東北新幹線 脱線 運転再開の見通し立たず
乗客「新幹線が揺れてジャンプした」
斉藤国土交通相「長引く可能性も」
2022年3月17日 12時01分 宮城 福島 震度6強
脱線した東北新幹線に乗っていた、東京からの仕事帰りだったという仙台市の男性は「新幹線が揺れてジャンプした感じでした。周囲には車両内で体を打っている人がいて、私も腕と脚とひじをぶつけて通路に放り出されました。長い時間、停電した車内にいて、すごく寒かったです」と話していました。
旅行から仙台に戻る途中だったという女性は「車内では、過呼吸になっている人がいてざわついていました。やっと帰って来られてよかったです」と話していました。
出張帰りだという男性は「何があったのかなと思ったら、電気が消えて、下から突き上げるような揺れを感じました。一刻も早く体を休めたいです」と話していました。
【東北各地 航空の臨時便も】
東北新幹線が一部区間で不通となっていることを受け、航空各社は羽田空港と東北の各地の空港を結ぶ臨時便の運航を行っています。
全日空の臨時便は
▽羽田空港と仙台空港を結ぶ6便と、
▽羽田空港と福島空港を結ぶ4便。
日本航空は
▽羽田空港と仙台空港を結ぶ4便と、
▽羽田空港と山形空港を結ぶ2便を臨時便として運航し、
▽羽田空港と青森空港を結ぶ2便については機体を大型化して運航するということです。
18日以降についても状況に応じて臨時便を運航する予定で、決まり次第ホームページで周知するとしています。
【斉藤国土交通相「長引く可能性も」】
斉藤国土交通大臣は参議院予算委員会で、東北新幹線の脱線について「JR東日本から、17両中16両が脱線するなど場合によっては、運転見合わせが長くなる可能性があると報告を受けている。可能なかぎり早期に復旧の見込みについて公表するよう指導したい」と述べました。
乗客「新幹線が揺れてジャンプした」
斉藤国土交通相「長引く可能性も」
2022年3月17日 12時01分 宮城 福島 震度6強
脱線した東北新幹線に乗っていた、東京からの仕事帰りだったという仙台市の男性は「新幹線が揺れてジャンプした感じでした。周囲には車両内で体を打っている人がいて、私も腕と脚とひじをぶつけて通路に放り出されました。長い時間、停電した車内にいて、すごく寒かったです」と話していました。
旅行から仙台に戻る途中だったという女性は「車内では、過呼吸になっている人がいてざわついていました。やっと帰って来られてよかったです」と話していました。
出張帰りだという男性は「何があったのかなと思ったら、電気が消えて、下から突き上げるような揺れを感じました。一刻も早く体を休めたいです」と話していました。
【東北各地 航空の臨時便も】
東北新幹線が一部区間で不通となっていることを受け、航空各社は羽田空港と東北の各地の空港を結ぶ臨時便の運航を行っています。
全日空の臨時便は
▽羽田空港と仙台空港を結ぶ6便と、
▽羽田空港と福島空港を結ぶ4便。
日本航空は
▽羽田空港と仙台空港を結ぶ4便と、
▽羽田空港と山形空港を結ぶ2便を臨時便として運航し、
▽羽田空港と青森空港を結ぶ2便については機体を大型化して運航するということです。
18日以降についても状況に応じて臨時便を運航する予定で、決まり次第ホームページで周知するとしています。
【斉藤国土交通相「長引く可能性も」】
斉藤国土交通大臣は参議院予算委員会で、東北新幹線の脱線について「JR東日本から、17両中16両が脱線するなど場合によっては、運転見合わせが長くなる可能性があると報告を受けている。可能なかぎり早期に復旧の見込みについて公表するよう指導したい」と述べました。
#能年玲奈[超话]##のん##侬non[超话]# via ins:
"のん"が、被災地から第二のふるさと岩手・久慈と歩んだ10年の道のり
--------------------
朝は誰にも同じようにやってくる。
でも、みんなが同じ一日を過ごすことはない。
11年前のあの日も はじまりは同じ朝だった。
東日本大震災から11年。
多くの東北の人にとって、昨日まであったあたり前の日常が突如崩壊した日である。明日がこんなことになるなんて誰も想像していなかっただろうに。
人はこの世に生を受け、何もなければ80年くらいは生きるものと思っている。でも、そんな確約はどこにもない。
自然の力によって命を奪われることの無力感…。生き残った者は、誰にこの怒りをぶつければ良いのだろうか?
何の保証もないのが人生であることは判っている。だからこそ、生き残った者は、この命の儚さと尊さを実感し、一生懸命生きなければならない。
そして、毎日を本当に大切と思えることに捧げ、努力をしたいと思う。それが死者への償いになると信じる。
震災で亡くなった方とそのご家族、心の拠り所を失った方々と悲しみを忘れない一日にしたいと思う。
そして、一瞬にして生活の全てを失ったウクライナの人々が、一刻も早く平和な毎日を取り戻せるよう祈りたい。
"のん"が、被災地から第二のふるさと岩手・久慈と歩んだ10年の道のり
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朝は誰にも同じようにやってくる。
でも、みんなが同じ一日を過ごすことはない。
11年前のあの日も はじまりは同じ朝だった。
東日本大震災から11年。
多くの東北の人にとって、昨日まであったあたり前の日常が突如崩壊した日である。明日がこんなことになるなんて誰も想像していなかっただろうに。
人はこの世に生を受け、何もなければ80年くらいは生きるものと思っている。でも、そんな確約はどこにもない。
自然の力によって命を奪われることの無力感…。生き残った者は、誰にこの怒りをぶつければ良いのだろうか?
何の保証もないのが人生であることは判っている。だからこそ、生き残った者は、この命の儚さと尊さを実感し、一生懸命生きなければならない。
そして、毎日を本当に大切と思えることに捧げ、努力をしたいと思う。それが死者への償いになると信じる。
震災で亡くなった方とそのご家族、心の拠り所を失った方々と悲しみを忘れない一日にしたいと思う。
そして、一瞬にして生活の全てを失ったウクライナの人々が、一刻も早く平和な毎日を取り戻せるよう祈りたい。
熊本市市长 大西一史 态度鲜明:
本日(3月1日)、プーチン大統領宛に抗議文を送付しました。また熊本城天守閣をウクライナの国旗の色にライトアップして軍事侵攻により犠牲になられた皆様への哀悼の意を表すとともにロシアの軍事侵攻に強く抗議し一刻も早いロシア軍の撤退と平和的解決を求めます!
本日(3月1日)、プーチン大統領宛に抗議文を送付しました。また熊本城天守閣をウクライナの国旗の色にライトアップして軍事侵攻により犠牲になられた皆様への哀悼の意を表すとともにロシアの軍事侵攻に強く抗議し一刻も早いロシア軍の撤退と平和的解決を求めます!
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