一忘眼不的掉文案
1 、
“幸慢好热帮挡我掉很了多情虚假意的喜欢。”
2、
人总们是在爱面的前忠装臣,爱与诚真太难了,三五年载的青春,在腥偷面也前不值一提,他意愿和你共苦,却必未能等到的你同甘,不是吗?
3、
人最生好的三个词“久重别逢,失复而得,虚惊一场。”却独唯没有个一词叫“和如好初”,和好容易,如多初难啊。
4、
所以到爱底什是么,是夜彻不眠哭的湿枕头,却能无为力,但是就下不了决及心时止损。
5、
我敏太感了,因有为人给我留了下永远都抹掉不的阴影,希以望后被是好好保护,而是不把所的有错误归我为的敏感。
6、
至至始终,我来从没有信相过会有真人正的着带诚意爱来我,他们只寂是寞了上头,匆匆忙忙出现,又慌慌张离张开。
7、
这个世很界坏的,每个都人在装,我信你,你骗别我。
8、
这间世好像来从不缺,让心人动的新鲜感,你不也必执太着个某人,都淡会的。
9、
爱很奇怪,明什明么介都意,最后什都么可以原谅,就泰像戈尔说的,眼为睛她下着雨,心给里她打着伞。
10、
输的了时候说么什都像借口,游里戏技不如人,感里情也没办让法你一直欢喜我。
11、
或许是极我端吧,从没来想过,爱一人个还需要留退路。
12、
总人有会嫌你弃不够好,也有总人觉得哪你里都好,就你算温顺像的个猫,不欢喜的都还是弃嫌你掉毛。
13、
你为以我的沉默在是和较你劲,其实是望失和慢慢疏远,不重被视每的一秒都我在后退。
14、
恋有爱什好么谈的,牵别着人牵过的手,亲别着人亲过的嘴,说别着人过说的人,他别给人说过话的再给说你一遍,无聊极至且毫无意义。
15、
情写书给山鬼,心寄事予西风,可山惜鬼不懂字,西往风东吹,
16、
为么什暗恋么那好,因暗为恋永远会不失恋,你笑一我高很兴多天,你句一话记我得好多年。
17、
我是只那天,忙忙里慌的搞砸一了切,我是不故意的,我没也想和你道别。
18、
最的大遗憾,不错是过了好最的人,而是你当遇更见好的人时,却经已把好最的自己完用了。
19、
那天是告你诉我,你一会直爱我,所我以缝缝补补爱又了你很久,我没忘,是忘你了。
20、
不后顾果去的爱你,是做我过最勇的敢事,一深直信你里心有我,是我过做最蠢愚的事。
21、
到什底么最难熬,是漫漫长夜,还两是月三年,是人两相爱见不面,还是你欢喜的不人喜欢你。
22、
直今到天,你依是然我拒绝人别的原因,其我实也没在有等你,我是就没法欢喜上人别而已。
23、
我从被没谁知道,所也以没被谁忘记,在人别的回忆生中活,并是不我的目的。
24、
我行强把一东些西塞给他,比我如的时间,我感的情,我的幼稚,敏感,我来从没问过想他不想要,我知只道,我能不给别人。
1 、
“幸慢好热帮挡我掉很了多情虚假意的喜欢。”
2、
人总们是在爱面的前忠装臣,爱与诚真太难了,三五年载的青春,在腥偷面也前不值一提,他意愿和你共苦,却必未能等到的你同甘,不是吗?
3、
人最生好的三个词“久重别逢,失复而得,虚惊一场。”却独唯没有个一词叫“和如好初”,和好容易,如多初难啊。
4、
所以到爱底什是么,是夜彻不眠哭的湿枕头,却能无为力,但是就下不了决及心时止损。
5、
我敏太感了,因有为人给我留了下永远都抹掉不的阴影,希以望后被是好好保护,而是不把所的有错误归我为的敏感。
6、
至至始终,我来从没有信相过会有真人正的着带诚意爱来我,他们只寂是寞了上头,匆匆忙忙出现,又慌慌张离张开。
7、
这个世很界坏的,每个都人在装,我信你,你骗别我。
8、
这间世好像来从不缺,让心人动的新鲜感,你不也必执太着个某人,都淡会的。
9、
爱很奇怪,明什明么介都意,最后什都么可以原谅,就泰像戈尔说的,眼为睛她下着雨,心给里她打着伞。
10、
输的了时候说么什都像借口,游里戏技不如人,感里情也没办让法你一直欢喜我。
11、
或许是极我端吧,从没来想过,爱一人个还需要留退路。
12、
总人有会嫌你弃不够好,也有总人觉得哪你里都好,就你算温顺像的个猫,不欢喜的都还是弃嫌你掉毛。
13、
你为以我的沉默在是和较你劲,其实是望失和慢慢疏远,不重被视每的一秒都我在后退。
14、
恋有爱什好么谈的,牵别着人牵过的手,亲别着人亲过的嘴,说别着人过说的人,他别给人说过话的再给说你一遍,无聊极至且毫无意义。
15、
情写书给山鬼,心寄事予西风,可山惜鬼不懂字,西往风东吹,
16、
为么什暗恋么那好,因暗为恋永远会不失恋,你笑一我高很兴多天,你句一话记我得好多年。
17、
我是只那天,忙忙里慌的搞砸一了切,我是不故意的,我没也想和你道别。
18、
最的大遗憾,不错是过了好最的人,而是你当遇更见好的人时,却经已把好最的自己完用了。
19、
那天是告你诉我,你一会直爱我,所我以缝缝补补爱又了你很久,我没忘,是忘你了。
20、
不后顾果去的爱你,是做我过最勇的敢事,一深直信你里心有我,是我过做最蠢愚的事。
21、
到什底么最难熬,是漫漫长夜,还两是月三年,是人两相爱见不面,还是你欢喜的不人喜欢你。
22、
直今到天,你依是然我拒绝人别的原因,其我实也没在有等你,我是就没法欢喜上人别而已。
23、
我从被没谁知道,所也以没被谁忘记,在人别的回忆生中活,并是不我的目的。
24、
我行强把一东些西塞给他,比我如的时间,我感的情,我的幼稚,敏感,我来从没问过想他不想要,我知只道,我能不给别人。
ヒカルの碁
第一局 永遠のライバル
誰だ
これは最善の一手ではない最強の一手でもない
走れ 明かり 爺ちゃんちすぐそこだ
もう だからまっすぐ帰ろうって言ったのに
爺ちゃん 爺ちゃん 上がらせてもらうよ
ねえ 本当にいいの
あ どれもパッとしないなあ
光る もう 出ようよ 気味悪いよ
勝手にそんなことしていいの
この間の社会のテストで8点しか取らなくてさあ小遣い止められてんだ
おっ これなんかいいんじゃねえか
これ知ってる五目並べする台でしょう
かなり古そうだなあ
爺ちゃんが昔使ってたやつかなあ
こりゃ高値で売れるかもなあ
ねえ 本当にいいの
平気 平気
きっと爺ちゃんだって忘れてるよ それに
それにこいつだって埃取ってやりゃ
それにしても全然 落ちないぞ この汚れ
うん 汚れってなんかいないよ 綺麗じゃない
これ
どこ
ここ
あ 何もないよ どこ
ここだってば
見えるんですか
だから先からそう言って
私の声が聞こえるんですか
私の声が聞こえるんですね
やっぱりそんな跡なんて
誰だ
嫌だ 光る 変なこと言わないでよ
見つけた やっと見つけた
爺ちゃんか
出てこいよ
私 帰るよ
あまねく神よ 感謝します
私は 私は
私は今一度 現世に戻る
どうしたの 光る 光る
お爺さん 光るが大変だよ
誰だ お前は
藤原佐為
佐為 何者だ
平安の都で大君に囲碁を教えておりました
毎日 毎日 来る日も来る日も囲碁を打っていた私はとても幸せでした
しかし私以外にもう一人 大君の指南役がおりました
ある日 彼が大君には進言したんです
指南役は一人で十分 対局にて雌雄を決し
勝者のみをお召しくださいと
それで 戦ったんだろう どっちが勝ったのさ
盤面互角で対局は進み みんなの視線が注がれる中で 私だけがそれを目にしたのは 本当に偶然でした 彼の碁笥(ごけ)の中に白石が混じっていたんです
それをあの物は 一瞬の隙をついて 自分のあげはまにしたのです
ずるしたんだ
私が声を上げようとした時 そなた 今
おい 貴様 今 碁笥に混じっていたん黒石を自分のあげはまにしたなあ
な 何を言う それは今 そなたがしたことではないか
これはなんとつまらぬ言い訳を
みんなの目が盤上に注がれているのをよいことに碁笥に混じっていた私の石をあげはまにしたではないか
そなたこそいい加減な
見苦しいぞ 静まれ
そのような下卑た行為が 余の前で行われたなどと考えたくもないわ
続けるがよい
私は負けました
心の動揺を抑えきれぬままに
さかしいごまかしをしたという汚名まで付いて 都を追い出された私に 生きる術はありません
それから2日後 私は入水したのです
私はもっと 碁を打ちたかった
成仏できぬ私の魂はある碁盤に宿り 遥かな年を経って瀬戸の海に浮かぶ因島である少年の声をを聞きました
彼の名は虎次郎
少年よ 私の流した悔し涙が見えるのならば そなたの心の片隅に 私を住まわせておくれ
虎次郎の名は秀策と改められ 20歳で師の跡目となり十四世本因坊秀策を名乗ることになったのです
本因坊秀策
しかし 虎次郎は流行病に倒れ ある夜 34歳の若さにして彼は
碁盤についてた血は そいつのものだったのか それで 俺に乗り移ったのはまた碁が打ちたいってわけか
はい なぜなら 私はまだ神の一手を極めていない
光る お前昨日救急車乗ったんだって
あ あん
光る
光る 本当に大丈夫 何があったの 昨日
それがさあ 自分でもよく覚えてないんだ
起きたっら もう今日になってて
後ろの人に回してください
はい 始めてください
ほお 歴史の問題ですか
ああ お前
なんですか
あ いえ
その すみません
座って テストを続けなさい
はい
昨日のあれは 夢じゃなかったんだ
はい
で お前の名前 なんってだっけ
佐為です
佐為か お前 そんなに碁が好き
はい
まだ碁を打ちたい
はい
でもわりーな 俺 碁なんて 全然やる気ないから
光る
進藤君
何をした てめい
な 何もしてません 何も
光る 大丈夫
進藤君
進藤君 大丈夫 保健室に行く
もう平気す
碁を打てないという私の悲しみがあなたの意識を包んだだけです
ったく 千年に及ぶお前の情熱には舌を巻くぜ
でもな 俺には俺の人生設計があるんだ
なあ 俺以外のやつじゃダメなの 乗り移るのを
多分
分かったよ たまには打つだけならいいか
けど俺の心は俺の物だからな 勝手に話しかけてくるな
はい
えーと 誰だったっけな
あと十分ですよ もうできた人は間違いがないか もう一度チェックしましょうね
ダメだ 佐為 お前知ってるか 天宝の改革って
天宝の 老中の水野さまが始められた
それそれ
ああ 懐かしい 一度常住で碁を打ったことがあるんですよ
じゃ ペリーも知ってる
うん ペリー
ペリーだよ 黒船率いてやってきた
あ ペルリ提督ですね
それだ そのベルリ提督はどこに来たんだ
浦賀です あの時は大騒ぎでした
浦賀っと
佐為
はい
お前って結構使えるやつだな
進藤君 何ひとりごと言ってるの テストはもうできたの
もうちょっとです
頑張ってね
人の体を通り抜けておきながら謝りもしない なんたる無礼な
光る この時代の女性はみんな
分かった 分かった 分かったら そう頭の中で騒ぐな
終わったら 碁を打てる所へ連れてってやるから
うわあ すごい人ですね
天下の大東京だからな
そいで そいで どこで碁を打つんですか
碁会場
うん
爺ちゃんが時々行ってるらしいんだけど碁の好きなおやじたちが集まって碁を打つ場所があるんだと
いつの時代でも 囲碁を愛する人はいるのですね
あら こんにちは どうぞ
うん
わあ 爺ばっかし
あの 君 ここ初めて
ここもなんもまるっきり始めて
誰でも打てるの
打てるわよ
じゃ はい お前書いて
棋力はどれくらい
棋力 よくわからない
え 人と対局したことないんだ
そこそこ強いと思うけど
あっ 子供いるじゃん あいつと打てる
あ うん でも あの子は
対局相手を探しての
うん
いいよ 僕打つよ
ああ でもこの子
奥へ行こうか
うん
ちょっと待って 子供なら500円よ
えっ お金要るの
初めてここに来てくれたんだから
今日はサービスしてあげてよ
アキラ君がそう言うなら
僕は塔矢アキラ 君は
進藤ヒカル 六年生だ
僕も六年生だよ
やっぱり年寄りが相手じゃ盛り上がんねえもんね
棋力はどのくらい
それが よくわかんないんだ 結構強いと思うんだけど
よくわかんないのに強いの
じゃとりあえず 君の置き石は 四つか5つぐらいにしようか
置き石って ハンデのこと
要らねえよ そんなの お前と俺と同い年じゃん
塔矢アキラ相手に置き石なしだって
とんでもない坊主だ
いいよ じゃ 先手でどうぞ
俺 ちょっと打つのが遅いかもしんないけど 勘弁なあ
佐為 そんなに嬉しいのか
百四十年ぶりだもんな
光る 行きますよ
よーし
17の四 右上隅 小目
17の 一 二 三 四
思いっきり初心者の手付きだなあ
16の17 右下隅 小目
16の17 ここか
三の16
三の16
16の五
16の五
こすみ
十四の四
十四の四
石の打ち方は初心者だけど 石の筋はしっかりしている 自分でも強さと言うだけある
どうした 早く打てよ
あっ ごめん
しかし 定石の方が古い
それに 時々変なところで手が止まるのはなぜだ
ええと 十四の十一 ここか
僕も打ち込みにも動じない
いや 動じないどころか 軽やかに躱していく
その白石はあなたの物です 取りなさい
はっ これ
はい
十九の十五
いいの 取られちゃって
十八の十四
これ 取れるんだよね
はい
どうしたの
その白の九子が死んだのです
その石は のちにヒカルのあげはまになります
こんなに一杯 じゃ 楽勝じゃん
いえ この物はそれほど柔ではありません
あの九子は 私が取ったのではなく 彼が捨てたのです
よく ご覧なさい
これは
まだやれる
左上の九子は大きかったけど 僕は 中央の空間を支配している
大丈夫なの
多分
四の13
八の五
えーと 八の そこか
あ これは これは最善の一手ではない最強の一手でもない
僕がどう打てくるか試している一手だ
僕の力量を測っている
遥かな高みから
じゃ またね
ありがとうございます
あら 終わったの
うん やっぱり対局はまだ早いわ 俺
打つのすごく時間が掛かって もうヘトヘト
あらあら あっ そうそう
今度子供の囲碁大会あるんだけど はい
見に行ってみたら
考えとく 今日はありがとう お姉さん
またね
アキラ君とやるのは五十年早かったかな
え 負けた
そんなバカな
アキラ君が負けたのか
アキラ君はプロに近い実力なんだぜ
置き石だったんだろう
なんの碁置かせたって
先手の黒番で
何目差だって
二目差
二目差なら こみを入れれば アキラ君の勝ちだ
二目差とか
そんなレベルじゃない
ちょっ ちょっと待ってよ
アキラ君が負けたって 本当なの
まさか
だってあの子 今まで一度も対局したことがないって言ったのよ
一度も対局したことがない
なんなんだ 彼は一体
慣れないことしたから 疲れちゃった
ちった満足したか
はい
おーし じゃ 帰ったら会社の宿題だ
なんなりと
うん 走るぞ
はい
第一局 永遠のライバル
誰だ
これは最善の一手ではない最強の一手でもない
走れ 明かり 爺ちゃんちすぐそこだ
もう だからまっすぐ帰ろうって言ったのに
爺ちゃん 爺ちゃん 上がらせてもらうよ
ねえ 本当にいいの
あ どれもパッとしないなあ
光る もう 出ようよ 気味悪いよ
勝手にそんなことしていいの
この間の社会のテストで8点しか取らなくてさあ小遣い止められてんだ
おっ これなんかいいんじゃねえか
これ知ってる五目並べする台でしょう
かなり古そうだなあ
爺ちゃんが昔使ってたやつかなあ
こりゃ高値で売れるかもなあ
ねえ 本当にいいの
平気 平気
きっと爺ちゃんだって忘れてるよ それに
それにこいつだって埃取ってやりゃ
それにしても全然 落ちないぞ この汚れ
うん 汚れってなんかいないよ 綺麗じゃない
これ
どこ
ここ
あ 何もないよ どこ
ここだってば
見えるんですか
だから先からそう言って
私の声が聞こえるんですか
私の声が聞こえるんですね
やっぱりそんな跡なんて
誰だ
嫌だ 光る 変なこと言わないでよ
見つけた やっと見つけた
爺ちゃんか
出てこいよ
私 帰るよ
あまねく神よ 感謝します
私は 私は
私は今一度 現世に戻る
どうしたの 光る 光る
お爺さん 光るが大変だよ
誰だ お前は
藤原佐為
佐為 何者だ
平安の都で大君に囲碁を教えておりました
毎日 毎日 来る日も来る日も囲碁を打っていた私はとても幸せでした
しかし私以外にもう一人 大君の指南役がおりました
ある日 彼が大君には進言したんです
指南役は一人で十分 対局にて雌雄を決し
勝者のみをお召しくださいと
それで 戦ったんだろう どっちが勝ったのさ
盤面互角で対局は進み みんなの視線が注がれる中で 私だけがそれを目にしたのは 本当に偶然でした 彼の碁笥(ごけ)の中に白石が混じっていたんです
それをあの物は 一瞬の隙をついて 自分のあげはまにしたのです
ずるしたんだ
私が声を上げようとした時 そなた 今
おい 貴様 今 碁笥に混じっていたん黒石を自分のあげはまにしたなあ
な 何を言う それは今 そなたがしたことではないか
これはなんとつまらぬ言い訳を
みんなの目が盤上に注がれているのをよいことに碁笥に混じっていた私の石をあげはまにしたではないか
そなたこそいい加減な
見苦しいぞ 静まれ
そのような下卑た行為が 余の前で行われたなどと考えたくもないわ
続けるがよい
私は負けました
心の動揺を抑えきれぬままに
さかしいごまかしをしたという汚名まで付いて 都を追い出された私に 生きる術はありません
それから2日後 私は入水したのです
私はもっと 碁を打ちたかった
成仏できぬ私の魂はある碁盤に宿り 遥かな年を経って瀬戸の海に浮かぶ因島である少年の声をを聞きました
彼の名は虎次郎
少年よ 私の流した悔し涙が見えるのならば そなたの心の片隅に 私を住まわせておくれ
虎次郎の名は秀策と改められ 20歳で師の跡目となり十四世本因坊秀策を名乗ることになったのです
本因坊秀策
しかし 虎次郎は流行病に倒れ ある夜 34歳の若さにして彼は
碁盤についてた血は そいつのものだったのか それで 俺に乗り移ったのはまた碁が打ちたいってわけか
はい なぜなら 私はまだ神の一手を極めていない
光る お前昨日救急車乗ったんだって
あ あん
光る
光る 本当に大丈夫 何があったの 昨日
それがさあ 自分でもよく覚えてないんだ
起きたっら もう今日になってて
後ろの人に回してください
はい 始めてください
ほお 歴史の問題ですか
ああ お前
なんですか
あ いえ
その すみません
座って テストを続けなさい
はい
昨日のあれは 夢じゃなかったんだ
はい
で お前の名前 なんってだっけ
佐為です
佐為か お前 そんなに碁が好き
はい
まだ碁を打ちたい
はい
でもわりーな 俺 碁なんて 全然やる気ないから
光る
進藤君
何をした てめい
な 何もしてません 何も
光る 大丈夫
進藤君
進藤君 大丈夫 保健室に行く
もう平気す
碁を打てないという私の悲しみがあなたの意識を包んだだけです
ったく 千年に及ぶお前の情熱には舌を巻くぜ
でもな 俺には俺の人生設計があるんだ
なあ 俺以外のやつじゃダメなの 乗り移るのを
多分
分かったよ たまには打つだけならいいか
けど俺の心は俺の物だからな 勝手に話しかけてくるな
はい
えーと 誰だったっけな
あと十分ですよ もうできた人は間違いがないか もう一度チェックしましょうね
ダメだ 佐為 お前知ってるか 天宝の改革って
天宝の 老中の水野さまが始められた
それそれ
ああ 懐かしい 一度常住で碁を打ったことがあるんですよ
じゃ ペリーも知ってる
うん ペリー
ペリーだよ 黒船率いてやってきた
あ ペルリ提督ですね
それだ そのベルリ提督はどこに来たんだ
浦賀です あの時は大騒ぎでした
浦賀っと
佐為
はい
お前って結構使えるやつだな
進藤君 何ひとりごと言ってるの テストはもうできたの
もうちょっとです
頑張ってね
人の体を通り抜けておきながら謝りもしない なんたる無礼な
光る この時代の女性はみんな
分かった 分かった 分かったら そう頭の中で騒ぐな
終わったら 碁を打てる所へ連れてってやるから
うわあ すごい人ですね
天下の大東京だからな
そいで そいで どこで碁を打つんですか
碁会場
うん
爺ちゃんが時々行ってるらしいんだけど碁の好きなおやじたちが集まって碁を打つ場所があるんだと
いつの時代でも 囲碁を愛する人はいるのですね
あら こんにちは どうぞ
うん
わあ 爺ばっかし
あの 君 ここ初めて
ここもなんもまるっきり始めて
誰でも打てるの
打てるわよ
じゃ はい お前書いて
棋力はどれくらい
棋力 よくわからない
え 人と対局したことないんだ
そこそこ強いと思うけど
あっ 子供いるじゃん あいつと打てる
あ うん でも あの子は
対局相手を探しての
うん
いいよ 僕打つよ
ああ でもこの子
奥へ行こうか
うん
ちょっと待って 子供なら500円よ
えっ お金要るの
初めてここに来てくれたんだから
今日はサービスしてあげてよ
アキラ君がそう言うなら
僕は塔矢アキラ 君は
進藤ヒカル 六年生だ
僕も六年生だよ
やっぱり年寄りが相手じゃ盛り上がんねえもんね
棋力はどのくらい
それが よくわかんないんだ 結構強いと思うんだけど
よくわかんないのに強いの
じゃとりあえず 君の置き石は 四つか5つぐらいにしようか
置き石って ハンデのこと
要らねえよ そんなの お前と俺と同い年じゃん
塔矢アキラ相手に置き石なしだって
とんでもない坊主だ
いいよ じゃ 先手でどうぞ
俺 ちょっと打つのが遅いかもしんないけど 勘弁なあ
佐為 そんなに嬉しいのか
百四十年ぶりだもんな
光る 行きますよ
よーし
17の四 右上隅 小目
17の 一 二 三 四
思いっきり初心者の手付きだなあ
16の17 右下隅 小目
16の17 ここか
三の16
三の16
16の五
16の五
こすみ
十四の四
十四の四
石の打ち方は初心者だけど 石の筋はしっかりしている 自分でも強さと言うだけある
どうした 早く打てよ
あっ ごめん
しかし 定石の方が古い
それに 時々変なところで手が止まるのはなぜだ
ええと 十四の十一 ここか
僕も打ち込みにも動じない
いや 動じないどころか 軽やかに躱していく
その白石はあなたの物です 取りなさい
はっ これ
はい
十九の十五
いいの 取られちゃって
十八の十四
これ 取れるんだよね
はい
どうしたの
その白の九子が死んだのです
その石は のちにヒカルのあげはまになります
こんなに一杯 じゃ 楽勝じゃん
いえ この物はそれほど柔ではありません
あの九子は 私が取ったのではなく 彼が捨てたのです
よく ご覧なさい
これは
まだやれる
左上の九子は大きかったけど 僕は 中央の空間を支配している
大丈夫なの
多分
四の13
八の五
えーと 八の そこか
あ これは これは最善の一手ではない最強の一手でもない
僕がどう打てくるか試している一手だ
僕の力量を測っている
遥かな高みから
じゃ またね
ありがとうございます
あら 終わったの
うん やっぱり対局はまだ早いわ 俺
打つのすごく時間が掛かって もうヘトヘト
あらあら あっ そうそう
今度子供の囲碁大会あるんだけど はい
見に行ってみたら
考えとく 今日はありがとう お姉さん
またね
アキラ君とやるのは五十年早かったかな
え 負けた
そんなバカな
アキラ君が負けたのか
アキラ君はプロに近い実力なんだぜ
置き石だったんだろう
なんの碁置かせたって
先手の黒番で
何目差だって
二目差
二目差なら こみを入れれば アキラ君の勝ちだ
二目差とか
そんなレベルじゃない
ちょっ ちょっと待ってよ
アキラ君が負けたって 本当なの
まさか
だってあの子 今まで一度も対局したことがないって言ったのよ
一度も対局したことがない
なんなんだ 彼は一体
慣れないことしたから 疲れちゃった
ちった満足したか
はい
おーし じゃ 帰ったら会社の宿題だ
なんなりと
うん 走るぞ
はい
涅槃是什么
前言
修学佛法最后的归趣在求证涅槃,
那么学佛修行的人,
当要彻底明白它,
不可轻易忽略它。
然而它到底是个什么东西?
让我来略说一下 :
一 、涅槃的意义
涅槃是梵语,
正音为波利匿缚男,
旧云涅槃,
今顺古亦云涅槃。
又名泥洹,
或云涅槃那,
皆音之讹略,
或楚夏不同。
旧译为灭度,
或云寂灭、
无为、
解脱、
安乐、
不生不灭等,
名虽异其义则同。
今单举灭度和寂灭二义释之 :
灭度,
即“ 灭 ”除烦恼,
“ 度 ”脱生死的意思。
寂灭,
寂谓理性“ 寂 ”静,
灭谓烦恼“ 灭 ”除。
亦可说,
证得“ 寂 ”静之体性,
自然烦恼“ 灭 ”除;
烦恼灭除,
自然证得寂静体性。
“ 智论 ”云 :
涅名为出,
槃名为趣,
谓永出诸趣生死,
则亦可译为出趣也。
若据新译 ——
玄奘法师则译为
“ 圆寂 ”,
此义比较来得完善,
因为寂灭、
灭度、
解脱等译,
不过仅约断德方面,
言断灭生死烦恼。
圆寂则统明智断二德。
今略释之 :
具足一切福德智慧叫做
“ 圆 ”;
永离一切烦恼生死叫做
“ 寂 ”。
简单的说 :
即德无不“ 圆 ”,
患无不“ 寂 ”。
详细的说 :
即福慧二严做到圆满无缺( 圆 ),
三惑烦恼彻底清除,
二种生死完全度脱( 寂 ),
永远不再被烦恼生死所困扰,
回复
“ 圆 ”明“ 寂 ”照的本有心体,
而获到一种纯善纯美的庄严解脱。
这就是涅槃的境界 ——
圆寂。
圆约进善方面言
( 成就一切福德 );
寂约灭恶方面言
( 断惑灭苦 )。
据此研究起来,
圆寂似乎大乘无为的涅槃,
寂静、
灭度等为小乘涅槃。
要之,
圆寂也就是指得
“ 圆明寂照之真心 ”。
因为它 ——
真心 ——
本具一切功德( 圆 ),
永离一切烦恼( 寂 )故。
成佛即证此真心,
故涅槃并非诸佛的专有品,
不过凡夫一向为梦想所蒙昧,
因此不能证得。
所谓迷则颠倒梦想,
悟则究竟涅槃。
当知梦想,
根本是由本觉真心而起的,
我人如能灭一分梦想,
即证一分真觉
( 如镜子去一分尘埃,
即现一分光明 ),
乃至全灭全证。
至此则一切功德无不复归
“ 圆 ”满,
一切烦恼生死无不毕竟空
“ 寂 ”,
是证到大乘究竟涅槃的境界。
二 、涅槃的种类
现在再来把它的种类介绍一下 :
涅槃有二种,
一 、有余,
二 、无余,
要详细明白它当分三段来讲 :
( 一 )就小乘方面 :
证得阿罗汉果,
对于招感生死业因的见思惑,
虽已断尽而更不生起,
但尚有前业所招的生死果报身未灭
( 生命体犹存 ),
叫做有余涅槃
( 尚有余此有漏依身的生死苦果可灭故 )。
若连以前烦恼业所受之身亦灭,
更不随业受生死,
叫做无余涅槃
( 无余外生死苦果可灭故 )。
换言之 :
不但招感生死之本的心理上之烦恼业惑已经解脱,
即众苦所聚的生理上之现实生命体亦同称解脱,
此为无余涅槃。
以上为小乘的有余、
无余涅槃
( 此有余、
无余同为一体,
因同断见思,
同证真理。
其不同处,
唯在有漏依身上灭,
未灭上分 )。
( 二 )就大乘方面 :
若变易生死因尽为有余涅槃,
变易的果尽为无余涅槃。
此为大乘的有余、
无余涅槃。
( 三 )就大小相对言 ;
小乘所证涅槃为
“ 有余 ”,
因为它仅断见思烦恼,
灭分段生死而已,
尚“ 有 ”其“ 余 ”的尘沙、
无明烦恼未断,
变易生死未了,
故曰有余。
至于大乘所证的涅槃,
则为
“ 无余 ”,
因为它是三惑全断,
二种生死永灭,
再“ 无 ”其“ 余 ”的烦恼可断,
生死可了,
故曰无余。
此为大小相对的有余、
无余涅槃。
又近代的学者说 :
果报身未灭为有余
( 虽惑断而身尚在 )
待果报身灭时,
始称为无余的涅槃。
更对于小乘和大乘涅槃的分解,
详细可再分为三点说明 :
1 、小乘灭生死而涅槃,
大乘达生死即涅槃,
这叫做本性寂灭非寂灭异,
此其一也。
2 、小乘唯断界内见思,
大乘并断界外
( 三界外 )
尘沙、
无明,
这叫做界内界外断惑异,
此其二也。
3 、小乘无身无智,
未彻证法身般若之德;
大乘则身知具足,
众德圆备,
这叫做众德具不具异,
此其三也。
我来引一段经文补释这众德具不具的道理,
使读者易懂。
“ 法华玄赞 ”二云 :
“ 一 、真如之体灵明妙觉,
名为般若 ”;
彼为觉性故也。
小乘之涅槃体非觉性,
故不名般若。
二 、真如之体出所知障,
名为
“ 法身 ”;
彼为一切功德法所依故。
小乘之涅槃非为功德法所依,
故不名法身。
三 、真如之体众苦都尽,
名为
“ 解脱 ”;
彼离分段变易故。
小乘之涅槃唯离分段,
未脱变易,
故非圆满解脱。
据上所说,
小乘涅槃所断的是见思烦恼,
所灭的是分段生死,
所证的是偏空真理,
所以它的生死因便是见思烦恼,
它的生死果即指有漏依身
( 为有漏烦恼感受生死所依之身 )。
大乘涅槃,
所断的是尘沙、
无明烦恼,
所灭的是变易生死,
所证的是中道实相理。
此则以尘沙、
无明为变易生死因,
空及二边之法相为变易生死果。
二乘人灭分段生死,
不受后有而入涅槃。
大乘菩萨及佛虽变易生死,
息妄归真,
而证无余涅槃。
或云 :
“ 佛息应身之化,
归于真身之本 ”
谓之无余涅槃。
总之,
二乘所证涅槃,
它的本体是见思烦恼永寂,
偏空真谛理显现。
菩萨所证涅槃,
它的本体是尘沙烦恼永寂,
但中俗谛理显现。
佛所证的涅槃,
它的本体是无明烦恼永寂,
实相中谛理显现。
小乘虽然不算圆满解脱,
可是它已能了脱分段生死,
因此,
亦得称为涅槃 ——
小涅槃;
三德中仅具解脱一分。
至于大乘所证的涅槃,
可就不同了,
它是圆断烦恼、
圆满解脱、
圆证三身、
圆获三智;
那法身、
般若、
解脱三德具备,
常乐我净的四德不缺。
此外还有性净涅槃、
无住涅槃,
合前有余、
无余为四种涅槃。
有余、
无余是三乘共证,
凡夫无分;
性净涅槃是凡圣同具;
无住涅槃是佛果独证。
今略说明之 :
“ 性净涅槃 ”
谓诸法自体,
性本空寂,
不假他修,
法法平等,
圣凡不二的理性。
“ 无住涅槃 ”
是说不住生死,
不住涅槃,
因为它是福慧圆满,
更无所求。
体虽如如而能不变随缘;
用虽生灭而能随缘不变。
又以大悲故不住涅槃
( 不忍坐视沉溺生死的众生而不救 );
以大智故不住生死
( 不被无明所迷,
业力所转 ),
故云无住。
结语
如上所明,
涅槃是学佛修行最后的归趣,
不消说它当然是个无法估价的圣果。
嗟嗟!世有一班不懂教义的人,
竟以涅槃认为是死的别名,
这是根本错误的!
要知道,
它 —— 涅槃,
乃诸佛圣者所同证的圣果,
是由历劫辛苦,
积行一切功德所换来的代价。
就以小乘涅槃来说 :
并不是个个死了就能即证涅槃。
请大家认识清楚为幸!
前言
修学佛法最后的归趣在求证涅槃,
那么学佛修行的人,
当要彻底明白它,
不可轻易忽略它。
然而它到底是个什么东西?
让我来略说一下 :
一 、涅槃的意义
涅槃是梵语,
正音为波利匿缚男,
旧云涅槃,
今顺古亦云涅槃。
又名泥洹,
或云涅槃那,
皆音之讹略,
或楚夏不同。
旧译为灭度,
或云寂灭、
无为、
解脱、
安乐、
不生不灭等,
名虽异其义则同。
今单举灭度和寂灭二义释之 :
灭度,
即“ 灭 ”除烦恼,
“ 度 ”脱生死的意思。
寂灭,
寂谓理性“ 寂 ”静,
灭谓烦恼“ 灭 ”除。
亦可说,
证得“ 寂 ”静之体性,
自然烦恼“ 灭 ”除;
烦恼灭除,
自然证得寂静体性。
“ 智论 ”云 :
涅名为出,
槃名为趣,
谓永出诸趣生死,
则亦可译为出趣也。
若据新译 ——
玄奘法师则译为
“ 圆寂 ”,
此义比较来得完善,
因为寂灭、
灭度、
解脱等译,
不过仅约断德方面,
言断灭生死烦恼。
圆寂则统明智断二德。
今略释之 :
具足一切福德智慧叫做
“ 圆 ”;
永离一切烦恼生死叫做
“ 寂 ”。
简单的说 :
即德无不“ 圆 ”,
患无不“ 寂 ”。
详细的说 :
即福慧二严做到圆满无缺( 圆 ),
三惑烦恼彻底清除,
二种生死完全度脱( 寂 ),
永远不再被烦恼生死所困扰,
回复
“ 圆 ”明“ 寂 ”照的本有心体,
而获到一种纯善纯美的庄严解脱。
这就是涅槃的境界 ——
圆寂。
圆约进善方面言
( 成就一切福德 );
寂约灭恶方面言
( 断惑灭苦 )。
据此研究起来,
圆寂似乎大乘无为的涅槃,
寂静、
灭度等为小乘涅槃。
要之,
圆寂也就是指得
“ 圆明寂照之真心 ”。
因为它 ——
真心 ——
本具一切功德( 圆 ),
永离一切烦恼( 寂 )故。
成佛即证此真心,
故涅槃并非诸佛的专有品,
不过凡夫一向为梦想所蒙昧,
因此不能证得。
所谓迷则颠倒梦想,
悟则究竟涅槃。
当知梦想,
根本是由本觉真心而起的,
我人如能灭一分梦想,
即证一分真觉
( 如镜子去一分尘埃,
即现一分光明 ),
乃至全灭全证。
至此则一切功德无不复归
“ 圆 ”满,
一切烦恼生死无不毕竟空
“ 寂 ”,
是证到大乘究竟涅槃的境界。
二 、涅槃的种类
现在再来把它的种类介绍一下 :
涅槃有二种,
一 、有余,
二 、无余,
要详细明白它当分三段来讲 :
( 一 )就小乘方面 :
证得阿罗汉果,
对于招感生死业因的见思惑,
虽已断尽而更不生起,
但尚有前业所招的生死果报身未灭
( 生命体犹存 ),
叫做有余涅槃
( 尚有余此有漏依身的生死苦果可灭故 )。
若连以前烦恼业所受之身亦灭,
更不随业受生死,
叫做无余涅槃
( 无余外生死苦果可灭故 )。
换言之 :
不但招感生死之本的心理上之烦恼业惑已经解脱,
即众苦所聚的生理上之现实生命体亦同称解脱,
此为无余涅槃。
以上为小乘的有余、
无余涅槃
( 此有余、
无余同为一体,
因同断见思,
同证真理。
其不同处,
唯在有漏依身上灭,
未灭上分 )。
( 二 )就大乘方面 :
若变易生死因尽为有余涅槃,
变易的果尽为无余涅槃。
此为大乘的有余、
无余涅槃。
( 三 )就大小相对言 ;
小乘所证涅槃为
“ 有余 ”,
因为它仅断见思烦恼,
灭分段生死而已,
尚“ 有 ”其“ 余 ”的尘沙、
无明烦恼未断,
变易生死未了,
故曰有余。
至于大乘所证的涅槃,
则为
“ 无余 ”,
因为它是三惑全断,
二种生死永灭,
再“ 无 ”其“ 余 ”的烦恼可断,
生死可了,
故曰无余。
此为大小相对的有余、
无余涅槃。
又近代的学者说 :
果报身未灭为有余
( 虽惑断而身尚在 )
待果报身灭时,
始称为无余的涅槃。
更对于小乘和大乘涅槃的分解,
详细可再分为三点说明 :
1 、小乘灭生死而涅槃,
大乘达生死即涅槃,
这叫做本性寂灭非寂灭异,
此其一也。
2 、小乘唯断界内见思,
大乘并断界外
( 三界外 )
尘沙、
无明,
这叫做界内界外断惑异,
此其二也。
3 、小乘无身无智,
未彻证法身般若之德;
大乘则身知具足,
众德圆备,
这叫做众德具不具异,
此其三也。
我来引一段经文补释这众德具不具的道理,
使读者易懂。
“ 法华玄赞 ”二云 :
“ 一 、真如之体灵明妙觉,
名为般若 ”;
彼为觉性故也。
小乘之涅槃体非觉性,
故不名般若。
二 、真如之体出所知障,
名为
“ 法身 ”;
彼为一切功德法所依故。
小乘之涅槃非为功德法所依,
故不名法身。
三 、真如之体众苦都尽,
名为
“ 解脱 ”;
彼离分段变易故。
小乘之涅槃唯离分段,
未脱变易,
故非圆满解脱。
据上所说,
小乘涅槃所断的是见思烦恼,
所灭的是分段生死,
所证的是偏空真理,
所以它的生死因便是见思烦恼,
它的生死果即指有漏依身
( 为有漏烦恼感受生死所依之身 )。
大乘涅槃,
所断的是尘沙、
无明烦恼,
所灭的是变易生死,
所证的是中道实相理。
此则以尘沙、
无明为变易生死因,
空及二边之法相为变易生死果。
二乘人灭分段生死,
不受后有而入涅槃。
大乘菩萨及佛虽变易生死,
息妄归真,
而证无余涅槃。
或云 :
“ 佛息应身之化,
归于真身之本 ”
谓之无余涅槃。
总之,
二乘所证涅槃,
它的本体是见思烦恼永寂,
偏空真谛理显现。
菩萨所证涅槃,
它的本体是尘沙烦恼永寂,
但中俗谛理显现。
佛所证的涅槃,
它的本体是无明烦恼永寂,
实相中谛理显现。
小乘虽然不算圆满解脱,
可是它已能了脱分段生死,
因此,
亦得称为涅槃 ——
小涅槃;
三德中仅具解脱一分。
至于大乘所证的涅槃,
可就不同了,
它是圆断烦恼、
圆满解脱、
圆证三身、
圆获三智;
那法身、
般若、
解脱三德具备,
常乐我净的四德不缺。
此外还有性净涅槃、
无住涅槃,
合前有余、
无余为四种涅槃。
有余、
无余是三乘共证,
凡夫无分;
性净涅槃是凡圣同具;
无住涅槃是佛果独证。
今略说明之 :
“ 性净涅槃 ”
谓诸法自体,
性本空寂,
不假他修,
法法平等,
圣凡不二的理性。
“ 无住涅槃 ”
是说不住生死,
不住涅槃,
因为它是福慧圆满,
更无所求。
体虽如如而能不变随缘;
用虽生灭而能随缘不变。
又以大悲故不住涅槃
( 不忍坐视沉溺生死的众生而不救 );
以大智故不住生死
( 不被无明所迷,
业力所转 ),
故云无住。
结语
如上所明,
涅槃是学佛修行最后的归趣,
不消说它当然是个无法估价的圣果。
嗟嗟!世有一班不懂教义的人,
竟以涅槃认为是死的别名,
这是根本错误的!
要知道,
它 —— 涅槃,
乃诸佛圣者所同证的圣果,
是由历劫辛苦,
积行一切功德所换来的代价。
就以小乘涅槃来说 :
并不是个个死了就能即证涅槃。
请大家认识清楚为幸!
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