本周记录
摸鱼太久了 甚至忘记今天是微博记录的日子 现在才想起来 (十一点多)
周天 睡到自然醒 吃完早饭去排核酸 等了快一个半小时 回来刚好午饭 吃了福鼎肉片 还有凉皮(真 好好吃) 然后就是疯狂刷剧 今天把忽而今夏看完了!!! 要是能再有一集就好了 想要一个甜甜的后续[泪]
收拾好东西 准备明天上班去啦 然后被通知要四次核酸证明才能上班……(无语到) 被迫摸鱼的明天……我已经想好明早吃萝卜糕 配咖啡 再来点列巴 ➕个水煮蛋 然后 就这???
连续在宿舍呆四天啦 因为,13号从泉州惠安过来 所以周一二上班两天后 告诉我要居家隔离 离谱… 住的还是集体宿舍 而且上班两天啦 隔离的意义是啥…(13/15有好好做核酸哦)
就这么开启居家办公生活啦 两天半 基本时间在摸鱼 但是也有好好坐着 没有躺下哈哈哈 严格遵守上班时间 在电脑前认真看剧
吃饭是个大问题 居家第一天 小魏回来做午饭啦 我提前把菜准备好 等她下班回来炒(太贤惠了我的天) 第二天纠结很久 最后点了炸鸡 也太美味了 久久吃一次 完全迷上 晕 第三天健康水煮各种七七八八再加酱料 早餐都是牛奶加列巴或者泡麦片 水煮蛋必须有
本周不忙 所以可以安心在家办公 还好不忙 不然可能要崩 [哼][哼][哼] 居家办公 所以就可以还没下班的时候就开始运动 减肥仔的励志故事
周六下午贤惠小魏自制 雪媚娘 一整个被迷住 这皮也太好吃了吧 还有这馅 还没包的时候就被我解决好几大口[泪][泪][泪] 芒果酥太甜了 实在太罪恶了我就尝了一口 动手能力强的人真棒
周六晚上 下去打包卤料了 耶耶耶 我可太喜欢了 可惜可选择的太有限了 很多想吃的都没有 但还是很喜欢 卤料yyds
插播:二十号晚上十一点五十分 外面在打雷 听着下雨声 真好 晚上一定睡的很舒服
周三刚被通知居家 一脸懵 嗯嗯嗯????? 真正居家后 好像还不错? 但是好几天过去了之后 还是办公室上班好呀 心里踏实点
周一好像是有事做的状态 不会特别忙 周二应该比较闲 周三也是 大概是这么个样子 没记错的话
本周赶上下午茶了 新品 奶冻卷 可太好吃了(我竟然没有拍照???[跪了])
截止20号家里也做了四次核酸了
泉州加油呀 我还等着去吃醋肉 吃四果汤 麦都 吃糍粑呢 [报税]
摸鱼太久了 甚至忘记今天是微博记录的日子 现在才想起来 (十一点多)
周天 睡到自然醒 吃完早饭去排核酸 等了快一个半小时 回来刚好午饭 吃了福鼎肉片 还有凉皮(真 好好吃) 然后就是疯狂刷剧 今天把忽而今夏看完了!!! 要是能再有一集就好了 想要一个甜甜的后续[泪]
收拾好东西 准备明天上班去啦 然后被通知要四次核酸证明才能上班……(无语到) 被迫摸鱼的明天……我已经想好明早吃萝卜糕 配咖啡 再来点列巴 ➕个水煮蛋 然后 就这???
连续在宿舍呆四天啦 因为,13号从泉州惠安过来 所以周一二上班两天后 告诉我要居家隔离 离谱… 住的还是集体宿舍 而且上班两天啦 隔离的意义是啥…(13/15有好好做核酸哦)
就这么开启居家办公生活啦 两天半 基本时间在摸鱼 但是也有好好坐着 没有躺下哈哈哈 严格遵守上班时间 在电脑前认真看剧
吃饭是个大问题 居家第一天 小魏回来做午饭啦 我提前把菜准备好 等她下班回来炒(太贤惠了我的天) 第二天纠结很久 最后点了炸鸡 也太美味了 久久吃一次 完全迷上 晕 第三天健康水煮各种七七八八再加酱料 早餐都是牛奶加列巴或者泡麦片 水煮蛋必须有
本周不忙 所以可以安心在家办公 还好不忙 不然可能要崩 [哼][哼][哼] 居家办公 所以就可以还没下班的时候就开始运动 减肥仔的励志故事
周六下午贤惠小魏自制 雪媚娘 一整个被迷住 这皮也太好吃了吧 还有这馅 还没包的时候就被我解决好几大口[泪][泪][泪] 芒果酥太甜了 实在太罪恶了我就尝了一口 动手能力强的人真棒
周六晚上 下去打包卤料了 耶耶耶 我可太喜欢了 可惜可选择的太有限了 很多想吃的都没有 但还是很喜欢 卤料yyds
插播:二十号晚上十一点五十分 外面在打雷 听着下雨声 真好 晚上一定睡的很舒服
周三刚被通知居家 一脸懵 嗯嗯嗯????? 真正居家后 好像还不错? 但是好几天过去了之后 还是办公室上班好呀 心里踏实点
周一好像是有事做的状态 不会特别忙 周二应该比较闲 周三也是 大概是这么个样子 没记错的话
本周赶上下午茶了 新品 奶冻卷 可太好吃了(我竟然没有拍照???[跪了])
截止20号家里也做了四次核酸了
泉州加油呀 我还等着去吃醋肉 吃四果汤 麦都 吃糍粑呢 [报税]
和小酥的合照
昨天看民宿房东发过来的推荐里面说最好吃的泡椒兔,路过了一家满座的泡椒兔店也还是坚持要去吃推荐的那家,结果到了其实也还好的兔子味道
昨晚吃太多,撑得睡不着,一种花钱找罪受的感觉,今早又去吃豆腐脑,完了买了超推荐的甜皮鸭,今晚吃完饭小酥说要不你把鸭带走吧,两个人互相推脱,信了网上的邪就是说,一点也不好吃,出行一趟最后一致决定以后不走更远的就不出去玩了
回来路上决定今晚我要做饭,又花费两小时做好图三,本来欠小酥一顿碗,后面又没有洗,小酥说那我把碗收了我不愿意,石头剪刀布小酥又输
晚上因为太累不想送我回来,思考要给我出个条件诱惑我,说出一个月都不会让我洗碗的条件被我无情拒绝(它讨厌洗碗到说宁愿吃也不愿意洗碗,只要不洗碗什么都愿意做
真是劳累的两天,上次它看了我微博,今晚视频问我昵称是什么,幸好它记性差!
昨天看民宿房东发过来的推荐里面说最好吃的泡椒兔,路过了一家满座的泡椒兔店也还是坚持要去吃推荐的那家,结果到了其实也还好的兔子味道
昨晚吃太多,撑得睡不着,一种花钱找罪受的感觉,今早又去吃豆腐脑,完了买了超推荐的甜皮鸭,今晚吃完饭小酥说要不你把鸭带走吧,两个人互相推脱,信了网上的邪就是说,一点也不好吃,出行一趟最后一致决定以后不走更远的就不出去玩了
回来路上决定今晚我要做饭,又花费两小时做好图三,本来欠小酥一顿碗,后面又没有洗,小酥说那我把碗收了我不愿意,石头剪刀布小酥又输
晚上因为太累不想送我回来,思考要给我出个条件诱惑我,说出一个月都不会让我洗碗的条件被我无情拒绝(它讨厌洗碗到说宁愿吃也不愿意洗碗,只要不洗碗什么都愿意做
真是劳累的两天,上次它看了我微博,今晚视频问我昵称是什么,幸好它记性差!
#樱井翔[超话]#第一次尝试把杂志上的字敲打出来,意外的有趣。第一次把翔君的两万字文章的开头打出来了,接下来,想要继续努力把两万字都变成数字版,然后尝试去翻译。
櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶
前編
日米開戦から80年、キャスターとした戦争を伝えてきた筆者が
独自の取材と調査で書き下ろす2週連続特別企画
海軍士官として戦没した大伯父と「短現」の記憶を追って。
「なぜ戦争の取材を続けるのか」。これまで、多くの方に聞き掛けられてきた。「おまえは本当に戦争の話が好きだな」。国の内外に旅行するたび、必ず戦争資料館に付き合わされる友人に言われてきた。
「そこまでいろいろ調べるのは翔ちゃんぐらいだね」。家族、親族にもいわれてきた。
なぜ私が、戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのか。
それは、私が遺族だからです。
2012年初頭。TBSのドラマ『ブラックボードー~ 時代と戦った教師たち~』に出演し、戦時中に国史の教師をしていたため、戦後に苦悩する人物を演じることになった。「御国のために」「鬼畜欧米」と生徒たちに教育を施し、自身の出征時には「大日本帝国万歳!」と生徒たちに見送られる。それが、戦争が終わり、外地から戻ると景色も価値観も様変わりしていた。クラス会を開くも、自分が送り出した生徒の何人かは戦地に散っていた。信じ、支えにしてきた価値観は失われ、かつての生徒たちからは「あんたが級友を殺したんだ」と責められる。
そんな人物の27歳から30歳を、当時30歳の自分が演じることになった。さまざまな資料に目に通すなか、遺族の方が書かれた文章にもいくつか触れていた。どれほど読んだときのことだろうか、ふと、頭をよぎるものがあった。
突如、浮かんできた景色があった。幼少期に夏休みやお正月を毎年過ごしてきた、群馬の祖父母宅。両親と共に布団を敷いて寝ていた畳の部屋。頭を枕に乗せたその先に、必ず目に入る表彰状のようなものがあった。たしか、額に入れ飾られていた気がする。額縁の上部に菊の紋章があり、下部に某神社(大家懂得都懂)の文字。中央に某神社の全景と、学ランのようなものをまとった人物の白黒写真。そして、次の文字。
故 海軍主記少佐 櫻井次男
昭和20年3月29日東海にて戦死
私の理解では、その人は他界した祖父・櫻井三男の亡くなった兄。知っているのはほぼそれだけだった。しかし、私は自問した。あの人の遺族は誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人の「家族」とは誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人は何のためになくなったのか。亡くならなければならなかったのか。
なぜ亡き祖父は、戦没した兄の遺影をずっと和室に飾り続けていたのだろう。
直後、自分の中に一つの結論めいたものが生まれた。
「私も遺族かもしれない」――。
一度もあったことのない、亡き親族の一人を突如「身内」に感じた。学級文庫で、図書室で、幼少期から見続けていた白黒写真やモノクロフィルムの中の「戦争」。今の景色とは違う、自分とは関係のない「遠いいつかの時代」。そんな白黒の世界が、たちまち色鮮やかなカラーとなり、自分の正面に「ドンッ」と置かれる感覚を覚えた。
そして次に、「あの人のこと、何も知らない」との思いに襲われた。
この日より、折を見て調べてはいた。時々得てきた断片的な情報は、点としていくつか脳内にある。この、浅く、小さな点を、深く、大きな線で結びたいと思った。
なぜ私の大伯父、櫻井次男氏は南方の海へ散ることになったのか。8歳下の弟である祖父・三男はいかほどの想いを背負いながら戦後を生きたのか。太平洋戦争開戦から80年がたつ2021年12月、ここに記しておこうと思う。
櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶
前編
日米開戦から80年、キャスターとした戦争を伝えてきた筆者が
独自の取材と調査で書き下ろす2週連続特別企画
海軍士官として戦没した大伯父と「短現」の記憶を追って。
「なぜ戦争の取材を続けるのか」。これまで、多くの方に聞き掛けられてきた。「おまえは本当に戦争の話が好きだな」。国の内外に旅行するたび、必ず戦争資料館に付き合わされる友人に言われてきた。
「そこまでいろいろ調べるのは翔ちゃんぐらいだね」。家族、親族にもいわれてきた。
なぜ私が、戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのか。
それは、私が遺族だからです。
2012年初頭。TBSのドラマ『ブラックボードー~ 時代と戦った教師たち~』に出演し、戦時中に国史の教師をしていたため、戦後に苦悩する人物を演じることになった。「御国のために」「鬼畜欧米」と生徒たちに教育を施し、自身の出征時には「大日本帝国万歳!」と生徒たちに見送られる。それが、戦争が終わり、外地から戻ると景色も価値観も様変わりしていた。クラス会を開くも、自分が送り出した生徒の何人かは戦地に散っていた。信じ、支えにしてきた価値観は失われ、かつての生徒たちからは「あんたが級友を殺したんだ」と責められる。
そんな人物の27歳から30歳を、当時30歳の自分が演じることになった。さまざまな資料に目に通すなか、遺族の方が書かれた文章にもいくつか触れていた。どれほど読んだときのことだろうか、ふと、頭をよぎるものがあった。
突如、浮かんできた景色があった。幼少期に夏休みやお正月を毎年過ごしてきた、群馬の祖父母宅。両親と共に布団を敷いて寝ていた畳の部屋。頭を枕に乗せたその先に、必ず目に入る表彰状のようなものがあった。たしか、額に入れ飾られていた気がする。額縁の上部に菊の紋章があり、下部に某神社(大家懂得都懂)の文字。中央に某神社の全景と、学ランのようなものをまとった人物の白黒写真。そして、次の文字。
故 海軍主記少佐 櫻井次男
昭和20年3月29日東海にて戦死
私の理解では、その人は他界した祖父・櫻井三男の亡くなった兄。知っているのはほぼそれだけだった。しかし、私は自問した。あの人の遺族は誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人の「家族」とは誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人は何のためになくなったのか。亡くならなければならなかったのか。
なぜ亡き祖父は、戦没した兄の遺影をずっと和室に飾り続けていたのだろう。
直後、自分の中に一つの結論めいたものが生まれた。
「私も遺族かもしれない」――。
一度もあったことのない、亡き親族の一人を突如「身内」に感じた。学級文庫で、図書室で、幼少期から見続けていた白黒写真やモノクロフィルムの中の「戦争」。今の景色とは違う、自分とは関係のない「遠いいつかの時代」。そんな白黒の世界が、たちまち色鮮やかなカラーとなり、自分の正面に「ドンッ」と置かれる感覚を覚えた。
そして次に、「あの人のこと、何も知らない」との思いに襲われた。
この日より、折を見て調べてはいた。時々得てきた断片的な情報は、点としていくつか脳内にある。この、浅く、小さな点を、深く、大きな線で結びたいと思った。
なぜ私の大伯父、櫻井次男氏は南方の海へ散ることになったのか。8歳下の弟である祖父・三男はいかほどの想いを背負いながら戦後を生きたのか。太平洋戦争開戦から80年がたつ2021年12月、ここに記しておこうと思う。
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