#与你一起绽放新选组青春录[超话]#
君とゆきて咲く~新選組青春録~:杢代和人&羽谷勝太 リアルでも固い絆 「泣くシーンではなかった」第4話の“涙”
#君とゆきて咲く #君ゆき #新選組 #杢代和人 #羽谷勝太
@kimiyuki_ex
君とゆきて咲く~新選組青春録~:杢代和人&羽谷勝太 リアルでも固い絆 「泣くシーンではなかった」第4話の“涙”
テレビ朝日と東映による“シン・時代劇ドラマ”「君とゆきて咲く~新選組青春録~」(水曜深夜0時15分、一部地域を除く)に新選組隊士役で出演中の杢代和人さん、羽谷勝太さんにインタビュー。乳兄弟として育った松永新之丞、南無之介を演じる2人に、撮影裏話を聞いた。
◇2人とも“役者脳”
--昔から固い絆で結ばれている新之丞、南無之介の関係性を表現することに難しさはありませんでしたか。
羽谷さん:クランクインして2日目に、2人の重めなシーンの撮影があったのですが、今回初共演ということもあり、それまで“もく”(杢代さん)とはちゃんとしゃべったことがなくて……そんな状態で深いシーンを作り上げることができるのか不安があったので、撮影の前日にご飯に誘ったんです。そのとき、“もく”の人柄や考え方が見えたというか、一緒にご飯に行ったことで、それまでの不安を払拭(ふっしょく)できました。
杢代さん:一緒にご飯行ったことは大きかったです。いろいろなことをお話させていただいて、2人とも“役者脳”というか、役への向き合い方も似ているなって(笑い)。
羽谷さん:食べるよりも、ずっと話していたよね。“もく”のことを知りたいと思っていろいろ聞いたら、僕の思いを汲み取ってくれて、たくさん話してくれました。
--役者として互いの印象は。
杢代さん:一緒にお芝居をしていて、安心感があります。台本をとても読み込んでいる印象で、キャッチボールがしっかりできている感覚です。
羽谷さん:一つひとつのお芝居が繊細です。表情に大きく表現せずとも、目で気持ちを伝えることのできる方。8つ年下ですが、とても頼もしい。助けられてばっかりです。
--新之丞、南無之介を演じる上で意識していることは。
杢代さん:相思相愛が僕らの持ち味だと思うので、南無之介と話すときは、2人の関係性がにじみ出るように言葉を掛けています。2人のシーンはとても緊張感を持って臨んでいます。
羽谷さん:南無之介はストレートに思いを伝えるのですが、ストレートなセリフって心がこもっていないと寒く見えてしまう。なんで南無之介は、こんなことを言うのだろう?とバックボーンまで考えて演じています。
◇“もく”の言葉が「心の安定剤」
--第4話(5月15日深夜)では、豪商に捕まってしまった新之丞を救出し、2人が絆を再確認するシーンが印象的でした。新之丞の涙も……。
杢代さん:泣くシーンではなかったのですが、すごく心にくるものがあって、涙がこぼれました。段取りと違うことが本番で起こるというのはたまにありますが、序盤でこんなことが起こるなんて、自分でも驚きました。でも今回の役は、自分でもかなり突き詰めて臨めていると思うので、新之丞として思いがあふれてしまったんだろうな、と、
羽谷さん:はじめは新之丞の顔の寄りの撮影からだったので、僕は“もく”のお芝居をモニターで見ていたのですが、めっちゃ涙が出てきて。そして僕も入って一緒に芝居をしても、ずっと離ればなれで5年ぶりぐらいに再会できた南無之介のうれしさとかがこみ上げ来て、また涙が出てきて……予期していなかったハプニングでしたが、良いシーンになったと自信をもって言えます。
--おふたりを見ていると、リアルでもとても良い関係値を築いているように見えます。
杢代さん:撮影時間じゃないときは本当にふざけていたり……仲良くさせていただいてます。
羽谷さん:僕は芝居が終わった後に反省する時間があるんです。“もく”と撮るときも、最後に「どうだった?」って確認するのですが、そこで褒めてもらえるのが、今の心の安定剤になっています(笑い)!
--最後に、5話以降の見どころをお願いします。
杢代さん:3、4話で、新之丞と南無之介のストーリーを伝えられたと思うので、今後は大作(前田拳太郎さん)と丘十郎(奥智哉さん)だったり、いろいろな隊士たちとの関係性にも注目していただきたいです。新選組としての戦いも見どころです!
羽谷さん:それぞれにいろいろな関係性が出来上がってきつつ、今度は新選組としてみんなで一つのことに向き合っていくことになります。青春ストーリーをぜひ楽しんでいただきたいです!
ドラマは、手塚治虫の隠れた名作といわれるマンガ「新選組」(1963年)の実写化。架空の若き隊士の鎌切大作(前田さん)と深草丘十郎(奥さん)が、時代の波に翻弄(ほんろう)され、過酷な運命をたどる青春群像劇だ。「斬新な殺陣」「流麗な剣舞」など、これまでの時代劇にはない要素を取り入れた“シン・時代劇”と銘打っている。4月から2クール連続で放送中。
君とゆきて咲く~新選組青春録~:杢代和人&羽谷勝太 リアルでも固い絆 「泣くシーンではなかった」第4話の“涙”
#君とゆきて咲く #君ゆき #新選組 #杢代和人 #羽谷勝太
@kimiyuki_ex
君とゆきて咲く~新選組青春録~:杢代和人&羽谷勝太 リアルでも固い絆 「泣くシーンではなかった」第4話の“涙”
テレビ朝日と東映による“シン・時代劇ドラマ”「君とゆきて咲く~新選組青春録~」(水曜深夜0時15分、一部地域を除く)に新選組隊士役で出演中の杢代和人さん、羽谷勝太さんにインタビュー。乳兄弟として育った松永新之丞、南無之介を演じる2人に、撮影裏話を聞いた。
◇2人とも“役者脳”
--昔から固い絆で結ばれている新之丞、南無之介の関係性を表現することに難しさはありませんでしたか。
羽谷さん:クランクインして2日目に、2人の重めなシーンの撮影があったのですが、今回初共演ということもあり、それまで“もく”(杢代さん)とはちゃんとしゃべったことがなくて……そんな状態で深いシーンを作り上げることができるのか不安があったので、撮影の前日にご飯に誘ったんです。そのとき、“もく”の人柄や考え方が見えたというか、一緒にご飯に行ったことで、それまでの不安を払拭(ふっしょく)できました。
杢代さん:一緒にご飯行ったことは大きかったです。いろいろなことをお話させていただいて、2人とも“役者脳”というか、役への向き合い方も似ているなって(笑い)。
羽谷さん:食べるよりも、ずっと話していたよね。“もく”のことを知りたいと思っていろいろ聞いたら、僕の思いを汲み取ってくれて、たくさん話してくれました。
--役者として互いの印象は。
杢代さん:一緒にお芝居をしていて、安心感があります。台本をとても読み込んでいる印象で、キャッチボールがしっかりできている感覚です。
羽谷さん:一つひとつのお芝居が繊細です。表情に大きく表現せずとも、目で気持ちを伝えることのできる方。8つ年下ですが、とても頼もしい。助けられてばっかりです。
--新之丞、南無之介を演じる上で意識していることは。
杢代さん:相思相愛が僕らの持ち味だと思うので、南無之介と話すときは、2人の関係性がにじみ出るように言葉を掛けています。2人のシーンはとても緊張感を持って臨んでいます。
羽谷さん:南無之介はストレートに思いを伝えるのですが、ストレートなセリフって心がこもっていないと寒く見えてしまう。なんで南無之介は、こんなことを言うのだろう?とバックボーンまで考えて演じています。
◇“もく”の言葉が「心の安定剤」
--第4話(5月15日深夜)では、豪商に捕まってしまった新之丞を救出し、2人が絆を再確認するシーンが印象的でした。新之丞の涙も……。
杢代さん:泣くシーンではなかったのですが、すごく心にくるものがあって、涙がこぼれました。段取りと違うことが本番で起こるというのはたまにありますが、序盤でこんなことが起こるなんて、自分でも驚きました。でも今回の役は、自分でもかなり突き詰めて臨めていると思うので、新之丞として思いがあふれてしまったんだろうな、と、
羽谷さん:はじめは新之丞の顔の寄りの撮影からだったので、僕は“もく”のお芝居をモニターで見ていたのですが、めっちゃ涙が出てきて。そして僕も入って一緒に芝居をしても、ずっと離ればなれで5年ぶりぐらいに再会できた南無之介のうれしさとかがこみ上げ来て、また涙が出てきて……予期していなかったハプニングでしたが、良いシーンになったと自信をもって言えます。
--おふたりを見ていると、リアルでもとても良い関係値を築いているように見えます。
杢代さん:撮影時間じゃないときは本当にふざけていたり……仲良くさせていただいてます。
羽谷さん:僕は芝居が終わった後に反省する時間があるんです。“もく”と撮るときも、最後に「どうだった?」って確認するのですが、そこで褒めてもらえるのが、今の心の安定剤になっています(笑い)!
--最後に、5話以降の見どころをお願いします。
杢代さん:3、4話で、新之丞と南無之介のストーリーを伝えられたと思うので、今後は大作(前田拳太郎さん)と丘十郎(奥智哉さん)だったり、いろいろな隊士たちとの関係性にも注目していただきたいです。新選組としての戦いも見どころです!
羽谷さん:それぞれにいろいろな関係性が出来上がってきつつ、今度は新選組としてみんなで一つのことに向き合っていくことになります。青春ストーリーをぜひ楽しんでいただきたいです!
ドラマは、手塚治虫の隠れた名作といわれるマンガ「新選組」(1963年)の実写化。架空の若き隊士の鎌切大作(前田さん)と深草丘十郎(奥さん)が、時代の波に翻弄(ほんろう)され、過酷な運命をたどる青春群像劇だ。「斬新な殺陣」「流麗な剣舞」など、これまでの時代劇にはない要素を取り入れた“シン・時代劇”と銘打っている。4月から2クール連続で放送中。
#新田惠海[超话]# .#新田惠海# .#新田恵海#
青山郁代 Ikuyo Aoyama twi:
かむつんいくトラハ
昼夜2回公演、無事に終演しました❣️
会場で&配信で楽しんでくださった皆さん、ありがとうございました️✨
最高の1日でした!
まだ幸せな余韻に浸っていますが、私も配信で“おかわり”したいと思います
まだまだ、幸せは続くよ…!
【青山女士 twi:“《神つんいくLIVE》
昼夜2场公演,顺利结束啦❣️
到场观看的各位&观看直播的各位,非常感谢大家的支持️✨
真是最棒的1天啦!
虽然还沉浸在幸福的余韵中,但我还想在直播里‘回味’一下
这种幸福感还在继续呢…!”】
青山郁代 Ikuyo Aoyama twi:
かむつんいくトラハ
昼夜2回公演、無事に終演しました❣️
会場で&配信で楽しんでくださった皆さん、ありがとうございました️✨
最高の1日でした!
まだ幸せな余韻に浸っていますが、私も配信で“おかわり”したいと思います
まだまだ、幸せは続くよ…!
【青山女士 twi:“《神つんいくLIVE》
昼夜2场公演,顺利结束啦❣️
到场观看的各位&观看直播的各位,非常感谢大家的支持️✨
真是最棒的1天啦!
虽然还沉浸在幸福的余韵中,但我还想在直播里‘回味’一下
这种幸福感还在继续呢…!”】
「これとあれ」
鲁迅
四.
流産と断種
近頃、青年の創作に対して、一旦「流産」という悪評がでると、わっとばかりにそれに悪乗りするのが沢山いる。私は信じているが、もともとこの言葉を使った人は、悪意は無かったのだが、偶々そう言うと、それに同調するものも出てくるのは理解できる。世事はもともと大概こうなのだから。
私はいまひとつ分からないのだが、中国人はなぜ古い事に対して、心は安寧で気持ちも和らぐのだろう。新しい機運に対しては、すぐにも拒絶反応を起し、既成の事にはそんなに完全を求めぬのに、新興のことにはなぜこんなに完全を求めて責めたてるのか。
知識水準も高く、眼光も遠大な諸先生は我々を指導して、生まれてきた者がもし、聖賢、豪傑、天才でなければ、生まなくてよい。書いたものが不朽の作品でないなら書かなくてよい。改革がすぐ極楽世界に変わるのでなければ、或いは少なくとも我々により多くのメリットを与えてくれないなら、手を出すな!という。
それなら彼は保守派か?というとそうではない、と。彼は正しく革命家だ。だが、只、公平、正当、穏健、円満、平和で弊害の無い改革法を目下研究中で、まだうまく研究しきれてないという。
いつ研究成果が出るのか? まだ分からないとの応え。
子どもの最初の一歩は、大人から見ると確かに幼稚で、危険で、様になっていない。或いはまったくおかしな格好である。ただ、どんな愚かな婦人も、切なる望みは子が第一歩を踏み出すことで、彼の歩き方が幼稚なため、金持ちの車の前に出てひき殺されるのを心配して、ベッドに縛りつけて、横にさせたまま、跳ぶように走れるようになるまで研究させてから、地上に下ろすようなことはしない。彼女はもしそんなことをしたら、百歳になっても歩けないことを知っている。
昔からこうである、ということでいわゆる読書人は新しく出てきた人に対して、手を換え品を換えて、彼らを縛りつけてきた。近頃は、多少遠慮し、誰か出てくると、大抵は学士文人たちが道をさえぎり、暫く待ちなさい、まあお掛けなさい、と言う。そして道理を説き、調査研究推敲修養…、結果は元の場所にずっと死んだように留まらせる。
さもなければ「かき乱した」との称号を与える。私も今の青年同様、もう亡くなった導師
や存命の人にどう進むべきか訊ねた。彼らは口々に、東に向かってはならん。そして、西
も、南も、北もだめ。だが、東に向かえとか、西へ、南へ、北へとは言わなかった。結局
彼らの心の底にあるものを発見した。それはただ「動くな」だった。
坐して安寧を待ち、前進を待て。もしそれができれば大変すばらしい。但し、心配なの
は、死ぬまで待っても、待っているものは来ず、生育もせず、流産もせず、一人の英明な
子の生まれるのを待つ。もちろんそうなれば喜ばしいことだが、心配なのはついに何もな
いまま終わることだ。
もし生まれる子が抜群に優れた子でなければ、断種したほうがましだ、というなら何を
かいわんや。話にもならない。我々が永遠に人類の足音を聞こうとするなら、私は流産は生まないより、希望があると思う。これは明白に出産できることを証明しているから。
十二月二十日 訳
訳者あとがき
平安の昔、菅原道真の出世が余りに早すぎたので、それをねたんだ藤原一族が考え出したのが、「官打ち」という手段だそうだ。菅原家の身分以上に高位の右大臣に持ち上げ、天皇の廃立まで左右できる権力を行使させておいて、最後はザン言により、大宰府に左遷させられた。今回、菅総理が同じ目に会わないことを祈るばかりだ。
中国でも、宋代に新法党の王安石と党争した旧法党の蘇軾は、何回も地方に左遷されながら、新法党の失脚で中央に戻ったが、やはり上記と同様の「官打ち」に遭い、それを事前に察知して、自ら地方赴任を願いでたなどの話が伝わっている。
蘇軾が白楽天にならって、西湖の底を浚えて、その土で蘇堤を造った話は有名だ。冬の雨の少ない季節に、湖底や川底を浚える法は南方では可能であったが、北方ではどうだっただろう。
魯迅はこの作品で、北の人々が、黄河の洪水防止のために、堤を年々高くして、結局は被害を甚大なものにしているから、却って川底を掘り下げる方が良いと説いている。
阪神間の川は、ほとんど天井川と言われるように、川底の方が高くなっている。本来、川の水は川底を削り取って海に流れるので、川の自然の力に任せて削り取りやすいように、分水を何本も掘り下げて、堤は高くしすぎないのが洪水防止には良いと思う。
ただ、魯迅の故郷のあたりと違って、黄河はとてつもない量の黄砂を一気に流し込んでくるので、掘り下げれば掘り下げただけ、すぐ溜まってしまうことが問題だろう。最近はダムと分水と取水及び気候変動で、断水現象に悩まされているのも皮肉な結果だ。
南方の洞庭湖は、唐の詩人が歌ったように、「八月湖水平らかなり」で、この平らというのは、最初どういう意味か分からなかったが、夏の大雨によって、水面が岸と同じ高さまで来ている、すなわち水と地は同じ水平線、地平線にあるということで、夏に江南を旅して実感した。江南の水路は地面とあまり段差がないので、そこに架かる橋は水郷の風景でおなじみの下に小舟が通過できるように、丸か台形の高い橋を架けており、それで「高橋」と呼ぶそうだ。もちろん南京や内陸の大都市周辺は高い堤で持ち上げているが、洪水対策用の大きな湖やその支流は水と平らになる。従って、いつあふれ出してもよいように、農家は3-4階建の家を造って避難する。
三峡ダムも本来ダムのある宜昌あたりは、海抜数十メートルだった水位は今185Mを超えている。この水位がまさしく上流のダム湖の八月湖水平らなり、を生じさせた。何百キロも上流の重慶の水位は175メートルを超え、あれほどの険しい峡谷の崖に立つ住居を水没させて、なお且つ下流に流れて行く速度が緩慢なため、重慶市街も大洪水となってしまった。185メートルのダムというのは、魯迅の反対した堤を高く持ち上げた結果だが、この湖底の底を掘り下げるのは、人類の知恵と手の届かぬところにあるようだ。うまく放水で湖底を掘り下げられれば良いのだが。
2―3百年前の地図には、上海は正しく海の上だったので、海岸線はだいぶ内陸にあった。あと2-3百年しても、海岸線は過去3百年のようには延び出していないだろうな。
鲁迅
四.
流産と断種
近頃、青年の創作に対して、一旦「流産」という悪評がでると、わっとばかりにそれに悪乗りするのが沢山いる。私は信じているが、もともとこの言葉を使った人は、悪意は無かったのだが、偶々そう言うと、それに同調するものも出てくるのは理解できる。世事はもともと大概こうなのだから。
私はいまひとつ分からないのだが、中国人はなぜ古い事に対して、心は安寧で気持ちも和らぐのだろう。新しい機運に対しては、すぐにも拒絶反応を起し、既成の事にはそんなに完全を求めぬのに、新興のことにはなぜこんなに完全を求めて責めたてるのか。
知識水準も高く、眼光も遠大な諸先生は我々を指導して、生まれてきた者がもし、聖賢、豪傑、天才でなければ、生まなくてよい。書いたものが不朽の作品でないなら書かなくてよい。改革がすぐ極楽世界に変わるのでなければ、或いは少なくとも我々により多くのメリットを与えてくれないなら、手を出すな!という。
それなら彼は保守派か?というとそうではない、と。彼は正しく革命家だ。だが、只、公平、正当、穏健、円満、平和で弊害の無い改革法を目下研究中で、まだうまく研究しきれてないという。
いつ研究成果が出るのか? まだ分からないとの応え。
子どもの最初の一歩は、大人から見ると確かに幼稚で、危険で、様になっていない。或いはまったくおかしな格好である。ただ、どんな愚かな婦人も、切なる望みは子が第一歩を踏み出すことで、彼の歩き方が幼稚なため、金持ちの車の前に出てひき殺されるのを心配して、ベッドに縛りつけて、横にさせたまま、跳ぶように走れるようになるまで研究させてから、地上に下ろすようなことはしない。彼女はもしそんなことをしたら、百歳になっても歩けないことを知っている。
昔からこうである、ということでいわゆる読書人は新しく出てきた人に対して、手を換え品を換えて、彼らを縛りつけてきた。近頃は、多少遠慮し、誰か出てくると、大抵は学士文人たちが道をさえぎり、暫く待ちなさい、まあお掛けなさい、と言う。そして道理を説き、調査研究推敲修養…、結果は元の場所にずっと死んだように留まらせる。
さもなければ「かき乱した」との称号を与える。私も今の青年同様、もう亡くなった導師
や存命の人にどう進むべきか訊ねた。彼らは口々に、東に向かってはならん。そして、西
も、南も、北もだめ。だが、東に向かえとか、西へ、南へ、北へとは言わなかった。結局
彼らの心の底にあるものを発見した。それはただ「動くな」だった。
坐して安寧を待ち、前進を待て。もしそれができれば大変すばらしい。但し、心配なの
は、死ぬまで待っても、待っているものは来ず、生育もせず、流産もせず、一人の英明な
子の生まれるのを待つ。もちろんそうなれば喜ばしいことだが、心配なのはついに何もな
いまま終わることだ。
もし生まれる子が抜群に優れた子でなければ、断種したほうがましだ、というなら何を
かいわんや。話にもならない。我々が永遠に人類の足音を聞こうとするなら、私は流産は生まないより、希望があると思う。これは明白に出産できることを証明しているから。
十二月二十日 訳
訳者あとがき
平安の昔、菅原道真の出世が余りに早すぎたので、それをねたんだ藤原一族が考え出したのが、「官打ち」という手段だそうだ。菅原家の身分以上に高位の右大臣に持ち上げ、天皇の廃立まで左右できる権力を行使させておいて、最後はザン言により、大宰府に左遷させられた。今回、菅総理が同じ目に会わないことを祈るばかりだ。
中国でも、宋代に新法党の王安石と党争した旧法党の蘇軾は、何回も地方に左遷されながら、新法党の失脚で中央に戻ったが、やはり上記と同様の「官打ち」に遭い、それを事前に察知して、自ら地方赴任を願いでたなどの話が伝わっている。
蘇軾が白楽天にならって、西湖の底を浚えて、その土で蘇堤を造った話は有名だ。冬の雨の少ない季節に、湖底や川底を浚える法は南方では可能であったが、北方ではどうだっただろう。
魯迅はこの作品で、北の人々が、黄河の洪水防止のために、堤を年々高くして、結局は被害を甚大なものにしているから、却って川底を掘り下げる方が良いと説いている。
阪神間の川は、ほとんど天井川と言われるように、川底の方が高くなっている。本来、川の水は川底を削り取って海に流れるので、川の自然の力に任せて削り取りやすいように、分水を何本も掘り下げて、堤は高くしすぎないのが洪水防止には良いと思う。
ただ、魯迅の故郷のあたりと違って、黄河はとてつもない量の黄砂を一気に流し込んでくるので、掘り下げれば掘り下げただけ、すぐ溜まってしまうことが問題だろう。最近はダムと分水と取水及び気候変動で、断水現象に悩まされているのも皮肉な結果だ。
南方の洞庭湖は、唐の詩人が歌ったように、「八月湖水平らかなり」で、この平らというのは、最初どういう意味か分からなかったが、夏の大雨によって、水面が岸と同じ高さまで来ている、すなわち水と地は同じ水平線、地平線にあるということで、夏に江南を旅して実感した。江南の水路は地面とあまり段差がないので、そこに架かる橋は水郷の風景でおなじみの下に小舟が通過できるように、丸か台形の高い橋を架けており、それで「高橋」と呼ぶそうだ。もちろん南京や内陸の大都市周辺は高い堤で持ち上げているが、洪水対策用の大きな湖やその支流は水と平らになる。従って、いつあふれ出してもよいように、農家は3-4階建の家を造って避難する。
三峡ダムも本来ダムのある宜昌あたりは、海抜数十メートルだった水位は今185Mを超えている。この水位がまさしく上流のダム湖の八月湖水平らなり、を生じさせた。何百キロも上流の重慶の水位は175メートルを超え、あれほどの険しい峡谷の崖に立つ住居を水没させて、なお且つ下流に流れて行く速度が緩慢なため、重慶市街も大洪水となってしまった。185メートルのダムというのは、魯迅の反対した堤を高く持ち上げた結果だが、この湖底の底を掘り下げるのは、人類の知恵と手の届かぬところにあるようだ。うまく放水で湖底を掘り下げられれば良いのだが。
2―3百年前の地図には、上海は正しく海の上だったので、海岸線はだいぶ内陸にあった。あと2-3百年しても、海岸線は過去3百年のようには延び出していないだろうな。
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