みますし。この時計はシルバーとブルーのコントラストが綺麗ですね」
エレガントな薄さにも関わらず、硬質なステンレススティールは強い意志を、ブルーの文字盤は躍動感を湛(たた)え、山下さんにふさわしい。そして誕生10周年を迎えたオクトコレクションと、アイドルから役者、アーティストへ、国内から海外を中心に活躍の場を広げる山下さんが歩んできたこの10年もどこか符合するのだ。
「不思議ですね。長かったような、あっという間だったような。でもやっぱり10年前と今の自分はかなり違うなって思います。それでもまだまだ学び足りない。そういう意味では次の10年をどういう風に進んでいこうかなって計画を立てているところです」
そんな山下さんにとって時間とは追うものだろうか。あるいは追われるもの?
「どちらも必要な気がします。でも慣れてしまい退屈な場所にいるとすごく早く感じるし、新しい環境は大変ではあってもいろいろな経験ができ、時間の流れとしてはゆっくり進むように感じます。それだけ有意義な時間を過ごすことでもあり、特に厳しい環境に身を置くことは大切なんでしょうね」
経験を重ねていく時間を腕元の時計が刻み続ける。だからこそ今まで手にしてきた時計はすべて思い出深い。
「これを買ったときはあんなことがあったとか、次はこんなモデルも欲しいとか。男にとって一つの、自分へのご褒美みたいなものだし、この先の時間を一緒に過ごすパートナーでもあるのでしょう」と微笑む。
仕事への向き合い方について「自分で運転するのが好き」という。
「昔、先輩にそう言われて。目的地に行くのに例えば新幹線に乗るのではなく、自分でコースを選び、寄り道するタイプだと。それも人それぞれだし、どれも間違いはありません。もし自分で運転するのに疲れたら、そのとき考えればいい。あくまでも自分のペースで1ミリでも前進したいですね」
愚直なまでの姿勢がその道を照らす。
俳優・アーティストとして、新たな地平へと歩み続ける山下智久さん。進化を止めない美しき表現者の腕元を飾るのは、今年で誕生10周年のアニバーサリーイヤーを迎えるブルガリ「オクト」。研ぎ澄まされた互いの感性に導かれるまま、両者の個性が輝き出します。
INTERVIEW
オクトは洗練かつスマート。 スーツにも自然に馴染みます
こうして幾度となくカメラと対峙してきたのだろう。写し出された表情は美しく、蠱惑(こわく)的ですらある。だがそれでも写真家は、さらにその奥に秘めた人間の顔に迫る。「では次は自由演技で」。その言葉に触発され、表現者、山下智久が現れた。
「計算するというよりもむしろ無になる瞬間であり、スチール撮影は演技するときとは違う刺激がありますね」と山下さんは語る。その傍らにブルガリがある。
山下さんがブルガリに出会ったのは18歳の頃。大人への憧れと好奇心からアクセサリーを身に付けた。以来20年近く愛用し、昨年ブランドのアンバサダーにも就任した。
「若かった頃は少し背伸びしてみたかったし、いまは余裕と共に別の良さが滲み出てくるように感じます。ブルガリはそれぞれの世代によって良い味を出せるんですね。自分自身もそうでありたいし、身に付けることでそのヒントをもらっているような気がします」
その象徴が腕元を飾るオクトだ。
「洗練されていてスマートで、それこそどんな場面にも合います。撮影でスーツを着るときにも自然に馴染みますし。この時計はシルバーとブルーのコントラストが綺麗ですね」
エレガントな薄さにも関わらず、硬質なステンレススティールは強い意志を、ブルーの文字盤は躍動感を湛(たた)え、山下さんにふさわしい。そして誕生10周年を迎えたオクトコレクションと、アイドルから役者、アーティストへ、国内から海外を中心に活躍の場を広げる山下さんが歩んできたこの10年もどこか符合するのだ。
「不思議ですね。長かったような、あっという間だったような。でもやっぱり10年前と今の自分はかなり違うなって思います。それでもまだまだ学び足りない。そういう意味では次の10年をどういう風に進んでいこうかなって計画を立てているところです」
そんな山下さんにとって時間とは追うものだろうか。あるいは追われるもの?
「どちらも必要な気がします。でも慣れてしまい退屈な場所にいるとすごく早く感じるし、新しい環境は大変ではあってもいろいろな経験ができ、時間の流れとしてはゆっくり進むように感じます。それだけ有意義な時間を過ごすことでもあり、特に厳しい環境に身を置くことは大切なんでしょうね」
経験を重ねていく時間を腕元の時計が刻み続ける。だからこそ今まで手にしてきた時計はすべて思い出深い。
「これを買ったときはあんなことがあったとか、次はこんなモデルも欲しいとか。男にとって一つの、自分へのご褒美みたいなものだし、この先の時間を一緒に過ごすパートナーでもあるのでしょう」と微笑む。
仕事への向き合い方について「自分で運転するのが好き」という。
「昔、先輩にそう言われて。目的地に行くのに例えば新幹線に乗るのではなく、自分でコースを選び、寄り道するタイプだと。それも人それぞれだし、どれも間違いはありません。もし自分で運転するのに疲れたら、そのとき考えればいい。あくまでも自分のペースで1ミリでも前進したいですね」
愚直なまでの姿勢がその道を照らす。
#历史那些事#【三国三大战役之一的夷陵之战到底有多重要】
历史上的夷陵之战,从公元221年7元持续到公元222年8月,以东吴大败蜀汉结局,是三国时期里刘备对东吴孙权发动的大规模战役,也是中国古代历史上有名的一次通过积极防御,化解敌军先天优势而最终取胜的成功战例,是影响三国时期历史进程的三大战役的最后一场。
这场战役的发生动机,是刘备为报东吴杀关羽之仇,公元219年,东吴孙权偷袭荆州,关羽被吕蒙所杀,荆州转归为东吴属地,至此,东吴和蜀汉结仇,公元221年,刘备在益州也即位做了皇帝,他便想到,要替关羽报仇,决定兴兵讨伐东吴。这个攻打东吴的动机,历史上也颇有争议,还有人认为不过是刘备想借替关羽报仇而重新夺取对蜀汉至为重要的荆州。
战役的双方投入兵力大致相同,蜀汉大军5万,由刘备亲率,东吴孙权指派新秀将领陆逊率军五万迎击,在战争还未打响之前,东吴孙权便派人求和,在共同敌人曹魏虎视眈眈之下,两方交战无异于鹬蚌相争,渔翁得利,可刘备铁了心要打,孙权只有积极备战迎敌。
在战争的前期,刘备率领的蜀军步步紧逼,已经驻扎到长江西岸,军心振奋,气势正盛,而东吴一方,陆逊通过观察蜀汉大军,认为此时不宜直接迎战,而应该先挫其锐气,等待时机再两军开战,这是陆逊判断精准,后期果不其然,等待蜀汉大军,军心涣散,战备松懈之时,火烧连营四百里,大败蜀军。而陆逊经此一战,名满天下,流传百世。蜀汉则是重伤元气,战役结束的第二年,刘备便归西了,可叹可叹。
夷陵之战双方兵力多少
夷陵之战是以蜀汉刘备攻打东吴孙权,最终蜀汉刘备大败的经典战例,为三国时期著名的三大战役之一,在官渡之战、赤壁之战之后,是一场以积极防御,以逸待劳,最后取得胜利的著名战役。
在双方的兵力投入上,真实的历史人数并没能经过演义的那样夸大,经后人考据,双方兵力相差不大,为了突显夷陵之战的反转效果,很多人夸张了蜀汉的兵力,说有20万之从,而东吴只有7万左右,从而显现夷陵之战,以少胜多的经典战例,可是,事实并不是如此,在后人的考证下,当时蜀汉刘备自已亲率了4万人的兵力,然后还联络了西南少数部族蛮夷,共一万人左右的兵力,合计才五万人左右,而东吴方面,也只有五万人左右,两军实力其实相差不大。
但是这场战役并不是人数起决定性作用的,作为主动攻击的一方,蜀军前期的军心振奋,来势汹汹,锐不可挡,这样的气势对速战速决类的战役很是受用,只可惜,东吴派出的陆逊,英明果断,通过分析敌我双方实力,结合当时的天时地利人和,并没有采取正面迎敌的策略。而是避其锋芒,诱敌深入,坚守不出,挫其锐气,在开始战争过了大半年后,双方才有交战。而到此时,蜀军已是长途跋涉,军心早已涣散,更可惜的是他们的将领刘备并没有陆逊一样的军事才能,败局已定,几乎全军覆灭。
夷陵之战刘备为何大败
夷陵之战是一场以积极防御成功扭转战局的著名战役,是三国时期的三大战役之一,此战过后,三国鼎立的平衡局面维持了数十年之久,而也为东吴和蜀汉后来联手灭魏做下了铺垫。经此一战,蜀汉的刘备元气大伤,经丞相诸葛亮领导休养生息五年之久才得已恢复,可见在这场战役中,刘备输的有多惨,败得有多重。
刘备以报东吴擒杀关羽之仇为名,亲率五万大军,挟威而来,军心振奋,气势热烈,信心满满,志在必得,战役的结果却是如此反转,可见刘备在这场战役中并没有占得天时,人和,地利的全面优势,首先,出师之名不正,以报兄弟之仇陷国家于战争中,这不是一个明君该有的胸怀,也许有人说,刘备不仅仅是报关羽被杀之仇,他是想借这个名,重新夺回荆州,因为荆州的地理位置对于蜀汉太过重要了,不管怎样,刘备出师之名不正,而且,面对刚刚称帝的蜀汉,百姓尚未安居乐业,国库尚未充实,这样的国内储备不足以支持打这样一场声势浩大,日旷持久的战役。
而且最重要的一点时,刘备没有听取大家的意义,在战争开始,赵云,诸葛亮都曾劝谏过刘备不要打这场战,可他们的晓之以情,动之以理,并没有打消刘备的念头,从一开始,群臣反对的战役就没有好的结局。而且在战役指挥上,刘备也算不上军事才能卓著,并犯了兵家大忌,让军中的营帐连绵四百理驻扎,这给东吴陆逊火烧连营,全灭蜀军提供了机会。
历史上的夷陵之战,从公元221年7元持续到公元222年8月,以东吴大败蜀汉结局,是三国时期里刘备对东吴孙权发动的大规模战役,也是中国古代历史上有名的一次通过积极防御,化解敌军先天优势而最终取胜的成功战例,是影响三国时期历史进程的三大战役的最后一场。
这场战役的发生动机,是刘备为报东吴杀关羽之仇,公元219年,东吴孙权偷袭荆州,关羽被吕蒙所杀,荆州转归为东吴属地,至此,东吴和蜀汉结仇,公元221年,刘备在益州也即位做了皇帝,他便想到,要替关羽报仇,决定兴兵讨伐东吴。这个攻打东吴的动机,历史上也颇有争议,还有人认为不过是刘备想借替关羽报仇而重新夺取对蜀汉至为重要的荆州。
战役的双方投入兵力大致相同,蜀汉大军5万,由刘备亲率,东吴孙权指派新秀将领陆逊率军五万迎击,在战争还未打响之前,东吴孙权便派人求和,在共同敌人曹魏虎视眈眈之下,两方交战无异于鹬蚌相争,渔翁得利,可刘备铁了心要打,孙权只有积极备战迎敌。
在战争的前期,刘备率领的蜀军步步紧逼,已经驻扎到长江西岸,军心振奋,气势正盛,而东吴一方,陆逊通过观察蜀汉大军,认为此时不宜直接迎战,而应该先挫其锐气,等待时机再两军开战,这是陆逊判断精准,后期果不其然,等待蜀汉大军,军心涣散,战备松懈之时,火烧连营四百里,大败蜀军。而陆逊经此一战,名满天下,流传百世。蜀汉则是重伤元气,战役结束的第二年,刘备便归西了,可叹可叹。
夷陵之战双方兵力多少
夷陵之战是以蜀汉刘备攻打东吴孙权,最终蜀汉刘备大败的经典战例,为三国时期著名的三大战役之一,在官渡之战、赤壁之战之后,是一场以积极防御,以逸待劳,最后取得胜利的著名战役。
在双方的兵力投入上,真实的历史人数并没能经过演义的那样夸大,经后人考据,双方兵力相差不大,为了突显夷陵之战的反转效果,很多人夸张了蜀汉的兵力,说有20万之从,而东吴只有7万左右,从而显现夷陵之战,以少胜多的经典战例,可是,事实并不是如此,在后人的考证下,当时蜀汉刘备自已亲率了4万人的兵力,然后还联络了西南少数部族蛮夷,共一万人左右的兵力,合计才五万人左右,而东吴方面,也只有五万人左右,两军实力其实相差不大。
但是这场战役并不是人数起决定性作用的,作为主动攻击的一方,蜀军前期的军心振奋,来势汹汹,锐不可挡,这样的气势对速战速决类的战役很是受用,只可惜,东吴派出的陆逊,英明果断,通过分析敌我双方实力,结合当时的天时地利人和,并没有采取正面迎敌的策略。而是避其锋芒,诱敌深入,坚守不出,挫其锐气,在开始战争过了大半年后,双方才有交战。而到此时,蜀军已是长途跋涉,军心早已涣散,更可惜的是他们的将领刘备并没有陆逊一样的军事才能,败局已定,几乎全军覆灭。
夷陵之战刘备为何大败
夷陵之战是一场以积极防御成功扭转战局的著名战役,是三国时期的三大战役之一,此战过后,三国鼎立的平衡局面维持了数十年之久,而也为东吴和蜀汉后来联手灭魏做下了铺垫。经此一战,蜀汉的刘备元气大伤,经丞相诸葛亮领导休养生息五年之久才得已恢复,可见在这场战役中,刘备输的有多惨,败得有多重。
刘备以报东吴擒杀关羽之仇为名,亲率五万大军,挟威而来,军心振奋,气势热烈,信心满满,志在必得,战役的结果却是如此反转,可见刘备在这场战役中并没有占得天时,人和,地利的全面优势,首先,出师之名不正,以报兄弟之仇陷国家于战争中,这不是一个明君该有的胸怀,也许有人说,刘备不仅仅是报关羽被杀之仇,他是想借这个名,重新夺回荆州,因为荆州的地理位置对于蜀汉太过重要了,不管怎样,刘备出师之名不正,而且,面对刚刚称帝的蜀汉,百姓尚未安居乐业,国库尚未充实,这样的国内储备不足以支持打这样一场声势浩大,日旷持久的战役。
而且最重要的一点时,刘备没有听取大家的意义,在战争开始,赵云,诸葛亮都曾劝谏过刘备不要打这场战,可他们的晓之以情,动之以理,并没有打消刘备的念头,从一开始,群臣反对的战役就没有好的结局。而且在战役指挥上,刘备也算不上军事才能卓著,并犯了兵家大忌,让军中的营帐连绵四百理驻扎,这给东吴陆逊火烧连营,全灭蜀军提供了机会。
麻黄附子细辛汤应用汇辑,太值得收藏了!
一治忿嚏不已。夫嚏之为病,多缘少阴受寒。麻黄附子细辛汤力能祛少阴之寒,故治之而愈。盖肾络通于鼻,嚏属肾,故知病在少阴也。
一治腰痛难于转侧。夫腰痛之症,原有数端。今见转侧难者,明是肾藏不温,阴寒滞于内也。麻黄附子细辛汤力能温经散寒,故治之而愈。
一治周身皮肤浮肿,内冷自重。夫周身浮肿,内冷身重者,盖以先天之阳衰于内,寒湿之邪,即生于内,故见身重内冷。寒湿太盛,则真气不藏,散于周身,无阳以运化,故又见浮肿。麻辛附子汤力能温肾扶阳,祛阴逐寒,故治之而愈。
一治头脑冷。夫脑为元神之府,清阳聚会之处,如何得冷。其所以致冷者,由命门火衰,真气不能上充。四逆汤力能扶先天真阳,真阳旺而气自上充,故治之而愈。
一治气喘痰鸣。夫气喘之症,举世皆谓肺寒。不知先天这一点真气衰,即不能镇纳浊阴之气,阴气上腾,渐干清道,故见痰喘。四逆汤力能温下焦之阳,故治之而愈。
一治耳肿皮色如常。夫耳肿之症,每多肝胆风火。今见皮色如常,明是阴气逆于上也。四逆汤力能扶阳祛阴,治之故愈。
一治舌黑唇焦,不渴,少神。夫舌黑唇焦之症,多困阳明胃火而作。果系阳明胃火,必现烦躁,口渴饮冷,二便闭塞等情。此则舌黑唇焦,其人并不口渴,却又少神,明是真阳衰极,不能薰腾津液于上。当知阳气缩一分,肌肉即枯一分。此舌黑唇焦所由来也。四逆汤力能回先天之阳,阳气一回,津液复升,焦枯立润,故治之而愈。
一治喉痛畏寒脚冷。按喉痛一症,原非一端。此则畏寒脚冷,明是少阴受寒,逼出真火浮于喉间,故喉痛而脚冷。四逆汤力能温少阴之气,逐在里之寒,故治之而愈。
一治喉痛,身大热,面赤目瞑,舌冷。夫喉痛,面赤身热,似是阳症,又见目瞑舌冷,却是阴盛隔阳于外之征。四逆汤力能祛逐阴寒,迎阳归舍,故治之而愈。
一治吐血困倦。夫吐血一症,总缘地气上腾,升降失职。人身气为阳,主升。血为阴,主降。今当升者不升,不当升者而反升,明明阴血太盛,上干清道。古人云:益火之源,以消阴翳。是教人补火以治水也。又云:壮水之主,以制阳光,是教人补水以治火也。四逆汤力能补火,故治之而愈。
一治齿缝流血。夫齿乃骨之余,本属肾,肾为水脏,先天之真阳寄焉,以统乎骨分中之血液。真阳不足,不能统摄血液,故见血出。四逆汤力能补肾中之阳,治之故愈。
一治朝食暮吐,完谷不化。夫饮食入胃,固以胃主。然运化之机,全在先天命门这一点真火,始能运化。真火一衰,即不能腐熟谷水,而成完谷不化,朝食暮吐者。暮为阴盛之候,阴气上僭,心肺之阳不能镇纳,故听其吐出也。四逆汤力能补命门下火,故治之而愈。
一治足心夜发热如焚,不渴,尿多。夫足心发热如焚,人皆谓阴之虚也。夫阴虚由于火旺。火旺之人,尿必短赤,口必饮冷,理势然也。今则不渴而尿多,明是下焦无阳,不能统束肾气,以致阴火沸腾,故见足心发热如焚也。四逆汤力能补火,火旺即能统束群阴,故治之而愈。此病予亲身患过,并治好多人,此法即是丙夺丁光之义也。知得丙夺丁光,便知得阳衰不能镇阴的旨归也。
一治面赤发热,汗出抽掣。夫面赤发热,汗出抽掣,近似中风,其实不是,务必仔细斟酌。如其人本体有阴象足征,即不可当作风热,须知面赤(赤原本作“亦”,据文义改。)发热者,阳越于外也。汗出抽掣者,阳亡于外,不能支持四维也。四逆汤力能回阳,阳回则诸症自己。
一治大便下血,气短少神。夫大便下血,固有虚实之分。此则气短少神,必是下焦之阳不足,不能统摄血液。四逆汤力能扶下焦之阳,阳旺则开阖有节,故治之而愈。
一治头摇,面白少神,夫头摇之症,人目之为风。而予于此症,察其人面白少神,如其为清阳不升,元气虚极,不能镇定也。四逆汤力能扶阳,真阳一旺,即能镇定上下四旁,故治之而愈。
一治背冷目瞑。夫背为阳中之阳,不宜寒冷。今又背冷而目瞑,明是先天真阳衰极,阴寒内生,阴盛则阳微,故目瞑而背冷也。四逆汤力能扶先天真阳,故治之而愈。
一治舌腰硬而青。夫舌肿一症,似乎心火旺极,不知舌仲而青,此乃阴寒太盛,逼出真火,欲从舌尖而出,故见肿硬青滑。四逆汤力能补火,祛逐阴寒,故治之而愈。
一治唇肿而赤,不渴。夫唇肿之症,近似胃火,胃火之肿,口必不大渴。今见病人唇肿而口并不渴,可知阴火出于脾间。四逆汤功专补阳,阳旺则阴火自消,故治之而愈。
一治鼻涕如注面白少神。夫鼻涕一症,原有外感、内伤之别。此则面白无神,明是真阳衰于上,不能统摄在上之律液。四逆汤力能扶坎中真阳,阳旺自能统纳,故治之而愈。
一治尿多。夫尿之多,由于下焦之火弱,不能收束故也。惟四逆汤力能补下焦之火,故治之而愈。
一治周身发起包块。皮色如常,夫周身发起包块,疑似风热阳邪,此则皮色如常,却是阴邪僭居阳位。四逆汤力能扶阳,阳旺则阴邪自伏,故治之而愈。
一治周身忽现红片如云,不热不渴。夫周身发现红云,人孰不谓风火郁热于皮肤。夫风火郁热之症,未有不发热而即作者,亦未有口不渴,而即谓之火者,此处便是认症机关。予每于此症,认作阳衰,阴居阳位,以四逆汤治之而愈。
一治发热谵语,无神不渴。夫发热谵语,世人皆谓热伏于心,神无所主也。不知阳症热伏于心,精神不衰,口渴冷饮,小便亦必短赤。此则无神不渴,明是真阳衰极。[眉批]在无神二字上定案。发热者,阳越于外也。谵语者,阴邪乘于心,神无所主也。不渴、无神,非邪火也。四逆汤力能回阳,阳回则神安,故治之而愈。
一治两目白晴青色。夫白轮属肺,金也。今见纯青(青原本作“责”,据文义改。),日无白色,是金气衰而肝木乘之也。妻乘于夫,是乾则不振,纯阴无阳之候。[眉批]坎中一点真金即真阳也,人活的即此。多在死例。四逆汤力扶坎中之金,金气一旺,目睛自然转变,故治之而愈。
一治两目赤雾缕缕,微胀不痛。夫目窠,乃五脏精华所聚之地,原着不得一毫客气。今见赤雾缕缕,疑是阳火为殃,不知阳邪痛甚、胀甚,此则微胀不痛,明是阳衰于上,不能镇纳下焦浊阴之气,地气上腾,故见此等目疾。四逆汤力能扶阳祛寒,阳光一照,阴火自灭,故治之而愈。
按:此方功用颇多。得其要者,一方可治数百种病。因病加减,其功用更为无穷。予每用此方,救好多人。人羡慕予为姜附先生,不知予非专用姜、附者也,只因病当服此。难道予不会写几个参、地、归、芍,芩、连、栀、柏之方乎?只因世风日下,不究病之阴阳,专究方药之平稳。不知水懦弱,民狎而玩之,多死焉。火猛烈,民望而畏之,鲜死焉。总之,水能生人,亦能死人;火能生人,亦能死人。予非爱姜、附,恶归、地,功夫全在阴阳上打算耳。学者苟能洞达阴阳之理,自然头头是道,又奚疑姜、附之不可用哉
麻黄附子细辛汤治疗头面部疾病
麻黄附子细辛汤见于张仲景《伤寒论·少阴篇》第301条,其文曰:“少阴病,始得之,反发热,脉沉者,麻黄附子细辛汤主之。”为少阴病兼表证而设,治“太少两感”症,功效卓著,为历代医家所重视并在实践中发展。清张秉成在《成方便读》论此方云:“方中附子以助少阴之阳,温阳救逆,细辛以散少阴之邪,祛风止痛,麻黄以达太阳之表,辛温发散,邪自表而入里者,仍由里而还表,此以表里相通,一理耳”。在临床实践中,治疗范围已不仅仅停留在原来的“少阴外感”的病机上,笔者在使用此方中发现许多头面部疾病用之效佳,特举几例如下:
1、喉舌痛并声哑
按:《张氏医通》云:“暴哑声不出,咽痛异常,卒然而起……此大寒犯肾也,麻黄附子细辛汤温之,并以蜜制附子嘎之,慎不可轻用寒凉之剂”。本病喉舌痛且喑哑难出,从部位看“少阴肾经,上行沿喉咙,挟于舌根两侧”寒邪凝滞少阴经脉,故咽喉舌俱疼而音哑声嘶,本当治寒以热,却用输液抗炎清热利咽等寒凉之品,更抑阳气,犯了虚虚实实之错。故取附子蒸腾阳气,麻黄、细辛发散寒邪,一鼓作气而逐寒外出,声哑得愈。
2、三叉神经痛
按:本病人平时就有小便清,四肢欠温,此为阳虚之体,而医者考虑其痛如灼,多从风热入手,屡用疏风清热,更易损伤阳气。又复淋雨而受寒,而鼻塞、目眩足证寒邪凝滞、清窍失养、痛极入脑,正如明代医家赵献可所言“有头痛连脑者,此系少阴伤寒,宜用麻黄附子细辛汤”。方中细辛“气清而不浊,故善降浊气而升清气,所以治头痛如神(清·陈士铎《本草新编》)”,内助附子,外助麻黄,以温阳散寒,另有全蝎、蜈蚣剔络搜邪,当归活血止痛,白芍、炙甘草酸甘化阴、缓急止痛,川芎行血中之气、通行十二经,故疗效卓著。
3、鼻病
按:《秘传证治要诀》曰:“清涕者,脑冷肺寒所致,宜乌、附、干姜之属”。《灵枢》云“肺气通于鼻”,肺在窍为鼻,且鼻为督脉所过之所,肺肾阳虚寒凝,在上则肺窍不利,鼻塞流涕,在下则会阴二窍不通,小便余沥,阳痿不举。故以附子、杜仲、菟丝子温通肾阳、填补肾精,麻黄、细辛、白芷、苍耳子、辛夷、葱白宣肺散寒、通窍启闭。
4、耳聋
按:肾开窍于耳,如寒邪太重,直中太少两经,肾中阳气为之闭阻,导致寒凝窍闭,肾气不能上通于耳,出现失聪。病人曾用生姜驱寒,仅有小效,故此寒邪非大剂姜附细辛不能除,故用重剂生姜辅助细辛麻黄以驱寒邪,更有附子温阳以推波助澜,达到治疗效果。
5、目盲、目暗
笔者临证用于治疗小儿肺系病证,每能应手取效,兹举验案如下。
(1)、过敏性鼻炎
(2)喉源性咳嗽
(3)支气管哮喘
麻黄附子细辛汤在《伤寒论》主治“少阴病,始得之,反发热,脉沉者。”临床上根据此条文用本方的情况很少,其实际运用要远远超出《伤寒论》中太少两感的范畴。方中的三味药都是温药,对全身多器官都有较好的兴奋作用。我在临床上运用麻黄附子细辛汤主要体现在以下三个方面。
一是以心动过缓为表现的心脏病,如房室传导阻滞、病态窦房结综合征等。此类疾病多见于病毒性心肌炎,病人除了心跳过慢,往往还伴有乏力、怕冷、疲倦感、思睡、没有精神等症状。脉搏也很沉弱无力,此时可以考虑使用麻黄附子细辛汤。麻黄附子细辛汤有较明显的提高心率的作用。麻黄可促使心跳加快,在10克左右可使心率每分钟提高5-10次。附子有强心作用。本方加红参、仙灵脾等有效。因此,可以认为麻黄附子细辛汤是天然的心脏起搏器。不过,临床应用,常配合肉桂、黄芪、甘草、干姜、红枣等。
二是治疗性功能低下。麻黄附子细辛汤对性神经也有一定的兴奋作用。麻黄可以兴奋盆底肌肉。我曾治疗一位中年阳萎患者,久治无效,因感冒服用麻黄附子细辛汤,3剂后感冒解,阳萎也随之好转,后用补肾养阴药,反无效,再用麻黄附子细辛汤,果又见效。可以认为,麻黄附子细辛汤即为中医的“伟哥”。这一发现对我治疗性功能低下又拓宽了思路。不过,这些性功能障碍患者大多是壮实的中年男子,如果体格瘦弱的白面书生,就要慎用了。
三是用于感冒、鼻炎、哮喘、急性腰扭伤、腰椎间盘突出、闭经、嗜睡、遗尿等。其患者的共同特征是面色黄暗,皮肤干燥,体格壮实,唇舌不红,无血压高、糖尿病,心肺肾等重要脏器无损害者。临床结合具体的疾病,可作以下加减。感冒合葛根汤;鼻炎合玉屏风散、桂枝汤;哮喘合小青龙汤;急性腰扭伤合芍药甘草汤;腰椎间盘突出合黄芪桂枝五物汤;闭经合阳和汤、温经汤;嗜睡合葛根汤;遗尿合五苓散。
提示:文中处方,请在专业中医指导下使用。
一治忿嚏不已。夫嚏之为病,多缘少阴受寒。麻黄附子细辛汤力能祛少阴之寒,故治之而愈。盖肾络通于鼻,嚏属肾,故知病在少阴也。
一治腰痛难于转侧。夫腰痛之症,原有数端。今见转侧难者,明是肾藏不温,阴寒滞于内也。麻黄附子细辛汤力能温经散寒,故治之而愈。
一治周身皮肤浮肿,内冷自重。夫周身浮肿,内冷身重者,盖以先天之阳衰于内,寒湿之邪,即生于内,故见身重内冷。寒湿太盛,则真气不藏,散于周身,无阳以运化,故又见浮肿。麻辛附子汤力能温肾扶阳,祛阴逐寒,故治之而愈。
一治头脑冷。夫脑为元神之府,清阳聚会之处,如何得冷。其所以致冷者,由命门火衰,真气不能上充。四逆汤力能扶先天真阳,真阳旺而气自上充,故治之而愈。
一治气喘痰鸣。夫气喘之症,举世皆谓肺寒。不知先天这一点真气衰,即不能镇纳浊阴之气,阴气上腾,渐干清道,故见痰喘。四逆汤力能温下焦之阳,故治之而愈。
一治耳肿皮色如常。夫耳肿之症,每多肝胆风火。今见皮色如常,明是阴气逆于上也。四逆汤力能扶阳祛阴,治之故愈。
一治舌黑唇焦,不渴,少神。夫舌黑唇焦之症,多困阳明胃火而作。果系阳明胃火,必现烦躁,口渴饮冷,二便闭塞等情。此则舌黑唇焦,其人并不口渴,却又少神,明是真阳衰极,不能薰腾津液于上。当知阳气缩一分,肌肉即枯一分。此舌黑唇焦所由来也。四逆汤力能回先天之阳,阳气一回,津液复升,焦枯立润,故治之而愈。
一治喉痛畏寒脚冷。按喉痛一症,原非一端。此则畏寒脚冷,明是少阴受寒,逼出真火浮于喉间,故喉痛而脚冷。四逆汤力能温少阴之气,逐在里之寒,故治之而愈。
一治喉痛,身大热,面赤目瞑,舌冷。夫喉痛,面赤身热,似是阳症,又见目瞑舌冷,却是阴盛隔阳于外之征。四逆汤力能祛逐阴寒,迎阳归舍,故治之而愈。
一治吐血困倦。夫吐血一症,总缘地气上腾,升降失职。人身气为阳,主升。血为阴,主降。今当升者不升,不当升者而反升,明明阴血太盛,上干清道。古人云:益火之源,以消阴翳。是教人补火以治水也。又云:壮水之主,以制阳光,是教人补水以治火也。四逆汤力能补火,故治之而愈。
一治齿缝流血。夫齿乃骨之余,本属肾,肾为水脏,先天之真阳寄焉,以统乎骨分中之血液。真阳不足,不能统摄血液,故见血出。四逆汤力能补肾中之阳,治之故愈。
一治朝食暮吐,完谷不化。夫饮食入胃,固以胃主。然运化之机,全在先天命门这一点真火,始能运化。真火一衰,即不能腐熟谷水,而成完谷不化,朝食暮吐者。暮为阴盛之候,阴气上僭,心肺之阳不能镇纳,故听其吐出也。四逆汤力能补命门下火,故治之而愈。
一治足心夜发热如焚,不渴,尿多。夫足心发热如焚,人皆谓阴之虚也。夫阴虚由于火旺。火旺之人,尿必短赤,口必饮冷,理势然也。今则不渴而尿多,明是下焦无阳,不能统束肾气,以致阴火沸腾,故见足心发热如焚也。四逆汤力能补火,火旺即能统束群阴,故治之而愈。此病予亲身患过,并治好多人,此法即是丙夺丁光之义也。知得丙夺丁光,便知得阳衰不能镇阴的旨归也。
一治面赤发热,汗出抽掣。夫面赤发热,汗出抽掣,近似中风,其实不是,务必仔细斟酌。如其人本体有阴象足征,即不可当作风热,须知面赤(赤原本作“亦”,据文义改。)发热者,阳越于外也。汗出抽掣者,阳亡于外,不能支持四维也。四逆汤力能回阳,阳回则诸症自己。
一治大便下血,气短少神。夫大便下血,固有虚实之分。此则气短少神,必是下焦之阳不足,不能统摄血液。四逆汤力能扶下焦之阳,阳旺则开阖有节,故治之而愈。
一治头摇,面白少神,夫头摇之症,人目之为风。而予于此症,察其人面白少神,如其为清阳不升,元气虚极,不能镇定也。四逆汤力能扶阳,真阳一旺,即能镇定上下四旁,故治之而愈。
一治背冷目瞑。夫背为阳中之阳,不宜寒冷。今又背冷而目瞑,明是先天真阳衰极,阴寒内生,阴盛则阳微,故目瞑而背冷也。四逆汤力能扶先天真阳,故治之而愈。
一治舌腰硬而青。夫舌肿一症,似乎心火旺极,不知舌仲而青,此乃阴寒太盛,逼出真火,欲从舌尖而出,故见肿硬青滑。四逆汤力能补火,祛逐阴寒,故治之而愈。
一治唇肿而赤,不渴。夫唇肿之症,近似胃火,胃火之肿,口必不大渴。今见病人唇肿而口并不渴,可知阴火出于脾间。四逆汤功专补阳,阳旺则阴火自消,故治之而愈。
一治鼻涕如注面白少神。夫鼻涕一症,原有外感、内伤之别。此则面白无神,明是真阳衰于上,不能统摄在上之律液。四逆汤力能扶坎中真阳,阳旺自能统纳,故治之而愈。
一治尿多。夫尿之多,由于下焦之火弱,不能收束故也。惟四逆汤力能补下焦之火,故治之而愈。
一治周身发起包块。皮色如常,夫周身发起包块,疑似风热阳邪,此则皮色如常,却是阴邪僭居阳位。四逆汤力能扶阳,阳旺则阴邪自伏,故治之而愈。
一治周身忽现红片如云,不热不渴。夫周身发现红云,人孰不谓风火郁热于皮肤。夫风火郁热之症,未有不发热而即作者,亦未有口不渴,而即谓之火者,此处便是认症机关。予每于此症,认作阳衰,阴居阳位,以四逆汤治之而愈。
一治发热谵语,无神不渴。夫发热谵语,世人皆谓热伏于心,神无所主也。不知阳症热伏于心,精神不衰,口渴冷饮,小便亦必短赤。此则无神不渴,明是真阳衰极。[眉批]在无神二字上定案。发热者,阳越于外也。谵语者,阴邪乘于心,神无所主也。不渴、无神,非邪火也。四逆汤力能回阳,阳回则神安,故治之而愈。
一治两目白晴青色。夫白轮属肺,金也。今见纯青(青原本作“责”,据文义改。),日无白色,是金气衰而肝木乘之也。妻乘于夫,是乾则不振,纯阴无阳之候。[眉批]坎中一点真金即真阳也,人活的即此。多在死例。四逆汤力扶坎中之金,金气一旺,目睛自然转变,故治之而愈。
一治两目赤雾缕缕,微胀不痛。夫目窠,乃五脏精华所聚之地,原着不得一毫客气。今见赤雾缕缕,疑是阳火为殃,不知阳邪痛甚、胀甚,此则微胀不痛,明是阳衰于上,不能镇纳下焦浊阴之气,地气上腾,故见此等目疾。四逆汤力能扶阳祛寒,阳光一照,阴火自灭,故治之而愈。
按:此方功用颇多。得其要者,一方可治数百种病。因病加减,其功用更为无穷。予每用此方,救好多人。人羡慕予为姜附先生,不知予非专用姜、附者也,只因病当服此。难道予不会写几个参、地、归、芍,芩、连、栀、柏之方乎?只因世风日下,不究病之阴阳,专究方药之平稳。不知水懦弱,民狎而玩之,多死焉。火猛烈,民望而畏之,鲜死焉。总之,水能生人,亦能死人;火能生人,亦能死人。予非爱姜、附,恶归、地,功夫全在阴阳上打算耳。学者苟能洞达阴阳之理,自然头头是道,又奚疑姜、附之不可用哉
麻黄附子细辛汤治疗头面部疾病
麻黄附子细辛汤见于张仲景《伤寒论·少阴篇》第301条,其文曰:“少阴病,始得之,反发热,脉沉者,麻黄附子细辛汤主之。”为少阴病兼表证而设,治“太少两感”症,功效卓著,为历代医家所重视并在实践中发展。清张秉成在《成方便读》论此方云:“方中附子以助少阴之阳,温阳救逆,细辛以散少阴之邪,祛风止痛,麻黄以达太阳之表,辛温发散,邪自表而入里者,仍由里而还表,此以表里相通,一理耳”。在临床实践中,治疗范围已不仅仅停留在原来的“少阴外感”的病机上,笔者在使用此方中发现许多头面部疾病用之效佳,特举几例如下:
1、喉舌痛并声哑
按:《张氏医通》云:“暴哑声不出,咽痛异常,卒然而起……此大寒犯肾也,麻黄附子细辛汤温之,并以蜜制附子嘎之,慎不可轻用寒凉之剂”。本病喉舌痛且喑哑难出,从部位看“少阴肾经,上行沿喉咙,挟于舌根两侧”寒邪凝滞少阴经脉,故咽喉舌俱疼而音哑声嘶,本当治寒以热,却用输液抗炎清热利咽等寒凉之品,更抑阳气,犯了虚虚实实之错。故取附子蒸腾阳气,麻黄、细辛发散寒邪,一鼓作气而逐寒外出,声哑得愈。
2、三叉神经痛
按:本病人平时就有小便清,四肢欠温,此为阳虚之体,而医者考虑其痛如灼,多从风热入手,屡用疏风清热,更易损伤阳气。又复淋雨而受寒,而鼻塞、目眩足证寒邪凝滞、清窍失养、痛极入脑,正如明代医家赵献可所言“有头痛连脑者,此系少阴伤寒,宜用麻黄附子细辛汤”。方中细辛“气清而不浊,故善降浊气而升清气,所以治头痛如神(清·陈士铎《本草新编》)”,内助附子,外助麻黄,以温阳散寒,另有全蝎、蜈蚣剔络搜邪,当归活血止痛,白芍、炙甘草酸甘化阴、缓急止痛,川芎行血中之气、通行十二经,故疗效卓著。
3、鼻病
按:《秘传证治要诀》曰:“清涕者,脑冷肺寒所致,宜乌、附、干姜之属”。《灵枢》云“肺气通于鼻”,肺在窍为鼻,且鼻为督脉所过之所,肺肾阳虚寒凝,在上则肺窍不利,鼻塞流涕,在下则会阴二窍不通,小便余沥,阳痿不举。故以附子、杜仲、菟丝子温通肾阳、填补肾精,麻黄、细辛、白芷、苍耳子、辛夷、葱白宣肺散寒、通窍启闭。
4、耳聋
按:肾开窍于耳,如寒邪太重,直中太少两经,肾中阳气为之闭阻,导致寒凝窍闭,肾气不能上通于耳,出现失聪。病人曾用生姜驱寒,仅有小效,故此寒邪非大剂姜附细辛不能除,故用重剂生姜辅助细辛麻黄以驱寒邪,更有附子温阳以推波助澜,达到治疗效果。
5、目盲、目暗
笔者临证用于治疗小儿肺系病证,每能应手取效,兹举验案如下。
(1)、过敏性鼻炎
(2)喉源性咳嗽
(3)支气管哮喘
麻黄附子细辛汤在《伤寒论》主治“少阴病,始得之,反发热,脉沉者。”临床上根据此条文用本方的情况很少,其实际运用要远远超出《伤寒论》中太少两感的范畴。方中的三味药都是温药,对全身多器官都有较好的兴奋作用。我在临床上运用麻黄附子细辛汤主要体现在以下三个方面。
一是以心动过缓为表现的心脏病,如房室传导阻滞、病态窦房结综合征等。此类疾病多见于病毒性心肌炎,病人除了心跳过慢,往往还伴有乏力、怕冷、疲倦感、思睡、没有精神等症状。脉搏也很沉弱无力,此时可以考虑使用麻黄附子细辛汤。麻黄附子细辛汤有较明显的提高心率的作用。麻黄可促使心跳加快,在10克左右可使心率每分钟提高5-10次。附子有强心作用。本方加红参、仙灵脾等有效。因此,可以认为麻黄附子细辛汤是天然的心脏起搏器。不过,临床应用,常配合肉桂、黄芪、甘草、干姜、红枣等。
二是治疗性功能低下。麻黄附子细辛汤对性神经也有一定的兴奋作用。麻黄可以兴奋盆底肌肉。我曾治疗一位中年阳萎患者,久治无效,因感冒服用麻黄附子细辛汤,3剂后感冒解,阳萎也随之好转,后用补肾养阴药,反无效,再用麻黄附子细辛汤,果又见效。可以认为,麻黄附子细辛汤即为中医的“伟哥”。这一发现对我治疗性功能低下又拓宽了思路。不过,这些性功能障碍患者大多是壮实的中年男子,如果体格瘦弱的白面书生,就要慎用了。
三是用于感冒、鼻炎、哮喘、急性腰扭伤、腰椎间盘突出、闭经、嗜睡、遗尿等。其患者的共同特征是面色黄暗,皮肤干燥,体格壮实,唇舌不红,无血压高、糖尿病,心肺肾等重要脏器无损害者。临床结合具体的疾病,可作以下加减。感冒合葛根汤;鼻炎合玉屏风散、桂枝汤;哮喘合小青龙汤;急性腰扭伤合芍药甘草汤;腰椎间盘突出合黄芪桂枝五物汤;闭经合阳和汤、温经汤;嗜睡合葛根汤;遗尿合五苓散。
提示:文中处方,请在专业中医指导下使用。
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