多部未華子主演 映画「空に住む」原作・小竹正人が伝えたかった「喪失感」
#往復書簡#
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡 特別編
10月23日に公開された「空に住む」は、青山真治監督が7年ぶりにメガホンを取った。両親をなくした喪失感から抜け出せない主人公の編集者・小早川直実(多部未華子)が叔父の計らいでタワマンの一室に住むところから物語は始まる。同じマンションに住むスター俳優・時戸森則(岩田剛典)との出会い、愛するネコの死……。原作『空に住む』(講談社)の著者・小竹正人が語る「映画版の魅力」。
――不思議な感じの映画ですね。都会のタワマンでの日々やスターとの出会いはどこか現実感が希薄で、勤務先は郊外の出版社だったりして、都会とそことの往来にも独特の浮遊感を抱きました。
小竹:多分原作がジメジメしすぎてて、それに哲学みたいなのを加えた結果でしょうか。青山監督はすごい哲学的な人で、セリフなどにきちんとそういった姿勢が注入されているように感じました。この映画、とても好きです。
――映画の好きなところは?
小竹:監督にとりあえず「猫のことだけは小説に近い感じで描いてください。あとはお任せします」って言って。出来上がったらその通りに原作通りの所が結構あったのと、遠回しに原作と結びつくみたいなところもたくさんありました。
映画の中で、直実は時戸のインタビュー本を完成させることで猫の死にけじめをつけるようなところがありますが、私の場合、原作を仕上げることで、同じように猫の死へのけじめをつけたところがあります。
あの原作は、書いていて本当に辛くて辛くて辛くてどうしようも無かったんですけど、全部書くからどうかみんなもうちの猫の死を悼んでください! そして私に同情もしてください! みたいな思いで、猫のことを細かく描写したところがありました。主人公と同じく、病気になった猫の世話を私も黙々とひとりきりでやっていたから尚更。
高橋洋さん演じる編集長や(タワマンのコンシェルジュ役の)柄本明さん、(ペット葬儀屋役の)永瀬(正敏)君たちのセリフがメソメソしておらず、芯があるなぁとも感じましたね。
いきなり高層マンションとかに住んじゃったりするから、あの小説をただのシンデレラ・ストーリーみたいに思う人が多い中で、彼らのセリフによって、その部分が軽減された気がします。
あと、映画を観ていて、私にとっては高層マンションでの出来事が現実で、郊外の出版社でのシーンがファンタジーな感じがしました。
わざとらしい芝居を一切しないんだなぁという印象
――青山監督とは?
小竹:私は昔、永瀬正敏君の現場付き人みたいなのを社会勉強としてやっていたことがあって、その時に永瀬君が出ていた映画の一本で助監督をやっていたのが青山監督でした。
すごく背が高くてロン毛で存在感がすごかったから、「スタッフっていうより映画俳優みたいな人だな」って思っていて、それから30年後に「空に住む」で再会したということですね。
それなりに今回、お話をしましたが、何を言っても自分の中に飲み込んで、「そうですか」って言うタイプの方で、ぽんぽん会話が弾んだことがあまりなかったです(笑)。
これは何かのインタビューで多部未華子さんも言っていたんだけど「監督がどういう人なのか未だに分かりません」って。それは私も同じ。
嫌な印象とかは一切なくて、「この人本当に、物事を達観した修行僧みたいなところあるな~」って思いながらぼそぼそと会話を交わす……みたいなことが多かったです。
――多部さんについては?
小竹:多部未華子さんの名前が挙がってきて、「多部未華子、ぴったりだな」って思って、実現したらいいなって思っていました。いわゆるキラキラ女子ではないから、彼女の持っている普通っぽくないけど普通ってところがぴったりだなと。
普通っぽいけど普通じゃない感じってことでもあるんだろうけど、そもそも多部未華子さんが30(歳)超えてるとか知らなくて。すごい昔から見ているから、学生の役をやっていた子っていう印象がずっとあって、でも「あれ、この子、原作の直実より年上なんだ」と改めて気づかされました。
「主役になったよ」っていうのを聞いてから、“多部未華子ウォッチャー”みたいになってここ数年の彼女の作品を色々見たら、わざとらしい芝居を一切しないんだなぁという印象を持ちましたね。どんどん魅了されていっちゃって
演者2人にオムライスを振る舞った過去について
――岩ちゃん(岩田剛典)はどうでした?
小竹:事務所の人に「時戸役に岩ちゃんは?」って言われて、「え、岩ちゃん?」って一瞬ポカンとなったんだけど、すぐに「そっかぴったりじゃん!」と思いまして。
「本当だ、灯台下暗し! こんな身近なところにいたよすごい候補が」と。で、本当に岩ちゃんがやってくれることになって、しかも名演してくれて。原作を書いていた頃には「岩ちゃん=時戸」みたいなのは1ミリも無かったのに、7、8年の時がそうさせたんだなと。
――映画の中で、おいしいオムライスを直実が時戸に作るシーンがありますね。
小竹:はい、私は料理が案外得意で、過去に永瀬君にも岩ちゃんにもオムライスを作ったことがあるんですね。
永瀬君は十代からの友達だから、私の作る昔ながらのオムライスが一番旨いって何十年も前から言ってくれていて。岩ちゃんは、「家飲み」みたいなのを何年か前に大勢でしたときに、酔っ払って私がふわとろデミグラオムライスを作ったら一口食べて「小竹さんこれやばいです」って真顔で言って。
オムライスをほめてくれた二人が出ている映画で、オムライスのシーンがあるというのは不思議だなあと(笑)。
あと、出版社代表の役をやっている岩下尚史さんっていう作家さんとか、愛子役をやった岸井ゆきのちゃんとか、作家役の大森南朋さんとか、柄本明さんとか。とても好きだった人たちが、私の知らないところで続々キャスティングされて。素直にものすごく嬉しかったです。
なんでコンシェルジュ役に柄本さんだったんだろう。たぶん永瀬君は私が原作を書いたってこともあって友情出演をしてくれたんだろうけど、他の人は「え、マジで?」っていう感じでした。岸井ゆきのちゃんはちょうど朝ドラをやってる時で。この子本当に何歳の設定の役でも見事に演じるなって思っていて。
あと岩下さんはバラエティで見ていて、この人すごい斜めにものを言うけど、めっちゃ知性的だよな、と憧れていたんです。完成披露舞台挨拶のときに、柄本さんと大森南朋さんはいらっしゃらなかったんだけど、他の主たるキャストの人は皆来ていて。ホントに良い方々で。鶴見辰吾さんは朗々かつ爽やかだし、美村里江さんは立ち居振る舞いがもう絶対的な才色兼備だったし、岩下さんは初対面なのに気さくに沢山面白い話をしてくださって。
2時間おきに家に帰って、注射器で薬飲ませたりとか
――原作者冥利に尽きる感じですね。
小竹:『空に住む』っていう小説が自分の中では恥ずかしいところがあって。これまでたくさん本を読んできて、そんな人が出す小説がこれかよと、自分で突っ込んじゃうところがいまだにあるんです。職業は作詞家なのに、たまに肩書きが作詞家・小説家となっているときがあり、それがもうめちゃくちゃ申し訳なくて。だから、ずっとどっかに「ごめんなさい」って気持ちがあったかもしれません。いまだにあるな(笑)。
――そこまでの内容じゃないと、自分で謙遜されているってことですね。
小竹:本当に書きたかったことって、猫の死のことだから。どんだけ辛い思いして看病して、死んだときにどんだけの喪失感だったのかを、私は口で言えないたちなので、どっかに書き残さないと人生変になっちゃうよなと思ったんです。
原作には書いてないけど、会食とかで飲んでたりしたときも、2時間おきに家に帰って、注射器で薬飲ませたりとか。薬打ったりとかしてて。申し訳ないけど、やっぱり誰かに頑張ったねって言ってほしかった。私自身、色んなことをすぐに諦めちゃうほうなのですが、「まあ、いっか」みたいに思えない数少ないものの1つでした。
これまで色んな事をものすごく上手にかわしてきたのに
――自分と向き合う、苦行みたいな感じだったってことですよね。
小竹:大袈裟に聞こえるけど本当にそうで。これまで色んな事をものすごく上手にかわしてきたつもりだったのに、(猫の病気については)「これは上手にかわせないぞ」と心底思って。
例えば、過去に親が拵えた莫大な金額の借金を抱えたことがあったんだけど、そういうのも頑張ってなんとなく乗り越えてこられたのに。猫のやつだけはどうにもできないんだ、どこの病院に連れて行っても結局治らないんだって。
猫がもうどんどん酷い状態になって、我が家に来て猫を見た人みなが「え!?」って言ったあとに言葉を探すみたいなリアクションが続きました。
顔の半分がゴリゴリの岩みたいになり、そこから血がいつもにじんでいる、片目だけ完全に白濁していて、普通の人が見たらホラーみたいな感じになって。私にとってはそれでも相変わらず可愛い存在でしたが。
しかも、自分以外のことをこんなに愛したことないなっていうのがその猫だったんです。人も含めてですね。きっと「猫飼っている人あるある」なんだけど。こんなに素の自分見せたことないなっていう人だったから。いや、人っていうか猫でしょってツッコミはあると思うんですが、ホントに亡くなったあの猫のことは、もう完全に人間だと思っていたんですよ。
どんどん体重が減って、抱っこするたびに、「ああ……」ってなっていくんですね。絶対死ぬんだっていう覚悟みたいなものは意外に早い段階ではしていました。だからもう、逃げらんないじゃんって腹は決まっていて。
そういった喪失感を、一番書きたかったんだなって今も本当に思います。
私と猫の実際の闘病生活を間近で見ていた妻夫木聡君が、映画の公開初日にわざわざ映画館に足を運んで、ちょっと泣きたくなるような感想をインスタにあげてくれていて、それを読んだときに、ああ『空に住む』を映画化してもらって、私はもっとしっかり地に足をつけてまだまだ頑張んないとなと、ホント、戒めてもらったような気持ちになりました。
原文链接https://t.cn/A6GI5hLV
#往復書簡#
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡 特別編
10月23日に公開された「空に住む」は、青山真治監督が7年ぶりにメガホンを取った。両親をなくした喪失感から抜け出せない主人公の編集者・小早川直実(多部未華子)が叔父の計らいでタワマンの一室に住むところから物語は始まる。同じマンションに住むスター俳優・時戸森則(岩田剛典)との出会い、愛するネコの死……。原作『空に住む』(講談社)の著者・小竹正人が語る「映画版の魅力」。
――不思議な感じの映画ですね。都会のタワマンでの日々やスターとの出会いはどこか現実感が希薄で、勤務先は郊外の出版社だったりして、都会とそことの往来にも独特の浮遊感を抱きました。
小竹:多分原作がジメジメしすぎてて、それに哲学みたいなのを加えた結果でしょうか。青山監督はすごい哲学的な人で、セリフなどにきちんとそういった姿勢が注入されているように感じました。この映画、とても好きです。
――映画の好きなところは?
小竹:監督にとりあえず「猫のことだけは小説に近い感じで描いてください。あとはお任せします」って言って。出来上がったらその通りに原作通りの所が結構あったのと、遠回しに原作と結びつくみたいなところもたくさんありました。
映画の中で、直実は時戸のインタビュー本を完成させることで猫の死にけじめをつけるようなところがありますが、私の場合、原作を仕上げることで、同じように猫の死へのけじめをつけたところがあります。
あの原作は、書いていて本当に辛くて辛くて辛くてどうしようも無かったんですけど、全部書くからどうかみんなもうちの猫の死を悼んでください! そして私に同情もしてください! みたいな思いで、猫のことを細かく描写したところがありました。主人公と同じく、病気になった猫の世話を私も黙々とひとりきりでやっていたから尚更。
高橋洋さん演じる編集長や(タワマンのコンシェルジュ役の)柄本明さん、(ペット葬儀屋役の)永瀬(正敏)君たちのセリフがメソメソしておらず、芯があるなぁとも感じましたね。
いきなり高層マンションとかに住んじゃったりするから、あの小説をただのシンデレラ・ストーリーみたいに思う人が多い中で、彼らのセリフによって、その部分が軽減された気がします。
あと、映画を観ていて、私にとっては高層マンションでの出来事が現実で、郊外の出版社でのシーンがファンタジーな感じがしました。
わざとらしい芝居を一切しないんだなぁという印象
――青山監督とは?
小竹:私は昔、永瀬正敏君の現場付き人みたいなのを社会勉強としてやっていたことがあって、その時に永瀬君が出ていた映画の一本で助監督をやっていたのが青山監督でした。
すごく背が高くてロン毛で存在感がすごかったから、「スタッフっていうより映画俳優みたいな人だな」って思っていて、それから30年後に「空に住む」で再会したということですね。
それなりに今回、お話をしましたが、何を言っても自分の中に飲み込んで、「そうですか」って言うタイプの方で、ぽんぽん会話が弾んだことがあまりなかったです(笑)。
これは何かのインタビューで多部未華子さんも言っていたんだけど「監督がどういう人なのか未だに分かりません」って。それは私も同じ。
嫌な印象とかは一切なくて、「この人本当に、物事を達観した修行僧みたいなところあるな~」って思いながらぼそぼそと会話を交わす……みたいなことが多かったです。
――多部さんについては?
小竹:多部未華子さんの名前が挙がってきて、「多部未華子、ぴったりだな」って思って、実現したらいいなって思っていました。いわゆるキラキラ女子ではないから、彼女の持っている普通っぽくないけど普通ってところがぴったりだなと。
普通っぽいけど普通じゃない感じってことでもあるんだろうけど、そもそも多部未華子さんが30(歳)超えてるとか知らなくて。すごい昔から見ているから、学生の役をやっていた子っていう印象がずっとあって、でも「あれ、この子、原作の直実より年上なんだ」と改めて気づかされました。
「主役になったよ」っていうのを聞いてから、“多部未華子ウォッチャー”みたいになってここ数年の彼女の作品を色々見たら、わざとらしい芝居を一切しないんだなぁという印象を持ちましたね。どんどん魅了されていっちゃって
演者2人にオムライスを振る舞った過去について
――岩ちゃん(岩田剛典)はどうでした?
小竹:事務所の人に「時戸役に岩ちゃんは?」って言われて、「え、岩ちゃん?」って一瞬ポカンとなったんだけど、すぐに「そっかぴったりじゃん!」と思いまして。
「本当だ、灯台下暗し! こんな身近なところにいたよすごい候補が」と。で、本当に岩ちゃんがやってくれることになって、しかも名演してくれて。原作を書いていた頃には「岩ちゃん=時戸」みたいなのは1ミリも無かったのに、7、8年の時がそうさせたんだなと。
――映画の中で、おいしいオムライスを直実が時戸に作るシーンがありますね。
小竹:はい、私は料理が案外得意で、過去に永瀬君にも岩ちゃんにもオムライスを作ったことがあるんですね。
永瀬君は十代からの友達だから、私の作る昔ながらのオムライスが一番旨いって何十年も前から言ってくれていて。岩ちゃんは、「家飲み」みたいなのを何年か前に大勢でしたときに、酔っ払って私がふわとろデミグラオムライスを作ったら一口食べて「小竹さんこれやばいです」って真顔で言って。
オムライスをほめてくれた二人が出ている映画で、オムライスのシーンがあるというのは不思議だなあと(笑)。
あと、出版社代表の役をやっている岩下尚史さんっていう作家さんとか、愛子役をやった岸井ゆきのちゃんとか、作家役の大森南朋さんとか、柄本明さんとか。とても好きだった人たちが、私の知らないところで続々キャスティングされて。素直にものすごく嬉しかったです。
なんでコンシェルジュ役に柄本さんだったんだろう。たぶん永瀬君は私が原作を書いたってこともあって友情出演をしてくれたんだろうけど、他の人は「え、マジで?」っていう感じでした。岸井ゆきのちゃんはちょうど朝ドラをやってる時で。この子本当に何歳の設定の役でも見事に演じるなって思っていて。
あと岩下さんはバラエティで見ていて、この人すごい斜めにものを言うけど、めっちゃ知性的だよな、と憧れていたんです。完成披露舞台挨拶のときに、柄本さんと大森南朋さんはいらっしゃらなかったんだけど、他の主たるキャストの人は皆来ていて。ホントに良い方々で。鶴見辰吾さんは朗々かつ爽やかだし、美村里江さんは立ち居振る舞いがもう絶対的な才色兼備だったし、岩下さんは初対面なのに気さくに沢山面白い話をしてくださって。
2時間おきに家に帰って、注射器で薬飲ませたりとか
――原作者冥利に尽きる感じですね。
小竹:『空に住む』っていう小説が自分の中では恥ずかしいところがあって。これまでたくさん本を読んできて、そんな人が出す小説がこれかよと、自分で突っ込んじゃうところがいまだにあるんです。職業は作詞家なのに、たまに肩書きが作詞家・小説家となっているときがあり、それがもうめちゃくちゃ申し訳なくて。だから、ずっとどっかに「ごめんなさい」って気持ちがあったかもしれません。いまだにあるな(笑)。
――そこまでの内容じゃないと、自分で謙遜されているってことですね。
小竹:本当に書きたかったことって、猫の死のことだから。どんだけ辛い思いして看病して、死んだときにどんだけの喪失感だったのかを、私は口で言えないたちなので、どっかに書き残さないと人生変になっちゃうよなと思ったんです。
原作には書いてないけど、会食とかで飲んでたりしたときも、2時間おきに家に帰って、注射器で薬飲ませたりとか。薬打ったりとかしてて。申し訳ないけど、やっぱり誰かに頑張ったねって言ってほしかった。私自身、色んなことをすぐに諦めちゃうほうなのですが、「まあ、いっか」みたいに思えない数少ないものの1つでした。
これまで色んな事をものすごく上手にかわしてきたのに
――自分と向き合う、苦行みたいな感じだったってことですよね。
小竹:大袈裟に聞こえるけど本当にそうで。これまで色んな事をものすごく上手にかわしてきたつもりだったのに、(猫の病気については)「これは上手にかわせないぞ」と心底思って。
例えば、過去に親が拵えた莫大な金額の借金を抱えたことがあったんだけど、そういうのも頑張ってなんとなく乗り越えてこられたのに。猫のやつだけはどうにもできないんだ、どこの病院に連れて行っても結局治らないんだって。
猫がもうどんどん酷い状態になって、我が家に来て猫を見た人みなが「え!?」って言ったあとに言葉を探すみたいなリアクションが続きました。
顔の半分がゴリゴリの岩みたいになり、そこから血がいつもにじんでいる、片目だけ完全に白濁していて、普通の人が見たらホラーみたいな感じになって。私にとってはそれでも相変わらず可愛い存在でしたが。
しかも、自分以外のことをこんなに愛したことないなっていうのがその猫だったんです。人も含めてですね。きっと「猫飼っている人あるある」なんだけど。こんなに素の自分見せたことないなっていう人だったから。いや、人っていうか猫でしょってツッコミはあると思うんですが、ホントに亡くなったあの猫のことは、もう完全に人間だと思っていたんですよ。
どんどん体重が減って、抱っこするたびに、「ああ……」ってなっていくんですね。絶対死ぬんだっていう覚悟みたいなものは意外に早い段階ではしていました。だからもう、逃げらんないじゃんって腹は決まっていて。
そういった喪失感を、一番書きたかったんだなって今も本当に思います。
私と猫の実際の闘病生活を間近で見ていた妻夫木聡君が、映画の公開初日にわざわざ映画館に足を運んで、ちょっと泣きたくなるような感想をインスタにあげてくれていて、それを読んだときに、ああ『空に住む』を映画化してもらって、私はもっとしっかり地に足をつけてまだまだ頑張んないとなと、ホント、戒めてもらったような気持ちになりました。
原文链接https://t.cn/A6GI5hLV
#往復書簡#
片寄涼太少年と母親に遭遇したときのこと
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡14
まだ高校生だった片寄と出会った作詞家は、三軒茶屋の和食屋でのシーンを振り返る。あるいは、行きつけの美容院で偶然、片寄と片寄の母親に会ったことも思い出す。片寄は前回のメッセージで、「苦しくて、何もかも上手くいかなくて」と当時のことを綴っていたのだが……。
拝啓 片寄涼太様
少年は、沢山のヴォーカリスト候補生の中で最年少だった。一堂が会した食事会の席で、他の面々が酒を酌み交わす中、一人だけジンジャーエールを持って、どこか大人たちに怯えるような面持ちでときどき弱々しく笑っていた。その場にいることが不自然なくらい脆くて未熟な笑顔だった。
まだ高校生だった少年と初めて二人きりで食事へ行ったのは、私の行きつけの店でも事務所の近くの店でもなく、当時少年が暮らしていた町から一番近い繁華街・三軒茶屋だった。通りすがりに選んだ和食屋で一緒に鍋をつつきながら初めて一対一で色んな話をした。寡黙であどけない、そんな印象を持っていた少年は案外饒舌で、高校生とは思えないくらい瞬時に明確にこちらの言葉を理解したので私は驚いた。そして、彼が日々悩みながらも夢と現実と期待と不安をその華奢な背中で背負い始めていることを知った。
食事を終えて、改札を通る直前に私に「ありがとうございました! ごちそうさまでした!」と礼儀正しく言い、少年は二両編成のレトロな電車に吸い込まれて行った。
行きつけの美容院で偶然、少年と少年の母親に会った。
妙に恥ずかしがっている少年の隣、母親は柔らかい物腰と緊張した笑顔で私に「いつも本当にお世話になっています。小竹さんのお話は涼太からよく聞いています」と言い、「これからもよろしくお願いします」と真摯に私に頭を下げた。少年は両親からきちんと育てられてきたのだなと直感した私は、少年が十代のうちは私が東京での親代わりになろうと勝手に心に誓った。
少年が初めて本格的な一人暮らしをする際、「私が住んでいる町はとても住みやすい」と呟いたら、少年は自分で不動産屋を回り、私のマンションからすぐの物件を探し、そこに住むことを決めた。築浅のその建物は狭いながらも快適そうな造りで、部屋の中は十代の少年らしさがありつつも小ぎれいに整頓されていた。
少年がそこに住んでいる間は、近場でたびたび夕飯を共にした。居心地がよかったあの店は、数年前になくなってしまった。
少年の二十歳の誕生日、何人かの仲間と共にカウントダウンをして、零時を回るや否や、初めての乾杯をした。少年は顔を真っ赤にしながら嬉しそうに笑っていた。
少年はやがて私の住む街から引っ越して行った。
どんどん忙しくなり、果敢なチャレンジを繰り返し、次から次へと襲ってくる苦悩を乗り越えながら、少年は先日二十六歳になった。
そう、少年はすでにもう少年ではなくなった。
頻度は減ったが、三軒茶屋から始まった私たちの「差し飯」は途絶えることがなかった。私は彼との食事の場に、「よく行く店」ではなく、他の後輩たちをあまり連れて行ったことのない「私のとっておきの隠れ家」のような店を選ぶようになっていた。
いつの間にか彼は、私より酒が強くなり、私よりファッションやアートに精通し、私よりずっと社会性を持ち始めた。
私たちは歴史があるがゆえに「鎧のない言葉と感情」を見せ合える仲になったのだと思う。大人と子供の差し飯ではなく、大人と大人の差し飯をできる仲に。
私と彼は今、「往復書簡」という形でエッセイの連載をしている。大人になった少年は、昔はため込んでいた感情を私以外の人にも吐露できるようになっているし、連載開始から間もないのにどんどん文章力を身に着け、こちらがたじろいでしまうような鋭い言葉や見解を私に投げかけてくる。
二年前、その少年が属するグループに、私は「少年」という歌詞を書いた。その歌詞の中に、
「あの日の少年 今の僕を見て 何を思う? どんなこと思う?」
という一節がある。
あの日の少年、つまり君は、十代の自分を振り返って「苦しくて、何もかも上手くいかなくて」と前回の往復書簡の中で言っている。では、現在の自分を客観的に見て何を思う?
小竹正人
p1 10月23日公開の映画『空に住む』(原作は私の小説です)主演の多部未華子さん。清流みたいな美しさに見惚れてしまう。私は昔から彼女の、わざとらしくないのに芯のある芝居の大ファンです。完成披露舞台挨拶の際、「大好きです!」と告げたら、ほのかに笑ってくれました
p2 以前、某人気グループ『G』のヴォーカル・K寄R太氏(26)が我が家に遊びに来た際、楽しそうにワインを飲んで(ほぼ1人で)、楽しそうに喋って、楽しそうに帰っていきました。実はよく笑う明るい男。またのご来訪お待ちしております。
原文链接https://t.cn/A6br4U4c
片寄涼太少年と母親に遭遇したときのこと
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡14
まだ高校生だった片寄と出会った作詞家は、三軒茶屋の和食屋でのシーンを振り返る。あるいは、行きつけの美容院で偶然、片寄と片寄の母親に会ったことも思い出す。片寄は前回のメッセージで、「苦しくて、何もかも上手くいかなくて」と当時のことを綴っていたのだが……。
拝啓 片寄涼太様
少年は、沢山のヴォーカリスト候補生の中で最年少だった。一堂が会した食事会の席で、他の面々が酒を酌み交わす中、一人だけジンジャーエールを持って、どこか大人たちに怯えるような面持ちでときどき弱々しく笑っていた。その場にいることが不自然なくらい脆くて未熟な笑顔だった。
まだ高校生だった少年と初めて二人きりで食事へ行ったのは、私の行きつけの店でも事務所の近くの店でもなく、当時少年が暮らしていた町から一番近い繁華街・三軒茶屋だった。通りすがりに選んだ和食屋で一緒に鍋をつつきながら初めて一対一で色んな話をした。寡黙であどけない、そんな印象を持っていた少年は案外饒舌で、高校生とは思えないくらい瞬時に明確にこちらの言葉を理解したので私は驚いた。そして、彼が日々悩みながらも夢と現実と期待と不安をその華奢な背中で背負い始めていることを知った。
食事を終えて、改札を通る直前に私に「ありがとうございました! ごちそうさまでした!」と礼儀正しく言い、少年は二両編成のレトロな電車に吸い込まれて行った。
行きつけの美容院で偶然、少年と少年の母親に会った。
妙に恥ずかしがっている少年の隣、母親は柔らかい物腰と緊張した笑顔で私に「いつも本当にお世話になっています。小竹さんのお話は涼太からよく聞いています」と言い、「これからもよろしくお願いします」と真摯に私に頭を下げた。少年は両親からきちんと育てられてきたのだなと直感した私は、少年が十代のうちは私が東京での親代わりになろうと勝手に心に誓った。
少年が初めて本格的な一人暮らしをする際、「私が住んでいる町はとても住みやすい」と呟いたら、少年は自分で不動産屋を回り、私のマンションからすぐの物件を探し、そこに住むことを決めた。築浅のその建物は狭いながらも快適そうな造りで、部屋の中は十代の少年らしさがありつつも小ぎれいに整頓されていた。
少年がそこに住んでいる間は、近場でたびたび夕飯を共にした。居心地がよかったあの店は、数年前になくなってしまった。
少年の二十歳の誕生日、何人かの仲間と共にカウントダウンをして、零時を回るや否や、初めての乾杯をした。少年は顔を真っ赤にしながら嬉しそうに笑っていた。
少年はやがて私の住む街から引っ越して行った。
どんどん忙しくなり、果敢なチャレンジを繰り返し、次から次へと襲ってくる苦悩を乗り越えながら、少年は先日二十六歳になった。
そう、少年はすでにもう少年ではなくなった。
頻度は減ったが、三軒茶屋から始まった私たちの「差し飯」は途絶えることがなかった。私は彼との食事の場に、「よく行く店」ではなく、他の後輩たちをあまり連れて行ったことのない「私のとっておきの隠れ家」のような店を選ぶようになっていた。
いつの間にか彼は、私より酒が強くなり、私よりファッションやアートに精通し、私よりずっと社会性を持ち始めた。
私たちは歴史があるがゆえに「鎧のない言葉と感情」を見せ合える仲になったのだと思う。大人と子供の差し飯ではなく、大人と大人の差し飯をできる仲に。
私と彼は今、「往復書簡」という形でエッセイの連載をしている。大人になった少年は、昔はため込んでいた感情を私以外の人にも吐露できるようになっているし、連載開始から間もないのにどんどん文章力を身に着け、こちらがたじろいでしまうような鋭い言葉や見解を私に投げかけてくる。
二年前、その少年が属するグループに、私は「少年」という歌詞を書いた。その歌詞の中に、
「あの日の少年 今の僕を見て 何を思う? どんなこと思う?」
という一節がある。
あの日の少年、つまり君は、十代の自分を振り返って「苦しくて、何もかも上手くいかなくて」と前回の往復書簡の中で言っている。では、現在の自分を客観的に見て何を思う?
小竹正人
p1 10月23日公開の映画『空に住む』(原作は私の小説です)主演の多部未華子さん。清流みたいな美しさに見惚れてしまう。私は昔から彼女の、わざとらしくないのに芯のある芝居の大ファンです。完成披露舞台挨拶の際、「大好きです!」と告げたら、ほのかに笑ってくれました
p2 以前、某人気グループ『G』のヴォーカル・K寄R太氏(26)が我が家に遊びに来た際、楽しそうにワインを飲んで(ほぼ1人で)、楽しそうに喋って、楽しそうに帰っていきました。実はよく笑う明るい男。またのご来訪お待ちしております。
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It’s your birthday 這是你們生日
毎日が誰かのbirthday 每天都有人過生日
ひとりひとり その命を 讃えながら今日を祝いたい 我想慶祝今天 同時讚美敬畏 你們每一個人的生命
そして君と 一緒に歌おう 然後和你 一起唱歌
いつだって そう 總是如此 是的
其實已經看完了好幾天,但是我還是很激動!!!一開始就是被OP歌詞吸引了才想看,以為是個歌頌生命的故事,結果是一個有關大雄跟小Q一起「成長」的故事。
真的很好看,這次劇場版沒有壞人,看到小Q跟小繆出生的劇情時激動到想哭。生命是多麼的奇妙,一開始就是被主題曲那句"每一天都是某人的生日"吸引了才期待的!雖然每次劇場版都是大雄相信一些不可能發生的事才會有之後的劇情,但是這種的大雄不就是我們漸漸變成大人失去的事情嗎... 所以我很興幸我還能被大雄感動,謝謝你大雄!!
毎日が誰かのbirthday 每天都有人過生日
ひとりひとり その命を 讃えながら今日を祝いたい 我想慶祝今天 同時讚美敬畏 你們每一個人的生命
そして君と 一緒に歌おう 然後和你 一起唱歌
いつだって そう 總是如此 是的
其實已經看完了好幾天,但是我還是很激動!!!一開始就是被OP歌詞吸引了才想看,以為是個歌頌生命的故事,結果是一個有關大雄跟小Q一起「成長」的故事。
真的很好看,這次劇場版沒有壞人,看到小Q跟小繆出生的劇情時激動到想哭。生命是多麼的奇妙,一開始就是被主題曲那句"每一天都是某人的生日"吸引了才期待的!雖然每次劇場版都是大雄相信一些不可能發生的事才會有之後的劇情,但是這種的大雄不就是我們漸漸變成大人失去的事情嗎... 所以我很興幸我還能被大雄感動,謝謝你大雄!!
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