【日本の昔話】
夢見小僧
むかしむかし、あるところに金持ちの旦那がいました。
正月の二日に、小僧たちを集めて尋ねました。
「どんな初夢を見たか、ひとつ聞かせておくれ」
そこで一人ずつ話しましたが、一番ちびの小僧だけは、断りました。
「あんまりいい夢だから、人には聞かせられねえ」
むかしからいい初夢は、人に聞かせてはいけないと言われています。
「よし、じゃ、その夢を買おう。百文、二百文。・・・えい、一両ならどうだ」
「いやです」
小僧が断るので、旦那はカンカンに怒って、
「えいっ、こんな強情なやつは、海に流してしまえ!」と、怒鳴りつけました。
「これでも食って、どこへと行くがいい!」
小僧は、こな餅といっしょに、小舟に乗せられてしまいました。
小舟は風吹くままに、ユラユラ流れて沖へ出ました。
広い広い海を、どこまでも行きました。
すると、島が見えてきました。
島にあがると、たくさんのサルたちが小僧を見つけてやってきました。「ウキッ、うまそうな人間だぞ」
サルたちが歯をむき出して、押し寄せてきました。
ビックリした小僧は、こな餅を千切っては投げ、千切っては投げ、サルが拾って食ベるまに、やっとのことで逃げ出しました。
サルの島を後にして、小舟は波のまま、風のまま、海を流れていきました。
ズンズンいくと、また島が見えました。
近寄ると赤鬼、青鬼、おおぜいの鬼たちが、小僧を取り囲みました。「おう、うまそうな人間だぞ」
「頭から食おうか、足から食おうか」
小僧は、またこな餅を投げましたが、鬼たちは見向きもせず、小僧に掴みかかりました。
「おらを食うのは、ちっと待てやーい!」
小僧は叫びました。
「その変わり、旦那にさえ教えなかった初夢を教えてやる。凄い初夢だぞ」「よーし」と、鬼たちは答えました。
「そんなら、とっとと話せ」「話してやるが、鬼どん、お前たちは、おらになにをくれる?」
そこで鬼たちは、りっぱな車を引いてきました。
「千里万里(せんりまんり)の車といって、わしらの宝だ。鉄棒で一つ叩けば千里(四千キロ)、二つ叩けば万里いくぞ。これでどうだ」
小僧がわざと渋い顔をして見せると、今度は二本の針を持ってきました。
「この針で刺すと、元気なやつもすぐに死んでしまう。だが、死にそうなやつを刺すと元気になる。この宝もやろう」
「よし、いいだろう」
小僧は針を受け取ると、車にヒョイと飛び乗って、鉄棒で一打ちしました。
車はピューンと走りだし、後に残った鬼たちは、涙を零して悔しがりました。
車は空をひとっ飛びして、おりた所は広い田んぼです。
小僧はも一つ、車を鉄棒で打ちました。
すると、大きな橋の下に出ました。
そこで車を下りて、近くの茶店に入りました。 茶店で餅を食べていると、隣の屋敷の門から、おおぜいの人が出たり入ったりしています。
「隣じゃ、なにか変わったことでもあるのかね?」
小僧が茶店の人に尋ねると。
「へえ、なんでも、一人娘のおじょうさんが病気で、今にも死にそうだということですだ」
小僧は早速、隣の屋敷へ行きました。
「オホン。わたしが、娘さんの病気を治してあげよう」
小僧が娘さんにチクリと針を刺すと、娘さんはたちまち元気になりました。
それを見て、家中大喜びです。
「お前さまは娘の命の恩人です。どうか、うちの息子になってくだされ」
屋敷の旦那がたのみました。
「ああ、いいよ」
それから小僧が、毎日ご馳走を食ベて楽しく暮らしていると、川向こうの金持ちの家でも娘が病気になり、ぜひ、治してくれと頼んできました。
小僧はまた、針を刺して娘さんを元気にしてやりました。
その家でも大喜びです。
「娘の命の恩人ですだ。どうか、うちの息子になってくだされ」と、頼みました。
「それでも、おらの体は一つだもの。二軒の息子にゃ、なれねえ」
すると金持ちの旦那は、二軒の家の間の川に、金の橋をかけてくれました。
そこで小僧は、お日さまの光で虹のようにかがやく橋を渡って、1ヶ月の半分をこちら側、後の半分を川向こうの家で過ごすことになりました。
小僧の見た初夢とは、二人の娘の間にかかる虹のような金の橋を、渡る夢だったのです。
#年轻人婚检积极性为啥不高##上海迪士尼##全民书法秀#
做梦的小伙计
从前,某处有一个有钱的老爷。
正月初二,他把小伙计都集合起来问道:
“新年之后大家都做了什么梦?告诉我。”
每个人都讲了自己做的梦,只有最小的伙计拒绝告诉他。
小伙计说:“我做的梦太好了,不能告诉别人!”
从前的人认为,新年后的第一个梦如果是好梦,不能告诉人。
“好吧,那么,我买你的梦如何?我给你100文(约3000日元),不行?200文呢?唉,给你1两(约70000日元)的话,怎么样?”
“不行!”小伙计还是拒绝说。
老爷大发雷霆,吼道:
“哎,你这么顽固,真该给你放逐到海里!”
“这个给你吃,你愿意去哪就去哪!”
小伙计被迫带着こなもち粉糕坐上了小船。
小船任由风吹着,晃晃悠悠地飘到了海面。
小船在宽阔的海面到处漂流。
终于,看到了一个岛屿。
小伙计上了岛,很多猴子看到他朝他跑了过来。
“吱吱,好像是一个很好吃的人啊!”
猴子们露出牙齿,蜂拥了过来。
小伙计吃了一惊,不断的撕碎粉糕扔给猴子,趁猴子拣粉糕块儿吃的时候,好不容易逃了出来。
离开了猴子岛屿,小船随风顺浪,在海上漂流。
船飞快的飘行之间,又看到了小岛。
一挨近岛屿,有很多红鬼、蓝鬼还有其他很多鬼把小伙计团团围住了。
“哇,好像是很好吃的人啊!”
“是从头开始吃呢?还是从脚开始吃呢?”
小伙计再次把粉糕扔出去,谁知鬼连理都不理,一起上前扭住了小伙计。
“等一等再吃我啊!”小伙计喊道。
“作为交换,我把连主人都没有告诉的新年的第一个梦告诉你们。这个梦可真非同寻常!”
“好啊。”群鬼回答道。
“那样的话,你快说!”
“说给你们听可以,(作为交换)你们给我什么呢?”
于是,群鬼拉来一辆漂亮的车。
“这车叫‘千里万里车’,是我们的宝贝。用铁棒敲一下,能跑一千里(约4000公里),敲两下,能跑一万里。用它和你交换如何?”
小伙计故意绷着脸表示不同意,鬼又拿出了两根针。
“健康的人被这个针一刺立刻就会死掉,但用这个针一扎濒临死亡的人,他就会恢复健康,我们把这个宝贝也给你吧。”
“好吧,我同意了。”
小伙计接过针,突然跳上了车,用铁棒一击。
车立刻迅速地跑走了,留在那里的群鬼,只好懊悔地掉眼泪。
车在空中只飞了一下,到达了广袤的田野。
小伙计又用铁棒打了一下车。
这次,车到了一座大桥下。
小伙计下了车,走进了附近的一家茶馆。
在茶馆吃年糕的时候,可以看到隔壁住宅的门有很多人进进出出。
小伙计问茶馆的人:
“隔壁发生了什么事情么?”
茶馆的人回答说:“是啊,据说他家的独生女生病了,好像要不行了。”
小伙计赶快去了隔壁的家里。
“哦,我来治疗您女儿的病吧。”
小伙计用针扎了一下姑娘,姑娘的病立刻好了。
见此,姑娘家里的人都非常高兴。主人求他说:
“您是我女儿的恩人,请一定做我家的儿子(女婿)。”
小伙计同意了,这样他每天吃着美味佳肴,过着快乐的日子。有一天,河对面的财主家的女儿也病了,再三恳求他去给治病。
小伙计又用针一扎,使姑娘恢复了健康。
这家人也非常高兴。也求他说:
“您是我女儿的救命恩人,请一定做我的儿子(女婿)。”
“可是,我的身体只有一个,不能做两家人的儿子啊。”
于是,财主□在两家之间的河上架了一座金桥。
这样,小伙计每半个月到河这边,另半个月到河那边。过桥的时候,金桥被太阳光一照耀,像彩虹一样熠熠发光。
小伙计新年梦到的第一个梦就是在两个姑娘之间架起的金桥上往返。
夢見小僧
むかしむかし、あるところに金持ちの旦那がいました。
正月の二日に、小僧たちを集めて尋ねました。
「どんな初夢を見たか、ひとつ聞かせておくれ」
そこで一人ずつ話しましたが、一番ちびの小僧だけは、断りました。
「あんまりいい夢だから、人には聞かせられねえ」
むかしからいい初夢は、人に聞かせてはいけないと言われています。
「よし、じゃ、その夢を買おう。百文、二百文。・・・えい、一両ならどうだ」
「いやです」
小僧が断るので、旦那はカンカンに怒って、
「えいっ、こんな強情なやつは、海に流してしまえ!」と、怒鳴りつけました。
「これでも食って、どこへと行くがいい!」
小僧は、こな餅といっしょに、小舟に乗せられてしまいました。
小舟は風吹くままに、ユラユラ流れて沖へ出ました。
広い広い海を、どこまでも行きました。
すると、島が見えてきました。
島にあがると、たくさんのサルたちが小僧を見つけてやってきました。「ウキッ、うまそうな人間だぞ」
サルたちが歯をむき出して、押し寄せてきました。
ビックリした小僧は、こな餅を千切っては投げ、千切っては投げ、サルが拾って食ベるまに、やっとのことで逃げ出しました。
サルの島を後にして、小舟は波のまま、風のまま、海を流れていきました。
ズンズンいくと、また島が見えました。
近寄ると赤鬼、青鬼、おおぜいの鬼たちが、小僧を取り囲みました。「おう、うまそうな人間だぞ」
「頭から食おうか、足から食おうか」
小僧は、またこな餅を投げましたが、鬼たちは見向きもせず、小僧に掴みかかりました。
「おらを食うのは、ちっと待てやーい!」
小僧は叫びました。
「その変わり、旦那にさえ教えなかった初夢を教えてやる。凄い初夢だぞ」「よーし」と、鬼たちは答えました。
「そんなら、とっとと話せ」「話してやるが、鬼どん、お前たちは、おらになにをくれる?」
そこで鬼たちは、りっぱな車を引いてきました。
「千里万里(せんりまんり)の車といって、わしらの宝だ。鉄棒で一つ叩けば千里(四千キロ)、二つ叩けば万里いくぞ。これでどうだ」
小僧がわざと渋い顔をして見せると、今度は二本の針を持ってきました。
「この針で刺すと、元気なやつもすぐに死んでしまう。だが、死にそうなやつを刺すと元気になる。この宝もやろう」
「よし、いいだろう」
小僧は針を受け取ると、車にヒョイと飛び乗って、鉄棒で一打ちしました。
車はピューンと走りだし、後に残った鬼たちは、涙を零して悔しがりました。
車は空をひとっ飛びして、おりた所は広い田んぼです。
小僧はも一つ、車を鉄棒で打ちました。
すると、大きな橋の下に出ました。
そこで車を下りて、近くの茶店に入りました。 茶店で餅を食べていると、隣の屋敷の門から、おおぜいの人が出たり入ったりしています。
「隣じゃ、なにか変わったことでもあるのかね?」
小僧が茶店の人に尋ねると。
「へえ、なんでも、一人娘のおじょうさんが病気で、今にも死にそうだということですだ」
小僧は早速、隣の屋敷へ行きました。
「オホン。わたしが、娘さんの病気を治してあげよう」
小僧が娘さんにチクリと針を刺すと、娘さんはたちまち元気になりました。
それを見て、家中大喜びです。
「お前さまは娘の命の恩人です。どうか、うちの息子になってくだされ」
屋敷の旦那がたのみました。
「ああ、いいよ」
それから小僧が、毎日ご馳走を食ベて楽しく暮らしていると、川向こうの金持ちの家でも娘が病気になり、ぜひ、治してくれと頼んできました。
小僧はまた、針を刺して娘さんを元気にしてやりました。
その家でも大喜びです。
「娘の命の恩人ですだ。どうか、うちの息子になってくだされ」と、頼みました。
「それでも、おらの体は一つだもの。二軒の息子にゃ、なれねえ」
すると金持ちの旦那は、二軒の家の間の川に、金の橋をかけてくれました。
そこで小僧は、お日さまの光で虹のようにかがやく橋を渡って、1ヶ月の半分をこちら側、後の半分を川向こうの家で過ごすことになりました。
小僧の見た初夢とは、二人の娘の間にかかる虹のような金の橋を、渡る夢だったのです。
#年轻人婚检积极性为啥不高##上海迪士尼##全民书法秀#
做梦的小伙计
从前,某处有一个有钱的老爷。
正月初二,他把小伙计都集合起来问道:
“新年之后大家都做了什么梦?告诉我。”
每个人都讲了自己做的梦,只有最小的伙计拒绝告诉他。
小伙计说:“我做的梦太好了,不能告诉别人!”
从前的人认为,新年后的第一个梦如果是好梦,不能告诉人。
“好吧,那么,我买你的梦如何?我给你100文(约3000日元),不行?200文呢?唉,给你1两(约70000日元)的话,怎么样?”
“不行!”小伙计还是拒绝说。
老爷大发雷霆,吼道:
“哎,你这么顽固,真该给你放逐到海里!”
“这个给你吃,你愿意去哪就去哪!”
小伙计被迫带着こなもち粉糕坐上了小船。
小船任由风吹着,晃晃悠悠地飘到了海面。
小船在宽阔的海面到处漂流。
终于,看到了一个岛屿。
小伙计上了岛,很多猴子看到他朝他跑了过来。
“吱吱,好像是一个很好吃的人啊!”
猴子们露出牙齿,蜂拥了过来。
小伙计吃了一惊,不断的撕碎粉糕扔给猴子,趁猴子拣粉糕块儿吃的时候,好不容易逃了出来。
离开了猴子岛屿,小船随风顺浪,在海上漂流。
船飞快的飘行之间,又看到了小岛。
一挨近岛屿,有很多红鬼、蓝鬼还有其他很多鬼把小伙计团团围住了。
“哇,好像是很好吃的人啊!”
“是从头开始吃呢?还是从脚开始吃呢?”
小伙计再次把粉糕扔出去,谁知鬼连理都不理,一起上前扭住了小伙计。
“等一等再吃我啊!”小伙计喊道。
“作为交换,我把连主人都没有告诉的新年的第一个梦告诉你们。这个梦可真非同寻常!”
“好啊。”群鬼回答道。
“那样的话,你快说!”
“说给你们听可以,(作为交换)你们给我什么呢?”
于是,群鬼拉来一辆漂亮的车。
“这车叫‘千里万里车’,是我们的宝贝。用铁棒敲一下,能跑一千里(约4000公里),敲两下,能跑一万里。用它和你交换如何?”
小伙计故意绷着脸表示不同意,鬼又拿出了两根针。
“健康的人被这个针一刺立刻就会死掉,但用这个针一扎濒临死亡的人,他就会恢复健康,我们把这个宝贝也给你吧。”
“好吧,我同意了。”
小伙计接过针,突然跳上了车,用铁棒一击。
车立刻迅速地跑走了,留在那里的群鬼,只好懊悔地掉眼泪。
车在空中只飞了一下,到达了广袤的田野。
小伙计又用铁棒打了一下车。
这次,车到了一座大桥下。
小伙计下了车,走进了附近的一家茶馆。
在茶馆吃年糕的时候,可以看到隔壁住宅的门有很多人进进出出。
小伙计问茶馆的人:
“隔壁发生了什么事情么?”
茶馆的人回答说:“是啊,据说他家的独生女生病了,好像要不行了。”
小伙计赶快去了隔壁的家里。
“哦,我来治疗您女儿的病吧。”
小伙计用针扎了一下姑娘,姑娘的病立刻好了。
见此,姑娘家里的人都非常高兴。主人求他说:
“您是我女儿的恩人,请一定做我家的儿子(女婿)。”
小伙计同意了,这样他每天吃着美味佳肴,过着快乐的日子。有一天,河对面的财主家的女儿也病了,再三恳求他去给治病。
小伙计又用针一扎,使姑娘恢复了健康。
这家人也非常高兴。也求他说:
“您是我女儿的救命恩人,请一定做我的儿子(女婿)。”
“可是,我的身体只有一个,不能做两家人的儿子啊。”
于是,财主□在两家之间的河上架了一座金桥。
这样,小伙计每半个月到河这边,另半个月到河那边。过桥的时候,金桥被太阳光一照耀,像彩虹一样熠熠发光。
小伙计新年梦到的第一个梦就是在两个姑娘之间架起的金桥上往返。
发发最近约的うちの子![开学季]
神说天使是过了花期就会枯萎的花,所以成年的天使很快就会死去。
【爱黎莎/アリサ】
粉发的孩子,是身体原主人以自身为媒介召唤出来的“外神”。她知晓一切事件的走向与结局,是性格恶劣且腹黑的乐子人。她以“让你的哥哥摆脱种族的诅咒”为条件得到了这个身体的控制权。
因为觉得很有趣所以特别喜欢叫雷分纳斯欧尼酱,但正经的时候会喊“Raven”。
【雷分纳斯/レイヴンナス】
蓝发的孩子,曾经是助人为乐的好老师,很疼爱妹妹也很关爱学生。因为爱黎莎改写了诅咒抹去了他所有与天使关联的要素,结果连性格都发生了大幅度转变。这个新名字是爱黎莎擅自取的,头发是爱黎莎依照她的喜好编的。
他不会将喜怒哀乐表现在脸上,对什么都不太感兴趣,但非常满意现在不受诅咒干预的自己。
很讨厌爱黎莎装作妹妹假惺惺地喊自己哥哥,多次警告无果后放弃了只会露出很嫌弃的表情。
神说天使是过了花期就会枯萎的花,所以成年的天使很快就会死去。
【爱黎莎/アリサ】
粉发的孩子,是身体原主人以自身为媒介召唤出来的“外神”。她知晓一切事件的走向与结局,是性格恶劣且腹黑的乐子人。她以“让你的哥哥摆脱种族的诅咒”为条件得到了这个身体的控制权。
因为觉得很有趣所以特别喜欢叫雷分纳斯欧尼酱,但正经的时候会喊“Raven”。
【雷分纳斯/レイヴンナス】
蓝发的孩子,曾经是助人为乐的好老师,很疼爱妹妹也很关爱学生。因为爱黎莎改写了诅咒抹去了他所有与天使关联的要素,结果连性格都发生了大幅度转变。这个新名字是爱黎莎擅自取的,头发是爱黎莎依照她的喜好编的。
他不会将喜怒哀乐表现在脸上,对什么都不太感兴趣,但非常满意现在不受诅咒干预的自己。
很讨厌爱黎莎装作妹妹假惺惺地喊自己哥哥,多次警告无果后放弃了只会露出很嫌弃的表情。
搜《明日もし君が壊れても》找到的文章,作者估计只是词作者的粉,应该对牌的角色和剧情并不知情,是一个非常有趣(?)的解读角度。原网址早挂了也找不到作者,只好把原文都贴上来了。节选了一些机翻(强调)[哆啦A梦汗]推荐看原文不被误导((
「明日もし君が壊れても」
これは作者の诗の中で、彼女の作词家としての天才をうかがうことができる最も深い诗のひとつだと思う。しかし、この诗は难解で、正直に言うと、私はなかなか理解できなかった。あまり难しい诗を书いてくれるなという、ファンとし ての率直な気持ちも持った(笑)。
画家はさりげなく配置した小道具に意味をこめる。絵画がそれを読み解くことを要求するように、坂井さんの诗は深く聴くことを要求する。ストレートにわかる诗も多いのだが、何度も聴き、自分でも歌ったりするうち、「あ、そうか」とわかる瞬间が来る、そんな曲もかなりある。つっかえていたものがストンと落ちるときの醍醐味はたまらないものがあるが、ポピュラー音楽としてはハンデになりかねないことをファンとしては危惧しないでもない。
坂井さんの诗の中心的なテーマは「爱」である。そして、爱の様々な、しばしば屈折した相貌(かたち)を纺ぎ出す彼女の诗には、「时间」という重要な脇役が存在する。「时间」は彼女の诗の中に通奏低音のように响いている。「时间(とき)の翼」というZARDのアルバム・タイトルは、过去・现在・未来を自在に翔ける翼という彼女の自己イメージを表しているのかも知れない(なお、「明日もし君が壊れても」はこのアルバムに収录されている。)。
「明日もし君が壊れても」の难解さは、ひとつにはこの诗が単纯にひとつの「时」を表しているのではなく、あたかもドラマのように 「时」の进行を表现していることにあるのだが、それぞれの「时」の転换は言叶では直接示されないので文脉から読み取らなければなら ない。また、「时」の进行を理解したとしても、依然この诗は难解であり、様々な解釈が可能であろう。断るまでもないことだが、以下 はあくまで私の解釈である。
(1)第1幕(冒头から「君の微笑みよ」まで)
第1幕で描かれるのは绝望である。「明日もし君が壊れても」とは、明日もし君が死んでもという意味である。曲の主人公「仆」は、死ぬ べき运命にある「君」を恋してしまい、「深い悲しみ」に沈む。「朝が访れるのを待つだけ」という绝望の中で、「君の微笑み」がかろ うじて愈しを与えてくれる、そんな状况が描かれる。
(2)第2幕(「Lonly heart」から「失う怖さを」まで)
第2幕では运命との葛藤が描かれる。「仆」は恋人の死すべき运命に迷うが、出逢ったころ、「君」が「あの恋を忘れられない」と言って いたのは、何とか自分を谛めさせようとする「本心を隠した表情(かお)」だったのだと知り、彼女の真の爱情に気づく。
CDではこの第2幕の终わりに「G线上のアリア」が(「爱して初めて知った 失う怖さを」の后に)静かに挿入されるのだが、これはレクイエムであろう。つまり、「君」の死がここで暗 示されるのである(なお、私の知る限りでは、小泽征尔は「G线上のアリア」をたびたびレクイエムとして使っている。最近では朝比奈隆 への追悼として。)。
G线上のアリアのmidiはこちら
(このmidiのあるサイトは Respect ZARD と関系ありません)
(3)第3幕(「明日もし君が壊れても 何も见えなくなっても」から最后まで)
最后に描かれるのは、恋人の死を乗り越える爱である。既に绝望も运命との葛藤も消え、「安らかな时の中で仆らは歩き出す」と歌われる。ここで「仆ら」と歌われているので、あたかもハッピーエンドのようにも取れるが、その直后の「君のまぼろしよ」という呼びかけから、「君」は既に死んでいることが明らかになる(「G线上のアリア」がレクイエムであるという理解もここから出てくる。)。つま り、「仆らは歩き出す」とは「仆」の中で「君」は生き続ける、爱し続けるということであり、死を乗り越える强い爱が歌われているの である。それは、江藤淳が「君の生命が绝えても、自分に意识がある限り、君は私の记忆の中に生きつづけて行くのだ」(江藤淳、「妻と私」。なお、Essays on ZARD 「永远という事态」も参照ください。)と死に濒した妻に无言で呼びかけたのと全く同质の深い爱に他ならない。
(4)幕が闭じてから~死せる恋人との会话(2004.8.20追加)
ここまでの文章をアップしてからだいぶ経ったある日のこと、この歌を聴いていてハッとした。この曲の末尾には、歌词カードに书かれていない泉水さんの语りかけが入っている。そのことは知っていたのだが、それまであまり気にとめずにいた。
Call my name
Who are you?
Call my name
独り言のような英语のつぶやきを坂井さんが挿入することはよくあるが、これはそうではない。无声音でありながら、もっとはっきりした呼びかけるような口调だ。そうか! これはこういう意味なんだ。
Who are you (that) call my name?
「私の名を呼ぶのはだれ?」
この言叶は「仆」と「君」のどちらが言っているのだろう?なぜ坂井さんは「无声音」で语りかけているのだろう?・・・そうだ、この时点では「君」は既に死んでいるのだ。ということは、坂井さんは、死者からの応答を「无声音」で表现しようとしたのではないか?
つまり、私の理解では、ここでは「君」は死后の世界から「仆」に対して呼びかけているのだ。歌词カードの最后の、「君のまぼろしよ」という部分は、死んでしまった「君」、しかし「仆」の心の中で生き続ける「君」に対する「仆」の呼びかけであった。それに対して、君が「私の名を呼ぶのはだれ?」と応えているのである。凄まじい迫力のある会话だ。
このように、この诗はとてもドラマチックな内容なのだが、坂井さんはあえて静かな口调で淡々と歌う。それがかえって鸟肌が立つような紧迫感を生み、「G线上のアリア」の効果的な挿入を経て、最后の「君のまぼろしよ」という死せる恋人への呼びかけが强く胸に迫ってくる。その上に无声音による恋人からの応答の表现が重ねられているのだ。
坂井さんの作品で、それまで理解していた内容より更に奥があると気付くことはしばしばである。それが坂井作品の魅力のひとつだとわかっていても、これほどまでに奥の深い作品に接すると、作者の力量にあらためて圧倒されてしまう。言叶を曲に合わせた上、短い诗にしなければならないという制约の中で、奥の深い复雑なドラマを表现する作者の力は天才的としか言いようがないと私は思う。
「明日もし君が壊れても」
これは作者の诗の中で、彼女の作词家としての天才をうかがうことができる最も深い诗のひとつだと思う。しかし、この诗は难解で、正直に言うと、私はなかなか理解できなかった。あまり难しい诗を书いてくれるなという、ファンとし ての率直な気持ちも持った(笑)。
画家はさりげなく配置した小道具に意味をこめる。絵画がそれを読み解くことを要求するように、坂井さんの诗は深く聴くことを要求する。ストレートにわかる诗も多いのだが、何度も聴き、自分でも歌ったりするうち、「あ、そうか」とわかる瞬间が来る、そんな曲もかなりある。つっかえていたものがストンと落ちるときの醍醐味はたまらないものがあるが、ポピュラー音楽としてはハンデになりかねないことをファンとしては危惧しないでもない。
坂井さんの诗の中心的なテーマは「爱」である。そして、爱の様々な、しばしば屈折した相貌(かたち)を纺ぎ出す彼女の诗には、「时间」という重要な脇役が存在する。「时间」は彼女の诗の中に通奏低音のように响いている。「时间(とき)の翼」というZARDのアルバム・タイトルは、过去・现在・未来を自在に翔ける翼という彼女の自己イメージを表しているのかも知れない(なお、「明日もし君が壊れても」はこのアルバムに収录されている。)。
「明日もし君が壊れても」の难解さは、ひとつにはこの诗が単纯にひとつの「时」を表しているのではなく、あたかもドラマのように 「时」の进行を表现していることにあるのだが、それぞれの「时」の転换は言叶では直接示されないので文脉から読み取らなければなら ない。また、「时」の进行を理解したとしても、依然この诗は难解であり、様々な解釈が可能であろう。断るまでもないことだが、以下 はあくまで私の解釈である。
(1)第1幕(冒头から「君の微笑みよ」まで)
第1幕で描かれるのは绝望である。「明日もし君が壊れても」とは、明日もし君が死んでもという意味である。曲の主人公「仆」は、死ぬ べき运命にある「君」を恋してしまい、「深い悲しみ」に沈む。「朝が访れるのを待つだけ」という绝望の中で、「君の微笑み」がかろ うじて愈しを与えてくれる、そんな状况が描かれる。
(2)第2幕(「Lonly heart」から「失う怖さを」まで)
第2幕では运命との葛藤が描かれる。「仆」は恋人の死すべき运命に迷うが、出逢ったころ、「君」が「あの恋を忘れられない」と言って いたのは、何とか自分を谛めさせようとする「本心を隠した表情(かお)」だったのだと知り、彼女の真の爱情に気づく。
CDではこの第2幕の终わりに「G线上のアリア」が(「爱して初めて知った 失う怖さを」の后に)静かに挿入されるのだが、これはレクイエムであろう。つまり、「君」の死がここで暗 示されるのである(なお、私の知る限りでは、小泽征尔は「G线上のアリア」をたびたびレクイエムとして使っている。最近では朝比奈隆 への追悼として。)。
G线上のアリアのmidiはこちら
(このmidiのあるサイトは Respect ZARD と関系ありません)
(3)第3幕(「明日もし君が壊れても 何も见えなくなっても」から最后まで)
最后に描かれるのは、恋人の死を乗り越える爱である。既に绝望も运命との葛藤も消え、「安らかな时の中で仆らは歩き出す」と歌われる。ここで「仆ら」と歌われているので、あたかもハッピーエンドのようにも取れるが、その直后の「君のまぼろしよ」という呼びかけから、「君」は既に死んでいることが明らかになる(「G线上のアリア」がレクイエムであるという理解もここから出てくる。)。つま り、「仆らは歩き出す」とは「仆」の中で「君」は生き続ける、爱し続けるということであり、死を乗り越える强い爱が歌われているの である。それは、江藤淳が「君の生命が绝えても、自分に意识がある限り、君は私の记忆の中に生きつづけて行くのだ」(江藤淳、「妻と私」。なお、Essays on ZARD 「永远という事态」も参照ください。)と死に濒した妻に无言で呼びかけたのと全く同质の深い爱に他ならない。
(4)幕が闭じてから~死せる恋人との会话(2004.8.20追加)
ここまでの文章をアップしてからだいぶ経ったある日のこと、この歌を聴いていてハッとした。この曲の末尾には、歌词カードに书かれていない泉水さんの语りかけが入っている。そのことは知っていたのだが、それまであまり気にとめずにいた。
Call my name
Who are you?
Call my name
独り言のような英语のつぶやきを坂井さんが挿入することはよくあるが、これはそうではない。无声音でありながら、もっとはっきりした呼びかけるような口调だ。そうか! これはこういう意味なんだ。
Who are you (that) call my name?
「私の名を呼ぶのはだれ?」
この言叶は「仆」と「君」のどちらが言っているのだろう?なぜ坂井さんは「无声音」で语りかけているのだろう?・・・そうだ、この时点では「君」は既に死んでいるのだ。ということは、坂井さんは、死者からの応答を「无声音」で表现しようとしたのではないか?
つまり、私の理解では、ここでは「君」は死后の世界から「仆」に対して呼びかけているのだ。歌词カードの最后の、「君のまぼろしよ」という部分は、死んでしまった「君」、しかし「仆」の心の中で生き続ける「君」に対する「仆」の呼びかけであった。それに対して、君が「私の名を呼ぶのはだれ?」と応えているのである。凄まじい迫力のある会话だ。
このように、この诗はとてもドラマチックな内容なのだが、坂井さんはあえて静かな口调で淡々と歌う。それがかえって鸟肌が立つような紧迫感を生み、「G线上のアリア」の効果的な挿入を経て、最后の「君のまぼろしよ」という死せる恋人への呼びかけが强く胸に迫ってくる。その上に无声音による恋人からの応答の表现が重ねられているのだ。
坂井さんの作品で、それまで理解していた内容より更に奥があると気付くことはしばしばである。それが坂井作品の魅力のひとつだとわかっていても、これほどまでに奥の深い作品に接すると、作者の力量にあらためて圧倒されてしまう。言叶を曲に合わせた上、短い诗にしなければならないという制约の中で、奥の深い复雑なドラマを表现する作者の力は天才的としか言いようがないと私は思う。
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