王成(下)
蒲松齢
田中貢太郎訳

「眼に怒脈どみゃくがあるな、これは強い鳥だ。弱い鳥ではいけない。鉄口を持って来い。」
 といいつけた。侍臣の一人が喙くちばしの黒い鶉を持って来て王成の鶉に当らした。二羽の鶉は一、二度蹴りあっただけで王の鶉の羽が痛んでしまった。王は更に他の良いのを選んで当らしたが、それも負けてしまった。王は、
「急いで宮中の玉鶉を持って来い。」
 といいつけた。侍臣が王の命のままに持って来たのは羽の真白な鷺さぎのような鶉で、ただの鳥ではなかった。王成はその鶉を見てしょげてしまい、ひざまずいて罷やめさしてくれといった。
「大王の鶉は、神物でございます。私はこの鳥で生計くらしたてておりますから、傷でも負うようなことがあっては、たちまち困ってしまいますから。」
 主は笑っていった。
「まァ放してみるがいい。もし鶉が死んでしまったら、その方に十分償つぐないをしてとらせる。」
 王成はそこで鶉を放した。王の鶉はすぐに王成の鶉に向って飛びかかった。王成の鶉は王の鶉が来ると、鶏の怒ったようなふうで身を伏ふせて待った。王の鶉が強い喙でつッかかって来ると、王成の鶉は鶴の翔かけるようなふうでそれを撃った。進んだり退いたり飛びあがったり飛びおりたり、ものの一時も闘っていたが、王の鶉の方がようやく懈つかれて来た。そして、その怒りはますます烈はげしくなり、その闘いもますます急になったが、間もなく雪のような毛がばらばらに落ちて、翅はねを垂れて逃げていった。見物していたたくさんの人達は王成の鶉をほめて羨まない者はなかった。
 王はそこで王成の鶉を手に持って、喙くちばしより爪先つまさきまで精くわしく見てしまって、王成に問うた。
「この鶉は売らないか。」
 王成はここぞと思ったので、
「私は財産がございませんから、この鶉で命をつないでおります。売るのは困ります。」
 といった。すると王がいった。
「たくさん金を取らせる。百金を取らせるがどうじゃ。売りたいとは思わぬか。」
 王成は俯向うつむいて考えてからいった。
「私は、もともと鶉を飼うのが本職でもございませんから、大王がこれをお好みになりますなら、私に衣食のできるだけのことをしていただければ、それでよろしゅうございます。」
「それでは幾等いくらと申すか。」
「千両でよろしゅうございます。」
 王は笑っていった。
「たわけ者奴め。この鶉がどれほどの珍宝で、千両の価ねがあるのじゃ。」
「大王には宝ではございますまいが、私に取っては連城れんじょうの璧たまでも、これにはおっつかないと思っております。」
「それはどういう理由じゃ。」
「私はこれを持って、毎日市へ出てまいりまして、毎日幾等かの金を取って、それで粟あわを買って、一家十余人が餒うえず凍こごえずにくらしております。これにうえ越す宝がありましょうか。」
「わしは、くさすではない、あまり法外であるからいったまでじゃ。では二百両とらそう。」
 王成は首をふった。
「それはどうも。」
すると王が金を増した。
「ではもう百両とらせようか。」
 王成は首をふりながら旅館の主人の方をそっと見た。主人はすましこんでいた。そこで王成はいった。
「大王の仰せでございますから、それでは百両だけ負けましょう。」
 王はいった。
「だめじゃ。誰が九百両の金を一羽の鶉と易かえる者がある。」
 王成は鶉を嚢ふくろに入れて帰ろうとした。すると王が呼びかえした。
「鶉売り来い、鶉売り来い。それでは六百両取らそう。承知なら売っていけ、厭ならやめるまでじゃ。」
 王成はまた主人の方を見た。主人はまだ自若としていた。王成の望みは満ちあふれるほどであった。王成は早く返事をしないと機会を失って大金をもうけそこなうと思ったので、
「これ位の金で売るのは、まことに苦しゅうございますが、この話がこわれるようなことがありますと、罪を獲うることになりますから、しかたがありません。大王の仰せのままにいたしましょう。」
 といって売ることにした。王は喜んで金を秤はかって王成に渡した。王成はそれを嚢に入れて礼をいってから外へ出た。外へ出ると主人がうらんでいった。
「わっちがあれほどいってあるじゃないか。なぜ売り急ぎをするのです。もうすこしふんばってるなら八百両になったのですぜ。」
 王成は旅館へ帰ると金を案つくえの上へほうりだして、主人に思うだけ取れといったが主人は取らないで、食料だけの金を計算して取った。
 王成はそこで旅装を整えて帰り、家に着いてそれまでの経過を話して、金を見せて慶びあった。老婆はその金で王成にいいつけて三百畝ほの良田を買わせ、屋いえを建て道具を作らしたので、居然たる世家きゅうかとなった。老婆は朝早く起きて王成に農業の監督をさし、細君に機織はたおりの監督をさした。そして二人がすこしでも懶なまけると叱りつけたが、夫婦は老婆の指揮に安んじていて怨みごとはいわなかった。三年過ぎてから家はますます富んだ。その時になって老婆が帰るといいだした。夫婦は涙を流して引き留めた。それで老婆も留まったが翌日見るともういなかった。

作品原文
王成,平原故家子,性最懒。生涯日落,惟剩破屋数间,与妻卧牛衣中,交谪不堪。时盛夏燠热,村外故有周氏园,墙宇尽倾,惟存一亭;村人多寄宿其中,王亦在焉。既晓,睡者尽去;红日三竿,王始起,逡 巡欲归。见草际金钗一股,拾视之,镌有细字云:“仪宾府造。”王祖为衡府仪宾,家中故物,多此款式,因把钗踌躇。一妪来寻钗。王虽故贫,然性介,遽出授之。妪喜,极赞盛德,曰:“钗值几何,先夫之遗泽也。”问:“夫君伊谁?”答云:“故仪宾王柬之也。”王惊曰:“吾祖也。何以相遇?”妪亦惊曰:“汝即王柬之之孙耶?我乃狐仙。百年前,与君祖缱绻。君祖殁,老身遂隐。过此遗钗,适入子手,非天数耶!”王亦曾闻祖有狐妻,信其言,便邀临顾。妪从之。王呼妻出见,负败絮, 菜色黯焉。妪叹曰:“嘻!王柬之孙子,乃一贫至此哉!”又顾败灶无烟,曰:“家计若此,何以聊生?”妻因细述贫状,呜咽饮泣。妪以钗授妇,使姑质钱市米,三日外请复相见。王挽留之。妪曰:“汝一妻不能自存活;我在,仰屋而居,复何裨益?”遂径去。王为妻言其故,妻大怖。 王诵其义,使姑事之,妻诺。逾三日,果至。出数金,籴粟麦各石。夜与妇共短榻。妇初惧之;然察其意殊拳拳,遂不之疑。
翌日,谓王曰:“孙勿惰,宜操小生业,坐食乌可长也!”王告以无资。 曰:“汝祖在时,金帛凭所取;我以世外人,无需是物,故未尝多取。积花粉之金四十两,至今犹存。久贮亦无所用,可将去悉以市葛,刻日赴都,可得微息。”王从之,购五十余端以归。妪命趣装,计六七日可达燕都。嘱曰:“宜勤勿懒,宜急勿缓:迟之一日,悔之已晚!”王敬诺,囊货就路。中途遇雨,衣履浸濡。王生平未历风霜,委顿不堪,因暂休旅舍。不意淙淙彻暮,檐雨如绳。过宿,泞益甚。见往来行人,践淖没胫,心畏苦之。待至停午,始渐燥,而阴云复合,雨又大作。信宿乃行。将近京,传闻葛价翔贵,心窃喜。入都,解装客店,主人深惜其晚, 先是,南道初通,葛至绝少。贝勒府购致甚急,价顿昂,较常可三倍。 前一日方购足,后来者并皆失望。主人以故告王。王郁郁不得志。越日,葛至愈多,价益下。王以无利不肯售。迟十余日,计食耗烦多,倍益忧闷。主人劝令贱鬻,改而他图。从之。亏资十余两,悉脱去。早起,将作归计,启视囊中,则金亡矣。惊告主人。主人无所为计。或劝鸣官,责主人偿。王叹 曰:“此我数也,于主人何尤?”主人闻而德之,赠金五两,慰之使归。自念无以见祖母,蹀踱内外,进退维谷。
适见斗鹑者,一赌辄数千;每市一鹑,恒百钱不止。意忽动,计囊中资,仅足贩鹑,以商主人。主人亟怂之,且约假寓饮食,不取其直。王喜,遂行。购鹑盈儋,复入都。主人喜,贺其速售。至夜,大雨彻曙。天明, 衢水如河,淋零犹未休也。居以待晴。连绵数日,更无休止。起视笼中,鹑渐死。王大惧,不知计之所出。越日,死愈多;仅余数头,并一笼饲之;经 宿往窥,则一鹑仅存。因告主人,不觉涕堕。主人亦为扼腕。王自度金尽罔归,但欲觅死,主人劝慰之。共往视鹑,审谛之曰:“此似英物。诸鹑之死,未必非此之斗杀之也。君暇亦无所事,请把之;如其良也, 赌亦可以谋生。”王如其教。既驯,主人令持向街头,赌酒食。鹑健甚,辄赢。主人喜,以金授王,使复与子弟决赌;三战三胜。半年许,积二十金。心益慰,视鹑如命。先是,大亲王好鹑,每值上元,辄放民间把鹑者入邸相角。主人谓王曰:“今大富宜可立致;所不可知者,在子之命矣。” 因告以故,导与俱往。嘱曰:“脱败,则丧气出耳。倘有万分一,鹑斗胜, 王必欲市之,君勿应;如固强之,惟予首是瞻,待首肯而后应之。” 王曰:“诺。”至邸,则鹑人肩摩于墀下。顷之,王出御殿。左右宣言:“有愿斗者上。”即有一人把鹑,趋而进。王命放鹑,客亦放;略一腾踔, 客鹑已败。王大笑。俄顷,登而败者数人。主人曰:“可矣。”相将俱登。王相之,曰:“睛有怒脉,此健羽也,不可轻敌。”命取铁喙者当之。一再腾跃,而王鹑铩羽。更选其良,再易再败。王急命取宫中玉鹑。片时把出,素羽如鹭,神骏不凡。王成意馁,跪而求罢,曰:“大王之鹑,神物也,恐伤吾禽,丧吾业矣。”王笑曰:“纵之。脱斗而死,当厚尔偿。” 成乃纵之。玉鹑直奔之。而玉鹑方来,则伏如怒鸡以待之;玉鹑健啄,则起如翔鹤以击之;进退颉颃,相持约一伏时。玉鹑渐懈,而其怒益烈, 其斗益急。未几,雪毛摧落,垂翅而逃。观者千人,罔不叹羡。王乃索取而亲把之,自喙至爪,审周一过,问成曰:“鹑可货否?”答云:“小人无恒产,与相依为命,不愿售也。”王曰:“赐而重值,中人之产可致。颇愿之乎?”成俯思良久。曰:“本不乐置;顾大王既爱好之,苟使小人得衣食业, 又何求?”王请直,答以千金。王笑曰:“痴男子!此何珍宝,而千金直也?” 成曰:“大王不以为宝,臣以为连城之壁不过也。”王曰:“如何?” 曰:“小人把向市,日得数金,易升斗粟,一家十余食指,无冻馁忧, 是何宝如之?”王言:“予不相亏,便与二百金。”成摇首。又增百数。成目视主人,主人色不动。乃曰:“承大王命,请减百价。”王曰:“休矣! 谁肯以九百易一鹑者!”成囊鹑欲行。王呼曰:“鹑人来,鹑人来!实给六百,肯则售,否则已耳。”成又目主人,主人仍自若。成心愿盈溢,惟恐失时,曰:“以此数售,心实怏怏;但交而不成,则获戾滋大。无已,即如王命。”王喜,即秤付之。成囊金,拜赐而出。主人怼曰:“我言如何,子乃急自鬻也?再少靳之,八百金在掌中矣。”成归,掷金案上,请主人自取之,主人不受。又固让之,乃盘计饭直而受之。
王治装归,至家,历述所为,出金相庆。妪命治良田三百亩,起屋作器, 居然世家。妪早起,使成督耕,妇督织;稍惰,辄诃之。夫妇相安,不敢有怨词。过三年,家益富。妪辞欲去。夫妻共挽之,至泣下。妪亦遂止。旭旦候之,已杳矣。
异史氏曰:“富皆得于勤,此独得于惰,亦创闻也。不知一贫彻骨,而至性不移,此天所以始弃之而终怜之也。懒中岂果有富贵乎哉!”

王成(上)
蒲松齢
田中貢太郎訳

 王成おうせいは平原へいげんの世家きゅうかの生れであったが、いたって懶なまけ者であったから、日に日に零落れいらくして家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻らんまを編んで作った牛衣ぎゅういの中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周しゅうという家の庭園があって、牆へいは頽くずれ家は破れて、ただ一つの亭あずまやのみが残っていたが、涼しいので村の人達がたくさんそこへ泊りにいった。王成もその一人であった。
 ある朝のことであった。寝ていた村の人達は皆帰っていったが、懶け者の王成一人は陽が高く昇るまで寝ていて起き、それでまだぐすぐすしていて帰ろうとすると、草の根もとに金の釵かんざしが一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を鐫ほってあった。それは儀賓府造ぎひんふぞうという文字であった。王成の祖父は衡府こうふ儀賓、すなわち衡王の婿となっていたので、家に残っている品物の中にその印のある物が多かった。そこで王成は釵を持ってためらっていると、一人の老婆が来て、
「もしか、この辺あたりに釵は落ちていやしなかったかね。」
 といった。王成は貧乏はしても頑固な正直者であったから、すぐ出して渡した。
「これですか。」
 老婆はひどく喜んだ。「お前さんは正直者だ。感心な男だ、お蔭でたすかったよ。これは幾等いくらもしないものだが、先の夫の形見かたみでね。」
 王成は儀賓府造の印のある品物を遺のこした夫という人の素性が知りたかった。
「あなたの夫というのは、どうした方です。」
 と問うた。すると老婆が答えた。
「もとの儀賓の王柬之おうかんしだよ。」
 王成は驚いていった。
「それは私のお祖父さんですよ。どうしてあなたに遇ったのでしょう。」
 老婆もまた驚いていった。
「ではお前さんは、王柬之の孫だね。私は狐仙こせんだよ。百年前、お前さんのお祖父じいさんに可愛がられてたが、お祖父さんが没なくなったので、私もとうとう身を隠してしまった。それがここを通って釵をおとして、お前さんの手に入ったというのも、天命じゃないかね。」
 王成も祖父に狐妻のあったということを聞いていたので、老婆の言葉を信用した。
「そうですよ、天命ですよ、では、これから私の家へいってくれませんか。
というと老婆はそのまま随ついて来た。王成はそこで細君を呼んであわした。細君の頭髪は蓬のように乱れて、顔色は青いうえに薄黒みを帯びていた。老婆はそれを見て、
「あァあァ、王柬之の子孫がこんなにまで貧乏になったのか。」
 と歎息してふりかえった。そこに敗れた竈かまどはあったが、火を焚たいた痕あとも見えなかった。老婆はいった。
「こんなことで、どうして生きてゆかれる。」
 そこで細君は細かに貧乏の状態を話して泣きじゃくりした。老婆は彼かの釵かんざしを細君にやって、
「それを質に入れてお米を買うがいい。」
 といいつけて、帰りしたくをして、
「三日したらまた来るよ。」
 といった。王成はそれをおし留とどめた。
「どうか家にいてくださいよ。」
 老婆は、
「お前さんは、一人のお神さんとさえくらしていくことができないじゃないかね。私が一緒になって、じっとしていちゃなお困るじゃないかね。」
 といってとうとういってしまった。王成はその後で、細君に老婆が人間でなくて狐仙であるということを話した。細君は顔色を変えて怖おそれた。王成は老婆に義侠心ぎきょうしんのあることを説明して、姑しゅうとめとして事つかえなければならないといったので、細君も承知した。
 三日目になって果して老婆が来た。老婆は数枚の金を出して、粟と麦を一石せきずつ買わせ、夜は細君と一緒の寝台に寝た。細君[#「細君」は底本では「組君」]は初めは懼おそれたが、老婆が自分を可愛がってくれる心が解ったので、それからは疑い懼れぬようになった。
 翌日になって老婆は王成に話していった。
「お前さんは惰なまけてばかりいちゃいけない。小生業こあきないでもしたらどうだね、坐ってたべていちゃだめだよ。」
 王成は、
「商売をしようと思っても、もとでがありませんから。」
 といった。すると老婆は、
「お前さんのお祖父さんのおった時は、お金は使いしだいであったが、私は世の中の人でないから、そんな物は入用がないし、べつにもらったことはなかったが、それでも化粧料としてもらったのが積って四十両になって、それがそのまま残っている。貯えて置いても入用がないから、その金で葛布かたびらを買って、すぐ都へいくなら、すこしはもうけがあるだろう。」
 といった。王成は老婆の言葉に従って、老婆から金をもらい、その金で五十余端の葛布を買って帰って来た。老婆は、
「これから仕度をして、すぐ出かけるがいい。六日目か七日目には、北京へ往き着くよ。」
 といって、その後で、
「一生懸命にやらなくちゃいけないよ。懶なまけちゃいけないよ。それにうんと急いで、ゆるゆるしていちゃだめだよ。一日おくれたらもう後悔してもだめだ。」
 と注意した。王成は承知して品物を嚢ふくろに入れて出発したが、途中で雨に遇って、着物も履物はきものもびしょ濡れになった。王成は平生苦労をしたことがないから弱ってしまった。そこで暫く休むつもりで旅館へ入ったが、雨はますます強くざあざあと降りだして夜になってもやまなかった。簷のきを見ると縄のような雨だれがかかっている。仕方しかたなしに一泊して朝になってみると雨はやんでいたが、路のぬかりがひどくて、旅人達は脛すねまで入って往来していた。王成はそれにも弱って待っていると、午ひるになって路がやっと乾いた。そこで出発しようとしていると断きれていた雲がまた合って、また大雨になった。王成は仕方なしにまた一晩泊って翌日出発した。そして北京に近くなって人の噂を聞くと、葛布の価ねがあがったというので、心のうちに喜んで北京へ入って旅館へいった。旅館の主人は王成の荷物を見て、
「しまったなあ。二、三日早かったら、うんともうけるところだったが。」
 といって惜おしんだ。それは南方との交通が始まったばかりの時で、葛布が来てもたくさん来なかったうえに、市中の富豪で買う者がたくさんあったので、価が非常にあがって平生と較べて三倍ほどになっていた。それが王成の着く前日になってたくさん着荷があったので、価が急にさがって、後から葛布を持って来た者は皆失望していた。旅館の主人はそのことを王成に話した。王成は失望してふさぎこんでしまった。
 翌日になって葛布の着荷がますます多く、価もますますさがった。王成は利益がないので売らずにぐずぐずしているうちに十日あまり経ったので、葛布の価はますますさがり、一方旅館の滞在費用もかさんで来たので、ますます煩悶はんもんした。旅館の主人が見かねて、
「置けば置くほど損をするから、今のうちに売ってしまって、何か他の工夫をしたらいいじゃないかね。」
 といって勧めた。王成もその言葉に従って売ったが、十余両の損をした。そして手ぶらになって翌朝は早く起きて帰ろうと思って、金入かねいれを啓あけて見ると入れてあった金が亡くなっていた。驚いて旅館の主人に告げたが、主人もどうすることもできなかった。同宿していた男が、
「訴えて主人から払わしたらいいだろう。」
 といって勧めた。王成は歎息して、
「これは運命だ。主人の知ったことじゃない。」
 といって従わなかった。主人はそれを聞いて王成を徳として五両の金を贈って帰そうとした。しかし王成は老婆にあわす顔がないので帰ってもいけない。じっとしていられないので外へ出たり室の中にいたりして煩悶していた。ある日外出して鶉うずらを闘わして賭かけをしている者を見た。その賭には一賭に数千金をかける者があった。鶉の価を訊きいてみると一羽が百文以上であった。王成は忽たちまちその鶉の売買を思いついた。そこで金を計算してみるとどうかこうか出来そうであるから主人に相談した。
「鶉のかいだしをやりたいと思いますが。」
 主人も、
「それはいい、すぐおやりなさい。」
 といって勧すすめ、そのうえ王成を当分ただで置くといった。王成は喜んで出かけていって、鶉を買えるだけ買って篭かごに入れて帰って来た。主人は喜んでいった。
「それはよかった。ではすぐ売るがいいだろう。」
 夜になって大雨になって明け方まで降り続いたが、夜が明けたころには路の上に水が出て河のようになった。そのうえ雨がまだやまなかった。王成は雨の晴れるのを待っていたが、その雨は二、三日も続いて更にやみそうにもなかった。王成は鶉を心配して起たっていって篭の中を見た。鶉はたくさん死んでいた。王成は大いに困ったがさてどうにもしようがなかった。翌日になると鶉は大半死んで僅かに二、三羽しか生きていなかった。それを一つの篭へ入れて飼ってあったが、翌日いって窺のぞいた時には、また死んで一羽だけ残っていた。王成はそこでそれを主人に知らして、おぼえず涙を流した。
「私はなんという不運な男でしょう。」
 主人も王成のために口惜くやしがってくれたがどうすることもできない。王成はもう金がなくなってしまったので、故郷へ帰ろうにも帰れない。いっそ死んでしまおうと思いだした。主人は慰めて、
「まァ、そう力を落したものじゃない。またいい事も廻めぐって来る。」
 といって一緒にいって生き残った鶉を見ていたが、
「この鶉は豪つよい奴かもわからないよ。他の鶉の皆死んだのは、それが殺したかもわからない。お前さんは暇なんだから、やってみたらどうだね。もし良い鳥だったら、賭で生計くらしがたつよ。」
 といった。王成は主人に教えられたように鶉を馴ならした。鶉ははや馴れて来た。そこで主人が持って街頭へ出て、酒や料理を賭けて闘わしてみるとなかなか強いので皆勝った。主人は自分のことのように喜んで、金を王成にやって、またその辺の若いものと賭をやらしたが、三たび賭けて三たび勝った。
王成は半年ばかりの間に賭で二十金の貯蓄ができたので、心がますます慰められ、鶉を自分の命のように大事にした。その頃某なにがしという鶉の好きな王があって、正月十五日の上元じょうげんの節にあうごとに、民間の鶉を飼っている者を呼んで、それを闘わさした。旅館の主人は成に向って、
「お前さんはすぐ大金持ちになれるが、それを取るか取らないかはお前さんの運しだいだ。」
 といって、そこで鶉好きの王の話をして聞かせ、王成を案内して一緒にいったが、みちみち注意して、
「もし負けたならほうほうの体ていで帰るばかりさ。もし、万一お前さんの鶉が勝ったなら、王がきっと買うというから、お前さんはすぐ承知しちゃいけないよ。もしたって売れといったら、わっちの首を見るがいいよ。それでわっちの首がうなずいたら、承知をするがいいよ。」
 といった。王成はうなずいた。
「ああ、そうしよう。」
 そこで王の屋敷へいってみると鶉を持った人達が内庭にあふれていた。そして、暫くして王が御殿に出ると近侍きんじの者がいった。
「鶉を闘わせたい願いのある者は、登ってまいれ。」
 すると一人の男が鶉を持って登っていった。王は侍臣じしんに命じて自分の飼鳥を放たした。その男もまた自分の飼鳥を放した。その鶉と鶉はちょっと蹴けりあったかと思うと、もう男の鶉が負けてしまった。王は心地よさそうに笑った。続いて二、三人登っていったが、皆王の鶉のために負けてしまった。旅館の主人は王成にいった。
「今だ。」
 二人は一緒に登っていった。王は王成の手にした鶉を見て、

田単
概略
斉の将軍となる
斉の公族の田氏の遠縁にあたり、湣王の頃に斉の都の臨淄の市場の役人となった。

紀元前284年、燕の将軍の楽毅率いる5カ国の連合軍によって斉が敗北し臨淄が占領されると、湣王は逃亡し莒に立て籠もった。田単も東の安平へ逃げ込むが、燕の勢いを察知してか一族の者に馬車を補強させた。その後、燕軍によって安平が陥落すると人々は脱出したが、馬車の車軸が折れたりなどして燕軍に捕らえられる者が続出した。そんな中、補強していた田単の一族は無事に即墨へ逃れることができた。

快進撃を続ける燕軍は70余もある斉の城を次々と落とし、残すは莒と即墨のみとなった。莒では湣王が相国の淖歯に殺害され、その子の襄王に代替わりする事態に陥っていたものの数年間も城を守り通していたため、攻めあぐねた楽毅は即墨に矛先を向けた。城を守る即墨の大夫はこれを迎撃するが返り討ちにあい敗死してしまう。これを受けて即墨では今後の方針が話し合われ、安平での出来事を知る者達から、その知略を嘱望されて田単が将軍に立てられ、城を守ることになった。

策略の数々
その最中の紀元前279年、燕の昭王が死去し、太子の恵王が即位した。恵王と楽毅の仲が悪い事を知った田単はこれを好機にと燕へ間者を放ち、「莒と即墨はすぐにでも落とすことが出来る。楽毅がそれをしないのは、自ら斉王になる望みがあるからだ」「斉が恐れているのは、将軍が代わり容赦なく攻められることだ」との噂を流した。恵王はこれを信じて代わりに騎劫を派遣し、楽毅には帰国するよう命じた。その結果、強敵の楽毅を亡命に追い込むことに成功し、燕軍は王の処置に憤慨し士気は落ちた。

次に田単は城内の結束を促すよう考え、城内の者に食事のたびに家の庭で祖先を祭らせた。するとその供物を目当てに無数の鳥が集り、誰しも不気味な様子を怪しんだ。これを田単は「神の教えによるもの」と言い、「いずれ神の化身が現れて私の師となるであろう」と布告した。これを聞いたある兵士が「私が師になりましょうか」と冗談を言うと、田単は嘘と承知した上でその者を「神師」として強引に祭り上げ、自分はその指示に従うという姿勢を見せた。そして軍令の度にこの神の名を用いて人々を従わせた。
続いて「捕虜になると鼻そぎの刑に処されると恐れている」「城の中では城の外にある祖先の墓を荒らされないか恐れている」という偽情報を燕軍に流した。敵将・騎劫がその通りにして見せつけると、即墨の人々は燕軍への降伏を恐れ、祖先を辱められたことへの恨みから団結し、士気は大いに上がった。

火牛の計
城内の人々の状況から、いよいよ出撃の時期が訪れたと判断した田単は、まず城兵を慰撫した。

次に兵を隠して城壁を女子供や老人に守らせ、あたかも城内が困窮しているように装い、燕軍へ降伏の使者を派遣。更に即墨の富豪を介して燕の将軍に対し「降伏しても妻や財産などに手を出さないほしい」との安堵の約束と金を渡した。これらのことにより燕軍は勝利を喜び、油断を深めていった。

そこで田単は千頭の牛を用意し、鮮やかな装飾を施した布を被せ、角には刀剣、尻尾には松明をそれぞれ括り付け、夜中に城壁に開けておいた穴からこれを引き連れた。そして、たいまつに火をつけ尻を焼かれ怒り狂う牛を敵陣に放った。燕軍はその奇怪な姿の牛の突進に驚き、角の剣でことごとく刺し殺された。また、5千の兵もこれに続いて無言のまま猛攻をかけ、更に民衆も銅鑼や鐘などで天地を鳴動させるかのように打ち鳴らし、混乱を煽った。そのため、燕軍は大混乱に陥り、騎劫も討ち取られた。
田単はこの勢いに乗じ、70余城全てを奪回した。こうして都の臨淄に戻ることができた斉の襄王は、田単の功績を認めて、安平君に封じた。

その後
安平君への封爵との前後は不明ながら、復興後の田単は斉の宰相の就任したが、民衆に施しを行うなど善政を敷き、ある時道中に寒さに凍えていた老人に自身の着物を貸し与えた事があった。これを知った襄王は、田単が人心を得て斉の王位を簒奪しようとしているのではないかと疑い、田単を誅そうとしたが、配下の諫めによって思い留まった。しかし襄王の側近たちは田単を疎み、田単と親交のあった貂勃を罠に嵌め、連座で田単をも失脚させようと試みた。これを受けた襄王は、田単に対し威圧的な態度で事を問い質した。しかしその後当の貂勃が自ら襄王に掛け合い、田単が燕を打ち破った功績や、その際王族という立場を以て自らが王を名乗る事もできたにも拘わらず、それを行わずして襄王を迎え入れた忠誠心を訴えたため、襄王は田単を讒言した側近たちを処刑し、田単への加増を行ったという。
その後の田単は、趙の軍勢を率いて、燕の中陽県を攻めて、これを占領した。さらに韓の注人県を攻めてこれを占領した。後に趙の宰相になった(『史記』「趙世家」)。また、同時代史料では『呂氏春秋』や『荀子』にも彼が優れた軍略を持っている旨の記述が間接的にあるが、それ以上の言及はなされていない。

司馬遷も「『孫子』の『始めは処女の如く敵に戸を開けさせ、後は脱兎の如く守る暇を与えない』とは、田単のことを言っているのだろう」と評し、『史記』に単独で列伝を立てていることからも、かなり高く評価していることが窺える。

田单(dān),妫姓,田氏,名单,临淄(今山东省临淄区)人。战国时期齐国名将,齐国远房宗室。
初任市掾,管理临淄市场秩序。乐毅率领五国军队,攻打齐国。危亡之际,田单坚守即墨,以火牛阵大破燕军,收复失地七十余城,拜为相国,封为安平君。
后来,受到齐王猜忌,前往赵国出将入相,封号都平君,死后葬于安平城内。


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